私はただ生きたいだけだ

ノイローゼとして10年以上社会に溶け込むべく生きてきたが、そろそろ限界を感じている

「逃げていい」という言葉を見るたびに、「逃げる」ことがとても難しいと実感する

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「逃げていい」という言葉がある。

例えば、「辛ければ逃げていい」のだし、「逃げずに戦うことが偉いわけではない」のだし、「何度逃げても人生はやり直せる」。

こういった美しい言葉が世には溢れている。攻撃的で排斥的な言葉と同じくらい溢れている。

しかし、私はこれらの美しい言葉に励まされるたびに、どうしようもない「難しさ」を感じる。

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1人の「○○せよ」は、9人の「○○しなくとも良い」に優先する

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現代日本は民主主義である。

そのために、私たち少数派は、自分たちが多数派と同じように扱われないことに憤慨しない。自分たちが多数派と同じく生きることができるようにと補償を要求しない。

少数なのだから仕方ないと受け入れている。

しかし、受け入れぬ者もいる。

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「頑張らなくていい」とある人は言う。では、頑張らなければ生きていけない私たちは。

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ある人は「頑張らなくていい」と言う。

こう言ってくれる人の存在は、救いである。

控えめに言っても、彼ら(彼女らを含む)のおかげで、私たちはギリギリこの世界に踏みとどまっていられる。彼らがいなければ、昨日までのどこかで、向こう側へと飛んでいたはずである。

彼らはきっと、見たことがあり、想像したことがあるのだ。私たちが世間から「頑張れ、もっと頑張れ」と煽られ、それを真摯に聞き入れ、忘れまいとメモを取り、自分の内なる正義よりも「頑張れ、もっと頑張れ」を優先して生きているのを。

だから彼らは言うのだろう。「そんなに頑張らなくていいのだ」と。

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陽気に生きようとする私たち

f:id:s-munemichi:20170314194749j:plain こんなブログを書いていて真実味がないが、私は陽気である。

私は大人数の飲み会が苦手で、グイグイくるタイプやギラギラしたタイプとは距離を取り、基本的に少人数で行動する。

しかし私は別に悲観的ではないし、どちらかというとよく笑うし、(仲間内では)よく喋る。ネガティブなことは冗談として語る(ネガティブなことを冗談とシャレにならない。それは周囲もそうだろうし、何より私自身の精神を保つことができなくなる)。

これは決して己を偽って生きているわけではない。

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私は頭脳明晰で、人当たりが良く、柔和で、ウィットに富んだ第一印象を与える

f:id:s-munemichi:20170312171443j:plain 残念ながら、私は、頭脳がどこかボヤけていて、抜けていて、人見知りで、臆病で、悪い意味で真面目で、冗談の通じない人間である。

にもかかわらず、私の第一印象はすこぶる良い。

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「何のために生きているのか」と問う私たちは、「なぜ生きなければならないのか」と嘆きたいのである

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わからない

もうほんと生きる理由がわからない

http://anond.hatelabo.jp/20170211181942

という言葉を見た。

私も分からない。

でも、「生きる理由が分からない」という言葉は本心じゃない。

きっと本当は「なぜ生きなければいけないのかが分からない」と言いたいのだ。

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「鈴木宗倫」というペンネームについて

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「鈴木宗倫」はペンネームである(「宗倫さん」と呼ばれたい)。

私はこのペンネームをとても気に入っている。絶妙なさじ加減だと思うし、何か語り出したくなる「兆し」を秘めている。

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職業人としての限界を感じて、私はブログを書き始める

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あまりネガティブなことは言いたくないけど、職業人としての限界を感じている。

「今すぐ人生を辞めたい」というほど切羽詰まっているわけではなく、「将来が不安」というほど漠然とはしていない。言葉にできそうで、できない。曖昧だけど確かな苦しさだ。

私はもう限界だと感じている。

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