夫『お母さんが◯◯(私の名前)見たって(言ってた)』
だから何だよ…?怖すぎるんですけど…
私の車、ビビットな色だからたぶんあ、あれ◯◯(私)さんだわって分かりやすかったのもあるけど、でもそれ、わざわざ息子に言う必要ある?てゆーか夫も私に垂れ流すなよ…いかにも私が嫌がりそうなネタって分かるでしょ…
田舎怖いエピソードその1決定。
2年前に夫の故郷の地方都市にUターン移住し、義理の両親がちょいちょい絡んでくる子育てや夫との夫婦関係をこのままこの土地で続けていくことにかなり疲れていることに気がついたわたし。
何事も気がつく、自覚するところから治癒が始まる、と別の本でも読んだ。
さて、どうしたものか。
①いやだいやだと文句を言い続けるか
②じゃ、あとはお願いします、と私ひとりでどっか行っちゃうか
③せめて子どもが大学進学するあたりまでなんとかやり過ごすか
子ども達に自分達は母親に捨てられたんだとか恨まれたくないし、かと言って自分の母親のように自らの境遇に対して何もせずに文句を垂れ流すのも美しくないし、となるとなんとかやり過ごすしかない。そしてせっかくなら楽しみたい。
何より、一度しかない自分の人生を、自分以外のひとのケアに追われたり周りに気を使ってばかりで終わりにしたくない。
結果的に②になっちゃう可能性大なんだけど、今勤めている外資系企業のアメリカ工場で今日本でやってるのとたぶん同じ内容のエンジニアを募集していることをアメリカ出張時に知り社内web siteから求人内容見てみると、最低の給与でも今の為替なら1200万円超え、最大2500万円とか…お母ちゃん出稼ぎ行っても良いかなぁ…たぶんこれだけあってもカリフォルニアで生きていくのはキツイよっていう物価状況なんだろうけど、女ひとりならなんとかなるっしょ。治安が良いエリアだから子ども達も連れて行きたいが、夫はついてこないだろうなぁ。
うわぁ、アメリカで働きたいなぁ。地方都市で悶々とするよりよほど夢があるなぁ。申し込んじゃおうかなぁ…。
あとは、この地方都市で大学通うとか、大学院通うとか、これまた自己満足の世界に足を突っ込むか…でも別に学歴が欲しいわけじゃないんだよなー…
夜中に目が覚めてしまい、子どもから風邪をうつされ熱を出している夫の苦しそうな寝息を聞いてふと
夫が死んだら
の妄想をしだしたら、うっかりめちゃくちゃ楽しそうと思ってしまった、愛着スタイル回避型女の典型例な話だ。
この本に出てくる回避型の人にあるよくある態度、全部わたし。
夫が死んだら…
・私はシングルマザーになる(ひとりになれるという妄想は私を想像以上に幸せな気持ちにさせて自分でもちょっと驚いた)
・2年後のニコの幼稚園卒園と同時に私の実家のある東京郊外に引越す
・子ども達が通うことになる多摩ニュータウンの公立小学校や実家の近くの街並みを思い浮かべ、東京郊外の程よい田舎で緑もあって楽しそうとか
東京都とはいえ田舎だから、車は持っていた方がいいな、とか都内の本社に通うのは週1くらいがいいなとか、製造拠点の地方都市は特急乗ればそんなに遠くないな、とか詳細な現実的な妄想をすればするほどワクワクしてしまって眠れない。
そこまで考えてやはり私は、この夫の故郷での子育てや、夫の愛情に応えることにかなり無理していて、疲れているんだなと思った。だから本当に、子育てが終わったら私だけ東京に戻らせてもらうという将来の夢は、ありだなと思った。
さすがに夫に早く死ねば良いのにとまでは思わないけれど、どんなに近い人が死んでも私はそんなに悲しめないんだろうな。
自分の愛着の型を知れただけでも良かったと思おう。私は機能不全家族で育った故の不安定な愛着の型を持っているんだ、という自覚があるだけでも違う気がする。
個人主義で不安定、回避型愛着パターンの女、それがわたし。『家』族主義で安定、不安型愛着パターンの夫。だいたい不穏に騒ぎ出すのは私から。
この本でも、この動画でもYOUが夫婦はもっとセックスすればよろしいと言うんだけど、それができてればこんなに悩んでる人いませんわって話だよなと思った。
久しぶりだと充分に濡れていてもかなりの確率で痛くなるし、その傷口からすぐカンジダになっちゃうし、そもそも日常の子育てに満身創痍で夜起きられなくて精神的ハードルが高すぎる。
と私は思うんだけど、一方私とは逆の愛着パターンと思われる私の友人は、疲れている時こそスキンシップがあればまた頑張れるんだそうで、相手にされないとどんどん病んでいってしまうそうな…目から鱗だったわ…セックスで元気になれる人なんているんだ…
夫婦のスキンシップが大事なのは分かっている。分かっているけど正直私はそれがなくても楽しく生きていけるタイプの人間で、夫はそうじゃないのがまた私達夫婦の厄介なところ。
まぁでもこうやって自分達を理解しようと努力するのと、訳も分からず衝突して愛情を失っていくのとでは全然違う気がするので、読んでよかった。この著者の本をもう少し読んでみよう。
元々意識低い会社員な私だが、それでも基本真面目(自称)なので日々の仕事は頑張るけれど、時々バレない程度にサボりつつ緊急かつ重大な仕事だけこなしてればいいやモードになる、いまそれ。
私だけシャカリキに頑張ったところで製造は動かないし、顧客は常に急かしてくるし、同僚も別の案件に忙しくて非協力的でなんなら横からも仕事ふっかけてくるし、もうなんかいいやーってなってる。
昇給率もたかがしれてる、ボーナスも満額でたところでおまけ程度。
フレックス使ってゆるゆるやろー。
同僚の女性も、『これライスワークだから。やりがいとか別にないから』って職場ではっきり言っててですよねー。ってなってる。
どうも納得がいかない。なぜだろう?夜中に布団の中で考える。
2年前に東京から地方都市に移住し、最近さらに義実家に近い場所(同じ小学校の学区内)に引っ越して、夫が休日に実家の手伝い(畑のメンテナンス、家の本当に細かいお手伝い)に頻繁に駆り出されるようになった。
田舎だから、孫の面倒を見てもらう代わりに夫は自分の親の手伝いをする。私はそれはやらなくていい。ということで一旦落ち着いたと思ったが。
要は私と夫では、『家族』の価値観が全然違うんだな、という結論に至った。
私は夫個人と結婚して家族=イチタとニコを持ったという認識でいる。私自身核家族で育ち、祖父母の家に行くのは非日常的なできごとで、完全にゲストの立ち位置だった。だから夫が実家の手伝いをするということが全く理解できない。聞くと排水溝の掃除とか、いやそれくらい義両親が自分でやれよ、と言いたくなってしまう。そして夫が自分の働き方を犠牲にせずとも安易に実家に頼ろうとすることに怒りを覚える。自分の家族のことなのに、なぜ、そんなに簡単に両親を巻き込むのか?理解できない。
夫は◯◯家の長男として、私という嫁を取り、その跡取りであるイチタとニコがいる認識でいる。小さい頃から祖父母や近所の親戚と物理的に近い場所で育ち、年老いた親の面倒を子供が見るのは当然という価値観。持ちつ持たれつでやるんだという。
私は夫個人と結婚した妻である自覚はあるが、◯◯家の嫁になったつもりなどさらさらない。だから義理の実家はいつまで経っても他人の家だし、その他人の家に何日も寝泊まりするのは居心地が悪いし、お墓参りしたってここに自分が入るイメージが一向に湧かないし、『自分の家族』である私、夫、イチタ、ニコの生活に夫の要請により義理の両親が入り込んでくると不快感を覚えるわけだ。
これは、話し合いでどうにかなる問題じゃないな、と思った。
この違いに気がついて、これを知った上で『家』の価値観で生きる夫を愛せるのだろうか?自分に問うたら、答えは即刻Noだった。◯◯家の長男たる男と結婚した覚えはなく、その価値観で生きる夫はもはや私の全く知らない男に見えてくる。
かつての私の上司は、やはり自分が地方都市の出身で、『家』の価値観の自分の親とは事実上縁を切るような形にしないと自分の妻を守れない、と言った。両方にいい顔をするのは無理だから、と。
夫は今それをしようとしている。それは無理だと私も思う。
ここから、ニコが大学生になるまでの15年弱、この土地でどう過ごそう?たぶん夫は変わらないし、私も変われない。でも私は子供達のためにここにいなければならない。
アメリカ滞在中わずかな時間つけたテレビで宣伝していた映画poor thingsが気になり、原作読んだ。
『アルジャーノンに花束を』を思い出させつつ設定とかこの作品でベラを通して伝えられる率直でごもっともな指摘は、私が最近イチタから投げかけられる質問にも通じているなと思った。
イチタ『なぜロシアはウクライナの土地が欲しいの?もうすでにいっぱい土地持ってるじゃない。世界地図を、みんなで平等に分けっこしたら良いじゃない』
そういうイチタ、自分のポケモンカードを平等にニコに分け与えることはできないでしょう?要はそういうことよ…人間はまだまだ未熟なのよ…
後半えぇっていうどんでん返し、というかこれはベラの願望?フェミニズムの要素もあり楽しく読みました。
映画も観たい。