躁?鬱?

 自分が今どの時期にいるのかが分からない。躁なのか、鬱なのか、平常なのか。特に、躁のときが分かりにくい。Ⅱ型だからというのもあるのだろうか。

 現在、少し攻撃的になっている。関係が良好でない友人への悪態を心の中で繰り返す。人を攻撃する。少し、辛い。

2013.2.26

 雨だ。朝から憂鬱である。ちょうど満月も重なったせいもあるのだろうか。歩いて近所のスーパーまで行く。傘を差し、道端の野草に目を向ける。土筆がちらほらと出ている。摘む。畑では豆の苗に目が行く。豆の葉はなんと可愛らしいのだろう。道端にエンドウ科の雑草があるのを見つけ、摘む。蓮華の花も少し咲いている。摘む。しかしこれからスーパーに行くのである。ずっと握り締めていては摘んだ植物たちが可哀想だ。何かないものかと周りを見渡すと、ペットボトルが捨ててある。好もしくない光景だが、ここは助かった。綺麗そうなものを一つ拾う。水もあったら良いが。水溜りの上澄みを掬おうと試みるも、簡単にはいかない。途中で諦め、植物たちには家まで我慢してもらうことにした。

 

 小ぶりの鯵を買ってきた。

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 三枚おろしは問題なく出来るが、まだ手早くとはいかない。しばらく練習が必要である。

 

2013.2.25

 昨日に引き続きよく晴れて暖かい。近所を散歩したいが時間がないため、最寄の田んぼに行って野草を見る。小さい土筆が顔を出している。

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 スーパーに行くと、うるめいわしの新鮮なのが出ていたので買ってきて捌く。

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 この間から魚を捌く練習をしている。あじに比べていわしは楽に感じた。慣れただけだろうか。

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 三枚におろすのは簡単である。刺身にする練習をしたいところだが、今回はフライパンで焼くのでここまでだ。次回が楽しみである。

 

                                  おしまい

2013.2.21

 「はじめに」を書いてから数日が過ぎた。その間、どのようなブログにしようか迷っていた。というのは、自分が双極性障害Ⅱ型と軽度のアスペルガー症候群だと診断されていることを書くか否か迷っていた。このブログでは、題を「日記」としたように、書きたいことをつらつら書く。その上で診断名を書く必要がやはりあると思ったため、ここに記した。

 

 今日は対人関係で苦労してきたことについて一つ記す。

 私にはややもすると、他人を馬鹿にする、下に見る傾向がある。すなわち人を攻撃する性質だ。しかし、その理由や根拠が正当なものではないと承知しているため、他人を攻めることはできない。鬱々と自分の中に溜め込む。結果として自分を卑下する。常に「怒り」に取り付かれ、疲弊する日々だった。その中で自分を肯定したいと願い、苦しんでいた。

 半年程前に主治医が変わり、それは病気の性質としてあるものだと知り、楽になった。病気のせいだと開き直るのではなく、そのような性質が自分にあるのだと知り、対処法を考える。それを知らずに自分を責めてばかりでは状態は悪化するばかりだ。病気に負うものが大きいのだと他人(主治医)に認めてもらうことで、非常に良い方へ向かった。心の中で「今他人を馬鹿にした」「下に見た」という状況を自分で把握し、流す。その「作業」で怒りが流れてしまうのだから不思議なものだ。

 まだ対人関係に自信が持てるとは到底言えない。しかし、「怒り」への対処法という武器を一つ手に入れた安心感は大きい。

はじめに

 よく晴れた暖かい一日でした。

 

 家族で河川敷へ散歩に行く。

 冬の河川敷は草木が枯れて寒々しいが、ちらほらと野の花が咲き始めている。菜の花、ホトケノザオオイヌノフグリ。芝生に座り四葉のクローバーを探す。一枚一枚の大きさが違う歪な形をした四葉を見つけ母に渡す。くっつきむし(ヤエムグラ)を姉のニット帽にくっつけて遊ぶ。

 家族連れが遊びに来ている。父親と母親に息子が一人、三人でスケボーをしている。5人家族もいる。男の子が二人に、父親と、母親は妊娠しているのだろう、大きなお腹をしている。

 農家のおばあさんが採れた野菜を川で洗っている。防腐剤が塗られた木の舟が乾かしてある。川には水鳥がいる。渡り鳥だろうか。

 父と姉は二人で芝生の周りをぐるりと歩いている。私は座って母と川を眺める。こんなに穏やかに家族で過ごせる時間を持てるなど今まで考えもしなかった。あの四葉のクローバーは私たち家族の象徴のように思える。歪で決して綺麗な形ではない。しかし、確かに繋がっている。

 そういう家族に支えられて生きる自分のことを書いていこうと思います。