越後湯沢で4泊5日してきたので飲んだビールを紹介するよ
■ビールと温泉
大地の芸術祭を見るために4泊5日という長旅日程で越後湯沢に逗留してきた。
気分は『雪国』の島村。
駒子みたいな美女はいなかったけど…
(なお、等身大な駒子人形がガラスケースに入って駅構内に展示してありました。色白の雪国美人。)
■ほぼエチゴビール飲んでた
一晩目はこれ。
のんびりふんわり白ビール。
ペールエールっぽい軽い味わいで飲みやすかった。
せっかく長逗留なのでと駅ナカのぽんしゅ館で早速買った冷製おつまみ
「ぶりの生ハム」とともに。500円くらいだったかな。
薫香が香ばしくておいしかった!けど、どちらかといえば日本酒向きのアテだったかもしれん🙄
二晩目。
エレガントブロンド。
昨日よりは少し重いけどまだまだ軽め。
琥珀ヱビス的な感じの赤い缶と悩んだけど、重いと酔っちゃうのでこっちにした。
(そして、結局赤缶は飲まずに終わった…)
三晩め。
どんな飲み手もやさしく歓迎してくれるオールマイティなやつ。
見てのとおりのあっさり味ですごく飲みやすかった。
最終日。
コシヒカリ越後ビール。
正直これがいちばんおいしかった!
あっさりした飲み口なのに、のどをすぎるとふうっと五月の風のようなさわやかな香りが鼻を抜けていく。
重くないのにしっかり香るところがほんとに気に入って、何本かおみやげに買ってきてしまった。
■まとめ
新潟はごはんもお酒もうまいなって前から思ってたけど、ビールもうまいなんてずるい、ずるすぎる🙄
隣県だしまた行きたいなあ…今度はごはんとお酒を目当てに!
旅じたくノート「折りたたみハンガー」
■まずはいなかのホテルをディスる
「大地の芸術祭2022」に参加するにあたり、越後湯沢駅近くの某旅館(ホテルと言ってるけど旅館だと思う)に宿を取った。長逗留なので途中で洗濯をするつもりだったのだが、さてハンガーが無い。というか、普段都内のビジホに泊まる時は、ハンガーの数本くらいは快く貸してくれるし、そもそもランドリールームに乾燥機が完備されているので、あまりこの手の心配をしてこなかったのだ。しかし今回はオフシーズンの田舎の旅館だ、話が変わってくるやも知れない。
■というわけで早速調達してきた
無印良品の折りたたみハンガーだ!!
携帯用アルミ折りたたみ式ハンガー 使用時:約幅38cm | シーンから選ぶ 通販 | 無印良品
ひとつ590円。
Amazonではプラスチック製のものが4本セット700円ほどで売られているので、正直ちょっと高く感じる。しかしもう出発日まで猶予がないので今回は甘んじることにした。
長さ比較。
リモコンと同じくらい。
厚みは金属定規くらいのサイズ感なので、これなら荷物の隙間にスッと入りそう。
あと、もんんのすごおおおく軽い。これはうれしい。量ってみたら41グラムだった。3本持っても100グラム行かないくらい。旅は全て公共交通機関(ペーパードライバー)で済ませるわたしにとっては軽さこそ全て。軽さこそパワー!
広げるとこんな感じ。
比較対象は同じく無印良品のアルミハンガー。こちらは幅42センチ。折りたたみの方は幅38センチだから両サイドで2センチずつ短いことになる。
折りたたみという都合上、どうしても首が短くなってしまうので、タートルネックとかはかけにくいかも。普通のシャツやスカートやカーディガンは大丈夫だった。
包装にはジャケットもかけれるふうな感じで書いてあった。厚みはないけどアルミなのでけっこう丈夫だから、重さのある衣類もある程度は大丈夫かも。
実際に掛けてみたところ。無印良品の綿シャツ(当方わりとムジラー)
肩のところまでわりとしっかり支えてくれているので、次の日に着る服を掛けておくのも良し、洗濯物を吊るしておくも良し、という印象。
今のところは、軽いし携帯性抜群だし高いけど良い買い物したなって思っているけど、ほんとのところは実際に使ってみないとなー。さて、どうでるか。。
展覧会レポはいいぞ!
■美術館めぐりが趣味な人も展覧会レポを律儀に書いてる人も私の周りには殆どいないんだが…
過日、展覧会レポのすすめ [アウトプット最高!]|ちいさな美術館の学芸員|note
を拝読しちょっと触発されたので、自分の美術館めぐりの来歴と展覧会レポの歩みについて振り返ってみようと思った。
あんまり大きな声では言えないけどnoteってプラットフォームとして巨大になりすぎて、記事の玉石混交が激しいよね(訳:まともな展覧会レポを読みたければ「青い日記帳」さんか虹さんのレポとかを読むしかないよね)
■ポスカホリック時代
そもわたしが本格的に美術館めぐりを恒常的な趣味にしだしたのはここ10年くらい。
元々紙モノが好きだったし、比較的都会に住んでたのでユザ●ヤとかハ●ズとか画材や資材が豊富にそろう店へのアクセスが容易だったから、最初の何年かはポスカホリックにコラージュとかしてた。
ポスカホリックは、朝日新聞社が出してるコラージュノート。
いまは文具系のメーカー各社でも美術鑑賞や展覧会の記録を付けられる専用のノートを販売していてラインナップも豊富だけど、わたしがレポ作りはじめたときはかわいい専用ノートってこれくらいしかなかった。
(それにしても朝日新聞社が共催してる展覧会行って、朝日新聞社が売ってるノート買って記録付けるって、天声人語切り取って天声人語ノートを買って貼り付ける、に近いマッチポンプ感あるよね、ないですか?気のせい?)
スクエア型。高さはB5の横の長さと同じくらいか。
スクエア型かわいいんだけど中途半端な大きさでうまく書棚に入らない。
何年か前の正倉院展の記録。
当時はけっこうがんばってデコってかわいくしたかった()ので、フライヤーから写真を切り抜きして貼り付けたり(左頁)、きれいな柄の紙やマステを貼って上からクラフト紙の吹き出しをわざわざ作って貼り付けてコメントを書き入れたりしている(右頁)。
元々工作は好きだったし、自由記入欄を紙だのシールだのテープだの、手持ちの材料でデコるのは楽しかった。展覧会の雰囲気に合わせてシールを選んだり、展覧会のイメージカラーに合わせた色の台紙を貼ったりしていた。
ただ…ポスカホリックは…とにかく時間がかかる子だった…
デコるだけで2時間とか平気でかかっていた。もちろん肝心の感想やコメントを書き込むのはその後。1つの展覧会のページを埋めるのに半日くらいかかっていた。するとだんだん面倒になってきてしまったのだった。デコるだけデコったのに感想もなにも書いていないページもじつはかなりある…。
手間のかかったデコデコノートはお金と時間に余裕のある人のための趣味だと悟った。。
■レポチケ時代
次に手を出したのがレポチケ。
多分5年くらい前?にポスカホリックから鞍替えしていた。
これは元々はライブや観劇、舞台などを記録するものだ。開くと、見開きの半分がチケットや半券を入れる透明なスリーブになっていて、もう半分が無地またはドット罫の記録を書くところになっている。ポスカホリックのスリーブは絵葉書の収納も兼ねていたから中途半端な形をしていたが、こちらは半券が入るだけのサイズなのでもっとスリム。
(ただし背が高いので普通のカラーボックスや本棚だと立てて入れにくい)
したがって、自由記入欄の面積もぐっと減ったが、この頃には仕事が忙しくなったために一つの展覧会の記録を書くのにそこまで時間を取れなくなっていたので、かえってそれが丁度良いと感じていた。
地味なポイントだけどリングの色が色々あるのが面白い。わたしは統一感を出すために金か銀にしていたけど、あれは推しの色をいろいろ選べるようなカラー展開を意識しているんだと推察する。
レポチケ現物。
開くとこんな感じ。
入場した展覧会の半券は絶対収集するマンだった(今も)なので半券がきれいに見れる収納ができるのはうれしかった。
(話はそれるけどコロナ以降は電子決済と事前予約が浸透したせいで、絵入りの半券がもらえないことが増えたよね… 東博などはファン心理をよくわかっているので「絵入り半券下さい」と言えば事前電子決済済みバーコード提示入場でもスムーズに半券がもらえる(多分わたしと同じように集めてる人はたくさんいるんだろう)が、味もそっけもないレシート用紙にバーコードが印字されているだけのものしかもらえない、最悪だと画面提示のみで何も手元に残らない、ということもすごく多くなってきた気がする)
スペースが小さくなったので、レポチケに書いていた当時はいつも以下の3つのことだけを意識して感想を書いていた。
(1)自分なりに展覧会のキャッチコピーを考える
展示の感想を書くのにあとから鑑賞時のことを思い返しているときにひねり出す。短いセンテンスだけど、案外と展示に対する自分の印象が凝縮された一文になることが多い。
(2)展覧会全体に対するレビュー、評価
展示作品ひとつひとつではなく、全体として雰囲気がどうだったかとか、全体を俯瞰してみたときに展覧会の意図がくみ取れるかどうかとかから、客層、男女比、メインの客年代、会場の動線のスムーズさやミュージアムショップの品揃えまでいろいろ。
(3)BEST3
展示作品の中でベスト3を決める。
1 お気に入りが多すぎて選びきれないときもあれば、
2 3つ選ぶのが苦労するほど不作(自分にとって)なこともあるし、
3 全然響かなかったけどある1点にだけ恋に落ちたみたいに惚れ込んでしまう
ようなときもある。個人的に一番記憶に残りやすいのは1よりも3だったりする。そういうふうに出会った作品のことは大体ずっと後も覚えている。
写真を撮れないことの方が多いので、描けるときは思い出せる範囲でササっと絵を描いたりもしていた。
内覧会とか行ってみたかったけど、もはや田舎に引っ込んでしまった身にブロガー内覧会などは夢のまた夢である。。
■そして現在
これまで挙げてきた記録方法にはちょっとした縛りがある。
書くときのお道具が多すぎるのだ。
最低でも、黒いボールペンのほかに、他の色のボールペン、何色かのカラーペン、はさみ、テープ、修正テープなど。
欲張ろうと思ったら、貼り付けるために現像した写真とか。
これらを手元においたうえ、鑑賞時に手に持っていたフライヤーや作品リストも見て、よし!書くぞ!と意気込んで書き始めないとならない。
紙は修正が効かない。特にカラー。
あと、この頃のわたしには、何時間もまとまって家の机の上で集中してなにかを書くという時間的余裕や体力的余裕があまりなくなっていた。そうすると仕事帰りにどこかで書くほかないとなるのだが、このお道具類、毎日持ち歩くとなると相当荷物を圧迫してくるし、毎日持ち歩いたところで、その通りできるわけでもなかった。
また、この「意気込んで書く」というのが自分にはすごく大きな心理的ハードルで、紙の上に、失敗できないボールペンで書くとか、毎回創意を凝らしてどどんとでかくキャッチコピーを書いて、その文字をまずデコって… とか、そういうのがすごく大変に感じてしまい、結局またまたレポ書きから手が遠のいてしまったのだった。
やりたいことは「レポを完成させること」なのに、紙に書くとなると「きれいに仕上げる」が至上目的にすり替わってしまう上、持ち歩くお道具が負担。
ということで、いまのわたしは紙の世界から離れ、はてなブログに鑑賞記録を書いている。
それですら、なかなか鑑賞後すぐに書けるわけでないことがほとんどなのだが。
はてなブログは、
・メールで写真を添付して送れば下書き記事が勝手にできている(あとで本文を打ち込めばいい)
・お道具として必要なのはPCかスマホのみ
というところが優れていると感じている。
スマホだと長文のフリック入力がキツイので、最近、ポータブルキーボードも購入した。
これなら、職場の昼休みにデスクでスマホに入力して記事を書くこともできる。
実際そんなにスムーズに進むわけでもないのだが、心理的ハードルが下がることが重要なのだ。
■まとめ
いろいろめんどうだが、展覧会レポはいいぞ!
紙やノートにこだわりたっぷりに書きつけるのもよし、効率とスピード重視でTwitterに直接流すもよし、ライター気取りでnoteでつらつら書くもよし、自分の城たるブログでひっそりと書くもよし。
わたしはけっこうひっそり書いているが、それでも、自分が行った展示について他人がどう書いているのかは気になってしまうので、有名美術ブログの記事などは探して読み漁ってしまう(一応、自分がまだ感想書いてない展示の記事は、書くまで見ない、という自分ルールはある。笑)
まだレポを書いていない鑑賞記録はじつはかなりたくさんある。できたら全部なんらかの形にしてやりたいと思っているので、現実的にも、それを叶える場になるのはこのブログなんじゃないかなっと考えている。
東北の東山魁夷(失礼):大山忠作美術館『常設25期 描かれた動植物』展
■大山忠作美術館の「常設25期 描かれた動植物」展を見てきました。
電車で来れるから便利だね!近くにこんな場所があったなんて…
ねこたちのおうちからもすぐにゃ~。
二本松市大山忠作美術館は、福島県二本松駅のすぐそばにある「二本松市市民交流センター」の3階にあるちいさな美術館です。
日本画家であった大山忠作氏の生まれ故郷であることから、二本松市に設置されています。
入口。中の広さは武道場くらい(そんなに大きくない)。
ちなみに内部は撮影禁止。
画風はふんわりしたタッチで、ちょっと東山魁夷に似ている。
コイの絵が一番有名にゃ
東山魁夷も好きだからかこの画風、好み!
常設展では人物や風景など、会期ごとにテーマを設定して、絵を選んでいるらしい。今回は動物だった。
半分くらいがコイ。
(ホームページのトップバナーをイメージとして拝借)
大山氏のコイは、あたまがくるんとまるまっちくって、ウロコの陰影の立体かげんなどはとてもリアルで、まるで本当に目の前に泳いでいるかの如く。エラブタのふちが少し色が薄くなっているところとか、光沢感があっていいし、あと、しっぽ!しっぽがかわいい。
コイは濁った池にいることが多くて、頭以外はそれほどよく見たことないけど、本物もこんな感じなんだろうか?
しかし、目は適度に戯画化されて、魚の目の生っぽさや気味悪さがやわらげられているからか、近寄ってみてもぬいぐるみみたいに愛らしい。
(大山製コイの抱きまくらぬいぐるみ… あったらかわいいな…)
クジャクの絵もあった。
ピーコックグリーンがふわっとしてて、とにかくもう色がかわいい。(語彙力…)
寒色系もモダン。
こういうさびしいけど優雅な青の使い方見ると、斎藤清を思い出す。
(こちらも、福島県出身の版画家です)
昭和時代の日本画っていいよねえ… 見ていると、いつもなぜかとってもノスタルジックな気分になるんだよ。
そういえば、訪れたときに偶然にも大山忠作100周年記念のお琴のイベントをやっていて、ものすごく典雅な雰囲気(BGMが生のお琴…( ´_ゝ`))での鑑賞となりました。
なぜお琴だったんだろう…日本画だからかな…
■おまけ:本日の旅ごはん
1階に、浪江町から避難されてきたと思われる、なみえ焼きそばのお店「杉乃家」さんが入っていました。
市民センターの中のテナントだけど、味は本格派!
店内もきれいであかるい。
17時の開店直後に注文して待っていたら、地元の常連さんらしきおっちゃんが入ってきて賄いのおばちゃんと打ち解けた感じで世間話を始めた。
地元で愛されているんだなー。
なみえ焼きそば(普通盛) 700円。
ソースが濃くておいしい!麺はうどんみたいに太くてもちもち!器も、大堀相馬焼だね♪
ねこの好きなもやしがいっぱいで、うれしいにゃー!
ちなみに普通盛だと腹8分目ってかんじ。
ビール付き1000円のセットもあるぞよー
(味が濃いからビールぜったい合うと思う)
今日は地元の美術館めぐり、楽しかったね!焼きそばはまた食べに来たーい!近くにはラーメンで有名な「若武者」もあるんだって♪
少女のころを過ぎても:世田谷美術館『こぐまちゃんとしろくまちゃん』展
■9月だからって油断した
東京、暑い。
マスクしてるとふつうにもっと暑い。
この日は台風の影響もあってかなり蒸し暑く、歩いてるだけで汗だらだら…
さて、世田谷美術館にて開催中の、
「こぐまちゃんとしろくまちゃん」展を見に行きました。
世田谷美術館、はじめて行きました。都心からは少しアクセスしにくいけど、広くて自然豊かな砧公園の中にあって、いいね!
久しぶりに小田急にも乗れて(昔、夫が登戸駅周辺に住んでいて、よく通ったものだった)楽しかった。。
ミュージアムカフェもあって、ひと休みにはぴったり。
(平日昼間はマダムとママで込み合っていて、あと世田谷価格で、カフェには入れなかった…物販で散財しちゃったから…;;)
■エントランス
こじんまりしているけどなんとなくノーブルな外観にたがわず、内部も曲線美が目立つ瀟洒な佇まい。
■子供連れのママたちに交じって鑑賞
あとはふつうに若いカップルがデートで来たりしていた。
わたしのような女性一人はあんまりいなかったかな。
内部の写真は撮れなかったので以下箇条書きで感想。
〇わたしは「しろくまちゃんのほっとけーき」が絵本ではおそらく一番好きな作品なんだけど、今回の展示ではその初版(初版は現行と若干色味が違う!)や表紙の下絵を見れてすごくうれしかった。
〇こぐまちゃんシリーズの絵本は、6色(スミ、アイ、グレー、ミドリ、オレンジ、キイロ)のみを使用して制作している。なので印刷するときも、一枚の大きな紙に6回刷って色を完成させ、6等分くらいに切って中綴じして絵本にする。浮世絵みたい。
〇ホットケーキのあのおいしそうな焦げ目は、グレー×オレンジ×キイロで出している。よー-く見ると輪郭線のあたりに、重なりきらなかった各色がわずかにはみ出しているのが確認できる。
(出典:https://www.kogumasha.co.jp/product/305/)
〇そもそもこぐまちゃんはぬいぐるみっていう設定のようだ(初めて知った)。ぬいぐるみは子供が最初に出会うお友達だから、ということらしい。なのであくまでクマではなくぬいぐるみっぽいフォルムを追求している。あのポテッとした形はこけし、着ている服は時代性をできるだけ排除するためにポンチョふうにしてある。目はにじんだようなオレンジの丸の中に点のような黒目があるが、これはぬいぐるみのガラスの目をイメージしてデザインした。
〇にじんだ光の点のモチーフはお気に入りの造形だったのか、わかやまけん氏の絵本の中では色々なシーンで出てくる(「きつねやまのよめいり」の提灯の描写、「おばけのどろんどろんとぴかぴかおばけ」の蛍がいっせいに光りだす場面など)。
〇こぐまちゃんシリーズの制作は70年代に行われた(なんと50年も前だ!会場にはわたしよりも若い母親が幼児を連れてたくさん来ていた。わたしも含めてみんな生まれてない。でもこぐまちゃんの存在はわたしが少女のころからずっとそばにいたし、それは母親たちにとっても同様であろう。そのことがなんだかとってもふしぎな感じがした)。
90年代以降も精力的に絵本や幼児教育雑誌の挿絵などの作品を生み出していくが、わたしにとっての「わかやまけん」は「こぐまちゃんの人」だったので、正直に言うとそれ以降の仕事はどうもピンとこなかった。
わたしはずっと「わかやまけん」がすきだと思っていたけど、どうやら違ったらしい。わたしがすきなのは「こぐまちゃんとしろくまちゃん」の世界観だったんだな。
■そして爆買いである
図録とポストカード、あとは「ほっとけーき」の中でも一番好きな場面(ホットケーキが焼ける様子を時系列に描いて並べた見開きのページの挿絵)が書いてあるトートバッグ。
美術館来るとどうしてもトートバッグ買ってしまう。
そんなにバッグたくさんいるんか?って思っているけど止められない。
だってTシャツは着ないし…
(出典:https://www.kogumasha.co.jp/product/305/)
ぬいぐるみ売ってたらいいな~~と淡い期待をしてたけど売ってなかった。残念。
■おまけ1:お姉さんはそっと耳栓を取り出して装着した
絵本の展示だからこどもが多いのは仕方ないけど、展示室内で騒いでいる子供をそのままにしておくのは正直どうかと思うぞ。おねえさんはもう大人だけど、こぐまちゃん見るためにわざわざ東北の田舎から、お金と時間使って遠路はるばる来たんだよ。子供だろうと大人だろうとここでは等しく鑑賞者なんだよ。
わかるかな?
あとどう見ても自我がまだ発達してそうにない乳幼児の頭を持って、どうにかして絵を見せようとしている母親もいた。
自我がない人間に展示を見せる意味あるのかな、飽きちゃうのでは?と思った。
■おまけ2:はしゃぐお姉さん
楽しかった!
それではまた次回!
たえまない対話の向こうに:国立西洋美術館『自然と人のダイアローグ』展
■東京暑すぎない???
国立西洋美術館で開催中の「自然と人のダイアローグ」展を見に行きました。
6月なのに異様な陽気のなか、汗をかきかき鑑賞に行ったところ、涼を求める観覧客で会場はやや混雑してました。
客層は見た感じバランスよく、年嵩の夫婦もいれば若いカップルもいたり。
西洋美術館の客層っていつも安定してていいよね。
半分くらいが自館のコレクションだからか、企画展にはめずらしく写真撮影OK。
人は絵画を通して自然をどう表現してきたか?
自然という一番身近なモデルに対して、どういう思いで向き合ってきたか?
という問いに、主に印象派前夜あたり~ポスト印象派あたりの作品群(同時代の、ウィーン分離派や青騎士グループも)を軸にして答えているかんじ。はじめから終わりまで鑑賞していると、自分よりもはるかに大きく、古く、美しい、自然というモデルに対しての画家たちの意識や距離感、畏怖や憧れや、あえての無関心!などの、様々に抱えていた感情が垣間見れる。
■目で感じるリズム感
結構好きだなーと思うのはこのあたり。
自然には本来ない「視覚上のリズム」を意識し、たぶんフィクションだろうなという構図を作っている。
本来人間の意志が介在しないはずの「自然」のありように、作為を反映させて、思い通りの姿にしてしまうところに、近代人意識っぽさを感じる。
こっちは常設展にあったもの。
やっぱりこういうテイストの絵に惹かれるらしい。
これも、居並んだ女性たちの配置にリズムを感じる。
ポール・ゴーガン《水浴の女たち》1848年、国立西洋美術館蔵
モネの「舟遊び」とリヒターの「雲」が並べて展示してある区画もあった。
「舟遊び」では、空は単なる水面の反射として描写されている。
「雲」では、写真をそっくりなぞって描くことで、創作から作為や人為を排除しようとしているのだろうか。
どちらも、現れているのは同じ「空」なのに、「空」そのものを描こうとしているわけではないのかな、と考えたりした。
彼らにとっては、自然は「えがく対象」じゃないのかも…
2作品が殆ど100年離れて制作されているのも面白いと思う。
ゲルハルト・リヒター《雲》1970年、フォルクヴァング美術館蔵
■光をえがく
ポスト印象派、点描とか苦手だったのに、いつの間にか「きれいだな~」と思うようになった。
画題は結構ふつうなのに、実は超絶理論派。とか、努力を見せないタイプ。
柔らかく降る月光の表現がロマンティックだ。
点描のような細かい描法だからこそこのニュアンスが出るのかもなー
テオ・ファン・レイセルベルヘ《ブローニュ=シュル=メールの月光》1900年、フォルクヴァング美術館蔵
これはふつうに光、特にうすべったい水面に走る光の捉え方がいいなっと思った。
カイユボットの「床を削る人々」に似てる。
アクセリ・ガッレン=カッレラ《ケイテレ湖》1906年、国立西洋美術館蔵
「床(または地面、水面)が鏡のように光っている」絵がすきなんだな、わたし。
■ところで
終盤のほうにゴッホがいたー----!!!!!
フィンセント・ファン・ゴッホ《刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン=ポール病院裏の麦畑》1889年、フォルクヴァング美術館蔵
昔はゴッホの暑苦しい絵面が苦手だったけど、いまは大好き。
(昔はただ暑苦しかったブルーハーツが何故かめちゃくちゃ心に沁みるようになったことと、事象は全然違うが、無関係とは思えない。笑)
ゴッホの絵を見ていると、画家自身が絶えずキャンバスの前で対象の生命感や湧き上がるエネルギーのたけだけしさに、おののき、憧れていたのではないかと思えて仕方がない。
どうにかして、眼前のこのエネルギーのうねりや奔出をキャンバスに閉じ込めたい!という祈りというか願いというか、、そんな強い思いが、この波打つ油絵具に乗っているように思われる。
そう考えると、ちょっとはた迷惑でいまいち空気の読めなかった男ゴッホが、なんだかとてもけなげに見えてしまうのだ。。
■まとめ
好みの絵が多く、出展数も多くて見ごたえある展覧会でした!
リヒターのああいう絵は初めて見たな… 絵具をベターーッとやる(?)絵しか知らなかったからそういうのばっかりの作家かと…
今国立近代美術館でやっているリヒター展も見に行けばよかった。。
めちゃくちゃ混んでるらしいが。。
今回は日程に余裕もあり、結構しっかり見て回ることもでき、満足度が高め。
常設展もゆっくり回ったの久しぶりだ…!