「怖さ」の正体を探ってみたら、わかったこと。

前回、先が見えない暗闇って怖いよねって記事を書いて

その後、怖さ について考えてみました。

 

 前回の記事はこちら。

lakotoya.hatenablog.com

 

誰でも、普通に怖いだろうなって想像のつくものはあります。

苦手なもの、と言い換えても良いかもしれません。

お化けや、幽霊が怖いとか

血を見るのが怖いとか

高いところが怖いとか

爬虫類が怖いとか

なかには犬や鳥が怖いという人もいますね。

あとは、予想外だったり、想像のできないものかな。

 

こういう単純に視覚から入ってくる「怖さ」っていうのは、

まぁそうだよね、って誰でも納得できます。

 

じゃあ、私もそうだったけど(今もある)何か行動を起こそうとしたときに

怖くて、なかなか一歩を踏み出せないってありますよね。

その「怖い」は、どういうことなんでしょう?

 

人にどう思われるか心配

批判をうけるかもしれない

白い目で見られるかもしれない

失敗するかもしれない    て感じでしょうか。

 

これって、全部自分自身の自信のなさから発生してるのでは?

と気付いたのですが

何で自分に自信が無くなっちゃったのかな?って

私自身のことを振り返ってみました。(原因は人によってさまざまだと思う)

 

私は、やっぱり親との関わりで刷り込まれたのが大きいかな、と感じるんですが

そういう人はきっと多いと思います。

今、思い出してみても、私は、親にあまり褒められた記憶がなくて

自分では、結構優等生だったんじゃないかと思うんだけど

テストで良い点を取っても、100点じゃないとだめだ!と思ったし

(100点取ったら、100円もらってたなぁ)

いつもリレーの選手だったけど、選ばれなかったらどうしよう!って思ったし

ピアノの練習しないと物差しで叩かれたし

その物差しは、机に向かう姿勢が悪いと、背中に入れられました。

頑張れば褒められる、というより

頑張らなければ怒られる、と思ってました。

成長してからも、どうせあんたは長続きしない、とか

何でもうまくいかない前提でみられているから

予想通りうまくいかないと、ほら、言わんこっちゃない!って怒られて。

怒られるの、怖かったんですよね。

だから

何かやると怒られる、何もしなければ怒られない。

という方程式が出来上がってしまったのかもしれません。

 

そんな私も、自分で稼ぐようになったら、どうしてもやりたいことは

全部、事後承諾でやりましたけど。

バイクの免許取って、バイクの新車を買ったりとか

一人暮らしするために、部屋契約して、引っ越しちゃったり。

それが、また親の期待に沿えない、親不孝者って思っちゃったりしてね(笑)

 

そうやって、親との関係がトラウマになって動けないって言う人、

結構いると思うんですけど

 

私、すごいことに気付いてしまいました。

 

これは、理解出来ない人は、理解しようしなくても、

そういうものなんだぁ~ってくらいで良いのですが

 

宇宙の原理でいうと

時間とか距離、というものは存在していなくて

過去も、未来も、全てが「いま」に存在しています。

いわゆる、パラレルワールドともいわれるものですが

 

例えば、一本のDVDの中には、過去から未来までのお話が「ひとつ」になって

「いま」に存在していますよね。そういう感じです。

 

だから、「いま」の私が、過去に抱えたトラウマを乗り越えて克服したとしたら、

過去の傷付いた時の自分も、同時に癒されるのではないか?と。

「いま」の私が変わったなら、同時に存在している、

過去も未来もかわるんじゃないかと思ったんです。

 

どちらにしても、大切なのは「いま」で

過去のトラウマが、とか言っている時点で、

それは今動けないことの言い訳でしかないのではないかと思います。

今、動かないのは、その状態に何かしら自分にとってのメリットがあるからですよね。

 

自分の「怖さ」の正体を探ってみて下さい。

それが、過去のものであるなら、今、それを克服すれば、過去の自分も喜びます。

それでも、動けない、動きたくない、と思うなら、

今の状態が心地良い、居心地が良いということです。

 

自分ストーリーのDVDを書き換えられるのは、自分しかいないのです。

 

 

コレは、ガチで怖いやつ。(リンちゃん白目剥いて寝てるw貞子か?)
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暗闇の先には何がある?

朝起きて、天気が良くて、お日様の光が降り注いでいるだけで、

「あぁ~~しあわせだ~~」と思える。

洞爺に住み始めて、もうすぐ3年になるけれど、毎日窓からピラミッドのような

中島を眺めるたびに、嬉しい気持ちになる。
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窓が汚いな・・・(笑)

 

アッと言う間の3年、でもやって来たことを考えると

何十年とも思える濃い3年だった気がする。

 

今でもそうだけど、今までやった経験のないことをやろうとするとき

ほんとに「怖い」です。

見た事のない世界へ進むということは、暗闇の中を手探りで進むようなもの。

暗闇の先は、断崖絶壁になっているのかもしれない。

もしくは、綺麗なお花畑なのかもしれない。

それは、進んでみなければわからない。

 

今いる明るい場所にとどまるのか、

何があるかわからない先へ進むのか

どっちを選ぶのも自由。

そうだとしたら、その場所で満足して、停滞して、朽ちて行くより

私は、怖くてもまだ見ぬ世界を見てみたいと思うのです。

 

まだ見ぬ世界を、天国だと信じて。

 

暗闇に進むのは、誰だって怖いと思いますよ。

でも、「怖い」っていうのは、ワクワクでもあると思うんですよね。

あの、お化け屋敷に入る前や、見世物小屋に入る前みたいな。

 

怖いけど、楽しみ!ちょっとワクワク!

 

で、実際入ってみたら、なぁ~~んだ、作りものじゃん!ってね。

全然怖くない(笑)

そんなものです。

 

「怖い」って感情は、危険を察知して死なないために、必要な感情。

でも、この世界で、ほとんど死ぬようなことにはならないんですよね。

これから、未踏のジャングルに入るんなら別ですけど。

 

だとしたら、「怖い」って「ちょっとワクワク」でもあって

意外と踏み出してみたら、あれ?と思うんじゃないのかな。

「なぁ~~んだ!つくりものじゃん!」って。

そう、自分が勝手に思い込んで、想像していたつくりもの。

 

暗闇の先が、断崖絶壁である可能性って、ほとんど無くて

自分が「そうに違いない!」って思ってるだけのことがほとんど。

それを、進まない言い訳にしているだけ。

 

そうやって、張りぼてのお化けに怯えているのも自由ですけど、

私は、暗闇の先にあるのは、パラダイスなのか、はたまた違うお化け屋敷なのか(笑)

確かめに行きたいと思うのです。

 

 

 

 

 

龍からの伝言 追記

前回の「龍からの伝言」、思いがけずたくさんの方に読んで頂き、とっても嬉しかったです!

ありがとうございます!!

何かしら、反応する人が多かったということは、まさに龍の時代の始まり、ということですね。

 

まだ前回の記事を読んでいないという方は、こちらからどうぞ。

 

lakotoya.hatenablog.com

 

実は、22日にこの記事をアップしてから、補足を書きたいなと思って、

23日に記事に使うイラスト?を描き、文章を書こうと思ったのだけど、書けない。

次の日も、書き始めてはみたものの、何か違う・・・と途中で下書き保存。

翌25日。

facebookで、友人が いいね していた記事にふと目が留まり

貪るように読んだのがこちら

 

 精神世界の鉄人さんのブログ。

ameblo.jp

 この記事を読んで、個人的に腑に落ちることがいっぱいで、とにかく衝撃でした。

落ち着いてから、ハッと気付いたのですが、記事を読む前に、

私が感じているイメージで描いていた龍の絵。

女性的で、優しくて、美しくて、一般的な龍とは違うんですけど、

顔が、犬のような、狐のような感じ・・・これ「いなり(稲荷)」じゃん・・・


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そっか・・・私が見ていたのは、イナンナだったんだ・・・

(イナンナがわからない人は、精神世界の鉄人さんのブログを読んでね)

今、また気付いたけど、天気雨のことを「狐の嫁入り」っていうのも

有り得ないような不思議な現象のことを言うんだと思うけど、

狐の嫁入り」の姿って、イナンナの姿なんだ・・・

だから、頭に被る布のことを「角隠し」っていうのは、

ほんとにイナンナが角を隠していたからなんだね。

 

なんのこっちゃ???と思う人は、スルーして下さいね(笑)

 

さて、ここからが本題。

 

龍って、しばしば象徴的に使われていると思っていて。

龍そのものも、見えなくなってしまった存在なんですが、

色んなものを、龍になぞらえていたりすると思うんです。

 

見失ってしまった本来の自分とか。

蓋をしていて見ないようにしていた感情とか。

抑え込まれていた女性性とか。

他にもいっぱいあると思うんだけど

 

ちょうど、地球の軸も傾き始めて、

いわゆるポールシフトっていうものですが、反転が起こっているんですね。

宇宙って、「ミクロでありマクロである」ので

原子も、細胞も、人間の身体も、地球も、銀河系も、全て

宇宙の雛形で出来ている訳です。

そうすると、地球で起こっているということは、私達人間にも起こっているので

今まで隠していたもの、隠されていたものが反転して出て来るということです。

だから、今まで持っていた怖れとか、悲しみとか、寂しさとか、執着とか

そういった重い意識を解消して、本来の自分を出して行く時期なんです。

 

重い意識、というのは周波数が荒い=波動(エネルギー)が低いですから、

それを解消すると、軽い意識になる=周波数が細かい=波動(エネルギー)が高い です。

 

それを、やるやらないの選択の自由は、個人に委ねられていますが

宇宙や、地球の流れに逆行するということは、生き方としては辛いものになるでしょう。

今まで通りの常識、価値観、お金の呪縛に囚われた生き方、ということです。

 

反対に、どんどん意識を軽くして、波動を上げて、

多様性を認められる、愛の意識を持てる準備の出来た人達には、

今まで見えていなかったものも見えるようになるでしょう。

 

一人でも、そういった人たちを増やすために、

ここでは龍と言いますが、あらゆる存在がサポートしている、ということを伝えているようです。

 

これだけ書くのに、すごい時間がかかりました!!(笑)

行き着く先は「どうでもいい」

一昨日は、新月&旧暦のお正月でしたね。

そのせいなのか、ここ数日間の荒れたお天気のせいなのか、わかりませんが

しばらくなぁ~~~んにも、やる気が起きず・・・

 

前回の「龍からの伝言」の追記の記事を数行書きかけて、その先が書けず

下書き保存したまま数日が過ぎました。

その間に、ダウンロードされてくる情報量がハンパなくて、

上手く説明できないのですが、例えて言うなら圧縮ファイルが

イメージとしてボンッってくる感じかな。

それを処理するために、何故か眠くなる・・・

 

そうして、ダラダラしていると、やっぱりまだ罪悪感が襲ってくるんです。

今までも、そうして来て、今困らず生きているのに、まだ信じきれません(笑)

長年しみついた、思い癖というのか、生き癖というのか

慣れ親しんだものは、そう簡単に消えてはくれませんね。

 

こう見えても(どう見えてる?笑)私は超常識人でしたから

 

まわりの空気を読んで協調しなければだめだったし

物事が丸く収まるためなら、自分が我慢しなければだめだったし

親の期待に応えるためには、いい子じゃなきゃだめだったし

結果を出すためには、人より努力しなければだめだったし

頑張らなければ、人には認めてもらえないと思っていたし

一般常識的なルールは守らなければだめだったし

自分に厳しかったから、人にもそれを求めてました。

 

そんな私がダラダラ寝てるなんて

毎日掃除機もかけないなんて

何もしないまま、一日が終わるなんて

 

そんなだめ人間、許せない!!

そんなことしていて、どうやって収入を得るの?

怖い・・・

 

そうやって、自分を責める気持ちも湧き上がってくるし

誰も頼る人がいないのに、どうするの?って不安と怖れにも襲われるし

 

でも、どこかで大丈夫!って根拠のない自信があったり

いつも何とかなって来た!っていう確信があったり

 

そんなふうに、感情の振り子が行ったり来たり・・・

 

で、さんざん考えた後に、行き着くのが

 

「どうでもいいじゃん!!」

 

 

そしてそして、回りと合わせなければいけないという常識で固まっていた私が、

目に見えない世界のことを、公に発信するなんて!!!

私が、嫌だと思っていたような人達と、同類にみられるなんて!!!

そんなのいやだ・・・

 

でもでも、目に見えない世界があるのは確かだし

これから、物事をエネルギーレベルで語る時が、必ず来るのもわかるし

目に見えないこと、隠されていることの方が大事だったりすることもわかるし

この広い宇宙に、生命体が地球人しかいない、なんて思っている人もほとんどいないのもわかる。

 

じゃあ、自分にとっての真実を発信して、何か困ることはあるのかな?

そんなことで、嫌ったり離れていく人は、元々いらないんじゃない?

 

と、さんざん考えた後に、行き着く先が

 

「どうでもいいじゃん!!」

 

 

例えばね、facebookなんかの記事に、すご~~く共感したとして

でも、それが一般常識とはそぐわない内容だったとします。

自分が人にどう思われるのかを気にするあまり 、いいね をしませんでした。

そのことで、その共感した素晴らしい記事の内容を、

知ることが出来たかもしれない人の機会を奪うことになってるかもしれないのです。

自分の都合だけを考えて、本音を隠したばかりに、本当の自分を隠したばかりに

誰かが大きく人生を変えるきっかけになったかもしれないチャンスを

奪ってしまったかもしれません。

それも、一人ではないですからね。

ひとつの いいね がねずみ算的に連鎖していくことを考えると

膨大な人数のチャンスを奪ったかもしれないのです。

この例えは、ちょっと大げさかもしれないけど、自分の本音を隠す、ということが

それくらいの影響があるということですよね。

 

そうすると、自分が人からどう思われるか?なんて

 

「どうでもいいじゃん!!」

 

 

よく、夫婦とか、恋人同士で、

女性が

「ねえ、今日のお休みどうする?」とか

「今日の晩ごはん何にする?」とか聞いたときに

男性が

「どうでもいいよ」とか

「何でもいいよ」とか答えて

女性は

「もう!真剣に考えてくれないんだから!」とか

「うわのそらなんだから!」とか、文句を言って

 

「どうでもいい」ってあまり良いイメージじゃないかもしれないけど

実は全肯定の言葉なんじゃないかと思うんですね。

 

「どうでもいい」は「どうで在ってもいい」

 

あなたの言うことは、何でも受け入れますよ!

どんなあなたでもOKですよ!

という、最大限の許容の言葉なのではないかと。

 

これからも、感情の振り子がゆらゆら揺れる時は、きっとあると思うんです。

だって、人間だもの(by みつお)

そんなときは、自分自身に、または大切な誰かに

 

「どうでもいい、どう在ってもいいんだよ!」

 

って、言ってあげましょう。
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龍からの伝言

今日は、少しばかり不思議なお話です。

これは、私が感じ取っているものなので、私にとっては事実であり真実ですが、

妄想や、思い込み、と言われればそうなのかもしれません。

それは、証明のしようがないので、私のファンタジーの世界だと思ってもらってけっこうです。

 

私は、自身が辰年なのもあるのですが、

色んな場面で龍との縁を意識せざるを得ないことが多々あります。

今住んでる洞爺湖も、風水的にみると札幌からの龍脈が通っていて、龍が護っているとも

いわれているパワースポットです。

洞爺湖町ゆるキャラも、龍の洞龍くんというんですよ。

 

そして私が、洞爺湖に移住する大きな切っ掛けになったのが、

愛犬のりゅう君を、保護施設から引き取ったこと。

こういうことも、後から「あ!そう言えば!」と気付くことなんですが・・・

りゅう君は、保護された犬なので、すでに「りゅう」という名前がついていました。

引き取られた犬たちは、新しいお家にいくと新しい名前を付けてもらうのが

ほとんどなんですが、私は呼ばれなれているのだろうからと、「りゅう」という

名前のままにしました。

因みに、もう一匹のリンちゃんも同じ施設から引き取ったのですが、

うちにやって来たのが、ちょうどクリスマスで、リボンという名前が付けられていましたが

呼びづらいので、「リン」にしました。

そうして、りゅう君に導かれて、龍神が護っているという洞爺湖へ移住したわけです。

 

他にもエピソードがありますが、それはまた別の機会に。

 

そうして、洞爺で暮らすようになって、龍の存在というものを意識するようになり

感じるようになりました。

私が感じている龍というものは、世間一般で表現されているような

おどろおどろしい、怖い感じがするものではなく

どちらかというと、ネバーエンディングストーリーに登場するファルコンや

千と千尋の神隠しに登場するハクのような感じです。

 

シャープペンでササッと書いたラフ画ですが、こんな感じ。
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美しくて、優しい感じなんです。

 

それで、龍も今一般的に表現されている自分の姿が不本意らしく(笑)

本当の自分の姿を表現して欲しいと言うので、

それを、どうしたら良いかな~と、ずっと考えていました。

そうしたら、2日位前に、朝方起きてるとも寝てるとも言えないような時に、

虹と漢字の「龍」という文字が、ボンっとあらわれて、

あ、こうすれば良いのか!というのが何となくわかったんです。

 

その晩。

ちょうどテレビで「千と千尋の神隠し」の放映がありました。

きちんと観たのは久しぶりでしたが、新しい発見がいっぱい!

千尋を何かと助けるのが、「龍(ハク)」と先輩の女中さん「リン」

うちのワンコと一緒だ!(笑)

そして、改めてびっくりしたのがハクの本名「ニギハヤミコハクヌシ」

これって、饒速日ニギハヤヒ)のこと?

千とハクは、饒速日と瀬尾律姫なのか・・・

 

千と千尋の神隠し」と今人気の「君の名は。」って根底にあるメッセージが

共通していると、私は思っていて

自分の名前を思い出す=本来の自分を取り戻す。自分に還る。

相手の名前を思い出す=魂の片割れを見つける。パートナーシップ

なのではないかと。

 

前置きが長くなってしまいましたが

 

そんなことを考えているときに、龍が伝えてくれたことがあります。

 

むか~しむかし、龍と人間はとっても仲良しで、

自然と共生して生きていた昔の人は、普通に龍の姿も見えていたのだそうです。

だから、干支の十二支の中にも龍が入ってるし、架空の動物ではなかったのですって。

神社仏閣の彫り物や絵画などにも、必ずといっていいほど龍が描かれていますよね。

龍は、いつも人のそばにいて、サポートしてくれているのですが

人間が自然と離れ、科学第一主義のようになって、自分たちの力を過信し

人々が、不安や恐怖や恥というような重い意識に支配されるようになって

龍の存在する周波数帯に居られなくなったから、姿が見えなくなってしまった・・・

だから、ここ数年、世界が変化し始めたときから、龍は人の意識の変容や感情の解放を

手助けしてきたのだそうです。(今もサポートしてくれている)

 

ということを、伝えたかったみたいです。

 

私は、このことを自分の表現を通して、伝えていかなきゃいけないみたいなので

自分の尻を叩く意味で、こうして書いて意思表明しました(怪しい?笑)

具体的に形になったら、またお伝えしようと思います。

 

こういうスピよりの記事を書くのは、すごーく時間がかかります!!(笑)

 

 

逃げてもいいんだよ。

ここのところ、かなり真面目にブログを更新してきましたが

一昨日いやもう3日前か?札幌まで映画を観に行ってきて、

普段ほとんど誰とも会わないし、自然の中にいるし、冬道の運転も神経使ったのか

車の多い道路や、人混みに疲れちゃったのか

何もやる気が起きなくて、ダラダラしていました。

 

因みに、映画は「君の名は。」をIMAXで観て来たのですが(3回目)

やっぱり臨場感があって良かったです!!毎回泣きます(笑)

 

そんな感じで、私はとても意志が弱いです。

 

現在に至るまで、私がやってきたことって、

他の人からみたら、不要なものをバッサバッサと切り捨てて来たように見えるかもしれません。

きっと強い人だと思われてるかもしれないんだけど・・・

だから、あんまり私に近寄ってくる人がいなくって、友達がいないのかもしれない(笑)

 

まわりからは、どんなふうに見えるのかわからないけど

私は全然強くなんかないし、ヘタレなんです。

面倒臭がりで、なかなか行動出来ないし

飽きっぽくて、何かひとつを継続することが出来ないし

ひとりでいたら、だらしないし、行儀も悪いし

かと思えば、変なとこに几帳面だったり、神経質だったりする。

 

こういうところを、いつも親にのろまだの、ルーズだの、呑気だの言われ

何事も長続きしない、堪え性がない、と言われ(元旦那にも言われた)

親の期待にも応えられないし、ちゃんと出来ない自分をだめな奴だと責めていました。

だから、自分に自信が持てないし、何かやるときにも、怖くて動けないという

負のループにはまっていたように思います。

だって私、自信が無さ過ぎて、ひとりで飲食店にも入れなかったんですから。

 

今は、だめだと思い込んでいたところも、別の視点でみられるようになり

慎重で、好奇心が強くて、大らかで、自分なりのこだわりがある、と

肯定的に捉えられるようになったけど

でも、今考えても、私は強い訳じゃなくて、

結局は、逃げてただけなんじゃないかと思うんです。

 

いつも、親や人の顔色ばかりうかがって、自分をまわりに合わせていたから

どこかで無理が来て、我慢の限界が来るのだけど、

自分の意見を主張することが、怖くて出来ないから、

そうすると、自分を守るためには、もう逃げることしか出来ないんです。

 

最初に働いた職場でも、辞めようとしたけど、説得されて、丸め込まれ

結局、辞めるためには行かないことしかない!と逃げ

母が亡くなった後、父との生活が耐えられなくなったんだけど、

きちんと向き合って話すことが怖いから、再婚して逃げ

洞爺に移住するときに、色んな縁を切ったのも、面倒なことから逃げたんだし

離婚するときも、しばらくは話し合いを避けて、家庭内別居の期間が長かったし

 

私は逃げてばかりいたんです。

 

でも、そうしないと、自分を保てなかったし、守れなかったのです。

 

そして、逃げ続けた今、何か困ってるか?というと、何もないんですよね。

私が職場から逃げた後、同僚には色々言われたかもしれないけど、

辞めてしまったら、それもわからないし、会社は私がいなくても、何も変わらず回ってる。

父からも、逃げたけど、親子ならいつか分かり合えるときが来るものだし

縁を切って、洞爺に移住しても、繋がる人は繋がるものだし、

逆に面倒くさい付き合いが無いのは、本当に楽。

離婚するときも、逃げ続けても、にっちもさっちも行かなくなれば、何とかするものだし

 

過ぎてみて、何が問題だったかというと

自分の中の、ルールや価値観を破ったことへの罪悪感だけなんですね。

多少、人に迷惑をかけたり、傷付けたりはしたかもしれないけど

本当に、本当に、辛かったら、逃げてもいいんだと思うんです。

 

若い子が、過労死した問題もありましたよね。

親を悲しませるとか、世間体が気になるとか言って、一番大事な命を失ってしまったら

元も子もないいのですから。

 

あと、思い出しましたが、私が辛かったな~と思った事。

初めての子育てのとき。

人ひとりの命が、自分にかかっているんだと思ったとき、責任の重大さに

震える思いがしたのですが、

初めてのことだらけで、不安がいっぱいだったし、旦那はいつも帰りが遅くて

泣いてばかりいる子に、心身共に疲れ果て、

でも、他のお母さんたちは、ちゃんと出来てるし、自分だけがダメなんだろうか?と

あのときばかりは、育児ノイローゼで子供を殺してしまう母親の気持ちがわかる気がしました。

もうひとつ、母親の介護をしたとき。

限られた命だと思うから、精一杯言うことを叶えてあげようと思うのに、

我儘ばかりいう母に振り回され、感謝されるどころか、暴言を吐かれたり

いつまでこれが続くのかと、気が遠くなりそうでした。

 

こういう、家族の問題は割と密室の中で、外にはわからないものだし、

身内の問題は身内で解決しなければ、と思っちゃいがちだけど

今は、SNSも発達していることだし、助けて!て訴えればいいと思うんです。

ひとりで頑張らなくても、ある意味逃げても良いと思うんです。

 

自分でしっかり向き合わなきゃいけない問題(自分の内側のこととかね)は

あるかもしれないけど

本当に、自分を生きながら殺し続けるとか、実際に命を落とすような辛いことからは

逃げていいと思います。

自分が決めたルールや価値観で、がんじがらめになって苦しむのは、

もう終わりにしましょう。


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食べ物の意味や価値を、考えてみる。

私の周辺には、以前自営で飲食店をやっていた友人が何人かいて、

やっぱり、お店をやっているときは、

同じような悩みを持っていたんだな、と共感したり、

やっぱり、もう二度とやりたくない!と思っていたり。

現在、お店をやっている人にも、同じような悩みを打ち明けられることもあります。

 

今の経済システムの中では、本当に真っ正直に商売をやっている人が、

馬鹿を見るみたいなところがあって、そうやって自分の首を絞めて、

大好きで始めたはずのお店が、どんどん辛いものになってしまう悲しさ・・・

やっぱり、今までの考え方だと、生活がかかっているから、

儲けを出すために、不本意なことも受け入れなければならなくて、

本来やりたかった形と乖離してしまって、楽しくなくなったり、ストレスになったり。

 

一般的なサラリーマンにはなりたくなくて、独立したはずなのに、

もっとがんじがらめになってしまうのはなぜなんだろう?

 

どうして、こんなことになっちゃうのかな・・・?

 

私は田舎に移住して、どんどん自由に暮らすようになって、

たくさん変化したことがあるんですけど

ひとつに、ご飯を前より食べなくなったことがあります。

会社や学校では、時間が決められているし、

家では、何となく家族そろって、というルールがあって

お腹が空いていなくても、みんなと同じ行動をとらなければいけなかったし

 

食事は3食って、いつから決まったんでしょう?

 

現代の人達は、本当の空腹を知らないのではないかと思います。

私は、お腹が空いたときに、食べたいものを食べる、ということになっていった結果

多分、全体の量は、今までの1~2食分になったと思います。

 

みんなは、「食べていけなくなったら困る!」と言って

一生懸命、嫌な仕事も頑張って続けていたり、

決められたお給料の中で、3食きちんと食べるために、少しでも安いものを探したり

挙句に、安く食べられる店に何時間も並んだりしてるけど、

 

そもそも、そんなに食べなくてもいいんじゃない?

 

だとしたら、一食にもう少しお金をかけて、質の良いものを食べても良いのではないかと。

 

 

衣食住に関わるもの全てに、たくさんの人が関わっていると思うのですが、

食べ物って、直接身体に取り込んで、しかも血となり肉となって、

自分の身体を創っていくものでしょ?

だったら、外側を飾るのもいいけど、自分の内側をどんな成分で作るのかって

もっと大事にした方がいいんじゃないのかな。

 

そして食に使われている材料って、膨大でしょ?

 

例えば、今晩カレーライスを食べたとして。

お米や野菜を長期間作業をして作ってくれた農家さん。

早朝から海へ出て漁師さんが獲ってくれた魚介類。

出産から大事に育ててくれた畜産業の人。

もっと言ったら、スパイスとか海外の人も関わってるし。

そして、それを配送業者さんが輸送してくれて

市場やスーパーでパッキングして、売ってくれて

お母さんや、飲食店の人が買い出しに行ってくれて

心を込めて作ってくれる。

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ちょっと考えただけでも、これだけの人が関わって

その人たちのエネルギーが込められているってことです。

 

私の住んでいるところは、まわりが農家さんなんですけど

道の駅なんかで、売っているお米には、生産者さんの名前が入っています。

私は、どこの誰か知っていたりするので、○○さんのお米にしよう!と選んだりします。

あの人が作ったものなら、間違いない!と思うし、本当に美味しいから。

 

みなさんは、どういう基準で自分が食べるもの、選んでますか?

 

毎日、TVでも、雑誌でも、SNSでも、

メディアでは、溢れんばかりに食べ物の情報が流れていますよね。

どこのお店の○○が美味しい、どこどこの○○が絶品だ、食べなきゃ損だってね。

そうやって、毎日垂れ流しの情報に洗脳されて、情報に踊らされて、お金を使わされて・・・

自分の身体が本当に欲しているものを食べていますか?

空腹じゃないのに、食べていませんか?

 

お店をやっているとき、ずいぶんメディアにも取り上げられましたし、

物産展などにも、声をかけていただきましたけど

どれも、一時的に爆発的に忙しくて、長続きしないんです。

そういうのに飛びつく人達は、次から次へと新しいものへと行ってしまって

定着しないので、固定客にはなりません。

でも、一般の人達は、そういうときの混雑を見て、勝手にあそこの店は儲かっている

と勝手にイメージするんです。

そうやって、個人営業のお店は、振り回されて、みんな苦しい思いをしています。

(一部で儲かっているお店もあると思いますが、きっとそれなりの悩みがあるのでしょう)

 

私一人が、一生懸命訴えても、世の中は変わらないでしょう。

でも、ひとりでも、ふたりでも、共感してくれる人がいるなら

これからは、どんな人が、どんな思いで、それを作っているのか?ということに

少しでも目を向けてもらえたらな、と思います。

どんなもので、自分の身体を創るのか、それが自分を大事にすることでもあるからです。

そして、素敵な人がやっている、大好きなお店があったら、正当な対価を払って

是非、通って応援してあげて下さい。

 

今、一生懸命、美味しいものを作って、みんなに喜んでもらいたい!と

正直に頑張っている飲食店の人達に

私が経験したような、苦しい思いはして欲しくないと思います。

 

大好きなことを、ずっと大好きで続けていけるような、社会になって欲しい!