新緑ノスタルジア

生きていくのがVERY楽しい

ハロプロ楽曲大賞'21/'22投票記録

去年と一昨年一生懸命コメント書いてたのにこっちに転記してなかった+思うところあって今年から参加しないことにしたので、とりあえず自分用の記録として残しておきます。

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過去の

2021年

楽曲部門

5位     ワタシと踊りなさい! / SeasoningS 1.0pt

ワタシと踊りなさい!

ワタシと踊りなさい!

  • SeasoningS
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

やっぱり3人の声・パフォーマンス・キャラクターの相性が良い。ポケモンの御三家みたいにちょうど良く被らない感じがします。SeasoningSを生み出したOnly youオーディションの功績はめちゃくちゃデカいと再確認できた一曲です。

 

4位     帰りたくないな。 / 船木結 (アンジュルム) 1.5pt

帰りたくないな。

帰りたくないな。

  • provided courtesy of iTunes

卒業に向かって自分の気持ちを突き詰めていくうちにアンジュルムが大好き!という気持ちに収斂していった、というふなちゃん。そんな彼女のクライマックスにふさわしい一曲だったと思います。聴くたびにあの日のキラキラした光景を思い出せます。卒業マジックは自分にはかかってないと言っていたけど、十二分に、誰よりも何よりもキラキラしていましたよ!

 

3位     だからなんなんだ! / つばきファクトリー 2.0pt

だからなんなんだ!

だからなんなんだ!

  • provided courtesy of iTunes

煮え切らない態度の相手への苛立ちやモヤモヤする気持ちが歌詞だけではなくメロディでも表現されていると思います。最後は「私」から告白するのも、煮え切らない態度だけど憎めない気持ちが出てる感じがして好き。

 

2位     地球は今日も愛を育む / 笠原桃奈 (アンジュルム) 2.5pt

アンジュルムの申し子」とさえ言われ、将来のリーダーへの期待も高かった桃奈。卒業の事実も、ソロ曲として選んだのがこの曲なのも全くの予想外でした。ですが、それこそが逆説的に彼女の「アンジュルムらしさ」を表していたのではないでしょうか。

 

1位     SHAKA SHAKA TO LOVE / アンジュルム 3.0pt

SHAKA SHAKA TO LOVE

SHAKA SHAKA TO LOVE

  • provided courtesy of iTunes

慌ただしい毎日と、その中で実現したい理想、そして両者を抱える自分自身を丸ごと愛するということ。「共感」「憧れ」「愛情」を詰め込んだアイドルの究極形態だと思います。

 

MV部門

3位     だからなんなんだ! feat. 小野田紗栞 (Music Video Solo Ver.) / つばきファクトリー 1.0pt


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一度見たら忘れられないインパクト。それを「私かわいい」キャラとしか認識していなかったさおりがやることで、自分の中での彼女の印象が大きく変わりました。

 

2位     はっきりしようぜ / アンジュルム 2.0pt


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慢性運動不足オタクなのでアンジュルムと一緒にトレーニングして健全な肉体と精神を手に入れようと思いました。

 

1位     SHAKA SHAKA TO LOVE / アンジュルム 3.0pt


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曲がひとつの完成形ならMVも言わずもがなパーフェクト。メンカラのカラフルな衣装・セットは見ているだけで心が躍ります。自然体の表情や動きが見られるのもこの曲が切り取る日常にもマッチしていると思いました。

 

YouTube部門

5位     Juice=Juice金澤朋子×アイマス 天海春香「ポップミュージック」コラボダンス披露!アイドルポーズ対決でヒャダイン悶絶!? 『MIRAIKEN studio』オープニングセレモニー / 金澤朋子 1.5pt


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4位     真夜中のドア~stay with me / 小片リサ / 楽曲映像 1.5pt


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3位     【tinytiny#169】ゲスト:アンジュルム 為永幸音 MC:みつばちまき中島卓偉 メンバーコメント:川名凜 ハロプロ研修生 新曲「きみの登場」パフォーマンス映像公開!  1.5pt


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2位     COVERS - One on One - 悲しきヘブン / 段原瑠々 x 山﨑夢羽 / COVERS - One on One - 2.5pt


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1位     アンジュルム 橋迫 鈴「ビバリウムガイド」インタビュー取材に密着! / 橋迫鈴 3.0pt


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推しメン部門

為永幸音
アンジュルムに入ってからどんどん「真面目に様子がおかしい」様子が見られてめちゃくちゃ楽しいです。パフォーマンス面だと、ソロフェス「This is 運命」での大健闘、桃源郷の「七転び八起き」でのダンスなど、無我の憑依型パフォーマーとしてのパワーを感じる場面が多く、為永オタ以外にも注目される場面が多くとても嬉しかったです。ですが、まだ何か隠し持っていそうな感じがします。さらに進化したパフォーマンスが楽しみです。

 

2022年

楽曲部門

5位     雨の中の口笛 / Juice=Juice [工藤由愛、松永里愛、有澤一華、入江里咲、江端妃咲] 1.0pt

雨の中の口笛

雨の中の口笛

  • 工藤由愛、松永里愛、有澤一華、入江里咲、江端妃咲
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

これが見たかったんです!!歌い出しがえばちゃんで嬉しいね。テケテケした音の中をソロ歌唱で繋いでいくのが歌詞の情景にもマッチしてる。

 

4位     Sunset Summer Fever / L!PP (from Hello! Project Dance Team) 1.5pt

Sunset Summer Fever

Sunset Summer Fever

  • provided courtesy of iTunes

聴けば心が夏の夕暮れに溶けていく。音から夏の夕暮れの焦がされる気だるさが伝わってきた。この一回きりでユニットが終わってしまうのは惜しいと思うほどに全員のユニゾンが良い。今のハローに足りないのはグループを跨いだユニットだと思ってるのでその欲をドンピシャで満たしてくれました。
「いつしか今が思い出の遠い光に混ざるだろう」で、恋が叶っても叶わなくてもこの夏は永遠なんだと感じさせる奥行き。

 

3位     全部賭けてGO!! / Juice=Juice 2.0pt

全部賭けてGO!!

全部賭けてGO!!

  • Juice=Juice
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

「ノクチルカ」の流れを引き継いだような一曲。ノクチルカが夜ならこっちは昼。ギターが目立ちリッチだけど爽やか。るるれいがジュースの二翼として重要なポジションに立ちながらも、歌割は後輩の方が多いことにむしろ「背中を守る」ような貫禄を感じた。

 

2位     ノクチルカ / Juice=Juice 2.5pt

ノクチルカ

ノクチルカ

  • Juice=Juice
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

アルバム曲でありながら「いぶし銀」のジュースを体現するような曲で、本当ならシングルカットしてほしかった!何があっても、誰も見てくれなくても本気で生きていく宣言をしてくれる頼もしさ。
松井寛さんの作編曲による煌びやかなサウンドも夜の雑踏を感じ、ドライブしながら聴きたくなる。

 

1位     愛すべきべき Human Life / アンジュルム 3.0pt

愛すべきべき Human Life

愛すべきべき Human Life

  • provided courtesy of iTunes

アンジュルム堂島孝平が出会ってしまった。そこに神曲が生まれた。堂島さんからアンジュへの「ありがとう」でもあるし、堂島さんなりのアンジュマインドの呈示でもあると思っている。「And you?」が単にアンジュとのダジャレになっているだけではなくて、常にヲタクたちに「私はこうした、あなたはどうですか?」と問いかけてきたアンジュの足跡そのものを端的に、ポップに表したフレーズにもなっているのが良い。それを受けてヲタクは、「なるべく多くのYes 自問していきたい」「なるべく大きなLove 抱いていきたい」というアンジュの生き様を自分自身にフィードバックしていく。そうやって世界全体が良くなるとすら思えてしまった。ありがとう堂島さん!!

 

MV部門

3位     Familia / Juice=Juice 1.0pt


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ジュースにとってのマイルストーン。家族のような暖かさをそのまま映したようなMVで、その家族っぽさを築くのに大きく貢献したのが朋子ということを、いなくなってから強く感じています……ゆめりあいもほんま助かりますありがとうございます……

 

2位     イニミニマニモ ~恋のライバル宣言~ / Juice=Juice 2.0pt


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開幕早々いちりさの可愛さにやられた!こういう年下メンバーがわちゃわちゃしている所を見て、今までにないジュースの新しい幕開けを感じた。石山ちゃんと遠藤ちゃんの今後も楽しみになる。

 

1位     愛すべきべき Human Life / アンジュルム 3.0pt


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ぺいぺいのウェルカムMVとしても機能しているし、それ以上に全員に見せ場がある。かといって個がバラバラに離れていくのではなくまとまりも感じ、まさしく今のアンジュルムを体現したMVだと思います。

 

カバー楽曲部門

3位     サマーナイトタウン / 田中れいな×佐藤優樹 1.0pt


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モーニングの歴史の積み重なりの先で、このメンツでこの曲を歌う交差点ができる高揚感。これだからハロプロの掘り下げはやめられない。

 

2位     もしも… / 稲場愛香 (Juice=Juice) 2.0pt

もしも・・・

もしも・・・

  • provided courtesy of iTunes

あまりにも完成された「アイドル・稲場愛香」の幕引きだった。今でもあのソロ歌唱の空間が夢なんじゃないかと思うことがあります。

 

1位     有頂天LOVE / 橋田歩果+佐々木莉佳子 3.0pt


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スマイレージってこの世の希望なので……それを今のアンジュメンと、これからを担う研修生が引き継いでくれることが何より嬉しい。

 

YouTube部門

5位     セクシーキャットの演説/モーニング娘。’16 1.0pt


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15期の新しい魅力。いつまでもフレッシュで元気いっぱいのイメージでいたのでこんな引き算のパフォーマンスもできるように……!と驚き。性格の違う3匹の猫に見えてくる。

 

4位     FM滋賀出演前の‥おやきが好きすぎる‥橋迫先輩【松本わかな】/ちょっと面白い話~君に伝えたい物語Season3~ 1.5pt


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わかなちゃんの流れるようなトーク。これからめくるめくエピソードが展開されることに期待してしまうし、ずっと聞いてられる。

 

3位     アンジュルム 伊勢鈴蘭《オフショット》世界一HAPPYな女の子 踊ってみた 2.0pt


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助けて!!!!!!!!!!!!!!(急性やってんな中毒)

 

2位     八木メシクッキング『唐揚げを作ろう!』前編 2.5pt


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やぎまりんのいいところが出ている。2人とも自分の方がしっかりしてると思ってそうなのがとにかく可愛いです。くろっき先生から教わったレシピがちゃんと生きてるのも嬉しい!

 

1位     【ハロ通/ダイジェスト】アンジュルム桃鉄』3年決戦対決! 竹内軍団vs橋迫軍団 3.0pt


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時代は橋迫軍団!これしか言いようがない!

 

推しメン部門

 為永幸音
どんどん表現力が上がっていく(それに比例して大暴れ度も上がっていく)のを見るのが嬉しいです。「悔しいわ」の吐息の抜擢もありがたい。ビジュアル面では今年はデコ出しヘアスタイルの印象が強く、また新たな大人っぽい姿を見られた気がします。
また一口がデカ過ぎることなど、パフォーマンスだけでなくオフショットでも大暴れの側面を他のメンバーが見出してくれて、そこから新しい面白さに気づけたのもいい一年だったなと思います。

天使の涙と彷徨う子供たち/アンジュオタ向け・Stray Kidsのすゝめ

※当記事はハロプロアドベントカレンダー2023の12/24分の記事です。

adventar.org

テーマになぜ?とお思いの方もいるかもしれませんが、先日ME:Iとしてのデビューを果たした笠原桃奈さんが、なんと、尊敬するアーティストとしてスキズの名前を挙げており、*1これは気合を入れて書くシカ🦌と思った次第です。

 

いったん冒頭は桃奈と結び付けて話すと、スキズの「強い覚悟」を歌う曲に励まされた日があったのかもしれないな……と思います。


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힘들지 않아 거친 정글 속에 뛰어든 건 나니까 I'm okay

(苦しくない 険しいジャングルの中に飛び込んだのは自分だから 問題ないさ)

We goin’ higher 다음 도시 속에 빌딩들 내려보며 Fly all day

(俺たちはもっと高みへ行く 次の都市へ ビルを見下ろして 飛び続ける)


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You only get to live one life, I know I’m ready
(人生は一度きり、そんなのわかってる)

Take that chance no matter what they tell me
(奴らが何を言おうとチャンスを掴むんだ)

I can not explain this feeling
(この感覚を説明できないけれど)

Yeah, this path was meant to be my dream
(この道は自分の夢のためにあった)

Look back, the ashes prove my-Passion always burns eternally
(振り返って、灰は僕の情熱が永遠に燃えることを教えてくれる)

No regrets, I love this feeling
(後悔はしない、この感覚が好きだから)

Down on this road, call it the social path
(この道の先を、自分で切り拓いていく)

作詞作曲を自分たちで手掛けているグループなので、スキズ自身の歩みなのは勿論そうなのですが、↑のことを踏まえると桃奈にも重なるラインがあるな……と思います。

誰かスキズの好きな曲ヨントン辺りで質問してくれないかな……

 

他にもテーマが似てる曲を交互に列挙しておきます。


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youtu.be

("Hey, you wanna come in?"/"Coming free 君もおいで"と聞いている側も包摂してくれる、一緒に歩もうとしてくれるのが両者に共通する良さな気がします)

 

個別のメンバーのパフォーマンスがどうとかキャラがどうとかはいったん置いておいて(なぜならこれを読んでいる皆さんにはいろんな動画見ているうちに各々の魅力をつかんでいただきたいし、ここで書くとメンバー1人1人個別記事を作らないといけないほど長くなってしまうので)、この記事の目的はこれだけではなく、グループとして両者に似ている部分があるのでおいでよ兼オタの森!というつもりで書いています。

ちょっとでも琴線に触れる何かがあれば幸いです。

 

私がハマったきっかけ、というか(スキズってもしかしてアンジュに空気似てる……?)と思った動画がこの辺りです。

「アイドル人間劇場」というドキュメンタリーっぽい雰囲気で進む台本なしのゆるいコント番組なんですが、


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(日本語字幕があるので韓国語がわからなくても大丈夫)

(1個目のサムネでお猪口に入れられてるのはただの水)

初手からずっと騒がしい!距離が近い!

この辺の空気を彷彿とさせる。


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スキズ側も雰囲気が似てるやつ貼っておくか……絶対ライビュ!の「オフはいらないね🎵」で大騒ぎする側のアイドルです。


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※以下、根拠となる動画(全部見ると長いので時間があるときに見て)


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なお、あまりにもみんなの距離が近いので本国*2のオタクには野菜のかき揚げキッズと呼ばれることもあります……

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(出典:Stray Kids "FNF" Video - YouTube )

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(出典:[릴레이댄스] 스트레이 키즈(Stray Kids) - MANIAC (4K) - YouTube )

どれだけ売れてファンダムの規模が大きくなってもこういうところが変わってないのがうれしく思うし、ずっと続いてほしいです。

先ほど挙げたような強い覚悟を歌う曲や強さをアピールする曲があるのと、こういうワチャワチャした感じが出てるのって多分表裏一体だと思うんですよ。「大人の手を借りない若者だけの疑似家族」の空気によって両者が成り立ってる。

 

ところで(ところで)もっと笑いに振り切ったのが見たい人向けだとオタクが大好きな家族コントもあります🎶


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見れば見るほどどんな企画も全力で、「キャラ」がなんとなくわかってきた……と思ったタイミングでそれを裏切ってくるようなアンビバレントさに気づく面白さがあります。

 

最後に私が一番好きな写真の話をひとつ。一番好きなのは衣装もメイクもばっちりセットしてステージ上でバチバチ決めてるのでもコンテンツで愛嬌きゅるきゅるになってるのでもなく、MV撮影の合間に撮られたこれなんですよね……特に1枚目。

オタクにもすっかり恒例の「アンジュみんなで海に行く」に似た空気を感じ取ったのもあるんですが、この時点でみんな成人してるのになぜか公の場でのお酒の話題が解禁されておらず、どう見ても全員出来上がっているのに何食わぬ顔で上げられたこれが面白過ぎて……

みんながこうやってはしゃいでるのを見るとこの時間がずっと続いてほしいし、アイドルとしての活動を「8人の思い出作り」としてたくさん使ってほしい、、という気持ちでいっぱいになります。

 

そんでもってStray Kidsさん、

今年の紅白歌合戦!初出場決まってます!

ハロオタの大半はカウコンに向かうのかもしれませんがよかったら見てください……

ちなこれは鈴ちゃん・ケロ・しおんぬでダンスカバー(MV再現)してた曲です🎵

鈴ちゃん・ケロ・しおんぬでダンスカバー(MV再現)してた曲です!!!!(大事なことなので2回言いました)

@angerme_uf 💗🖤#アンジュルム #橋迫鈴 #川名凜 #為永幸音 #case143 ♬ CASE 143 (Short Ver.) - Stray Kids

 


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比較してみてください🎵

 

それでは!

*1:出典:ViViの日プ女子練習生名鑑より

*2:KPOP界隈では本拠地である韓国をしばしばそう呼ぶ

推しの不在を乗り越える(船木結さん卒業から3年ってマジ?)

※この記事は「ハロヲタブログアドベントカレンダー2023」9日目寄稿記事です。

 

今日で船木結さんの卒業コンサート『起承転結』からまる3年が経ちました。全く実感が湧いておらず、この文章を書いてやっと「ああ3年も経ったのか」と自覚しました。

↑アフィリンクじゃないのでどんどんここから買ってください。卒コンということを差し引いてもめちゃくちゃいいライブです。

 

3年の間、ふなちゃんは芸能活動を休止し、SNSなどにも姿を見せていません。ただ時折アンジュルムの大箱に関係者として見に来ていた、一緒に活動を共にしたメンバーと遊びに行った、などの情報が上がることはあり、その度に元気そうな様子に安堵するばかりです。

しかし、やっぱり姿を見られない日々が続くと不安・心配は募ります。二度とパフォーマンスが見られなくても構わないから、せめて美味しいご飯を食べているか・友達や家族と素敵な時間を過ごしているのか分かれば……と思ってしまうのです。

 

こういうときは決まって過去の生写真や映像類を見返します。特にballadコンの『月光』とかむちゃんプロデュースの特番『結局はLOVEでしょ』がお気に入りです。

 

生写真に関しては、見返しているうちに「せっかくの写真なんだからもっと綺麗に見せたい」という気持ちが募り、こうして硬質ケースデコもするようになりました。(材料は全てダイソー、セリアで揃えています)

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水色のドレスに合わせて同系色のパーツを中心にデコしてみます。
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これだけでもシンプルだけど締まった印象になりますが、まだデコします。
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バラのパーツが可愛い!完成!
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もう一つフリル付きのカードケースも作ってみました。(こっちは制作途中の写真失念しましたごめん)

何より、手を動かしていると不安や寂しさが多少は紛れるんですよね。それに何だか祈りを送っているような気分にもなります。

ふなちゃんは卒業前最後のtiny tinyで歌やダンスだけではなく芸術や表現全般に興味がある、ということを言っていましたが、これは彼女のお眼鏡にかなうだろうか……

 

いつかこのコレクションを連れ回せる現場が来ますように……

最近江端妃咲さんがキテるからちょっと語らせてくれないか

このブログを読んでいるオタクたちはたぶん私をアンジュオタあるいは船木オタと認識していると思うのでどうした急に……と思っているかもしれませんが、最近江端妃咲さんが熱いです。

(一応誤解のないように補足しておきますと、理由は長くなるので割愛しますが私のスタンスとして「活動休止中・引退済みの人を『推し』と公表しない」というのを立てています。推し増しであっても推し変ではないのです……)

 

きっかけ

えば熱を上げるきっかけになったのはなんだったか……と自分のツイートをさかのぼったところ、最初の言及はこれでした。

江端妃咲ちゃん、だんだん顔つきがふなちゃんに似てきたよね 2017-18年頃の顔っぽく見える(2021/4/23のツイートより)

おそらくハロドリか研修生アカウントを見ての言及だと思います。当初はふなちゃんの卒業から半年も経っておらず、無意識に彼女の影を追っていたのかもしれません(オタクのOne more time, One more chance)。現にTwitterでもふなオタからえばオタに流れたオタクは一定数いるようです……

 

そして2021年7月7日*1にもこのような言及をしています。

江端ちゃんにはアンジュースのどっちかに入ってほしいが、さてどうなる……

この段階でかなり気にしていることがわかります。

アンジュオタである以上自分が気になっている子がアンジュ流の手荒い()もてなしを受けることを望むのは当然のことですし、佳林ちゃんの卒業、紗友希の脱退でオリメンがごっそり減ってバタバタしていたJuiceに半ば判官贔屓のような気持ち*2から応援したい気持ちが湧いていたのだと思います。

 

しかしそこから言及が減り*3、次のツイートはほぼ1年後。

江端妃咲ちゃんの顔を見るたびにポケモンの電気ネズミ族が脳裏をよぎるんだよね(2022年6月1日)

さらにそのおよそ1か月半後に

ameblo.jp

このブログの↓の発言を受けて

見ていたアニメをほとんど見終わったので今から

 

ジョジョの奇妙な冒険をシーズン1から見直してきます

俺様も見直しちゃおうかな🎶とツイートしていました*4。結局私は見直してません。

このあたりで江端さんがジョジョのオタクだと気づき、そこからdigるようになっていきます。

そして8月1日……

🌼←これはね、オタクがえばチャマのことを考えた時に地球のどこかで咲く花

え!?!?急ハンドル切りすぎ。

自分でもどういう経緯でこのツイートをしたか覚えていません。

それ以来、すっかり江端さんは「気になるハロメンのひとり」から「推し」になってしまったのです。

 

江端妃咲さんの好きなポイント①歌声

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↑のソロ歌唱動画を見ていただくのがわかりやすいと思いますが、一音一音を立て、それでいて力んでいない歌い方はJuiceのほかのメンバーと被らない個性だと思っています。そのためインパクトある歌いだしを担当することも。

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てらわないまっすぐな歌い方ですが、少しハスキーな成分も入っているように聞こえるのが面白いところです。特に「雨の中の口笛」は江端さんの歌いだしありきで作られたのかとすら思ってしまいます。

 

好きなポイント②悪ガキ感

美麗なビジュアル*5とは裏腹に中身が年相応に子供で可愛いです。

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ジョジョの5部に登場するキャラクター・ブチャラティのコスプレをしたり

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4部に登場するスタンド*6キラークイーンの「ジョジョ立ち」を披露したりそこはかとなく中二病のオーラが漂います。

あとこれはソースがリミスタの配信なので原典がもう見られないのが残念なんですが、先輩の松永里愛さんとの配信で

マネージャーさんには「コンビニに行ってくる」と言って二人でラーメンを食べに行った

・「松永さんは闇落ち感がある(からかっこいい)」(要約)

好きな言葉は「黄金の精神」*7

などのエピソードを披露していて、大ニヤつきオタクスマイルで見ていました……

松永さんとのエピソードが特に豊富で、↓のブログからも様子がうかがえます

ameblo.jp

ameblo.jp

あ、ちなみにこれは松永さんの服です

 

私が好きな匂いは松永さんと井上さんです

 

だから毎日のように一緒にいられて幸せなのです

 

↑ギャッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(関係性オタクの断末魔)

さらに工藤由愛さんとのエピソードとして↓のようなものもあります。

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先輩相手でも臆せずにこのような絡み方ができるのが彼女らしいところだと思います。

同期の有澤一華さんからはこんなタレコミも。

ameblo.jp

えばが、コンサート終わりにビビンバ弁当を食べよう〜と狙っていたんですけど

ライブが終わった時には、もう一種類のお弁当しか残ってなくて


"えばのビビンバがなあああああいいいいい"

と今にも泣きそうな顔で嘆いていたんです

可愛すぎる

ブログのサムネイルにも出ている写真が、その「今にも泣きそうな顔」です。ほんとに泣いちゃう。

その後ビビンバ弁当はビヨの西田汐里さんが持ってきてくれたらしく、江端さんの笑顔は無事守られたようです……。

以上、先輩や同期との交流から江端さんの悪ガキ感を見てきましたが、植村リーダー体制のJuiceの姉妹のような空気、「イニミニマニモ~恋のライバル宣言~」のようなかわいらしいコンセプトを作った要因の一つに、彼女のこういった振る舞いもあると思います*8そういう意味でJuice箱推しオタクも彼女に注目する価値があると思っています。

そうして挙句の果てには植村リーダーにこんなことまで言われてしまいました……

ameblo.jp

犬っぽいでしょ

 

 

最近このこハウスを覚えました

普段散々メンバーやオタクからも「大型犬っぽい」と言われている植村さんからもこう言われているのは相当です。

 

まとめ

そういうわけで、今江端妃咲さんがアツい!という話でした。注目するきっかけこそふなちゃんを彷彿とさせるビジュアルではありましたが、それとは関係なく一人のアイドルとしての彼女を見て、素敵だと思うポイントを書いたつもりです。

最後に。事務所に一つ要望があるとするなら、鈴ちゃんとの悪ガキ・ジョジョオタコンビを見せてくれれば嬉しいです……

ファミ通アップトゥボーイのグラビアでもいいしオマケチャンネルでのジョジョ座談会(はろあにが死んでいなければ……)とかでもいいので……何卒……

*1:のちに3flower、リトキャメと呼ばれるJuice=Juice、つばきファクトリー新メンバー加入発表がYouTubeで行われた日

*2:今となってはもはや心配の必要はなく、純粋に良いパフォーマンスやメンバーのキャラを楽しめています

*3:アンジュのほうでは桃奈卒業が迫ってきており、それどころではなかったのかもしれない

*4:ツイートしていなかった間にこのオタクはジョジョのアニメを1~5部まで見てハマっている

*5:重め前髪ぱっつん期はaespaのウィンターに似ているとも言われていた

*6:ジョジョ3部以降に登場する概念。超能力が人のような形で具現化したものだと思ってもらえればOK

*7:これまたジョジョのキーワード。正義の輝きの中にある精神のことで、困難に立ち向かう諦めない心や、弱者を守るやさしさ、自分の運命を受け入れて進む覚悟などなどを端的に表現したワードです

*8:もっと言うと、れいるるやいちさくのタメ口関係の構築、植村リーダーの放任主義もあると思いますが、江端さん個人の話からはズレるのでそれはまた別の話……

読んだ本(8~11月)

1~3月

lettucekunchansan.hatenablog.com

4月

lettucekunchansan.hatenablog.com

5月

lettucekunchansan.hatenablog.com

6~7月

lettucekunchansan.hatenablog.com

ジャンル雑多、ネタバレ配慮ゼロ、読んだ順

 

8月

「『テレビは見ない』というけれど エンタメコンテンツをフェミニズムジェンダーから読む」

誰かが批評しないと放置してる間にどんどん悪いものになっていくかもしれないってのは本当にそう。そのために批評がある。私は日本のエンタメにそんなに絶望することはないんじゃないですか〜と思ってるのでちゃんといい所も回収されててよかった。複数人から好評だった「チェリまほ」と「問題のあるレストラン」は観ます。悪ぶるため、イキるための露悪的な「本音のようなもの」じゃなくて本当に本来のマジレスとしての「本音」が求められる世の中なんだってことがわかりました。でもバラエティやドキュメンタリーはともかくドラマみたいなフィクションはリアル突き詰め過ぎるとしんどいんだよな。多少お花畑って言われても希望を持たせた方がエンパワメントにも繋がるってのは同意見です。elaboは海外エンタメに明るい人が多い一方日本のエンタメはそこまで……な感じがするので拾っていくポジションを担いたい。

あとは、BLドラマがどんどん出る一方で女性同士の恋愛、百合(あえて分けて表記する)のドラマがなかなか出てこないのはオタクとしてもアライとしてもつらいものが、ある……

 

杉田俊介「人志とたけし 芸能にとって『笑い』とはなにか」

ビートたけしは正直私よくわかってないので今こそ学ぶ必要がある人だなと。ここまで今も芸に貪欲な人だと知りませんでした……。松本人志は「善悪や美醜の価値観を全部まとめて引き摺り下ろして虚無(うんこちゃん)にする」ってまとめられてようやく彼に対する底のしれなさに対してひとつ何か見えたような気がします。そこが現在の反知性主義的なものと地続きって見方もできるのも、わかる。正直なんであそこまで持ち上げられてるのかわからないんだよね。(先輩芸人からの影響というよりインターネットの笑いからの影響もデカいって言ってるある若手芸人のツイートが脳裏をよぎったので、インターネットとお笑いに関する文献があれば知りたい……)あとはしばしば引用されてた鶴見俊輔の漫才論も読みたい。彼はあくまで笑いは大衆のパワーに起因するもので、大衆のパワーをポジティブなものとして見てたけど私はちょっと簡単に同意はできないので……でも身体性や一生懸命さによる偶発性による笑いに関してはわかるし、なんかモグライダーとか好きそうだなとか思ってしまって気になる。

芸能人が文化人になったら「あがり」説に関連して、ビートたけし松本人志の共通項として「映画」の分析が出てたけど、これエッセイとか小説だったらもっとやってる人多いだろうしもっと幅のある分析になりそう。

西森路代さんとの若手芸人についての対談で出てきた「ゼロか100かで割切れない曖昧なものを描くときの両義性、危うさ」については蛙亭、ラランドの例がすごく納得いった。私はだからこそもっと見てたくなる。

「文芸批評はそれ自体が芸術であるべき」って話、私はあんまり納得いかないな……。

あとこの人「ジョジョ論」ってタイトルの本も出してるみたいなのでそっちも読まないとですね。

 

香月孝史「乃木坂46ドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟」

演劇に身を投じるアイドルということでハロオタなのでビヨや演劇女子部が脳裏をよぎる。比較してみたい。キャラ・役名/(芸名)/本名=プライベートの多層構造に関しては通じるものがあるはず。アイドルが役を演じることによってアイドルという概念やグループのあり方自体を問い直していくことはハロプロがやってる演劇女子部だと「スマイルファンジー」「眠れる森のビヨ」がわかりやすいだろうか……乃木坂のメンバーたちはそういうスターシステムに依存しない演劇への道も切り開いてきているけど、「アイドルが役を演じる」ことで本人やアイドルそのものと重ね合わせる見方については変わらないのか……と感じた。それ自体の良し悪しはともかく。

乃木坂の、AKBが作ってきた10年代のアイドルにおける競争やパーソナリティすべてを話題の種化する風潮への躊躇い、違和感の表明が少しずつグループ全体のカラーを作ってきたがそれでも旧来のシステムから抜けきれない部分はどうしてもある、ってところは的確だと思った。生駒ちゃんはセンターになるのがずっと怖かったって話は初めて知ったので門外漢としては驚き。競争社会への違和感を提示しつつも抜けきれないところでその歪みが出てしまったのが欅坂なのかなと。オタクたちの大半がアイドル側の「静かな成熟」に気付けるならそれでいいんだけど、気付けないオタクが多い以上いくらアイドルが成熟しても/既存システムへの違和感を表明してもそれを受け止められる環境にないわけで、それじゃあオタクも変われないよね。

今の女性アイドルシステムの問題点として卒業がエイジズムに加担してしまってるところ(なにも皆が皆一定の年齢になったから卒業するわけじゃないけど、結成時点でハイティーンだったオリジナルメンバーは既に卒業を視野に入れながら活動してたって話はちょっとしんどいものがある)、恋愛禁止(=異性との性的な接触の禁止)による異性愛規範の再生産や女性への抑圧……ここはハローにも、ほかのあらゆる女性アイドルグループにも言える。既にいろんな人が指摘してることではあるけどこれはもうオタクがわーわー言ってるだけじゃ解決しなくて、業界の内側から問題提起して動かないと変わらない気もする。それこそ和田さんみたいな人とか。そういう人を支持することで間接的に協力するぐらいしか、オタクにできることはないような……

 

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

知ることはいろいろな障壁やトラブルを乗り越えるのにすごく役立つし、無知より絶対いいんだけど、それだけじゃどうにもならないのが現実だよねと思う。特に「地雷だらけの多様性ワールド」で感じた。どれだけ知識があって相手の気持ちに寄り添う意志を持っていても、それでも傷つけてしまう・傷ついてしまうことはあって、そこにどれだけ自覚できるかも大事だと思う。でもエピソードに出てくる子供たちはみんな、日々全力で目の前のことにコミットして学んでいる途中だし、私自身も自分の人生において常にそうなんだと思えた。民族ナショナリズムと異なる地域ナショナリズムの概念は初めて聞いたけど、たしかにそういうのは自分にもあるなと思う。右派のナショナリズム崇拝にも左派のナショナリズム絶対反対にも馴染めないなあ。

 

梶尾真治「まろうどエマノン

エマノンは出会った人みんなにとって忘れられない存在になっていくことを改めて感じた一冊。特に「かりそめエマノン」は今まで読んだストーリーと少し違って双子で母親だからこその愛憎が率直に描かれていて、でも最後には使命の正体である愛情に気付くって終わり方が綺麗だったな……と思う。エマノンにある時男女の双子が生まれるって筋でどう転がるかあれこれ予想してたけどただ会いにいって会話するだけの話で終わらなくて嬉しい。毎度のことながらエマノン自体のスケールが大きいからこそ数十年の時間の経過を扱っても話の軸みたいなのがぶれないんだな。

 

山下泰平「『舞姫』の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本」

デジタルアーカイブの力ってすげー!が止まらない一冊。当時の人も真剣に取り合わず現代人もほとんど知らないこともこうやって閲覧して考える人が出てくるもんな。今の娯楽小説や漫画に繋がる要素も散見されるのが面白かった。なんだかんだ稲妻強盗とか海賊房次郎とかもゴカムのキャラの元ネタになってたりするんで徒花扱いされた犯罪実録にも意味があったんだな〜〜……。明治末期〜大正のオカルト・超能力ブームは個人的に興味があるのでもっと掘り下げたところも見たかった。

 

森見登美彦「四畳半タイムマシンブルース」

変わらない四畳半世界があって心が京都に飛んでゆく……明石さんこんなおもしれー女だったっけ?!ネジの緩み具合が加速してる気がする。中学生の私をアジカン中村佑介先生に繋いでくれた作品でもあるのでもはや血肉になってるんだよね……今になってまた新作が読めるのがただただ嬉しい。声出して笑いながらの読書体験もなかなかない。小津は幸せにならなくともよい!!

 

鮎川ぱて「東京大学ボーカロイド音楽論』講義」

この本に関してはここで色々話しました。

www.elabo-mag.com

ボカロの家族イメージとつんく♂(ハロプロ)の家族イメージを比較しつつ、郊外のマイルドヤンキー的な価値観へのカウンターとしてのボカロという視点が見出せたのは我ながらいい着眼点だったのではと思っている。ボカロは私の思春期、人格形成期の記憶に深く結びついている曲が多すぎて、「二息歩行」や「ロストワンの号哭」なんかは聴くだけで涙が出てしまう。そんな楽曲群も投稿から何年も経ちボカロシーン自体が変わっていったのは肌で感じているけど、それでも自分の中でひとつの「帰る場所」みたいになっている体験が今も残っているのは嬉しいね。

 

杉田俊介「マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か」

まっとうな人間であるためには常に自問自答し、他者への想像力を持つことが必要なんだけど、それを実現するための私の意見として、きわめてマッチョな考え方ではあると思うけど、「自分は今何を考え/感じているのか」「何を望み何を拒否するのか」を常に自覚することが大事なのではないだろうか。

「まっとうであるとは、複合差別状況の中でも、他者と自分に対する繊細な想像力を持ち続けられること、葛藤し続けられることです。」

「友人や同僚との会話の中で、誰かが『あいつは男らしくない』『あの子はおかしい』と嘲笑ったとき、そんなことはない、それは違うと口に出して言えること。あるいは、自分が傷つけられたときに、それを自己責任で片付けずに、痛いものは痛いんだ、おかしいものはおかしいんだ、と感じられること。主語の大きさ(『男』『日本人』)に逃げ込まずに、個人的な痛みを個人として実感できる、ということ。そんなものはおかしいんだ、と公然と主張できること。

人間としてのまっとうさ(decency)は、規範(norm)としての『普通』(normal)とも異なります。」

「重要なのは、社会問題を単なる文化の問題に切り詰めることなく、資本主義と経済体制の問題として(も)論じていくことです。」

入門向けに「ジェンダーって?クィアって?フェミニズムって何?」ってところから紐解いてくれてるのでこれから学びたい人(想定されたターゲットであるシスヘテロ男性だけではなく複合的に差別や抑圧が折り重なるなかでマジョリティ性を持ついろいろな人、かく言う私もシスジェンダーとして、日本に住む日本人としてのマジョリティ性から逃れられない)に薦めたい。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」「ズートピア」は観たいですね。あと「天気の子」ではセカイ系しながら社会批判してるって聞いたのでそっちも。

 

玉井建也「幼なじみ萌え ラブコメ恋愛文化史」

幼馴染に関する記述よりもむしろ、スクールカーストラノベの中でのその表象、郊外・田舎にあるいつまでも都心と同じにはなれない隔たり(主に文化資本の面で)、「団地」のノスタルジーなどに興味が惹かれた。むしろそっちを本筋にして、学術エッセイ形式ではなくてもう少し硬めの学術書としても読みたかったなーという気持ちがある……

 

辻村深月「図書室で暮らしたい」

生まれてから今までに触れたたくさんの「好き」が自分を形成している。それは紙面の向こうの作家も同じ。libraryとlibertyは似ている。ピンドラとジョジョについての記述が読みたくて読んだようなもんだけどどちらもよかった。ピンドラは東日本大震災のあった2011年放送で1995年の地下鉄サリン事件が下敷きにあること、だからこそ「僕は君を愛している」という人の営為が響くこと、辻村さん世代は「きっと何者にもなれないお前たちに告ぐ」という言葉が実態を持った重みとして響く(多分)最後の世代であること……これは後追いの自分にはわからないな……と思う。青柳美帆子さんが映画を受けてツイートしてた内容でも思ったけど。

ジョジョの方はというと、ジョジョリオンの舞台は杜王町とわかった時の「かつてジョジョを本誌で追ってた人」の衝撃がすごかったというこれまた当時を知る人にしかわからない記述が……

「オーダーメイド殺人クラブ」のセルフ解説文で、人生で戻りたくない時期は中学時代とあって、壮絶な失恋やいじめがあったわけじゃないけど居心地の悪さみたいなのがずっとあった……とか「借り物の言葉を振り回して悦に入っていた」のも思いところがあり過ぎる……っていうあのザラつきは何なんだろうなと私もずっと思っている。私もそれを描ける人間になりたい。

 

万城目学鴨川ホルモー」「バベル九朔」

わからない、荒唐無稽。だけど/だからこそもっと知りたくなって気付いたら引き込まれている。それが万城目学ワールドだった。デビュー作にはその作家の「全て」が詰まっていると言われているがデビュー作→ある程度期間が経った作品と続けて読んで実感できた。「あの子とQ」は買うか検討中。

 

ヒコロヒー「きれはし」

スルッと入ってくる喉越しのいい文章。「コリドー」、冗談半分から引くに引けなくなった人間って側から見るとめちゃくちゃ面白いんだな、、、

 

穂村弘・堀本裕樹「短歌と俳句の五十番勝負」

お題が毎回面白い。朝井リョウの「ゆとり」、鏡リュウジの「流れ」、牧師さんの「罪」みたいなその人のアイデンティティまんまをぶつけてくる人もいれば、又吉の「唾」とか女子小学生の「黒」とかそんなところ行くんだ!?って意外性、「放射能」や「共謀罪」みたいなそんな単語で作れるのか?みたいな単語まで、作風の違い、着想の違い、短歌と俳句の表現の違いなどが直球で伝わって楽しい。

特に好きなやつ。

喰らい合ふ夜食共謀罪めけり

古本屋に入ったことがあるだろうか、朝青龍は、松田聖子

夕焼に塗り込められてゆくこころ

(かわいいな)(かわいくないや)(かわいいじゃん)(かわいいのかな)転校生は

 

9月

壁井ユカコ「2.43 清陰高校男子バレー部」

長いこと積読にしてたけどこんな楽しみを置いてきた俺の偉さと愚かさ……章ごとに違うペアに着目して片割れから見た相方を描き続けてるのコンビ・CPのオタクとしては垂涎もの(固定派に優しいとも言う)。棺野くんと末森さんの関係が好き。この作品に末森さんがいることで外から見た男バレの空気がわかるし、「サマーサイダー」でも思ったんだけど壁井先生は「女子から見た男子」「男子集団への理想の押し付け・ないものねだり」の描写がうまい。文字媒体でこんなに白熱するバレーの試合が味わえるとは!

 

河野真太郎「戦う姫、働く少女」

ジェンダーと労働研究会「私たちの『戦う姫、働く少女』」

ポストフェミニズムは思想体系というより私たちの生きる「現状」と捉えた方が良いという考えは目から鱗。ポストフェミニズム新自由主義の功罪を考えると「人間の生きがい」みたいな新自由主義の「功」の部分にもぶち当たることになるので、新自由主義そのものへの理解も進んだと思う。その生きがいみたいなのが労働にべったり張り付いてしまってること、すべてに「生産性」が求められること、お金を使って財・サービスを消費する行為がそのまま社会における投票行為に値することを考えると、今突然人類が滅んだりしない限り市場経済からは逃げられないので、うまいこと市場経済・資本主義が「自然」で自明なものではなくて人の手で作り上げられてきたことを理解して利用してやる必要がある、という大意に同意できた。でもそれ言うともっと「左」の人からお前は左翼じゃないって言われる葛藤もあるよね。わかる。

「私たちの〜」の方の参考コンテンツにラブライブ!の名前が挙げられてて、あれもポストフェミニズムの中での自己実現(スクールアイドルはあくまで部活的な活動の一環のためどうもギャラが発生してないっぽいのである種の感情労働の搾取と読み取れなくもない?)とその中での女子同士の連帯(特にアニメではほとんど女しかいない世界、シリーズの主人公たちの通う学校が共学だったら私はあのIPを真っ直ぐに受け止められなかったと思う)という視点で読み取れるし、ニジガクが究極の個人主義とライバルとしての競争関係を実現しながらも「同好会」というコミュニティのもとで連帯するバランス感覚を持っていたこともわかる……。それ考えるとアイマスはゴリゴリに新自由主義のノリだなと思いますね。アイドル活動=承認と自己実現、基本Pとアイドルの一対一関係で連帯要素が薄い(ただしユニットありきのSideM、シャニマスはこの限りではない)、とか。歌マスの歌詞なんかも象徴的だし何よりアケマスが出たのは小泉政権の時代だもんな……。オタクども〜〜二次元女子アイドルとポストフェミニズム/第三波フェミニズムの話しようぜ〜〜……

ゼミの個人研究にもこの視点は取り入れたい。女オタはなぜ女性(キャラも含む)を支持・応援・消費するのか、そこに連帯の可能性はあるのか、など……

 

壁井ユカコ「2.43 清陰高校男子バレー部 代表決定戦編」

 

最後の最後までどちらが勝つかわからない展開だったし、どちらにも勝ってほしい、負けてほしくないと思えた。今回は全部小田と越智に持っていかれました。みんなが今しかない時間を必死で全力疾走してる。三村人気だろうなと思ってサーチしたら案の定結構な人気でした……みんな好きよこりゃ

あと当たり前だけどバレーの試合描写って毎回ローテーションのことも頭に入れとかないといけないから他のスポーツ以上に大変そうですね……これはハイキュー(10thクロニクルによるとプロットには毎回ローテがメモされてたらしい)でも思ったけど

 

壁井ユカコ「空への助走 福蜂工業高校運動部」

なんで運動部??バレー部だけじゃなくて??と思ったけど、みんながみんな部活に一直線だからこそそれぞれが努力して、一瞬でも彼らの人生が交わるところに福蜂の良さが出てると思った。主人公じゃないのにさらに愛着湧いちゃうじゃん!と思ったけど、多分先生にとっては全員が主人公なんだろうね……。「強者の同盟」読んで、ある意味高杉みたいなのも福蜂にいてよかったと思った。本編で灰島へも言及があったけど玉座は二つもいらないんだよな……

 

辻村深月かがみの孤城

辻村先生は思春期の繊細な気持ちを描くのが本当に丁寧。同じ世界をバラバラに、ともに生きるエンディングに繋がる仕掛けは現実の世界での共存の可能性にも訴えかけてくる強度があった。アニメ映画も楽しみ。ていうかアニメはオトナ帝国の監督なんだ……

 

10月

壁井ユカコ「2.43 清陰高校男子バレー部 春高編」

最後までどちらが勝つか分からない展開、「負けた先でも人生は続く」を底流にした勝者・敗者への平等な目線は今回も健在。三村も見にきてたのがよかったね。そして灰島は3年間ずっと清陰でバレーし続けると思ってたからほんとに腰抜かした。それも黒羽や先輩が1番にここじゃ彼の可能性を潰してしまうと思ったからなのがまた……😭翌年以降の春高で対戦相手として出たり大学で再会したり、ほんとにみんなの人生がこの章だけでも濃厚に詰まっていた。今連載してる大学生編も本当は今すぐ読みたいんだけどデジタル媒体のペライチをスクロールし続けるの目が滑ってしんどいんですよ……せめてページ送りができるようになれば……

 

江面弘也「名馬を読む」1〜3

ウマ娘の元になった馬やその馬のライバルに関しては自分で調べたりもしたけど調教師や騎手みたいな関係者の想いに関してはなかなか知れないのでこういう筆致で読めてよかった。あとマルゼンスキーより前のハイセイコーやクリフジについても全然知らなかったので読む意味はあったな。

 

朝井リョウ「発注いただきました!」

いわゆる「案件」で書いた小説やエッセイを集めていて、普段の作家性と少しズレた、でも所々に「らしさ」が香る独特の雰囲気を楽しめた。しかしご本人も後書きで書いてるけど宣伝のひとつとして小説を使うって選択自体が素敵だよね。消費者の奥のドラマを見ている気がする。

 

11月

大前粟青『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

どうしたって人と向き合うと傷つけ傷つくことは避けられない。それを回避するかのように人間ではない何かと向き合い喋る人々はやさしい。やさしいけど、無関心にも取られかねない。そういうことを丁寧に掘り下げていく作品群だった。個人の会話や関心の先には社会構造みたいなのがあって、そこの嫌な部分から逃れたいけど、抵抗しようとしても絡め取られることに対する疲労感みたいなのもちゃんと描かれててよかった。社会構造の中でしか各々の思考・言葉が形成できないとするなら、社会構造をちょっとでもいい方向に変えられればいいんだけど、そこのポイントにどう結びつけるかと言う話でもある。悪意のない人、いい人そうな人がポロッと言ったことで傷ついちゃうしそういう時にいっそ極悪人であればよかったものを……と思うことも何度もあったからその点のつらさに共感できた。

読んだ本(6~7月)

1~3月

lettucekunchansan.hatenablog.com

4月

lettucekunchansan.hatenablog.com

5月

lettucekunchansan.hatenablog.com

 

ジャンル雑多、ネタバレ配慮ゼロ、読んだ順

6月

堀あきこ、守如子編著「BLの教科書」

少年愛(JUNE系)〜アニパロ〜やおい〜BLと繋がるコンテンツそのものの歴史、ファンコミュニティ、BLが向き合う「女性の性的欲望」「現実の異性愛規範とのズレ」「ゲイの実態との遠近」のようなジェンダーセクシュアリティなど包括的にBLを色々な視点から研究する手がかりを与えてくれる。「現実の異性愛規範、与えられたダブルスタンダードへの違和感の表明、抵抗」と「異性愛規範、ダブルスタンダードの内面化」の両方がBL愛好家の女性に見られるっていうのはタイムラインのオタクたち見てるとなんとなく思うし自分にも当てはまるところがあるなと感じた。BL愛好側は大抵、ゲイをある種の記号やファンタジーとして扱ってることに自覚的だけどそこにホモフォビア異性愛規範が無邪気に持ち込まれてしまうと怖いよな。いまだにBLのことホモ、男女CPをNLって呼ぶ人いるし。「男が好きなんじゃないお前が好きなんだ!」とかBLや百合のことを「性別を超えた愛」って指すのとかも危ういなと思う。最近気になってる「クィアリーディング」と「BL読み」「百合読み」はまったく同じものではないが強い関係があるっているのは面白い。

紹介されてたBL短歌同人誌「共有結晶」今見たらもうオンライン頒布やってないらしく泣いた。

BLと百合、定義の上で百合の性描写の緩さにも触れられてるけどそれも男女間の性規範のダブルスタンダードによるものって考えは目から鱗

アイドルのいわゆるBL営業やnmmnにも触れられていて面白かったんだけど、それを論じるならクィアベイティングに関しても触れてほしかった。「BLはゲイ差別か?」っていう一連の論争に関してもゲイ側の否定派・肯定派、BL作家側の「ゲイによるBL批判」への応答などかなり丁寧に触れてくれてたので。ところで百合作家とレズビアン当事者の間では「百合はレズビアン差別か?」ってのは議論のテーマになってるんだろうか?

 

安壇美緒『金木犀とメテオラ』

それぞれ家庭環境でトラブルを抱える二人の少女が出会い、よく知らないまま嫉妬、苛立ちを覚えるのは中高生だからこそだなと思う。中高生のうちにこの本に出会いたかった。ふたりの家庭問題が根本的に解決する描写はないんだけど、「辛いのは自分だけじゃない」「奇跡は起こりうる」って落としどころってことでいいのかな

これは「君だけじゃないさ…friends」話(バナ)ですね。ちなみに表紙イラストは志村貴子先生らしい。

 

ジュディス・レヴィン著、元村まゆ訳『ソーダと炭酸水の歴史』

アメリカのソーダファウンテン(いろいろな炭酸水やシロップを出せる機械のある店)がいまのスタバのように人々が自発的に集まって珍しい飲み物を楽しむ空間だったところが面白かった。

薬として作られる一方で「カロリーだけで栄養が何もない」「砂糖は危険」と不健康の象徴としても語られる両義性と、生活者はそのどちらか極端な考えってことは滅多にないって話にも触れていた。炭酸の泡を作るのに必要な薬品を数mg単位で調合できるのが化学者や薬剤師だったから薬と結びついて行ったのは知らなかった。ギリ詐欺じゃない誇大広告とかマーケティング戦略とかは今もほとんど変わってないのが面白い。今も機能性飲料の炭酸飲料多いもんな……0カロリーのダイエットコークなのに太る謎。

現代日本では10年に1回ぐらいのスパンで現れては消える炭酸コーヒーだけど初期は「故郷の味を思い出したい」理由でエスプレッソソーダとか作られてたの、何でもありだな。他にもチョコシロップや卵入り(ミルクセーキっぽい?)もあまり美味しさが想像できない。日本では他のどこの国よりも多く期間限定と称して色々な独自のフレーバーの炭酸飲料を出すらしく、当たり前だと思ってたけど特殊だったんだ……でもベーコン味とか出す向こうの感性と探究心は納得いかない……。

コーラがアメリカの象徴、資本主義の象徴なのはわかってたけど公民権運動の頃も黒人の運動家に「いや俺らアメリカ人ですが何か??」のアピール材料として使われてたのは知らなかった。価格も安いし買う頻度も高い分普段アイデンティティや政治に関わるものとして認識してないけど、お金を払う、物やサービスを使う行為はアイデンティティと切り離せないことがよくわかる。

今クラフトコーラが流行ってるのも「オーセンティック」「健康」志向とかいろんな視点で語れそう。

 

マーシャ・ライス著/柴田譲治訳『リンゴの文化誌』

エデンの園の禁断の果実はリンゴじゃなかった説が一番面白い。桃説、ザクロ説などいろいろある中でバナナ説が(聖書の舞台が暑い気候のパレスチナ周辺なことを加味しても)かなり有力らしいけど、バナナだとなんかオーラがなくなるというか、そういう神秘的呪術的モチーフになると思えないんだよね。白雪姫のリンゴとかもそうだけどそこがリンゴの特殊性だと改めて思う。楽園追放は性欲(=堕落)の始まりとして解釈されがちだけど「採取・狩猟から農耕」という文明化の過程、労働をしなければいけない理由としても解釈できるんだな。

英語圏だとappleを使ったイディオムもめちゃくちゃ多い。「apple of my eyes」=目に入れても痛くない存在、「bad apple」=問題児、とか、まだまだありそうだけどさまざまな文脈に放り込まれているうえに「健康、美、倹約」の善、「堕落、善良な市民の中に潜む悪者」の悪両方の象徴で、昔から身近な果物だったことが言葉の使われ方からもわかる。

日本のリンゴだけでもたくさん品種があるから品種の多様性は十分確保されてるもんだと思ってたけど18〜19世紀と比べると市場経済向きの大量生産ができて保存が効く品種に限定される形でかなり淘汰されてて、その分遺伝子プールも縮小して種全体としては弱くなってるのね……その中で小規模な果樹園で土着の品種を育てる動きや街路樹に植えてある木の実を取って食べる活動が出てきてるのはまだわかるんだけど、イギリスには放棄された土地に入ってリンゴを盗む活動があってその果物をレストランに売って学校運営の資金に充ててるところもあるみたいで、発想の勝利……。

アップルパイ食べたくなってきた、グラニースミス行かなきゃ……🍎🍏🍎🍏

 

100分で名著『フロム 愛するということ』

これは原典も読まないとダメですね!マゾヒズム的愛⇄サディズム的愛があってそれをそのまま政府と国民の関係に置き換えたのが全体主義ってのが面白い。個人間の愛をより能動的、生産的(してもらうことだけ考えない)にすることで社会全体が正しい愛に包まれるっていうのはたしかにそうなんだけどなんか恋愛だけを特別視するのはやっぱ馴染めない。孤独であったとしても孤立では生きられないのはもちろんフロムが主張してる通りなんだけど、家族や友達であってもあるいは名前がつけられない関係であってもそういう関係になれる可能性を信じていたい。自分が書く作品もその辺を意識していたい。

 

千早茜『さんかく』

愛し合うことと必要とされること、身体を満たすことと心を満たすことと生活を共にすること、混同してしまうけど別物だよね。あと高村と景子、華とともちゃんの会話で出てくる「尽くす女」の話も身に染みる。誰かのためって思ってても「自分のため」を捨てきれないと思ってるので。伊東と華がディスコミュニケーションからギクシャクしていく様がつらかったけど、伊東と一緒にいたのが高村(結局一人で前向きに生きていける力を掴む)なのが運がよかったんだろうね。ふたりはお互い見栄を張って勝手に嫉妬して、嘘偽りなく話して互いに知っていく時間が二人には足りなかった。

作中の料理が本当に美味しそう。パクチーと羊肉の餃子もいちごパフェも手巻きも食べたい!ナンプラー黒酢が普通に常備してある家庭。同じ食事を口にすることのあたたかさと、それ以外にもいろんなものを共有してるし、その分言えないことも増えていく高村と伊東の変化もよかった。

 

榎田ユウリ『武士とジェントルマン』

私にしては珍しく一切の前情報なしで表紙だけで手に取った一冊。「武家制度」がある日本、武士の家にお世話になることになった英国紳士・アンソニー……だけ書くとアンソニーが一方的に何か学ぶ話と思うけど全然そんなことはなくて、むしろ「武士」の伊能長左衛門隼人が周りから与えられたアイデンティティを自問して、もう一度自分の意思で掴み直す話だった。それを通してアンソニーも自分の「英国紳士」というアイデンティティを自問し直していく。あの二人には与えられたアイデンティティに戸惑い自問する時間ってのがあって正解だったんだと思う。周り、特に家族から与えられるアイデンティティは子供のうちは絶対のもので、それが本文で言うよう「呪い」のようなものであっても疑いようがない分大人になって立ち止まるだろうから。でも立場や肩書きが変わってもその人の本質的なところは変わらないよね。水を入れる器が変わっても水自体が変わるわけじゃないように。「武士」を一度やめて「やめるのをやめた」隼人もそうだしFtMをカミングアウトした誠さんもそう。男同士の(利害一致やギリギリの状況じゃない)ゆるやかな連帯にも触れてて良い。女同士の連帯(シスターフッド)が注目されるけどむしろ本当にこういう形のゆるやかだけど上辺だけじゃない連帯が必要なのは男同士だと思ってる。(女は世間から気づかれてないだけで、実際色んなところに連帯があると思ってるので)二人は年齢も民族も立場も違うけど友達になれたんだよな。それが嬉しい。

あと現代の武家制度を描くなら家父長制とか悪い意味での特権意識とかの問題は避けられないだろうな〜と思ってたけどちゃんと触れてて、矛盾をしなやかに乗り越えようとしてる今の世代が描かれててよかった。隼人たちがやってる人助け(詐欺被害を止めるとか災害前の声かけとか)さえ上の世代からは誰でもできるっていい目で見られてないのキッツいね……

金髪武士のヨリちゃんが途中からよっちんの声でしか再生されなくなった。それはもう平古場凛なんよ。

あと何となくこの人BLも書いてる?と思って調べたらドンピシャでした。スタンド使いスタンド使いに引かれ合う‼️‼️

 

王谷晶『完璧じゃない、あたしたち』

いや〜〜〜面白い。特に「小桜妙子をどう呼べばいい」「十本目の生娘」「だからその速度は」「シオンと話せば」「東京の二十三時にアンナは」が好き。軽やかな中にもドスッとパンチを食らわせてくる感じで本当に楽しい読書体験でした。いい街も悪い街もなくて今日は相性悪いな〜今日はいい感じの街だな〜ってなるよねわかる。インターネットでは一人称は完全に気分です。ここ最近は俺様がマイブーム。

 

ヴィクトリア・ディッケンソン著/富原まさ江訳『ベリーの文化誌』

のどかで牧歌的でかわいらしいイメージのベリーだけど今は機械化・産業化された大規模農業や栄養学と無関係ではいられないよね。それが進んだおかげでいつでも安全にベリーを育てて食べられるわけだし。むかし0655で見たクランベリーの収穫シーン(畑に水を張って機械で水をかき混ぜると空洞のある実が浮いてくる)を思い出した。機械化される前なんかは児童労働の問題とも密接に関わってたし、今も移民労働者の問題と関わっているので、ベリーの素朴なイメージを問い直す必要がある。なんかインスタで最近見るサジードリンクってあれの原料もオレンジ色のベリーなんですね。アサイービルベリーもそうだけどスーパーフードって言われるフルーツだいたいベリーだなと思ってたらちゃんと説明されててよかった。昔から万病に効くって言われてたらしい。子房が果実になる意味で「ベリー」を定義するとキウイはまだわかるけどバナナやオレンジも広い意味ではベリーらしい。うそやろ??分類がわからなさ過ぎる。

 

乙一『The Book jojo’s bizarre adventure 4th another day』

4部らしいサスペンス要素とそれでいてどこかカラッとした空気が楽しめたので安心。杜王町で何かの「きっかけ」を見つけるのは露伴先生か康一くんだと思うので始まりから納得。やっぱりザ・ハンドは本編だと持て余されてる感じがあったから億泰の経験が磨かれることでスタンドを使いこなすためのスキル(観察力とか)もブラッシュアップされててよかった。それとなんだかんだ康一くんと由花子さんもうまくいっているようで嬉しい。図書館デートだ!!!!公式CPには誰も文句を言う権利がありませんので^^メタなネタが多いのはある種「公認の二次創作」だからこそだよね。終わり方が全部円満にスカッと収まる感じじゃないけどまだ希望は残ってる、って感じは乙一先生の作風なのかな。オリジナル作品読んだことないからわからん。「野良犬イギー」は読んだのに……複数の人物の一人称視点がクロスしながら進んでいくので一通り読んだ後にもう一度最初から読み返したくなった。

 

大竹昭子『間取りと妄想』

間取り図って部屋の中や外観の写真以上に想像力を掻き立てられるのはなんででしょうね。情報が多過ぎないからかな。家にはその人の生活が詰まっていて、そこに他の人の人生がクロスしていって家自体に物質的に人の歩みが蓄積されていくから面白い。逆に家の構造が生活者の生活を決定づける側面もある。(「カウンターは偉大」「どちらのドアが先?」)「間取りと妄想」って言うから単に間取りから妄想したストーリーって意味かと思ってたけど、間取りの中の生活者があれこれ妄想する話や、妄想の中の間取りの話もあって二重三重と楽しめた!「ふたごの家」が一番好き。家は生活・人生の基盤だけどそこだけで人格が形成されるわけじゃない。

 

彩瀬まる『眠れない夜は体を脱いで』

自分の身体から離れるってことは自分が普段社会の中で置かれている役割とか「らしさ」とかからも切り離されるってことだよね。でも身体があっても(むしろあるからこそ)アイデンティティを獲得できるし、一度獲得したものでも自由に更新していっていい広がりも保証してくれる(それが周囲から期待されていたものでなくてもいい)世界があった。でもだからこそ人は不安になる。世間の「らしさ」に馴染んで不安を忘れて過ごしたほうがいいんじゃないかと思う時もある。そういう意味では「あざが薄れるころ」が特に好き。ネット掲示板SNSみたいな匿名の環境に自撮りとか手の写真とかが上がるだけでもああこの人たちにも自我があって生活があるんだなと思えるよね。それを明かさないことは自我を埋没するって選択でもあるし。

読んだ後自分がもし男で生まれてたらどんな人生だっただろうかと空想させてくれる本だった。

 

藤野恵美ショコラティエ

3人の少年少女が大人になってそれぞれの夢を見つけるまでの話。大きな挫折も理想と現実の葛藤も敵わない存在への嫉妬も全部無駄じゃないし過去からの積み重ねが全部集まって今があると思わせてくれる。続きが欲しくなる終わり方過ぎてpixivだったら続きをお恵み下さいタグついてる。

ガトーバスク食べた事ないから食べたくなりました。

 

7月

辻村深月『オーダーメイド殺人クラブ』

やっぱこういう屈折した学生の話はいくらでも読めるけど、後になっても当時のことは消えない悲喜交々の記憶として残り続けるってところを描いたところがほかにない誠実さだと思う。ちゃんとそこを描写してくれてるおかげで、冒頭の「『これは、悲劇の記憶である。』」ってフレーズが最後まで読むと二重三重の意味として作動する。スクールカースト上位と下位の間にある羨望と軽蔑が入り混じった視線、ちょっとしたことでこの世の終わりかのように感じる思春期の人間関係の脆さ、コンテンツ化される「少女」像に憧れと拒絶が入り混じる少女、「私自身」を取り戻しに行く過程……読みたいものが詰まっていた。文庫版解説のオーケンさんはある種のラブコメとして解釈したみたいだけど私的にはラブ「ではない」コメディかな……。あと人数少ない小学校はカースト意識も薄いし男女の壁も低いけど人数多めの小学校は既にカースト意識強くて浮いてる子目立つ子はすぐ疎外されるし、男女の壁が作られるのも早い。そういう二つの小学校が中学で合流すると後者の文化がすぐ前者出身の子にも染み付いてくるってのは思い当たるところがありすぎて……辻村先生も経験者だったのかとすら思ってしまう。あと読んでて「family name」「DON’T TRUST TEENAGER」が脳裏をよぎった。あれは思春期を通り過ぎた世代が歌うからこその訴求力もある曲だけど。執筆時点で大森靖子が活動してたら絶対アンは大森靖子好きなんだろうなー。でも「絶対彼女」の「絶対女の子がいいな」にほんとに??って思っててほしいー。

 

長谷川眞里子×山岸俊男対談『きずなと思いやりが日本をダメにする』

社会科学と自然科学(特に脳科学)の領域が年々近づいてきてるのはわかってたけどこんなにがっつり進化学や脳科学のことをちゃんと語ってくれる本と出会ったのは初めてで脳汁がドバドバ出た。チンパンジーは絶望しない。いじめは子供たちが社会的な生き物になっていく過程で生じる成長痛みたいなものなので完全に精神論でどうにか根絶するのは無理で、起こってしまったらそこでいじめる側に厳罰を与えるぐらいしか合理的な解決策はない(ひとりひとりが家庭教師をつけて個人で勉強する、一から十まで児童・生徒を先生が監視するなどもアイデアだが現実的ではない)のはごもっともだと思った。あの手この手で「お説教」、精神論では現代を取り巻く課題はどうにもならないという意識が欠落していることを説いてて、それに代わるものとして制度の正しい制定や言行一致の一貫した精神性を持つこと(自分の意思で物事を決定できる、それでいて他人との協調性もある)が挙げられているけど、結局どっかで精神論は必要になってくる気がするんだよな……少なくとも日本においてはそれを捨てきれない感じはある。

あと多様性や個性の大事さを主張しながら「みんな仲良く」という矛盾についてはべきべきの「共感より共存だ」が答えですよ。

図書館で借りて読んだけどこれは買って保管しておきたいわ……

 

村田沙耶香『しろいろの街の、その骨の体温の』

青春の、思春期のこういうところが嫌いだったってなる一冊。傷ついても痛いって言えないし血が流れたところを見ることも許されない空間だったんだな。小学校の幼馴染が中学に上がってカーストに引き裂かれる様は辻村深月「オーダーメイド殺人クラブ」でも描かれてたけど主人公が上位グループと下位グループで目に見えて板挟みになってた分さらにキツかった。これだけ人を抉ってくる描写も傷つけたろ!と思って描いてるんじゃなくて書こうと思ったテーマに近づいた結果そうなってるってのが村田沙耶香作品のいいところだね。価値観の格付けからは今も逃げられないように思う。結佳みたいに自分で気付けるのだろうか。自分を愛するってキラキラした言葉のように見えるけど死ぬほど悩んで傷ついてその結果出た答えって場合もあるよね。

 

松浦理英子『奇貨』

本田にも七島にも、二人の関係にも架空のキャラと思えないぐらい親近感が湧く。二人が淡々と、だけど切実さを持って話すから響くんだろうな。序盤も序盤のお互いの嫌な奴について話してる場面であっこれはいい読書体験になるなと確信した。「男同士の友情に憧れる女」は割と見かける話だけど「女同士の友情に憧れる男」は新鮮だった。

読んだ本(5月)

1~3月

lettucekunchansan.hatenablog.com

4月

lettucekunchansan.hatenablog.com

ジャンル混在、ネタバレ配慮ゼロ、読んだ順です

 

朝井リョウ『スター』

「作品の内容より作り手の状態を見てしまう」ところ、非常に耳が痛い……今正解とされていることが過去・未来で正解になる可能性があるのか?ってところを見て、それを踏まえた上で自分がいいと思えるか思えないかってことなのかな

本来比べられないものを同じ土俵に上げて比べ続けてしまうこと、自分の本質的な所から目を逸らしたくて何かに騙されていたいと思う人……オンラインサロンの胡散臭さというか物事の本質を棚に上げようとしてる感じは何なんだろうな。「そもそも欲求には大も小も上下もなくて、いろんな種類があるだけなんだよね」。「本物」って何なのか、現代に誰もが認める「本物」が生まれる可能性があるのか……。

なんかこう、「本物」を作り出せる可能性があるとするなら、認められない他人の糾弾に走るより(他人にスケールを広げるより)要みたくただただ自分一人と向き合うか、あるいはもっと地球規模の馬鹿でかいスケール(BIG LOVE)で物事を捉えるかしかないんじゃないんですかね。

「越境しますよね、素晴らしいものは」(大)アンジュルムもどこかに越境して届くのかな。堂島孝平さんの時みたいに。

はーちんや紗友希がYouTuberになった時に非難も多かったことも思い出した。アイドル(ハロメン)とYouTuberの価値って比べられるのかな。

 

深海菊絵『ポリアモリー 複数の愛を生きる』

ポリアモリー性的嗜好というより社会的実践の色が強いことがわかった。相手を「自分の所有物」として扱わない原則は愛する対象が一人でも複数人でも心がけるべきことだと痛感する。第一〜第三パートナーの区分など合理的な考えが多く、自由を実践するために合理的なマナーやルールで自分や相手に配慮することも大事だと感じた。

1 意思決定は全員合意のうえで

2 正直であれ

3 相手を思いやる

4 本気で関わる

5 誠実であれ

6 個性を尊重する

ごもっともである……けど忘れがちなこと。

SMプレイだけじゃなくて日常生活でも主従関係を築く関係についても触れてたけど、

「互いに信頼してるからこそ主従関係を結べるし、相手のアドバイスや金銭管理を受け入れられる」「自分にはエマの幸せに対する責任がある」あたりでもしかして……自カプ!?!?!?って悪いオタクが脳内で叫び出した。グループリビングはポリアモリー実践の有無関係なく今後日本で広がりそうな気がするけどな〜。正直今の日本で父母だけで子供を育てることに限界がきてるような感じがするし。

 

辻村深月『水底フェスタ』

閉鎖的な地方都市で悶々とする中高生は最高‼️‼️

大人になりきれない、擦れてて村の閉鎖的な価値観が嫌いなのに変なところで素直だし大事なものを捨てきれない少年がどんどん何が真実かわからない村と一人の女に吸い込まれていく姿に水底を見た。冒頭や中盤で挟まれるフェスの非現実感がそら恐ろしくも思える。恋愛や性に免疫がないほど狂気になりうるのかもしれない。あれだけ隠蔽体質の村の人間に苛立ってるのにどんどん隠し事が増えていくの、なんというか惨めというか見てられなくなってくるというか……

表向きは開発が進みフェスを受け入れ私鉄の駅ができる進歩的な村なのに村民の体質は保守的で閉鎖的なところが一層ゾッとさせた。

最後の最後まで緊張感が途切れるどころか村の真実、湧谷家、日馬家の真実が暴かれるたびに緊張感が増していき思わず一気読みしてしまった。あんな終わり方じゃ湖に達哉や由貴美以外にも何が沈められてるかわからんじゃんね。仮に逃げ出したとしても広海の性格上また同じように疑念を抱く機会があるかもしれんし、こんな環境に生まれ落ちた子供に「広海」って名付けることすら残酷に思えてきた。

 

森貴史『〈現場〉のアイドル文化論 大学教授、ハロプロアイドルに逢いにゆく。』(再)

まなかん卒業が発表された今この人はどういう気持ちなんだろうという気持ちで再読した。

ゼミ生と何回も連番してるから「大学教員がもつべきは優秀で世話好きなゼミ生なのだ。」って言ってるのとか、まなかん推しなのに宮本佳林さんに人生を破壊されそうになるオタクの有様とか面白すぎる。

昨日のさんじゅルム企画でも思ったんだけど、質問コーナーでサッと実りある話題を引き出せそうな質問を思いつくオタクになりたいよね。秀逸な質問としてやなみんやゆかにゃの卒業を控えたサンシャインでのリリイベでの朋子への質問、「池袋での思い出は?」が挙がってたけどこういうのってギリギリまでじっくり考えてるのかパッと思いつきで書いてるのか……

体調不良での活動休止→卒業とあまりスッキリしない形での卒業だったため「こじらせ」てしまったという著者。

ということは、逆にいうと、ぼくの「こじらせ」は、幸いにも活動再開した稲場さんが無事に(2回目の)卒業をむかえるのを見届けたときに、全快するということなのだろうか。

ということは今彼は「全快」に向かいつつあるんだろうか……。

ドラマ武道館と舞台タイムリピートを絶賛してる章があったけどタイムリピートは本当にいい舞台だよなあ。全員に見せ場がきっちりあるし、

「私たちは若い。私たちには未来がある」

「たしかに若い、だが自分の仕事に責任を持ってる!」

あたりはアイドル舞台で言うからこそ光るセリフ。

juiceヲタとしての活動記録をメインにしつつ元カントリーだったのでカントリーの話もちらほら出てくるんだけど、やなみんは幼さと大人びたところのアンバランスさを「商品」としてパッケージしてたわけだけどそこに限界が来たがゆえの卒業なのかもしれんなというのはいまだに思う。指摘されてる通り、もう表舞台に出てこない以上彼女が当時何を考えていたかは永遠の謎だけど……。あとこんな言い方するのはアレかもしれないけど今のわかなちゃん見てると、もしやなみんの兼任先がアンジュルムだったらどうなったんだろうと考えてしまう。

終章で自分がアイドルヲタクになって変わった事を振り返ってるけど、私がアンジュヲタになって変わったことって何だろう……。

あと後書きでスペシャルサンクスとして名前を出されてた関大ハロ研OBOGの二人ってフォロワーのフォロワーでは?

 

いとうせいこう『自己流園芸ベランダ派』

「鉢という時点ですでに、ベランダーは自然に反している。ベランダで植物を愛するという行為が、こうして自然に対抗することでもある事情は複雑だ。」とあるように、一番身近な自然でありながら鉢植えして人間の手をかけている点で「反自然」でもあるベランダの植物への眼差しが愛おしい。ゴーヤ、ヒョウタンなどツル植物への愛情と言うことを聞いてくれないペットに対するような苛立ちは小さい頃学校でへチマを育てていた頃を思い出した。

あとは、ちゃんと根付く前のミントの芽の介護の話は実際に育ててるからこそ出てくる話だよなあ。ミントはそこかしこに伸び放題になって鉢や庭中を占拠するイメージだから……

雑草はあえて抜かないでおく、観賞用に品種改良された植物が「先祖返り」してもそれはそれで愛でる、枯れてしまったり果物の実が鳥に食べられたりしても悲観せず、また新しい植物を試す……「ベランダー」の「試しては枯らし、枯らしては試す」生活は、反自然の鉢の中を可能な限り自然に近付ける営みなんだと思う。

「ベランダで起きるささいな現象は、世界や宇宙の変化とダイレクトにつながっているのである。」このフレーズを読んだら、鉢植えをひとつ買って「ベランダー」の仲間入りをしたくなった。

いとうせいこう柳生真吾「プランツ・ウォーク 東京道草ガイド」や村田あやこ「たのしい路上園芸観察」も読みたくなった。路上園芸は「ベランダーストリート派」として語られてたし。

 

星野智幸『植物忌』

「自己流園芸ベランダ派」とあわせて、植物は自由自在である意味動物よりコントロールが困難なのではと思わされる一冊。植物が意思を持って人間を侵略しようとする世界の「ひとがたそう」「始祖ダチュラ」を読むと、やっぱり人間は増えすぎたと思ってしまう。

ラストの「喋らん」の「意思疎通なんてさしてできていなくても、どうにかなるもんだ、と。むしろ、細かなところまで完全に了解しあおうとふると、行き違っていることがあからさまになって、許せないという気持ちが湧き起こってしまうわけだ、と知るのです。」のフレーズは、意思疎通に本当に言葉が必要なのか?と考えてしまう。植物が自然のいろいろな営みに反応したり人の手で品種改良されたりしてその姿を変えていくのを見ると遠い未来では本当に「泣けるススキ」「喋らん」が世に出てくるんじゃないかと感じる。

刹那的に華やぐ植物は美しいと「スキン・プランツ」で再確認。これからタトゥーしてる人やハゲてる人を見るとスキンプランツになるのかなーと思ってしまいそう。

全作に共通して出てくる植物屋の名前が「からしや」で、その由来は枯れることまで植物の営みとして枯れた草木も扱うから「枯らし屋」→からしやになったとのことで、そこもまた「自己流園芸ベランダ派」とつなげて考えてしまう。動物だと殊更にペットや競走馬は人間のエゴ!なんて言われるけど、植物だとそういうのあんまり聞かないもんな。

ちなみに、『自己流園芸ベランダ派』と『植物忌』は同じ日に読んだ。直接関係のない2冊だけど、続けて読んだことで相乗効果で旨味を楽しめたと思う。食べ物に食べ合わせがあるように本にも「読み合わせ」があるのではないだろうか。題材が似ていればなんでも「読み合わせ」が良くなるわけじゃないんだろうなというのは何となく感じてるので色々な「読み合わせ」を探求していきたい。

 

朝井リョウ『世にも奇妙な君物語』

世にも奇妙な物語が好きな作者とはいえなぜ小説という媒体でこれを発表したのか、ドラマの脚本に携わればいいのでは?という気持ちは最後まで読むと払拭される!第5話「脇役バトルロワイアル」が1-4話のキャスティングにつながっていたテイで進むところ、空気階段の単独的な面白さがある。どれも本家らしく唐突に得体の知れない人や概念が出てくるところ、それでいて現実社会を映し出し風刺する要素も含まれているところ、最後にどんでん返しがあるところがニヤリとできる。第2、3話はどんでん返しのあとにさらにもう一声仕掛けがあって更にゾッとできた。

あと作者あとがきで「世にも奇妙な」という言葉が(本来世の中は何の理由もなく唐突に起こる出来事も多いのに小説だと絶対理由が必要だが)無から何かを生やすのに便利って言われてて、そう言われるとジョジョの「奇妙な」冒険もかなりそうだなと思った。特に4部及び岸辺露伴は動かないシリーズにおいて(結局最後まで何なのかよくわかってない振り返ってはいけない小道とかガチの宇宙人なのかスタンド使いの人間なのか謎なミキタカとかね)。

 

いとうせいこう『存在しない小説』

そもそも存在しない小説とは?「存在しない作家」が書いた体で出した「存在しない小説」でも、この本はたしかにこの世に「存在している」のでは……?と思いながら読み進めていたのだが、読み進めるにつれて小説という媒体の(映像や音声が持たない)自由さに驚かされた!上も下も過去も未来もゴチャゴチャにされるような奇妙な体験は小説が得意な領域だということを再確認し、「存在しない小説」とは翻訳者、読者が「存在する小説」にふれることで初めて生まれ出るものだと感じた。小説の読み手は決して受動的ではなく、むしろ能動的に想像力を働かせる。それによって同じ文を読んでいても受け取り方が大きく異なったりするのが小説が持つ面白味だと確かめることができた。

「『存在しない小説』とは、読者に読まれることでその都度生まれ、しかし印刷されて残ることのない小説ではないか。

つまり、『存在しない作家』とは読者のことだ、と。(中略)

あらゆる作家は最初の読者として『存在しない小説』を絶えず排除する。排除しながら『存在する小説』のみを書き残す。」

またこの本には「作者」のいとうせいこう、「訳者」のいとうせいこう、「編者」のいとうせいこうが登場している。作家の「いとうせいこう」が書いた小説を「仮蜜柑三吉」なる訳者が訳し、編者の「いとうせいこう」が解説した結果、「私が書かなかった私小説」すら誕生した。はたしてそれら三者が同一人物か、あるいは私たちの知る「いとうせいこう」と同一であると言い切れるのだろうか?名前とは単なる識別のための記号に過ぎないはずなのに、同一性を期待してしまうのは何故だろう?そこもまたパラレルワールドに迷い込んだような不思議な体験だった。

内容としてはアメリカ、ペルー、マレーシア、日本、香港、クロアチアと世界のさまざまな地域を舞台とし、行ったことのないはずの地域でもありありと情景が浮かぶところに「訳者」の腕が光る。特にマレーシアに住む女子小学生とチャイナタウンの中国人のひとときの緊張感ある交流を少し背伸びした子供の視点で描く「あたし」が気に入った。

小説(文字媒体)の可能性はまだまだ開かれていると感じた一冊でした。

 

舞城王太郎『私はあなたの瞳の林檎』

誰にでもある”You are the apple of my eye”=「目に入れても痛くない」ほど愛おしい存在、時間の話。小6から中1の春休みの間だけの二人きりの時間と、それからのふたりを描く表題作、自分がやっていることは芸術なのかと思い悩む美大生と「オリジナルの芸術じゃないのにそうと思い込んで創作する」ことを「うんこサラダ」と呼ぶ才能ある同級生の出会いを描く「ほにゃららサラダ」、「この世の全てに客観的な価値や意味はないから生きていても死んでいても意味はない」と考える男子中学生と二人の女子クラスメイトが織りなす「僕が乗るべき遠くの列車」の3作通して、性の目覚めや気まぐれな女の子の心理、独占欲、自分にないものに憧れる気持ちを一人称視点で鮮やかに描いていた。特に「ほにゃららサラダ」は女子大生の一人称視点ということで本当にこちらに語りかけているかのようなテンポが心地良い。表紙の蛍光色のイメージにぴったり。

「自分の価値観を貫くか、他者に委ねるか」を問う場面が多いし、主人公の前に思わせぶりな態度で自分の価値を問いただす異性が登場したりと、全体的にちょっとセカイ系の匂いも漂う。

主人公が小学生時代の初恋を高校生になっても抱え続け、「それは本当の好きじゃない、相手なんて本当は誰でもよくて、後から特別感がついてくる」と否定される表題作、「自分の初恋を運命だと相手に認めてほしかった」女の子が登場する「僕が乗るべき遠くの列車」といい、初恋の特殊さを色々な視点から描いているのも良かった。

創作物なんて完全な無から生まれるオリジナルなんてないと思うし、言ってしまえばみんな「うんこサラダ」なんじゃないんですか??だから高槻がそうやって定義することにも価値はないと思う。

阿修羅ガール」も読まなきゃな〜。

 

王谷晶『ババヤガの夜』

ヤクザの世界に転がり込んだ暴力を生き甲斐にする女と、組長の娘の運命的でギラギラした出会い、連携、逃走!恋人にも義姉妹にも友達にも主人と従者にもならない二人だけれどそこには確かな連帯があることはわかる。

暴力でしか生きられない依子だけど暴力が蔓延っていても面子のためだけに動くヤクザの世界はさらに生きづらかった皮肉。

40年も一人の女の処女性に執着する宇多川なんて側から見れば馬鹿馬鹿しいことこの上ないんだけど、それもそいつからすれば愛(かつて愛だったもの)だって言うんだから恐ろしいよね。

柴崎政男と内樹由紀江も逃げた2人だけど、彼らも面子だけで動いたり道具扱いされたりする稼業に思うところがあったのだろうか?この2人のことは逃げた以上のことは明かされないけれどどうしてもそう思って依子と尚子にも重ね合わせてしまう。そういう風な叙述トリックが仕掛けられているからでもあるけど。この2人は今幸せだろうか?

尚子が男の格好をするようになったところに理由なんてなくて単にスカートや長髪はなんとなく性に合わないからだったけれど、その方がかえって一緒に生活していくには都合が良かった(姉弟や夫婦に見えるので)の、一連の逃走が依子と尚子を知る読者からすれば大事件だけど社会環境がガラリと変わるような規模の出来事じゃないことを思い知った。表向き型にはまった方が生きやすくて、そこにはまってさえいれば中身なんて他人は気にも留めないっていうのは痛い所突かれた。彼女らが自分自身の面従腹背さを自覚しているからこそ続けられた生活だと思う。

ヤクザの世界は女は当然ながら男も人格や権利なんて認められず組織の道具に過ぎないことを最後の柳のセリフが突きつけてくる。サバイブのために女性蔑視を内面化してしまった男も多分いるんだろう。柳はあれから故郷に帰って幸せに暮らせているだろうか。

在日コリアンへの差別、抑圧にも少し触れてるのでお?と思ったら作者は「小説版 韓国・フェミニズム・日本」にも寄稿してるのか……そっちも読むか……

 

梶尾真治『おもいでエマノン

「Dear Sister」のフェリーから海を臨む桃奈がそれっぽいと聞いて読んだ。40年以上昔の作品もあるのに全く古臭さを感じない、SFにはこういう傑作が多い。読み終わった後、エマノンはもしかしたら今もどこかで旅を続けてるかもしれないと感じる一冊だった。エマノンが出会った人のことを忘れないように、エマノンに出会った人もエマノンを忘れないんだろう。忘れたいことも忘れられないのは辛い人生なのかな。(作者も「忘れたいような辛いことが忘れられないというのが一番辛いんじゃないかと。」と言及してる)子供を産んだら記憶が引き継がれてもとの「エマノン」は完全に抜け殻みたいになるってのも、なかなか側から見ると辛い。「とまどいマクトゥーヴ」「たそがれコンタクト」「あしびきデイドリーム」にはエマノン以外にも特殊な人間が出てくるけど、その特性や能力自体に善悪はなくてただそれぞれの想いを抱えて生きているっていうのがこの作品のテイストだと思う。エマノンも何十億年もの記憶を保存してるけどあくまで人間としての一般的な感覚は失ってないし他の人間の悩みに寄り添う姿勢もあるし。「とまどいマクトゥーヴ」(1982)の神月は特殊能力ゆえに強い上昇志向とノブレスオブリージュ(に見せかけた支配思考、選民思想)を抱えていたわけだけどそういう所にちょっとDIOやカーズが脳裏をよぎった。今よりみんな上昇志向が強かった時代なんだよね。

 

大森靖子『超歌手』

まあ言いたいこと色々あるけどMetooじゃなくてInMyCaseだろってのは目からウロコでそれこそ「共感より共存だ」だし2017年時点で既に「DON’T TRUST TEENAGER」って言葉もその根っこの思想も既にあったんだって驚き。誰も他人の人生を生きられないし人それぞれの孤独があるからそこに気付くことから始めるのがこの国の現状なんですよね……あと人を傷つける人間の大半は無自覚だと思ってるから普段から自分の感覚発言行動をどれだけ自覚して実際に言葉行動にせずとも今おれはこんな感情だぞっていう面従腹背状態をどれだけ持てるかみたいなことも思う。愛が重いのは恥ずべきことではない。私が好きなアーティストは90年代〜00年代ポップス(特に女性)を敬愛してる率高いからちゃんと聴いときたいのよな。あの時代のアーティストがとにかく自由だったことはわかる。

人間はつねに均質じゃないし1秒先には全然違うこと考えてたりするの、インターネットに浸かってると忘れそうになるよね。

108の質問でこぶしファクトリーに曲提供したいって回答してるところがあってあーそれ見たかった、、ってなった。質問者もにっちやんやゆっきゅんやでか美ちゃんやシュガビンさんに吉田豪さんに知ってる人盛り沢山で嬉しい。「選挙前は天下一武道会の選手紹介みたいなノリの煽り番組つくってほしい。」それだ!!

 

岩下朋世『キャラがリアルになるとき』

「キャラ」と「キャラクター」の差異をさまざまな事例から論じる一冊。テニミュと原作の「成長」に対する向き合い方は、キャラクターと演者が二重写しになるテニミュだと「演者が『キャラ』になる過程を巻き込む」のでよりリョーマの青年期の成長物語としての側面が強調される(特に、ずっと小越さんがリョーマを演じ続けた2nd)が、原作だとリョーマの成長はテニスプレイヤーとしての成長の描写に徹し、終盤でその成長過程が(幸村との対峙で)相対化される、という比較のされ方がされてて面白かった。新テニも基本的には高校生→海外選手と新たなプレイヤーと出会ってそれまでの強さがどんどん相対化されていく過程の話なのでね……。幸村も幸村で「五感を奪われる」のはまさにそれまでの歩みが相対化されてると思うし。そこからどうやって自分のアイデンティティ(テニスのプレイスタイルとして描かれることが多い)を取り戻す、あるいは更新していくかの話、新テニは

2008年刊行の同人誌「テニスの王子様 爆笑・恐怖・激闘 完全記録」読みたすぎる。テニミュが新人キャストを集めて演じられる一方で3rdからの続投や2.5次元舞台、グランドミュージカルなどで十分経験を積んだキャストも入り混じり、さらにアニメ声優を起用することでメディア間の境界が更に曖昧になる新テニミュに関する分析も読んでみたいと思った。

電王の「イマジン」がもたらすキャラとキャラクターの多面性、これによりイマジンが主体で物語が作れることの独自性に関する分析も面白かった。

今後漫画読むときはキャラの表情やセリフだけではなく「視線」に注意して読んでみたいと思う。

 

梶尾真治『さすらいエマノン

自然に向き合う人間・文明。自然の恩恵を借りなければ生きていけないのに敬意を忘れて破壊してしまう愚かさを持つ人ばかりに見えるけど、自然を慈しみ大切にする人がいなくなったわけじゃないよね。そう思える。人間にはまだそういう可能性がある。こうした自然破壊とか人間の愚かさを描くのにSFは向いてるとは思ってたけど、それだけじゃなくて可能性も描いてるのがよかった。「いくたびザナハラード」にはメタフィクションの要素もあって驚いた。個人的には「いくたびザナハラード」で川をきれいにしてるおじいさんに感化されて子供たちも手伝うようになったところが希望の継承を感じですごく、よかったです。2020年代にもこんな可能性はまだ残っているだろうか?と思いを馳せた。

 

吉田修一『アンジュと頭獅王』

1000年経っても慈悲の尊さは変わらない。頭獅王が現代にきてからが特に面白い。100%現代と一致しているのではなく平安時代中心に他の時代も入り混じっているような世界が圧巻。文体も古典と現代文が入り混じり絶妙に声に出して読みたいリズムを作っていた。怨念を晴らすことと慈悲の両立、聖様の戒律と慈悲の葛藤で成り立つバランスも見もの。誓文のシーンは丸暗記して誦じたくなった。