さようなら、ギャングランド
やはり東山彰良の小説はおもしろい。
スピード感がすばらしい。
特にギャング・チンピラ物。
暴力、欲望がグルングルンと渦巻き、登場人物たちは血まみれ泥まみれになりながら、ある時はクールに、ある時は路地裏のゴミのようにみすぼらしく、その渦中を駆け抜けていく。
今回読んだ『さようなら、ギャングランド』も素晴らしかった。
登場人物は一癖も二癖もあるチンピラゴロツキヤクザにポン引き。
「この人の作品こういうの多いな」
私は素直にそう思ったりもするが、登場人物が持つ矜持、人生観が皮肉たっぷりの少々気障とも言える作者の文章で描かれると「ひゃーっ!!」と、早く早くとページをめくってしまう。
女性の描き方もまた良いんだ。
こんな作品だから頭の悪い娼婦だったり、いわゆるビッチだったりするわけだけど、そういうキャラクターだからこそ愛情が深い。そして移り気だ。
思うに移り気であることは、決して愛情が無いわけではないのでないだろうか。
などと、この作者が書くようなことを考えてしまう。
むしろ逆で、愛をたくさんの方向に向けることが出来るのでは。などと。
東山彰良は良い。
ただ、二回目になるが、作品のストーリーが似ているのが多いから、
「あれ、これ読んだっけ……」
と本棚の前で頭をひねらせねばならないのが弱点である。
まぁ何回読んでも面白いのだけれど。
次は『さよなら的レボリューション』を読もうと思っている。
……これ読んだっけ。
『ベルウッドの光』
工藤祐次郎さんの新曲『ベルウッドの光』がとても良い。
アコースティックギターのブギ風弾き語り。
いつものようにゆるく、しかしどこか寂しくなるような美しいメロディ。
彼の音楽には郷愁が漂っている。
この『ベルウッドの光』は、旅立とうとしている者の歌になっている。
旅立とうとしている者が遠くへ(時間も距離も)歌っている、そんな歌詞になっているのだ。
新曲『ベルウッドの光』はyoutubeにある工藤祐次郎さんの公式チャンネルで観ることが出来る。
URLはこちら。
ぜひどうぞ。
春に鳴くセミ?
先日、海浜公園に仕事に入った。
良く晴れた日であった。
海は青く、強烈な日差しを受けて、波がキラキラと輝いている。
もう春というより初夏だ。
広い公園内を2tダンプを最徐行で転がす。
のんびりしている。
こういう時が造園という仕事をしていてよかったと思えるタイミングである。
と、道の脇の松の林からおかしな鳴き声がする。
キリギリスの声が野太くなったような、クツワムシがうるさくなったような……。
なんというか、セミの鳴き声に似ている。
鳥かと思ったが、それにしてはいたるところから声がするし、その割に姿が見えない。
そのあたりもセミっぽい。
「でも4月に鳴くセミなんて……」
調べたらいた。
3-6月にその声を聞くことが出来るらしい。
名前は『ハルゼミ』。
そのままやないですか。
なんとこのセミ、超偏食であり、松の林とその周辺にしか生息しないという。
それも良く晴れた日に、午前10時ごろから午後2時の間がメイン。
なるほど、どうりでその存在を今まで知らなかったはずである。
あんまり海辺に行く機会も少ないしなぁ。
しかし、春に鳴くセミもいるとは、固定観念を覆された気持ちだ。
思い込みは良くないなぁ、という話。
『ぐぎがさんとふへほさん』
『ぐぎがさんとふへほさん』
岸田衿子・作
にしむらあつこ・絵
福音館
タイトルからしてナンセンス。
本を開くと、やはりやはりのナンセンス。
まず、ぐぎがさんは家の玄関のドアを押すと、ドアはぐぎがさんの形に穴が空く。
ふへほさんはおなかがすくと宙に浮いてしまうクセがある。
うーむ、ナンセンスである。
とんでもないふたりだ。
釣りをすれば、ぐぎがさんは大きなブルドーザーを釣り上げる。
ふへほさんはふにゃふにゃの空気の抜けたゴムボート。
ぬぬぬ。よくわからない。
よくわからないけど……。
楽しければなんだっていいのだ!
文は岸田衿子さん、絵はにしむらあつこさん。
岸田衿子さんのナンセンス絵本はめずらしい気がする。
『かばくん』おもしろかったなぁ。
『クリスマス・イブ』
マーガレット・ワイズ・ブラウンは、言わずと知れた絵本作家だ。
絵は描かないけど、いつだってすばらしい物語を作り上げてくれる。
この『クリスマス・イブ』は、彼女の遺作であるらしい。
その作品に、ベニ・モントレソールという、イタリアの舞台美術家出身の作家が絵を付けたものである。
不勉強であるが、ベニ・モントレソール、初耳であった。
「『ベニ』が男なのか女なのかも分からないな。日本人だから、紅(べに)でなんとなく女の人っぽい雰囲気に感じてしまうけど……」
……なんだか貧弱な発想をしている気がしてきた。
まぁ、とにかく調べてみると男性であった。
芸術家・オペラ演出家・映画監督・舞台美術作家・美術、衣装デザイナー。
そして絵本作家、と並々ならぬ肩書きの数々である。
絵本をめくると、その肩書きの数々に恥じぬ圧巻のイラストが広がる。
———まよなかのことでした。
———それも クリスマスの そのばんでした。
無駄なことばの無い物語の始まりは、マーガレット・ワイズ・ブラウンの得意とするところだ。
ガシーンッ、と心をつかみ、私たちは物語のなかへ。
彼女の文章はうるさくない。
しずかでやさしい。
彼女の文章そのものが、幼い頃に感じたおだやかであたたかな夜のようである。
オレンジの下地に黒、黄色、赤のみで描かれたベニ・モントレソールの絵がまた、無駄をそぎ落としたシンプルなもので、そのデザインの普遍さが、作品にさらなる落ち着きとしずけさをもたらしてくれる。
クリスマスのまよなか、4人の子どもたちが眠れず、ひっそりと寝室を出て、クリスマスツリーにおねがいことをしに行く物語。
子どもたちは途中、窓の外から歌声を聴く。
きよしこの夜。
大人たちの歌うその曲を聴いた子どもたちは、寝室に戻ってゆく。
ふしぎなこと。
言い換えれば、魔法のようなことは夜に起きるものだと、私は幼い頃に思っていた。
この絵本は、そんな私の幼い頃に捧げられている気がする。
魔法のような夜が、この絵本の中にある。
可愛すぎるぜ、ムーミンのドーナツ
先日薬局に行くとこんなものが販売されていました。
思わず私は歩く足を急ブレーキ。
後ろに人がいたら危なかったけど、これを見て止まらないヤツがいるってのかい。
ムーミンのドーナツ。
なにこれ、マジで可愛い。
私は、ムーミンはこの原作に忠実なデザインがすこなんだ。
アニメなどにあるデフォルメされたムーミンはちょっと可愛すぎる。
可愛すぎてダメなのだ。
化け物と可愛い動物の間くらいのこのデザインが良い。
我ながらひどい言いようだ。
しかし、絵本を読むときも可愛すぎる絵は少々辟易してしまうことがある。
29歳男児だからやむなしであろう。
とにもかくにもムーミンドーナツを購入。100円ちょっとだ。
や、安い。
100円でこの癒し。
なんというコストパフォーマンスであろうか。
フィンランド生まれのこのキャラクターたちは半端じゃないんだよ馬鹿野郎が。
私は誰に怒っているのかもわからない。
絵本を紹介しようとしているブログにふさわしい言葉遣いなのかもわからない。
しかし私はドーナツをパクつきながらこの記事を書いている。
バターが効いていてうまい。
小さなドーナツが袋に小分けされて5つくらい入っているのだが、その全てに、ミィやスナフキンがプリントされているんだよ。
可愛い〜っっっ。
ムーミン好きなそこのあなた。
是非どうぞ。
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#ムーミン
くまちゃんとおじさん、かわをゆく
幼い頃はやはり、自分を引っ張ってくれるアニキ分に懐いてしまうものである。
私には兄がひとりいるのだが、幼い頃はむやみやたらに暴力的で実に恐ろしかった。
一応ついて回ってはいたが、正直びくびくしながら遊んでいた。
そこで私は近所に住んでいたT君と遊んでいた。
T君は兄の同級生だった。
だけどなぜか兄とは遊ばないで、私とよく遊んでくれた。
彼はひとりっ子だったから、弟分が出来てうれしかったのだろう。
T君は私を「いくぞ! ついてこい!」と引っ張りまわしてくれた。
家の近くにあった林の中にある古い大きな家(屋敷と言いたいところだが……あれはどう見ても『家』であった)に探検に行ったし、すこし遠くの土地まで自転車を漕いで行ったりした。
T君といると、なんだか少し大人になった気がしてうれしかった。
ちょっと危ないことをすること、言うなればほんのちょっとの冒険は、幼い私を少しだけたくましくしたのだ。
『くまちゃんとおじさん、かわをゆく』を読んだとき、私はその感覚を思い出した。
この作品は、主人公、こぐまのくまちゃんが、遊びに来ていた(たぶん)おかあさんくまの弟、つまり叔父さんと一日お留守番をするお話だ。
おじさんっていいよな。
お父さんとも兄ちゃんともちがうのだ。
近いけど、ちょっと遠い感じがする。
可愛がってくれてるけど、ちょっと雑なカンジがして、だけどそれが対等に扱ってくれてるようでうれしかったりするのだ。
この物語のなかで、おじさんくまは、私の思い出の中のT君のように遊びに誘ってくれる。
その誘い方が実に良いんだ。
「~しようぜ」と誘ってくれるのである。
「~しようよ」
「~しようか」
では無いんだ。
「~しようぜ」
この誘い方がたまらなく良い。
先ほども書いたが、対等なカンジがする。
いっしょに遊ぼうぜ、って言ってくれてる気がする。
「うん! やりたい! でもどうすればいいの?」
なんて気軽に聞けてしまいそうな、カラリとしたやさしさに満ちている。
絶対に楽しいことが待っているような気がしてしまう。
いいよなぁ、この誘い方。
作中で、タイトル通り、くまちゃんとおじさんは川をカヌーでくだる。そしておじさんが見つけてくれたのいちごのたくさん生えている場所で腹ごしらえして、くまちゃんはそのあと、生まれて初めて自分で魚を捕るのだ。
いつもはおかあさんが捕ってくれているのに!
あぁ、なんという冒険の一日!
きっと誰もが、こんな一日をいつか体験しているのだ。
もしかしたら、おじさんと遊んでいるところをおかあさんに見られたら、くまちゃんは止められてしまうかもしれない。
怒られてしまうかも。
危ない。あなたにはまだ早い。なんて言われてしまうかもしれない。
だけど、物語の最後、くまちゃんとおじさんは一足早く家に帰って、おかあさんとおとうさんを迎える。
そして、くまちゃんはおかあさんに言うのだ。
「はじめてさかなをとったんだ こんどおかあさんのすきなさかなをつかまえてあげる」
思わず私は微笑んでしまった。
やはり、アニキ分との冒険は、私たちを確実にたくましくさせる。
懐かしく、あたたかな気持ちになれる『くまちゃんとおじさん、かわをゆく』。
おすすめです。
ぜひどうぞ!