ぷろれすタイムきらら
武藤敬司が引退した。
満身創痍だし歳が歳だし90年代のあの高さ、速さ、強さは見れないのはわかっていたし、そもそも最近のプロレスをまるで追っていないから東京ドームまで行ってメイン以外の試合を見たいわけではなかった。それでも見なければいけない理由があった。これはガチのプロレスファンからすれば激怒することかもしれないが、武藤の引退試合はある意味子供の運動会みたいなもんだと思っている。世界一足の速い子供ではない、それどころか学校ですら一番ではない。それでも自分の子供の運動会は全力で応援するし、見に行けなかったら心の底から悲しみに暮れるだろう。人の親になった今だからこう言える。つまり武藤はおれにとってはそんな存在だと思っている。
あの頃の速さなんてないことはわかっているけど、フライングメイヤーが決まればフラッシングエルボーが飛び出すことを楽しみにし、もはや飛べないことはわかっているが、シュミット式バックブリーカーからコーナーに登ればムーンサルトを期待せずにはいられない。かつての武藤ならできる技、いやそれ以上にハイレベルな技を出せる選手はいくらでもいるだろう。でもずっと使ってきたあの動きであの技を出せるのは武藤だけだし、おれはそれを観に行ったんだといえる。
今日は引退試合を出来なかった同世代の技…STF、袈裟斬り、DDT、エメラルドフロージョンを出すだけで十分だった。試合の組み立てとか何も気にしないでとにかく動いている武藤を見るだけ、会場のライブ感を味わうだけで良かった。20代のおれならしょっぱい試合しやがってと言ってたかもしれないし、PPVで実況解説ありの方が面白いはずの内容だった。
そして迎えた試合後のサプライズで行われた蝶野との一戦。さっきまで杖をついて歩いていた蝶野のシャイニング喧嘩キックからのSTFでギブアップというてとんでもない茶番劇だけど、そこで一番泣いた。STFの体勢から笑いながら抱き合う武藤と蝶野の姿を見て泣いた。おれの中で20世紀のプロレスはもう思い出作りのフェーズに入ったんだと思った。
21世紀に入ってからのプロレスはほぼインディーしか知らないからもうこんな気持ちになるレスラーは現れないんだろうな。それでもいいや。今のプロレスは今のファンのために試合をやるべきでおれのような人間は相手にする必要なんてないんだから。今のファンにとって今のレスラーがおれにとっての武藤のような存在になればいいだけなんだから。
武藤敬司選手長い間おつかれさまでした。そしてありがとうございました。今後はチョシュさんとのYouTubeを楽しませてもらいます。
エヴァ感想ネタバレあり
ネタバレ上等で書くのでもう観た人と一生観ない人以外は読まないでください。
本日観てきたので熱が冷めないうちにというか、他の人の感想文を読んで影響を受けないうちに書いておきます。お酒を飲んでいるので読みにくい文章になると思いますが、誰かに読ませるために書いているわけじゃなく自分のための記録なので、読んであげようと思ってくれた人には申し訳ございません。でも読んでもらえると嬉しいです。
今回2時間超の映画は尿意との闘いになることはスターウォーズep.9で実体験済みなので念入りに準備をしていきました。朝6時起床、家族を起こさないように静かに洗濯物を干し、身支度をして出発。途中コンビニで温かい緑茶350mlとのど飴を購入。緑茶は3分の1程度飲んだらペットボトルをカバンへ放り込み「帰宅時まで飲まない」と固く誓う。そして、血糖値上昇させるためにのど飴をなめ電車に乗る。のど飴は上映中にのどが渇いたときの対策でもあります。水分を採るとトイレに行きたくなるので。
こんなに気合を入れて観に行ったのですが、感想文をその日のうちに書くような感情になるとは思いもしなかったのが正直なところで、序破Qまで(昨日まで)は冷ややかな目でエヴァのことを観てました。「まだこんなことやってるの?」という呆れたような感情を持っていたのは事実です。でもまあ最後だし観てやるかくらいの気持ちで。あとはネット、リアル問わず至る所で観たのを前提で話されると困るので早く観ておきたいという気持ちで今日朝一の回に飛び込んだのです。
まず全体を通しての感想ですが、TV版、旧劇場版はお母さんの物語だったと思います。でも今回はお父さんの物語かなと。お母さん(妻)のことを想うお父さんと息子の話がメイン。シンジ、ゲンドウの親子対決は描写も立場も刃牙とは全然違うんだけど、おれにとっては刃牙と勇次郎の食事シーンを想起させるドメスティックなものでした。(庵野くんの世代的にはモチーフは巨人の星かな?)最終的に暴力じゃなくて対話で解決するのが刃牙との決定的な違いだけど、あんなに距離感を感じてる親子の対決ってのは似てるなと。悲壮感があるのは刃牙や美味しんぼとは違いますね。庵野くん子供いないはずなのに結構わかってるなあって感じたけど彼も人の息子だし当然か。そして一番大事なことなんだけどエンターテインメントとして楽しませてくれたこと。今までは解説が必要な映画だったと思う。でも序破Qを観てきた人には(TV版、旧劇場版は絶対見たほうが良いけど)説明なしに『綺麗に終わった!』って思わせてくれる内容だったはずです。
個別の感想としては、その恥ずかしいんですが…『そっくりさん』の『田舎に泊まろう企画』がめっちゃ可愛かったことですかねえ…。あれは反則でしょう。『綾波系』と呼ばれる無表情系のフォロワーキャラが00年代萌えアニメ(死語ですね)で乱発されたのが庵野くんは羨ましかったというか悔しかったのかな?と邪推してしまいます。「碇君がエヴァに乗らなくてもいいように」14年間ずっと初号機を守ってた『もじゃ波』も『そっくりさん』の記憶を継承してるのか自作のつばめ人形を抱っこしてて、これもやばいくらい可愛かった。おれ自身はTV版の時代はこの方面にまったく理解がなかったけど、00年以降の『けいおん!』や『ひだまりスケッチ』に代表されるまんがタイムきらら文脈でずいぶんおれも教育されたのだろうなと思います。そして今ではアイドルマスターのプロデューサーとなってしまいました。アイマスPとしては9.18事件でPになった異色な人間ですが、この話は今回はいいや。
あとはQの時から出てはいたけど存在感の薄かったヴンダーのブリッジの人たちや、出てこなかった加地さんやシンジの同級生たちの描写もよかった。エンターテインメントの文脈からそれていないところが本当に良かった。上等な料理にハチミツをぶちまけるとかじゃなくて、奇をてらった原材料をぶち込むクラフトビールみたいな「そのままIPAで出せばうまいのに余計なことすんなボケ!」って感じにならなかったのがうれしかった。「おれたちだけがわかってる」のはもう卒業しようぜって感じがあった。というかその「おれたちだけがわかってる」を喜ぶような高齢オタクはもう力尽きて『艦これ』とか『ガルパン』とかに行ってるんじゃないかと思う。いやこれらももはや古いか。おれはアイマスに行ってしまったからこの辺の感覚がわからん。
で、安野モヨコデザイン(だよね?)のオペレーターの女の子(名前知らない)がキャラデザイン浮いてるなあってQの時から思ってたんだけど、浮いてるのは理由ありなのかなと今回思いました。彼女はエヴァに家族をぶち壊された人のメタファーとして存在してたのかなと。貞本キャラデのサクラちゃんは馴染んでるのは同じくエヴァに家族をぶち壊されかけたんだけど立ち直った人なのかなと。どっちもシンジ君がエヴァに乗るのをを止めようとするんだけど、前者は憎しみから後者は同情からってのがわかりやすい対比を見せながらも裏読みさせる仕掛け。これはTV版からずっとそうなんだけど、視聴者が勝手に考えてくれるやつに再びやられました。恥をついでに書き続けますと、「庵野くんがエヴァで病んでしまったこと」を妻のモヨコや「エヴァにはまってオタクに戻ってしまった人(エヴァのパチンコ含む)」を家族にもった人の表現として「馴染んでないデザインでかつ軽薄そうな若い女性(かつてのモヨコ読者層のメタファーっていったら怒られそう)」にしたのかなと。
あとはマリがやたらと可愛く感じたのに反してアスカはケンケン(この呼び方衝撃でした)といい感じになって「ヒロインはもう交代だぜ!」って1クールごとにTwitterアイコンを変えるオタクみたいなムーブだな庵野くんって思ったけど、その辺はなんか深く考える余裕なく観たまま受け入れてた。マリが『コネメガネ』って呼ばれてるのにアスカを『姫』と呼んで猫可愛がりしてるのは、安易な百合営業じゃないだろうなと思ってたけど、その理由が「お母さんだから娘に何されても大好き」と思うと娘を寝かせてこっそり朝から映画館に来てるおれなんなん?ってなるよ。それにしてもそのお母さんと同世代(肉体的には自分と同世代だけど)の彼女作って宇部新川のラブホにダッシュするシンジ君がラストシーンってもうなんか意味わかんないすがすがしさだね。シンジくんにとって綾波が母で式波が娘ってことでいいんですかね?どっちもシンジくんのことが大好きだけど絶対に結ばれない相手ってことで。でもラストの旧劇の海のシーンに似てるアスカとのシーンは「初恋の相手に同窓会で会った」的なあれかな。つい先日偉そうに全裸を見せてた癖に破れたプラグスーツで恥ずかしそうにしてるとか…まあいいや。そうやって製作者の意図せぬところまで勝手に考えてたんだよな25年前のおれたちは。で、それを今作で全部終わりにできた。悪い意味ではなく、良い意味ですべてのエヴァンゲリオンにさよならができたと思う。
何にせよ本当に観て良かった。今後もうエヴァを観なくて良い、観て嫌な気持ちにならなくて良い。TV版、旧劇場版のあと(パチンコ等ふくめ)まだエヴァの名前を目にして、もう自分の中で終わりにしたいのにみんな早く飽きてくれよって嫌な気持ちになってた。そこに新劇場版が始まって目を背けようとしても、ネットでもリアルでもオタクがエヴァを観てる状況を目にして「まだ同じことやってるのか!」ってうんざりしていたけど、今作がそれを綺麗に洗い流してくれた。もっと早かったら良かったのにと思う反面、時間が経つことで嫌な気持ちが増幅されてカタルシス効果が得られたのかなと思うとまた複雑な気持ち。でも観に行って本当に良かった、もう作品の出来不出来を言われても何も気にならない。1995年に『新世紀エヴァンゲリオン』を観ていた10代のおれに「お前良い作品見つけたな!」って言ってあげられる。
さようならすべてのエヴァンゲリオン!明日からはまたガンダム観ます!!!
あの頃のおれと違うのは、ビールを飲むようになった。煙草を止めた。孫が出来たかな。
追記。「どこにいても迎えに行くから」はウテナだよね!