中高年もまだなんかやってみたい
またひとり辞めた。
入ってまだ半年ぐらいだった。
職業訓練所に行くんだって。
明るくて、よく声が通って、よく動いてくれるひとだった。
私のことを、職場の唯一の癒し系でほっとできるひとでしたって言ってくれた。
まあね、我の強いひとが多い職場だからw
あとから聞いた話じゃ、37歳だって。
思ってたより若かった。
あまり個人的な話はしたくなかったから、いくつ?とか、結婚してるの?お子さんは?とかは尋ねなかった。
そういうことは、世間話好きなひとたちがネホリハホリ聞いてたろうからw
37歳。
そういえば思うところのある年齢だ。
私が離婚したのがこの歳だった。
小学生低学年の長女と幼稚園児の次女を連れ、実家に戻ってきた年齢だ。
この頃、今の職場で働き始めていた。
37歳。
もう若くもない、夢も希望もそんなに持てない、現実に子どもふたりを育てなければならない、年老いて行く母親の面倒もみなければならない。
その一心でここまで生きながらえてきた。この職場にしがみついてきた。
病みながら、自分には向いてないと感じながら。
そして今ふと思う。
37歳ってまだ若かったよね?
辞めた彼女みたいに、職業訓練所行って、技能を身につけるとか、全然アリだったよね?
そういえば少し、パソコンの講座とか中国語講座とか受けたけど、どうせ仕事には繋がらないと思って、途中であきらめちゃってた。
あれもったいなかったな〜。
ちょっとずつでも、細々とでも、ずっと続けてたらなんかしら身についていたかも。それを活かせる仕事もなんかしらあったかも。
歳のせいにしたり、今更こんなことやったって、就職とかできないよって。
あきらめる理由ばっかり探してたのかも。
もう遅いけど。
・・・いや、まだ遅くない。
あの頃よりかは選択肢は狭まったかもしれないけど、まだなにもかもあきらめるには早すぎる。
だって、今またあきらめたら、10年後ぐらいに、あの時アレをやっていたら今頃・・・なんて、また言ってそう。
だから今からでもなにか始めよう。
くすぶってるものが、まだ体の裡にあるのなら。
いつだって、今が1番若い!
なんか中高年向けのサプリかなんかのCMみたい。
頭ぐちゃぐちゃという修行
よく陥るのですが。
頭がぐちゃぐちゃで、なにをするにも集中できない。気持ちの整理がつかなく、なにも手につかない。
起きた事象、自分の心情、入り交じって、どう捉えていいのかわからない。
相手(お客様やほかの従業員)はどう感じているのか、あの時わたしはどうすべきだったか、あの対処法でよかったのか、そもそもわたしはどうしたいのか。
なにもかもわからなくなって、もともとあまり持ち合わせていない自信がますますなくなり、仕事も逃げの姿勢、これじゃわたし全く役に立ってないじゃないか、影で色々言われてるんじゃないか、などの被害妄想が胸に広がっていき、尚のこと積極的に仕事ができなくなって行きます。
ひどくすると、その場から動けなくなってしまう。
家庭でも経済的な不安や、子どもたちの心配や、やるべきこと、考えなきゃいけないことがたくさんあって、もうなにがなんだかわからん中で、ただ毎日追われ続ける日々。
あれ?これ病気?
日陰に生きるという修行
なんか詩のようなものができたので書いておこう。
いつもどおり
人よりちょっとだけ少なく電話に出て
人よりちょっとだけ少なくバタバタして
でもムダにバタバタしたりして
人よりちょっとだけ多く重い荷物を運んで
人よりちょっとだけ長くお客さんにお付き合いして
ちょっとだけ不満を漏らしてみたり
人の見ていないところでがんばったり
人の見ていないところで具合悪かったり
時々ちょっとだけサボってみたりする
昼には車の中でちょっとだけほっとして
人が気づかないちょっとした気配りをしたり
人に助けてもらったり
人に教えてあげたり
いつもどおりおつかれさまとあいさつをして
なるほどこれがわたしのいつもどおりか
今日はいい日だったな
(///ω///)
。。。なんか年末、店長に
「あなたは人と動きが違う。気をつけて」
と言われたのがずっと引っかかっていて。
チームワークが苦手、そもそも人が苦手で、まあそれでも長くここで働いて、だいぶ人間になってきたと思ってたけど。
でもやっぱりスタンドプレーのほうが得意なもので、そういうとこを言ってんのかと。
仕事してないわけじゃないんだけどな。
苦手なとこ避け気味な分、ほかのところでカバーしてるつもりだけど。
仕事に対して消極的だと思われてるかもしれないすね。
言い訳はしなかったけど。実際そういうとこあるのはわかってるし。でも体が動かない。
年明けからずっと、
時々出るめまいがしてて、
月半ばに数日休んでしまって。
ああ、あの一言が原因か、と
今更気づいたので覚え書きしときました。
弱い自分がいやだ
(´;ω;`)
平等ってナアニ?という修行
やはり仕事の愚痴が多くなってしまいがちな毎日なのです。
気分の落ち込みが定期的にやってきます。
今はだいぶいい方ですが。いつまたどよ〜んとした気分が降りてくるか分かりません。
恐怖です。でも今日もなんとか生きて行きます。
前の店長はエコヒイキ全開の人で、自分の気に入った従業員さんばかり優遇していました。
わたしは権力に逆らいがちな体質なので嫌われておりましたww
そんな彼も異動になり、次来た店長は平等主義!
イイゾイイゾ、モットヤレ!!
最初は期待もしましたが、どうやら様子がおかしい。
本部の部長からの指示もあったかもですが、
「全ての業務を全ての人がやれるようになれ」
というお触れが出ました。
まあいままでもうちの店はそういう方針ではありましたが、言うても、各人担当の仕事があって、忙しければお互い助け合う、という感じでやってきたのです。
が、それが徹底して全部やれ、となりました。
レジ係だ、商品担当だ、事務だ、商品補充係だ、関係ない。
男女の違い、得手不得手関係なく全部やれ、と。
わたしは清掃と商品の補充、レジ業務が仕事だったのですが、
今では掃除して、レジに入り、担当商品の発注、売り場管理、商品補充、電話が鳴ればそれを取り、サービスカウンター業務もし、レジに応援、積み込み応援、、、、、
できようができまいが、わかろうがわかるまいが、何一つまともな教育もされず、とにかくやれーーーーーー!!
そんで時給は今まで通り。
無理!!
そもそも、みんな得意不得意あるし、みんな違ってみんないい。のだし、お互い足りない部分を補い合う、そういう平等にして欲しかった。。
不得意分野はちょっとずつ慣れていってね〜
みたいな配慮が欲しかった。
前からのやり方でうまく行っている部分もあるのだから、何もかも俺流に書き換えないで欲しい。
しかも今なにひとつうまく行ってないしw
今までうまく行ってない部分を改善しましょう!
でいいと思う。
あいつ(店長)はフルーツバスケット‼️
を多用しすぎる!!
うわあああ〜〜〜〜〜!!!!!!!
っていつも現場は大混乱ですよ、
まったく。
ん?
フルーツバスケットって全国区?
浦島太郎のような気分を味わう修行
お久しぶりです。
あれ?何年ぶり?4年ぶり?ꉂꉂ(´▽`)
とりあえず近況。
長女おこめは都会の美大生となるべく、出奔しました。
次女うるちは起立性調節障害を今も抱え、専門学校に通っています。
ゆるい学校で、その上好きなことができるということで、そちらに進学しました。
成長と共に体力もぼちぼちついてきたこともあり、どうにか通えています。
実母(ばあちゃん)はコロナ禍にも負けず相変わらず元気です笑
わたしはと言えば、老体にむち打ち、相変わらず小売業で働いています😅
あ、猫ちゃん増えました!
白黒ハチワレのちょっとおバカなムキムキのかわいい男の子が。
久しぶりに過去の日記を読んでみて、小っ恥ずかしかしい思いをしているのですが、当時こんなこと考えてたんや〜と思い出すことも多々あり、特にうるちの病気のこととか、自分で書いといて涙ぐんでしまったりして、とりあえずこの続きでぼちぼちまた書いていこうかな、、と考えております。
ブログっていいですねえ。
私の場合、特に誰かに向けて発信しているわけでもなく、独りごちているだけで、誰も読んでくれなくてもいいや、でもなんかモヤモヤするぞ、とかこれはなにか形にしたいぞ、という時に残しておきたい気持ちになって書いています。
覚え書きみたいなもんですね。
今回もたまたまそんな感じでなんとなく再開したのですが、これほんといいですねえ。
仕事の休憩時間にほかの従業員さんと離れて、車の中でひとり何日かかけて書いているんですが、なんというか、気持ちが整理されていくというか。
誰も見てくれなくていい、とは言っても、数人かの目にはつくでしょうから、言葉を選びながら書いて行くのですが、そういう作業もいい。
気持ちと頭の両方整理されて、すっきりしてきます。
ここ数日、自分を客観的に見れるようになってきました。
最近ずっとモヤモヤして 、集中力が全くなかったものですから。
まあ主に仕事関係のモヤモヤなんですけどね
( ๑´࿀`๑)=3
あと思うようにいかない現実と。
なんとかしなきゃ、どうすればいい?いやでも今はできないよ、でもそんなこと言ってたらいつまでたっても。。。
みたいなね。
そんな中でもやらなきゃいけないことは目の前に迫ってきますしね。
もう頭の中しっちゃかめっちゃかですわ。
ああ思い返したらまたモヤってきた。。。(´•ω•`)
これからそんなモヤモヤを少しずつここに書いて行こうかな。
ぐちゃぐちゃに絡まってるひもをほどいていけたらいいな、と思います。
不登校という修行
ただいま次女うるちが自律性調節障害とお医者さんから言われ、この1ヶ月半、ほぼ学校に行ってません。
頭痛、腹痛、フラつき、体のきつさ、夜眠れない、朝起きれないなどの症状があり、走ったり、飛び回ったりという子供らしいことができません。
脳の異常なし、血液検査も異常なし、ただ血圧だけが基準値最低レベルで、このせいだろうということで血圧を上げる薬をいただいています。
キツくても少しずつ学校に行ったほうがいいのか、症状が治まるまで休んだ方がいいのか、大変悩みました。
1週間、私が仕事を遅らせて出勤して、一緒に登校しようと試みましたが、学校に行ったのは月曜日の1日だけ。
次の1週間は完全に休んで、一日中YouTubeを見てばかりで、ダラダラしていました。
そんな姿を見て心底ガッカリして、つい強い口調で学校行けよ!とか怒ってしまうし、毎日学校を休む旨の電話はしないといけないし、夕方になれば担任から毎日電話が掛かってくる。
自己嫌悪や悔しさ、申し訳なさ、悲しさで、毎日しんどかったです。
職場の人に相談すると、学校で何か嫌なことがあるのかもよ、親に言えないこともあるんだから、と。
本人に聞いてみると、
「無いぜぇ」
というワイルドな返事。
私も少し笑いながらも、この子のがまん強い性格は知っているので、ますます不安は募るばかり。
生活習慣が原因なのか、精神的なものか。時間が経てば治るのか、カウンセリングが必要なのか。
寝ても醒めても次女の心配ばかり。
仕事はあるし、上の子おこめは受験生だし、子供会の役員はしないといけないし、実母の用事も頼まれるし、家は散らかり放題。
でも何もやる気が起きない。
イライラしたり、心配しすぎてめまいを起こしたり、ばあちゃん(私の実母)が、「あんたが甘やかすから!」と言った言葉にキレて怒鳴ってしまって、上の子おこめを泣かせてしまったり。うるちも傷ついたと思う。休みの日には1日ウツウツとしておかしくなりそうになることも。
ある日、そんな疲れが顔に出ていたのか、職場の方が大丈夫?と声を掛けてくださいました。
娘が心配で、自分が病気になりそうだ、と言いました。
そしたら
「あなたが心配して具合悪くなっても子供は治らないよ?」
と、その方も心配そうに言ってくださいました。
そうだよね。
その通りだ。
この言葉を頂いてから次第に私の意識が変わってきたと思います。
そしてまた、考えさせられる出来事にも出会いました。
市民病院にかかったときに、口や鼻に管をたくさん繋がれた赤ちゃんや、心臓病の赤ちゃんを見ました。
また、職場の方の息子さんが、小さい頃から体が弱く、手術が必要な病気であること。
そして職場のお客さんで、ダウン症のお子さん連れがいらっしゃったこと。
いずれの親御さんたちも、私のように、疲れきった、暗い顔はされていません。
自分の子供のことを病気ごと受け入れていらっしゃるように見えました。
私はなんと弱い母親だったのでしょう。
このくらいの病気で、子供より先におかしくなりそうになってしまうなんて。
不安になる前に、やれることをやろう。
そう考えることができるようになってきました。
昨日、小学校の運動会でした。
ずっと休んでいて、練習もできず、まだ体力も戻っていないうるちはほぼ見学していましたが、係の仕事と、担任の先生の配慮で、組体操のナレーションをさせてもらいました。
走ることはできなかったけど、最後の運動会に関われてよかったです。
そして今日、学校が代休で、昼前からうるちのお友達が、勉強を教えに来てくれました。
途中から、いえ、けっこう早い時間から遊びだしたり、出かけたりしていましたがw、いいのです、うるちが楽しそうだから。
明日、この楽しい気持ちのまま、学校に行ってくれるといいな。
まあもし、明日は行けなくても、だんだんと少しずつでも行けるようになるといいな。
私も少しずつ強いお母さんになれるといいな。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ここまで、ちょうど一年前ぐらいに書いたものです。
この後から忙しくなり、ブログ自体うっちゃっていたのですが、1年ぶりに☆が付きましたよ〜通知がきて、ブログを書いていたことを思い出し^^;
更にこの下書きを見つけ、もう昔のだからと迷ったけども公開することにしました。
読んでいると、当時の私の心理状態が書かれていて、これは残しておきたいな、と。
今うるちは中一です。
その後、どうなったかというと、
なんとか中学校に通ってます。
入学当初は張り切って毎日登校していたのですが、5月の体育祭後から疲れが出て休みがちで(暑くなってきたのもあると思います)、でも週に3日ぐらいは通えてます。
小6はほぼ学校行ってませんので、がんばっているほうです。
市民病院の通院はやめました。
朝起きれない病気なのに、朝しか診察してくれないので、本人が辛かったらしいです。
先生との相性も良くなかったみたい。
4ヶ月通っても、全く良くならなかったし。
ネットで調べたら、自律神経の病気は鍼治療がいいということなので、近所の鍼灸院に通いだしました。
そうしたらみるみるうちに良くなって。。。。
とは行きませんでしたが、少しずつ、良くなってきているように思えます。
今でも通っています。
あと、小学校の器楽部も入っていてよかったです。
顧問の先生が、部活だけでもおいで、と言ってくれて、ちょっとずつ、コンクールのための練習や、夏合宿に参加できたりもしました。
本人もやりたいことのためにはがんばろうという気力が湧くようです。
小6の夏から秋にかけては、ちょうど昼夜逆転していた頃で、夜通しYouTubeを観て、朝5時頃眠くなり、早起きのばあちゃんと、おはよう、おやすみ、とちぐはぐなあいさつをしていた時期なので、本当によくがんばったなと思います。
私もこの頃は辛かった。
学校に行かず、ダラダラとYouTubeばかり観ている娘を見ているのは。
二言目には学校に行け!と言いそうな気持ちを堪え、ばあちゃんの学校に行かせろプレッシャーをやんわり抑え、娘にはそんなことは何も言わず、娘とばあちゃんの板ばさみにあっていましたね。
本人も行きたい気持ちはあるんだけれども、頭痛くて体キツくて、マンガ読んだりYouTube観たりしかできないんだな、と私も思うようになりましたし。
昼夜逆転は直すのがなかなか難しかったけど(鍼治療でもできなかった)、ある時から突然ころっと直りました。
本当に、突然に!
器楽部の音楽祭に出るために、自分から早く寝るようになったのです。
周りがどんなに言っても直らなかったのに!
この病気は(うちの子の場合は)、体の悪いせいだけど、本人次第で治る、ということがわかってきました。
周りがやいのやいの言っても快方に向かうことはなく、あくまで本人の自発的な心の動きによって。
親が学校に行け、行け、言ってる間は絶対行きませんでした。
私もいつ頃からか言わなくなりました。
それがよかったのだと思います。
入学前、中学の制服を着たのもよかったのかも知れませんね。
本人の意識が変わったとか、1からスタートできるチャンスと思ったからとか。
あまり意識させるのもいけないので、私は黙ってましたし、本人に特別尋ねたりもしませんでした。
あと、一緒になってYouTube観ながら笑い合ったり、不登校なのを自虐ネタにして笑いあったり、まあ、今思えばとにかく家族で笑ったのがよかったのかなと。
ばあちゃんもだんだん理解してくれるようになりましたし。
結局は周りが普段通りに接するのが1番なんですね。
ここまで来るのには長くかかりましたけど。
なかなか難しかったけど。
まだ完全に治ったとは言えないので、またいつ昼夜逆転するか、全く学校に行けなくなるか、正直ビクビクもんですけど、気長に焦らず寄り添っていきたいな、と。
人間関係という修行
こうして同じ職場に居ても、立っている位置(立場)が違う、見ている方角(目指すもの)が違う、そもそも見る目そのもの(個性)が違う。
職場での人間関係がうまくいかないのは当たり前と言えます。
うちの職場なんて上司が先陣切って人間関係を乱すものだから、退職者が後を絶ちません。彼について行けないのね。
まあ彼なりに考えはあるのだろうけど、やはり従業員のことより売り上げのことで頭がいっぱいみたい。自分の評価に関わるから。
見る目(個性)、立っている場所(立場)はともかく、せめて見ている方角(目指すもの)を上司がうまく皆を誘導してくれれば。。。皆の心情を汲み取った上で、さあ、全員で売り上げ達成を目指しましょう!と鼓舞してくれれば。。。と思うのだけれど。理想ですけど。
まずは彼が、人の仕事を認め、褒めることができるようになるといいな。
そうしたら、私らお調子もんだからホイホイ乗せられちゃって仕事がんばるのにな。
なんだか人間関係の話から理想の上司の話になっちゃいましたね^^;