如何にして読書時間をつくるか
昨年11月に次男が生まれてから、読書の時間が全然とれていない。
技術書籍等を山ほど読みたいが、ここ最近読めずにたまってきている。
そこで改めて自分の時間の使い方をざっくり整理してみた。
私の毎日
7時 起床
身支度、朝食
出勤(バイクで7分)
午前勤務
昼休み
午後勤務
帰宅
風呂、夕食
子供と遊ぶ
寝る準備
消灯
次男の寝かしつけ(長男は妻)
22時頃 自由となる(しかし眠い)
7時から22時までノンストップで駆け抜ける毎日。まじでノンストップ。
土日は子供と過ごすことが多くて逆に忙しく、お昼寝の2時間ぐらいしか時間がないが、食料品の買い物に行ったりと、なかなか時間を自由に使いにくい。
やっぱり平日にコンスタントに読書していきたい
読書時間を捻出するとしたら、以下の3箇所だと思っていた。
昼休み
弁当を食べた後の時間。問題は集中して読書できる場所がない。
休憩室はワイガヤで、勤務先がなかなかの僻地であるため外にも行きにくい。
消灯後
次男を抱っこしているため精々片手しか使えず、ライトもつけられないので、Kindle本を読むぐらいしかできない。
が、本当に読みたい本はKindle本ではないことも多い。
22時以降
やっと自由になれる時間。
ここで集中して本を読みたいが、眠くて頭に入ってこないことが多い。
あとはスキマ時間、と言いたいところだが、スキマが見つからない。
特に家に帰ってからは、やっぱり本やスマフォではなく、できるだけ子供の目を見ていたいので。
作戦変更
よって、22時以降の作戦変更。
夜はKindle本やWeb記事の消化に充て、眠くなったら潔く寝る。
そして翌朝に5時に起きて、90分ほど読書タイムに充てる。
月並みな解決方法だが、これしかない。
時間がないと嘆くだけはいやだ。それは言い訳だ。
仕事も、子育ても、家事も、睡眠も、読書もしたい。
しかし暗くても片手だけでも本が読みやすいKindleがある時代でよかった。
もし二宮金次郎が現代にいたら、四六時中Kindleを手放さないだろうな。
ひとつ気付いたが、運動が抜けている。
ここ最近フットサルも行けていない。
あ~時間がない。
殻を破る
社内で定期的にライトニングトーク(短時間プレゼンテーション)を行っていて、
その際にプレゼンしたテーマ「殻を破る」の詳細を、自戒をこめてブログに書いておく。
振り返ってみれば
「自分が成長した」と思えたときには、大なり小なり、殻を破るような体験がありました。そして、プログラマーになってからの「殻を破る」体験の一つは、社外勉強会に参加することでした。
社外勉強会では、多くの新しい発見を得られ、いまの自分の仕事に新しいアイデアをもたらすことができました。
殻を破るBefore/After
先輩に誘われて初めて参加するまで、社外勉強会のイメージは「自分が到底太刀打ちできない猛者たちが集う別次元のワークショップ」でした。
でも実際に行って見ると、フレンドリーな雰囲気で、理由はそれぞれ違えど、向上心を刺激し合える、楽しい場であることを知りました。
そしてスピーカー陣をはじめとして、とんでもない猛者の空気に触れることもでき、業界内の自分のスキルポジションも痛感。
TEDxKyotoにも参加(単なるオーディエンス)
2013/09/29に京都外大で行われた「TEDxKyoto」にも参加してみました。
参加前、私の英語力は大したものではないので、内容をどれだけ理解できるかはわかりませんでした。
それでも参加してみたのは、私にとって「殻を破る」という意味があったからです。
そしてTEDという場に居合わせることで、得られるものがあるかもしれない、と思ってワクワクしたからです。
※スピーカーに友人がいたということも参加理由の一つ。
せっかくのTEDxKyotoで、京都市内に住んでいて、まだオーディエンス募集している。
「英語ができないから・・・」参加しないのか?
「英語ができる」ようになるのはいつなのか?
「英語ができる」ようになるまで行動しないのか?
「否、いま行動しよう」
英語に関するあるエピソード
TEDxKyoto参加前、あるセミナーでスピーカーの方が英語に関してこんなことを話していました。彼のイギリス人の友人がこう言ったようです。
「日本人は、『私は英語ができないんですよ』と、流暢な英語で話す人が多い。
日本人はコミュニケーションするつもりがないのか?
それともネイティブ並みに喋れるようになるまで喋るつもりがないのか?
俺の周りの外国人なんて、無茶苦茶な英語でどんどん話してくるよ。」
TEDでは主に聴くことが中心だとは思いますが、
これを聞いたとき、TEDに応募しといてよかった、と思いました。
応募していなかったら、たぶん後悔していたと思います。
自分の外側に「殻」が見えたら
何か面白そうなことをやるとき、やらないときの選択肢が目の前に現れた場合、
たいていの場合は、「うまくできるかな」というような不安がよぎります。
そういうふうに、自分の外側に「殻」が見えた時、可能な限り「やる」を選択します。そして心の中で自分に呼びかけます。
「失敗したからって、恥をかいたからって、死ぬわけでもあるまいし」
大鵬図南
北冥に魚有り、其の名を鯤(コン)と為す。
鯤の大いなる、其の幾千里なるを知らず。
化して鳥と為る。
其の名を鵬(ホウ)と為す。
鵬の背(ソビラ)、其の幾千里なるを知らず。
怒して飛べば、其の翼は垂天の雲の若し。.....
古代中国の思想家「荘子」の寓話です。
大鵬は常軌を逸した大きさで、九千里の空を羽ばたき、遥か彼方の南の海を目指す、架空の動物です。
それをみた地上のセミや小鳩は、
「私たちは木の枝に飛びつくことさえ大変で、時には落ちてしまうこともある。九千里も飛びあがって南に行こうとするやつの気がしれない。」と笑う。
「自分たちは近くにある食料で充分事足りるが、千里も飛び続けるとさぞや大変だろう」と鵬を憐れむ。
雀は、
「こうして灌木(かんぼく)のあいだを飛んでいれば十分ではないか。いったいどこへ行くつもりなんだ。」と嘲笑する。
この寓話では、大鵬と地上の生き物たちを通して、
「小さな知恵には、大きな知恵の検討がつかない」を表現しています。
いまある自分の物差しだけで世の中を測るようなことをしない
荘子はこの大鵬図南で「自分の殻に閉じこもった小さな知識では、広い世界を考えるような大きな知識を持った人にはかなわない」ということを論じています。
基本的に、人間は慣れきった環境から抜け出すことは「つらい」「面倒だ」と感じてしまいます。
ですがそのつらくて面倒なことが成長の糧であることが多々あります。
また、つらくて面倒なことの一線の先に、ワクワクドキドキが待っていることもあります。
まだまだ殻を破り足りないと感じる毎日ですが、
これからもまずはそこに「殻」があることを意識して、できるだけ殻を破っていくように心がけていきたいと思います。
「いやだなぁ」っと思ったときに思うこと
先日、社内のミーティングである取り組みについて報告を受けました。
その取り組みの一環で、自社製品の展示会に開発部員が参加するということがあり、
その参加者が募られました。(ちなみに私は開発部所属のプログラマー)
この瞬間、おそらく開発部員のほとんどが「いやだなぁ」とか「めんどうだなぁ」と思ったはず。私もはじめは自分のタスクスケジュールが圧迫されること、単純に面倒だという理由で気が進みませんでした。
案の定、誰も名乗り出ない。
こういうとき、よっぽどな内容でない限り「じゃあ僕が」名乗り出たくなる。
損をすることもあるかもしれないですが、性格なのでしょうがない。
一方でこういう考えも浮かんできます。
たぶん「いやだなぁ」と思うのは、不慣れなことだったり、自分に足りないことだったりするからだろうなぁ、と。
サッカーでも、生粋のFWが監督に「DFやれ」って言われたとき、快く思う人は少ないと思う。というか守れるか不安。
でもそこをぐっと飲み込んで飛び込んでみることも大事だし、刺激的だと思う。
長友や内田とかも、コンバートの機会があったからこそ開花したのだろうし。
まぁ彼らの場合はよき指導者が素質を感じてこその機会だと思うので、自分の場合とはスケールも状況も違いすぎますが。
飛び込んだ結果、そのままそっちの世界で開花するかもしれないし、やっぱり今の職種の方が長所をいかせると再確認できるかもしれない。後者だとしても、得るものはあるはず。
とにかく、「いやだなぁ」と思ったときは、自分自身を俯瞰するように心がけます。
そして0.1%でも成長の予感を感じられれば、飛び込むようにしようと思っています。
ルシウスさん、別にいいんじゃない?
こないだテレビで映画版テルマエ・ロマエがやっていたので見ました。
現代にタイムスリップしたルシウスは、日本の高度?な浴場技術を古代ローマに持ち帰って再現させていく。
古代ローマで喝采をあびる一方、ルシウスは「違う、これは自分のアイデアではなくて平たい顔族の技術の盗用なんだ」ということについて悩む。
なんていうか、この「他世界の常識を、自世界に持ち込む」という構図は、いま自分がやっていることに似ているように感じました。
私は「盗用なんだよ・・」悩んではいないですが。
私の場合、「他世界」とはWebや勉強会で触れた外の世界で、「自世界」とは医療IT業界や自社といった世界のことを指します。
外で得た技術を積極的に中に持ち込むことで、中の世界をよりよくしていく。
まずはそれでいいじゃないかと。
それにルシウスだって、全くそのまんまでは技術や運用がマッチしないこともあるので、自分の世界に沿った形に工夫も入れている。(例えば手に入る素材など)
それはその人の技術だと思う。
たしかにアイデア自体は見たまんまかもしれない。
でも、先人たちの画期的なアイデアだって、いくつもの他人のアイデアを組み合わせによって生まれたインスピレーションの賜物だと思うんです。一部の天才を除いて。
ルシウスの場合は、それがいきなり「現代人のアイデア」というぶっ飛んだ設定なので無理もないですが。
それに平たい顔族を「属州の奴隷たち」と認識しているので、ローマ帝国の技術者としてのプライドも邪魔をしているのかもしれない。それでもアイデアを取り入れて自分の世界を豊かにしていった。この謙虚な姿勢も技術者として大事な要素だと思うんです。
むっちゃ真面目なルシウスさんは、けっこう好きなんですよね。自分もたぶんそっちよりの人間なので。
なんであれ、情報→アイデア→アウトプットの構図は同じだと思います。
だからルシウスさん、別にいいんじゃない? と。
やれることをやり続ける。
先日、サッカーの社会人リーグ初戦を戦ってきました。
結果は1-4の大敗。前半の連続3失点が痛かった。
私はFWなので基本的には前線にいるのですが、失点が続くとさすがに守備の意識を上げざるを得ない。勝つために攻撃の意識を上げようにも、守備の時点で崩壊している場合はそれ以前の問題。
3失点ともなると、失点までの経緯にある程度パターンが見えてくる。
またチームメイトの士気が下がっていくのも前線からよく見えてきます。
そんなとき思うことは「なにが問題なのかを自分なりに考えて、できることをやり続けるしかない」ということです。そして自分が思う「いまチームができること」を声に出してチームに伝え、「がんばって続けよう」と言うことを心がけています。
当たり前かもしれないですが、連続で失点すると思考停止してしまうことも多いのです。でもそこで思考を止めず、「なぜ失点してしまうか」「なぜ攻めきれないか」を個人、チームで考え、答えを出して実践していかないといけない。
その試合、私は相手チームの背番号6の選手がリズムを生み出しているキーマンだと感じました。
6番はボランチとトップ下の間のエリアでよく顔をだしてボールを触ってははたき、縦への変化も6番から起こることが多かった。
そこで私は、守備の際にはできる限り6番にボールを持たさないようにパスルートに入り、ボールを持たれても厳しいプレッシャーを与えることを続けました。
そうすると、相手チームのテンポが悪くなり、単調なクロスが多くなって守りやすくなりました。
攻めの面では、守備に人数をかけていることとチームのパス精度の問題もあって、カウンター一辺倒になってしまいました。
それでも長身のトップに空中戦で潰れてもらい、セカンドボールをダイレクトで蹴りこむスーパーゴールも生まれました。
1-4で大敗したとはいえ、修正後の後半スコアは1-1という結果には少し手ごたえを感じました。
我慢強くやれることを続けていくと、いつか自然と流れが変わる。
サッカーに限らず、いま仕事で関わっているプロジェクトなどでも、与えられた環境・条件をまずは受け入れ、ゴールを意識しながら、知恵を絞り、やれることを淡々とやり続けるしかないと思いました。
うまくいかないことの方が多いかもしれないですが、気持ちを強く持って一歩一歩積み重ねていくことがいつでも大事だと思いました。
また、それができる人が「強い人」だと思います。