フェリーでおじさん(48)に「しゃぶらせて」と言われた話

※下ネタ注意

 

 

 

 

あれはそう、北海道胆振東部地震が起きた日のことだ。当時僕は大学三年生であった。

 

その日飛行機で札幌から仙台へ帰る予定だった僕は、友人の機転により急遽フェリー場へ行き、なんとかその日の仙台行きの便に乗れることになった。

 

10時間という長い待ち時間であったが、現金も少ない。心許ないスナック菓子を食い、残り少ないタバコを吸いながら、フェリーに乗るのを待っていた。

 

まさか地震が来るとも思っておらず朝シャンを想定して風呂にも入っていなかったため体は不快感でいっぱい。

 

いざフェリーに乗り込んでも現金がなく飯にも新しいタバコの箱にもありつけない僕は珍しく19時という早い時間に寝付いてしまった。これがいけなかった。

 

早めの就寝により夜中の3時に起きてしまった僕は、不快感を拭えなかったためリフレッシュのために、残しておいたタバコを手に喫煙所へ向かった。それもいけなかった。

 

徐にタバコを吸い始め、一本目を吸い終わるくらいの頃、車椅子に乗ったおじさん(以下、「マトリックス」とする)が同僚に車椅子を押されながら僕の目の前の灰皿に陣取り、声をかけてきた。

 

「兄ちゃん、これいらない?」

 

そう言った手にはストロングゼロが握られていた。

聞けばもうすでに酒を6缶ほど開けており余ったものだという。

 

「じゃあ頂きます」

 

酒が飲める機会をみすみす逃すわけにはいかない。僕はそのストロングゼロの口をすぐさま開け、口に含んだ。

 

ストロングゼロとはいえ、お酒(もの、とルビを振るのが正しいが)をもらった以上、世間話だろうと面白くない会社の愚痴だろうと聞かなければならないだろう、そう思い、マトリックスと会話を始めたのだ。

 

深夜3時、フェリーの喫煙所。

話す中でマトリックスの年齢(48歳)、職業、車椅子を押していた同僚は歳上かつ部下であること、それと出張で北海道へときていたことがわかった。

お疲れ様です、という気持ちで話を聞き、周りを見れば誰もいない。

は?さっきまでいたのになんで?(恐らく深夜4時を回っていたからである)

 

それでもまだ残るストロングゼロを片手に、僕はマトリックスの話を聞いてきた。

 

会話が途切れたタイミングで、彼は言った。

 

「兄ちゃん、しゃぶらせてくれない?」

 

 

??

 

???????

 

会話の端々で「可愛いね」と、言われてたためそれほど急でもないのだが、流石に驚いた。

 

(ハッテン場だとでも、思っているのか?)

 

ストロングゼロで軽く酔っていたのもいけなかった。

 

「いやー、風呂入ってないので、汚いですよ」

 

などと言い、明確な断り方をしなかったのである。海上では友人にラインで状況説明をすることもままならず、喫煙所に僕の貞操を狙うマトリックスと2人きり。

 

電波の繋がらない海上、逃げ場のない喫煙所、危ないぜ俺の貞操、なのに働かないぜ俺の脳。

 

一応同性愛者の方なのか確認をとったところ、そのような気は無いと言う。

なるほど?

そのような経験もないらしく、僕が初めてだとも言っていた。

なるほど????

 

(ここで一言添えておくが、同性愛者に対する差別的意識は特にはない。ただこの「フェリーの喫煙所で見ず知らずの大学生にそのようなことをお願いする」という行為に対して、ある種の尊敬の念を持っただけである)

 

「いやー、厳しいですねー」

ふわふわした頭ではまともに断る言葉もできず、それどころか

(フェリーじゃなくて、フェ●ーってか)

などと考えていた。末期である。

 

「いいじゃん」

「いやー」

聞けばこのマトリックス、1人部屋ないし同僚と2人部屋というわけでもなく、4人部屋で寝るらしい。

その4人部屋の内の一つのベッドで…?

異性なら百歩、いや、万歩譲ってまだしも…

俺…?

 

「しゃぶらせてよ」

「いやー、風呂入ってないので厳しいですね〜」

「じゃあ一緒に入ろう」

「タオルないんですよね〜」

 

依然として頭は働かず喫煙所で繰り返すイタチごっこ

なかなか面白い人だな(話がではなく)と思いつつ話し続けていた僕もそろそろ辛くなってきた。

 

「あ、そういえば同僚の方どこ行ったんですかね?」

「そんなことどうでもいいから、」

「探してきますね〜」

「そうやって逃げるんでしょ」

 

メンヘラか?

 

「いや、戻ってくるので待っててください」

 

そこで部屋に戻れば良かったのだが、律儀にマトリックスの同僚を探し、連れ帰ってもらうため喫煙所に戻る気満々であった。

 

さまざまな机を探し回り漸く見つけたマトリックスの同僚はホールの二階で椅子を3個も使い眠っていた。

 

「あの、すいません」

「……あ?」

こちらが「あ?」である、とは思いながらもそこは冷静に、冷静に、

「連れの方が喫煙所にまだいらっしゃるんですけど、だいぶ酔ってらっしゃるので部屋に連れて帰っていただけませんか」

「知らない知らない」

 

そう言って彼はもう一度眠りにつこうとしていた。

流石に草と思った僕はその人と話すことをやめ、喫煙所に戻りマトリックスに同僚の居場所を伝えた。

 

腰が悪いマトリックスの車椅子を押して階段の下に止め、歩いて階段の上にいる彼の同僚の所へと連れて行った。

途端、

ガンッという音とともに同僚の頭がのっている椅子を蹴ったのだ。

腰が悪いんじゃなかったのか?

その疑問と共に遂に、うわ、怖、という感情が芽生えた僕はそのまま退散。一度部屋に戻り、マトリックスと鉢合わせる危機感に怯えながらも大浴場へと入った。

 

脱衣所にある扇風機は存外体を乾かすのに役立った。タオルなんていらなかったのである。

 

その後部屋に戻り、すぐさま寝た僕は

朝になると同時に寝る前のことを思い出し、ビクビクしながらフェリーの到着を待った。

 

到着とともに乗客は続々と部屋を出て行く。

 

まだ、まだだ。

 

マトリックスと、マトリックスの同僚と鉢合わせないよう、僕はギリギリまで部屋を出ないように座っていた。

 

漸く外に出て、降りた仙台港には既に後輩による迎えの車が停まっていた。

なんとか事なきを得た僕はそのまま笑い話としてマトリックスの話を後輩にして感情の整理をしたのであった。

 

マトリックスの「はじめて」を貰ってあげられなかったことは大変心苦しいが、フェリーを降りた彼がどこかで「はじめて」を貰ってくれる誰かに出会っていることを願う。

 

「フェリーじゃなくて、フェ●ーってか」

は我ながら上手いと思っているし、その表現を与えてくれ、滅多にない経験をさせてくれたマトリックスに感謝はしないまでも会釈ぐらいはしたいという気持ちである。