Netflixで190ヶ国に配信されるジャニーズWEST総出演ドラマをテレビ画面で見たいそこのあなた!

http://tenkousei-netflix.jp

島本和彦氏原作の漫画『炎の転校生』を新たに現代に蘇らせ、我が軍メンバー全員を主演に迎えたNetflixオリジナルドラマ『炎の転校生REBORN』全8話が11月10日、世界190ヶ国で同時に配信される。そんな世界レベルの大きな仕事をファンならば見ないわけにはいかない。そこでNetflixってなんだ?どうやって登録するの?と思っているそこのあなたと自分のために視聴するにあたって必要なことを記録しておきたいと思う。

まず、初めにNetflixについてだ。

Netflixは、インターネットに接続可能な数千種類ものデバイスで、受賞作品を含む数々のTV番組、映画、ドキュメンタリー等を視聴できる動画配信サービスです。Netflixなら、CM一切なしで、コンテンツが見放題。

つまりは、登録すると中の動画が見放題になる月額課金の動画配信サービスだ。有料サービスだけあって、途中広告などは一切挟まれる事はない。しかし、有料サービスのため必然的に料金がかかってくるわけだがNetflixには料金プランが3つほど存在している。

「ベーシック」は月額650円(税抜)で、同時に視聴可能な画面数が1つだけ。
「スタンダード」は月額950円(税抜)で、HD対応の高画質で、2画面の同時視聴が可能。
「プレミアム」は月額1450円(税抜)で、4K(超高画質)に対応、4画面まで同時視聴可能。

月額料金によって視聴できるラインナップや機能にはほとんど変わりはなく、違いというと画質と同時視聴可能台数となっている。個人的なオススメは、スタンダードだ。詳細は下記に書くが、こんな大きな仕事を小さなスマホの画面で見るよりテレビ画面で視聴したいという方には、スタンダード。スマホの画面で視聴するという方には、ベーシック。プレミアムは、4K対応型のデバイスでなければ再生出来ないためあまりオススメはしないでおく。

さて、月額料金が分かったところで気になる支払い方法はというと選択肢はいくつかある。

①クレジットカード→Visa、Master、JCB、American Express、Dinersのカードが使用可能

②キャリア決済→現在キャリア決済が出来るのはSoftBankのみ

プリペイドカード/Netflixギフトカード→大手家電量販店で購入可能

iTunes/GooglePlay→ Apple TVまたはiOSバイスNetflixアプリからの登録を行うとiTunes経由での支払い、Android端末ならGoogle Play経由での支払いが可能
デビットカード→残高が1ヶ月分以上あるものでないと使用不可

PayPal→インターネットを利用したオンライン決済代行サービス

上記6つもの支払い方法があるため自分に合った支払いを見つける事が出来る。しかし、ここで注意したいのは、Netflixは1ヶ月無料体験実施中のため入るタイミングによって幾らかお得になるので配信日と逆算して入会する方が賢い。

さて、この記事の本題に移ろう。タイトルに書いたように、190ヶ国で配信されるこのドラマを小さなスマホの画面で視聴するより大きなテレビ画面で視聴したいと思っているそこのあなた!朗報だ。出来るんですよ、そんな素晴らしきことが。叶うんですよ。190ヶ国に配信されるドラマをテレビ画面で。早速iPhoneAndroid双方の接続方法を説明する。

※接続方法に関してはやり方は沢山ありますがここではわたしがオススメする比較的簡単な方法を紹介しています。

#iPhoneの場合の接続方法

まず、接続のために必要なものは、

iPhoneとテレビを繋ぐためのコネクター

HDMIケーブル

⑶Lightning充電ケーブル

この3つだけだ。

iPhoneとテレビを繋ぐためのコネクターは、Apple純正のものをオススメする。

f:id:shiina_qq:20170910040409j:image

Lightning – Digital AVアダプタ

HDMIケーブルは、特に縛りはないため家電量販店などで安く買えるテレビやレコーダーを繋ぐHDMIHDMIのものを買うことをオススメするが、テレビとiPhoneを繋ぐため長さが短いとテレビで裏で操作をしなくてはならず、椅子に座ったりソファに寝そべって視聴したい人は必ず長さだけは長めのものを用意してほしい。

さて、この3つが揃ったらあとは繋ぐだけ。まず、iPhoneに純正コネクターを繋ぎ、純正コネクターHDMIと記されているところにHDMIケーブルを差し込み、その隣にLightning充電ケーブルを差し込み充電アダプターへ)、その反対側のHDMIケーブルを液晶テレビの端子へ接続する。そして、テレビリモコンの入力切替ボタンでHDMIを選択すると視聴可能。

#Androidの場合の接続方法(MHLという規格に対応していることが前提条件)

まず、接続のために必要なものは、

⑴microUSBケーブル→Androidを充電する際に使用しているもの

HDMIケーブル→iPhoneと同様

⑶MHLケーブル HDMI変換アダプタ→沢山種類があるので自分に合うものを

⑷延長ケーブル→⑴⑵⑶を繋ぐ時ケーブルが短くてコンセントに届かないことがあるため

この4つ。さて、接続方法はというと。MHLケーブルにHDMI接続端子があるのでそこにHDMIを差し込み、HDMIケーブルのもう片方をテレビに接続する。Androidを充電する際に使用しているmicroUSBケーブルをMHLケーブルの本体側面に差し込み、microUSBを電源と接続。最後にMHLケーブルのmicroUSB端子をAndroidに接続し、テレビリモコンの入力切替ボタンでHDMIを選択すると視聴可能。

文字ばかり連ねたがこれが大画面で我が軍の勇姿を見る方法だ。

 

しかしながら、個人がまとめたものなので不安な方は、是非一度自分で調べてから購入することをオススメする。

 

        すべては自己責任で。

 

 然るべき準備をしてその日を待とう。

 

※この環境を整えればyoutubeなど無料動画の再生もテレビ画面で可能。

 

 

 

 

ジャニーズWEST MUSIC STATION出演の記録

動画専用のアカウントを作って我が軍の記録をあげているのだけれど投稿数も多くなってきてLikesといういいね!をした投稿を検索して遡れるアプリを使っていたのだが、何度も探し出したり、アプリ自体が最近よく固まるのに苛立ちを覚えたのでここに記録しておきたいと思う。

 

初登場 2014年4月18日「ええじゃないか」

https://twitter.com/jw_vtr/status/816645376962740224

 

登場2回目 2014年10月31日「夢を抱きしめて/ジパングおおきに大作戦」

https://twitter.com/jw_vtr/status/816647331827195905

https://twitter.com/jw_vtr/status/816650238404411393

 

登場3回目 2015年2月6日「ズンドコパラダイス」

https://twitter.com/jw_vtr/status/816653674436915200 

 

登場4回目 2015年7月31日「バリハピ」

https://twitter.com/jw_vtr/status/816660795408818176

 

登場5回目 2015年9月23日「ええじゃないか」

https://twitter.com/jw_vtr/status/816665003415584770

 

登場6回目 2015年12月25日「ズンドコパラダイス」

https://twitter.com/jw_vtr/status/816666714830012416

 

登場7回目 2016年4月15日「逆転Winner」

https://twitter.com/jw_vtr/status/816832826444115968

 

登場8回目 2016年7月29日「人生は素晴らしい」

https://twitter.com/jw_vtr/status/816875083389992960

 

登場9回目 2016年9月19日「ええじゃないか」

https://twitter.com/jw_vtr/status/816879154830262272

 

登場10回目 2016年12月23日「人生は素晴らしい」

https://twitter.com/jw_vtr/status/818398594168328193

 

❤︎ Mステ通算10回出演!2014年4月18日初登場「ええじゃないか」 から2016年12月23日登場10回目「人生は素晴らしい」まで

https://twitter.com/shiina_qq/status/1125047674258870277?s=21

 

登場11回目 2017年6月23日「おーさか☆愛・EYE・哀」

https://twitter.com/jw_vtr/status/878217749809385473

 

登場12回目 2017年9月18日「ズンドコパラダイス」

https://twitter.com/jw_vtr/status/914515762433245184

 

登場13回目 2017年11月24日「考えるな、燃えろ‼︎」

 https://twitter.com/jw_vtr/status/939507037628637184

 

登場14回目 2017年12月22日「おーさか☆愛・EYE・哀」

 https://twitter.com/jw_vtr/status/950712460335435777

 

登場15回目 2018年3月9日「プリンシパルの君へ」

https://twitter.com/jw_vtr/status/972482161575018501

 

登場16回目 2018年8月17日「スタートダッシュ !」

https://twitter.com/jw_vtr/status/1030724349383172096?s=21

 

登場17回目 2018年9月17日「ええじゃないか」

https://twitter.com/jw_vtr/status/1042713956815527936?s=21

 

登場18回目 2018年12月21日「プリンシパルの君へ」

https://twitter.com/jw_vtr/status/1077451647482093568?s=21

 

登場19回目 2019年2月1日「ホメチギリスト」

https://twitter.com/jw_vtr/status/1094231554153299969?s=21

 

登場20回目 2019年4月26日「アメノチハレ」

https://twitter.com/jw_vtr/status/1125040790802067456?s=21

 

❤︎ Mステ通算20回出演!2017年6月23日登場11回目「おーさか☆愛・EYE・哀」 から2019年4月26日登場20回目「アメノチハレ」まで

https://twitter.com/shiina_qq/status/1125049213262413824?s=21

 

登場21回目 2019年10月18日「Big Shot!!」

https://twitter.com/jw_vtr/status/1219487385324421120?s=21

 

登場22回目 2020年4月3日「W trouble」

https://twitter.com/jw_vtr/status/1271772593142423555?s=21

 

登場23回目 2020年6月5日「WAになっておどろう」

https://twitter.com/jw_vtr/status/1271790486135529472?s=21

 

 

 

 

この記事は、2014年2月5日 7人でグループを結成し、2014年4月23日「ええじゃないか」でCDデビューした関西出身 7人組 ジャニーズWESTMUSIC STATIONへの出演記録です。(※出演後加筆あり)

 

 

20170503 ジャニーズJr.祭りに行って来た話

f:id:shiina_qq:20170506135629j:image

先日、ジャニーズJr.祭りにお邪魔してきた。普段のご贔屓筋は、関西なので現場で初めて見る関東の面々に戦々恐々としつつ通い慣れた大阪城ホールへ。開演前、レポで関西ジャニーズJr.の重鎮、あの世界の浜中文一さんが出演ということに、まず錯乱。スーパーレアキャラすぎる文一さんがいるこの時点で、ジャニーズJr.祭りは完全に勝利だった。開演すると最早安定の楽しい!みんな凄い!生きてて良かった!ジャニーズ最高!精神発動。楽しくないわけがない。数年前まで同じグループにいたメンバーと再び共に同じステージに立ち、より一層輝きを放ちパフォーマンスする姿を見て親戚の叔母さんみたく「あ〜!みんな大きくなったね。良かったね ;  ; 」とひとりしみじみ感動していた。青春は、戻らないらしいけど、記憶と記録には確実に残っているんだな。感慨深くご贔屓筋の関西勢を見ていると衝撃が走る。SixTONESTravis Japanの両グループだった。ここに文字を連ねる前にジャニーズJr.祭り直後のわたしのツイートを見てほしい。

この興奮具合である。胸の高鳴りが他とは違った。両グループ共、そこに向かって進んでいる具合が群を抜けていて、ギラギラ、ガツガツしていて、ハングリー精神を剥き出しにしている感じがたまらなかった。そして何よりパフォーマンスが至高だった。頭から足の先までビシッと揃えられたダンス、高い歌唱力、マイクを握らせ、口を開けば喋りもできる、先輩達の楽曲を自分達の楽曲に変える力も持っている。久しぶりに惚れ惚れした。デビューするとギラギラとかガツガツとかハングリー精神とか少なからず失われるじゃないですか?(※あくまで個人的感想です)それが、彼らを一層眩しくさせているように見えた。それに、メンバーが、個人、個人がどう見えるかより、グループとしてどう見えることが最善なのかを考えて行動してる感じがとても良かった。それが更に、パフォーマンスの完成度をグッとあげていた気がする。久々にそれを目の前で見せつけられ、懐にデカイ傷を作られてしまった。お前ら、俺らにちゃんとついてくるよな?拒否権ないけどな?(鋭い眼差し)感が、たまらなかった。その後のわたしは言うまでもなく、某動画サイトで両グループの動画を漁り両グループの情報を収集する日々である。(突然だけれど)しかしながら、わたしの推しは、あくまで、ジャニーズWEST重岡大毅であり、これは揺らぐ事はないのだ。こんな記事を書きながら、両グループが推しになる予定は、今のところない。けれど、SixTONESTravis Japan、両グループがこれからどんなパフォーマンスを魅せてくれるのかをとても楽しみにしている。

ジャニーズJr.祭り以来、ずっと聴いている。ぜひ、Clip boxで落として、あなたも魅了されてほしい。

 

 

 

キミの言葉は、魔法だ。

わたしが推してるアイドル、ジャニーズWEST重岡大毅から発せられる言葉は、強く、逞しく、ある時はそっと背中を押してくれ、またある時は、涙が出るほど面白く笑わせてくれる。曇り空を一転して晴れにしてくれる魔法だ。彼には、人を魅了する天性の才能がある。そう断言できる。

友達と軽いノリのつもりで履歴書を送った事がきっかけで、2006年10月8日、ジャニーズ事務所に入所。中山優馬重岡大毅神山智洋藤井流星小瀧望竹本慎平新垣佑斗の7人で、のちの「7WEST」が結成される。この7人でデビューを目指し切磋琢磨していたが、中山優馬はNYCとしてデビューする事となり7WESTを脱退。2006年8月19日、6人での再出発となる。舞台、ドラマ、雑誌、媒体に出る機会も増え、順風満帆かに思われた2012年。再びあの悪夢が起こる。竹本慎平新垣佑斗、2人の脱退だ。誰が悪いわけでもなかった。人生は、一度きりだ。それは、人に平等に与えられた権利でもある。自分がなりたいように、生きたいように、選択する権利がある。彼らは、その権利に沿って選択したのだ。そこから、重岡大毅神山智洋小瀧望藤井流星の4人となりデビューを目指し、より一層絆を深め、B.A.D.、濵田崇裕、Kin Kan、なにわ皇子と共に関西ジャニーズjr.を引っ張っていく事となる。そして、2014年1月1日、誰もが想像もしていなかった発表へと繋がっていくのだが、この話はまたの機会にするとしよう。

さて、前置きが長くなったが、様々な困難や葛藤をひとつひとつ乗り越えてきたからこそ、重岡大毅から発せられる言葉は響くのだろう。そんな彼の名言(迷言)を独断と偏見でここに記しておくとする。

 

  •  大丈夫、会えない時間が愛を増す。

2010年12月26日 男前を目指せ!1時間SP 男前川柳 より

 

  • いつからかな?お前を好きになったのは。

2013年7月28日 もぎたて関ジュース 甘い言葉しりとり より

 

  • 夜やから寝ないとあかんのに、お前の事考えて寝られへんわ。
  • なんでやねん!お前が一番に決まってるやろ。
  • 夜更かしすんなよ、明日も早いこと会うからな。

2013年12月29日 もぎたて関ジュース 甘い言葉しりとり より

 

  • もっと近く来いよ、抱きつかれへんやろ。
  • ロミオは俺。ジュリエットは、お前だぜ?

2013年12月29日 もぎたて関ジュース ドSな言葉しりとり より

 

  • あの道を選んだら正解。あの道を選んだら不正解。そんなんちゃう。自分が信じた道を突き進んでいく。そうしたら希望の虹はかかる。未来は開けるんや。
  • もっと、努力して周りの人間を見返すぐらいなことをしてみろよ!
  • じゃあ、最後まで根性出して、立ち向かってみろ!

舞台 なにわ侍 ハロー TOKYO!! より

 

  • ほら、たまご越しのジャニーズちょっと見て。

2014年6月18日 ジャニ勉 今回のターゲット「放し飼いたまご」 より

 

  • 言ってたでしょ、メンバー内の恋愛は、禁止。

2014年6月29日 もぎたて関ジュース より

 

  • やっぱ時間気になるよな…もう電車もなくなってまうし…でも、俺は、関係ないわ、時間なんて。今夜は…絶対帰さんで。

2014年10月15日 リトルトーキョーライブ より

 

  • ジャニーズに入って、大袈裟に聞こえるかもしれないですけど、人生のすべてを学んだというか、いろんなことに気付かせてもらった。いろんなことって言葉じゃ足りないくらいたくさんのことを。
  • 7人でいることが当たり前になっている今が、やっぱ一番幸せなんだなって思うんです。

2014年12月22日 MYOJO2月号 10000字インタビュー より

 

  • 可愛い顔してホンマ…ゆっくりお休み。僕の眠り姫。

2014年12月30日 育ジャニ イイ男になる条件を学ぶ より

 

  • “現状維持”なんて言葉は、微塵も考えてへん。常に上を目指していかな!

ジャニーズWEST 1stコンサート「1発めぇぇぇぇぇぇぇ」パンフレット より

 

  • 愛してます、結婚して下さい。

2015年1月15日 もぎたて関ジュース より

 

  • 俺、その上を行ってるから。秘密系男子。
  • お前、俺の事好きやろ?俺も好きやで。付き合おう。

2015年1月25日 もぎたて関ジュース より

 

  •  ちゃうねん、なんか…そういうもんじゃないねん、好きっていうのは。

2015年2月13日 男前を目指せ! より

 

  •  過ぎ去る月日は、早く感じるものですな。大事に過ごしていきましょ。それでは、1ヶ月間、この1ヶ月間も大事にしていこうね。

2015年6月7日 もぎたて関ジュース より

 

  •  幾つになったら、チュウしてくれる?

2015年6月21日 もぎたて関ジュース より

 

  • 何?この賢くなりそうな匂い。
  • 結婚してくだちゃい。

2015年10月3日 モモコのOH!ソレ!み〜よ! より 

 

  • 意外と泣きがち。涙腺ガバガバやからな。
  • 弱い自分が顔出しちゃうんやね、分かる、分かる。

2015年10月12日 もぎたて関ジュース より

 

  •  (恋愛は)俺たちには、分かんないけどな。

2015年10月18日 もぎたて関ジュース より

 

  • ポジティブに、こう変換していくのが大事やと思うねんけど。
  • ネガティブな事は、遠ざける自分が。
  • やっぱそれも、色々試してみるのが、挑戦するのが大事やと思う。挑戦して、あっこれちゃうねんな。これって自分に合って無いなって分かったら、それはそれで一つ成長やん。これ私に合って無いんだなって学べたと一緒やから。(中略)それをただのミスと捉えないと言うか、あーこうしたら失敗するんだという道を一つ見つけたな。
  • 別に逃げる事が絶対に間違ってるわけじゃないって俺は思う。
  • いっぱい方法あると思うから、もがいた方が良いと思うね。たくさん色々やってみて、これじゃない、これじゃないかって前進する気持ちさえあれば、絶対乗り越えれると思うから、頑張って。

2015年11月7日 bayじゃないか より

 

  • 任せなさい!なんたって、俺がいるんだから。
  • 人生、勇気が大事!

2015年11月22日 もぎたて関ジュース より

 

  •  ただ、ただ、あの、キスがしたくなります。

2015年12月10日 遠藤淳のYou’ve Got a Radio! より

 

  • 気にしてたらこれから先ずっと気にしていかなあかんし、ファンが好きなの僕たち。

2016年3月5日 bayじゃないか より

 

  • 僕自身は、努力アピールとか好きじゃないんですよ。そういうのは、見せるもんやないと思ってますし、不言実行というのに憧れます。言う前にやろうやって。

2016年3月11日 CINEMA SQUARE vol.83 より

 

  • 人に相談しても、最終的には自分で決めることが大事だと思います。答えは自分の中にあると思うし。迷う時って、どっちも正解なんだと思うんですよ。選んだ方、正解にしたらいいんだと思います。
  • 失敗はあるけど、挫折とは思わないから。今、100%がんばれば、未来の自分が絶対引き上げてくれると思っています。

2016年3月11日 日本映画navi vol.62 より

 

  • 「頑張ってんだぜ」アピールが嫌い。ツラくてもそれは見せないほうがカッコいいと思うんで、有言実行より無言実行のほうが僕は好きですね。

2016年3月11日 Cinema☆Cinema No.62 より

 

  •  生きられます。家族のために!…って言いたい。そういう人生にしたいなって思います。いつか自分の家族ができたときに大事にできる自分でいられるよう、日々トレーニングです!(笑)自分に胸を張って生きたいですね。

2016年3月15日 QLAP 4月号より

 

  • 失敗を恐れるな!行動する、結果を出す。このサイクルを早くしていくことが、成功の近道。オレらもいま、どんどん新しいことをやらせてもらってるけど、失敗することもめっちゃ多い。でも、失敗から学ぶこともあるし、自分がベストを尽くしたことなら、反省はしても後悔にはならへん。ヘコんだときに引き上げてくれるのは、未来の自分やで。

2016年4月7日 duet5月号より

 

  • モテるやろ?こんな7色重ちゃん。中身も7色天使ちゃんやねんから。

2016年4月15日 男前を目指せ! より

 

  •  片想いしてるあのドキドキ感は嫌いでは無いな。確かに。

2016年5月14日 bayじゃないか より

 

  • 思った事しか言わないからね、俺ね。

 2016年7月17日 もぎたて関ジュース より

 

  •  そのあたりは分からへん。オレ、アイドルやから。アハハハ!素かどうかなんて、自分では分からへんわ~(笑)

2016年9月15日 QLAP!10月号 より

 

  • アイドルやけど、年をとったら年齢にあらがわずそのままで生きたいなって。俺、びしっと生きるのはムリやと思う。一生アホなことできる男でいたいですね。

2016年9月28日 with11月号 より

 

  •  ジャニーズのこの仕事の事しか考えてなかったからな。この10年、今もそうだけど。

2016年10月30日 もぎたて関ジュース より

 

  •  俺、引っ張っていくタイプやないし、自由にさせて欲しいかな。柔らかい言い方の人が好きやねん。俺、子供やから日替りで気分も違うし、面倒くさいと思うで。

2016年11月1日 STORY12月号 より

 

  •  だって、ネガティブになるの、一番簡単だから。ポジティブになる方が難しいじゃないですか。ポジティブな人の方が強いんだなと思ってから、そういう人に(あり方として)近づこうと。 そういう考え方に近づこうという姿勢ですね。 そこにゴールはないから、ずっと歩み続けてる感じです。
  •  いろんなこと、挑戦させてもらってるから、だからこそ、打ちのめされることばっかりで 歌手の人にはかなわない、役者さんにはかなわない、芸人さんにはかなわない、打たれる回数はめっちゃ多い、だからこそもう疲れたんでしょうね。 毎回毎回真剣に悩んでいると、しんどいですよ。イヤになりますよ。でも、その現実から逃げたいとは一切思わない。じゃ、どうしようか?楽しんでやっていけたらいいな!じゃ、どうやったら、楽しんでやっていけるかな?前に、前に、となってからは、楽しいですね。
  • めっちゃ視野が狭かった子どもの自分がいた。それがいたから、いま、何かができなくても、本当に全力でやりきったら、未来の自分が引き上げてくれるかなと。それは経験上わかってるんで。そこが力になってますよね。いま、どんなにダサくて、カッコ悪くても、未来の自分が絶対引き上げてくれるから。そう思えるから、もっともっと上に行けるなと思います。

2016年11月5日 キネマ旬報2016年11月下旬特別号No.1732 より

 

以上、2017年2月現在、個人的に好きな彼から発せられた言葉だ。ここでひとつ声を大にして補足しておきたい事がある。それは、コンサートでの彼の言葉だ。ここに書き記したのは、ラジオ、雑誌が主であり、コンサートでの発言は記していない。なぜなら、名言(迷言)が多すぎるからである。一言で言えば、コンサートでの彼はキチってる。本当に上記に記した発言が彼自身の言葉なのか半信半疑になることは、ほぼ、間違いないが、そういったところも彼が人を魅了するところである。是非、レポを遡って見てほしい。すぐそこに、アイドル 重岡大毅への入口がある。躊躇している人は、勇気を出して扉を開けてほしい。きっと堕ちる。絶対に。沼は、深い。一度味わえば抜け出す事は難しいだろう。噛めば噛むほど味が出てくる、癖になるほどに。彼は、そんなアイドルだ。

そんな彼から発せられる言葉をわたしは、これからも楽しみにしている。そしていつの日か、ジャニーズWEST 重岡大毅語録集なるものが発売されてくれる事を願っている。

 

 

20150123 MYOJO 3月号 10000字インタビュー全文〜藤井流星〜

“もうこれ、終わったな”って

ー2013年の年末、カウントダウンのとき、どこにいたの?

「家で両親とメシ食べてましたね。“今年、関西Jr.は出ません”ってメールをマネージャーからもらってたんで、“今年は出ないんだ”って、そんな深くは考えてなかったし。それに、『ミス・パイロット』の撮影が終わったばっかだったんで、“よっしゃ、やりきった!”ってすっげー満足感もあって、いい年末やくらいに思ってて。そろそろカウントダウン始まるなって思ったら、4人から“ゴメンな”ってメールが来て」

ーその瞬間、どんなこと考えた?

「何、考えたんやろうなあ。まあ、一瞬、真っ白になりましたよね。“お、んっ……!?”って。なんかボーッとして。正直、“ゴメンな”って言われても、なんも返す言葉もないから、“全然、全然”って返信するしかなかったんけど……。ケータイ置いて、どうしようかなーって。とりあえず、目の前に両親おるから、放送で流れる前に言っとかなと思って。ま、言って。“デビューすんねんて”って」

ー両親はなんて?

「“はあ!?なんで入ってないんだ!”って。そのあと何日間かは、俺が悩んでたり、ピリピリしてんの見守ってくれて、一切しゃべりかけてこなくて。あ、でも、思いつめてるように見えたんでしょうね。おとんにボソッと、“やめるんやったらやめてええからな”って言われたのは覚えてますね」

ーただ、グループに入ること、あきらめてなかったよね?

「そうですね」

ーカウントダウンのあと、神山(智洋)くん、濵田(崇裕)くんに電話したんでしょ?

「はい」

ーふたりとも、流星だけがあきらめてなかったって。“俺はなんとしても入るよ。あきらめんなよ”って言葉が、背中を押してくれたって。

「ふたりとも、俺をアゲすぎなんすよ(笑)。たしかに濵ちゃんと神ちゃんに“あきらめんなよ”って言いましたけど、過程があって。俺、放送を見て、すぐジャニーさんに“俺も入りたいです”って言おうって思ったんです。今、言わんと、どうすんねんって話やから。ただ、現場の状況がまったくわかんなかったから、把握してから言おうと思って、最初に(中山)優馬に電話したんですよ」

ーそうだったんだ。

「あのメール来たあとだったんで、メンバーには状況を聞きづらいし、向こうも話しづらいやろうし、聞かれへんなと思って。会場にいた仲いいのが優馬やったから、放送が終わってすぐ優馬に電話して。そしたら、すぐ出てくれて。俺が話し出す前に、いきなりあいつ言ったんですよ。でた瞬間、“今すぐジャニーさんに電話かけろ!”って。優馬もデビューのこと目の前で見て知ったらしくて、“どうなってるん?”って逆に聞かれて。誰も状況をわかってなくて。“とにかく、すぐかけろ!!”って。オッケー、じゃあかけるわって、カウントダウン終わって10分くらいかな、ジャニーさんにかけて。そしたら、“今、バタバタしてるから明日かけなおす”っていうパターンのとき、ジャニーさん、お忙しいから忘れてしまうことが多いんですよ。もうこれ、終わったなって、俺は一瞬思って……」

“やればできるコなのに、なんでやらないんでしょう”

ーそうだったんだ。じゃあ、まずは小さいころのことから聞いてくね。

「はい」

ー両親ってやさしかった?怖かった?

「けっこう厳しいほうだったと思いますよ。俺はそれをスリ抜けて、ヤンチャしたり、遊びに行ったりしてたんですけど、今になって親に聞くと“あれ、ウソやったんやろ”ってばれてましたね(笑)」

ーさすが、親だね。

「今思えば、愛されてたんやなって思うんですよね。とくに俺は第一子なんで、けっこうイベントとかにも力入れてもらって。妹がふたりいるんですけど、ビデオも写真も、断トツで俺のが桟ってますから」

ーこどもの日の写真かな!?メチャクチャ泣いてるけど?

「ビックリするくらい号泣してますね(笑)。こどもの日とか七五三とか、がっつりコスプレとかして写真撮られんのがイヤで。なんでイヤやったんやろ。よく裸で逃げ回ってましたね。脱がされるとこまでは気づかないんです。アホやから(笑)。衣装が出てきた瞬間に逃げ回るっていう。一度、玄関開けて逃げて、マンションの廊下を真っ裸で、逃げ回ったことがありますからね。結局、つかまって、兜と甲胃を着せられ、号泣する戦国武将みたいな感じで写真撮られて」

ー妹たちとは、仲よかった?

「昔から仲よかったし、今もふたりでごはん行ったりしますね」

ーすぐ下の妹さんは小さいころからモデルをしてたんだよね。うらやましくなかった?

「全然、うらやましいと思ってなくて。俺はそういう仕事より、サッカーのほうが楽しかったんで。親に入れられて、いっしょのダンススクールとかに通ってたりはしましたけど」

ーじゃあ、小さいころなりたかったのは、サッカー選手?

「幼稚園とか小学校のアルバムには、消防車って書いてましたね。消防士じゃなくて(笑)。今よく天然って言われますけど、そのころから片隣はあったっていう」

ー幼稚園時代から、長髪だったんだよね?

「木村(拓哉)さんがちょうど、そういう髪型をしてるときで。親が、やらせたかったんでしょうね」

ー幼稚園時代、モテ期だったんでしょ?

「人生最大のモテ期!なんか常に俺についてくる女のコがいて、写真とかもいつもいっしょに写ってて。俺、恥ずかしがりやったんで、写真を見ると、彼女は満面の笑みやのに、俺はあんまりいい顔してない(笑)」

ー女のコ、苦手だったの?

「ですね。ダンススクールも、10人の女のコの中に、俺は男だけとかで。完全にビビってました。女のコだらけなのがイヤで。女のコは更衣室があったけど、男は少ないんで更衣室がなくて。隅っこのほうで、ササッと着替えて。居心地、よくなかったですねえ」

ーサッカーを始めたのは?

「小4かな。仲のいい友だちがやってたんで。やろうぜ的な感じで始めて」

ー学校では、どんなコだったの?

「覚えてないなー。でも、調子乗りで、体育の授業で、球技になったら急に張りきるヤツでした。バスケ、フットサル、野球とか。成績表には、よく“やればできるコ”って書かれてて。小学校、中学校、一貫して、“やればできるコなのに、なんでやらないんでしょう”って書かれてた(笑)」

ー当時も忘れ物よくしてた?

「あったんじゃないですか。忘れ物をしたことすら忘れてるっていうね(笑)。よく使う駅の駅員さんに、忘れ物なかったですかって聞きに言ったとき、“また君か”って言われたことがあるくらいですからね」

なんや、この気合入った変な髪型のヤツ

ー中1でジャニーズのオーディションを受けてるよね。

「親が知らないうちに履歴書を送ってて。送ったのは、オーディションの3年前くらいだったらしいんですけど」

ー本人は知らなかったんだ。

「知らなかったですね。オーディションの日、偶然雨でサッカーが休みになって。おかんに“オーディション行こう”って言われたんですけど、ホンマに、典型的思春期男子だったんですよ。“え、ジャニーズ?アイドル?ない、ない”みたいな(笑)年ごろの男のコって、そういうとこあるじゃないですか。だから、“オーディションに自分が行く?ムリムリ”みたいな。絶対行かないって言ったら、おかんがおこづかいあげるからって。5千円って聞いた瞬間“行く!”って(笑)。今考えたら、よく雨降ってくれたな、おかん、よく5千円って言ってくれたなって話なんですけど。行く気も、受かる気もなくて」

ーそれで、よく受かったね(笑)。

ダンスは習ってたんで、ちょっとはまわりのコより覚えるの早かったんですね。で、ひと通り教わったあと、30分の自由練習になって。俺は、めっちゃ端っこで座ってたんです。練習も何もせず。そんときに、ジャニーさんがバッと来て。“ユー、覚えんの早いね”って声をかけてくれて。なのに俺は座ったまま、気のない返事をしたら、めっちゃ怒られて。“ユー、立ってろ!僕、立ってるんだからさ!!”って。それで記憶に残ったんじゃないですかねえ。こいつ、生意気やなって(笑)」

ーオーディション、重岡(大毅)くんや優馬くんといっしょだったよね?

「あんま人とからまなかったから、しげの印象はほとんどなくて。優馬とは、雑誌の写真を撮るって、ちょうどいっしょに呼ばれて、アンケートみたいなの書かされてるとき、“同い年やなあ”って声かけてくれたんですけど、俺はムシして(笑)。向こうは、なんやコイツって思っただろうけど、俺は優馬を見た瞬間から、“なんやコイツ”って思ってて(笑)。だって優馬、結構髪が長いのに全部髪を立たせてたんで、“なんや、この気合ガンガン入った変な髪型のヤツ”って思ってたから。俺だって、そーとーペッチャンコな変な髪型やったんですけど(笑)」

ーそんな状態から、よく仲よくなったね(笑)。

「なんでなんすかね。まあ、同じグループってのあったし、同い年やし、同期やしっていうので、じょじょにですよね」

ーオーディションのとき、神山くんが指導係だったのは覚えてる?

「覚えてますね。同い年やのにしっかりしてるなあって。先輩って感じがしました。最初は。今は、まったく感じないですけど(笑)」

ーその後のJr.の活動は?

「オーディションのあと、関ジャニ∞の神戸のツアーに呼ばれたんですけど、“行きたくない”って言って、俺は行かへんかって。ちょうど。ハワイ撮影もあって。俺はツアー行ってないし、ハワイにも呼ばれなくて。そしたら、ジャニーさんから電話がかかってきて、“ユーに電話しようと思って履歴書を見たんだけど、文字がかすれてわかんないんだよ”って。“え!?いや、この番号です”って(笑)。で、次の仕事の話かと思ったら、“なんでユー、ハワイ来なかったの”って話を、30分くらいされて。“呼ばれてないです”って言ったんですけど、“なんでなの”ってことをズーッと(笑)。ジャニーさんのこと、名前くらいしか知らなかったんで“なんやねん、この人”って最初は思ってましたね(笑)」

ーJr.の活動、最初は乗り気じゃなかったんだ。

「恥ずかしかったんですよね。学校で、“え?ジャニーズやってんの?”とか言われるのが。関ジャニ∞の番組で踊ったりしたんですけど、たまたま放送を見た友だちとかに、“おまえ、出てたやろ?”とか聞かれても、最初は、“俺じゃないんちゃう?”って言ってましたからね(笑)。中3くらいかな、ジャニーズなこと認めたのは」

パッと誘ったら、パッと来るから(笑)

ー神山くんが言ってたけど、Jr.を始めた当初は無口だったんでしょ?

「なんやろね。俺がいかなかった神戸のライブやハワイで、同期の輪ができあがってる中に、ひとりで入ってくのがイヤやったんですよね。最初、松竹(大阪松竹座)のリハの途中くらいに呼ばれて行ったのかな。急に来たから、みんな、“え、誰!?”みたいな空気で。正直おもしろくねえって思いながらやってましたね。早く、帰りてーって」

ーそうだったんだ。

「でも、なんか複雑でした。そんな気持ちでやりながらも、初めてステージに立って歓声を浴びると気持ちよくて。がんばろうって思うんですけど、練習してもうまくならんわとか、いろんなこと思ってました。投げチューとか、アイドルっぽいことするのもイヤやったんですよね。最近もメチャクチャ、アイドルしてるかっていったらしてないけど(笑)どっかでスイッチ入ったんでしょうね。俺はジャニーズやって。最初のころなんて、コントでスケスケのタンクトップを着ることがあって、ステージでイジられたんですけど、それがイヤでステージ裏で泣いてましたからね(笑)」

ーよくやめなかったね。

「まだ覚えてるんですけど、ファンレターを初めてもらったのが、うれしくて。最初は、2、3通やったんですけど、やっぱ応援してくれる人がいるってのが、うれしかったんですよね。もう少し、がんばってみようって」

ー今。ここにいるのは、ファンの人のおかげでもあるんだ。

「そうですね。あと、TOP Kidsに入ったのも安心感がありましたね。最初ひとりでやらされてたんで、ひとり感がハンパなくて。何か知らんけど、入りたてなのに藤井流星with関西ジャニーズJr.とかって書かれたりして。俺、なんもできないのにやめてくれって。ホンマにイヤやった、そういうの」

ーグループに入れてよかったね。

「ただ、今でも覚えてるのが、仲よかったJr.のコがいたんですね。レッスンのあと、そのコの家に泊まりにいく約束をした日があって。そしたら、その日に、そのコと入れ替わる形で俺がTOP Kidsに入ることになって。泊まりにいく約束だったけど、行かないべきか、でも、行かへんかったら気使ってるみたいやしなって。友だちは友だちやと思って行ったんですね。そしたらおたがいやっぱ気まずくて、ふたりともすぐ寝て。いろいろ複雑でしたね。選ばれたヤツもいれば、そこには選ばれなかったヤツも存在するんやなって」

ーじゃあ、Hey!Say!7WESTに選ばれたときは?

「初めて、“俺らきてんちゃうん”みたいなこと思ったのはありますね。デビューするグループの関西版ってことで作られたグループだったんで。“これ、デビューくるんじゃないかな”って初めて思ったときですね」

ー翌年には、小瀧(望)くんが加入して、すぐ仲よくなったよね。

「なんやろうねえ。誘いやすかったからですかねえ!?最初、あいつ敬語やったんですよね。いちばん年下ってのもあって、いちばん誘いやすかったのかな。パッと誘ったら、パッと来るから(笑)。よく優馬と3人で映画見に行ったり、メシ食い行ったりして」

ー今では、メンバー内でも、とくに仲がいいよね。

「いっしょにいてラクなんですよね。でもなんか、なんで友だちなのかって言葉で説明できるもんじゃなくないですか?もはや地元のツレみたいな感覚で。でも、ライブとかじゃ、俺と望って意外とからんでないんですよね。俺は(中間)淳太くん、望は(桐山)照史くんとかにちょっかい出すことが多くて。スタッフさんにこの前言われたんですけど、“なんでからまないの?需要あるよ”って(笑)。なんか、それこそ地元のツレ感やから、ふたりがからむって、どっか気恥ずかしいんですよね」

 ーその感覚、ちょっとわかるかも。

「まあ、あんま口には出さないけど、あいつの存在は大っきかったですよね。望が入ったくらいから、優馬が別行動になることも多くて。そういう意味でも助かりましたよね、仕事する上で。どんな現場でも、あいつがいるとリラックスできる。望が「近キョリ恋愛」決まったときとか、あいつ、聞いた瞬間に“決まった!”って連絡してくれたし、俺が「アゲイン!!」に決まったときは、たまたまいっしょにいて、“主演や!”“すげー!!”ってふたりで驚いて。気づいたら、いてくれる。そんな存在ですよね」

ーずっとシンメだしね。

「俺ら、身長高いっていうのもあるから悪目立ちもするんですけどね。ただ腕組んでてもエラそう感が全然ちがう。たしかに、俺らふたり、気だるそうに見えるとこあるけど(笑)。しげなんか、つねに上体揺れてメラメラなってる感じで、やる気があふれてる。だからか、俺らけっこう、怒られることも多くて。リハしてて、B.A.D.がまちがってて俺ら合ってたのに、振り付け師的には、“ここのふたりがまちがうはずないから、こいつらやろ”って先入観があったんでしょうね。“おまえら、位置ちげーだろ!”って怒られて。そろって“俺ら合ってますよ”って顔してるから、それがまた、ナメ腐ってると見えて、もっと怒られたりして。B.A.D.のふたりが、あとで“あれは俺らがまちがってた”って謝ってくれたんですけど、あのタイミングで言ってくれよって(笑)」

ーハハハハハ。

「当然、俺らだってやる気あるんですよ(笑)。先輩のバックについて、近畿圏のツアーには出られても、それ以外と全国ツアーには神ちゃんと、しげだけ行くことが多くて。やっぱ悔しかったし、“次行けるようにしような”ってよく話して。じょじょに連れて行ってもらえるようになって、ふたりで曲やらせてもらえるようになったときは、“やったな”ってよろこび合ったし。ホント、いろんな瞬間を、あいつとはすごしてて」

 だから俺、賭けをしたんです

ーJr.時代、転機みたいなものがあったとしたら、それはいつ?

「そうっすねえ……。やっぱ高校卒業したタイミングはデカかったですね。同級生で大学行く人もいれば、就職する人もいて、高校卒業って、一コの分岐点ですよね、人生の。みんなそれぞれの場所でがんばってんのに、俺は仕事がない日は、まったくやることがない。ヤバイなって危機感は感じましたね」

ー妹ふたりの活躍もプレッシャーになった?

「そこは気にしてはなかったですね。ネタでまわりに、“妹のほうが売れてるな”とか言われたりしてましたけど(笑)。がんばれよって純粋に応援してました。同級生の存在が大きかったな。だから俺、賭けをしたんですよね」

ー賭け?

「高校卒業した18才のとき、「少年たち」の舞台があって。最初、8月の松竹座のメンバーには入ってたんですけど、9月の日生(日生劇場)のメンバーには、俺と望は入ってなくて、電話したんですよ、ジャニーさんに」

ーなんて?

「“日生にも出たいです”って」

ーそれが賭けだった?

「俺、もし日生の舞台に立てなかったら、やめようって決めたんです。出られへんかったら、何かしら別の仕事しようって。続けることって大事ですけど、俺はダラダラ続けることに意味はないなと思ってて、20代後半になってもジャニーズJr.ってのはイヤやなと思ったんで。一コの賭けとして、ジャニーさんに“出たいです”ってのをドストレートに伝えて」

ー出られなければ、やめるってことは?

「言ってないですね。それを言ったらフェアじゃないから。だから、ただ“出たい”ってだけ伝えて。8月の後半にリハが始まるんですけど、呼ばれへんかったら、8月いっぱいでやめようと思って。そしたら呼ばれて。“この世界で、もうひと踏ん張りしよう”って決めました。そこからが大きかったですね。初めての、“これがしたい”って意思表示でもあったし」

ー日生の舞台は、どうだった?

「8月の舞台と役が変わって、お笑いパートを任されたんですよ。台本来たときに“マジか!”ってなって。それまで、笑いを避けてきてたから。もう叩きのめされましたね。スベリまくって。塚ちゃん(塚田僚一)すげーなって。こんだけスベっても、耐えられるんやって(笑)。塚ちゃんに、すっげー頼ったんです。困ったら、なんかやってくれって。塚ちゃんをスベらせて出番が終わるみたいな。あの人、ホントにもういい人すぎる。俺、すっげービビってましたから。舞台って反応がすぐ返ってくるから、怖くてしかたがなかったんですよね。ビビりつつなんで、中途半端で余計ウケなくて。あの日生のステージで、かなり鍛えられた感はありますね」

ー2013年は、初の連ドラ「ミス・パイロット」に出演してるよね?

「いきなりすぎてビックリしたんですけど、うれしかったですね。やっと、連ドラ出られるって。現場でいちばん年下ってこともあって、よくイジってもらって。監督に、“ここで、みんなをアドリブで笑わせて。よろしく。よーい、はい!”みたいなことも多くて。ここも、ホンマに鍛えられましたね」

ー「ミス・パイロット」の収録があったから、9月の「ANOTHER」には出てないよね?

「そうですね」

ー「ANOTHER」に出演したメンバーの間では、7人でのデビュー話が持ち上がってたのは聞いてた?

「そんな話があるよって、軽く聞いてたくらいで。俺は12月の末までドラマやってたから。みんなは、“たぶん7人でデビューできる”って思ってたらしいですけど」

ーそして、カウントダウンの日を、実家で迎えた……。

「マネージャーからのメールが意味深だったんですよね。今思えばですけど。“今年、関西Jr.は出ません”って。まーまー、たしかに関西Jr.としては出てないですよね」

1%の可能性に賭けてみよう

ーカウントダウンが終わった直後、社長に電話したときは、“終わったな”って一度は思ったんだよね。

「はい。あきらめないつもりでしたし、入るための努力はするつもりでしたけど、“ホントに入れんのか?”って不安のほうが大きかったし、1%の可能性に賭けてみようみたいな感覚やったんで。ジャニーさんに電話したけど……って優馬に報告しようとかけなおして。そしたら、優馬かっけーなって思ったんですけど、“絶対いける!100パーいける!!”って言いきってくれたんです。俺、その言葉でスイッチが入って、絶対あきらめないって。“俺も動くから大丈夫。絶対いける!”って、あいつ言ってくれたんですよね」

ー濵田くん、神山くんに電話したのは、そのあとなんだ。

「そうです。“いけるかわかんないけど、入る努力はしようぜ。見てるだけじゃ意味ないから”って話して。次の日、コンサートのリハやったんかな。リハから帰ったら、まさかの折り返しがジャニーさんからあって」

ーなんて言われたの?

「30分ぐらいしゃべって。“3人には俳優をやらせようと思う”ってことを言われて。俺は“入りたいよ”ってことを伝えて。もちろん、“じゃあ7人で”なんてことにはなんないけど、伝えることは伝えて」

ーそうだったんだ。

「そっから、やっと、しげと望と連絡とって。4人の状況を説明してもらって。しげ、一生懸命動いてくれて。望も最年少でいろいろ大変だったろうけどがんばってくれた。やっぱ俺じゃないんですよね、最初からずっとあきらめなかったのは。俺じゃない。断トツであきらめなかったの、しげなんですよね」

ーそうだったんだ。

「それで4人が、それに優馬も動いてくれて」

ーそして、「なにわ侍」のリハに3人も呼ばれ、本番でのデビュー発表につながったんだ。

「そういう流れですね。ステージ上で7人でデビューすることを発表したとき、改めて感じました。自分のことのように号泣してくれるファンの人たちを見て、俺たちは支えられてるんだって」

ー家族には、どうやってデビューを伝えたの?

 「恥ずかしがり屋なんで、電話じゃなくてメールを送ったらよろこんでくれましたね。わかった瞬間に送りました。少しでも早く安心させてあげたかったんで。自分的にもよかったんですけど、親を安心させられたのは、なんかそれ以上によかったですね」

ーよかったね。

「やっぱ、いろんな人に支えられて、今の俺がいるんですよ。おかん、ドラマとかあって久しぶりに実家に帰るとき、“家で晩メシ買うわ”って連絡すると、必ずハンバーグを作ってくれるんです。“ここぞとばかりに”俺、雑誌で“おかんの作る好きな料理は?”って質問に、ハンバーグって答えたことあって。たまには別のもんもって思うこともあるけど、ハンバーグが出てくるとやっぱうれしいんですよね。俺の記事、読んでくれてるんだ、いつも気にしててくれるんだって」

 “やっぱ、しっくりくんなあ”“気持ちええなあ”

ー今、7人でよかったなって、どんなときに思う?

「クルマでの移動中とか、よく思いますね。こんな仲いいグループないんちゃうかなって。俺ら、移動中のほうがしゃべってるくらいだから。車内が10なら、テレビとか雑誌の対談は3くらい(笑)。そんくらい、ようしゃべってる」

ーテレビや雑誌でも10で、しゃべってよ(笑)

「まあ、7割ほぼ下ネタとかなんで、それは難しいかな(笑)」

ーハハハハハ。じゃあ、これから、どんなグループになっていきたい?

「まずは知名度を上げる。街中で声かけられるとき、よく“関西ジャニだ!”って言われんですよ(笑)。“かすってんねんけど、若干違うねん。ジャニーズWESTって言うねんけど”っていっつも答えてて。あと、“応援団や!”とか(笑)。だから、まずは知名度を上げるってのが、個人的にもグループ的にも目標で。個々が個々の仕事をがんばるってことが、知名度を上げることにつながると思うんで」

ーそうだね。

「もっと先の目標としては、ずっと仲いいグループでいたいってことかな。ずっと変わらず、このままで成長していけたらなって。いつまでも楽屋でわちゃわちゃしてるグループでいたいですね。スタッフさんに、うるさいって言われ続けるくらい」

ー繊細な部分だと思うけど、ゴタゴタがあって、4人と3人の間に溝ってできなかったの?

「ないない。まだ入れるってことを言われてない段階で、「なにわ侍」の初めてのリハが始まって。その1曲目が「ええじゃないか」だったんです。曲が終わった瞬間、4人が口々に言ったんですよね。“やっぱ、しっくりくんなあ”“気持ちええなあ”って。4人が、そう言うてくれたのがうれしくて。俺ら3人も同じこと思ったし。その瞬間、すべてのゴタゴタも吹っ飛んで」

ーやっぱり7人がしっくりくるよね。

「ずっといっしょにやってきた7人だから。いまだに、なんで7人でのデビューにこだわったかって理由を聞かれても、いろんな想いがありすぎて、パッと言葉ではうまく評価できない。でも、“しっくりくるから”ってのがいちばんしっくりくるっていうか。それが、すべてなんじゃないですか」

 

葛藤の末、1%に賭けた大勝負。

天井知らずの可能性を知る友は、「100パーいける!」と背中を押した。

どんな忘れ物をしても、支えてくれた人たちへの感謝は決して忘れない。

「しっくりくる」満足感にたどり着くため、ともに汗と涙を流した仲間たちと星をめざして突き進む。

 

 

20141023 MYOJO 12月号 10000字インタビュー全文〜小瀧望〜

7人でデビューできる可能性はゼロじゃない

ーカウントダウンコンサートで、“グループ名はジャニーズWEST4 ”とデビュー報告をしていたとき、どんなこと考えてた?
「こんなこと言っていいんかわかんないけど……。心からは笑えなかったですね。正直。ああいう形では発表したくなかったです」

ーキツイこと聞くけど、メンバーからはずれた3人に対して、どう思った?

「4人でデビューってこと、ずっと言えなくて……。言えなかったっすね。それが、めちゃめちゃ重かったです。もう、あのときを越える苦しいこと、そうそうないと思うんですけど。3人とむっちゃ仲いいのに、でも言えない。やっと伝えられたのが、カウントダウンの数時間前で……。3人にメールして。3人からは、“教えてくれてありがとう”って返信が来たけど、でも本心で言ってるとは思えなくて。あんときほどツラかったこと、今まで生きてきた中でなかったんで……。悲しいとか、ツライとかじゃなくて、ホンマに痛かったんです。心が。あんな気持ち、二度と味わいたくないですね」

ーツラかったね。
「ただ、この発表と同時にデビューしますってわけじゃなかったんで、僕ら4人としては、微かですけど希望もあったんです。“まだいけるかもしれない”。“7人でデビュー出来る可能性はゼロじゃない”って」

ホンマ、おまえんとこの家族おかしいわ

ーじゃあ、7人でグループを組むまでのことを過去から順に聞いてくね。

「はい」

ー小さいころって、どんなコだった?
「うーん、幼稚園とか。小学校とか。クラスの真ん中にいる感じだったかな。リーダーじゃないんですけど。人見知りもしなかったし、あんまり引っ込む感じじゃなくて。あと、人を笑わすのが好きでした」

ー正直、モテたでしょ?
「幼稚園のころとかは、バレンタインでチョコを2、30個もらってましたけど。でも、どうなんでしょうね!?幼稚園のころって、フツーに渡すじゃないですか。たぶん、モテてなかったと思いますけどね」

ーいやいやいや。それ十分モテてるでしょ(笑)。幼稚園のとき、サッカーを始めたのは?
背が高かったんで、“やってみーひんか”ってコーチに誘われて。テニスも習ったことがあって。姉ちゃんといっしょにスクールに通ってましたね」

ーお姉さんの小瀧くん溺愛ぶり、有名だよね。

7コ上なんですけど、ケータイに僕のこと“息子”って登録してますからね。僕には育ての母が、ふたりいるみたいな(笑)」

ー昔から仲がよかったの?

小さいころは、よくケンカしてましたよ。僕がグチグチ言ってたら、“弱い犬ほどよう吠えんねん”って言われたの、まだ覚えてます。その通りなのが悔しくて、履いてた靴下を脱いで投げつけましたね(笑)」

ーハハハハ。そんなお姉さんが、最近は弟離れに挑戦中だとか?

「それ、もうやめさせました。ちょっと前まで、ほっぺにチューとかしてくる勢いだったんで、“それはやりすぎやろ”って言ったんです。そしたら、ちょっと距離を取るようになって。僕が東京に行くことも多くなったんで、弟離れしようとしたらしいんです。でも、距離を置かれると調子が狂っちゃうんで、“それはちがうよ”って伝えたら、いつも通りに戻ってくれて」

ー両親とも仲いいよね?メンバーが、「小瀧家の家族愛はハンパない」って言ってたよ。

「仲よすぎて、“ホンマ、おまえんとこの家族おかしいわ”って言われること多いっすね。今も月2くらいは家族全員で外食に行って、そのあとカラオケで『ええじゃないか』をみんなで歌ったりするし(笑)。映画とかも、お母さんとふたりで行ったりするんですよ。“おもしろそうなのやってるから。行こっか”って、僕が誘って」

ー反抗期ってなかったの?

「ないんですよ。ホンマに家族が大好きで、口が裂けても"ババア!”とか言えないですね。“うるせー!”とかも。あ、今まで1、2回は言ったかな。でも、すぐ反省して、“ごめんなさい”って謝って」

ー家族愛の源って。何なの?

「なんかねえ、思うんです。お母さんがお母さんでよかったな。親父が親父でよかったな。姉ちゃんが姉ちゃんでよかったなって。大好きなんで。僕、小3のとき、いっしょに住んでたおばあちゃんが亡くなってるんです。それで余計に家族愛が強くなったってとこあるかもしれないですけど。なんか、おばあちゃん、やさしかったんです。僕、おばあちゃんっ子で。大好きでしたし、今も大好きで。靴を履かせてあげたり、車椅子を押してあげたりしてたんです。でも、なんか、もっとしてあげられたことがあったんじゃないかなって」
ーそうだったんだ。

「だから、今後、やってみたいことなんですけど、お年寄りのいる施設をまわって歌を歌いたいんですよね。もしメンバー全員の意見が一致しなかったら、僕ひとりでも行くんですけど(笑)。おばあちゃんに恩返しじゃないですけど、もっと笑ってもらいたかったんで。せめて、そのぶんをじゃないですけど、みんなにやさしくっていうか。そういうのしてみたいです」 

おまえは、いっしょにいたらラクやわ

ーじゃあ、小さいころの夢って何だった?

「サッカー選手か美容師ですね」

ー美容師?

「僕が得意なこと、好きなことがそろってるなって。人とコミュニケーション取るの好きだし、手先もある程度器用だし。小学校のときとか、先生の肩もみとかしてたんで、マッサージも得意だし(笑)。昔から誰かに何かしてあげるのが好きだったんですよね。だから美容師、ハマってるやんみたいな」

ージャニーズのオーディションを受けたのは小6だよね?芸能界に興味ってあったの?

「ホンマは興味なかったんですよね。お母さんに“ジャニーズどう?”って聞かれても、“絶対、イヤ!”って言ってたぐらいで(笑)」

ーそれなのに?

「たまたま、「ミュージックステーション」に出てる山田(涼介)くんを見たんです。スゲーなって。こういう人になりたいなって、その瞬間に思って。その日から、サッカーやってて帰りが遅かったんで、山田くんが出てるバレーボールの中継とかも録画して見てて。あこがれましたね。山田くんがいなかったら、ジャニーズに入ろうって思ってなかったと思います。で、“僕もやってみたい”って、履歴書を送ってもらって。3月とかに送ったのかな。6年生になった7月に社長から電話がきて」

ーオーディションはどうだった?

「僕が受けたオーデイションは、KAT‐TUNのバックを選ぶオーディションで。いつもは百人単位で受けるのに、書類の段階でかなりしぼったらしくて、20人くらいだったんですね。会場が京セラドームだったんですけど。なんかスゲー気まずかったです。慣れない場所で、全員初対面で、独特な雰囲気で。会場に関西Jr.も大勢いて。(桐山)照史くん、(中間)淳太くん、B.A.D.のふたりもおって。“あ、「ごくせん」だ!”って。で、しげ(重岡大毅)が座ってて。もうキラキラしてて、“すっげージャニーズっぽい人だな。これがアイドルなんや”って、そんときだけは、スゲーと思って」

ー“そんときだけ”って(笑)。期間限定なんだ。

「今じゃ、ただの変なヤツですから(笑)」

ーハハハハハ。オーディションは受かると思った?

「何も考えてなかったです。受かるとか落ちるとか。全然、わかってなかったですね。でも、なんか終わったら、サングラスかけたおっちゃんに、連絡先を聞かれて。“ユー、名前なんていうの?”って聞かれたんで答えたら、“ユーが小瀧望なんだね”って。もう、“あんた誰やねん”って思って」

ーそれが……。

「社長でした(笑)。で、7月30日、ちょうど僕の誕生日に家族でごはん食べてるときに電話がかかってきて。“明日から東京に来てください”って。次の日から東京で、(Hey!Say!)JUMPの「SUMMARY」や少年隊の「PLAYZONE」を見学させてもらって」

ーいきなり別世界な感じ?

「はい。「SUMMARY」で山田くんも見られたし、「PLAYZONE」の客席でパッと後ろを見たら中居(正広)くんが座ってたりしてましたからね。緊張しすぎて、自分の状況が理解できなかったですね」

ー(藤井)流星くんや、神山(智洋)くんの第一印象は、どうだった?

「流星と神ちゃんが、「少年たち」のパンフレット撮影をしてるときに初めて会ったんです。流星の最初の印象は“ホンマに意地悪そうな人やな~”(笑)。神ちゃんは、なんか雰囲気があって俳優みたいやなって」

ー入所直後にもかかわらず、Hey!Say!7WESTの一員に大抜擢されてるよね。

「はい」

ー経験ゼロでグループに入るって、大変じゃなかった?

「最初はやっぱり、コンプレックスっていうか、早く追いつかなきゃってのはありました。だから必死で」

ーやっかみとかもあったんじゃない?

「ま、あったんじゃないですかねえ。何年もバックをやって、そこから上がってくのがフツーなんで。なのにパッと入ったヤツが、いきなりマイクを持って。正直、キツイ視線で見てくる人もいましたけど、気になんなかったっすねえ。家族は気にしてましたけど」

ー家族が?

「親や姉ちゃん、心配性で。ネットとかすごく見たらしいんです。Hey!Say!7WESTに入った直後は、“なんであいつが!”的なネガティブなことが、けっこう書かれてたらしくて」

ーそうだったんだ。でも、本人が気にしなかったのは、なぜなの?

「なんでなんですかねえ?そんなときでも、やさしくしてくれた先輩もいたからかな」

ーたとえば、誰?

「流星とか。僕が小6だったんで、流星は中3やったと思うんですけど、よく遊びに誘ってくれましたね。“何してんの?”って電話してくれて。そういうのは流星だけやったかな」

ーそうだったんだ。

「あ、でも、僕まだ少しサッカーもやってたんで、後輩の練習を見に行ったりしてたんです。流星からの誘い、“今、サッカー見に来てるんでムリです”って断りましたからね。しかも2回連続で(笑)。たぶん、あの人は覚えてないと思うんですけど。それでも、誘い続けてくれて。意地悪じゃなかったんだ。やさしいなって」

ー今では、色ちがいのジーパンを買うくらい仲がいいしね。

「流星が買ったヤツがかわいくて、色ちがい買っちゃいましたね。流星が青系で、俺が濃いグレー系で。でも、なんやろうなあ。いつからめっちゃ仲よくなったかってのは、覚えてないんすよ」

ーそうなんだ。

「だけど、流星に昔、“おまえは、地元のツレみたいな存在やから。いっしょにいたらラクやわ”って言われて。それがなんかうれしくて、今でも覚えてて。こういうこと言うのテレくさいですけどね」

ーほかにも、よくしてくれた人っていた?

「(中山)優馬もやさしくしてくれて。僕が入ったときから、関西Jr.の中でも別格って印象だったんですけど、すごく、やさしくしてくれたんです。昔から、流星と優馬とは特に仲よくて、よく誘ってもらって3人で遊んでたんです。今も3人でメシ食べたりしますね」 

“もお~”って言われんの好きなんかなあ

ーJr.の活動自体は順調だった?

「うーん、どうだろう。最初、やっぱり自分を出せるまで、少し時間がかかりましたけどね。心を閉ざしてたわけじゃなかったんですけど、やっぱ出せなかったんでしょうね。子どもやし。なんか、殻にこもってたんですかね。知らない間に」

ーその殻を破ってくれたのは?

「ラジオや雑誌の対談とかが、いいきっかけだったと思います。少しずつ、いろんな人と打ち解けて、殻が破れていって。メンバーといることも楽しくなって。最初は緊張ばっかりでしたけど、徐々に徐々にですね。でも、いちばんはファンの存在ていうか、コンサートですね。自分たちの冠コンを計3回したのかな。2回目くらいで完全に殻を破れました。大好きな人といるときは、やっぱり素でいたいなって」

ーじゃあ、意図的にキャラを作ったり変えたりしてたわけじゃないんだ。

「そうですね。素を出せるようになっていった感じです。だって、好き好んで2.5枚目を演じないでしょ。まあ最近は2.75枚目くらいにいっちゃってますけど(笑)。僕、キャラを作るのイヤなんで。大っ嫌いなんです」

ー二枚目路線のほうが、人気が出るかもって思わなかった?

「もしも素の2.5枚目が嫌われるなら、それはしかたないやと思ってて。メンバーも、ファンの人たちも、これからずっといっしょにいるんで、素でいたほうが、いいじゃないですか。ナチュラルに生きたいんで」
ーそうだね。

「それに、“2.5枚目”ってキャッチコピー、ファンの人につけてもらったんです。すっごい気に入ってて。ファンレターに書いてあったんですよね。“人類初の2.5枚目”って。そう見えてるんだ、うれしいなって」

ーじゃあ、恋愛マスターって呼ばれるのは?

「“なんで俺が、そう呼ばれてんやろ!?”って感じですけど、まっいっかって(笑)。ホンマに濵ちゃん(濵田崇裕)によく言われますけど、僕、子どもな部分はホンマに子どもなんで。知ってる人にとっては、見た目とのギャップが激しいと思う」

ー寝ている関西Jr.のコの耳に息を吹きかけたりするんでしょ?

「やるやる。楽しいんですよね。ウザがらみすんのが。スネた顔で、“もお~”って言われんのが好きなんかなあ(笑)。なんか、楽しいんですよ」

ー完全に子どもだね(笑)。じゃあ、最近したウザがらみは?
「東京で舞台があると、ホテル生活になったりするんですけど、エレベーターフロアーで神ちゃんに会って、神ちゃんは部屋に戻るとこだったのに、“ちょいちょいちょいちょい”って呼んで、クリーニング出しに行くの、無理やりいっしょに来てもらったり(笑)。濵ちゃんの部屋には、ほぼ毎日行ってましたね。特に目的はないんですけど、ひたすら、おしゃべりしたり、芝居の話をしたりして。濵ちゃん、ギターをずっと弾いてるんで、僕が歌って…みたいな。あと、いっしょに筋トレしたりしました」

ーメンバーのこと、大好きなんだね。
「はい。ウザいくらい(笑)」

“絶対デビューしよう”。4人で誓った約束

ーJr.時代、やめたいって思ったことなかった?

「あります、あります。ありますよ、そりゃあ。それこそ、高校1年とかのころとか」
ー何があったの?

「うまく伝えられるかわからないんですけど、もっと違う道もあるんじゃないかって悩んで」
ー誰かに相談したりした?
「そういうことを話せる人は、あんまりいなかったんですね。がんばってるメンバーに言うことじゃないと思ったし、家族にも言ったら悲しむだろうなって思ったし。悲しませたくないってのがあったんで。だから、自分の胸に秘めてました」

ー高1の時って言ったけど、それって7WESTが6人から4人になったことと関係ある?
「う~ん…あるかな。最初、Hey!Say!7WESTで優馬と一緒にやってたとき、このグループでデビューできるかもしれないって話があったんですね。あったんですけど、優馬はNYC boysで活動することになって、その話はなくなって」

ー2009年のことだよね?
「はい。それから、6人でデビューを目指してたんですけど、僕が高1のとき、ふたりが抜けることになって。やめる前に相談も受けたんですけど、僕は止めなかったんです」

ーなぜ?

「僕自身、将来のこと不安だったし、悩んだ…。俺、人の人生を、人の決断を変える権利ないなって。がんばっても、デビューできるがどうかはわかんない。もし、デビューできなくて、“あのときやめとけばよかった”ってなったら……。自分の人生なんで、自分の好きに生きたほうがいいと思うんです。だから、もちろんさびしかったけど、俺は止めることはできなくて。それは、すごく、もしかしたら冷たいことなのかもしれないけど……。でも今、ふたり、楽しくすごしてるだろうから。だから、さびしかったけど、引き止めなかったんです」

ーそして、7WESTは小瀧くん、重岡くん、流星くん、神山くんの4人での活動となった。
「絆は強くなりましたね。4人で、“ふたりのためにも、俺らは絶対デビューしよう”って約束して。デビューできなかったら、ふたりも後ろめたい気持ちになっちゃうでしょ?」

ーそうだね。ただ、関西Jr.からは、2004年に関ジャニ∞がデビューして以降、グループはデビューしてない。正直、デビューは難しいかもって思わなかった?

「簡単じゃないやろとは思いましたね。でもね、僕、ウォルト・ディズニ―の好きな言葉があるんです。“If you can dream it ,you can do it.”。“それを夢見ることができるなら、あなたはそれを実現できる。”その通りだと思うんです。想像できたら、強くイメージできたら、それは実現可能なことだと思うんです。僕は、ドームで歌ってるとこ、よく想像してました。いっぱいのお客さんの前で、大歓声に包まれて歌ってる姿を。ドームで歌うってことは、デビューするってことじゃないですか。想像すること、強くイメージすることって大事ですよ」
ーなるほど。

「当然、夢を叶えるためには努力しなければいけない。だから僕、退路を断ったというか、自分の中でリミットを決めて」

ーリミット?

「高校卒業までにデビューできなければ、やめようって決めたんです」

ーそれ、追い込み過ぎじゃない?
「でも、続けてると、自分が立たされてる状況が、ある程度見えてくるんですよ。もしデビューできるなら、ここ1、2年が勝負だなって思ったんです。もし、俺以外の人たちで関西Jr.からデビューするグループがあったら、やめようとも思ってましたし。B.A.D.のふたりや、濵ちゃんもいる。そこ誰かを加えたグループがもしデビューしたとき、そこに俺が入ってないなら…。そしたら、次はなにわ皇子やKin Kanの番なんで。そこに僕は入らない。チャンスは何回もこない。あって、あと1回。だから、高校を卒業するまでにデビューできなかったらやめようって」

4人じゃないー。7人だったから

ーそして昨年、いよいよデビューの話が浮上したよね。
「そうですね。去年の9月、事務所やレコード会社の人と話をさせていただいて。そのときは、7人でって話だったんです。だから、“ついにきたか!”って。でも、そっから進展がないまま、時間だけが過ぎて」

ーショックだったんじゃない?
「よくあることなんでしょうけど、僕にとっては、2度目の挫折なんで。“なくなった。またや”って……」

ーそうだね。
「そしたら、12月に4人が東京に呼ばれて。7人の代表として呼ばれたと思ったんです。でも、話を聞いていくと、どうやらちがくて。“4人でいく”って伝えられて。4人のほうが売り方的に有利だからって。その通りかもしれないんですけど、僕らはすごく戸惑っちゃって」

ーそして、カウントダウンコンサートを迎えたんだ。

「はい。カウントダウンもキツかったですけど、年明け4日からの明けおめコンも、キツくて。そのときのリハーサルの雰囲気も……。来てくださった方に失礼なんですけど、今までのコンサートの中で、いちばん楽しくなかったですね。おもしろくなかったです。7人ともそうだったと思うんですけど。流星とやった「Run From You」も、いつもとどっか違っただろうし」

ー3人とは、何か話せた?

「しゃべれなかったですね。今まで1回も、そんなことなかったのに。言葉が出てこないんです。何をしゃべっていいのかもわかんなくて。いつもみたいにからまれへんし。ムリでしたね。流星たちも、何話していいかわからなかったと思います」
ーやりきれなかったね。
「でも、僕より流星のほうが全然強くて。メールをもらったんです。“気にしなくていいから”って」

ーでも、7人でデビューすること、あきらめなかったよね。

「特にしげは、ずっと“7人がいいです”って言い続けてて。たぶん、あのころ僕、誰よりもしげと話し合ってて。“もともと僕たちは7人やから、絶対7人でいこう”“そうやな。”って。しげが振りつけ師に“7人がいいです”ってひとりで言いに行ったんです。そのあと、僕が呼ばれて。“お前はどっちがいいんだ?”って聞かれて」

ー何て答えたの?
「“7人です”って。照史くんも、淳太くんも動いてたと思います。それから、少しずつ少しずつ風向きが変わったんですよね」

ーそうだったんだ。

「まず、ジャニーズWEST4の“4”が取れたのがデカかったです。ふぉ~ゆ~と、かぶっちゃうって話になって、まず4が取れて。最後は社長に“責任は自分たちで取りなさい”って言われて」

ーもしも話がこじれてデビュー自体がなくなったらって怖さはなかった?リミットも決めてたし、1回あるかないかのチャンスだったんだよね?

「たしかに、そうだったかもしれないですね」

ーそれでも、7人にこだわったのは?

「7人、それぞれ個性がある。だから7人のほうがそれぞれのいいとこを、より多く出せるんじゃなかって思ったから。……って、なんか、それっぽい理由も考えたんですけど、本音はもっと単純で。好きなんですよ。メンバーが(笑)」

ー最後はメンバー愛なんだ。

「さっきディズ二―の名言が好きだって言いましたよね」

ーうん。「夢を見ることができるならー」ってヤツね。

「そう、いつからだろう。僕が思い描くドームで歌ってる姿って、1人じゃない。4人でもないー。7人だったから」

7色だから描ける未来がある
ーそして本当に、7人でのデビューが正式にかなった。

「関西Jr.のメンバーや、家族、ファンの方、いろんな人が祝ってくれて、本当にうれしかったですね。今度は、心から笑えました。幼稚園から中学までいっしょだった地元の仲いいコが、中学時代の同級生、学年2クラスだったんで、5、60人なんですけど、全員から俺あてにお祝いのメッセージをもらってきてくれて。それだけじゃなくて、幼稚園、小学校、中学の先生からの手紙とかも、アルバムにまとめて持って来てくれたんです」

ーそれ、うれしいね。ほかにも、印象に残ったお祝いの言葉ってある?

「山田くんと話す機会があったんです。“よかったね、7人になって”って言われましたね。うれしかったです」

ーじゃあ、これから7人で、どんなグループになっていきたい?

「うーん、何だろう。“誰々が好き”っていうより、“グループが好き”って言われるようになりたいんですね。“みんな好きやから、選ばれへん”って(笑)。たとえば、僕を“7”好きでいてくれるより、7人を“1”ずつ好きでいてくれるほうがうれしいです。グループとして愛されてるほうが、嬉しいじゃないですか。みんな好きって、言ってくれるほうが。僕が好きなメンバーを、みんなも好きになってくれたら、そんな幸せなことないなって」

ー具体的に、これからやりたいことってある?

「まずはやっぱりライブを、いっぱいしたいですね。ライブしてるときがいちばん楽しいんで。アオリ曲とか、会場の全員で騒ぐ感じ、僕いちばん好きで。だから今は、めちゃくちゃ全国ツアーをしたいです」

ジャニーズWESTのライブは、MCもおもしろいよね。

「みんな、おもしろい!濵ちゃんとか独特やし、神ちゃんも変わってるし、流星は傍観者やし(笑)。まあ、淳太くんが大変そうですけどね。ボケが6人なのに、ツッコミはひとりなんで。やっぱねえ、長い人で10年以上のつき合いがある。“ここは絶対にツッコんでくれる”って信頼感があるんで、みんな安心して好きなこと言えるんです。友だちがコンサートに来てくれて、“芸人よりおもろいな”って言ってくれたんですけど、ホンマうれしくて」

ー7人だから成立する間であり、空気ってあるよね。

「ホント、いろんなキャラがいて、7人でよかったなって思いますね。あの時、“7人がいいです”って言ってよかったなってホンマ思います。言ってなかったら、一生後悔してたから」

ー“7”でよかったね。

「常に思います。つくづく思います!だって歌番組に出たときとか、放送を見たら、僕も知らないところでメンバーがボケたりするんですよ(笑)。7人でよかったなって。トーク中も思います。いろんなキャラがいておもしろいなって」

ーそうだね。

「デビューしたとき、友だちからもらったアルバムの最後に、英語で“すべての色には役割がある”って書かれてて。“かっこええ~。ホンマそうやな!”って思ってて。いろんな色があって、その色がほかの色と並んだり、混ざったりして、引き立ったり、キレイに輝いたりするわけで。僕ら7人にも、それぞれの役割があるんです。7色だから描ける未来があるんです」

ーいい言葉だね。ちなみに英文では何て書いてあったの?

「えっと……。それはちょっと忘れました(笑)」

 

夢をかなえるのは苦しい。

だけど、かなった瞬間がいちばん苦しかった。

心が「ホンマに痛かった」のは、想像してた夢とちがったから。

「ひとり」でも「4人」でもない「7人」で叶えたかった夢。

「ウザいくらい」大好きなメンバーだからきっと「描ける未来がある」と信じている。

 

 

20140923 MYOJO 11月号 10000字インタビュー全文〜濵田崇裕〜

「濵ちゃんも、あきらめんなよ」

ーカウントダウンコンサートで、中間(淳太)くん、桐山(照史)くん、重岡(大毅)くん、小瀧(望)くんの4人がデビュー報告をすることを知らされたのは、いつだった?

「発表の数時間前でしたね。僕は、オフがOFFで。“ラッキー!初詣行こうぜ!!”って、保育園からの友だちを誘って、のんきに地元の神社に行ってました(笑)。出店で牛タン串が売ってて、“俺のおごりや!”って友だちの分も買って、ほおばりながら参拝の列に並んでるときメールが鳴って」

ー誰からのメールだったの?
淳太からで……。“だまっててゴメン、実は……”って。ながーいメールで、ただごとじゃないぞって一瞬でわかって。パニクって文字が全然頭に入ってこないから、とりあえず最後までバーッてスクロールしたら、“4人でデビューする事になりました”って……」

ー本人たちからの報告だったんだ。

「牛タン食ってる場合ちゃうやん……って。ショックというより、“え?え!?ウソやん!!”って状況を把握できなくて。グループメールだったんで、(藤井)流星と神ちゃん(神山智洋)から、“教えてくれてありがとう”って返信が送られてきて。全然、納得も心の整理もできてなかったけど、俺も送らなって、“教えてくれてありがとう”って同じ文を送って」

ー簡単に受け入れられないよね。

「なんかもう、世界中でひとりぼっちになったみたいな感覚になって。そしたら参拝の順番になって。“神様に何を祈ったらええんや?”って。もうなんか、死にそうだったんでしょうね。“け、健康でありますように!”って願ったんですよ(笑)。友だちに、“何をお願いしたか知らんけど、お祈りしてるとき、これでもかってくらい力強く目をつぶってたぞ。必死すぎやろ”って笑われましたからね」

ー時間とともに現実感が増していった感じ?

「もう、どんどんどんどん気分が落ちていくんですよ。でも、友だちは知らないんで“おみくじ引こうぜ!”ってハイテンションで。で、引いたら、まさかの大吉で。“ウソつくなー!!”って半泣きで叫びましたからね(笑)」

ーもうダメだと思った?
「正直、僕は終わったって思いました。あきらめモードというか。だって“この4人で”って発表したんですよ。でも、流星から電話がきて、“俺はなんとしても入るよ。濵ちゃんも、あきらめんなよ”って。その言葉で一気にスイッチが入ったんです。神ちゃんも、最初はあきらめてたはずで。流星だけがあきらめなかった。こいつ、すごいなって。本当のピンチでも、うつむかず顔を上げるんだって。俺もあきらめちゃダメだって」

まかしとけ!ジャニーズ入ったる!!

ーそもそも、ジャニーズにはあこがれて入ったの?

「姉ちゃんがふたり、兄ちゃんがひとりいるんですけど、姉ちゃんたちがジャニーズ好きで。僕をジャニーズに入れれば、自分の好きなJr.に会えると思って入れようとしたんです。そんな下心に気付かず僕は、“まかしとけ!ジャニーズ入ったる!!”って(笑)」

ー4人きょうだいの末っ子なんだね。

「実家が農家だったんですけど、両親が忙しかったんで、きょうだいで弟の面倒を見なさいって感じで。母親より、姉たちに面倒を見てもらった記憶がありますね」

ー農作業を手伝ったりもした?

「僕、特技がトラクターの運転で。田んぼをトラクターで耕すのを、お父さんのヒザの上に乗せられて見てたら、自然と運転を覚えたっていう」

ー小5でダンスを習ってるよね?
「クラスの女の子に誘われたんで」

ーそれって、モテてたってこと?
「たぶん、モテてなかったです。ただ、ムダに運動神経抜群やったんで誘われたんだと思います(笑)。最初はおもしろかったんですけど、ちょっとしたらついていけなくなって、やめようとしたんです。心変わりに気づいたんでしょうね。僕、好きなコがバレてたんですけど、やめるって切り出そうとした瞬間、“あ、あのコも入るから”って言われて。僕の好きなコもダンス教室に入ることになって。“よっしゃ、もう少しがんばろう!”って(笑)」

ーそのころ、夢ってあった?
「中学でバスケ部に入って。“自分の身体能力を最大限に発揮できるのはこれだ!”ってバスケ選手になろうと思ってましたね」
ー事務所に履歴書を送ったのは中2だよね?
「いよいよ、さっき言った姉が弟をジャニーズに入れて好きなコに会わせてもらおう計画を実行に移したわけです」
ーただ、履歴書に貼った写真見たけど、凄いね(笑)。
“ツカミが大事や!”って思って(笑)。オカンが鼻眼鏡を買ってきてくれて。それをかけて写真撮って。アホなんです。わかってないんです。ことの重大さが。で、履歴書は送ったんですけど、返事が来なくて。俺はオーディションさえ受けられず不合格か。“チクショー!!”って」

ーハハハハハハ。
「で、だいぶたってオーディションの通知が来て。バスケに目覚めてた時期だったんで、最初はオーディションに行かないって言ったんです。姉ちゃんのお目当ての子も、もうJr.におらんくなってたし。でも、“まあ、とりあえず行ってみようよ”って姉ちゃんに丸め込まれて」

会場はどうだった?

「怖かったっすね。俺、10人くらいかなと思ってたんですよ。そしたら300人くらいいて。カッコつけたヤツとか、女の子みたいなキレイな顔したヤツとか、陽気なモヒカンとかもいて。あ、それが照史だったんですけどね(笑)。僕、人見知りなんでひと言もしゃべってないですけど、“このコ、いつかお笑いの道に進むんちゃうか?”って思ったんです。ある意味、当たりましたね(笑)」
受かると思った?
「絶対ムリやろって。ナイキのTシャツと、オカンが買ってきたようわからんズボン履いて、濵田家的にはいちばんのオシャレして行ったけど、もう田舎っぺ丸出しのカッコだったんで」

ー何かアピールしなかったの?
「オカンに言われてたんですよ。“あんた、バック転できるやろ”って。できそうなだけで、できるわけじゃなかったんですね。でも、“それ見せたほうがいい”って言われて。特技を披露する時間に手を挙げたんです。そしたら、先に指名されたのが、すっごいアクロバットが得意なコで。“バック宙できまーす!”って言ってブワーッてやって。見ていた関ジャニ∞さんも全員、“すっげー!”ってなって。で、次に俺が指されたんですけど、もうムリムリムリ。そんなコのあとなんか(笑)。でも、“すみません。バック転、でき……そうなんです”って。補助してもらって、どうにかできて。∞のメンバー全員、“うーん、もうちょっとかな”って言葉に詰まってましたからね(笑)」

ーそれは受からないと思うかも(笑)。

「何人かは雑誌用の写真を撮られてて。俺は撮られへんかったから、もうムリやろなって。でも、その日の夜に、「ANOTHER」って舞台があるから来てって電話で言われて。なんかねえ、あきらめてたんで、よけいにうれしかったですね」
ー入所してすぐ、BOYSに抜擢されてるよね?

「そうだ、そうだ。「ANOTHER」のときに何人か呼ばれたんです。歌ってみてって。おそらく、あれが歌審査やったんやろうな。その後直ぐBOYSに呼ばれて、マイクを持たせてもらって。でも、歌えるってことがどういうことがわかってなくて。姉ちゃんの友だちが“入ってすぐマイクを持てるってスゴイんだよ!将来有望だよ!”って教えてくれて。なるほど、俺は今すごい位置にいるのだな、と(笑)」

ーちなみに、バスケ選手の夢は?
「バスケ部の先生に、オカンが知らないうちに報告してたんですよ。舞台があるから、部活に行けない日がある。“舞台が、あの子の夢なんです!”って(笑)。先生も“濵田の夢なら応援します!”って。俺はバスケ選手になりたかったのに、勝手に道が閉ざされて(笑)。舞台後、部活に参加したら、ダメなプレーをしても先生が叱ってくれなくなったんですね。あ、気をつかわれてるなって。これはムリやって。だから、中1で見つけた人生初の夢を、中2であきらめたんです。ジャニーズ一本で生きて行くしかないって(笑)」

あいつのMCには愛があったから

ーデビューについてどう思ってた?

「最初は、自分がデビューできるとは思っていませんでしたね。なんもできることないし。とりあえず、続けとこうってくらいの感じで。そうっすねえ、深く考えて生きてなかったですね。関ジャニ∞さんがデビューして松竹座で自分たちのコンサートができるようになって、この世界の楽しさがどんどんわかっていって。あとは、先輩たちを見て、こうないたいな、ああなりたいなってことをいっぱい見つけてったんです。それで、だんだん、この世界が好きになっていって」
ー先輩の存在は大きい?

「大きいですね。先輩からすべてを学んだから。関西はマネージャーさんもつかないですし、もうすべてを先輩に教わり、自分たちでやる。一度、「ザ少年倶楽部」の収録で東京に行ったとき、東京のJr.は、マネージャーさんが衣装を片づけてたんです。“え?何でなん?”ってビックリして。僕らは、年上の文ちゃん(浜中文一)とかが、“こうたため、こう結べ、こうしまえ!”って見本を見せてくれて。“おまえらも後輩に引き継いでかんといかんぞ”って教わって。本当に、何から何まで先輩に教わったというか」

ーなるほど。

関ジャニ∞さんにしても、ずっと近くで見せてもらってたわけです。それは、もちろん華やかな部分だけじゃなくて、苦労した部分も。僕らはJr.時代、ごはんなんか数えきれないくらい連れてってもらいましたし。舞台中、関ジャニ∞さんの弁当はあったけど、Jr.の分がない時があったりして。そしたら、錦戸(亮)くんや、安田(章大)くんが、出前を取ってくれて。“みんな、たべー”って」

ーあこがれてる先輩っている?
「丸山(隆平)くんですね。心から優やさしい人やなって。よく“夜ごはん、行く人!”って、大勢Jr.を誘ってくれて。丸山くんとごはん行くと、終始、みんな笑ってるみたいな。カニを食べさせてもらったときがあって、丸山くんが、合戦の武将みたいに、“ぶおおおおおお~”って、エアーホラ貝を吹いて、“かかれ~!!”って言うと、Jr.が“おおー!!”っていっせいにカニを食べ始めて、数分で食べつくしたり。あんな後輩に、気をつかわせないようにしてくれる、あったかい人ってなかなかいないです」

ーじゃあ、Jr.時代、やめようと思ったことってない?
「高3のときかな。1回だけやめようと思ったことあります。なんて言うか、何年か進歩がないな、って思うことが続いて。何をがんばっても前に進まないで足踏みしてる感じというか。“あー、これムリや。やめよう”って思ったんですけど……」

ーけど?

「やめる勇気がなかったんですよね。やめると僕、何もない。“どうするの?今から?”って怖かった。同じ時期、やめてったコたちも多くいて。決断力すごいなって。僕はやり過ごしてきたというか、現実から目をそらしてきたというか。やめたくても、やめられなかった瞬間、なんか情けなくて、うわーってなりましたね」

ー誰かに相談したりした?

「してないですね。みんな応援してくれてたから、できなかったです。しかも僕、昔からこういうキャラじゃなかったんですよ。もう少しカッコつけてて(笑)。だから、よけい相談とかできなくて」

ーそんな時期を乗り越えられた、転機のようなことってあった?
「僕っていうより、関西Jr.の転機みたいなものがありましたね。照史がきっかけです。「ごくせん」に出たあたりだったかな。あいつ、MCでお笑いに走ったんですよ。その瞬間、関西Jr.に化学反応が起こった」

ーどういうこと?

「あいつ、自分をカッコよく見せるより、三枚目の方向、笑いの方向にシフトしたんです。今も、“ホンマはキャーキャー言われたいねん”って冗談っぽく言ってますけど、本音でえすよ(笑)。でも、あいつは笑いに舵を切った。たぶんそれは、自分のためじゃなくて関西Jr.のため。それに、みんながバッてついていったんです。“進むべき道は、ここだ”みたいな感じで」

ーみんな、ついていったんだ。

「ですね。あいつのMCには、愛があったんで」

ー愛?

「それまでも、みんなよくしゃべってましたけど、それは個々が勝手に自分をカッコよく見せたり、目立つためでしかなくて。気づいてる人も多いと思うんですけど、照史のトークって、ほとんどの場合が自分を下げて、相手を上げるんです。ある意味、自分を犠牲にして中間をカッコよく見せてる」

ーたしかに、それは愛だね。

「しかも、そのうえ笑いも取った。これ、すげーなって。俺はまだ、できることいっぱいあったのに、やめようと思ってたなって。だから、変わろうって。さらけ出したんです、アホな部分を(笑)。そんな僕を見て、ビックリした人もいれば、“そういうキャラやったんや。ウケる”って人もいて。正直、あのタイミングで離れてった人もいると思う。でも、よりいっそう好きになってくれた人や、関西Jr.に興味を持ってくれた人もいたんじゃないかなって。だから、俺はもっとさらけ出して、いっぱい笑い取っていこうって。あ、もちろん、たくさんたくさんスベリましたよ。今だって、よくスベリますし。でも、気にしない。スベリすぎて、鋼の心臓を手に入れたから(笑)」

ーハハハハハハ。

「照史が、関西Jr.を変えた部分って大っきいと思うんです。本当の仲間になれたっていうか。もちろん、関西Jr.同士でもライバルであって。7WESTができたときなんか、勢いもあったし、“こいつら、デビューするかも”って、ちょっと焦りもしたけど、絶対に負けない。負けらんないって、自分はアクロバットだったり、いろいろ習ったりして。ライバルだけど仲間だし、仲間だけどライバルっていう、いい関係だったなって」

なくなって気づく大切なものってあるよ

ーじゃあ、NYCのデビューはどう思った?

「(中山)優馬は、早いうちにデビューしそうやなっていうのはあったんで、内心めっちゃビックリしましたけど、“デビューすると思ってたよ”って冷静なスタンスを演じてました(笑)」

ーじゃあ、キスマイ(Kis-My-Ft2)がデビューしたときは?

「流石に、“やべー!!”って焦りましたね。正直言っちゃうと、キスマイより先にデビューしようってのを目標にしてたんで。ただ、落ち込むというより、“やられたなあ。でも、次は、俺たちが行くぞ!”って思ってましたね」

ーデビューまでの距離、どう感じてた?

「正直、見誤ってたと思うんですよね。僕たちが思うデビューまでの距離と、事務所が考えてる距離に開きがあった。だから、キスマイがデビューしたあたりから、“自分たちがやりたいことを口に出して言おう”って決めたんです。それまで口に出さなかったんで」

ー言葉にするようにしたんだ。

「はい。キスマイがJr.時代にツアーを始めたときとか、うらやましかったんです。でも、“うらやましい”って感情を表に出すって、負けた感じがしますよね。嫉妬的な。デビューしたくても、“したいです!”って泥臭くアピールするんじゃなくて、言わないまま、スマートにデビューしたいJr.も多いと思う。でも、俺らは、願う事は口に出して言おう。それがかなうための努力は惜しまないようにしようって決めた。ことあるごとに、“ツアーをしたい!”って言ったら、ツアーができるようになったし、デビューだって。意地やプライド……そんなものより、カッコ悪くたっていい。想いを口にすることで、本気度を周囲に伝えようって」

ーなるほど。個人的には、2011年に、BOYSが解散状態になったことも大きかったんじゃない?

「そうですね。メンバーがドンドンやめていって……。僕自身、ビックリしましたけど、まわりのほうが動揺してたというか。何も言ってないのに、“濵田、やめるってよ”とか噂が広まって。河合(郁人)くんに、“ホントにやめんの?”って聞かれましたからね(笑)」

ー実際、本人はどう思ってたの?
「意地でもやめないって決めてました。デビュー、絶対してやるって。ファンのコに変に気をつかわれて、やさしくされたんですね。“私は、ついてくからね!”みたいな。いやいやいや、誰もやめる言ってへんし。やる気満々やし(笑)。ありがたかったんです。でも、気をつかわせてしまった。だから、デビューして、安心してもらいたいなって」

ーなるほど。
「ただ、もしも僕が、BOYSの解散から伝えられることがあるとしたら、“なくなって気づく大切なものってあるよ”ってことだと思うんです。正直、“ユニットじゃなくてもいけるんじゃないか”って思った時期もあったんです。でも、なくなって気づいた。ひとりじゃ、なんもできひん。それまではミスしても、笑いに変えてくれた人が隣りにいた。でも、ひとりになったら、ミスはただのミスで終わる。だから、もし、近すぎて、その価値がわかりづらくなってる人がいるなら、改めてどれだけ大切な存在なのか見つめ直してほしいし、その気持ちを本人に伝えてほしいって思います」

みんながやめるなら、僕もやめよう

ー2013年5月、中間くん、桐山くんと、社長にデビューしたいって直訴してるよね?
「たまたまツアー中に社長の家に泊まることになって。3人で“今しかない!”って直談判しましたね」
ー最初は素っ気なかったんだよね?

「眠そうでしたからね(笑)。3人で必死で“デビューしたいねん!”ってお願いして。最初は“ユーたち、おっさんだから”って話をそらされて(笑)。でも、少しずつ“そうだねえ”ってなり始めて。3人で“いけるぞ!”ってアイコンタクトして、押せ押せ押せ押せって畳み掛けて。切り込み隊長は照史で。しまいには泣き落しですよ。“このままじゃ食っていかれへんねん。純粋にデビューしたいって気持ちもある。でも、食っていけたら、それでええねん”って(笑)。社長も、だんだん、そういう気になって。最後は、“考えとく”って言ってくれて」

ー桐山くんが、この直談判でまったくデビューの可能性がないのなら、やめてたかもしれないって言ってたよ

「う~ん、僕は、皆がやめるのなら、やめようというか。デビューできなかったらやめるというよりは、いっしょにやってきたコたちがやめんなら、僕もやめようと思ってましたね」

ーなんか、人任せすぎない?

「ある意味、そうですね(笑)。僕、なんでこの世界に居続けてんだろうって考えたんです。最初は、自分から望んで入った世界でもないのに。でも、この世界で、僕が何か手にした物があるなら、それはまちがいなく仲間なんです。これまでも、いっしょにやってきたコがやめてったことがありました。そうすると、胸に穴が開いたみたいになるんです。なんで、この世界に居続けたか……。それは、このメンバーが好きで、そんな仲間といっしょに、ファンの人たちの前に立つことが楽しかったからなんだって」

ーこのメンバーだから、か。

「ふざけてるとき、真剣なとき、どんなときでも阿吽の呼吸があるというか。こう言ったら、こう返してくれる。ひとりでも欠けたら、それが崩れるんです。誰か欠けて、楽屋のアホトークも、下ネタも、ステージ前のわけのわからない気合入れとかも、そのすべてがなくなると思うと、いる意味がないなって。誰かが欠けたら、俺は続けてくのムリやなって」

ー少しずつ、だけど着実に強くしていった絆なんだね。

「僕らのMCのスタイルが、どうやって生まれたかって言ったら、最初のころ社長に“MCおもしろくない”って言われたことからスタートしてるんです。じゃあ、こうしよう、ああしようって常に話合って。“こう言ったら、こうボケてや”“こうなったら、こうツッコんでや”って、積み重ねていったんです。ときには、すっごいモメたし、“ボケたのに、なんでツッコまへんかったんや!”“いや、あの場面は!”って言い合いも日常茶飯事で。でも、昔はそんなことできなかった。もめるくらいならだまっとこうって。だから、このスタイルになるまで、乗り越えてきたもの、積み重ねてきた月日があって、このメンバーだから成立する空気なんですよね。だから、誰が欠けても、その空気は、世界は壊れてしまう。そうなったらやめようと思ったんです。みんなが続けるんだったら、デビューどうこうじゃなくて俺は続ける。でも、誰かやめるなら、俺もやめるって」

もうムリやろ。俺、別の道探すわ

ーただ、直談判に行った3人のひとりだったのに、濵ちゃんはカウントダウンの会場にはいなかった……。

「ほんまっすよね。フタ開けた瞬間、“俺、おらんやないかーい!”って(笑)」
ーカウコン後、4人と初めて顔を合わせたのは?

「次の日、あけおめコンのリハがあったんです。どうやって顔合わせよう、気まずいなって。流星とも神ちゃんとも、ほとんどしゃべんなくて。でも、4人はまだ東京から戻って来なくて。俺、みんなで踊ってる最中、急に“あー、情けねー”って、ひとり立ちすくんじゃったんです。リハ抜け出して裏口から外に出てって。なんか地獄でしたね」

ー4人が合流したのは、その翌日?

「はい。いつも通りに接してほしかったし、接したかったのに、いつもの空気じゃ全然なくて。気をつかってる感じが。その夜、淳太に電話したんです。“いつもどおりしゃべってもらっていい?気をつかわれるのイヤや”って。淳太の気持ちもわかる。とんでもないことが起きてるのもわかる。でも、イヤやったんですよ。なんか、今までみんなで少しずつ築き上げてきたものが、全部壊れちゃいそうで」

ーあけおめコンどうだった?

「絶対に泣かないって決めてステージに立ったんです。でも、ファンのコが泣いてるのが見えて……。俺の歌で、どんだけ届くかわかんない。それでも、“俺はまだ自分を信じてるよ”って想いを曲に乗せて歌って……」

ーコンサート後の仕事って、何か決まってたの?

「そっからあとの仕事、なんもなかったんです。振りつけ師さんに、“4人が日生劇場で舞台をするけど、どうする?”って聞かれて。もし出たくなければ、それでもかまわないって。何か俺、ここ出なかったら本当に終わりだなって思って、“出たいです!”って言って」

ー不安な日々の中、支えになったことってあった?

「4人が社長や事務所の人に働きかけてくれてるって話を、漏れ聞いたりもしてたんです。それでも進展はなくて……。しげ(重岡)に言ったんです。“いろいろ動いてくれとるらしいな。ありがとな。でも、もうムリやろ。俺、別の道探すわ”って。そしたら、しげが、すっげー真剣な顔で“ちょっと待っててください。100%入れないとは思わなくてもいいと思います。今はまだ、それくらいしか言えないですけど”って。その言葉で、なんか緊張というか不安が解けたんですよ。これはメンバーになった今だから言えるのかもしれないけど、どんな結果が出たとしても受け入れようというか。思い通りにはいかないかもしれない。ただ俺は、できることは精いっぱいやった。そして、こんな素敵な仲間が、俺たちの為に懸命に動いてくれた……悔いはないって」
ーじゃあ、風向きが変わったのは?

「俺たちの現状を舞台にしようってところから、「なにわ侍」の物語は生まれたんですね。稽古初日に、オーディションで選ばれた4人に、選ばれなかった3人が加わって、ひとつのグループになるって構成を伝えられ、みんなでセリフを考えて。その構成を聞いたとき、確定したわけじゃないですけど、“あ、入れるかもしれん”って思いました。その日の晩、7人全員でごはんに行って」

ー「なにわ侍」、現実にリンクしていて、たくさんの観客が涙してたよ。

「………最後のシーンだけ、セリフじゃなくて、本当の気持ちを言おうってなって。そのシーンで、照史に半泣きで“濵ちゃんが必要や!”って言われて、俺、泣きそうになって。そのあと、“これで勢ぞろいやな!”って、しげが言って。しげ、“泣いてへんで”って言うけど、目がウルってきてて。みんなの目にも涙たまってて。もう、ヤばかった。この7人で、本当に、本当によかったなって」

7人だからこそできることがきっとある

ー今後のことについて聞こうと思うけど、個人的な目標ってある?

「うーん、ひとつは、演技面をしっかり磨いて、誰もできないような役を30才越えたくらいでやりたいですね。バスケで発揮できなかった、この身体能力を活かせるような映画を、いつか撮りたいです(笑)」
ー“東京進出”についてはどう思ってる?

「なんか、殴りこみってイメージですね。、関西らしさ、僕ららしさをぶつける感覚。挑む感じです。もちろんまだ自分たちにも、何ができるか、何が向いているのかわかってない状況で。それを見つけて、もっともっと磨いて、強くなって、いずれは新しいジャニーズになりたいです」

ー新しいジャニーズ?

関ジャニ∞さんも新しいことやってますよね。僕らも、新しい時代を、新しい分野を、この7人で切り開いていきたいなって。まだ、何ができるかわからない。でも、この7人だからできること、この7人じゃなきゃできないことがきっとあるから」

ー改まって言うことじゃないけど、この7人でデビューできてよかったね。

「はい!Jr.時代、誰かの仕事が決まると、“おめでとう!”って言いながら、どこかちょっと悔しさもあったんです。でも、この前、流星がドラマ決まったとき、“おめでとう”って心の底から言えて。今、メンバーにいいことが起こったら、心の底から祝福できる。この7人だからなんだろうなって思いますね。それはたぶん、僕だけが思ってる事じゃなくて。流星が忙しくてコンサートのリハに1日しか割けなくて、流星抜きでリハしてる最中、照史が、“ここでこうすると、流星が大変や。練習時間ないから。もう少しわかりやすくしとこ”って言ったんですね。みんながみんなを想い合っている。この7人でよかったなって」

ーおみくじの大吉、まちがいじゃなかったね

「はい。大吉だっただけじゃなくて、願い事ってとこに、“待てば叶う”って書いてあったんです。すごいでしょ!?でも、待つのはもうしんどいんで、これからは、自分から夢に向かって走ってこうって思います。この7人でいっしょに」

 

最初は、望んだ夢ではなかった。夢をあきらめる仲間の背中を見ながら、

「やめる勇気がなかった」自分は、あがいていた。

チャンスを待ちながら居続けたこの世界で、手にした何かは、「まちがなく仲間」。

もう今は、待ってなんかいられない。「夢に向かって走ってこう」と決めている。

「濵ちゃんが必要や!」と、仲間たちが呼んでいるから。