翻訳と余禄

一トンの水

■ 拝名

 

 あっくんというのは五歳の男の子だ。わたしたちは、この間初めて会った。あっくんには、知らないことがある。 

 あっくんからは「大きい女の人」ということばがたびたび出てきた。最初は語尾を濁しながら、そのうち明瞭な声で。なぜ女の人にこだわるのか不可解だったが、彼が自分のお菓子をわたしに分けてくれたとき、そのことばでわたしを呼んでいたのだと気づいた。彼は、わたしの名前も「あなた」という言い方も、知らなかったのだ。 

 わたしの手を引っぱって大人だらけの食卓から引きはがそうとする彼の目を見て、わたしは言う。「わたしはね、まりこっていうの。呼んでみて」 

 

 あのときなぜ、「まりこ」が名だと教えたのだろう。もうすでに明瞭な声で発音されるようになっていた「大きい女の人」を、わたしの呼び名とすることもできたはずだ。もちろん、「大きい女の人」では彼が感じているわたしのイメージを表しきれず、わたしを他の人間から峻別しきれない。ことばは、個々人が抱くひそやかなイメージを削ぎがちだ。でも、もしわたしたちの間で「『大きい女の人』をこの人の名前としよう」と二人で取り決めたとしたら、どうだったろう。 

 まりこ、と呼ばれたときわたしの心は、急に触れられた声の指にくすぐったがった。自分があっくんのイメージのわたしとして生まれ直したように、どぎまぎした。 

 けれど「まりこ」という単語も、彼がわたしに抱くイメージを表しはしない。そもそも、生まれたときと今とではわたしはまったく違うひとだし、今後も変わり続ける。相手が変われば、わたしが誰であるかも変わる。ことばが限られたイメージしか伝え得ないのなら、個人のその人らしさなんて可変でおさまらないものを、ことばが指し得るだろうか。 

 でも、わたしはこの単語で指され得るのだ。最初は赤ん坊の肉体につけられた単語でも、これがまだ存在しない自分も含めてわたしを包括するのだということを、わたしが引き受けたから。 

 

 いつしか、ことばは名前となり、わたしとなる。そして「大きい女の人」という呼び方を退けて「まりこっていうの」と言うとき、わたしは自分自身をとび越えて、名前になりたがってさえいる。 

■ 天上を編む

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 朝おきると、ラジオをつける。わたしの部屋には長いこと時計がなかったので、携帯電話で時間をみる手間さえ惜しい朝には、ラジオをつけて耳で時間を確認していた。そのくせが、壁かけ時計がやってきてからも、まだ少し残っている。

 シカゴの公共ラジオを選び、National Public Radioの夕方のニュースを流す。アメリカは、ちょうど昨日の夕暮れ時なのだ。毎朝、昨日のアメリカから、わたしの一日は始まる。

 さまざまなニュースとインタビューの間に、けっこう頻繁に、交通情報や天気予報がはさまる。シカゴの主だった通りの名前や、今の気温を聞きながら、とおく離れた大都市を想像する。ウィスコンシンにいたときも、シカゴは遠い街だったけれど、いまはそれよりさらに、とおくとおく離れている。時間さえ、同じ時間にはいないのだ。

 

 アメリカに散らばっているそれぞれの大きな都市では、抗議のために市民が集まっている。憤りを感じたときや、ネガティブだけれど伝えなければいけないことがあるときに、それを言葉や行為にしている人々がいる。

 

― What did you take away from you experience? What recommendations did you come up with?

"Accountability. We need to do things to bridge the gap we trust. If we can share information, learn how to work together in our communities and learn to trust one another, then we can build on that."

   (Clarence Castil, the uncle Philando Castil interviewed in Newshour by BBC on July 1st 2020)

 

この経験から学んだことは何でしたか?どのようなことを人々に伝えたいと思いますか?

「きちんと説明することの責任です。わたしたちのそれぞれは異なる信条を持っていますが、その違いを埋めるために、行動をおこさなければなりません。もし、話し合えて、自分たちの共同体で共存する方法を学び、お互いを信じる姿勢を身に付けることができれば、そこから違いを越えてつながっていくことができるのです」

   (フィランド・カスティルの叔父であるクラレンスが、2020年6月1日のBBCのNewshourのインタビューにて)

 

 自分よりも大きな相手に対して、反対の意思を伝えることが、想像するほど簡単ではなく勇気がいるということに、いざ反対の声をあげるとなって気が付いた。声をあげる時、どうかこの流れを止めたいと願うその言葉には、流れを止める重しとして、自分の存在の重さがかけられているようだった。自分の信ずるところだけではく、自分自身の重さを信じ、信じようとする行為なのね。

 

 フィランド・カスティルは、2016年にヒスパニック系の警官とのトラブルで亡くなった。彼も、ミネソタ州に暮らすアフリカ系だった。彼の叔父であるクラレンスの声には、4年後の今でも、やるせなさが芯までしみ込んでいた。彼が話した「各々の信条の違い」というのは、おたがいの血肉を削るほどの違いなのだろうと、思う。アメリカで経験した、信ずる知識が食いちがっているとわかった途端に、全てをかなぐり捨てて各々の思うところにかたくなになる瞬間は、忘れがたい。自分の身一つで頑強な岩壁を割って中に入っていかなければいけないような、そんな途方のなさに、いつもなす術がなかった。そのようなところで、アフリカ系というバックグラウンドを持ち、それによる理不尽な違いに圧倒されたことがある彼が言う「各々の信条の違いを乗り越える」という言葉の意味を、わたしはどのように想像できるだろう。

……

 途方もないことが当たり前のように存在し、しかもそんなことが沢山あるのだと気づいていくと、それがこの世界の普通なのではないか、と考えたくなる。目指すべき当たり前とうたわれるものは、たどり着けない理想なのではないか、と。

 けれど、わたしはどうしてもその途方もないことを、物理学の決まり事のようには、受け入れたくはないのだ。友人と話していて、お互いの考えがどうしても交じり合わないことがあったけれど、もう一度その話が出たとき、思いがけず、わたしたちは相手の言いたいことが分かった、ということがあった。お互いに自分の思っていることを変えていなくとも、同じ泉の前で、お互いの手を取ることができたことは、救いの経験、といっていいかもしれない。わたしたちは一人の時間に、交じり合わなかったことについて、お互いに考えていたのだ。自分たちがそれぞれ、なにを考えているのかを、目の細かな網で、静かにすくって、考えをあらわす言葉はより透きとおっていった。もう一度その話をすることになるなんて、思ってもみなかったのだけれどね。

 

 「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ」

「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰おっしゃるんだわ」

「そんな神さまうその神さまだい」

「あなたの神さまうその神さまよ」

「そうじゃないよ」

「あなたの神さまってどんな神さまですか」青年は笑いながら云いました。

「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです」

「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です」

「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです」

「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります」青年はつつましく両手を組みました。女の子もちょうどその通りにしました。(……)ジョバンニはあぶなく声をあげて泣き出そうとしました。

   (宮沢賢治銀河鉄道の夜』)

 

 知ろうとすることを、考え続けることを、やめない。考えるのが恐ろしいことすらあるけれど、答えや解決が出なくてもいいから、細い糸のようでもいいから、やめてしまわない。そうすることは、途方もないことが多い中で、わたし自身を救うような気がする。そうでありたいと、泣きたいような気持ちで願う。

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「来週また来てね」と言われていた皮膚科に、3週間ぶりに行った。気さくな先生のところには、いつもたくさんの患者が集まる。今日はどちらかといえば空いていたけれど、待合室にいれば、必ずだれかのすぐ近くにいざるを得ない。杖をつき、車いすに乗っているような人々と、まだ足し算しか知らないような子どもが多く、彼らの側で待つのはためらわれた。わたしは保菌者かもしれない。わたしはマスクをしているけれど、顔を露わにしている人もいる。ソファーは諦め、入り口の前のスツールに座った。そこも、ご老人に挟まれた場所となってしまったのだけれど、頻繁に開くドアから吹き込む風で、わたしからの飛沫が吹きながされることを願って。

......

 先週の雪のおかげか、この暖冬なのにまだ桜が残っている。こんなときだけれど、桜を見ておきたくて、古墳の公園に向かった。桜が咲き始めているよ、と教えてもらった日から、しらじらと寒々しく曇った日ばかりが続いていた。白い花を枝にたたえた桜を見上げても、現実味がなくよそよそしいような感じがしていた。桜がさけば、良くも悪くもそわそわする。だが今年は、まるで違ってしまっていたのだ。

 もし、今年も桜をきれいだと思えれば、それが何か、いままでと今の断絶をつないでくれるものになるかもしれない。せっかく家も出たことだし、とことん楽しみたくて、途中でパンとお茶を買った。

 古墳の上には、芝の広場と、無料の動物園がある。わたしは、ラマの柵の向かいにある神社の石柱に腰かけた。そこからは、目の前に三本の桜の巨樹を一度に眺められた。信じられないほどの人がいた。今は何も起こっていないのではないかと錯覚する。ひっきりなしに目の前を通り過ぎる人々は、みなラマを見るのに忙しく、桜は気に留まらないようだった。斜面を駆け上がってきた風が、どうと迫ると、花びらが大気にそそがれ、あたりが白く光った。顔やひざには、やわらかいものがぶつかってきた。

 ラジオで聞くニュースは、こことは別の世界のことなのかもしれない。本を読んでいると、その中で起こっている出来事が、現実の中のどこかで起こっていることのように思えてくることがある。毎日ラジオから流れてくる話も、別の世界の話だったのかもしれない。わたしの中で、現実との境界があいまいになっていただけで。

......

 母と久しぶりに電話で話した。先週誕生日だったのに、オフィスを封鎖したために急に忙しくなり、お祝いを言いそびれたままになっていた。両親の家は、桜を楽しむにはこれ以上ない桜並木の、真ん中にある。今年はそっちの桜を見に行けなくて残念だ、というと「まだ花は残っているから、明日にでもおいでよ」と言われた。

 揺れた。次の日は日曜日で、今から準備して家を出れば、晩ごはんに十分間に合う時間に着けるはずだ。あの桜の白さを見たい。何より、母に会いたい。日々のニュースで、様々な混乱と変化を見聞きしていて、気持ちが細く細く張ってきていたのだろう。そのまま、つい返事をしそうになった。

......

 行きたいところに行くこと/行けることは、わたしの里程標だ。家の外に一人で出られず、窓辺で外の道の続く先を想像するだけだったり、電車にのってほんの隣町に行くことを怖がっていたころがあった。そこから、他県まで毎日通うようになったとき、自分で外国に行くことができると気が付いたとき、川や海の向こうにいる人に自分から会いに行ったとき、住む場所を自分で選んだとき、そうやって、ドアを開けて行きたいところにたどり着くたびに、おのれの自立と自由を誇りに思った。行先が遠いほど、出発までのスケジュールが過密なほど、自分の存在の強さというものにまで、思いがめぐった。

 わたしは、その成立時に戒厳令を排除することを選択した法のもとにいるとき、法の期待に応えたいと思う。それは同時に、個としての自由を享受する責任を突きつけられ、引き受けることのような気がする。わたしは、初めて気づいた自由の重さに耐えながら、それを自主的に制限させるほどのより大きな力に、おののいていた。

 いま、自分の自由を制限することを自分で選んでいると、それがまるで自立した行動かのように見える。もちろん理性的な判断は、より良い方向へのおい風となる。だけれどそれは、何者かによって書き換えられ得る方程式でもあるのではないだろうか。自由と自立と責任が屹立する土台は、簡単に動かされてはいけないもののはずだ。

 まるで現実味がなく日々が過ぎる中に、なにかが少しずつ溶き入れられているような気がして、そういうものも体に入れてはいけないと思いながら、マスクを消毒し、手を洗った。

 

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 もう起きなければいけないことには気づいていたけれど、何度でも目をつむる。どうにか起き上がり、目を覚ますために筋トレをしようと開いているスペースにあおむけになった。そのとき、側のポインセチアの鉢植えに手が当たり、花が終わった後のガクが飛びちり、ひとつが目の中に落ちた。

 痛みともちがう、でも目のなかの圧倒的な存在感。隙間に詰まった小石のように、わたしのまぶたを開けさせない。すぐに闇の中で洗面所まで走り、洗浄液をカップに入れ、目に当てて上を向き、眼球をぐりぐりさせながらまばたきをする。絶対に目からは出ていってほしい。ようやく目から離した洗浄カップの中には、かすかな靄以外、なにもなかった。もう一回カップを押しあて天井を仰ぐが、やはり何も出てこない。でも目の違和感もなっている。

 ポインセチアのガクが目の中でどこに行ったのかは気になるけれど、とりあえずよしとする。もう十分に目は覚めていたけれど、筋トレはした。

......

 来ているメールは少ないながら、一つひとつが面倒なものばかり。面倒を片付けながらも、さっきのガクが気になり、調べずにはおられない。

 目の中に入ったごみは、たいていは気が付かないうちに外に出ているそうだが、奥に入りこんでしまうと、違和感もないまま残ってしまうらしい。お米が目から発芽した例が書いてあった。涙で芽吹いたイネの新芽なんて、どんなにか細くやわらかく涼しげな緑だろうか。

......

 食卓でお昼を食べた流れで、そのまま食卓で続きをする。仕事が休みの同居人も、洗濯を終えてスパゲティを食べている。今日も、なにやら不穏な情報が入る。どんな備えができるかを話し、でも結局どうすればよいのかはよく分からない。

 わたしは夕方の外出の準備で、あわただしくなってきた。会話もままならない。沈黙。頭の中だけが、どんどん忙しくなり、焦ってくる。顔をパソコンから上げてみると、四枚重ねた座布団の上に座っている彼女が、腕をあげて両脇を伸ばしていた。パジャマのすそからお腹が見えている。お腹を出しながら、重ねすぎてゆらゆらする座布団の上で、リズミカルに体をゆらしている。白くて、柔らかそうなおなか。そして言った。「昨日買ってきたケーキで、おやつにしませんか」

......

 二日ぶりの外は、思っていたよりも白っぽく、そして変わらなかった。友だちと遊ぶ人たち、マスクをしていない人、歩きたばこをする人までいる。もっと閑散として張りつめているかと思っていた。家で一人で情報ばかり集めていたから、大げさに思い詰めていただけかもしれない、という考えが一瞬よぎった。でも、これはそういうものじゃないはずだ。視野が狭くなったときの悩みとは、わけが違う。空気を胸いっぱい吸って、上を見上げて目のまえが明るくなっても、解決には近づかない。

 乗り換えたターミナル駅、それから降りた駅にも、想像以上に人はいた。みな、マスクをしている以外は、なにも変わらない。頭を寄せあいながら立ち話をする人々や、近い距離のまま歩く人の流れを見ながら、不思議な感じがした。この感染は世界規模の異常事態なのではなく、これが通常状態なのではないだろうか。もし、これがここだけでしか起こっていなければ、ここが異常な事態の発生地となる。だけれど、地球上の多くの場所で同じようなことが起こっているということは、これは単なる摂理なのではないか。何も大げさに心配する必要はないという思いが、また顔をのぞかせた。

......

 町ではソーシャルディスタンスを取ることなど、無理なのだ。他の人が気にしていないのだから。容赦なく近づいてくる。お店に入れば、店内の広くはない通路で、だれかの近くにいざるを得ない。マスクをしていれば、もういいんじゃないか。家に帰ったら手を洗おう。きっとそれで大丈夫だ。

......

 スーパーに寄ると、先週末とは打って変わって、品物がきちんと並んでいた。わたしたちをもてなすかのように、整然と積まれたたくさんの野菜で、商品棚がいつもより大きく見えた。スーパーが、大量購入に備えて多めに入荷したらしい。先週は空っぽだった納豆の棚に、納豆の壁ができているのを見て、ようやく思い直した。

 やっぱりこれは、なにか変だ。

 

 

 

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 4:30に家を出なければいけない。行ったことのない自由が丘に行かなければならない。会ったことのない人と一緒に車に乗らなければいけない。つまり、なにがなんでも遅刻してはいけない。

 はっと起きる。出発までぎりぎりだけど、どうにかなる時間。と思ったら、寝ている間に時計が20分遅れていた。結局遅刻した。しかも「起きたら時計が遅れていた」なんて変な言いわけをしながら。これだったら、寝坊して遅れるほうがまだいさぎよい。

 焦って駅まで歩く間に、携帯電話が手からとび出て、道路に打ちつけられた瞬間にケースがはじけ飛んだ。道路に散らばるケースと携帯電話を拾っていると、走ってきた車の前にとび出しそうになり、クラクションを鳴らされた。寝ている間に時計が20分遅れただけなんだから、落ち着かねば。

………

 パーキングエリアで初めてのトイレ休憩。同乗している男の子の名前を間違えていたことが分かった。一人で思いちがいをしていただけでなく、彼をその名で呼び、彼本人にもその名で呼びかけていた。ああ、恥ずかしい。顔をおおってしゃがみこんでしまいそうになったが、恥ずかしさを押しやり、正直に間違えていたと白状して笑うことができた。年をとるといいことは、無神経になれることね。さっき彼はクレープを食べたいと言っていたので、クレープを買ってあげよう。

……

 トイレが終わり、その彼のところへ行くと、テーブルの上でクレープ生地をひろげ、いちごとブルーベリーをのせ生クリームを絞っていた。自分でクレープ生地を焼いて持ってきていたのだ。しかも、できあがった二つのクレープの、一つをくれた。名前を間違えたお詫びに買ってあげようと思っていたのに、逆にもらってしまった。名前のことは謝った。

……

 運転手を代わった。久しぶりの運転。初めて乗る車種。他人のマイカー。そう気づいた瞬間、目の際が脈打った。あ、今ストレスが体にかかったんだ。持ち主夫婦が二人とも後部座席に入ろうとしていたので、どちらかは助手席に来てほしいとお願いをした。旦那さんが前に来てくれることになった。

 運転席に収まった瞬間、バーやボタンの操作を教えてくれようと、旦那さんが手を伸ばした。彼は、自動追従システムについて、細かく説明をしてくれた。むしろ、それしか説明がなかった。わたしはもっと、ウインカーの出し方やサイドミラーの動かし方、座席の調整やサイドブレーキ(どちらもバーがなかった)について知りたかったのだが。

 アクセルの感触もままならないながらも、無事高速の合流がすむと、旦那さんから自動追従システムを入れたらどうかと、やわらかくも強いアドバイスが入った。これはその後、わたしが何か――車線変更やスピードアップ――するたびに、横からじわじわと迫ってきた。

 帰りの運転でも、運転手が交代したとき、すかさず自動追従について丁寧に説明をしていた。そのことを皆で笑って分かったのだが、奥さんにも自動追従をしつこく説明していたらしい。

……

 レンタルショップではなく、宿でウエアやスキー板を貸りることができた。宿主のおじいさんに、一人ずつ名前と必要なものを申告する。人の良さそうなおじいさんが、にこにことわたしの申告を書きつけ、最後にわたしが何も持っていないことを確認すると、後ろから、この旅の企画者がよく通る声でおじいさんに言った。何も持っていないかわいそうな子なので、安くしてあげてください。300円、まけてもらった。

……

 カツカレーの大盛りを頼んだ人が、いつまでも食べ終われずに、最後までゆっくりとスプーンを口に運んでいた。白いご飯とカレーが、まだらになっている。そんな彼を見ながら、この旅行の企画者である太陽のような先輩が、同情していた。大盛りなんて簡単に平らげていたのに、もう食べられなくなってきた、と。同時に、わたしにも矛先が向いた。わたしは大盛りどころか、食事の回数が減ってきていたので、先輩にうなずき返しはした。けれど、わたしたちは年が二つもちがう。わたしの食の細さも、年齢ではないような気がする。

 ゲレンデに出ていよいよ斜面を前にしたとき、先輩がふたたび、しかも今度はさらに神妙に、年齢のことを口にした。初めて聞くこの人の弱気な声は、わたしをたじろがせた。内省的な空気をはらいのけたくて、彼の年齢をわざとからかうと、わたしが一才分多く勘違いしていたようで、まだそんな年齢ではありませんー、と小学生のようにおどけてくれる。でもまた真面目な声で、でも年齢は感じるよ……と言うから、わたしはもうどうすればいいのか分からなくなってしまったのだが、その後に続いたことを聞いて、もうどうでもよくなってしまった。「だって、モテなくなったし」この先輩、もう数年前に結婚している。

……

 一緒に滑っている人が追いつくのを、途中途中でわたしたちは待っていた。そこは、ちょうど斜面が二又に分かれる場所だった。たくさんの人が、横をすり抜けていくのを眺めていると、後ろから話しかけられた。

 Excuse me. Do you know which way is more for biginners?

 まだどちらの斜面も滑ったことがなかったので、どうにも答えようがなく、じっくりとそれぞれを眺めて、わたしたちは左を勧めた。そちらには、降りたところにリフトの乗り場が集まっていたのだ。あそこまで行けば、他のコースにも行ける。もっと易しいコースがあるかもしれない。話しかけてきた彼女は、一人だった。一緒に来た友人がとても上手で、彼に自分を待たせるのが申し訳なくて、別れてすべることにしたのだそうだ。だから自分は上手くなくて......と言いながら、不安げに左のコースを見下ろす。スキー教室の一団を黙ってながめ、子供たちは上手でいいね、なんて言っている。本当に左のほうが簡単だと思うかと、念押しまでしてくる。すべり出す気配が微塵もないのでおかしくなってしまい、まだ見えないほど後ろの方にいる自分の仲間たちから気持ちがはなれ、彼女にわたしたちも一緒に行こうかと申し出た。

 ぜひ、という彼女を、先に行かせることにした。たしかに、斜面を下りはじめる姿は危なっかしげだ。わたしたちは顔を見合わせてからそろそろと後に続くと、突然、彼女のスピードが上がった。ブレーキなど一切かけずに、決してゆるやかとは言えない斜面を、不恰好な直滑降でつき進んでいく。わたしたちも全速力で追いかけるが、彼女はどんどん小さくなり、目で追いかけていた鮮やかなウェアーは、ほどなく雪の白にとけてしまった。

 斜面の下に着いても、結局彼女は見つからなかった。暖冬で人の少ないゲレンデで、わたしは次の日になっても、彼女をさがしていた。英語が聞こえたら、振りかえって彼女か確かめてしまう。けれど、決して見つからなかった。最初から彼女はいなかったと思う方が自然なほど、とけて消えてしまった。

■ 虎の経験

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 長かった準備期間が終わり、ようやく旅立っていった。残りの人たちも、明後日には無事に出国し入国することだろう。受け入れ先の声も知らない人と、大きなことを細々と連絡しあい、気まずかったり面倒だったりして、お願い事を無視し無視されながら、ようやくたどり着いた出発の日だった。
 寝不足で頭をもやの中に残してきてしまったまま、朝から気の張る書類の準備や、翻訳をする。じきに小嵐がアトリエに入ってくる。大騒ぎの中ようやく送り出し遅いお昼をとっていると、こまごまとしたお願い事や電話に交じって、大変な連絡が入った。「チケットを渡してもらっていない。橋のところにタクシーを停めて待っているから、足の速い人に渡して、走ってきてもらって」だれかに頼む余裕もなく、お箸を放り出しアトリエをとび出た。息が白く立ちのぼる昼下がり、川を走り抜けて、窓からこちらに降られる手が伸びているタクシーを見つけた。駆けよると黒ぬりの窓が下がり、中から出てきた小嵐の顔は、笑って、少し申し訳なさそうですらあった。チケットを渡しそびれたことを怒られるかと思ったけれど、ねぎらいの言葉と満面の笑顔、そしてタクシーは空港を目指すべく、高速道路に上がっていった。

 

 あまりにも眠たいので、今晩は何もせずすぐに寝ようと思っていたのに、台所に立ってしまった。ずっと立てかけていたごぼうの一本を茹で、もう一本をにんじんと一緒に炒める。茹でたごぼうは包丁の面でつぶして、ごま酢と和える。ごま油と熱がなじんでいく根菜には、おからと茶殻を合わせ、水と醤油とみりんとお砂糖を加えて、煮炒める。先週作っておいた、白菜と鶏と豆乳の汁物は、煮立つほどあたためられ、奥村陶房のお皿によそわれた。今晩食べるのは、この汁物だけにしよう。できたてのおかずがいくらあっても、わたしはたいていどれも食べない。味見をしたら保存容器に押し込み、冷蔵庫にしまう。

 

「引導を渡す」ということばを知ったのは、一休さんの本を読んでいたときだったと思う。鯉を食べるということになったとき、わたしはあれっと思い読み返した。お坊さんは、生きものを食べてはいけなかったはず。しかし何度読みなおしても、和尚さんは鯉を食べようとしている。そのとき、和尚さんは鯉をまな板の上に乗せ、引導を渡した。殺生を禁じられている僧侶でも、引導を渡せば動物を食べられるらしい。生きものを食べないはずのお坊さんと、僧侶には食べられるはずのない鯉。その約束を軽々と超え、生きものどうしの関係性を簡単にリセットした「引導」に、わたしはひかれた。子供向けの本に書いてある、和尚さんが引導を渡すわずかばかりのシーンを参考に、母の料理に割って入っては、料理途中の台所で引導を渡した。

 

 興味本位で始めてみた菜食を終えて、久しぶりに肉を口にしたときの感覚が忘れられない。弾力のある繊維を歯で噛みきったとき、自分のふくらはぎを食べているような錯覚をした。これは、まぎれもなく生きものだ。そのうち、野菜まで気味が悪くなった。放っておくと芽が出たり、芳醇な香りを部屋中いっぱいに振りまいたり、植物の生命力を感じるほど、食べるのが怖くなる。

 

理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直ぐに死を想うた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎として最初の経験であった。

   中島敦山月記』)

 

 自分の命が、他者の命の総体であることに、今さらながらおののいたのだった。他のものを殺さずにはいられない。そこまでの存在に、自分は価しているだろうか。その問いへの答えによっては、肉も何も食べたくなくなってしまう。だけれど、肉体としてのわたしは食べ物を欲する。食べる後ろめたさと、栄養バランスが崩れる心配のはざまで、和尚さんに食べられた鯉を思い出した。引導を渡せば、食べられるかもしれない。

 

 自信を失っていたり、疲れ切っていたり、生命の執着力が弱まっているときにこそ、料理をしたくなる。他者の破壊と分解、新しいものの創造、そして自分の生命の存続を図り保障する料理という行為そのものが、自分が生きていることを実感させるような気がする。生きるために食べるのではなく、他者の命を食べることを自分に許すことによって、逆説的に自分の生が肯定されるのかもしれない。料理はわたしにとっての「引導」なのだろうか。いやきっと違う。引導を渡さないまま、それでも食べることで、他者の命がわたしを生かす。

 

 ぎりぎりまで紛糾した出発の準備に、何か取りこぼしがあるのではと不安だった。渡航の最初のかなめであるチケットを渡しわすれたことで、やっぱり至らないのだ、と早合点してしまった。自分が役立たずなのではないかという不安が、遠くからオスマン帝国軍の行進曲のように響いてくる。不安がわたしを料理に駆らせる。

 だけど、私たちのが誰であるかを決めるのは、自分よりも、いま向き合っている相手であったりする。チケットを受けとり走り去るタクシーから、もう一瞬だけ見えた笑顔。そのときに感じた、空にも手がとどくかと思うような晴れ晴れとした安堵も、やはり栄養に違いない。「無事に渡航できました」という感謝のメッセージや、これまでの渡航の準備を、やっとの思いではあっても、やりきったという事実を、わたしの背骨の中に、大事にしまっていければいいのに、と思う。中身の詰まった背骨に支えられたら、どんなにかしっかり立っていられるだろう。それでもわたしは、自分のやってきたことに、氷上に運動靴で立っているようなおぼつかなさを感じるのだ。一瞬、あの笑顔が脳裏に浮かんだ。きっと今晩も、また料理をするだろう。

■ 地下水脈の音

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 毎日毎日、かなしい。

 なぜ何がかなしいのか分からないのだけれど、強いて考えてみると、生きていることがかなしい、としか言いようのない芯が胸のなかにある。からからに乾いた海綿のように、握ったらつぶれて肌を傷つけそうな、きれいなわけではないのに扱いに気を付けなければいけない、やっかいな芯だ。なぜ乾いてしまったのだろう。この間までは、たっぷりの水分を含んでいたはずなのに。ここからエネルギーがしたたっていたのに。

 

 夜、かなしさから逃れたくて枕に顔をうずめ体をまるめる。朝起きると、まるで長いまばたきをしていただけのように何も変わらないまま、まだかなしいのだ。泣きそうになりながら身支度をして、下を向いてしまう顔をどうにか前を向かせ、歩いていく。

 

 母の思い出話にでてくる幼いわたしは、どれも笑ってしまうほど機嫌がいい。にこにこしているどころではなく、でたらめの歌を歌い、踊り、空想をおしゃべりし、そしてとびっきり楽しいことが終わってしまった後でも、いつも次を楽しみにしている。泣き方が激しく癇癪持ちだったとも聞いたことがあるので、いつでもご機嫌だったはずではないと思うけれど、成長し年齢を重ねるにつれて、落ち込みやすくなっているのは確かだ。

    ちなみに弟は、大学に入るまでは本当にいつも機嫌がわるく、やるせない何かにいつも怒っていたけれど、大人になってすっかり落ち着いた人になっている。わたしたち姉弟は、似ていないどころか、全てが正反対だ。わたしたちにとっては、違っていることが姉弟の証になる。

    わたしは、小さい頃の借りを取り立てられているかのように、悲観的でアイロニーになってしまった。

 

 好きな人が夜に電話をかけてくれたとき、はじめのうちは今週考えていたことや出来事などを話しているのだけれど、そのうち、わたしはどうしても我慢ができなくなって、かなしい、と言ってしまった。一人ノートに言葉を落とすように、ぽつぽつとこのかなしみやその理由を話すと、電話の向こうで十分な沈黙のあと、あんまりにも真っ当な悩みだから、なんとも答えられないな、とやっと重々しく返ってきた。真っ当な悩みかな、とわたしのほうが少し笑ってしまう。だれもが持ち得る悩みらしい悩みだ、とやはり大真面目に評してくれたあと、何かやっていることが形で残れば、後々それが証明となって支えてくれるかもね、としごく実際的なこたえもくれた。わたしは落ち込みやすいので、こんな風な向かう先のないわたしの吐露を、今までも幾度もこの人は聞いているけれど、この人は、こうやっていつもわたしの真正面にしっかりと立ち、わたしがどんなに風を吹かせようとも、よけずに受け止めてくれる。

 

 朝でも夜でも、かなしみが満ちてきたときは英単語帳のページや、英語講座のラジオを取りだす。リュックを使っていることもあり、かばんからそういうものを取り出すのは少し面倒だ。だからこそ、わざわざえいやと気合を入れなおして、かばんから掬いだす。そういう手順が、人の気持ちがちがう場所に歩をすすめるのを、後押ししてくれる。信仰にも似ている。祈りや祭という行動やその手順が、人々の心の中に神さまの輪郭を描き、神さまが誕生する。

    わたしにとって英語の知識を頭に入れることは、なぜだか強烈な鎮静剤なのだ。普段から英語の勉強に真面目になりきれていないから、時たま勉強するときはせめて何ももらさないようにしたいと思っているのも関係しているだろうし、何より、生きていってもよいかもしれないとなんだか思わせてくれる。好きな人に電話でそう言ったとき、語学を知っているのは必ず役に立つものね、と言っていた。わたしは、わたしが英語を役立てる日は来るのかな、なんて皮肉を言ったけれど、もしかしたら確かに、英語の知識をたくわえることは未来への準備であると、わたしも体のどこかで思っているのかもしれない。未来への信仰と祈りが、外国語の勉強に込められている。

 

 かなしみに足を取られている場合ではないから、それを忘れるようにして何かに走っていければいいのだけれど、まだ体の奥から、不穏な脈打ちがかすかな波動を送ってくる。でも、その脈打ちすらも今のわたしだ。わたしはこれから、自分の奥で脈打つ地下水脈の響きに、耳を澄ましていきたいと思う。

 

<Photo: Eiki Mizutani>