gyozarubikyo

人生の背景とか、餃子とか、ビールとか

やっぱ見た目が大事だね!とかどこに目つけてんだ

僕のヒーロー餃子くん

みんな大好き餃子さん

そうですあなたは餃子さま

 

ここに衝撃の事実がある

あの餃子のフォルム

そうあのヒダヒダのあのフォルム

 

実は餃子の美味しさにあの形はほぼ関係がない。らしい。

http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/13/06/0616.html

 

そうあの形、味には無意味

 

なんたる絶望、、、

そしてこの無力感、、、

ということは、こんな感じでも目を閉じれば味は一緒ということだ

http://www.ryushobo.com/recipe/knack/tutumikata.htm

 

これはこれで素晴らしい発想力か

何より宮廷料理としてのビジュアルが一番大事ってことであったのだが

もちろん微妙にはね、意味あると思うけどね、味にもね

でも基本は無意味

 

逆にいうと、もしかしたら違う形状が、もっともっと美味しいのかもしれない!

でも中国4000年の歴史にチャレンジする勇気がない、だってそうでしょ!

 

 

多分変な形の餃子なら、美味しく感じないんだよ。

中身の全部が一緒であっても。

 

でももし、

自分で見て、自分で決めれる人でいれれば

見た目だけで判断しない人であれれば

 

世界はきっと面白い人だらけだな

言いたいやつには言わせておけば良い

良いものを作ろうと思う。

そうすると新しいことにチャレンジする必要があるわけで

誰もやったことないこととか、リスクが伴うこととか、馬鹿らしいこととか、そんなものだらけだと思う。

でも良いものを作ろうとしてる。

 

そういう時にいっぱい出てくるのが、口を出すけど何もしない人できない人。

もうアホかとカスかと消えてしまえと。

 

勝手に言っとけ

好きなだけ言ってれば良い

 

大事なことが全くわかっていない、本質がひとかけらもない、薄っぺらくてスカスカで、氷の溶けきったカルピスの絞りかすみたいな思考。

このくらい言っとけばいいか。

 

ではどうしてもそこを通らなきゃならないときどうしよう

考えてみた。

①違う道をとおる

②一生懸命説得する

③ぶん殴る(無視してやってしまう)

 

たぶん①がいいんだと思う、でも②のテクニックを持っていることも、いろいろ便利なんだろう、でも譲れないときは③いいと思う。

 

好きなように言えばいい、俺は好きなようにやる

それでいいんじゃない

ポジティブバカへの嫌悪感

最近あんまり出会わないんだけど、世に一定いるあまり考えずに動いている人。

そしてだいたい失敗する人。

彼らをポジティブバカと呼ぼう。

 

まあ自分はそういう人は好きではないし、大概まわりからも煙たがられバカにされている。

でも本人にとっていったい何が悪いんだ?と考えたら特にない。

そう、特にない。

ってことはもしかして、

結局は自分がうらやましいと思っているから嫌悪感をおぼえてるだけ?

 

落ち着いて、冷静に、本当に何かデメリットがあるか考えてみよう。

だって結構彼らのことは批判的に思っているし、きもいしうんうん。

 

だいたいデメリットは大きくこの2つだろう。

①周りからバカとかアホとかポジティブクソゴリラとか思われる

②熟慮して動かないから失敗する可能性が高まる

 

周りからどう見られるかは、もうどうでも良い時代になるので、①は取り急ぎOKということにしよう。

では、②だ。これはよろしくない。

ただし、メリットもある。

それは手数が圧倒的に増えるということだ。

 

このメリットは、②を越える物であるか、、、、、、たぶん越える。

何か一つのことをじっくり準備して動いていたら、この時代では一瞬でおいていかれる。

美人は見とれていたら人ごみに消えていく。

バットは振らなきゃ玉にはあたらない、少なくとも三回は振れる。

声を発しなければ、存在しないのと一緒だ。

 

逆に言うと、失敗することを怖がって、言い訳にしているだけじゃないか。

ポジティブやろうを批判して、かっこわるいとかきもいとか言って、積極的に行動できない自分の言い訳にしていたんだ。

わお恥ずかしい。

 

ということで、みんな、

ポジティブシンク尻軽くそやろうを目指そう

ナンパ師のハウツー本とか、実はメンタルを鍛えるにはいいのかも。

決めてしまうことのタイミングと具合

クラブワールドカップの決勝は、鹿島が驚くほどの善戦を見せた。

しかも実力差からのドン引きではなく、正面から勝負の形だった。

 

真っ直ぐ立ち向かう静かな覚悟

 

この“静かな”ってのがポイントだろう。

鹿島の同点ゴール、逆転ゴールにしてもそれほど選手は喜んでいるように見えなかった。

それは彼らの心に決まっていた静かな覚悟がそうさせたんじゃないかと思う。

彼らは試合の前に決まっていたんだと思う。

相手は計り知れないけど正面から立ち向かうコト、何が起きても動じないコト、全部が完璧にハマってたと思う。

 

こんな時奇跡というのは起きるものです

 

安西監督も言ってた。

これはまさにこれだと思う。

鹿島の選手は0-5だろうと最後まで一歩も引かず戦ったろうと思う。

 

このたぐいの覚悟を、どのタイミングでどのくらい静かに決めるかが、道を分けるんじゃあなかろうか。

鹿島の選手達の道は間違いなく拓けた。

落ち着いて考えてみること

いつから宗教はこんなに毛嫌いされるようになったのか。

自身も宗教には非常に悪いイメージがあった。

カルト、マインドコントロール、テロ、金儲け、詐欺とか

最近まで宗教にはまっている人とか、コワいイメージしかなかった。

宗教=ヤバい人

まあ何よりもオウム心理教の一連の事件が大きく影響していると実体験からも感じている。

事件そのものと、それの報じ方とで。

 

自分は納得がいかないことは気持ち悪く感じるたちなのだけど、最近ふと

宗教ってなにが悪いんだ?

って思っちゃったことがあって、それにたいしての納得いく答えを見つけることができなかった。

そりゃそうであって、宗教って根っこを探れば、どう人生を生きるべきかを考えること、みたいなもんなんだから、それが悪いわけがない。

どう生きるか考える=宗教

結果いろいろと起こってしまった事象が悪いことは多々あるし、そんなことがおこる可能性があるなら触れない方が安全だ、こわいこわい思考停止、みたいな感じになっちゃったんだと思う。

そんなこんなで、宗教チックに物事を考えることが、タブー視されてきたというか、それだけでヤバい人みたいな感じにまでいっちゃったんだろう。

 

 一方で、日本は幸せじゃない、幸福感が低いみたいなこともあって、これは何だろうかと思った。

ボケるほど平和で、無防備なほど治安がよくて、捨てまくるほど豊かで、いやいや十分ですよと。あとはどう生きるかだけでしょ。

そうなんです、どう生きるかを考えれば良いんだけど、どう生きるかを考えるのは、ヤバい人なんです。

どう生きるか考える=宗教=ヤバい人

そして結局考えるのを放棄して、情報がこんなに溢ふれているからっていうのもあるけど、聞き心地の良い情報ばかりと付き合って、感情的にだけ物事をとらえて適当にやり過ごしてる。

そのうえ、メディアはむちゃくちゃだから、情報もがちゃがちゃしてて、感情もひっちゃかめっちゃかになって、そりゃ人生よくわからんくなりますねと。

 

まあいろいろ理論が飛躍しているのは自分でもわかってるけど、簡単なことで

「やあやあみんなちょっと落ち着いて考えてみようよ」

っていうことです。

みんなでヤバい人になりましょう。

たぶんそれが今、ハッピーになれない人に足りないことです。