読書バア

presented by NPO法人読書普及協会リジチョー。

【身棚】読書÷利き目のカクテル

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あら、いらっしゃい。

 

ねえ、なんで今私のこと、左目で視たの?

 

ううん、何でもない。

 

落ち着くから、左奥のカウンターにどうぞ。

 

 

 

 

 

まずは『#読書利き目割り』のカクテルはいかが?

 

う〜ん、利き目に関する良書がまだないから、たしかな利き手の一冊を貸してあげる。

 

よかったら、用意するまでちょっと読んでて。

 

▼ほんのすすめ▼

『左対右きき手大研究』

 

 

 

このカクテル飲むとね、#眼の所作 が綺麗になるから、

 

・話していて落ち着く

・あっという間に時間が経っちゃう

・まえにもあったことがある氣がする

 

とか人に云われる機会が多くなるかもしれない。

 

 

 

 

 

でも、それよいことなんだからね。

 

だって、人との#ラポール(信頼)関係 が築けている証拠だもん。

 

ラポール関係は大概、#目の使い方 によって築かれるの。

 

 

 

 

 

そうねえ、もしおいしく酔えたら、今度はこんなお友だちも連れてきてあげて。

 

・先生になりたい友だち

・プロのコーチになりたい友だち

・プロのコンサルタントになりたい友だち

 

要は、先生って呼ばれたい人たちね。

 

 

 

 

昔の先生は教師にしろ、医者にしろ、お金をそんなに頂戴しないという姿勢があったからこそ、「先生」と呼ばれ、皆から慕われたのに、今は西欧化した野暮な先生が増えた。

 

目の使い方がすごく支配的なの。

 

目の生々しさが厭よ。

 

 

 

 

 

最近、日本では猿がお腹を空かせて、山から降りてきて、人に噛みつく事件が増えたでしょう。

 

でも大概、猿って噛みつくまえに、人と目をあわせてるの。

 

で、相手に目ヂカラで勝ったとおもったら、猿は噛みつきにいくのね。

 

 

 

 

 

 

つまり、野生で目をあわせるということは、相手との優劣関係を決めるということ。

 

そんな目に頼っちゃ、ダメよ。

 

人生濁るじゃない。

 

よく相手の目をあわせて話しなさいと学校で教わったけど、あれなんて完全に西欧化されたもので、もともと日本の文化は目の生々しさを厭がり、目を信用してなかったんだから。

 

 

 

 

 

だから、日本人は肚を重視したの。

 

それがわかる先生が減っちゃったのが、寂しいわね。

 

猿と変わらない目の先生ばかり。

 

 

 

 

 

でも、#目の所作 が綺麗な先生が増えれば、この国もまだ捨てたもんじゃないか。

 

 

 

 

 

お待たせ。

 

はい、どうぞ。

 

『#読書利き目割り』

 

まずそうな名前とか云わないで。

 

 

 

 

 

今宵のおつまみはこんな感じ。

 

ちいさめな三種盛りにしておくね。

 

【おつまみ】

1、猫読み

2、右読み

3、左読み

 

どうぞ、めしあがれ。

 

 

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1、猫読み

 

おいしい?

 

よかった。この前いらしたお坊さんも、氣にいってくれたの。

 

 

 

 

 

「おまえの目はいくつあるか?」

 

って突然訊くから、

 

「ふたつです」

 

ってこたえたら、

 

「それがわかればよろしい」

 

って云うんだよ。

 

 

 

 

 

禅っておもしろいわね。

 

当たり前のことを当たり前に視ることを重視しているのかしら?

 

でも、それってとっても大変そう。

 

だって、人生なんて夢のまた夢じゃない。

 

当たり前のことなんてあるのかな?

 

 

 

 

 

で、身体に一対ずつあるものって、なあんだ?

 

 

 

 

 

うん、目・手足。

 

あと耳とか脳とか。

 

肺とかの内臓もそうだよね。

 

でね、そのほとんどにには「利き」という左右差が見られるの。

 

 

 

 

 

なんでそんな差異が生まれたのか。

 

有力な説として、人が言語でコミュニケーションをとるようになったからというのがあるけれど、正直わからない。

 

話せば話すほど左脳が刺激を受け、またその左脳が右半身に集注していくという右利きループが生まれるのは、理屈ではわかるんだけど。

 

ちょっとね。

 

 

 

 

 

ちなみに、さっきの手足・目・耳、そして肺には全て「利き」があるのよ。

 

うん、利き肺ってあるんだから。

 

意外かしら?

 

左右どちらの肺がより多くの呼吸をしているのかで、身体の捻転運動のしやすい方向が変わってきたりするの。

 

 

 

 

話を元に戻しましょう。

 

 

 

 

太古、海底に潜んでいるウナギのような生物が上部からの光を感じたいがために、脳をわざわざ表沙汰にしたのが目のはじまり。

 

だから、その意味で目は脳が唯一露出している場所でもあるし、私も君も光そのものってことね。

 

 

 

 

 

 

目は、光を純粋に視ている限り、澄んでいく。

 

でも、三脳生物の人はそこにどうしても解釈をつけてしまうじゃない。

 

だから、今手にとっていてくれてる本もそうなんだけれど、まず猫の目になったつもりで、本を眺めて欲しいんだよね。

 

 

 

 

 

感情や理性をはさまずに。

 

光をあるべきように視る。

 

これって、とっても大事。

 

 

 

 

 

本は情報いぜんに、光なの。

 

猫になったつもりで、本に光を視てみてね。

 

まずは目で光にやさしく触れないと。

 

 

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2、右読み

 

次のおつまみは右読みね。

 

食べてみて、一時的に利き目が右になるから。

 

もっとも日本人の8割が利き目右だし、読書家の95%が右利きで読んでるらしいから、そんなに変化はないかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 

利き目が右の人は、言葉で論理的に考えるのが好きな人たち。

 

目の奥で視神経の大半は交差しているから、右目と左脳は仲良しなのね。

 

仲良しというより、左脳そのものか。

 

だから、ステップバイステップになっていく。

 

 

 

 

 

レッスン1が終わったら、レッスン2がはじまる学校教育みたいに。

 

逆に、不登校児の多くは利き目左の子が多いの。

 

その子のせいじゃない。

 

先生の怠慢のせい。

 

はやく氣がついてあげて。

 

光り輝くべき才能を埋めるシステムが日本にはできあがっているから、先生がそれを守ってあげないとね。

 

 

 

 

 

で、右読みは本を論理的に進めていくので、遅読に適してるの。

 

分厚くて容易でない本を速読なんてしても、それはただの背伸びでしょう。

 

だから、じっくり読みたいときは本を右目で読んであげる。

 

というより、論理的にきちんと読めているときは、本でもスマホでも、無意識に右目のまえにそれを持っていってるとおもうよ。

 

 

 

 

 

でね、読書で右目の使い方憶えたら、同じ目の感覚で、大切な人の目を視てあげて。

 

さっき云った支配感覚や生々しさをやさしく包んでくれるから。

 

相手の息がゆっくりになって、傍らにいてくれるだけで安心といったコミュニケーションに発展していきやすいから。

 

原則は自分の利き目と相手の利き目をやさしくあわせること。

 

 

 

 

光、ひともほんも。

 

情報、ひともほんも。

 

 

 

 

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3、左読み

 

最後は左読みをめしあがれ。

 

ひとつ次元をあげるから、思考に頼ってちゃ、消化不良になっちゃうからね。

 

もっと呑んで、酔って、非合理を愉しまないと。

 

 

 

 

左読みというのは、本のイメージを食べるということ。

 

左目自身がほぼ右脳だからできることなのかもしれないわね。

 

 

 

 

ねえ、スピリチュアル好き?

 

じゃあ、それっていつからはじまったのか織ってる?

 

その元祖とも云われているのがグルジェフで、ロシア語訳を経たりしているから、右読みだと易しくはない本ばかりだけれど、#21世紀末以降も残したい21000冊 に間違いなく入るから、いつか出逢って欲しいなぁ。

 

そのグルジェフがね、人には3種類食べ物があるって云ってるの。

 

 

 

 

 

 

ひとつは文字通り、食べ物。

 

数日間食べないと、生きていくのが簡単ではないようなやつ。

 

 

ふたつめは空氣。

 

数分間食べないと、苦しい類のもの。

 

 

そして、みっつめが#impression ということで面影。

 

おもしろいことに、グルジェフはこの面影を食べないと、人は即死すると云ってるの。

 

 

 

 

 

左読みはまさに本の面影を食すことよ。

 

右脳教育とかがキーワードになっている動画で、子どもがパラパラパラパラっと本をめくっただけで、内容がわかったというの観たことないかな?

 

あれも左読みによる速読なの。

 

だって字面じゃなくて、絵が浮かんでくるんだもん。

 

 

 

 

 

あのね、利き目が左というのは、ゴールの絵を視られるということ。

 

そこまでのプロセスはわからないけれど、イメージでその未来の到来までをも今ここで経験できるのよ、人って、ふつーに。

 

やや究極的な話にはなっちゃうけれどね。

 

 

 

 

 

でも、これ日本人が苦手なのよね。

 

う〜ん、目のまえの論理や努力に逃げちゃうからかしら。

 

利き目右のひとが利き目左にしたい場合も同じで、左目に力いれようとしちゃうのよね。

 

 

 

 

 

そうではなくて、右目の出力を抜いてあげる感じかなあ。

 

だって世の中って、引き算感覚で等しく馴染んでいるじゃない。

 

だから、力を抜いてあげる。

 

 

 

 

 

何者かになろうとせず、今のあるがままを信じて。

 

脳も左右を選ばず、あいだの間脳だけが働いていると、あるべき物語って動きだすんだけどな。

 

あいだの話はまた別の晩にね。

 

 

 

 

 

えっと、目があるが故に、真理が見えない。

 

だから視覚から脱獄する必要があるんだけど、それには読書ってよい稽古になるとおもうの。

 

猫の目で光を照らし、右読みで論理を味わい、左読みで面影を食せるのだから。

 

 

 

 

 

 

終電おわっちゃうね。

 

一目惚れはいつも横顔。

 

チラ見で、大概のことがわかるような読書方法を一緒にしていきたいね。

 

 

 

 

 

おやすみなさい。

 

 

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私ね、よい本とか情報をみんなに無料でシェアしていくって陰徳だとおもってるの。

 

だから、私たちは死んでいるかもしれないけれど、もし21世紀末以降にも残したい本があったら、ぜひハッシュタグつけて、教えてね。

 

#21000booksproject

 

きっとだよ。

 

 

 

 

NPO法人読書普及協会 三代目リジチョー。拝

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