前科ものが介護職員へ~ヘルパー奮闘記~

初めまして、初めて🔰ブログかきます。
自分は、前科4犯ついこの間まで介護職員として札幌市某施設で介護職に従事していました。

しかし、ついこの間首になってしまった.....
理由は、刺青でした。
遡れば2002年人生で初めて某少年刑務所に入所しました。そして、またも懲りず2014年暮れ某少年刑務所に入所することとなった。

塀のなかの懲りない面々ですわ....(笑)
そして、2017年1月に仮釈放にて出所、正直不安でしかたがなかった。まずは、仕事に就かねばと。
引き受け人である父の元で初めて父との二人暮らしが始まった。正直、父と暮らすのは嫌で、満期出所し、生保でも受けようかと獄中のなかで考えたりもしたが、やはり塀のなかは自由などない。
やはり、父との暮らしを選び6か月の刑を残し出所する事を選んだ。
仮釈放中は、毎月二回保護司さんにあわなくてはならない。
そう、肝心な仕事、どうしたよいのか悩んだ。

いまは、資格の時代何をするにも資格を持っていれば有利、そこで、介護の資格を取る運びとなった。

今や日本は超高齢者社会。介護はとても需要がある時代、長い目で見ても資格さえ有ればすぐにでも働けます。なぜなら、求人倍率が高いから。
しかし、給与面なんかに於いてはギリギリ生活出来るようなレベル。
しかし、焦っていた自分は、3月より、職安で行っている職業訓練で初任者研修を取得するため学校へ通うこととなった。学校なんて20年以上ぶりのこと、そして3ヶ月の授業をうけ、晴れて初任者研修を取得した。
学校では仕事は斡旋してくれない。足しげくハロワに通うか、求人紙をみて仕事を探さなければならない。正直、仕事探しなんかかったるい。そこで、某介護workerに登録し、6月末より小規模多機能ホームに就職した。
右も左もわからないなか、着々と仕事を覚えていった。

実際、介護はしんどかった。身体的と言うより精神的負担が大きかった。実際、知り合いで介護をしていたが、心のバランスを崩してしまい介護から一時離れている人もいた。

施設に居る利用者の方たちは、人生のだいせんぱいたちだ。しかし、こんな前科者に対して温かい気持ちで接してくれた。
心の中でも思った。「俺は前科者、これでいいんだろうか?」そういう葛藤が芽生えた。🌱

しかし、生活していくには働かなくてはならない、しかも人生で🔰て取った資格。
無駄にはしたくなかった。
そして、2ヶ月が経とうしたとき社長から違う施設で頑張ってください、すなわち首になった。
そのときは、刺青が理由ではなく、憶測ではあるが、見た目のいかつさ、そういつた部分で判断サレタノダト思った。思わず泣いた😢⤵️⤵️
「やはり、前科者は、所詮ろくな目にあわないんだ...」。
しかし、生活があるのでここで立ちすくむ訳にはいかない。

その後、二軒の施設に面接にいき、二軒目の施設で採用となり、派遣社員として働くこととなった。
「つぎこそは、続けたい、」
硬い決意を固めた。

そして、とある日入浴介助をする事になった。
しかし、不覚にも左腕に入っていた刺青が同僚にばれてしまった!サポーターで隠してはいたのだが、何かの拍子でサポーターがめくれ見えてしまったのだ。同僚は、さほど気にする事なく入浴介助はおらわったのだ。しかし、翌日介護workerから連絡あり施設の上層部にばれてしまった!

しかし、刺青を隠しとうせば業務を続けてもかまわないと言う答えが帰ってきた。ふっ、( ´,_ゝ`)と一安心もつかの間、また介護workerから連絡があった。
何か嫌な予感がした。見事に的中した。
施設を運営する本部が刺青を入れている人間は、使えないと....
すなわち、また首になった。

そして、現在また介護を続けるか、違う職種に着こうか路頭に迷う日々を送っている。

そう、前科は一生つきまとうものだ、やはり、全うな人生を送る事の大切さを、改めて認識した。

前科と介護、なんだか矛盾していて相反するものである。
みなさん、全うに人生を歩みましょう。