今日もそこに建っている
どうも!もぎこです。
最近、わたくし引っ越しをしました。都内にある駅で、駅の周辺には一軒家やマンション、アパートが立ち並んでいます。
近隣を散策していると近代的ないわゆるデザイナーズマンションや真新しい一軒家が多く立ち並ぶその一角にところどころポツポツとある『木造』。それもとても年季の入った、そう、戦後の前後あたりからあるような古い木造があります。
「おお。この家は昔の木造の造りで、とても古い様子だ。裏口は高さ1メートルほどしかなくて出入りしづらそうだし、漬物の壺が無作為に外に置かれているなあ」と思っていましたが、ある日、その家が建て壊されていました。
そう、この家は『空き家』だったのです。引っ越してきたばかりの当時は、マジマジと一軒一軒を眺めてきたわけでもなく、私には、よくわかっていなかったけれども。
調べてみると、空き家は年々増加傾向にあり、なんと日本国内の建築物の13%が『空き家』になっているらしいです!えええ!!
都市部ではチラホラ見かける程度かもしれなけれども、きっと地方にいくと、空き家の数は加速度的に多いんじゃないでしょうか。
https://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2013/10_1.html
空き家ができる過程や背景にはきっといろんな歴史がそこには詰まっているのでしょう。家主が高齢化が進み、子どもの家に同居をしているとか。介護施設へ入居されているとかを耳にします。改装してルームシェアや賃貸収入なんかに上手いことすることもできずに、ただ、今日もそこに建っています。
家主の子どもの目線で空き家について考えてみると、そこで育ってきた思い出があるから取り壊したくないんだよなあって思いが浮かびます。柱についた身長を測って跡をつけた傷跡。無造作に箪笥等に貼られたシール。庭に埋めてみたけど成ることのなかったスイカの種(そういえば実家では、リンゴの種がなぜか育ってスクスクと1.5メートルくらいの木に成長していたっけとかを思い出します)。
現実問題に視点をあてると、
・取り壊しのための費用
・取り壊して空き地にしても、そのための管理費費用
都内や都市部の立地が良いところなら、駐車場にでもすればいいのかもしれないけど、そうはいかない土地もあるでしょう。
さて、そんな空き家ですが、家主はいなくても「建物」なんです。
有機物なので、いつまでもそこにあるというわけにはいきません。物なので壊れることもあります。台風がくれば石が飛んできて窓ガラスが割れることも。突風に屋根瓦が外れて、飛んでいってしまうことも。。。中学生の頃の台風かなにかで強風、近所のいわゆる町の工場を通ったとき、工場の看板が突風とともに外れて私に向かってきたときは死ぬかと思った。
そんなときのために「火災保険」に入ろうという相談が、一定数きます。
看板が外れて通行人に当たりケガをさせてしまっても、保険からお見舞金も支払えるよ!
近年、規定が改定されて、空き家は保険に入れません。以前は加入できてたんですけどね。
保険に加入可能な前提条件はこれなの。
・ライフラインが通っている
・人が住んでいる(海外出張とか、戻ってくるけど外出している分にはOK)
なぜならば、保険が適用されるには
【人の管理下において、偶然起きた災害により、過失のない状態で発生した損害】であることが必要だからです。
保険金欲しいからわざと台風のときに窓ガラス割っておいて、保険会社に請求しようぜ〜、なんてやられたら、保険会社はたまったもんじゃない。それは保険金詐欺です(ブラックリストみたいなものがきちんとあるから記録残りますよー)。
だから、ちゃんと人様に迷惑かけないように人が管理していたけど、「自然災害や車が突っ込んできて事故られたとかはしゃーないよね、可哀想だね、保険金を修理費用に充ててね」っていうのが火災保険なのですよ。
なので、ずっと人が居ない家だと、割れた窓ガラスは昨日の台風で割れたものなのかが分からない。昨日の台風で割れたのかも知れないけれども、もしかすると、その前からヒビが入っていたのかもしれない。それを住んでいたら気づいて、大惨事になる前に対処できていたかもしれない。
泥棒にあった!けれども、人が居ないから盗み放題だぜ〜って盗まれたから保険を!!ってのは、毎日家に明かりが灯る家と、そうじゃない家を比べれば防犯力は火を見るよりも明らかだ。
あ、火災保険って火災以外にも、水災、風災、窃盗、地震とかも保険請求の対象になりますよー。
だから、空き家は火災保険に入れません。
これってでも、これから空き家はどんどん増えていくだろうし、かなり問題になると思うんだよなあ。ただ保険会社の気持ちもめちゃくちゃ分かります。
国が対処してやれよなんて、なんでもかんでも国に責任押し付けるつもりもなくて、家を購入するというのは、そこまで考えていくのも必要よなあと思うやつ。
古民家改革や中古物件をリノベーションするというのがだいぶ増えてきているようでもありますが、自発的に要望がないとなかなか自分事化するのは難しいのだと思います。かくいう私も実家は持ち家ですが、その辺の話は一切できてませんしね。
みなさんのご実家では、そういう話、できてますか。
ご自身の持ち家は、管理できてますか。
今日も空き家は、そこに建っています。
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あなたに隣にいてほしい
どうも!もぎこです。
日常生活を送るなかでついつい
「あ、あそこのアレ取ってよ。アレ。」
『え?アレってなによ? どれ?』
のような、あれこれそれどれの言葉を使って会話をしてしまうことってありますよね。
そういう言葉遣いが生まれることをあれこれ症候群なんて呼ぶそうです。
http://www.niigatakouseiren.jp/kariwa/763/
これってよく会話をしている間柄の人とは自然と発生し得ることなんですけど、こういう会話を続けていると、物忘れがひどくなっていくとも言われています。
今日はそんな物忘れ「認知症」について書いてみようと思います。
■認知症
昨日7か月ぶりに実家に帰っていたんですけど、どれ、しばらく両親に会ってないし顔を見せようかなと気軽な感じで帰ったんですね。
そのなかで会話は、先々月にひ孫(私には姉がいて、その子供です)を見せに行った祖母の話になりました。
祖母はいま80歳くらいかな。
女性の平均年齢が、2017年度までのデータ「平成29年簡易生命表」だと87歳(男性は81歳)なのでもう良い年齢です。
戦後に幼少期を過ごしていたからか、当時不足していて飢えていたであろう甘いものがとても好きで、私が物心ついた頃には既に糖尿病でした。
私が小さい頃は年1回は祖父母の家を訪れ「かなちゃん、お菓子あるよ。」とあれもこれもと食べさせてもらっていて、なかでも、祖母のお手製の「くるみゆべし」がとても好きでした。
知ってます? くるみゆべし。
見た目は茶色かもしれませんが、くるみがじんわりと甘い、くるみのお餅です。
祖父は趣味で自分たちが食べる分だけですけど畑をやっていて、車で畑まで連れていってもらって、熊の大きな足跡を見せてもらったりもしました。
祖父が畑の作業中、機械に足を挟まれてケガで入院してからはもうすっかりやめてしまったけれども、昔は祖父母が育てたリンゴや梨、お米と加工したよもぎ餅が送らさってきてました。
※「送らさって」=送られての方言です。
ずっと東京育ちの私が唯一知っている方言なので、忘れたくないし、ずっと使い続けていきたい言葉だと思ってます。
祖母は手先が器用で、編み物やビーズでアクセサリーを作っていて、一緒に作らせてもらったものは今でも残っています。
祖母と遊んでいると父がやってきて、〇〇の親戚のところに挨拶に行くと言うのだけれども「いやだ。おばあちゃんと一緒にいたい」と駄々をこねて「かなちゃん、ちゃんとお父さんといっておいで」と祖母を困らせては祖母に説得されていました(笑)
わたし、おばあちゃん子なんです。
話を戻して、実家で祖母の話になったときのことをそろそろ。
父「ばあちゃんな、あの…記憶のほうがそろそろ、な」
も「認知症?」
父「こないだ田舎に帰ったときのことなんだけど、財布を持ったかどうかすぐに忘れてしまうから、持っておいてほしいって頼まれたんだ。
そしたらしばらく経つと『今日財布忘れてきてしまった。どうしよう。』と言い始めて。。。
持っていると伝えて話が終わっても、しばらく経つとまた、同じことの繰り返しなんだ。
でも、じいちゃんの返し方がすごく上手くてな。
テレビで相撲の白鳳が出てくると
祖母:この人、結婚はしないのかなあ
祖父:お前知らなかったのか? 白鳳はきれいな奥さんとこないだ結婚したんだよー。
って返しててな。
それでもまた時間が経つと同じ会話を繰り返す。
またじいちゃんは同じように、返す。」
一緒に暮らしている息子夫婦は少し精神的にしんどいと、言葉を漏らしていると聞きました。
普通に暮らしていた祖母の姿を知っているから、過去と現在とにギャップを感じてしまうのは至極当然のことだと思います。
でも祖父は、祖母が忘れてしまったと気づいて自尊心を失うことのないように、今日初めて知ったのだから知らなくて当たり前という風に過ごします。
……………
…すみません。
話を聞いた昨日は大丈夫だったんですけど、目に見える言葉にすると、祖父母を知っている分こみ上げてくるものがありまして。
いつもはぶっきらぼうで、短気で、かまってちゃんで、無口で、大きな音であくびとくしゃみをする祖父が、祖母を想う気持ちを知って、祖母は素敵な人と結ばれたのだなあと思いました。
そんな祖母が認知症になることになった原因も、私は知っています。
もともとそんな料理が得意ではない祖母。
息子夫婦と一緒に暮らすようになって、お嫁さんがご飯を作るようになると「祖母の作る料理はそんなにおいしくない」と言われたんだそうです。
そこからは私が作るよりもお嫁さんがと、自分ではだんだんと料理をしなくなり、次第にあれもこれも…昔は自分でやっていたことを全てお嫁さんにやってもらうようになりました。
認知症というのは自分の頭で考えて動かなくなると、脳の機能が使われなくなるので次第に脳が衰えていき記憶力が低下していくのだと、保険の仕事をする上で保険会社の方に教えてもらいました。
だから祖母が認知症になっていったのは思えば、当然の結末だったのかもしれません。
その祖母の話を聞いた当時から、私にもっと知識があれば、そばにいたなら、もしかするとこの未来はもう少しだけ後に遅らせることができたのかもしれません。
祖母が料理が得意ではないことは知っているけど、私は祖母が作るふわふわのにらたまの味噌汁や、少し隠し味に塩を入れる甘い卵焼きが好きです。
これだけは祖母から母へ、母から私たち姉妹に伝わっているとっておきのレシピです。
祖母は、きっとこれからも緩やかに、周りの人や物事を忘れていきます。
もう、祖母は、ひ孫が二人もいることを覚えていません。
父が田舎に帰った翌月には「しばらく、あんたと会ってないなあ。」と会ったことを忘れていました。
いつか、あんなに可愛がってくれた私のことも、父のことも、祖父のことも忘れてしまう日が来ます。
祖母がこうなる前に、姉のように花嫁姿を見せてあげることはできなくて、ごめんなさい。
祖母がこうなる前に、ひ孫の顔を見せてあげられなくて、ごめんなさい。
いつかそういう未来が来ることは、保険の仕事をしていく中で他人事じゃないことは知っていました。
知っていたつもりになっていただけかもしれません。
保険で認知の症状を無くすことはできなくても、費用面の負担を減らすことはできます。
でもなにより、資金とともに、家族同士の向き合い方もすごく重要だなと。
祖父も、祖母がすべての記憶を忘れてしまう日が、そう遠くない未来に起きるであろうことはわかっているんでしょう。
でも、これが二人が築き上げてきた愛のカタチなんだと感じて、こういう歳の取り方をしていけたらいいなと思います。
私は、私がいつかこんなに大切だと思える人ができたときに、祖父のような向き合い方ができるだろうか。
元気だったときを知っている好きな人が、自分が好きだったときと変わっていく姿に付いていけるだろうか。
まるで自分が知っていた祖母とは違う人間のようになっていく祖母を、私なら変わらず一緒に過ごせるんだろうか。
なかなか、祖父のように過ごすことは簡単ではなくて、これが二人が築き上げてきた全てなんだと思う。
それでも、あなたに隣にいてほしい。
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ペルソナはやはり多くの少数派に響くということ
どうも!もぎこです。
昨日は文章書くのつらい。ブログ毎日継続はマジ無理、、、放棄しよ。みたいなテンションだったくせに、今日になったら書きたくて書きたくて仕方なくなっていた天邪鬼はこちらです。
昨日のブログを書いてアップしてみて思ったんですけど、やっぱりブログや何かを表現するということは誰かから評価されてるということなので、人の目というのが気になるものだと思います。
じゃあ広く色んな人が知っているであろう話題をテーマにブログを書いたら反応が多くもらえるのかというと、そうでもなくて、「広く浅く」「狭く深く」とはよく言ったものです。
広く浅くも、狭く深くもどちらもあって良くて、どちらもが存在するから人間というのは面白いものなのだと私は思っています。
だから波のように寄せては引いて、引っかかっては流されて、浮いては沈んでいくクラゲを眺めているのがとても好きだったりします。
さて、今回のテーマは「狭く深く」についてお話を進めてみようと思います。
■ペルソナについて
みなさん、マーケティングの手法のなかに「ペルソナ手法」というものがあるのは聞いたことがありますか。
私はこれを知るまではゲーム/アニメのこちらしか知りませんでした。
↓
言われた通りお前は死ぬのか?
お前はどちらに従う?
幻が吐く呪いの言葉か?お前自身の魂か?
我は汝、汝は我
いかなる謎も幻も、もはやお前を惑わせない
ペルソナ
うーん。厨二病が全開でペルソナのセリフは好きです💜
では実際のペルソナはと言いますと
要はなるべく狭く深く商品を販売したいターゲットを設定していこうという手法です。
広く浅くの場合、多くの人数に見てもらうことは可能ですが、浅く突き刺さりすぎて記憶から忘れ去られてしまう可能性がありますね。
なので、狭くて少ない人数に見てもらうでも、深く突き刺さるほうが記憶に残るし購買する可能性が上がるというものです。
なんで今回ペルソナについて書いたかと言いますと、昨日の「ジャパニーズスマイル」について書いたブログが自分の予想では無反応かなーと思っていたら意外にも周りにもいたなあと声があって、驚いたからです。
深く突き刺さったかは知りませんけどね(笑)
というわけで、ペルソナはより深く狭く詳細のターゲットを決めることで、その効果は絶大になるかも?という内容でした。
あ、アニメとかもそうかもしれないですねー。
驟雨は降り止まない
どうも!もぎこです。
文章なんていくらでも書けるとおもっていたけれども、否、いくらでも出てくるのだけれども、そこに中身を伴わせるのは難しいものですね。
別に文章の長さはどうでもいいのだけど、後で読み返した時に自分がつまらない文章だと私のテンションが下がります。
どこまでこのブログ毎日更新を続けられるものなんだろうかと思いつつ、結局書いていて、読んでいてつまらないものになってしまうくらいなら、月1ペースとかゆるりとしたものでもいいのだと思っています。
さて、今回は少しだけ神経情報論、いわゆる「心理学」についての小話です。
みなさんはジャパニーズスマイルという言葉を聞いたことはありますか?
直訳すると、してしまうと、日本人の笑顔ですね。
なんだこれと思われた方が多いんじゃないかと思いますので少しずつ説明を。
これは日本人特有の遺伝される特性の一つでして、かつての日本ではよく見られていた現象です。
かつての、というのがポイントで、現代の日本人にはその傾向がみられくなった特性です。
どんな特性かと言いますと、、、
・悲しいときに泣き笑いする
・怒っているときに笑う
・苦しいときに笑う
・辛いときに笑う
マイナスの感情が発生しているときに、なぜか真逆の笑顔になってしまうという現象です。
実際には悲しいことが起きていても、笑顔をむりやりにでも作ることで、心を守ろうとする防衛本能みたいなものです。
表情は笑っている ⇒ 嬉しいことがおきている ⇒ 心も体につられて嬉しくなろうとする ⇒ マイナスをプラスで打ち消そうとする
少し昔を思い出してみてほしいんですが、小学校のときに先生に叱られているクラスの生徒がいたとします。
先生に叱られているのにヘラヘラと笑っている人、いませんでした?
居たと思います(居なかった人はごめんて)。
それです、そういう人のことです。
この特性は江戸時代のころまでは日本人の多くによく見られていたのですが、現代ではほとんど見かけることのない絶滅危惧種です。
どうして江戸時代かと言いますと、その頃はまだ人前での公開処刑や切腹が刑として存在していました。
その時に、その様子を見ていた外国人が書いた日記が残されていて、切腹しながら笑っている日本人を「CRAZY!!」と述べている記述があります。
そうやって昔の日本人は死へのつらさや痛みを、笑顔になることで打ち消そうとしていたみたいです。
ですが、処刑などとともにその特性は淘汰されていって、いまでも遺伝子にその特性が残っている人は少数です。
そのため、もしかすると会社やら学校で今まで「なにお前は怒られてるのにヘラヘラしてるんだ。反省してるのか」なんて言われたことがある人はいるんじゃないでしょうか。
きっと自分でも楽しいはずがなく、なぜ笑ってしまうのか、笑っている自覚はないのに笑っていると指摘されてきたかもしれません。
かくいう私もジャパニーズスマイルを遺伝子に持つ一人です。
ヘラヘラするなみたいなことは別に経験したことないですけど、これを知ったときは脱帽でしたね。
この特性の解決方法は特に知らないんですけど、なんで笑っちゃうんだろうと思っている人がいたら「むしろ絶滅危惧種じゃん!レアじゃん!」って言ってあげたいなあ。
わからないことに、みんなと一緒じゃないことに、いら立ちを覚える気持ちはわかるけどね。
それでもこれは教師側や指導する大人が知っていさえすれば、簡単に理解が進んで変えられる環境だと思う。
怒らないで、知って欲しい。
今夜の月は見えている
どうも!もぎこです。
もぎこのコトコト煮込みなんてブログの名前を付けているというのに、最近は全く煮込んでいません。
最初の方に書いてたブログなんてざらに4000字かけて論題についてコトコト書いていたり、画像も複数枚探しては貼り付け、執筆時間なんて4時間くらいかかってました。
ところがどっこい、煮込んでいないブログなんて、文字数は1000字くらいですし、執筆も30~40分にちょっと後から太字にしたり色を付けたりと編集している程度。
もはや煮込み料理どころか、野菜炒めくらいお手軽です。
例えに使う料理は豚キムチ炒めとかでも良かったんですけど、それなら豚キムチの炊き込みご飯とか、キムチ冷奴とかのほうが作るのも食べるのも好きだなあとか全くブログに関係ないことへ妄想を広げる自由な「もぎこワールド」を今日も展開して…完全なる私の好みで話を進めていきます( ^ω^ )
さて、今回は私の好きなクラゲに関連することを紹介します。
クラゲといえばあれです。
よく毎年夏の海でやれクラゲに刺されたとか、大量発生!?とかでこの時期ニュースになる海の生物です。
私は別に海にもプールにも夏に行くことはないんですが(誘われてもだいたい全力で断ります。だって水着なんて着たくないし。着るならどちらかと言うとガチで競泳用の水着を着て泳ぎたい)、水族館が死ぬほど好きなんですよ。
どのくらい好きかと言うと、時間が許されるならですけど、3時間くらいは平気で一人でずーっと眺めていられるくらいには。
去年、大阪にある海遊館に行ったときはたしか4時間半は滞在してましたね。
私はクラゲコーナーにキャーキャー胸をときめかせていましたけど、一般的には、ジンベエザメのダイナミックさとか、ネコザメ(だったかな?)やエイを触れるコーナーとかアシカのショーをガラス越しに30cmくらいの近さで見られることや、なぜか水族館なのに一緒にカピバラを見れて癒されることとか、けっこう色んな層の方が楽しめるんです。
そんな海遊館なんですが、実は私的にとても好きだなあと思ったのが、館内の途中に併設されている大阪港に面したカフェスペースです。
メニューがジンベイザメにちなんでソーダ味のソフトクリーム(アラザンが乗っていて可愛い😍)や、クラゲを模したゼラチン入りのクラゲソーダが販売されていて美味しいのに可愛くてカフェでもゆ〜っくりしたくなる空間でした。
お土産も通常の水族館で、どこでも売ってるようなグッズではなくて、オリジナルグッズが多々!
ディズニーみたいに、クッキー入りの箱で、食べ終わったらペンケースに使えるものやら、フリクションのペン等、日常生活に連動させられるようなものばかりでマーケット戦略も強く感じられて素晴らしかったのです。
これ以上語ることもできますが、お腹いっぱいになりすぎるよりも、腹八分目くらいのほうが良いと言うので、今回はこの辺で。
どうでしょうか。
行きたくなったでしょ(^^)?
為にならないようで少しだけ為になる話
どうも!もぎこです。
今回はちょっとだけ保険の仕事で得た豆知識のご紹介です。
そろそろアレの季節ですね。
アレです。
アレ。
…控除証明書(年末調整)の提出の季節がやってきました。
弊社は今月末の提出なんですが、早い会社だともう提出期限が過ぎてるみたいですが、一応、ほら、まだの人のためにご紹介を。。。
あれって私たちプロでも書くのがめちゃくちゃめんどくさいんですけど、普通の人はなにをどう書いていいのかから始まりません?
そこでね、お助けアイテムをご紹介しますですよ。
日本生命のホームページ〜!
https://www.nissay.co.jp/keiyaku/oshirase/hokenryokojo/kinyu.html
これの何がすごいって。
必要項目を入力するだけで、あのめんどくさい計算をすべてやってくれるので、それを書き写すだけなんです。
まあ、書き方わかんないよって人は私に聞いてくれても全然大丈夫ですけどね。
為になるようで、ならない今日この頃
どうも、もぎこです。
周りの人の発信や環境に触発されて、いままでサボりにサボってきたブログを書き続けてみています。
私は三日坊主になることがもうほとんどなのですが、今回、毎日ブログを更新しはじめて3日目になります。
今回はブログ更新から頭に浮かんだ昔話のあれこれを少し話させてください。
私は昔から三日坊主で、というよりも、なにかを続けることが苦手です。
否、続けさせられているような、なにか義務感のようなものが発生している束縛が嫌いです。
たとえばの例ですと
・学校に月曜日から金曜日(週によっては土曜日も)まで通っていたこと
・5歳から14歳まで3年間、毎週 週1でスイミングスクールに通っていたこと
・英語の塾に通っていたこと
・皮膚科の病院へ月1で通うこと
・通勤電車に揺られて立ち寝しながら会社へ通うこと
※立ち寝できるのは特技だと思ってます(笑)
学校は先生も友達も好きなんだけど、数学や日本史の授業とか先生が嫌いな科目があると嫌でした。
スイミングはコーチも友達も好きなんだけど、ターンが上手くできなくて、練習のたびに鼻に水が入るからその時間が嫌いでした。
英語は発音も聞き取りもできたから好きだったんだけど、単語をどうしても覚えらえれなくて嫌でした。
でも先生が飼っているダックスフントとアメリカンショートヘアは、なぜか先生よりも私に懐いてくれて好きだったなあ(先生になんでもぎさんの言うことなら聞くのかしら!って不満を言われていた)
小さい頃通っていた大きな病院の皮膚科は診察が始まるまでの待ち時間と、荻窪まで通う時間と、暗くて陰湿な雰囲気が嫌でした。
通勤は朝起きたくないのと、電車の騒音や臭いに敏感で吐き気もよおすことがあるので苦手です。
すぐにこのままどこか、海の見える場所へ行きたいなあとか思ってしまう。
これらは全部が 好き < 嫌い なことだったんだと思います。
自分から〇〇をしたい!は大丈夫で、〇〇しないといけない と勝手になった瞬間に、義務感を感じます。
さて、ブログが三日坊主になってしまっていた理由なんですが、たぶん勝手に「良い文章を書かないと」という制約を自分で作って、自分に課してしまっていました。
勝手に義務感。
勝手に鎖でがんじがらめ。
友人が、短めの文章でもとコツコツとブログを書いているのを毎日読んでいて、勝手に一定数の長さの文章を書かないとと思っていたようです。
それでもなにか忙しくなったときに、わたしはブログの更新をサボるかもしれません。
あららら。ブログを書かないことは単純に「書かない」だけなのに「書かなければいけないこと」で「サボることは悪いこと」だと、また勝手に判断していたようです。
少しだけ、日々の生活から真面目であることをゆる~くボカしていきたい、今日この頃。