洞穴暮らしのすすめ

食う、寝る、遊ぶ、ちょっと働くの「洞穴暮らし」 !!

地方の洞窟暮らしでは月10万円あれば貯金も出来る。

いやー、生きにくい。生きにくい。生きにくい世の中ですねー。

 

…。

 

こんにちは。じんべえです。

洞窟暮らしを目指すため、生活に関する全般のお話をしています。

 

で。

 

一体、月◎◎万円あれば生活出来るのだろう?

 

…と言う話は、「宝くじ当たったら何買う?」くらいメジャーな話です。

 

生活費は十人十色。「答えは無い」が結局のところでしょう。

 

それでは元も子もないので、「自分ならこれで行ける」を考えてみよう…と。

 

 

都会の洞窟暮らしを考える

 

東京は都市化が進んでいますから、洞窟と呼べるものは少なく、

かろうじて似ているものがあったとして、「ガード下」でしょう。

 

ただ、洞窟の仲間といってもガード下となると駅からのアクセスも良いので家賃も高くなります。

 

おそらく数十万円となるでしょう。

 

地の利を行かすなら休み無しで飲食店でも経営しなければならなくなります。

 

そうなると洞窟暮らしでありながら洞窟暮らしでないセルフ社畜が誕生してしまいます。

 

それでは意味がありません。

 

本ブログでは生きるための基本要素を「食う」「寝る」「遊ぶ」としました。

 

そのうちの「寝る」の要素である住まいに大枚を費やしては「食う」、

ましてや「遊ぶ」がおろそかになってしまいます。

 

そもそも、住居費も食費も高コストの都市部に住む必要があるのでしょうか?

 

そうなると自然も近く、ほどほど便利な地方都市が現実的な気がしてきます。

 

 

地方の洞窟暮らしでは月10万円あれば貯金も余裕(主観)

地方ですと、都市部と比べて洞窟は供給過多と言えるでしょう。

 

場合によっては1万円台で住める場所もあるかもしれません。

 

仮に2万円で洞窟を借りることが出来たとしましょう。

 

そうなると月の内訳は以下の通りで私は無理なく過ごすことができます。

 

洞窟        2万円

食費        1万5000円

通信費       1万円

水道光熱費     1万

交際費(外食含む) 1万円

予備費       5000円

 

合計7万円です。

 

ただ、これでは結構「質素倹約感が半端ない」のは認めます。

健康保険も国民年金も払っていません。

 

社会保障の云々はありますが、ここはちゃんと払ったとして考えることにしましょう。

 

洞窟        2万円

食費        1万5000円

通信費       1万円

水道光熱費     1万

交際費(外食含む) 1万円

予備費(貯金)   1万5000円

健康保険料     4000円

国民年金      1万6000円

 

合計10万円コースですとこんな感じになるかと思います。

 

 

地方だと交通手段は必須な場合もありますから、

ベースを月収を10万円、加えてオプション品でいくら必要になるかを考えれば良いと思います。

 

 

では10万円を稼ぐにはどのくらい働けば良いのでしょう?

 

地方ですと時給は上がってきたと言っても900円そこら。

 

せっかく洞窟暮らしを目指しているので、週休3日は確保したい。

 

その条件で計算してみると、

 

900円/時間×8時間/日×4日/週×4週/月=115,200円

 

…となります。

 

税金など取られてちょうど「手取り10万円」ではないでしょうか。

 

これが10万円の生活10万円の労働の目安と言えそうです。

 

あとは、自分の感覚で調整すれば良さそうです。

 

もう少し貯金していつかは自分の洞窟を!

ならば目標とする額を期間を割ってその期間だけ頑張ればいいですし、

週休4日を確保して違うことで稼いでみたい

ならば一日の労働時間を増やすか、生活をスリム化する方法が考えられます。

 

 

ちなみに私の場合は、「マイ洞窟」欲しい派なので結構頑張らないといけないかもしれません。

 

ただ、仕事でのストレスをモノを買うことで満たすと言う何がなんだか分からない現代的な生活を40年し続けなければならないなんてことはどうやらなさそうな気がしてきました。

 

ではでは。

 

 

 

効率主義社会に生きる非効率至上主義者たち

こんにちは。じんべえです。

洞窟暮らしを目指すため、ライフスタイルやらなんやらをそのときの思いつきでつらつら書こうと思っています。

 

…にしても生きにくい世の中ですねー!

 

私はだいぶ前に精神を病んでおりまして、

以後ずっと低空飛行を続けているのですが。

 

と、言うことで人一倍その「生きにくさ」を感じてしまうのです。

 

逆に「給料は増える見込みが無い」「年金もらえるの?」「どんどん決まりや制度が出来てきつきつになっていく」といった不安だらけの世の中で、よくみんな普通のフリして働いていられるなあと思ったりもします。

 

おそらく、あえて鈍感になり考えないようにしているか、もともと(いい意味で)鈍感なのでしょう。

 

うらやましい!!

 

ただ、ちょっと敏感な人が感じてしまうのが、おそらく

 

「そんなシャカリキに働いて得られるものってこんなもの?」

「なんかもっと生きているって実感が欲しいのだけれど…」

「このまま気づいたら定年!?」

「子供の頃はもっと夢であふれてたはずなのに」

 

などと言ったようなことかと。

 

あたらずとも遠からず。

生きにくさはこのあたりが発生源ではないでしょうか。

 

 

そんな人たちに社会で襲い掛かってくる呪文の一つが「効率主義社会」において威力を発揮する「費用対効果」です。

 

これはガツンと精神的ダメージを与える毒薬です。

 

 

 

そもそも誰のための費用対効果?

ではその費用対効果。誰のためのものなのでしょう?

一番は企業でしょう。と、言いますか企業以外に無いでしょう。つまりは雇用側です。

 

費用対効果、費用対効果と良く聞きますが、皆さんが苦労をし効果を得たとして、その得たものはみなさんに帰ってくるのでしょうか?

 

世界恐慌とも称される世界経済において、企業は生き残りをかけるために富を溜め込んでおかなければなりません。組織はあなたたちより前に組織を優先します。

 

企業も「法人」と言う人格をリアルに持っているとしましょう。そうなると社会一般の個人と同様に自分がかわいいのは当然で、他の人を蹴り落としてでも自らの安全を守るでしょう。

 

「昔はおおらかな時代だった」

 

昭和回顧主義者からそんな言葉を良く聞きます。

 

費用対効果の考え方はあったはずですが、

まだまだ無駄が多かった時代。

 

日本の伝統として当時の(今もですが)拘束時間は長かったかもしれません。

でも、チェック体制の甘さなどから、みなさん「うまく」サボっていたからでしょう。

 

よく日本の会社は欧米諸国に比べて効率が悪すぎると言われます。

その劣等感からか「費用対効果」を口々に叫ぶ企業が出てきました。

 

でも、おい、まてよ・・・と。

 

費用対効果を高めるということは、

労働時間をなるべく少なくし、利益をなるべく上げる

ことです。

 

ですが、日本では

費用対効果を高める」≒「人件費をなるべく少なくし、利益をなるべく上げる

になっていないると思うのです。

 

結果、

人手が足りなく、拘束時間が長く

なおかつ(本当の意味での)費用対効果も低く、給与も少ない

 ことに陥っているのです。

 

 

非効率主義者たち

でも待ってください。 

 

とある社会が形成されていたとして、

効率が悪かろうが、労働し続けなければならなかろうが、

「食べるため」「住むため」など生き死ににかかわる頃は

それを受け入れざるをえませんでした。

 

だって、死んじゃいますもん。

 

でも、幸いにも今そんな時代でしょうか?

 

単位面積当たりの食糧生産率は1000年前と比べ物にならないほど上昇しています。

 

世界には飢餓で苦しむ人たちがたくさん居ますが、 食糧の分配がうまくいっていないためのものです。

 

効率主義とは言わば、常に上昇し続けなければ成り立たないものですが、

頭打ちはいずれ来ます。と、言いますかもう来ているのでは無いでしょうか。

 

そこで考えを新たにした人たちが出てきました。

 

非効率主義者です。

 

そこまでしなくても大丈夫じゃない?

 

と、彼らはある程度のところで折り合いをつけようとする生き方をしています。

 

 

 一個人の費用対効果で非効率主義者の考え方を見てみましょう。

 

8時間勤務で月10日月収10万円の仕事

16時間勤務で月25日月収100万円の仕事

 

が、あったとします。

時給換算すると①は時給1250円。

②は2500円で費用対効果は②が圧倒的に高いです。

 

 

しかし、非効率主義者たちはそのような選択肢があったとしたら

間違いなく①を選ぶような人たちです。

 

時間は誰でも平等の一月約720時間。

 

そのうち1/8の80時間を労働に充て、残りの87.5%の時間を自由に過ごす①か。

半分以上の400時間を労働に充て、残りの45%をやりくりする②か。

 

人生を「費用」と捉えるならば明らかに給与(効果)は②が勝っています。

 

ただそれは数字上の話になります。

 

人生は時給じゃない

 

と言う言葉を耳にしますが、まさに数字上に出てこないところに価値を見出している人たちが「非効率主義者」と言えるでしょう。

 

「10万円稼ごうが100万円稼ごうが生き死にまでの話にはならない。

それなら10万円で余暇があった方がいい。」

 

と。

 

人生の豊かさとは余暇など一見非効率とも見えるの時間的な部分によるものが重要だと思うのです。

 

非効率ほど人生に奥行きを与える、そんな気がしてなりません。

 

 

洞窟暮らしのすすめ

窟蔵の奥底からこんにちは。

こんにちは。じんべえです。はじめまして。

昔から秘密基地みたいなアンダーグラウンドな遊びとアウトドアが好きなネクラ者でございます。

 

まあ、そんな遊びをしていたのももう太古の昔になってしまったので、ここ最近まで忘れ去っていたのですが。

 

ひょんなことから効率化を追い求めストレスをひた隠しにする現代社会に恐れおののきまして。

 

ちょっとした災害、事件など大きな出来事があったら、今にも「あ゛ーーーーーっ!」って人たちであふれ帰り、社会の根幹から破綻しそうな予感がそこらじゅうで充満し始めたのです。

 

もう、そう思ってしまったら最後、そんな社会生活を営めなくなってしまいました。

でも、生きていかなければ。でも、せっかくなので「楽しく」生きていかなければ。

 

ってことで、一足先にアンダーグラウンド洞窟的生活を目指すことにしました。

 

洞窟的生活とは?

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洞窟は安全を守るもっとも原始的な住居

みなさまがイメージする(※)原始人を思い浮かべてみてください。

ギャートルズみたいなやつです。そうです。ドテチンが出てくるやつです。

 

(※今みたいに医療、福祉など発達していなかったり、大変な部分は置いておいてと言う意味です。)

 

 

彼らは住むための洞窟を持ち、近くには食べるための獣が住む。

日がな一日を友(ゴリラ)と遊ぶ。そんな生活をしています。

 

これはまさに「足を知る」生活だと思うわけです。

 

手に負えない富を得ようとするわけではありません。

貧困にあえぐわけでももちろんありません。

 

生きるための糧、住居。それにいろどりを添えるための遊びを織り交ぜている生活。

これこそ、これからの世の中に求められているライフスタイルではないでしょうか。

 

そう言ったライフスタイルを本ブログでは「洞窟的生活」と勝手に呼んでいます。

 

ダウンシフトやミニマルなどに近しいですが、

世の中を斜に構える・・・と言うような意味合いも含めています。

 

何があれば生活が事足りて、何があれば豊かになるか考えてみましょう

究極で言えば衣食住があれば生きていくことが出来ます。

 

ただ、それだけではちょっと物足りません。

そこに「遊び」を加えることで人生、豊かになると思うのです。 

 

すなわち食う寝る遊ぶ。ちょこっと働く。

 

・・・的な生き方がワーカーホリックな方以外、誰もが夢見るライフスタイルだと思うのです。

 

なのにそんな夢見る方々の99.999%がそんな生活できていない。

 

物質的にはそこそこ満たされているのに、社会に不平を良いながらストレスを感じながら、生きているのです。時には「このまま定年まで働いて、その時何を思うんだろう」と言う一種のむなしさを感じながら。

 

私は、自然派嗜好でもないですし、普通にコンビニに行っていわゆる添加物が山ほど入った食品も口にしますし、荷物がキャリーケースに収まるだけしか無いってわけでもありません。

 

これはエコロジストでもミニマリストの話ではありません。

 

ただ、人生ってそんなつまんないもんだったっけ?

 

と、年老いたときに思いたくない、「洞窟暮らしのすすめ」は

ある意味エゴイストを目指す人の話かもしれません。

 

このブログではそんな洞窟暮らしを模索する私の考えを書き記し、

備忘録とともに皆様に見ていただけたらと思い始めたものです。

 

 

でも、なんでこんな考えに私は至ったのだろう・・・などと思います。

次回はちょっと生い立ちについて書いてみようと思います。