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日々のおもしろ事をキジオの視点で切り取ります。

就業中に展示会に行くことは良くて、雑誌を読むことはダメで。

こんばんは。 就業中に雑誌を読むことに罪悪感を覚えるキジオです。

今日は3時間ほど雑誌のみを読んでいる時間がありました。 僕のデスクで、周りは働いている中。

雑誌はとても勉強になります。展示会と違い体を動かしてってことはないので欲しい情報のザッピングの効率もよく、得られる情報量も多いです。体感という面では当然展示会に劣りますが、どちらも良い情報収集手段であることは間違いありません。

さて、弊社は就業中に展示会にて情報収集することは認められています。交通費や移動のロスを含みますが、勉強のためと割り切ってくれています。

情報を収集するという意味では雑誌も同様かと思うのですが、読んでいるとサボっているのではないかと注意されます。注意しない人も明らかに警戒しています。

展示会に行くよりも時間を無駄にせず、かつ情報も多く得ているのになあと思います。結果だけで判断してはくれないようです。働いていない間は、働いていない姿を周りに見せては行けないようです。なんでしょうねこのルール。ロスする時間、費用で言えばよっぽど雑誌のほうが少ないのに。

効率だけで判断することは出来ないみたいです。

展示会に行くように、働いていない姿を見せてほしくないのであれば、僕は雑誌を持ってカフェにでも行きたいのですが。展示会と同じ外出で、しかも費用も時間も展示会に行くよりも抑えられますし。

そんなこと言っても、まかり通りはしないのです。

久しぶりに書くこと

お久しぶりです。 書かずに怠けていたキジオです。 ようやく復帰の踏ん切りがついたので記事を書きます。

僕に踏ん切りをつけさせてくれたのは田中裕子さんのnoteの一節です。

田中裕子さんはnoteに記事をほぼ毎日投稿している方で、僕が唯一名前を覚えている方です。たまたま記事を見つけて、何となく僕の憧れている文章スタイルだったので惹かれました。

記事を書くことをサボっていた間、後ろめたさから僕はnoteも読むこともやめていました。あまりにきまりが悪くなったからか、ふとnoteを開いてみると、たまたま田中裕子さんの記事がタイムラインのトップに来ました。

書き出しの一節が「久しぶりに書く。」でした。

この一説を見て、どうやら僕が書いていなかった間、同様に田中さんも書いていなかったのかと気づきました。アレほど毎日丁寧に文を書く人が「久しぶり」と言う。珍しいなあと思いました。

「久しぶりに書く」の後にはすぐ本編です。なぜ久しぶりか、なんてねちっこい言い訳は続きません。そんな、長らく記事を更新していなかったことを気にしていないかのようなサラッとした一節に驚かされました。


それに比べて僕は、やれ久々の記事ならば良いものをかかなきゃとか、やれ今は記事より年賀状作りなど別のことをやらなきゃとか…。記事の質のハードルを上げて、記事をサボるハードルを下げている場合ではないのです。書かない状況づくりが巧すぎて、キジオ脳内会議の書こうぜ派は黙る他ありません。

さあ、そんな田中さんの一説を見て僕は踏ん切りが付きました。

僕が物事を続けられないのは熱しやすく冷めやすいからで、この「冷めやすさ」がダメなんだと思っていたのですが、それ以上に「冷めてからの熱しにくさ」がダメな原因なようです。すごい人は、すぐに追い焚き出来るようです。

これからも執筆を続けていきたい思いはあります。「冷めたから終わり」なんて割り切り方はやめて「冷めたらまた温め直そう、いつでも温め直せばいいんだよ」と、ゆるーく考えていきたいです。何事も。

LINE家計簿の「ひっかかり」

こんばんは。 家計簿をようやく始めたキジオです。

アプリで家計簿は前々から始めようと思っていましたが、なかなか手がつかず(多分そんなに乗り気じゃなかった)、例によってTodoリストに溜まり続けていたわけです。

そんな状況を打開してくれたのが「LINE家計簿の登場」です。

家計簿アプリの場合はどんな機能が必要かも自分で判断できないため、使うやつを決める時は口コミに頼りたくなります。口コミで言えばzaimとかマネーフォワード、マネーツリーあたりを選択肢として、あとはデザインの好みで選べば間違いないのかと思います。

そんな僕が敢えて選んだ、口コミなしのLINE家計簿。機能性が保証されていないLINE家計簿。デザインは好きだぞLINE家計簿。

LINE家計簿は僕に「家計簿アプリをはじめるきっかけをくれた」という恩があるので即決でした。機能性もまあ大丈夫でしょうと、多少粗があっても目を瞑るよと。


選択肢が並んでて、いい意味でどれでも良いなって時の決め手は恩とか縁とかなんですよね。ビールの銘柄とか大手銀行とか何となく自分が選んだものの理由を改めて考え直すとしょうもないなって感じることが多いです。

だから自分が何か提供する側の場合、機能とかデザインとは別の次元にある、恩や縁をこぼさないための「ひっかかり」をどれだけ作っておくかも大事なんだと思います。

色んな人にひっかかるブログにしていかなきゃなと焦ります。

ボスタスク

こんばんは。
溜まっていた雑務をたくさん倒したキジオです。
僕の世界に平和が訪れました。

みなさんも、更新するたびTodoリストに残っている、面倒くさい雑務があるんじゃないでしょうか。

僕の場合それがお金周り系タスクでした。

家計簿アプリの導入、銀行口座の登録、クレジットカードの登録、あとは奨学金とかサブ財布のカード仕分けとか、僕のお金周りシステムを一気に整えることが出来たので報告します。

お金周り系タスクって長いんですよね。ゴールまでが遠い。

例えば銀行口座に関して、これは6ヶ月前に開設が済んでいたんですが、開設だけして安心して、肝心の使用環境は整えてませんでした。クレジットも奨学金もサブ財布も同様に、途中まではタスクを進めつつも、トドメには至らない状態でした。

さて、そんなタスクの完全討伐のきっかけになったのは家計簿アプリの導入です。Line家計簿が先日(2018.11.13)リリースされて、すかさず飛びつきました。

導入理由ですが、もちろん「家計簿をつけたい」なんてのはあるんですが、「溜まりきったタスクを解消したい」もありました。

家計簿アプリはお金周り系タスクの頂上にいます。家計簿アプリを使用するには諸々の環境を整える必要があります。とりまきを倒さないとダメージが通らないボスのようでワクワクしますよね。

目的が出来たおかげで、ようやく僕は剣を取ることができました。

タスクを一つ一つ丁寧に倒し、晴れて家計簿アプリにありつきました。いやースッキリ。


タスクが溜まってしょうがない時は、そのタスク消化が条件の一つとなるような、更に上のボスタスクを見つけるといいかもしれません。今まで溜めていたタスクが途端に簡単に感じられますよ。

避雷針

こんばんは。
部屋着は高校時代のダサ赤ウインドブレーカーのキジオです。

以前紹介したとおり、僕は部活動のウインドブレーカーを、大人になった今も部屋着として利用しています。これがまた赤くてダサいんです。

ただ唯一、デザインとして優れているところは、背中に〇〇高校と行書体で刻まれているところです。

一見ダサく見えるこの文字、しかし僕はこの文字に救われています。

〇〇高校の表記はもはや「これは高校の部活で使用していたものである」という焼印です。まあダサいのですが、この焼印のおかげで、「ダサいのは服で、僕ではない」とアピールすることができます。ダサさの責任を服が一手に担ってくれています。

ありがたいなあ。

ウインドブレーカーの色は白にしておけよ

こんばんは。
寒くなってきましたがとりあえずエアコンを我慢するキジオです。

我慢する人って一定数いますよね。 早いうちから寒い環境を用意して、これからくる本格的な寒さに順応させておきたい人。科学的根拠もなくバカやってんな〜と思うかもしれませんが、データはどうあれ気持ちの問題なので何も言わないであげてください。強くなる気がするんです。野菜も寒いとこで育つと甘くなるでしょ。そんな感じで。

寒さ耐性の向上のため、なんて目論見はさておいて、僕がエアコンを点けずに粘るのには別の理由もあります。

それは厚着ができることです。

僕は厚着が好きです。パーカーもトレーナーもフリースも、布団にくるまっているような安心感があります。夏の間は半袖で我慢してきたんだから、その思いが爆発して、季節の変わり目はこれみよがしに厚着するんです。厚着のためを思うと、エアコンは余計なのです。

さて、厚着コレクションのなかには「ウインドブレーカー」というものが存在します。学生の頃、テニス部にバド部、バレー部とかもよく着てましたよね。このウインドブレーカーが現役を退いてなお7年間部屋着として活躍してくれています。

例によって今年もウインドブレーカーを引っ張り出しては着ているのですが、やっぱり色が気に入りません。完全な「赤色」です。差し色の赤ではなく、メインとしての赤、真っ赤っ赤、大変ださいです。

部の世代ごとに統一する必要があったウインドブレーカー、高校生だった当時から僕は「白か黒」を主張してきました。白と黒は弱そうに見えて他校に舐められる、とかいうアホみたいな理由で却下されたことを思い出します。あの時、大人になっても着られる良さが白黒にはあるぞ!と使い回しの良さで推せばかったなと今になって後悔しています。

この赤ですが、今年は特に恥ずかしいです。今までは一人暮らしをしていたので誰に見られることもなく赤を着ていて、不便といえば外に出られないことぐらいだったのですが、今年は共同風呂に共同トイレに共同キッチンにトイレにランドリーに…赤を着て人目に触れる機会が出来てしまいました。

はーしんど。

使わないから埃がたまる

こんばんは。 家では一人ゆっくりしたいキジオです。

今日は件の風呂場に5人もの人が詰めかけました。 いつもは無駄に広く感じる風呂場も5人も集まれば窮屈で、隣の人のシャワーの水しぶきが飛んでくるほどです。 風呂場には会話こそ響いていませんでしたが、その分シャワーとか桶の音が際立っていい時間を過ごせました。

いつも通りシャワーを浴びながら考え事をしている僕の今日の議題は「この椅子、汚そうで嫌だなあ。」です。

風呂場にはプラスチックの椅子が6つ用意されています。ちなみにシャワーの数に対して足りてません。それは置いといて。普段6つの椅子は風呂場の入り口にピラミッドのように積み重ねられており、使う人がそこからひとつ調達してシャワーの前で座るという作法があります。

誰のケツを支えているかわからん椅子なんぞ使いたくない僕は、椅子には目もくれず中腰でシャワーをするのがきまりでした。

ただ今日は5番目の入室で、みんなが椅子に座っていたもんで、みっともない中腰スタイルは封印せざるを得ませんでした。汚い椅子に僕のケツをなくなく着陸させてシャワーを浴びます。

椅子に座る事自体嫌なのに、特に5番目の椅子であることも気になりました。5番目の椅子、それはピラミッド積みにおける土台の椅子です。風呂場に5人も集まる機会なんてそうはないので、誰にも使われていない椅子だと思われます。僕はこの使われていない椅子こそ汚いんじゃないかという価値観を持っています。

普段使われる椅子は、他人のケツと仲良しでこそありますが、その分シャワーの水流を頻繁に受けるので、衛生的でもあるはずです。逆に使われていない椅子は、ただただ風呂場の湿気を受け続け、上部に重なる濡れた椅子から滴る水を受けて育ち、その汚れを洗い流してくれる人も現れません。よっぽど不衛生だと思いませんか。僕はそんな椅子に座っています。

この椅子を掃除しろとは言わないので、だれかが使ってくれよと思います。使うだけできれいになるのです。これぞ寮の綺麗維持の鉄則なのです。洗面台でもトイレでも、たくさんあるんだから満遍なく使っていきましょうよ、手前のやつばかり使うのはやめましょうよ、と思うわけです。

気づけば僕の前に風呂にいた4人はいなくなり、僕ひとりが残されていました。シャワーを止め、椅子を持って立ち上がり、入口の前のピラミッドの前で止まります。ピラミッドをぐちゃぐちゃに組み直し、持っていた椅子を頂上に添えて風呂場を後にしました。