ある日、ADHDと診断された日の話

もいです!

私は昨年10月にADHDであると診断されました。

それまでの過程を書いていきます。

 

テストだけはできた学生時代

私の学生時代はテストの点だけは良かったんですよね。

偏差値の低く、多少荒れていた学校だったからなのかもしれませんが、

テストも教科書の内容から出題されるようなものでした。

一夜漬けで教科書や小テストの内容を暗記すれば良い点はとれる!

といった内容のテストでした。

ADHDの特性である先延ばしの特性がある自分は、

「前日でもがんばれば良い点がとれる!」

ということを知りました。

勉強することは嫌いではなかったので、

テストはいつも良い点をとり、学年3位以内にいつも入っていました。

 

 

ADHDの特性があまりわからなかった

よく聞くのが、

ADHDは授業中動き回る、落ち着きないということではないでしょうか?

実際私も、落ち着きはありませんでした。

しかし、私の通っていた高校では、

授業中に座ってちゃんと先生の話を聞いている人は、なんと数える程度!

授業すら出ない人も多々・・・。

私も授業中落ち着いていられないので、よく他のことをしていました。

卒業してもうしばらく経っていますが、今思うのは、

あの時も絶対にADHDの特性が出ていたと思います。

しかし、周りも落ち着きがなく、私もそれが普通だと思っていました。

なのでADHDの特性が目立たなかったのです。

 

 

仕事が全くうまくいかずつまずいてしまう

高校卒業後、社会人になりました。

進学してまで学びたいことがなかったんですよね。

就職先もなんとなく決めて働き始めました。

その職場で、最初からつまずいてしまいました。

 

相手の言った意味がよくわからず怒らせてしまう

仕事の締め切りが混乱しパニックになる

思ったことをそのまま言ってしまう

書類をよくなくしてしまい怒られる

落ち着いてデスクに居られない

 

これだけではなく、問題は多々ありました。

そのたびに、

 

「なぜあの人は怒っているんだろう?」

「何度も確認したのになぜ間違えてしまうんだろう?」

 

などと思い、いろいろ対策を講じてみますが

どれもうまくいかなかったです。

 

 

 

残業月200時間で心身ともに病む

会社には辞めずにずっといました。

ミスをし、いつも怒られ、ミスをし・・・

の繰り返し。

よくクビにならなかったなと思います。

自分が会社で働き続けていたある日の朝礼。

社長が「業績拡大のため新事業を立ち上げる」

と発言していました。

自分はその新事業の部署に異動することに。

その後から、

毎月残業の嵐になりました。

終電で帰れることもなく、会社に泊まり

会社に住んでいるような状況になりました。

 

息ができない

目が血走って、二重に見える

常に胸が痛い

体がだるすぎる

 

などという症状に常に見舞われていました。

その頃は、本気で死を意識しました。

 

 

退職を決意する

その後、退職することにしました。

退職後は、旅行へ行ったり、友達とカフェに行ったり、

家でゆっくりしたり自由に過ごしていました。

しかし、自分の心身はまだ仕事をしている。

と思い込んでいて

夜になっても眠れませんでした。

 

生活のリズムもおかしくなっていて

明け方に少し眠るという生活は変わりませんでした。

 

 

心療内科ADHDと診断される

私の仲の良い友達が、不眠で心療内科を受診した。

という話を聞いて、

自分も受診することにしました。

そこで自分について全部話しました。

 

出かけると必ず1つは忘れ物する

人をよく怒らせてしまう

不注意のミスが多く対策をしても直らない

落ち着いてデスクにいられない

やることがたくさんあると同時進行できない

 

そうすると、発達障害の検査を勧められました。

その検査を経て、自分がADHDであると診断されました。

 

 

転職をすることにする

ADHDと診断された後は、

病院に通い、ADHDの特性への対策などについて学ぶことにしました。

しかし貯金にも限りがあるので

そろそろ働かなければと思っていました。

心療内科では、

ADHD障がい者雇用もあると聞いていましたが、

自分は一般雇用で働くことにしました。

案外すんなりと転職先は決まりました。

 

 

自分が輝ける仕事を見つけた

転職先では、私がADHDであることを隠さずに働いています。

集中するような業務は、静かな席に移動をしたり

適宜、休憩をとる

どこかへ提出する書類などは確認をしてもらう

など助けられています。

「あなたが入ってきたおかげで休憩をとりやすくなった」

「不安な部分もお互い聞いたり、確認しあえるようになった」

と、他のスタッフの方から言われる事も多くなりました。

怒られてばかりいて、残業200時間し過労死寸前まで追い詰められた

社会人生活ですが、

やっと自分が輝ける仕事を見つけました。

 

 

まとめ

私のことは特殊なのかもしれません。

ADHDで周りに理解されない方もいらっしゃるでしょう。

しかしあなたの輝ける場はどこかに必ずあるはずです。