アイデアのスープのレシピ

アイデアのレシピ集

決算

 

めんどくさいな、しかし。

ウチにはパソコンを使える人材がいなかったため、数年前までは手書きの集計や仕訳帳を書いてたんだけど、調査に入られた時に僕も調査員も「???」な感じになってしまうので、数年前から僕が一人でパソコン使って入力することにした。

まあ、ちまちまと入力したところで、商売自体をECに切り替えてるので、売上に多少に関わらず1年分の入力は半日くらいで終わるんだけど。

 

一人で決算作業をやってると、1年間の自分の商売がどうだったかが見えてくる。まあ、会計やらなくたって毎日の集計はチェックしてるので、良いのか悪いのか、この先良くなるのか悪くなるのかは日々考えてる。

帳面見てるとね、ああ、あの頃はこんなこと考えてたんだなあとか、この頃はここを攻めようと注力してたんだなあとか、自分史を眺めてるような気持ちにさえなってくるのが面白い。

今回の商売替えの転機になったのは今年の5月か6月だったかな。ある決定的な出来事があって、ちょっと人生の舵をどっちに切るか考える暇もなく「ああ、こっちに行かないと」と言う決断をした覚えがある。

ただ、商売替えをしなきゃなあと思い始めたのは2年前で、それは岡山工場に設備投資をした直後だったっけかな。


今までの商売の変遷で、細かくいえば2年、3年、5年とかの周期で商売替え(今風に言うとピボットですか)してきてるんだけど、大体商売が上向いた時にはピークアウトが始まってると思うようにしてて、今回のバターも最初の発売開始から5年をめどに次に行こうと思ってた。

ただ、ピークの波が大きかったから、これは10年くらい見て良いかなあと思って岡山工場に設備投資したんだけど、見事にスタッフに裏切られてジ・エンドと言う感じ。あのタイミングを見誤ったのが最大のミスだったな。

まあ、こんな感じで自分のサイクルを見るのにも自分でポチポチ入力するのは有意義なものだなあとかね。自分がこの先どうして行くかを決めるための羅針盤にもなってる。

一方、何をやれば良いのか分からない時は、とにかく思い浮かんだことは片っ端からやってみることにしてる。やってみないと分からないこともたくさんあるしね。

しかし、税理士の顧問料高えなあ。

商売が好調な時は大した負担にも感じないけど、ウチみたいに波がある商売のスタイルだと、低調な時の負担がデカすぎる。

今まではミロクにそのまま入力できるデータを送ってたけど、今回は印刷した仕訳帳を送ることにした。全部入力したところで、キャバクラ嬢の数倍の時給換算でもお釣りがくるくらいだからね。税理士って儲かるのねえ。

アメリカでゴールドラッシュの時に儲けたのは、金を掘る人じゃなくて、ツルハシを売った業者だとか、ジーパン売ったリーバイスが一番儲けたみたいな話。

生まれ変わったらものを作る商売なんてやらずに、税理士の方が良いんじゃないかとすら思えてくるね。

CANOBLE、バター販売の最後のメルマガ

 

メルマガ書いたので、ちょっと載せときます。

メルマガ自体は19時に配信なんだけど、バタバタしてるから先にあげときます。で、19時から最後のバター販売を開始。本当にこれが最後。

記念に。

 

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ナショナルデパート秀島です。

というわけで、いよいよ最後のバター販売です。
新たに商品を製造しました。

おかげさまで、材料の在庫もそこそこ捌けたということで、この辺でCANOBLEのバターも幕引きということにします。

バターやめてどうすんの?という件に関してですが、以前からお知らせしていたように、食品ではない商売に商売替えします。

 

20年前にパン屋さんとしてスタート、その前にカフェを1年くらいやってましたけど、その後、岡山土産のももたんを発売して大ブレイク、ブレイクし過ぎて岡山から追い出されるという憂き目にあって、東京に出てきてバターがヒット、で、そのバターもやめて次の商売へ、という流れです。

新事業の準備も目処が立ったので、ここいらでグランドフィナーレ。

岡山の工場も完全に撤去して、数千万円の損失を出して、東京の工場も今後少しずつ設備を解体していきます。何年か周期でカッコよく言うとスクラップ&ビルドを繰り返しているわけですが、まあ、ヒヤヒヤしますけど、飽きないので楽しくやってます。

新しい商売、まあ、いつも通りよく分からないものを自分で作って売る、という感じになります。ただ、食品ではない、というところがチャレンジするなあと自分でも恐怖を感じてます。売れるかどうかは神のみぞ知るところ。

どうぞ、CANOBLEの最終ロットをお楽しみください。

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で、ですね、新事業でも今までのECサイトを使うので、パンやバターのお客さんは驚くかもだけど、STORES契約更新しててもうお金引き落とされちゃってるんで、しばらくこのまま行きます。

 

興味のある方はどうぞ。

 

depa.stores.jp

 

冒頭の画像は、バター事業を始めた頃の製造スタイル。木製のパドルでぺったんぺったんと一個ずつ作ってた。いやあ、あの頃は夫婦二人で毎日徹夜して作ってたなあとか、感慨深いな。

とはいえ、気持ちはすでに新事業に向かってる。

気持ちを切り替えるまでは時間がかかるけど、切り替えた瞬間に別人になれると言う特異な性質のおじさんなので、まあ、なんとかなるか、ならないか、神のみぞ知るところと言うことにしときましょうかね。

では。

 

商売替え

EC内とかプレスリリースでも発表したんだけど、いよいよ食べ物商売を商売をやめることにした。

 

で、新しい商売を始めることにした。

 

とはいえ、過去にも少しだけやってた商売なので、知ってる人は知ってる感じだと思う。なんだろうねえ、食べ物商売面白くて嫌いじゃなかったんだけど、なんかすごくやりたくなくなってしまった。

 

Twitterとかでは愚痴ってたけど、何千万円も投下した岡山工場の設備投資が無駄になって、心が折れたというか、10年以上一緒にやってきたスタッフに裏切られた格好になってしまって、1年間ぼーっと何しないで過ごしてた。というか、何も出来なかったんだよね。

 

おまけに脳梗塞を2回もやってしまって、半身麻痺を左右交互に体験して、ああ、また死なせてもらえなかったんだなあ。とか思ったんだよね。

 

10年に一度大病を喰らうんだけど、20年前は胆嚢が異常なことになってしまって1ヶ月以上入院してお腹もパックリ切られたし、10年前は大腸がんでステージ3ですか、で、今回は脳梗塞RL(右左という意味ね)実績解除とか、もうね、どうして死なないんだろうと不思議になってくる。

 

忘れてた、タイトルで書いた商売替えね。うん、今までの全然違う商売します。

 

理由は、お金がなくなって首を括らないといけないくらいな感じになったから。

 

バターでたあんと儲けたんだけどね、岡山の連中が裏切って何千万円もドブに捨てた感じになったから、まあ、若けりゃね、夢や希望を語ってもいいんだけど、今回は食うためにやる。

 

でも、多分、始めたら、え?食うためにやるって、これで食えると本気で思ってるの!?という反応があるだろうね。いやもうね、生まれつき社会とつながる共通認識ってものが育まれない脳なのよ。

 

若くもないので、匂わせとかはしない。

 

商売替えします。

 

よろしく。

レシピ本

まだ売ってるな。
 
 

シリアルアントレプレナーにあこがれる「まぐれ単発事業売却おじさん」の話。

えっとですね、最近めちゃくちゃムカつくことがあったのでちょっと書く。

簡単に説明すると、僕の友達が、別で僕が仲良くさせてもらってるD2Cスタートアップのビジネスモデルからコミュニケーションデザインまでを丸パクリした事案が発生して激おこ。

おいおい僕の身近でパクってんじゃねえよ。

パクった友達は、SNSのプロフィールに何年も前の事業売却を書いて、売却先の執行役員やってました〜(いまは外れている)と書いてるけど、いま現在何も形にできてないというよくいるアレな御仁で、でも、僕は好きだったんだ。いい人なんだよ。面白い人なんだよ。

人付き合いしない僕にはめずらしく、何度も、飯を食いに行ったしZOOMで何度も話ししたよ。人も紹介してくれたし、本当に感謝してる。なんなら尊敬もしてたんだ……

でもな、

パクってんじゃねえよ。

身近でパクってんじゃねえよ。

猫のイラスト描いてるからオリジナルとか言ってんじゃねえよ。

パクリ元と差別化するためにパッケージに猫のイラストを描くアイデアだって、僕が話したやつじゃねえかよ。でも、そんなのどうでもいいよ、ただの雑談だよ。猫を描けば売れるというの、お前がやってる仕事に役に立つならと思えば良い結果につながれば全然良いじゃないの、という感じで思ってたよ。

でもな、

僕が仲良くしてる会社の事業モデルからコミュニケーションデザインまで丸パクリするか?普通するか?話は違ってくるぞ。発送箱の蓋裏にThank youメッセージとか書いてんじゃねえよ。どの面下げてやってんだよ。馬鹿かよ。

お金もらってないから、どうしても断れない事案だったから、その会社にお金ないから、とか言い訳をまくしたてるんだけど、お前は僕の知り合いの事業モデルだけでなくコミュニケーションデザインさえも丸パクりしたんだぞ、恥を知れ、恥を。

いや待て、

僕は心から応援してたんだ、自分で事業を立ち上げたいと言ってたのを聞いてて、うまく行けば良いなあと心の底から願ってたんだよ。でも、この前飯食ったときに、自分は事業を立ち上げるよりも支えるほうが向いてるって言ったんだよ、寂しそうな顔してたよ。でも、うまく行けばいいなと心の底から願ってたんだよ。

だがな、

お前が関わったパクリ商品を手に入れた客のSNS投稿を見てビビったよ。

お前のアイデア全く入ってねえじゃねえかよ、全部パクリじゃねえかよ。プレスリリースのタイトルまで僕の常套句の丸パクリじゃねえかよ。箱の裏に手書きメッセージを書くのなんてパクリ元の顧客体験まで丸パクリしてクソかよ。死ねよ。

顔が卑しくなってるのは気づいてた。

このままだとちょっと鬱っぽくなるのかと心配してた。

でもパクってんじゃねえよ。

身近でパクるなんてクソかよ。

そんなんだからいつまで経っても過去の事業売却を心の支えにして、売却先の執行役員も外されてんのにいつまでも看板に掲げてんだよ。恥ずかしいよ。恥ずかしいんだよ!

もうお前の才能は枯れてんだよ、それは台湾料理を食いながら話してたおまえの寂しい顔を見た時に気づいたんだよ。でもしょうがねえじゃねえかよ、才能なんて枯れるんだよ、それは仕方ねえんだよ。誰だって寄る年波には勝てねえよ、そんなことは僕だって分かってるんだよ。事業アイデアが浮かばねえならサポートに回るっていうのは正しいよ。

でもな、

近場で丸パクリしてんじゃねえよ、情報ブローカーやってんじゃねえよ。

なにが金にならねえ仕事だあ?そういうゼロな仕事でしっかりてめえの頭で考えてオリジナル足り得る事業モデルを立案して実行して社会から認められて階段を登っていくんじゃねえか。ズルしてんじゃねえよ。いつまで経っても階段登れねえじゃねえかよ。

パクリネタ探しのために僕に近づいてきたのかよ。

いや、

パクったことを怒ってるんじゃないんだよ、情けねえんだよ。寂しくなるようなことをするなよ。チャレンジしろよ、自分で考えた事業モデルで挑戦しろよ。

何もねえんだからゼロからスタートなんだよ、ゼロのときに死ぬ気で頭から絞り出したアイデアと鬼気迫る行動力で社会に杭を打っていくんだろうが。卑しいことしてんじゃねえよ。

過去の栄光にすがるなよ、事業売却なんていまどきエロサイトだってやってるぞ、売却先の名の通った会社の執行役員やってました〜とかいま外されてる役職書くなよ恥ずかしいよ、過去の栄光で営業かけるなんてクソofクソだぞ。だからおまえの仕事は薄いんだよ、卑しいんだよ。

僕の周りで成功してるシリアルアントレプレナーはマジすげえ努力してるぞ。てめえみたいにパクってきた情報を右から左に流してヘラヘラしてたら、お前が憧れるシリアルアントレプレナーになんてなれねえよ。絶対なれない。覚悟が足りねえんだよ。覚悟が。

増田で書いたエントリーが読まれて嬉しいだと?ブログが読まれて嬉しいだと?現実逃避してんじゃねえよ、インターネットになりたいとか寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ、お前は華やかなシリアルアントレプレナーに憧れる、ただの「まぐれ単発事業売却おじさん」なんだよ。

僕は寂しいよ。

人間、どんな状況でもチャンスは必ずあるんだよ。

逃げるなよ、楽をしようとするなよ、回り道でも険しい道でも避けて通るなよ、誤魔化すなよ、実直であれよ、社会に対して恥ずかしいことをするなよ。

 

でも、今気づいた。

そうか、友達だと思ってたのは僕だけだったのかもね。

そうか、普通友達のパクリとかしねえもんな。

いや悪かった、僕の勘違いだった。

これからも頑張ってくれ。

僕はもう一生お前と会うことはないけど。

シリアルアントレプレナーに憧れる「まぐれ単発事業売却おじさん」よ。

頑張れ。

経営者とは、湧き上がる全能感とどう付き合っていくかの果てし無き戦い。

ワイフの晩ごはん作ってて、煮込む時間ができたので。

で、経営者が必ず陥る全能感のお話なんですが。

全能感って何?という話なんですが、簡単に言うと商売が上手くいった経営者が「オレすげえ」となる状態ですね。みなさんも身近で「オレすげえ」になっている経営者を見たことがあると思います。

この全能感というのが厄介で、脳内にドバドバ溢れ出てくるドーパミンが抑えられない。

派手な人間関係を求めたり、女性関係が荒くなったり、社員やアルバイトを虫けらのように扱い始めたりと、いろんな状態になって気持ちよくなっていきます。

過去に調子に乗って何度もしくじってるのに、ちょっと浮いてくるとすぐに全能感が湧き出てしまう人というのもいますね。

もうお前何回目だよ、つい先月まで死にてえ死にてえ言ってたじゃねえかよ、とかね。

そういうの死ぬほど見てきているんで、身近で「俺すげえ」と叫んでるウワサが出てくるとちょっと見物に行っては、全能感でドーパミンがドバドバしてる人を見て「またかよ〜」ってなるわけですよ。

もう目もバキバキになってるんですよ。おい大丈夫か?また死にたくなるとか言うなよ、何度繰り返すんだよと。

ただね、この全能感は報酬系としては経営者に許された最大の喜びなんですね。一部の人にとっては。

苦労して掴み取った成功、艱難辛苦の先に得た相対的に目に見える成功、自分の努力が報われた、自分が認められた、脳の中にドバドバと溢れ出る報酬系合法麻薬。

はあぁ、何度も何人も見てきましたね。この光景。

でも数千万円で狂うやつもいれば、数百億円でも狂わない聖人君子のような御仁もいる。この差はなんだろうねえといつも思うんですがね。

成功のスケールによってはそのまま「アガリ」となってヒマを持て余す余生となる場合もあるし、スケールが小さければ全能感の副作用としての崖に突き落とされるなどありますが、まあ、僕の周囲だとだいたい浮き沈みうぃ繰り返している例が多いですね。

経営者とは、湧き上がる全能感とどう付き合っていくかの果てし無き戦いなわけですが、まあ全能感でバキバキにキマるというのも成功の結果であって、まあ、そういうのを他人事のように観るには経営者界隈のひとつの娯楽として存在しているという側面もあるので、エンターテインメントとしてこれからも繰り返されていくのでしょうね。

coq au vinも煮込まれてきたので、ではまた。

「スゴい人」と「それ以外の人」

いろんなことをしていろんな業界に首を突っ込んでいるといろいろ見えてくるものがある。

定期的に思うのがパン業界のパイセンたちの凄さで、世の中は「スゴい人」と「それ以外の人」の二種類に大別されてるんじゃないかと思うようになった。

世の中の大半が「それ以外の人」で構成されていて、世の中は「それ以外の人」の右往左往で出来ているという認識になってきてる。

スゴい人とはすなわち王道を歩む人で、人格者で道を踏み外すことがない。

僕には未だその王道につながる道が見えない。

僕もまた「それ以外の人」の中に紛れて右往左往しているに過ぎない。

求むれば遠ざかる王道、生きている間に触れることができるか、覇道を歩むか、今のまま外道・邪道の道を歩み生きていくのか、よう分からん。

と思いながら生きている。

生きることに意味はないと分かったとしても生きていく

人生というのは何が起きるかわからない。

思いもよらぬ災難・辛苦、重い病に罹って「どうして自分が?」と胸を引き裂かれるようなこともある。

僕がガンになったときもそうだった。検査のたびにステージが進んでいるのが発覚し、手術を終えるとさらにステージが進んでいたことを知らされる。

辛い抗がん剤を耐えられたのも、家族やスタッフの顔を思い浮かべて自分の未来を信じていたからだった。また元の生活に戻るために。

手術入院の前日にスタートした新事業が初日から噴いて、全身麻酔から覚めた瞬間に最初に聞いたのは、ベッドの柵を握りしめたワイフが叫ぶ「卵が足りない!どこで仕入れたらいいの!?」という言葉だった。

ああ、そうか、あの商品は売れたんだぁ、まだぼんやりした意識の中で、ああ、まだ生きてる、死ぬかも知れないと最後っ屁でかました新しい商品がバカ売れしてる、どちらも嬉しいけど、どっちが嬉しいとかそういうのは考えもできなかった。

さあ、ここからガンとの闘いか、がんばらないとな。

ぼんやりそう思ったのは覚えている。

直腸すべてと転移していた箇所を切除したあとは、身体の中で内臓が引きつったような感覚がでる。

内臓がポジションを整えるために動いているのかも知れない。

排便障害で1日に30回も40回もトイレに駆け込み、1日の内のほとんどの時間をトイレで苦しむことになる。これに抗がん剤の副作用も加わって、自分の身体が自分の意識のコントロール下から離れていくのを実感する。ただただ辛い。

それでも耐えられたのは、何だったかはよく覚えていない。手術までのガン告知時の絶望からはあまり記憶が辿れない。

金を稼がなくてならなかった。

思っていたよりもステージが進んでいたから、いつ僕が死んでもみんなが楽しく暮らせるように事業をある程度までは成長させて安定させておかないとなと思った。

ガッツリおりたガン保険はすべて事業のためにつぎ込んだ。

パリの憧れだった場所で商売もさせてもらえた。尊敬している作家の先生に会える機会も頂いた。新事業は破竹の勢いだった。人生で一番稼いだのではないだろうか。

ガンにはなったけど、もしかして死ぬかも知れないけど、ガンがきっかけで仕事で面白い思いをさせてもらえた。ガンを克服して生きている意味があった!と喜んだ。

しかし、人生というのは何が起きるかわからない。

ガンを克服したらなにか明るい未来が待っているんじゃないかという期待や希望にあふれていたのもつかの間、待っていたのは、嫉妬や憎悪で自分の尊厳さえも踏みにじられる 地獄の世界だった。

地域や家族からも裏切られ、血みどろになってのたうち回った。

命拾いをしたところで今度は社会の憎悪に晒されて罠にはめられ仕事もお金も居場所も失い、居場所を求めて落ち延びながら東京に戻ってきた。

あれ?せっかく生きてるのに、良いことなんて無いじゃん。

むしろ、生きるのって地獄じゃね?

40歳を過ぎて丸裸でゼロからスタートしなければならなくなった。

ガンを克服して生き延びたことを後悔するような瞬間も無いといえば嘘になる。

深夜にテレビで流れる青汁の通販ストーリーを観ても、ガンなんか克服したって良いことなんてありゃしないよ。と内心で思っていた。

東京に戻ってきても、岡山で受けた屈辱は身に染みていて寝ているときに悪夢で目が覚めることが何度もあった。汗でぐっしょり濡れたシーツを掴んで涙を流したこともあった。

自分はどうして生きているのか、あのとき死んでいれば楽になれたかも知れないのに。

17年ぶりに東京に戻ってきてから必死で頑張った。心の支えになるような夢も希望も野心も特にはない。生きているから仕方なく頑張っている。頑張らないと食っていけないからだ。

食うために生きているのか、生きるために食うのか、よく分からない。生きているだけの廃人同然だ。ただ、いまは人生で一番幸せだ。なぜなら、

生きることに意味はないということに気づけたからだ。

いまはやっと心穏やかに暮らせるようになった。仕事も順調にいっている。東京なら、岡山のときのように嫉妬や利権で衝突することもない。のびのびとやらせてもらっている。

僕を支えてくれる人たちもたくさん増えた。僕も好きな人がたくさん増えた。40歳を過ぎて、こんなに新しいことに挑戦できるのかと、東京に戻ってきてよかったなあと心底思った。

最近は悪夢で飛び起きることも無くなった。よく眠れる。いや、忙しすぎて睡眠時間を長く取ろうと思うほどだ。眠るときは気を失ったように熟睡している。

人生で誰もが経験する山や谷を経てみて、今一度「生きることに意味はあるか?」と自問した時、自分はどう答えるだろうか。

生きることに意味なんかねえよ

僕はそう答えると思う。

生きることに意味はないと分かったとしても生きていく。生きるのに意味はないんだけど、せっかく生きてるんだから意義のある時間にしていきたいな、そう思うぐらいだ。

 

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小さな覚悟をたくさん決めて

少しずつ覚悟を決め始めた人が増えてきてる。

覚悟を決めるのが良いのか悪いのかは分からんのだけど、覚悟を決めないと次に歩を進められないし、覚悟を決めないと可能性が可視化されない。

僕みたいに、何度もふりだしに戻ってゼロから始めなならん人生を歩んでると、失う恐怖よりも、始めないリスクの方が怖くなってくる。

本当は一つのものを極める人生を送りたかったんだけど、そこまでの才能もなく、我慢強くもないので、40年悩み続けた人生だった。

特段、今が良いわけではないけど、始めるリスクを恐れて「あの時こうしとけばよかった」という後悔がないのは、自分にとっては良かったのかな、と思ってる。

どうなるか分からない恐怖というのは、誰にもあるのだけれど、覚悟を決めると「どうなるか」の先を誰よりも早く見ることができる。

嫌なものを見てしまった、と舌打ちをしながら前に進まないといけないときもあるけども、それでも足元にまとわりつく現実を引きずりながら前に進むんです。

いろいろあるけど、仕方がない。

小さな覚悟をたくさん決めて前に進みましょう。

自分を救ってあげられるのは自分自身でしか無い。

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ももたんよ、お前の仇は討ってやったぞ

 

1年かかったけど、カノーブルの月販がももたんの月販最高額を超えた。

1年もかかったかという思いと、1年でここまで育つとはという両方の思いがある。

発売日に震災が起きて販売を断念したカノーブルが9年の時を経て、5年前に殺されたももたんの弔いを果たすという。

頭は悪いし狂ってるし、経営もヘタだし、失敗ばっかりするし、デブでハゲたオッサンで、喧嘩っ早いクズだけど、執念深さだけは誰にも負けない。

言ったことは必ずやり遂げるというのが唯一の才能かも知れない。

岡山の敵(かたき)を江戸で討つ、というのに4年かかったけど、この場合の「敵」は他ならぬ自分の心の中にあったわけで、そういう意味では自分の心をやっと自分自身で救ってあげられたという安堵にも似た気持ち。

もう心の整理はついていたことだけど、それでもやはり、こうやって自分の中の内なる敵に打ち勝ったというのは、自分自身の人生において大きな意味がある。

自分を救ってあげられるのは自分自身でしか無い。

死ぬほど辛いときに支えてくれたワイフや、一緒に涙を流したスタッフたちや、いまを支えてくださるお客さんに感謝してもし足りない思い。

ECのお客さんを待たせてしまっているので、今日も徹夜で作業する。

疲労困憊でフラフラだけど、またこうやって仕事をさせてもらえる喜びを噛み締めている。

ありがとう。