2020.8.15 「内向型人間が無理せず幸せになる唯一の方法」スーザン・ケイン

先日、YouTubeでスーザン・ケインのTEDを見てすぐにAmazonで購入した「内向型人間が無理せず幸せになる唯一の方法」を読み終えた。(DaiGoも推薦)

今回のコロナ騒動で自分が「内向型人間」であることを再認識したタイミングでもあり、興味深く読んだ。

けっしてそんなに若くはないが、この内向的な性格を上手く活かしながら、もっと人生や仕事を楽しめないか、人間として成長できないか、考えてみた。

まず、この本の目次を見てみる。

 

序章 これほど違う二つの性格
1章 ”誰からも好かれる人”が生まれた理由
2章 ”カリスマ的リーダーシップ”という神話
3章 ”共同作業”が創造性を殺す
4章 性格は運命づけられているのか?
5章 生まれつきと自由意志
6章 なぜ”クール”が過大評価されるのか?
7章 報酬志向と脅威志向が運命を分ける
8章 あえて外向的にふるまうのなら
終章 不思議の国へようこそ

 

序章は、まず1955年12月1日のローザ・パークスの話から始まる。有名なキング牧師の言葉に代表される黒人差別法撤廃に向けきっかけとなった出来事である。このローザ・パークスは典型的な内気で物静かな内向型の女性であったらしい。

著者は「なぜ”隠れ内向型”が多いのか?」と問いかけ、以下のように述べている。

・私たちは、外向型の人間を理想とする価値観の中で暮らしている。(中略)個性を尊重すると言いながら、一つの特定のタイプを称賛しがちだ。その対象は「自分の存在を誇示する」のを心地よく感じるタイプなのだ。

・外向型を理想とする社会で暮らす内向型の人々は、男性優位世界の女性のようなもので、自分がどんな人間かを決める核となる性質ゆえに過小評価されてしまう。

 

そもそも内向型・外向型とは何なのか?

この本では、「内向型チェックリスト」として20項目の質問が用意されていた。早速やってみたが17から18項目は見事に当てはまる。やっぱり典型的な内向型のようだ。

`人の性格を内向型、外向型と最初に区分したのは有名な心理学者カール・ユング。彼は内向型、外向型をそれぞれ次のように定義した。

[内向型]

・自己の内部の思考や感情に心惹かれる

・周囲で起きる出来事の意味を考える

・一人になることでエネルギーを充電する

[外向型]

・外部の人々や活動に心惹かれる

・周囲で起きる出来事に自分から飛び込んでいく

・十分に社会で活動しないと充電が必要になる

また、第4章で詳しく述べられているが、発達心理学者ジェーローム・ケーガン教授の長年の研究によると、外部からの刺激に対する反応性の違いが、内向型と外向型を分けるとしている。スーザン・ケイン流に言い換えれば、内向型と外向型とでは、うまく機能するために必要な外部からの刺激のレベルが異なる。

内向型:高反応→低刺激が「ちょうどいい」と感じる

 親しい友人や家族とワインをほどほどに飲む、クロスワードパズルを解く、読書をする、など

外向型:低反応→高刺激を楽しむ

 初対面の人と会う、急斜面でスキーをする、ボリュームを上げて音楽を聴く、など

ケーガン教授は、生後4か月の赤ん坊500人を集め、聞きなれない録音の声を聞かせたり、見慣れないぬいぐるみを見せたり、アルコール綿棒を鼻に近づけるなど、いくつかの新しい体験(未知の体験)を与え、その反応を観察した。

その結果、全体の20%は元気よく泣いて手足をばたつかせた。40%は静かで落ち着いたままでさほど大きな動きを見せなかった。残りの40%は「高反応」と「低反応」の中間だった。

この赤ん坊たちを大人になるまで継続して観察した結果、高反応だった子供は内向型と言われる大人になり、低反応だった子供は外向型になった。

 これを脳科学的に見ると、

外向型の人 →大脳辺縁系(すなわち本能に関わる部分)を主に使っており、刺激に対しすぐ反応することが多くなる。報酬依存度が高くドーパミンが出まっくている状態

内向型の人 →大脳辺縁系よりも扁桃体前頭葉が優位に働く扁桃体は恐怖や恐れを司っており未知のものに出会ったとき私たちの足を止め考える時間を作り出す。前頭葉は意志力をコントロールする部分であり、冷静な判断と自己コントロールを可能とする。

扁桃体の反応が大きいほど、心拍数が多く、瞳孔が広がり、声帯が緊張し、唾液中のコルチゾール値が高くなる)

つまり内向型の人は、外向型に比べ自制心が高く、リスクの高い博打を避けじっくり考えて行動する。外向型のドーパミンの代わりに、セロトニンを多く分泌することで平静を保ち落ち着いて行動する。

 

内向型・外向型は変えられるか「ランの花仮説」「輪ゴム理論」「スイートスポット」

一卵性双生児の研究によると、内向型か外向型かの40~50%は遺伝で決まる。そして特定の性質を持つ人は、その性質を強化する人生体験を求める傾向がある。つまり極めて低反応な子供は、小さいころから危険を招きやすいので、成長すると大きな危険にも動じなくなる。

デヴィッド・ドブズが論文で主張した「ランの花」仮説によれば、高反応な子供たちは、より強く周囲の環境に影響される。大半の子供たちはタンポポの花のようにどんな環境でもたくましく成長する。だが高反応タイプの子供は「ランの花」のような存在である。ランの花は枯れやすいが、適切な状況の下では強く育ち、見事な花を咲かせる

逆境に弱いと考えるのではなく、良くも悪くも影響されやすいと考える

カール・シュワルツ博士は、ケーガンが観察してきた子供たちを大人になってからも追跡調査し、次のような結論を得た。

・成長しても高反応・低反応の痕跡は消えなかった。

これは、重要な事実を示唆している。つまり、性格を変えることはできるがそれには限度がある。年月を経ても生まれ持った気質は私たちに影響をもたらす

スーザン・ケインはこのことを次のようにまとめている。

・どんなに社交術を磨いてもビルゲイツはビルクリントンにはなれないし、どんなに長くコンピュータの前に座っても、ビルクリントンビルゲイツにはなれない。これは「輪ゴム理論」と呼べるかもしれない。私たちは輪ゴムのようなもので、自分自身を伸ばすことができるが、それには限度があるのだ。

また、5章では様々な研究・実験により内向型と外向型で最適な刺激のレベルが明確になりつつある、と述べている。たとえば、ゲーム中に聞こえてくる最適な雑音レベルで言うと、外向型の人は平均72デシベル(騒々しい喫茶店)、内向型の人は平均55デシベル(静かな図書館)だった。これらの結果から、スーザン・ケインは「スイートスポット」と呼ぶ最適な環境を探すことの大切さを次のように説いている。

・内向性と外向性はそれぞれ特定のレベルの刺激を好むのだと理解すれば、自分の性格が好むレベルに自分自身を置くようにすることができる。つまり、自分にとって覚醒の活性が高すぎも低すぎもしない、退屈も不安も感じない状況心理学者が言うところの「最適な覚醒レベル」~私はこれを「スイートスポット」と呼んでいる~を知っていれば、今よりもっとエネルギッシュで生き生きとした人生が送れる。

 

内向型はリーダーに向いていないのか?

集団の力学に関する研究によると、次のような現実がある。

・私たちはしゃべる人の方が物静かな人よりも頭がいいと認識する

・私たちはよくしゃべる人をリーダーとみなす

・私たちには最初に行動を起こした人の後を追う傾向がある

その一方でピーター・ドラッカーは次のように書いている。

・この50年間に出会った極めて有能なリーダに共通する唯一の特質は、彼らが備えていないものだった。すなわち彼らは「カリスマ的才能」をまったく、あるいは少ししか持っておらず、それを利用することもなかった

また、ジム・コリンズは「ビジョナリー・カンパニー2」の中で、優れた大企業は彼が言うところの”第五水準の指導者”に率いられている、と書いている。

すなわち、派手なパフォーマンスやカリスマ性でなく「極端な謙虚さ」と「職業人としての意志の強さ」を持つCEO(指導者)である。彼らを表現する言葉は次のような傾向があった。

物静か、控えめ、無口、内気、寛大、温厚、でしゃばらない、良識的

アダム・グラント教授は、状況により内向型のリーダが適切な場合と、外向型のリーダが求められる場合があるにもかかわらず、今までの調査ではその点を明確に区別していなかった、と述べている。

彼の仮設によれば、次のように区分される。

外向型リーダー:部下が受動的なタイプであるとき集団のパフォーマンスを向上

内向型リーダー:部下がイニシアティブを取る能動的なタイプであるときに効果的

また、内向型リーダーの優れた例(彼が出会った中で最高のリーダの一人)として、ある空軍大佐の特質について紹介している。

・落ち着いた口調で話し、大げさな抑揚を付けず表情も淡々としている

・自分の意見を主張したり発言の機会を独占したりするよりも、他人の意見を聴いて情報を収集することに関心を持っている

・最終的な決定権が自分にあることを明確にしながらも、人の意見をきちんと検討し、有意義な意見に適切な補足を与えた

・手柄を自分のものにしたり賞賛されることに関心を待たない

・部下を適材適所に配置して最大限に力を発揮させた。つまり、他のリーダーたちならば自分のために取っておくような、最も興味深く有意義で重要な仕事を他人に任せた

 

”共同作業”と”単独作業”

心理学者のアンダース・エリクソンが行った有名な調査で意外な事実が判明した。ベルリン音楽アカデミーの協力を得てバイオリン専攻の学生を三つのグループに分けた。

① 世界的ソリストになる実力のある学生

② すぐれている評価の学生

演奏家になれずバイオリン教師を目指す学生

三つのグループとも音楽活動にかける時間は週に50時間以上。課題の練習にかける時間もほぼ同じだった。ところが、上位二つのグループと第三のグループでは個人練習にあてる時間が大きく異なっていた。

・上位のグループ  週に24.3時間 一日当たり3.5時間

・第三位のグループ 週に9.3時間 一日当たり1.3時間

第1のグループの学生は個人練習を最も重要な活動と評価していた。個人練習が本当の練習であり、集団でのセッションは「楽しみ」だと表現する。

ブレインストーミングが失敗する理由は、通常3つあるといわれる。

社会的手抜き 他人任せで努力しない人が出てくる

生産妨害 発言できるのは一人ずつ、他の人は黙って待っているだけ

評価懸念 他者の前では自分が評価されるのではと不安になる

集団心理の危険性については、心理学者ソロモン・アッシュの研究で広く知られているが、集団による「同調」圧力の強さは想像以上である。

集団によるプレッシャーは不快なだけでなく、問題をどう見るかの視点を実際に変化させる。人は集団からどれほど強く影響されているか、全く意識することなく影響されるのである。

 

内向型・外向型は人間だけじゃない?

 敏感すぎる人(内向的な人)は、進化の厳しい選別をどのようにして生き残ってきたのか?おしなべて大胆で積極的な人が栄えるとしたら、なぜ敏感すぎる人は淘汰されなかったのか?

この質問について、心理学者のエイレン・アローン博士は、敏感さはそれ自体が選択されたのではなく、それに伴う「慎重な思慮深さ」が選択された、と考えている。本書では次のように記載されている。

・「敏感な」あるいは「高反応な」人は、行動する前にじっくり観察して戦略を練る。危険や失敗やエネルギーの無駄遣いを避ける。これは「本命に賭ける」あるいは「転ばぬ先の杖」という戦略である。

・対照的に、逆のタイプの積極的な戦略は、完全な情報がなくても迅速に行動することで、リスクを伴う。つまり、「早起きは三文の得」であり「チャンスは二度ない」から、「伸るか反るかの賭けに出る」のだ。

最近の研究によると、人間だけでなく他の動物たちも、「慎重に様子を見るタイプ」と「行動あるのみタイプ」に分かれることがわかってきた。動物界の100種以上が該当するらしい。

・約20%が「エンジンのかかりの遅い」タイプであり、約80%が周囲の状況にあまり注意を払わずに危険を冒して行動する「速い」タイプだ。

・これはいわゆる進化のトレードオフ理論であり、すなわち、よいことばかりの特質も悪いことばかりの特質もなく、生息環境しだいで生き残るための重要事項様々に変化するということだ。

・唯一最高の性格というものはない。むしろ、性格の多様性が自然選択によって守られた

・外向型は繁殖力が強いが、防御力が弱く、各個体の寿命が短い。内向型は繁殖力が弱いが、自己保存のための様々な手段を備えている。

 

報酬志向と脅威志向(外向型がアクセル、内向型がブレーキ)

証券市場で株取引をするケースを考える。

ジャニス・ドーン博士によると、外向型の顧客は報酬に非常に敏感であり、対照的に内向型の顧客は警告信号に注意を払う。そして、この違いは脳の構造から説明できるらしい。

大脳辺縁系はもっとも原始的な哺乳類にも共通するもので、感情や本能を司っているが、ドーンはそれを「古い脳」と呼んでいる。大脳辺縁系には、扁桃体や脳の「喜びの中枢」と呼ばれる側坐核などが含まれている

・古い脳の、報酬を求め快楽を愛する部分が、大事な老後資金をカジノのチップのように扱わせた。

・私たちの脳には、大脳辺縁系よりも数百万年もあとに進化した、新皮質と呼ばれる「新しい脳」がある。新しい脳は、思考や計画、言語、意思決定など、人間を人間たらしめる機能を司っている。

・新しい脳と古い脳は連係して働くが、それは必ずしもうまく行かない。両者が衝突した場合、私たちはより強い信号を送っている方の言いなりになる。

報酬に対する敏感さは外向型の単なる特徴の一つではなく、外向型を外向型たらしめていると考えている科学者もいる。言い換えれば

・権力、セックス、お金に至るまで様々な報酬を求める傾向によって外向型は性格づけられている。彼らは経済的にも政治的にも、そして快楽の点でも、内向型よりも大きな野心を持っている。

 ・彼らが持つ社交性は報酬に敏感だからこその機能ということになる。人づきあいが本質的に心地よいから、外向型は社交的に振る舞う。

・カギとなるのは肯定的な感情。外向型は内向型よりも多くの喜びを体験する傾向がある。喜びの感情は「たとえば、価値のある何かを追い求めて、手に入れることに反応して活性化する。手に入れると予想すると興奮が生じ、いざ手に入ると、喜びがわく」と心理学者のダニエル・ネトルが著書で述べている。

・外向型は「熱狂」と呼ばれる感情を頻繁に抱く。・・・熱狂をもたらすのは、眼窩前頭皮質側坐核扁桃体を含む「報酬系」と呼ばれる脳内の構造ネットワークの強力な活性化だ。

外向型は内向型よりもドーパミンの活性が強い

・収入やBMIなどすべてに関連する重大なライフ・スキルである「楽しみを後にとっておく」という点でも、内向型は外向型より優れている。

好調な時にブレーキを踏むのが内向型

内向型は「調べること」に、外向型は「反応すること」に適応している。

・内向型は報酬を重要視せず・・・興奮するとすぐにブレーキを踏んで、もしかしたら重要かもしれない関連事項について考える。内向型は、興奮を感じると警戒を強める

内向型はマルチタスクが苦手

・内向型が外向型より賢いということではない。IQテストの結果からして両者の知性は同等である。

・課題数が多い場合、特に時間や社会的プレッシャーや複数の処理を同時にこなす必要があると、外向型の方が結果がいい。

・持続性はあまり目立たない。天才が1%の才能と99%の努力の賜物ならば、私たちの文化はその1%をもてはやす傾向がある。

ギャンブルをする前にエロティックな写真を見せられた人は、そうでない人に比べリスクを負いやすい。つまり、これからしようとすることに全く関係ない報酬であっても、ドーパミンを分泌させて報酬系を興奮させ、より軽率な行動を引き起こす、ということ。

・フローを経験するカギとなるのは、行動がもたらす報酬ではなく、その行動自体を目的とすることだ。

 

 

内向型の人間があえて外向的にふるまう(自由特性理論)

自由特性理論とは

・私たちは特定の性格特性(内向性のような)を持って生まれるが、自分にとって非常に重要な事柄、すなわち「コア・パーソナル・プロジェクト」に従事するとき、その特性の枠を超えてふるまえるのであり、実際にふるまっている

・つまり内向型の人は、自分が重視する仕事や、愛情を感じている人々、高く評価している事物のためならば、外向型のようにふるまえる

・ただ長期間にわたって「偽の」ペルソナを身にまとうというのは、多くの人にとって不愉快なことだろう。

セルフモニタリング

・外向型のふるまいが特に上手な内向型は、「セルフモニタリング」と呼ばれる特質の得点が高いことがわかった。セルフモニタリングがうまい人は自分の言動や感情や思考を観察して、周囲の状況から必要性に応じて行動をコントロールできる。

・セルフモニタリング度が高い者からすれば、低い者は頑固で世渡りが下手に見える。セルフモニタリング度が低い者からすれば、高い者は日和見主義で信頼できないと見える。

偽外向型でいることの害

・自由特性理論の戦略はうまく使えば効果的だが、やり過ぎれば悲惨。

・心から大切に思っている仕事を進めるために外向的にふるまっているのであり、この仕事が終われば本物の自分に戻ってゆっくりできる、と考えること

コア・パーソナル・プロジェクトを見つけるための三つの重要なステップ

(1)子供のころに大好きだったことを思い出してみる

(2)自分がどんな仕事に興味があるか考えてみる

(3)自分が何をうらやましいと感じるか注意してみる

回復のための場所を確保する

たとえコア・パーソナル・プロジェクトのためとはいえ、自分の性格に背いて行動するには限界があるし、あまり長期間は続かない。自分の性格に背いて行動する最大の秘訣は、できるだけ本当の自分でいられる場所「回復のための場所」をできるだけたくさん作ることである。

 

最後に

・人づきあいは内向型も含めてみんなを幸せにするけれど、内向型は量よりも質を大切にする。

人生の秘訣は、適正な明かりの中に自分を置くことだ。

・外見は真実ではない。

2020.7.18 人を操る20のポイント

久しぶりに年下の師匠(メンタリストDaiGo)の動画からその概要をまとめてみました。

 

今回のテーマは「人を操る、大衆を扇動する20のポイント」

人を動かすためには「影響力」と「説得力」が必要。この2つを高める20のポイントを知る、という内容。

20項目は多すぎてすべてを実行するのは難しいけど、いくつかを組み合わせるだけで効果がありそう。日々の仕事にも役立ちそうです。

 

1 議論の回数は多いほど良い

 ・同じ人と何度も対話する(会う)…単純接触効果(ザイオンス効果)

 ・広告は3回で効果あり、それ以上、5回になるとしつこい

 ・少しづつ表現を変えて説得する → 人は変化に反応する

  (同じ内容の繰り返しでは説得できない)

 

2 関係性

 ・自分に関係があると思わせる(関係性を強調する)

 ・人は自分のことにしか興味がない

 ・「今からの話はあなたに関係あるよ」ということを伝える

 

3 普遍的なゴール(ユニバーサル・ゴール)

 ・自分の考えは「皆んなが目指すゴールと一致している」と思わせる

 ・人は特定のゴール(思想や価値観)を目指したい、という潜在的な欲求を持っている

 ・「あるある(皆が共通して持っている体験や常識)」から、さらに次の目的を見せる …ヒトラーがよく使った手法

 

4 お世辞(好意)

 ・ピグマリオン効果の活用 教師の期待により生徒が伸びる

 ・期待と好意を伝えて動かす(聞き手との間に好意的な関係を築く)

 ・皆、力を持っているが、使い方を知らない

 

5 権威

 ・人は楽をするために権威に従う

 ・人は学歴や肩書などの権威に弱いもの

 ・権威に従うことで認知コストを節約している

 ・人は「楽したい」には勝てない。

  「いかに楽にさせるか?」がビジネスになる

 

6 魅力

 ・身体的(健康的、体形、髪形など)魅力が影響力を増す

 ・美容と健康に気を使うこと 食事、睡眠、運動が大切

 

7 メッセージの難易度

 ・内容の難易度にあわせて伝達方式(メディア)を変える

 ・難しい内容は論文や本、簡単な内容は動画が適している

 

8 前置きをしない

 ・自分の狙いや目的は話さない。これを聞くと、人は反論を考える

 ・相手との関係性を強調する前置きはOK

 ・相手目線の前置きはいいが、自分目線の前置きはダメ

  「新製品の紹介をします」はダメの典型例

 

9 議論の展開スピード

 ・こちらに共感を持っている人に対しては丁寧にゆっくりと

 ・反発している人には早口で

 ・新しいことを伝えるには早口で(反論の隙を与えない)

 ・聞き手が知っていることは、相槌を打つ間を取りながらゆっくり話す

 

10 反復

 ・嘘でも3回繰り返すと真実になる

 ・反復して習慣になると「重要だ」と思う

 ・この応用が新興宗教 地域のコミュニティで反復する

 

11 社会的証明 安心感のコントロール

 ・多くの人がやっていることで、安心する

 ・人は大衆と同じことをしたい、という欲求を持っている

 ・同じでいたいけど、同時に人よりも少しだけ良くありたいとの思い

 ・定番の話に+αが効果あり

 ・安心感のコントロール

 

12 注意力のコントロール

 ・自分の議論が弱い時は相手の注意力をそらす

 ・相手を説得するベストタイム、食後30分間

 ・早口で喋ることで相手に反論させない(隙を与えない)

 ・皆が知っていること、賛成している場合にはゆっくり話す

 

13 気を逸らすものを減らす

 ・関係性を強調すると注意力を引きつける

 ・人は注目したものを重要と感じる

 ・並んでいる列に割り込むためにお金を払う

  千円よりも一万円の方が、割り込める確率は増えるが、受け取る人は減る

 ・注目を集めるために「注目に値する理由」を考え伝える

  → 注目させることができれば重要だと思わせれる

  (イラク戦争で記者を前線に同行させた 論点ずらし)

 

14 ポジティブを強調する

 ・納得するのはポジティブ、注目するのはネガティブ

 ・ネガティブで引き寄せて、ポジティブで安心(納得)させる

  最後はポジティブに締める(大衆扇動の基本)

 

15 意図の偽装

 ・説得したいという意図を見抜かれない

 ・「BYAF」But You are Free により説得率が二倍になる

 ・自信がある時ほど強要しない(決めるのはあなた、というスタンス)

 

16 心理的テラード

 ・人には好みの議論のパターンがある

  論理的な議論が好きな人もいれば、感情的なものが好きな人もいる

 ・皆が良いと思っている伝統的な考えには正面から反論しない

  「こんな会議ムダ!」とストレートに言うのではなく、「今のままで満足ですか?」

 ・論理と感情をミックスして相手の心理パターンに合わせる

 

17 コンフィデンス(自信)

 ・伝える側にはもちろんのこと、聞く側にも自信が必要

 ・聞き手に自信がないと納得しない

 ・有能なリーダは相手に自信を持たせたうえで、説得し行動させる 

 

18 幸福感

 ・よく笑う人は影響を受けやすい

 ・笑わせる人は影響力を持つ

 ・ブラックジョークは皆の頭をよくする

 ・リーダにはユーモアが必要

 ・笑うことを規制するような職場は危険

 

19 力強さ

 ・コーチングテクニックのひとつ

 ・自分にも相手にも力強さを感じさせる

 ・聞き手に「自分には力がある」と思わせる

 

20 伝統的な考えには直接立ち向かわない

 ・既に形成されている社会的証明は正面から否定しない

 ・無駄なこと、と分かってはいても完全否定はしない

 ・あまりに直接的に否定すると反感を買ってしまう

さらに

 ・同情を引き出すスピーチは、論理的なスピーチの2倍の感銘を与える

 ・同情心は現状を客観的に見る視点を与える(相手のことを知ろうと思う)

 

(根拠ない)自己啓発に騙されない、マスコミに騙されない、SNS上の情報に流されない、特にコロナウイルスに関する根拠ない情報に右往左往しない、そして仕事で少しでも多くの社員をいい方向に導く、そんなことのためにこの20のポイントを役立てたい。早速明日から実行していきます。

 

2020.6.28「エッセンシャル思考」グレッグ・マキューン

3年前に読んだ本だが、最近またベストセラーになっているようなので読み返してみた。

まずは目次。

PART1 エッセンシャル思考とは何か
第1章 エッセンシャル思考と非エッセンシャル思考
第2章 選択
第3章 ノイズ
第4章 トレードオフ 

PART2 見極める技術
第5章 孤独
第6章 洞察
第7章 遊び
第8章 睡眠
第9章 選抜

PART3 捨てる技術
第10章 目標
第11章 拒否
第12章 キャンセル
第13章 編集
第14章 線引き

PART4 しくみ化の技術
第15章 バッファ
第16章 削減
第17章 前進
第18章 習慣
第19章 集中
第20章 未来
最終章 エッセンシャル思考のリーダーシップ

 

この本で著者が言いたいことは、次の一言に集約される。

より少なく、しかしより良く」を追求する生き方をしよう。

言い換えれば

「全てやる」から「より少なく、しかしより良く」へ生き方を変えよう

ということ。これをエッセンシャル思考と呼んでいる。

さらに別の言い方をすれば、「自分の選択を自分の手に取り戻す」こととも言える。

自分で優先順位を決めなければ、他人の言いなりになってしまう。

以下、印象に残ったポイントを備忘録として残す。

 

・エッセンシャル思考のポイントは3つ   ①選択 ②ノイズ ③トレードオフ

・選択が多過ぎると人は疲れる。これを「決断疲れ」と呼ぶ。(心理学用語)

 選択の機会が増え過ぎると、人は正しい判断、決断ができなくなる

・オーストラリアのホスピスの看護師が語る、死を迎える患者の後悔のうち最も多いもの

 「他人の期待に合わせるのではなく、自分に正直に生きる勇気が欲しかった

・捨てる仕組みを作らない限り、やることは再現なく増える

 ①(本質的なものを)見極める → ②(それ以外を)捨てる → ③仕組み化する

・「trivial  Many」たくさんの『どうでもいいこと』より、「vital  Few」数少ない『本質的なこと』を全力で追求する。私もこういう生き方をしたい。

「選択」とは「行動」である。まずは「選ぶ」と言う行動を選ぶ

・「学習性無力感」が招く2つの行動

 ①努力をすっかりやめてしまう

 ②すべてを引き受け、がむしゃらに努力する(自分では何一つ選ぶことができなくなっている状態=選択・判断することを放棄した状態…意思決定や選択から逃げるために全てをやろうとする)

 → 何かを選ぶことは、必然的に何かを捨てること(選択できない=捨てることができない

  ※「学習性無力感」とは、努力しても無駄との経験から陥る心理状況を表す心理学用語

「バイタル・フュー(Vital Few)の法則」:ある種の努力は、他の努力より圧倒的に効果が大きい

 昔からよく言われる法則に「80対20の法則」(パレートの法則とも言われる)がある。これは19世紀イタリアの経済学者ヴィルクレド・パレートが見出した、「成果の80%は20%の努力に起因する」という法則。

・その後1951年に品質管理の父 ジョセフ・M・ジュランが、この法則を拡張しバイタル・フューの法則=決定的に重要な少数の法則を提起した。

 この法則を一言で要約すると、「重要な少数」が「些末な多数」に勝る、ということ

 さらに言い換えれば「本当に重要なことにYESと言うため、その他すべてにNOと言う」とういうこと

トレードオフすべての意思決定、判断は「トレードオフである。

 「何かを選ぶことは、何かを捨てること

 「何かにYESということは、その他すべてにNOと言うこと

 この現実を受け入れることが大切

 ・選択肢が2つあった時、「どうすれば両方できるか」と考えるのではなく「どちらの問題を引き受けるか」と考える

 →「完璧な答えなど存在しない、あるのはトレードオフだけ

・洞察…情報の本質をつかみ取る(大局を見る)こと

 点の集まりではなく、点同士をつなげる線に気づく

 語られなかったことに耳を傾ける

 どれほど優れた記憶力も、鉛筆一本にかなわない

 現場を知り、普通を知り、そうでないところ(逸脱)を探る

 問題を知る=そもそも何に対して答えを出すのか、を知る

・遊び…遊びが大切な理由

 ①選択肢を増やしてくれる

 ②ストレスを減らしてくれる

 ③脳の高度な機能を活性化させる。

 遊びは、それ自体がどこまでも本質的である。

・睡眠…遊びが大切な理由

 1時間の眠りが、数時間分の成果を生む

 (私たちの最大の資産は「自分自身」である、それを守る)

 クリントン元大統領の言葉「過去の大きな失敗は、すべて睡眠不足に起因している

 あとで最高の成果を出すために、目の前の些末な仕事を切り捨て眠る

 →まさにこれがトレードオフ…これができれば、やがて圧倒的な利益を得る

 マルコム・グラッドウェルが提唱した「一万時間の法則」この中で注目されていないデータがある。一流バイオリニストは「一日平均8.6時間睡眠(これは平均より2時間多い)を取り、週に平均2.8時間の昼寝をしている」これから分かることは、睡眠が一流パフォーマたちの集中力を支えているということ

 ハーバードビジネスレビュー誌:「睡眠不足は企業リスクである。1日の徹夜、1週間の4~5時間睡眠は血中アルコール濃度0.1%(ほろ酔いから酩酊初期の状態:ビール中瓶2~3本程度)に相当する機能低下を引き起こす」

・最終形を明確にする…”かなり”ではダメ、”完全”に明確にする。

 目的が明確でないとき、人はどうでもいいことに時間とエネルギーを浪費する。(たとえば上司の気を引くための社内政治が蔓延するなど)

 言い換えれば、「本質目標」を決めるということ。

 本質目標とは、

 ①具体的でリアル、かつ魅力的で刺激的(心に残る)

 ②一つの決断により、その後のあらゆる決断を不要にする

 (いい決断とは、それ以降の決断を不要にするもの)

 本質目標の発想の仕方は?

 (1)たった一つのことしかできないとしたら何をするか?

 (2)達成をどうやって判定するか?

 (わかりやすく判定できるレベルにまで具体的にする)

・断固として上手に断る

 断ることは「自分の時間を安売りしない」というメッセージ

 機会コストを失うことを忘れない

 長期的に見れば「好印象」よりも「敬意」のほうが大切

 そのために

 ①沈黙を味方につける

 ②上司(部下)にトレードオフを意識させる

 ③肯定を使って否定する

もっとゆっくりYESを言い、もっとすばやくNOを言う

・過去の損失を切り捨てる(キャンセルする)

 Sunk Cost(サンクコスト:埋没費用)に対する心理的バイアス

 また一旦所有してしまうと失うのが怖い「授かり効果」

 →「もったいない」を克服する

 このバイアスに打ち克つ二つの自問自答

 ①まだこれを持っていなかったら、手に入れるのにいくら払うか?

 ②今これを止めたら、何に時間をお金を使えるだろう?

 自分の失敗を認めたとき、初めて失敗は過去のものになる

 「現状維持バイアス」...いつもやっているから、という理由でそれを止められない→今やっていることを試験的に止めてみて不都合があるかどうかを確かめてみる(逆プロトタイプ)

・編集...余剰を削り、本質を取り出す

 (1)削除する 決断の本質は「選択肢を減らす」こと

 (2)凝縮する 無意味な行動を重要な一つの行動に置き換える

 (3)修正する 本質目標に向かう行動に修正する

 (4)抑制する 「より少なく」

・線引き...境界を決めると自由になれる

 本人が解決すべき問題を肩代わりするのは人助けではない

 自分の境界を決めて、他人の侵入を阻止する。自分の居場所を確保する

・バッファ...最悪の事態を想定する

 「6時間で木を切れと言われたら、最初の1時間は斧を研ぐのに使うだろう」....エブラハム・リンカーン

 最悪の事態を想定しつつ「準備」と「計画」に全力を注ぐ

 「計画錯誤」(プランニング・ファラシー)人は作業にかかる時間を短く見積もり過ぎる傾向がある....1979年 ダニエル・カーネマンが提唱した

 →見積もった時間は、常に1.5倍に増やしてスケジュールを立てる

・削減...仕事を減らし、成果を増やす

 全体の進捗を邪魔しているボトルネックを発見する

 仕事を減らすことによって、より多くを生み出す

・前進...小さな一歩を積み重ねる

 人間のモチベーションに対してもっとも効果的なのは「前に進んでいる」という感覚である

 ハーバードビジネスレビュー誌の「モチベーションとは何か?」で指摘されている「人の意欲を高める二つの要因」=「達成」と「達成が認められること」...心理学者フレデリック・ハーズバーク

 →最近の研究では、「モチベーションにもっとも重要なのは、進歩しているという手応え」「日々のささやかな進歩こそが、やる気を引き出し高いパフォーマンスを可能にする」...テレサ・アマビルとスティーブン・クレイマーが数百人の日記を分析

 大きな進歩を望むなら「日々何度も繰り返す小さな行動にこそ注目すべき。小さな改善を地道に繰り返すことが大きな変化につながる」スタンフォード大学の元教授ヘンリー・B・アイリング

・習慣...本質的な行動を無意識化(習慣化)する

 日々の判断の4割は無意識下で行われている

 正しい習慣を続けていれば、結果は自然とついてくる

 習慣に必要な三要素「トリガー」「行動」「報酬」

 →習慣を変えるためには「トリガー」に注目する

  難しいことから取り組む、習慣作りは一つずつ

・集中…「今何が重要か」を考える

 古代ギリシャの時間を表す言葉「クロノス」と「カイロス

 「クロノス」=量 「カイロス」=質:「今だ」と感じるタイミングのようなもの

 現在「今」に集中する→今を楽しむ(過去や未来に囚われない。今こそが大事

 「未来を頭の中に抱えない」....未来のことは紙に書きだす

 (1)有用なアイデアを忘れない

 (2)覚えているうちに何かやらなくては」という漠然とした焦りを感じなくて済む

 →書き出したリストに優先順位を付けることで、その後の決断を減らす(=悩みを減らす)

 

<メモ>キーワード

できる人はNOと言う

みんなを優先することは、誰をも優先しないこと

どちらも捨てがたい。そこで選ぶ。これを「トレードオフ」と言う。

・「何を諦めるか?」でなく、「何に全力を注ぐか?」と考える。

 

 

 

2020.5. 2「知識経営のすすめ」野中郁次郎、紺野登

「知識経営のすすめ」野中郁次郎、紺野登

この本は、半年前に読んだ本である。少し読み返しながらポイントを備忘録的に記してみる。

<目次>

第1章 情報から知識へ
第2章 21世紀の経営革命
第3章 第五の経営資源
第4章 「場」をデザインする
第5章 成長戦略エンジン
第6章 創造パラダイムの経営

まず、この本を読むうえで一番のポイントは次のような定義というか視点だと思う。

「ナレッジワーカー」とは、いわゆる「間接部門」としてのホワイトカラーではなく、価値を生み出す「直接部門」としての人や組織である。

以下に各章ごとのポイントをまとめる。

 

第1章 情報から知識へ

・知識の経済的特性

(1)減らない 

 知識は財として使っても減らない。逆にノウハウや特許などは「使わないと減る」=陳腐化する

(2)移動できる

 知識は人的ネットワークによる共有、あるいは人と共にその境界を越えることの出来る移動性の資源である

(3)使うは創る

 生産と使用が分けられない。活用と生産が同時に行われる。知識を創造する人と使う人が役割分担で完全には分けられない。つまり相互作用で知識が生まれるということ

ここから顧客は消費者でなく知の生産者という観点が重要になる

(4)意味の経済

 知識は新しい組み合わせ、または分類によって意味が変わる。製品やサービスにどのような意味を与えられるかで業績や事業価値が左右される

・知識資産は測定できない。が、時価総額の大きさを知識資産の市場からの評価として捉え、有形資産との比で代替的指標の一つにすることはできる。ブランドも知識資産の一つである。

 

第2章 21世紀の経営革命

あらためて知識経営とは何か、それは

「知識に基づく経営、つまり戦略・組織・事業など、経営のあらゆる側面を知識という目でとらえ実践する考え方」

・現在の産業を動かす基本的欲求は、物質的でなく、知的・情緒的欲求である。

・日本では、「日本的経営」と呼ばれた終身雇用などの仕組みによって間接的に組織内の個人の知識を維持・活用できるシステムを構築してきた。しかし、それでは対応できなくなってきている。

・知識から価値が生み出される。価値が生み出される際には、知識が「創造され、共有・移転され、そして活用される」、このプロセスを通じて知識から価値が生まれる。

・こうして価値を最大化するための「プロセスのデザイン、(知識)資産の整備、(情報システムなどの)環境の整備」といった一連の経営活動が必要になる。そしてこの活動を進めるための組織構造も重要になる。

ナレッジマネジメント四つのタイプ

ナレッジマネジメントの多くは、知識資産の共有から始まる。基本的には個人レベルの知を組織的に集結・連結して活用し、その単純な総和以上のものを発揮しようとするのが狙い。これらは二つの軸で分類できる。

①目的という軸による分け方・・・「改善志向」か「増価志向」か

②手段による分け方・・・「資産集約志向」か「資産連携志向」か

「改善」とは、知識資産を共有、活用して業務運営効率などを高めること

「増価」とは、知識資産からの収益創出、あらたな価値の増分が目的

「資産集約」とは、分散している知識資産を組織的に集約すること。この場合知識資産は「形式知」が中心になる

「資産連携」とは、知識資産を共有するため組織内外での様々な知識ワーカーや顧客との関係性やネットワーキングに努力を払うこと。この場合の知識資産はいわゆる「暗黙知」まで含めた話になる


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図 ナレッジマネジメントの4つのタイプ(「知識経営のすすめ」から引用)

 

以上の二軸の組み合わせから次の4タイプが出てくる。

(1)ベストプラクティス共有型(改善×集約)

 ・過去の問題解決法の共有

 ・業務の重複排除、ベストノウハウ複製による時間、コストの削減

(2)専門知ネット型(改善×連携)

 ・社員、専門家の知識のディレクトリー化

 ・適材、適所、適時に結合

(3)知的資本型(増価×集約)

 ・知識資産を把握、活用、展開するための分類の組織的方法

 ・ポートフォリオフレームワーク

(4)顧客知共有型(増価×連携)

 ・顧客との知識共有、知識提供の場づくり

知識経営責任者(CKO)の役割

①知識問題の早期発見

②対処的ナレッジマネジメント・プログラムの提言・指導・実践

③戦略的に意義のある知識資産の継続的開発

④知識経営に適した情報環境などへの支援

⑤経営戦略に相応しい知識戦略と組織文化の醸成

 

第3章 第五の経営資源

知識とは「信念」である

・まず、知識は情報ではない。知識は、私たちにとっての行動指針、問題への処し方、判断や意思決定の基準、さらには生きるために必要な実践的方法といったものとして存在する。

・知識には少なくとも二つの部分がある。日本語も「知」と「識」の二語からできている。ひとつは、「何々すればこうできる」という方法論的なもの、いわば「知」に当たる部分。もうひとつは、材料とか特定の事物について博識であること、「識」に当たる部分。

・知識とは、個人や組織(集団)が認識・行動するための、道理にかなった秩序(体系・手順)であるといえる。「行動のための能力」という知識の定義もある。

・知識とは、「正当化された真なる信念」、つまりその知識を持つ人にとっては、これまでのところ正しい、「真」だと、そのように信じていること、だといえる。

・一般的な区分でいうと、「データ」、「情報」、インテリジェンス」、「知識」、「知恵」といったピラミッドになっている。

「データ」は数値、記号

「情報」はデータから構成された意味や意義

「知識」はそうした情報を認識し行動に至らしめる秩序

「知恵」は知識を現実に適応させて得られた成功事例集…

ドラッカーは、「知識は基本的に人間依存、人間の頭・体の中にある」と考えていた。したがってインターネットでは知識を流通させることはできない、知識ワーカーがインターネット経由で活用するのは情報以外のものではない、ということになる。

・知識には「人間の中にある」面と、情報のように「流通できる」面の二つがある。これが情報と知識の境目の曖昧さになっている。

・一般的に知識は、「個人的で主観的」と「社会的で客観的」という二つの側面に分類できる。哲学者M・ポラニーは、「暗黙の語りにくい知識(暗黙知)」の側面を、「明示された形式的な知識(形式知)」に対するものとして提示した。

・人間は、この二つの形態で知識を有しているからこそ、能動的に生きることが出来る。基本となるのは暗黙知であるが、この暗黙知には最大の問題がある。それはその知識を持っている本人自身が体系的に理解できない、場合によっては知識を持っていることを「知らない」ということ。言語化できないから暗黙知と呼んでいるのではあるが…

言い換えれば、私たちは「語れる以上のことを知っている」ともいえる。

知識創造のプロセス

知識創造のプロセスは、暗黙知形式知からなる相互作用で説明される。つまり、主観的で言語化・形態化困難な暗黙知と、言語または形態に結晶された客観的な形式知の相互変換であり、その循環的プロセスを通じた「知識の質・量の発展」である。

「SECIモデル」・・・四つの知識変換パターン

①共同化 暗黙知をもとに新たに暗黙知を得るプロセス

 ・接触、場、経験の共有 →新たな知識を体感する

 ・歩き回り経営、フェイス・トゥ・フェイス

 ・「暗黙知の蓄積」「暗黙知の伝授や移転」

②表出化 暗黙知をもとに新たに形式知を得るプロセス

 ・イメージや情感、思いを、言語や図像に表す

 ・暗黙知から形式知への変換、翻訳

 ・個人と組織の相互作用関係が重要

③結合化 形式知をもとに新たに形式知を得るプロセス

 ・形式知の結合(すでにある形式知から新たな形式知を生み出す)

 ・他部門、外部からの形式知の獲得、総合

 ・意味情報の共有だけでなく、周辺の文脈を共有することが重要

 ・グループ間、部門間が基本単位

④内面化 形式知をもとに新たに暗黙知を得るプロセス

 ・内面とは自己の内面、形式知暗黙知にするプロセス

 ・組織的に形式化された知識を自分自身のものとして採り入れること

 ・行動、実践を通じて身体化すること OJTやノウハウ研修など

こうしたプロセスは一回切り回転するのでなく、組織の業務において、日常的にスパイラル状に繰り返されることが肝要

・SECIでは、個人に発し、個人に帰るというプロセスが螺旋的に繰り返される。

 当初の自分の想いが、共体験(共同化)を通じて言葉になり(表出化)、コンセプトになる。それが集団に共有される(結合化)。

さらにそれが正当化され、、スペック、マニュアルに展開され、組織の”知”になる。

それを実現するために、すべての人が実践を通じて、この”知”を自分のものにする(内面化)。

この一連のプロセスを通じて個人の存在は一周り二周りも大きくなっている。

ここでは個と組織は、従来の経営の概念における対立項ではなくなる。

・知識は「真・善・美」を追求するものである。

 ・多くの企業では、組織内に必要な知識が断片化して存在している。それらの知識は、適切な時と場に配置されていなかったり、組織の「壁」によって共有が阻まれている。

・知識は、社員個人に属していたり、顧客のうちに構造化されない状態で存在したりしている。また、社員個人ではなく、集団や人の「つながり」がそうした知識を持っているかもしれない。「トラスト(信頼)」や「ケア(配慮・思いやり)」といったものも「つながり」の中に存在している知識資産だといえる。

・資産というものは、そもそも「事業活動に供されるものであり、利益の創出にとって不可欠な、企業独自の財産」である。

・知識資産の分類には、次の三つの方法がある。

 ①構造的分類 「知識資産はどこにあるか」を見るための枠組み

 ②機能的分類 「どんなタイプの知識資産か」といった視点

 ③意味的分類 その企業の「知識ビジョン」やコンピタンスに基づく

①構造的分類

市場知識資産(市場・顧客知)…企業が市場活動をつうじて獲得蓄積した資産(市場知)

・組織的知識資産(組織・事業知)…個の知識ワーカーあるいは組織として獲得蓄積した資産(組織知・人間知)

・製品ベース知識資産(製品・科学知)…製品(モノ)にまつわる知識資産(製品知)

②機能的分類 

・経験的知識資産(経験・文化・歴史)…経験として蓄積・共有された独自の知識資産[暗黙知の占める割合大]

・概念的知識資産(コンセプト、ブランド、デザイン)…知覚・概念・シンボルなどの知識資産

・定型的知識資産(ドキュメント、マニュアル、フォーマット)…構造化された知識資産[形式知の占める割合大]

・常設的知識資産(実践法、プログラム、ガイド、教育システム)…組織的制度、仕組み、手順で維持された知識資産

③意味的分類

・これには定型的な分類はなく、ケースバイケース。ただし、それは企業の知識に対するビジョンやコンピタンス、知識ワーカーの業務についてのメンタル・マップなどを前提としている。

・「図書館的」分類、ヒエラルキー型分類、要因分解型分類などがある。

・知識マップは、視覚化された系統樹、ネットワーク図などによって表現することが可能。知識マップは、企業がその知識資産を把握し活用する際のガイド、あるいはナビゲーターの役割を担う。

知識経営のダイナミクス

知識経営の基本的枠組みは、「知識資産活用プロセス」と「知識創造プロセス」を「場」を介してダイナミックに連動させることにある。この知識経営のダイナミクスは、単なる形式知の共有や情報検索の仕組みといったものからは生まれない。暗黙知も含めた組織的な意識付け、組織のデザイン、すなわち「場づくり」によるところが大きい。

 

第4章 「場」をデザインする

・「場」とは次のように定義できる。

 共有された文脈、あるいは知識創造や活用、知識資産記憶の基盤(プラットフォーム)になるような物理的・仮想的・心的な場所を母体とする関係性

・なんの事かわからないが、ここで重要なのは「文脈」と「関係性」。みんなが集まって知を創る、その場のこと。

・ここでいう「文脈」は英語で言うと「コンテクスト」、その場にいないと分からないような脈絡、状況、場面の次第、筋道などを意味している。それにその場に関わる人々の関係性。これらが、組織やコミュニティの個々人が集う場所、情報を交換するような場所(仮想空間も含めて)において形成される。それが知識の共有や創造にはなくてはならないものである、ということ。

・場が重要なのは、知識が物質的な資源とは異なり、無形だから。知識は状況、場面、空間との結び付きが大きい。知識という資産を活用するには、ある空間の、ある時点にそれが使えるようにしないといけない。この「場」という、時間・空間・人間の関係性において、知識が共有され、創造され、蓄積され、活用される。

知識資産の活用プロセスと知識創造プロセスをダイナミックに結びつけ、連動させるための媒介となるプラットフォームが「場」である。

・ここで使われる「場」で重要なのは、物理的空間よりは社会的な関係性、人々やグループ内で共有される知識の文脈である。したがって日本語の「職場」として使われる「場」に近い。

・「場」は「経験の生まれたところ」として理解される。「場」は知識の成り立ちと深く関わる。知識には、暗黙知形式知の両面がある。暗黙知は身体的・感覚的な環境との交わりから生まれ、身体的共経験を介して伝達される。したがって暗黙知は本質的に「場」とは切り離せないもの。形式知はその暗黙知から言語化される。知識がこうして生まれる形式知暗黙知の双方によって成り立つなら、知識の活用や創造にとって「場」は根本的要素となる。

・知識の根っこは主観的な暗黙知で、それを形式化、構造化した形式知まで含めて、知識は極めて人間依存のもので、それは情報とは異なる。

・知識は、知識が持つ文脈、状況を補うことで外部に伝達したり、記録したり出来るようになる。

・「場」にはSECIに沿って四パターンある。

①共同化:創発

 「個」と「個」の対面、共感、経験共有が基礎になる。「物語」「エピソード」「手柄話」といった情報交換が暗黙知の共有・移転を促す。こうした物語を誘発する「劇場性」(演出)が求められる。

・場所が暗黙知を共有させる媒介としてデザインされていることは、場の空間として重要である。これは「アフォーダンス」の概念にも関わる。アフォーダンス知覚心理学のJ・ギブソンが提唱したもので、「環境の中には人間の行動を誘発するような情報が含まれている」という視点。たとえば、ゆったりとした大地の窪みは、私たちを横にならせるように「誘う」。これはその場所がそういう「身体文化的」な情報を有しているからだという考え方。

②表出化:対話場

 概念創造の場。各自が暗黙知を対話を通じて言語化・概念化していくための場。ここでは、メタファーや、概念抽出の方法論などが有効になる。

③結合化:システム場

 ここでは形式知を相互に移転、共有、編集、構築する機能が重要なエッセンスとなる。

④内面化:実践場

 形式知暗黙知として取り込んでいくための場。たとえば学習の場、企業大学のような研修のための場といった制度的なものも含まれる。または、アドホックな場、たとえばOJTや顧客への商品説明といった場面もある。

・知識経営のダイナミズムを三つの層で考えることが出来る。①SECIプロセス ②知識資産 ③場、の三層。ここで場は、知識創造のプロセスと知識資産を結合させ、動的にするという役割を担っている。

・個々の場のパターンが、特定の知識資産と関わりを持つ。場所と記憶には関連性がある。人間の脳の働きからみても、場と知識と結びつけて活用することには意味がある。場を通じることによって、組織が暗黙知を伝達・醸成したり、共有することが可能になると言える。

・場は、文脈・脈絡、参加者の関係性からなっている。

 

第5章 成長戦略

・企業に優位をもたらすための競争と成長の原動力は、官僚的な組織やヒエラルキーの頂点に立つ戦略部門ではなくなっている。原動力は、特定のグループ、特定個人の社内外の関係、プロジェクト・チームや最前線の顧客チーム、トップ経営者間のやや私的なサークルなどにある。

ここでいう「組織」とは「知識を創造していくところ」であって、「管理」のための組織ではない。

・今までの組織は、個人の情報処理能力を克服する手段であり、そのために階層を作り、分業を作り、専門化するという理論であった。つまり、人間が越えることのできない「認知限界」を克服するために組織はあると考えられ、構造化されてきた。

・知識経営の考え方では、組織とは「自己を超越するプロセス」といえる。皆が成長したい、という共感に基づいて組織が自己超越の場となる。

・企業が知識を糧に価値を生み出すやり方には二つの面がある。

①あらたな知識を創出し、その「増分」を価値とする、知識創造・革新戦略。ここでは、個人や集団、部門が適時適所で知識創造を行えるようにすることが課題となる。

②すでにある知識を効果的に応用、活用して価値を生み出す、知識資産・増価戦略。ここでは、組織的な知識の統合が課題。

 このような組織の運営や設計に重要な切り口となるのが「場」である。

・知識経営を「知識の創造・浸透・活用のプロセスから生み出される価値を、最大限に発揮させるための、プロセスのデザイン・資産の整備・環境の整備、それらを導くビジョンとリーダーシップ」と定義した。これは言い換えれば「場のリーダーシップ」といってよい。

・マネジャーとは管理、分析、効率、構造をその成分とするが、リーダーは触媒、創造、価値、ビジョンなどがその成分である。

・ナレッジ・プロデューサーに必要な三つの資質(場のリーダーシップ)

利他的であること。知識を独占しようとしたり、他者の成果を我が物にすることはその対極にある。

「明るい」こと。否定的な考え方や感情を廃し、創造的・発展的な思考力、創造力、行動力を持つこと。すぐに「できない」を口にすることはその対極にある。

知識に対する感覚暗黙知にはなかなか言語化・形態化されないグレーゾーンが多い。こうした暗黙的側面の強い知識の内容を掴み取る動物的能力が肝要。それは「場」に関する直覚的理解といえる。

・19世紀末の企業の8割が20世紀に生き残れなかった。

・ハードに意味がないのではなく、ハードを使って何かを成す、その知識やノウハウ全体が大事で、ハードはその世界への入場券。

2020.4.29 「科学の扉をノックする」小川洋子

著者も書かれているが、私も新聞の科学記事を読むのが好きだ。気に入った記事はエバーノートに保存して読み返している。脳科学天文学、自然科学、医学、動物学何でもありで楽しんでいる。

この本も、まさに著者の興味の赴くままに7人の科学者を訪ねて行きインタビューしたもの。インタビューの内容も楽しいが、書かれている文章が軽快かつ絶妙で、つい笑顔になりながら読んでしまった。

世の中、コロナウイルスで重苦しい空気が漂っている中、読後には清涼感を味わうことのできた一冊。

特に印象に残ったのは、竹内先生が語る植物のような動物のような粘菌の話。さらに遠藤先生のインタビューから見えてくる氏、というか「遺体科学」の謙虚さ、自分が生きている間には成果は出ないけど、「将来に可能性を残す」、なんという謙虚な学問だろう。

2020.4.12「仕事に効く教養としての『世界史』」出口治明

またサボってしまいました。久しぶりにブログをアップします。

今回は、私の大好きな出口さんが5年前に書かれた世界史の本(世界史の入門書と言っていいと思います)を改めて読み、心に残っているポイントを備忘録的に記録したいと思います。

まずは目次から

第1章 世界史から日本史だけを切り出せるか

 ──ペリーが日本に来た本当の目的は?
第2章 歴史は、なぜ中国で発達したのか

 ──始皇帝が始めた文書行政、孟子の革命思想
第3章 なぜ神は生まれたのか。なぜ宗教はできたのか

 ──キリスト教と仏教はいかにして誕生したのか
第4章 中国を理解する四つの鍵

 ──中華思想諸子百家遊牧民対農耕民、始皇帝
第5章 キリスト教とローマ教会、ローマ教皇について

 ──成り立ちと特徴を考えるとヨーロッパが見えてくる
第6章 ドイツ、フランス、イングランド

 ──知っているようで知らない国々
第7章 交易の重要性

 ──地中海、ロンドン、ハンザ同盟、天才クビライ
第8章 中央アジアを駆け抜けたトゥルクマン

 ──大帝国を築いたもう一つの遊牧民族
第9章 アメリカとフランスの特異性

 ──人工国家と保守と革新
第10章 アヘン戦争

 ──東洋の没落と西洋の勃興の分水嶺

終 章 世界史の視点から日本を眺めてみよう

■備忘録

はじめに

キッシンジャーの言葉「どんな人も生まれた場所を大事に思っている。自分の先祖を立派な人であってほしいと思っている。人間も、このワインと同じで生まれ育ったところの盧気候や歴史の産物だ」

 

第1章 世界史から日本史だけを切り出せるか

奈良時代(7世紀)の日本にとって世界とは、韓半島と中国のこと。当時の倭は、中世のスイスのような一種の傭兵国家ではなかったか。スイスの場合、その名残がヴァチカンの法王庁の警備を担っているスイス兵。

・隋、唐という大帝国は五胡十六国の中から生まれた。鮮卑(せんぴ)という遊牧民の中の拓跋部(たくばつぶ)という有力部族が最終的に樹立した国家。ローマ帝国に侵入した諸部族の中で、最後にフランク族が残ったのと似ている。

拓跋部は、男女同権的な民族であったため実質的に唐を支配していた武則天に代表されるように女性で頑張った人が多くいる。

奈良時代に日本で女性が活躍したのは、このようなロールモデルが周辺世界にあったから。日本のスタートアップに関わるキーパーソンは「讃良(持統天皇)、藤原不比等光明子安宿媛)の3人。

・鉄砲は1543年に種子島に漂着したポルトガル人が伝えたと言われている。しかし今では倭寇の親分でもあり博多商人とも親交のあった王直という中国人の船に、ポルトガル人が乗って種子島にやって来たことが明らかになっている。

倭寇の実体は、中国や韓半島、日本の海に生きる人たちの連合共和国、台湾や五島列島とか権力の及ばない島を根城にして海で暮らしていた人たちが作った自由な共和国だったのではないか。

・ペリーの来日の目的は、捕鯨船の補給基地ではなく、大英帝国と争っていた対中国貿易のための太平洋航路の中継地点を獲得することだった。

・当時、欧米の金銀比価は15対1だったが、日本は4.65対1程度だったため、日本に大量の銀が流入し、その代わり大量の金が流出した。為替はゼロサムゲームであるから日本はどんどん貧しくなる。

・人間は交易によって豊かになる。交易は必ず双方を豊かにするのでずっと昔から行われてきた。交易こそが世界を繋ぐキーワード。人間の歴史は、一つの世界システムであって5000年史ひとつしかない。文字が生まれてから約5000年

 

第2章 歴史は、なぜ中国で発達したのか

・歴史が後世に残るには、文字を作るだけでなく、何を筆写材料にしたかが大きく影響する。東漢後漢)の時代になって蔡倫という人が「紙」という革命的な筆写材料を完成させた。

 ・四大文明の中で歴史が一番よく残っているのは中国。中国の歴史を発展させたのは紙の発明の次に秦の始皇帝が始めた「文書行政」である。

・中国で実在が確認できる最古の王朝は「商(殷)」、紀元前17世紀から紀元前11世紀まで約30代、600年間存続した。この時代に使われていたのが甲骨文字であり、この文字を書ける職人を国が独占していた。

・商の後、周という国に代わっても同様。ところが紀元前770年頃に周王が殺され国が亡びると、字を書ける書記「金文職人」と呼ばれたインテリたちは職を失い、地方の領主のところに散っていった。これにより広く漢字が流布した。フランス革命のとき、ブルボン朝の料理人がクビになってフランス料理店を開いたのと同じことが中国でも起こっていたということ。

・世界で文献がもっとも残っているのは、中国とイスラム世界だと言われている。

・商から周への王朝交代は画期的な事件であった。商の時代は祭政一致だったが周になると天空の支配者と人間界の支配者が分離しだした。その後、儒教を大成した孟子が「易姓革命」という理論を作った。これは「主権は天が持っている」という理論。悪い政治に対し、まず天が合図して、それでも言うことを聞かなければ天命によってによって王朝が革(改)まる、王朝の姓が易(かわる)という革命思想である。

・紀元前500年頃に地球が暖かくなって、鉄器が広く普及したという事実はとても重要。高度成長期が世界規模で訪れた。衣食が足り余裕が生まれる。ソクラテス孔子ブッダ、など偉人が一斉に現れた。

・権力の守り方には2種類ある。貴族制と官僚制。貴族制は「領地をやるから、その代わり俺を守れ」、貴族制は所領安堵のためロイヤリティは高い。しかし賢い子供が生まれるとは限らないのが欠点。官僚制は、一代限りで優秀な人材を王様が集める。必ず優秀な人が集まるけれども、ロイヤリティは生まれない。優秀なだけに「こいつを殺して俺が王様になろうか、と思うリスクがある。

科挙という全国統一テストが、なぜできたかというと「紙」と「印刷」技術があったから。参考書が全国に行き渡らないと試験は実施できない。技術が制度にいかに影響を与えるかの好例。

第3章 なぜ神は生まれたのか。なぜ宗教はできたのか

・20~15万年ぐらい前に、アフリカのタンザニアにある大地溝帯のサバンナで「ホモ・サピエンス」が誕生した。その中の冒険心に富んだ人がステーキを食べたいと、ユーラシア大陸に出て行った。ユーラシアを東に進みさらに北上してベーリング海峡を渡り南アメリカの先まで広がっていった。これが「グレートジャーニー」と呼ばれる。これは化石を調べると、大型草食獣の骨が激減する時期とホモ・サピエンスの骨が出始める時期がほぼ一緒ということからわかる。

・ところが人類は1万3千年ほど前、突然「獲物を追いかける生活はやめたい。俺は周囲を支配したい」と考え始める。これを「ドメスティケーション」domesticationと呼んでいる。自分が主人になって、世界を支配したい。植物を支配するのが「農耕」、動物を支配するのが「牧畜」、金属を支配するのが「冶金」、さらに自然界のルールをも支配したいと考え出す。これが神につながったのではないか。

・紀元前8000年、9000年代の西アジアの遺跡から、用途の説明が付かない土偶が現れる。赤ちゃんを産む神秘的な力を持つ女性を象徴したような土偶など。この頃から人類は神について意識し始めたのではないか。

・人間の頭は、人間に似たものしか考えられない。そこで神様の姿形が生まれた。

・宗教は本質的、歴史的に「貧者の阿片」である。不幸な人々の心を癒す阿片。宗教は現実には救ってくれない、しかし心の癒しにはなる「貧者の阿片」。現世とあの世を分けて、あの世では救われるという宗教のロジックは、非常に分かりやすく納得できるロジック。

・世界の暦のほとんどは「太陽太陰暦」。1日は太陽、1年も太陽。その間に月の満ち欠けをプラスした。月だけではずれてしまうため、うまくバランスのとれる「太陽太陰暦」に収束した。

・1年を越える時間も真っ直ぐに流れていくもの、という概念が生まれた。ギリシャ神話の「スフィンクスの謎」。朝は四つ足、昼は二本足、夜は三本足で歩くのは?答えは人間。

・直線であれば始まりと終わりがあるはず。始まりは神様が世界を作った時、では終わりはいつだろう?と考えるのは自然なこと。紀元前1000年頃にペルシャの地にザラスシュトラツァラトゥストラゾロアスター)という天才が現れ新しい概念「世界の始まりは神が作った。世界の終わりは人間がやって来たことを神が審判し決める」を考え出した。

ツァラトゥストラはドイツ語読み、ゾロアスターは英語読み。哲学者ニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」で有名。リヒャルト・シュトラウスにも同名の曲がある。

セム語族の中のヘブライ人(ユダヤ人)が独占欲の強い嫉妬深い神を生み出した。これがセム的一神教といわれる宗教グループの始まり。ユダヤ教から始まり、キリスト教イスラム教、すべて同じ神。ヘブライ語ではYHWHと表現されていて、ヘブライ語は母音がないのでなんと読むか定説がない。一応「ヤハウェ」と呼んだりしている。時間を直線的に捉えるグループの中からセム的一神教が生まれキリスト教イスラム教に代表される一神教に代表される大木に育った。

・直線的に流れる時間という概念の一方で、「回っている時間」という考え方も生じてきた。時間は回っていて、生命も回っている、という考え方。これがインドで生まれた「輪廻転生」という考え方。時間を循環する円環で捉える宗教の代表が仏教だろう。

・神様は全知全能、オールマイティである。しかし本当に困っても悲惨な状況になっても何故助けてくれないのか?この問題はセム的一神教の弱点かもしれない。この問題に答えを出したのも天才ザラスシュトラ。彼は「善悪二元論」、つまり時間軸で解決した。全知全能の神様が世界を作った、これがスタート。最後は神様が最後の審判を行い正邪を分ける。それまでの間は正しい神と悪い神が戦っている、善と悪の闘争期間。悪い神様の勢いが強い時は悪や悲惨が蔓延っているように見える。分かり易い!

・この善悪二元論は、ゾロアスター教から分かれたマニによって大成された。マニは3世紀半ばのサーサーン朝ペルシアの人でバビロニアに生まれた。ゾロアスター教を元に、キリスト教と仏教の要素を加えてマニ教を創始。この教えは広く行き渡り、知識人を中心に大きな影響を与えた。キリスト教の中にも二元論が根強く残っている。

・古代の物語ほど新しい(最後に書かれる)のは、世界共通の真理。

・清く正しい貧しい人々は、ともすれば、狂信的になりやすく、偏屈になりやすい。

キリスト教が生まれたのは、初代皇帝アウグストゥスの時代のローマ帝国ローマ帝国ギリシャの神をそのまま祀っていたが、支配階級はストア派の哲学を信奉していた。これは無神論に近い極めて道徳的欲求の高い哲学。いおおぷローマ市民は、二つの宗教を信奉していた。一つはペルシアから来た「ミトラス教」、もう一つはエジプトから来た「イシス教」

・ミトラスは太陽神。冬至に生まれて、夏至に最強になって、また冬至に死ぬ。この冬至をミトラスが「再び生まれる日」として盛大に祝った。これをキリスト教が取り入れてできたのがクリスマス。

・イシス教はイシスという女神が主役。イシスは偉大なる大地母神として進行されており、ローマでは彼女がホルス(我が子)を膝に乗せて抱いている像が市民に敬愛されていた。これにキリスト教が便乗して、幼子イエスを抱いた聖母マリアの像を作り出した。

ゾロアスター教拝火教)はアーリア人の宗教が源になっている。彼らは地球が寒くなったときカスピ海の北方から南下し、アゼルバイジャンのバクーの辺り(石油の大産地)まで来たとき自然発火している石油を見た。アーリア人はこの火を神様と思ったのだろう。この伝承がザラスシュトラに新しい宗教に目覚めさせる契機となった。今でもバクーの地にはゾロアスター教の「永遠の火」を象徴する聖地が残されている。

・この「永遠の火」はインドを経由して仏教には入り形を変えて日本まで伝わっているのではないか。それは比叡山延暦寺に今も燃え続けている「不滅の法灯」

 

第4章 中国を理解する四つの鍵

1 「中華思想

・交易には大別して二つのパターンがある。まず、普通の商売。需要と供給をマッチさせ、ウィン・ウィンの関係で交易が成立する。これが圧倒的多数。

・もう一つは、「威信財交易」。これは王様の威信と財物が取引される交易。これは、王さま同士が、どちらが偉いか試そうということで使節を出す。この時、自分の偉大さを示すために宝物を持っていく。「こんな立派な物、おまえは持っていないだろう」というわけ。受けた方は「こんなのちょろい。俺はもっとすごいものを持っている」と倍返しする。これによって何となく序列ができる。この王様同士の交渉を「威信財交易」と呼んでいる。

・周は中国のど真ん中を支配していた伝統も力もある王朝だった。周は青銅器という誰も作れない宝を作り相手に贈っていた。もらった相手は「周の王様はやっぱり俺より偉いのか」と納得する。合わせて青銅器に書かれていた漢字の魔力により、いつのまにか周の王室は特別な存在であると考えられるようになる。これが「中華思想」の起源。中華とは、周とその周辺を示す言葉であった。中夏、中国という言葉も同義。

2 「諸子百家

諸子百家の中で代表的な学説や思想は、儒家道家墨家、法家、名家など。文書行政にもっとも役立ったのは、法家であり、その代表が韓非子。中国を動かしていたのは法家と官僚であった。政治の実務は法家が行っていたが、それだけでは物足りない。実務(本音)だけでなく、次は夢とか大義、つまり建前がほしくなる。その建前になったのが儒家であった。

儒家は先祖を大切にするから、立派な葬式を出すことを大切にする。立派な葬式を出すためには金がかかる。真面目に生き、家庭を治め、社会を治め、王様に従い、長幼の序を大事にし、反抗せず、高度成長を謳歌し、立派な葬式を出し、税金をたくさん払う、という考え方。まさに儒家の思想は紀元前500年代の高度成長期の時代の追い風を受けていた。

墨家始皇帝に潰されてほぼ消えたことから、中国の思想界は仏教などの外来思想が入ってくるまでは、一般大衆を基盤に持つ高度成長万歳という儒家と、知識人をベースにしたクールな道家が思想界の二大潮流を作っており、この二つのバランスが社会の安定につながっていた。

3 「遊牧民と農耕民の対立と吸収」

・中国の歴史は、北から入ってくる遊牧民と、長江(揚子江)中心とした農耕民の戦い(緊張関係)の中で捉える。

・中国は国土が広く豊か、ここに入ってきた遊牧民が次第に吸収され、贅沢に慣れて消えてしまう。侵略したが側が、侵略された側に影響を受けて吸収されてしまう。これが中国史の大きな特徴。

・紀元前17世紀頃に起こった商(殷)では既に宦官が使われている。また初期の頃から馬が引く戦車で戦争を行っていたことが文献に残っている。

・宦官は遊牧民の伝統。遊牧民が家畜をコントロールするとき、雄の数が多すぎたり、体が弱い雄の子を産ませないために去勢という方法を取る。宦官という発想自体が遊牧民でないと生まれない。ちなみに日本にはなかった。

メソポタミア文明の影響が中国に及ぶまで約1000年かかった。これは陸路(砂漠を越えユーラシアの大草原の遊牧民を経由)で伝わるのは海路より倍ほど時間がかかることを意味する。インダス文明は海を経て中国に伝わった。

・漢の時代、武帝のあとの漢と匈奴は勝ったり負けたり、漢の皇室と匈奴の皇室はお互いに結婚を繰り返し平和共存していた。ところが2~3世紀にかけて地球は寒冷期を迎える。天災、飢饉が相次ぎ漢は滅びてしまう。その後は三国史の時代(魏・呉・蜀)。漢の最盛期5000万人いた人口が1000万人を切ったとされる。

・漢について。漢は秦の旧都の近く長安に都を置き、武帝の時代に最盛期を迎える。その後、王莽(おうもう)が政権を奪って新を建国するが15年で滅び、漢が洛陽を都として復活する。長安を都にしていた時代を「西漢前漢)」、洛陽を都としていた時代を「東漢後漢)」と呼ぶ。東漢は魏によって滅亡させられる。

・この時代はユーラシア全体が寒かった。モンゴル高原にいた様々な遊牧民は、暖かい空気と緑の草原を求めて東南と西南の方向に大移動を開始した。

・西方に向かった匈奴フン族と呼ばれ、彼らが西進したことで多くの諸部族が玉突きで追い出されヨーロッパ(ローマ帝国)に侵入する。これが、いわゆる「ゲルマン民族の大移動」。

・東方に向かった遊牧民が、五胡十六国になった。この乱立時代に幕を下ろし、最後に統一したのは北魏。この国は鮮卑の中の拓跋部が作った国。この民族は西方のフランク族のように強力で優秀な部族であった。中国は北の北魏と南の宋が対立する、南北朝の時代に入った。

北魏では、従来の易姓革命という大義名分に代わり、異民族である自分達が中国を支配する建前、イデオロギーとして仏教を国教とした。皇帝=仏、軍人・官僚=菩薩、人民=(救いを求めている)衆生という考え方。こうして東漢の時代に中国に入ってきた仏教は、北魏の時代に大勢力になる端緒が開かれた。

北魏から隋、唐を通して「拓跋帝国」という呼び方もある。当時の中央アジアにいた遊牧民は中国のことを「タクバチュ」と呼んでいた。十字軍を東方の人々が「フランク」と呼んだのと一緒。やがて契丹(きつたん)の勃興に伴って、中国のことを「キタイ」と呼ぶようになり、これがキャセイ(中国の意の文語cathay)という言葉のもととなる。

4 「始皇帝のグランドデザイン」

始皇帝は戦国時代に行われていた文書行政を集大成し、全国を36の郡(後に48)に分け、さらに郡のしたに多くの県を置いて、中央集権の郡県制という制度を作った。

・これは都道府県の知事はすべて中央から派遣するという考え方。国を支配するのは貴族ではない、エリート官僚である、ということ。

・今の中国では、共産党という超エリート集団が北京から全土に指令を出している。儒教に代わる建前が「共産主義」で、その共産主義の裏が儒教。今でも知識人は書を上手に書くし、儒教に従い高度成長、つまり金儲けが大好きである。

始皇帝のもっとすごいことは、文書行政が可能となるインフラ、道を整備したこと。道があるから文書も官僚もスムースに運ばれる。ローマ帝国のように大量の石材がなかったため石畳が作れず土の道路が中心。そこで始皇帝は車軸を統一した。土の道路だから車が通ると凹む。通る車の車輪の幅が違ったら走りにくい。だから車軸を統一し、同じ轍の上を走れるようにした。鉄道の上を汽車が走るようなもの。

・加えて書体や度量衡なども統一し、経済の一体化を図った。始皇帝が中国のすべての骨格を作った、と言える。


第5章 キリスト教とローマ教会、ローマ教皇について

カトリックとは、ラテン語で「普遍的」という意味の言葉。この言葉はすでにキリスト教ローマ帝国時代に協会内部で使われていた。イエスの教えが「この世の至るところで、常に、万人によって」信じられるようにという布教の意気込みをカトリックという言葉に込めていた。

・11世紀半ばにキリスト教は東西に大分裂する。この頃にはローマ帝国の首都はコンスタンティノープルに置かれており、現実的な力を持っていたのはコンスタンティノープルの教会であった。一方、使徒の頭であるぺトロの後継を自認するローマ教会も権威と伝統を誇っていた。1054年両者はお互いを破門してしまう。コンスタンティノープル側は、我々が教義に基づく「正しい教会」であると主張し「東方正教会」と名乗った。一方、ローマ教会は自分達こそ「普遍的な存在」として「カトリック教会」と自称した。

キリスト教ローマ帝国の国教となるまで。ローマ帝国は1~2世紀末の五賢帝の時代に最盛期を迎える。しかし3世紀中頃以降は地球が寒冷期には入り東方から多くの蛮族が入ってくるようになる。ディオクレティアヌス帝は、帝国の衰えを食い止めるため、帝国を分割して統治する「帝国二分」を286年に実施する。次いで293年二つに分けた帝国を、さらにそれぞれ二つに分け東西に正帝と副帝を置く「四分統治体制(テトラルキア)」を完成させる。もちろん東の正帝であるディオクレティアヌスがすべての権力を握っていた。

・当時、アレクサンドリア教会のアリウスという司祭の教えが評判を呼んでいた。それは、「イエスは人の子である(神の創造物である)」、神とイエスを分ける教え。この教えは分かり易く瞬く間に拡がり、特に学問に無縁であった蛮族に大変受けた。しかし、アレクサンドリア教会は彼を破門した。アリウスは自説を曲げない、ここに最初の神学論争が始まった。

・313年、正帝であるリキニウスが「信教自由令」いわゆる「ミラノ勅令」を発布する。これは、その実態は別にして信教の自由が認められた記録としてキリスト教の歴史に残っている。

・325年、ローマ皇帝コンスタンティヌスは神学論争に決着をつけるべく、アナトリアのニカイアに有力なキリスト教会を集めて公会議を開く。この公会議ではアレクサンドリア教会のアタナシウスが主張する「三位一体論」が支持され、アリウス派の教えは異端として排斥された。

コンスタンティヌスは、三位一体説を正当と認めたこと、加えて教会を免税にしたことで、後世のキリスト教会から高く評価され「大帝」と呼ばれるようになる。しかし、彼は死ぬときにはアリウス派の司教から洗礼を受けている。

コンスタンティヌスは帝国を再統一すると、ボスポラス海峡バルカン半島側の突端にあったビュザンティオンという都市を拡大整備して新首都を造営した。これをコンスタンティノープルと名付けた。

・中国の諸王朝は、遊牧民に攻められると北を捨てて南に逃げた。長江の南に豊かな穀倉地帯があったから。ローマ帝国は西を捨てて東に逃げた。ローマ帝国の穀倉地帯はエジプトにあったから。

・380年、テオドシウス帝はキリスト教を国教にした。これはキリスト教のネットワークを統治に使うという一種の取引だったのではないか。ミラノ教会の司教アンブロシウスが、この国教化に暗躍していたのは事実。

・529年になるとユスティニアヌス帝が、アテネにあった「アカデメイア」というヨーロッパ最大の大学を閉鎖する。プラトンが開いたこの大学ではギリシアやローマの学問を教えていた。聖書以外のことを教えていると理由で閉鎖したのである。大学の先生たちは皆、東方のペルシアに逃げてしまった。そこには大学があったから。こうしてペルシアでギリシア、ローマの古典が教え続けられ、アラブ人が後に発見することになる。これがヨーロッパに逆輸入され「ルネサンス」が始まる。

・西方からやって来た蛮族の中で、最終的に西ヨーロッパの大部分を制したのは、現在のベルギー辺りから南下してきたフランク族だった。彼らの王さまは「クローヴィス」と言った。フランス語では「ルイ」。彼は奥さんに進められアリウス派と対立していた正統派(三位一体説)に転向した。これによりローマ教会は西方に安心して布教できるようになった。

ローマ教皇ローマ皇帝から自立したいと思っていた。そために後ろ楯になってくれる王侯がいないかと考えている頃に、フランク王国でクーデターが起こる。クローヴィス(ルイ)以来続いていたメロヴィング家が、その総理大臣であったカロリング家に乗っ取られてしまう。カロリングという名は始祖であるカール・マルテルから来ているが、この人は庶子であった。これはカロリング家にとって大きなハンディキャップ、実力で成り上がった次は正当性の根拠を求めた。力はあるけど権威がないカロリング家と権威はあるけど力のないローマ教皇が手を組んだ。教皇カロリング家の当主ピピン三世から領土をもらう代わりに、カロリング家の正当性を担保した。これが756年の「ピピンの寄進」

・こうして800年にピピン三世の子供フランク王のシャルルマーニュカール大帝)が戴冠したためローマ皇帝が二人になった。

・もともとは小国だったフランス(西フランク王国)が350年間、男の子が生まれ続けたために~これを「カペー家の奇跡」と言う~王家は断絶することなく、徐々に大きくなりローマ教会を支えるヨーロッパ一の強国になっていく。

 ・1077年「カノッサの屈辱」。グレゴリウス七世は叙任権問題で最も厳しくローマ皇帝と衝突した教皇。彼はザーリアー朝の皇帝ハインリヒ四世に対し世俗権力による聖職者の叙任を禁止する。ハインリヒ四世がこれを拒否すると、教皇は皇帝を破門した。ハインリヒ四世は、雪のカノッサ城の城門の外で立ち続け数日間謝罪して、ようやく破門は解かれた。これを「カノッサの屈辱」と呼ぶ。叙任権闘争は最終的にローマ教会側の主張が受け入られるまで(1122年ヴォルムス協約成立)長い年月を要した。

・教会改革にも熱心だったウルバヌス二世が教皇であった11世紀の終わり頃、キリスト教徒のエルサレム巡礼が圧迫を受けるようになった。そこで東ローマ帝国からの救援要請を受け、ウルバヌス二世はフランス中部のクレルモンでエルサレムへの進軍を要請する大演説をぶった。こうして俗に言う十字軍が始まった。しかし東方から見れば単なる「フランクの侵略」に他ならなかった。十字軍は第1回(1096~1099年)のみ成功する。それは、たまたまセルジューク朝が分裂状態にあったから。

・フランス王フィリップ四世は、教皇であるフランス人のクレメンス五世を脅して、強引にフランスのアヴィニョン教皇庁を作らせた。これが「アヴィニョン捕囚」。これは1309年から1377年まで続いた。

教皇庁が70年近くもフランスにあったのでアヴィニョンにも官僚群が育っている。彼らはローマに帰るのを拒みフランスに対立教皇を立てる。東西の教会が互いを破門して起きた大分裂を大シスマ、今回のフランスとローマの分裂を小シスマと呼んでいる。この分裂は1417年まで続く。ちなみに大シスマは、1965年にパウロ6世が修復するまで続いた。

ルネサンスが最盛期を迎えた頃、ローマ教皇レオ十世が贖宥状を発売する。これを批判したルターによる宗教改革が起こり(1517年)、ローマ教会は北欧、ドイツを失った。

・これをイングランドのヘンリー八世が見ており、イングランドもローマ教会から離脱して英国国教会を作った。

・こうしてローマ教会は、北欧、ドイツ、イングランドを失った。1545年から18年かけてトリエントで公会議を開き対策を協議。反宗教改革の旗手でもあったイエズス会を中心に新大陸(アメリカ、アジア)へ進出していく。

・20世紀に入って1962年から1965年まで、第二ヴァチカン公会議が開催され、ここでプロテスタント教会ユダヤ教会の積極的評価、信教の自由、東方教会との900年ぶりの和解などが確認された。

ローマ教会の三つの大きな特徴

(1)キリスト教の「one of them」である

(2)領土を持ってしまった教会である

(3)豊かな資金と情報を持っている

神聖ローマ帝国

ナチス神聖ローマ帝国を第一帝国、ビスマルクが創ったドイツ帝国を第二帝国、ヒトラーの帝国を第三帝国と呼ぶようになった。


第6章 ドイツ、フランス、イングランド

・三国は一緒に考えるとよく分かる。まずは英国という呼称について。正式名称は`United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland 。略称としては「UK」が一般的で、その訳である「連合王国」や古くからの主要な王国名である「イングランド」も使用される。「イギリス」や「英国」は日本だけしか通用しない。

フランク王国が東西フランク王国に分かれ、それぞれがドイツ(東)、フランス(西)へと変遷していく。10世紀から11世紀にかけて、ドイツ、フランス、英国の順に国家の体裁を整えていった。

カロリング朝の血統が途絶えてしまうと、東フランク王国ではザクセン族が息を吹き返し、オットーが国王になる(936年)。彼はローマ教皇から戴冠されローマ皇帝となる。これがドイツのはじまり。一方、西フランク王国は、ユーグ・カペーが987年にカペー朝を開く。これがフランスの元となる。

イングランドでは、いつもヴァイキングの格好の餌食になっていたが、ついに1016年デンマークからやってきたヴァイキングのクヌート大王がイングランドを占領した。なお、ヴァイキングとは「入江(vik)に住んでいる人々」

フランスと英国の成り立ちは一緒に考えると分かりやすい

 ・フランスのカペー家には350年間嫡男がずっと生まれ続ける。これを「カペー家の奇跡」という。継続は力なり、こうしてフランス王は少しづつ力をつけてくる。

 ・カペー家が成立する以前、ヴァイキングは、まずイングランドを占拠し、次にフランスに攻めてきた。当時のカロリング家のフランス王は、毒をもって毒を制するとの考えから、現在のノルマンディの地をヴァイキングに渡した。これがノルマンディ(北の人間の土地)と呼ばれる所以。そこでこの地に「ノルマンディ公国」が911年設立。ちなみに第二次世界大戦で連合軍がフランスに上陸したのもノルマンディ。

イングランドと呼ばれる大ブリテン島の南部地域は、ローマ軍が撤退した後、アングロ・サクソン人小さな王国をいくつも作っていた。これを制したのがデンマークから来たクヌート王(1016年)だったが、その後の混乱でノルマンディー公のギョーム(英語読みでウィリアム)が初代の英国王となってノルマン朝を開く。なお、イングランドとは、「アングル(アングロと同義)人の土地」を意味する言葉。

イングランド王になったウィリアム征服王は、同時にフランスの公爵、つまりフランス王の臣下だった。しかし、イングランド王はフランス王の臣下ではない。つまり、ノルマンディ公は、フランス王の臣下でありながら、対等のイングランド王でもあるという不思議な身分を持っていた。

イングランド王といいながらフランス語を話しお墓もフランスにあった。イングランド王とフランス王は親戚関係でもあった。それが1337年に始まった百年戦争により、英国とフランスは、はっきりと別の国になった。

ヴァイキングはもともと商人だった。フェアなトレードが成り立つときは商人であり、アンフェアなことをされたら海賊になる。


第7章 交易の重要性

・生態系とは、地理的にまとまっている一つの地域。気候もある程度一定で、人が住み距離的にも移動しやすい地域のこと。この生態系も、交通が便利になると、その領域が広くなる。また、生態系は横(東西)には広がりやすく、縦(南北)には広がりにくい性質を持っている。これは南北では気候の変動が大きく、東西ではほぼ同じ気候条件であるため、圧倒的に東西の方が移動しやすいという理由による。

・自分が住んでいる生態系の中に、必要なものがなかったら、それを外部から、持って来なければ仕方ない。だから、ないものを知恵を絞って手に入れることによって、自分の住む生態系を豊かにすることが、交易の本質である。生きるために、他の生態系と交わる、場合によっては新しい生態系に入っていく。これが交易、商売の秘訣。

・東から西への道は三つあった。一番北にあったのが「草原の道」で、モンゴル高原、ロシア大草原、ハンガリー大平原へと続くステップの道、馬で駆けていく遊牧民の道。その次が「シルクロード」これは砂漠を横切っていくオアシスの道、天山北路、南路などいくつかルートがあった。そして一番南が「海の道」、陸地の姿を見ながら進む、広東(広州)あたりから大陸に沿って南下し、インドの各地を経由してヨーロッパに入る。入るには二つのルートがあった。一つはペルシア湾ルート、ホルムズ海峡からペルシア湾を抜けて、メソポタミア地方からヨーロッパに流れていくルート。もう一つは、アラビア半島を迂回して紅海を通り、エジプトから地中海に流れる道。なお、交易量が一番多かったのは「海の道」、一番少なかったのは「シルクロード

ローマ帝国は、交易に積極的だった。絹や火葬に用いられる乳香や没薬(もつやく)などの東方の香料も好きだった。しかしキリスト教が国教になり土葬が中心になると需要は激減し「幸福なアラビア」(現在のイエメン)の時代は終わった。

シルクロードで主に運ばれた商品はおそらく人間。人間が一番運びやすくかつ価値があった。たとえば中央アジアの白人の女性を中国に連れていって、豪族や酒場に売ったと考えられる。シルクロードでもっとも重要だったのは奴隷貿易

・ユーラシアの交易は、豊かな東から貧しい西へと言う流れが長い間続いた。この流れが入れ替わるのは、アヘン戦争から。

モンゴル帝国滅亡の最大の原因は、ペストであったと言われている。ペストが中央アジアで発生したのは14世紀前半のこと。ペストは東方で猛威を振るったあと、黒海、地中海を経由して南イタリアに上陸しヨーロッパ全域に拡大した。ペストのかかって死亡すると皮膚が黒くなるので黒死病とも呼ばれた。


第8章 中央アジアを駆け抜けたトゥルクマン

・ユーラシアの大草原を代表する遊牧民といえば、モンゴルがよく知られているが、もう一つ忘れてならないのが「トゥルクマン」と呼ばれたテュルク系遊牧民。彼らの故郷は、モンゴル高原からカスピ海東海岸に至る広大なステップ地帯であった。今、その地域には数多くの共和国がある。

・552年に突厥(とつけつ)という国が柔然(じゅうぜん)を破り中央ユーラシアを制覇する。現在のトルコ共和国憲法では、552年にモンゴル高原で始祖ブミン・カガンが突厥の初代皇帝に即位した日を「建国記念日」にしている。突厥という漢字は、Turk(テュルク)の音写。

・この突厥は200年ほど覇を唱えモンゴル高原からカスピ海に至るまでの大領土を支配したが、744年に同じテュルク系のウイグルに滅ぼされる。ウイグルマニ教を国教にしたことで有名。このウイグルも約100年後の840年キルギスに滅ぼされる。

キルギスは強力な統一国家を作ることができずモンゴル高原は群雄割拠状態になった。ウイグルが滅んだあと、敗れたテュルク族は西に移動した。何千人、何万人という大集団(20ほどの大集団があったと言われている)ごとに移動していくわけだが、その先には交易で発達した都市があり、イスラム文化があった。この大集団にオグズと呼ばれた集団があり、後の王統のほとんどはこの集団から出ている。もともと原始宗教しか持たなかったテュクル人はイスラム教を知り感化されムスリムになった。このイスラム教に感化されて西に行った人々を、一般に「トゥルクマン」と呼んでいる。

・その頃中東を支配していたアッバース朝(750年に成立したバグダードを首都とするイスラム帝国)の力が弱まり、875年にサーマーン朝というペルシア系の地方政権が中央アジアに生まれた。サーマーン朝の人々は、今は放浪の身になっているトゥルクマンが戦争に強いことを知っており、しかもイスラム教徒であることから、子供を譲ってもらい大切に育て立派な戦士にしてからアッバース朝はじめとするイスラム諸国に輸出した。この取引は大成功し大量のトゥルクマンがマムルーク(奴隷の意)として売られて行き大きな戦力となった。

・10世紀末、オグズ集団の中からセルジュークという部族長が頭角を表す。当時隆盛を誇っていたガズナ朝に仕える人も出てきた。ガズナ朝はサーマーン朝のマムルークが軍政長官まで出世し、やがてサーマーン朝から独立してアフガニスタンのカブール近くのガズナに建てた王朝。後にインドまで勢力を広める。

・セルジュークの一族から、11世紀の半ば、トゥグリル・ベグが現れ1040年にガズナ朝を破って支配者となる。このトゥグリル・ベグの勇名を聞いてアッバース朝のカリフは、内紛の絶えないバグダードを鎮めてくれるように依頼した。その代わりにスルタンとして彼を認めるという条件で。スルタンとは、イスラム世界の世俗の支配者のこと。こうしてセルジューク朝が、弱体化したアッバース朝に替わってイスラム帝国を支えるようになった。

・ペルシアは昔から大帝国を作ってきた。イスラム教団に敗れても、官僚の家系は生き残ってきた。彼らは優秀な官僚として重宝され使われていた。そうして「トゥルクマンの武力」と「ペルシア人の官僚」というケンカは強いし行政もちゃんと出来るという黄金の組合せが完成した。

 

第9章 アメリカとフランスの特異性

 世界には、200近い国があるが、その中で一番特異で例外的な国は、アメリカとフランス。

アメリカは世界で一番ユニークな人工国家であると同時に、地理的条件に恵まれ、歴史という縦の軸と地理という横の軸が、これほど効果的に影響し合った例は世界史上でもまれである。アメリカの考え方はグローバルスタンダード的な面もあるが、アメリカを正しく認識するためには、アメリカはとても変わっており特異で例外的な国であることを踏まえる必要がある。

・「ワインも人間も生まれ育った地域(クリマ)の気候や歴史の産物」といった人間の当たり前の心情を断ち切った人工国家が世界に二つある。それがアメリカとフランス革命後のフランス。

アメリカの歴史は、1492年のコロンのバハマ諸島発見から、1620年のピルグリム・ファーザーズ(メイフラワー号でアメリカに最初に移住した英国の清教徒の一団)に一気に話が飛んでしまう。しかし、その間に130年の時間が流れている。この間、旧世界から持ち込まれた病原菌(天然痘など)が免疫のない新世界の人々をほとんど殺してしまった。メキシコだけでも約2500万人と推定される先住民がほぼ全滅したと伝えられている。植民地を経営しようにも労働力となる原住民がいなくなったため、アフリカから頑丈な黒人を連れてきた。

・1776年に独立宣言を採択したとき、よるべとすべき祖先も物語もなかった。ピルグリム・ファーザーズは原理主義的な人々であったため、原理主義的な理想が明文化されて、英国にはない成文憲法を成り立ちとする契約国家になった。今のアメリカを主導する人々は、俗にWASPと呼ばれている。ホワイトで、アングロ・サクソンで、プロテスタントの人々の意。憲法、契約のような人間の理性を国の根幹に置いている不思議な国である。

・このアメリカの独立戦争を応援して影響を受けたのがフランス。フランスには素晴らしい歴史や伝統があるのに、フランス革命がしだいに過激になり、ルイ16世マリー・アントワネットまで処刑してしまうなど過激に純化されてしまった。これはアメリカの影響だろう。

保守主義とは何か?「人間は賢くない。頭で考えることはそれほど役に立たない。何を信じるかといえばトライ・アンド・エラーでやって来た経験しかない。長い間、人々がまあこれでいいじゃないかと社会に習慣として定着したものしか信じることができない」この経験主義を立脚点として「これまでの慣習を少しずつ改良していけば世の中はよくなる。要するに、これまでうまくいっていることは変えてはいけない。不味いことが起こったらそこだけを直せばいい」という考え方(近代の保守主義)が、人工国家に対する反動として生まれた。

・真の保守主義にはイデオロギーがない。「人間がやってきたことで、みんなが良しとしていることを大事にして、まずいことが起こったら直していこう」これが保守の立場。フランス革命アメリカ革命はイデオロギー優先、「自由・平等・博愛」とか「憲法」を旗印にしている。それは頭で考えたら正しくて素晴らしいに違いないが、やはり人工国家で限界がある。

・人権というかなりデリケートで国によって様々なニュアンスを持つ問題を、公の場で平気で言ってしまうところに、アメリカという国の特異性がある。アメリカとフランスが、外交などでよく対立するのも、近親憎悪の一種かもしれない。その対立は理念や理屈によるところが多かった。実利を重んじて行動を優先させることが、むしろ普通の外交。アメリカとフランスの場合、なぜ理念が表に出るかというのは、国の成り立ちが大きく影響している。

・今のアメリカの強みは、世界中から優秀な留学生を集める力があること。現在100万人近くいる。アメリカの大学では授業料で300万円、生活費も入れれば、400~500万円必要になる。もし2年学ぶとすると1000万円、それが100万人いるとして、それだけで10兆円の有効需要が生まれる。これはGDPの1%に相当。

 

第10章 アヘン戦争

 西洋のGDPが東洋を凌駕したのは、アヘン戦争以後のこと。アヘン戦争は東洋の没落と西洋の勃興との分水嶺だった。

 ・東洋と西洋のバランスが崩れたもともとの原因は、大明暗黒政権、朱元璋による明の鎖国政策にあったが、現実に勢力のバランスが逆転したのはアヘン戦争。清国政府は1796年にアヘンの輸入禁止令を発出して以来、たびたび禁輸令を出すが、賄賂に慣らされた役人も多く輸入量が増大。それに伴って中国の銀が大量に流出し悪性インフレが起こった。事態を重く見た政府は林則徐を広東に送り込み、何とか密貿易を止めさせようとしたが、1840年英国は本国から海軍を呼び寄せ戦争を仕掛けた。その結果、南京条約という不平等条約を結び、1842年英国と講和する。清国は英国に多額の賠償金を支払い、香港を割譲した。

・現在世界的に有名なインドのダージリンティースリランカの紅茶は、すべて英国が中国から盗み持ち込んだもの。お茶が盗まれたことは、中国弱体化の象徴そのものだった。

・林則徐と明治維新は意外な関係がある。彼は広東に行く前、北京中の洋書を買い漁り、学者を同行させ本の内容を口述で伝えさせた。その後、戦争が始まり清国政府から罷免されて新疆のウルムチに飛ばされる際、彼は友人の学者に集めた洋書をすべて預け頼んだ。「私は外国語は読めない。けれどもこの文献に書かれた内容は耳で聞いただけでも役に立った。これらの洋書を感じに翻訳してくれ。きっと後世、西洋に立ち向かうときに誰かの役に立つ」。この本は、日本でも、佐久間象山吉田松陰など、明治維新の志士たちの経典になった。維新の志士たちは、この本で世界の現状を学んだ。明治維新派ある意味、林則徐のリベンジであったという人もいる。

アヘン戦争により、中国のGDPのシェアは32.9%から、17.1%まで落ちた。インドは18世紀までは20%台、それまでの中国やインドのGDPがいかに桁外れに大きかったかがわかる。過去の歴史を、GDPと人口と気候変動という視点から見つめ直すことも新しい発見につながる。

 

終 章 世界史の視点から日本を眺めてみよう

・動物としての人間が一番頑張れるのは、20代から50代のだいたい20~30年。国や共同体も、そのピークはやはり20~30年。

ローマ帝国では、五賢帝の時代(約100年)を、ローマの平和=パックス・ロマーナと呼んだりしているが、実際はその間ずっと繁栄が続いたわけではない。世界の歴史を見ていくと、「豊かで戦争もなく、経済が右肩上がりに成長していく本当に幸せな時代」は、実はほとんどないことがわかる。

・なぜ、日本に戦後の高度成長が生まれたか?1945年当時、戦勝国アメリカのアジア政策のパートナーは北京の蒋介石だった。ワシントン・北京枢軸という考え方でアジアの秩序を確立するという方針。日本はただの敗戦国でしかなかった。ところが、東西の冷戦が始まって蒋介石は北京から台湾に追い出され、北京は毛沢東が支配することになった。アジアに残されたアメリカのパートナーは日本しかない。しかも日本列島の位置を見れば冷戦最前線のまさに不沈空母。こうして図らずも東京がアメリカのパートナーとなった。

・日本は海外の領土を失ったので、たくさんの人が引き揚げてきた。平和になったので子供もたくさん生まれた。会社や役所の幹部もマッカーサーが戦犯として年長者を追放したため、30~40代に若返り風通しがよくなった。ドッジ・ライン(財政金融引締め政策)で民間が頑張るしかない。為替も360円に固定された。さらに朝鮮戦争が起こって特需も生まれた。アメリカが世界の海を支配していたので原料輸入にも支障がない。加えて吉田茂という賢いリーダもいた。これにより経済が急回復した。

・日本の繁栄は「毛沢東のおかげ」とも言える。もし蒋介石が北京に残っていたらアメリカは日本など歯牙にもかけなかった。しかも毛沢東は長生きし、大躍進や文化大革命など多くの失敗を犯してくれた。これにより中国は中々立ち直ることができず、日本はアジア唯一の工業国として繁栄を独占できた。

・このように戦後の日本は特別だった。幸運の女神が五回くらい連続でウインクしたくらい幸運が重なったのが戦後の日本だったと思うべき。

2020.3.1「AIに心は宿るのか」松原仁

久しぶりのアップです。世の中はコロナウイルスで大騒ぎになっていますが、私はこの記事をアップしたあと軽くジョギングしてこようと思います。常に平常心、これをモットーに生きていくつもりです。

松原仁さんの本はこれが初めてですが、「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」を主宰されている方です。通勤電車のなか読みました。羽生さんとの対談も面白くあっという間に読み終えました。

AIに対しては、悲観論と楽観論の両極端があるように思います。この本では著者の長年の研究からAIに対する客観的な視点が語られており、非常に納得感のある内容でした。心に残っている部分をいくつか紹介したいと思います。

その前に、まずは目次から

<目次>

プロローグ 溶け合う、AIと人間の境界線
第1章 “AI作家”は、生まれるのか
第2章 「知の敗北」が意味すること――棋界に見る、シンギュラリティの縮図――
第3章 対談 AIは「創造的な一手」を指せるのか
第4章 AIに創造は可能か
第5章 「ポスト・ヒューマン」への、四つの提言

 

この本のなかで何度か触れられているのが「心」の問題です。

・・・つまり心とは、私たち人間が「心の存在を仮定した方が便利である」と確信した時に生じる、知能の働きの一つ・・・この知能の働きは、言語コミュニケーションや振る舞いなどを通じ、「一定の複雑さが再現されていれば」仮に相手が人間でなくても生じるものだ・・・

これはAIを考える上で非常に示唆の富んだ問題ではないでしょうか。

 

AI最大の難問に「フレーム問題」があるらしい。

これは、ある行為をコンピュータにプログラムしようとした時、「その行為によって変化しないこと」をすべて記述しようとすると計算量が爆発的に増えてしまい、結果としてその行為を行うことができなくなるという問題、とのこと。少し難しいが、何となく理解できる。

・・・

人間は時と場合によって情報に「あたり」をつけて行動することができるが、AIは「変化しないこと」を自明のこととするのが苦手なのです。

つまり多くの人は「なんとなくうまくやっていくことができる」これが私たち人間の持つ「知能の汎用性、柔軟性」なのです。この「なんとなく」による意思決定が人間とAIの知能を分かつ、一つの大きな特徴なのです。・・・

私たちは「ミスを犯し得るという代償を払って、知能の柔軟性を獲得している」のです。そこで重要な役割を果たしているのが、身体という物理的限界なのです。

・・・

そして著者は、以上の理由からAIに身体を与えることが、この「フレーム問題」を解決することになる、と予想しています。面白いですね。まさにアトムの世界。

最後にレイ・カーツワイル2045年にコンピュータの進化が人間に予測できなくなる「シンギュラリティ(技術的特異点)」を迎えると言っています。この2045が正しいかどうかは別にして私の生きている間に見てみたいものです。

しかし、これは、いついつの日に来るというより、「ある日気付いたらこの特異点(シンギュラリティ)を越えていた」ということなのでしょう。