消しつつ続ける(2015321)

 このブログの写真用の規定容量をオーバーしたらしい。ここからは写真をアップするたびに月々決まったお金を払い込まねばならない。で、なんとなく馬鹿らしくなって、ずっと書かずにきた。
 まあ、それなら過去の写真を消して、容量を減らせばせばいいのだと考えなおし、こうして書いている。ブログ自体は核になっているのが堀内誠一さんの写真論なので、それはいつまでも保持して続けたいのである。僕の駄文・写真はオマケ(余計な)なのだ。
 保守のためとはいえ書かずにいると、使い方も朦朧としてきて良くないし、数人は読んでくださる人もいるようなので「春分の日」でもあり、暖かくなったから蠢動し始めたわけです。

↑上野池之端『鳥栄』での「しのぶ会」はいつも通り(今回は3月14日)開催された。偶然に出席できた。亡くなって25年になる。

雨読(201484)

 思ったほどに読書ができていない。本棚がいまだに整備できていないのも原因だが、なんだか忙しいのである。街は消費、分業が徹底しているから、空き時間が多い。野菜も買えばそれまでだし、生業の仕事以外の時間はほとんどが空きだ。こっちでは今朝もトマトやナスの収穫で畑に出て、新しい耕作地も整備していかなくてはいけない。畑の整備なんかはきりがない。雑草だらけだから。これで「磯釣り」を本格的にやりだしたらタイヘンだと、余計な心配までする始末だ。おかげで野菜はこの何ヶ月、特別な物以外は買わずに済んでいる。

 島に図書館ができてから、時間はそれほどたっていない。いまは専門のひとが規模なりに整備してきて、日常ぶんの本はあることにはなっている。
 ここでも図書館は静かだ。これが人口2300人に対してですからね。大した贅沢だ。静かという点では築地警察裏の京橋図書館だって暇老人の溜まり場でしかなく、ギョッとする光景であった。
 ここは老人はあまり見ない。周囲に田もあって窓外の緑が目に優しく、休憩コーナーでは50円コーヒーも飲めるので、愛用せねば、と思う。棚をみると宮本常一全集などもあり、そろそろ雨読(いまは冷房避暑)するかと思ってはいるが。
(写真がアップロードできません。原因不明)

結界遊び(2014725)

 ちいさな、特に男の子は住居周辺に己やグループの縄張りをつくるのが好きだ。遊びだけど真剣でもあって、縄張りに無断侵入する奴をにらんだりする。逆の場合はにらまれる。大人になって考えてみると、幼少の仲間が決められた縄張りから出ないことで、安全が保たれている場合もあって、良くできた遊びともいえる。

 タルコフスキー監督の映画『ストーカー』は、結界遊びを題材にしたような傑作である。傑作である理由は遊びの真剣さを極めた点にある。結界の向こうには思いもよらない事態が待っているという遊びの約束事を共有しなければ、退屈な映画になってしまう。むろんタルコフスキーはそれだけの次元にとどまってはいないのだけど。
 島の小道も結界を示すように竹が行く手をさえぎっていた。この道の遊びには参加させてもらってない。

↑中学や役場、診療所に行くための旧道は薮に覆われ、もう途中までしか通れない。これはその入り口。ずっと登りが続いて、登り切った地点を「清水」といった。湧き水が出るのだろう。

誰が審査できる?(2013826・水戸黄門か)

 もっぱらオペラと歌舞伎を優先的に録画して、流し聞きをしている。
 NYのメトのは日本人むけに幕間に歌手やスタッフのインタビューを、舞台裏の準備中の様子を背景にして、詳しく解説してくれてうれしい(そこだけはしっかり観ている)。ウイーンのオペラ劇場の舞台を見学したことがあったが、奥行きと深さがともに50mあると聞いて仰天した。代々木のNHKホールに引っ越し公演したメトも全スタッフ800名だと聞いて、これも驚いたが。
 
 バイロイト音楽祭の『さまよえるオランダ人』をそうして流しておいたら、それが終わったらしく、番組表に記されてなかったブルックナーが聞こえてきて大儲けした。オーストリアの聖フローリアンでの記録だ。この聖堂の地下にブルックナーの棺が置かれている。
 求職中だったブルックナーがどこかのオルガニストに応募した時に、課題の演奏を審査した人々が「審査されるのは我々のほうだった」と言ったというエピソードを残し、ブクックナー熱愛者を嬉しがらせ、水戸黄門みたいだねと酒がすすむのである。
 デリケートで美しい4番だった。

もう少し(2013825・廃国?)

 「廃車」には馴染んでいるが、「廃船」はさすがに島らしく、継ぐ人のいなくなった状況の一端を物語っている。それは薄々知っているのだが、ちょっとショックだったのは、看板の新しさ、そしてパソコン文字を拡大していることだった。ついにここまで電子野郎が追いかけてきたか。生意気に長体までかけやがって・・・。そこらあたりを侵食している阿保っぽい書体だ。
 毒を海に垂れ流しつつ、又もや5輪で誤魔化そうとする一派(1964年のだって、19歳の僕は反対派だった)はこの調子で家を「廃屋」に、人を「廃人」に、国を子を産ませなくし「廃国」に追いおとす作戦なのだろう。「廃国引き取ります」か・・・。そんな嫌なことまで妄想してしまう光景であった。

かずら島(2013823・特別保護区の墓所)

 かずら島は無人島で、大山隠岐国立公園内でも特別地区として保護されている。ここが散骨の島になった。年2回のみ上陸を許されて、散骨される。特別保護区だから船着き場も設置してはならないので、簡易なそれを引っ張っていく。島は10区画に分割されており1年毎に散骨する場所を変えていく。10年たてば土に還るのだろう。この件は以前にも書いた気がするが、近影をアップする。
 
 数年以前に村にあった我が家の墓を閉じた。草むしりをしてくれた人もいなくなり、荒れるからであった。そもそも親父は生前に信貴山のそばに移したのに、村のもなぜか残してあった。これを正式に閉じるのもまた大ごとだった。
 神主をほかの地区からよんで拝んでもらい、狭い墓地に業者が機械を入れ墓所を掘り返し、骨を拾った。かつては土葬だったから骨が出るのだ。祖父の棺は桶型で、深く掘って埋めたのを、厳粛な気持で60年前に見て覚えていたが、骨は数個しか残っていなかった。そんな骨でも役場で許可を取り、焼いてもらわねばならない。そうして粉になってしまったのを大阪に持ち帰り、今度は禅宗の僧に拝んでもらって埋葬した。

 骨を拾った墓所は墓石を取り払い、セメントでふさぐ。なぜか中心部に直径10センチほどの穴があけてあった。昨年の夏に墓跡を見にいくと、その穴からユリの花が立ち上がっていた。祖父母と早世した姉のことを想ってしまう。
 大阪の墓所も遠いし、こちらにまた墓をつくる気はしない。いずれ一家全員をかずら島に移す気でいる。