私の体調

私の体調を世界にお届け!

今後の松ちゃんの身の振り方【松本人志文春砲】

吉本興業

 

さてとポテト。

今頃松ちゃんどうしてますかね~(無責任)。

松本人志個人として告訴と。

こちら、文春の元編集長の「この手の裁判の実際」が分かりやすいです。

diamond.jp

わざわざ事実無根なんてツイートしちゃったばっかりに、もう言い張るしかなくなっちゃってね。

活動休止もそうで、「裁判に注力するため」とかやっぱりわざわざ言っちゃうから、このままなら裁判終わるまで出てこられなくなるし。

でこういう裁判は数年かかってもおかしくないらしいので、おそらく早々に方針転換するんじゃないでしょうかね。

あくまで文春の内容がウソかホントかだけの話で、今後さらに着々と積み重ねられていくであろう負のイメージを判決で覆せるようなもんでもなさそうですし。

でさらに、吉本の「ワシら知らんで」感が漂ってますよね。

まぁあの泣きボクロからの成り上がりっぷりからして、社長になってもペコペコし続けなきゃならん、松ちゃんの存在は(看板商品とはいえ)ジャマだったろうしな。

大崎会長も去り、松ちゃんも引退となったら、(吉本がこの荒波を生き残れれば)未来は岡本興業ですから、会社としての訴訟にしなかったのもその辺りがあったりするのかもしれません。

ホントに松ちゃんのツイッターは(本人にとっても)悪手の連投で、こんなに頭の回らん人だったのかってのはまあまあ残念で。

んでまぁ活動休止しましたと。

こっからどうする。

とりあえず紳助には相談してるでしょう。

紳助は「ようこそ」なんつって引退を勧めるでしょうけど、松ちゃんは(何年後かには引退するかもとか言ってたみたいだけどただのカッコつけのようにも思えるし)多分このタイミングでは引退したくないんでないかなと思うんですよ。

まー分かりやすく負けたっぽいし、そういう潔さもない感じしますし、なにより君臨し続けるつもりだからこんだけ息巻いて裁判するんでしょうしね。

けど、それでも一番現実的な選択肢になるんじゃないでしょうかねぇ、芸能界(テレビ)引退。

紳助なんかはその辺、頭の中で先回りして、あくまで自分基準で「通用しない」と思えば解散するし引退するし、潔かったですねー。

その点松ちゃんは、ただ「笑いのカリスマ」の座に居座り続けちゃってただけってのが、文春ついでにボロボロ露呈しちゃってて、私みたいな「世代」の人間がなんとなく不本意な感じなのはその辺なんだろうな。

「(世代の人間からすると最もどうでもいい)ここ十数年の松本人志」と「過去作品の切り取り(プライベートの過去でなくて)」で、なんか我々個人個人の歴史や人間性も全部ひっくるめて否定されてるような感覚っつーかな。

だからな~んか言いたくなるんですよね、私も含めその世代の人らはきっと。

ここ十数年の松ちゃんという点では、たとえば現役芸人で言うところのM-1みたいな明確なものでなくとも、ある程度のスパンで「健在」を証明をしてこなかったツケですよね。

まぁそれが「映画」だったのかもしらんけど、するとつまり己の存在意義を(あくまでざっくり世の中に)証明できてなかったワケです。

なのにその辺うやむやのまま、気づいたら御意見番とかマスコットみたいな手軽なお金稼ぎばっかりでね。

そんな中でのコレだから、ここまで反感買ってるんでしょう。

さてそんなんで、このあとどうする?!ってのをさらに好き勝手に掘り下げていきましょー。

まず裁判は勝っても負けても、もはや世間のイメージが大きく変わることはないでしょうねぇ。

この時代、一度ついてしまったこのイメージから、正面突破で完全復活はもう現時点で厳しそう。

あるとすれば、(タイミング的にもう後手でしょうが)前に書いた「セックス依存症」とかさ。

ありそうな話とかでは全然なくて、ただの私からの提案ね。

suzukiblog.com

これだと、一番のネックである「イメージ」の部分でそれなりにリカバリーできるような気がしなくもないんよな。

一定期間休んでも治療っぽくできるし(どんな治療か知らんけど)、謝罪して和解済ませて、「お恥ずかしい話で・・・」ぐらい下手に出て復帰すれば、まぁ一応は芸能人には戻れそうじゃないですか。

世間のイメージはともかく、近しい仕事仲間は気を使ってこれまで通りに接してくれるでしょう。

でもやっぱ厳しいか。

セックスどうこうより、女を軽く見てる感とか、言ってる(とされてる)ことの気持ち悪さですもんね。

大衆はそこを認めさせたくて謝罪させたくて騒いでんのに、「闘いまーす」じゃ火に油でしょ(そういうのがカッコいい時代じゃないというか、今のポジションでそのスタンスだと権力がチラつくだけなのとかがやっぱ感じ取れてないのが哀しいんですよねぇ)。

そんなんだったら開き直りきって、時代と逆行するぐらいのスタンスで出直したら、(元々の世代の人間も改めて巻き込んだ)新たな支持層ができるかもしれませんよ。

もしくは改めて総スカンか。

もう「笑いのカリスマ」にも「みんなの松ちゃん」にも戻れないけど、ヘコヘコしたくないならそっちで貫く方がいいんでないかなと。

なんかでも次課長河本とかチュート徳井とか空気的に見てらんなくなるけど(そこまでの悪行でもないのにこうなるってことは「自分たちはちゃんとやってるのに」っていうズルを許さない大衆の心理なんやな~)言わば大衆の犠牲者で、松ちゃんもそうなるしかないのかねぇ。

ホント恐るべし大衆。。

suzukiyasumu.hatenablog.com

んで、パッと思いつくのはYouTubeですけど、な~んかここも、出ようと思えばテレビに出られる(出られた、ですね)大物芸能人だったわけで、本人的なプライドの問題で二の足踏んでるんじゃないかなと。

テレビ東京に出ないのと同じ感覚で、YouTube(とかAbemaとか)も鼻で笑ってるとこあるんでしょうけど、そういう(世間の認知の変化との悪い意味での)ズレを微調整できてない辺りが今回の件にも繋がってますよね。

迎合するような意味合いでなく、そこの感覚を共有できてないと笑えないし笑わせられないみたいなとこのズレね。

そういう感覚的なとこを捉えて、NSC一期生の師匠のいない漫才師ダウンタウンが出てきたはずなんですけどもねぇ。

並べるのはちがう感じしますけど、今なら例えば、未開のルートから出るべくして出てきたみたいなとこでいうと、ダウ90000とかなんですかね(私はオジさんなのでイマイチ知らんしなんか笑えませんけど)。

で佐久間さんみたいな人は、芸人に限らずCreepy Nutsだとかその辺もちゃんと抑えてて、やっぱオジさんでも時代に対する嗅覚みたいなものが利いてますよね。

マスにも通じて、ちゃんと面白いとか、ちゃんとセンスいいとか。

そんな諸々を踏まえて私が用意してみた松ちゃん的に都合のいい展開としては、紳助巻き込んで、紳助のアイデアに乗っかって、受け身でなんかしらやりつつイメージ回復を図るってな感じはどうかなと、原則テレビで。

いやなんならドキュメンタリー映画とか、今から密着して。

そこで、今まで見せてこなかった弱い一面とか見せたら、大衆はきっと狙い通りの反応しますよ。

紳助は引退こそしてますけど、それこそ根がヤクザなワケですから、堅い信頼関係が続いてる業界関係者はしっかりいるでしょうし、なんかもう堂々と味方になれる芸能人いないでしょ。

でもおそらく(ここまで出てこない)紳助自身にそんな気がなさそうか。

となると、手近で思い通りになる宮迫ですかね。

宮迫のYouTubeに降臨ってのは、安易だけど引退以外の一番あり得る選択肢じゃないかなと。

まーでも、出てなに言うのよってとこで、(ここまでの松ちゃん本人の自己判断っぽい行いからして)リスクの方がデカいけども、表現者が表に現れないでどーするってのもあるし、(引退しないなら)とにかく姿を現さないとどうにもならんワケで。

でもコレ、テレビにお払い箱にされた元芸能人たち(とかテレビに向かないけど腕のある芸人とか、はたまたテレビに価値を感じてない若い世代とか)が力を合わせ(られ)れば、なかなかの「新しい形」になれるんじゃないですかね??

まぁ(今回だけでいえばイメージ的に)ロクでもないメンツにはなるけども、本気でなにかを創ろうと思えばできない人たちじゃないでしょうし(がしかしブレーン次第ではメチャメチャ時代遅れなコンテンツでドヤッてるのも目に浮かぶ)。

文春が芸能界や政界その他公的な権威に対しての必要悪なら、(白々しいばかりの)テレビに対する必要悪みたいな感じで、(個人個人でなくある程度の規模で動き出せば)なかなか意義のある動きにも見えてくるような。

とすると、素人は参入できず、基本無料オリジナルコンテンツでやってる(んだよね?)AbemaTVなんてのは、なかなか絶妙な立ち位置で、これを機にYouTubeと地上波テレビの間の気軽かつ準公共的な感じのテレビ放送という文化をしっかり確立できるかもしれませんよ??

だってテレビがそんなにいいもんかって、もはやそんなことないでしょ?

朝方の通販番組の芸能人とか、あんなに自分にウソついて心を殺し続けてもアレにしがみつくしかないって。

suzukiyasumu.hatenablog.com

とか、いつからか定着した番組で提供テロップが出てる時に演者の服とかセットの文字にモザイクかけるのとか、どんだけスポンサー様なのよ。

アレの極みで、WBCの特番で代表選手のユニフォームのJAPANの文字にモザイクかかってるの見た時は「なにこの国??」ってなりましたよ私は。

松ちゃんの活動休止だって、裁判なんて口実であってスポンサーが降りるから芸能活動続けられない(お金にならない)だけでさ。

極論、テレビって「広告」と「世論誘導」のためにあるものってのが、さすがにもう露骨すぎて。

そんなこんなで、文化としてのテレビの立ち位置も個人的には相当胡散臭いものになってきてねえかなと。

ネットで言う、こんな広告クリックするかよ?!みたいなのとたいして変わらん。

さ、脱線しましたので松ちゃんに戻しましょう。

とかそんないろいろを勝手に想像してて改めて思うのは、あんまり自分から大きいことを仕掛けたり、周りの人間引っ張ってくような、リーダータイプ親分タイプじゃないんでしょうね。

なんか結局は誰かが担いでくれないと動けない人で、タイプ的にふさわしくないポジションに居続けてしまったというかな。

とか、若年期のコンプレックスってのはホントやっかいやなってのもスゴく思いますよね。

貧乏(金ない)、ブサイク(モテない)、もやしっ子(ケンカ弱い)ぐらいの、まぁよくあるコンプレックスが、(世間的に)ここまでの存在になっても満たされないんだから。

でそれを金や地位でどうにかしようとするしかない(収め方を学ばない)辺りが、やっぱり時代にそぐわないのかなと。

まー本人のやってきたことですけど、なんだかんだで受け入れてきた社会も同罪ってな感覚でいますよ、私は。

んなとこ。

じゃ、おやすむ~!!

suzukiyasumu.hatenablog.com

suzukiblog.com

許さない時代って楽しいか?【松ちゃん文春砲】

さてとポテト。

えー、松ちゃん擁護のつもりはないですし、糾弾するつもりもなく、ただのオジさんの感想文です。

過去を遡ってダウンタウンの笑いがいじめだイジりだとあげつらう人たちがいる。

この辺りの記事に概ね同意で。

anond.hatelabo.jp

gyakutorajiro.com

要はこのタイミングで「(主に過去の)笑い」の部分においてまで貶めようとすんじゃねえよってなとこですか。

陰キャ陽キャ、一軍二軍みたいな共通の概念的なもの自体がまだなく、ワケも分からずクラスや社会の居心地の悪さに悶々として、なんだかんだで「全員死ね!」みたいな謎の思いを抱えていた(結果的に当時の多数派だった)そんな若者世代がダウンタウンの笑いに救われたっつーかな。

前段の“ワケも分からずクラスや社会の居心地の悪さに悶々として”って辺りが肝で、ネットもなくそれぞれが個人個人で抱えていて、みんな同じようなものを抱えているとは思ってもいなかった「言葉にならないもの」の正体を、表現を通して示してくれたのが、当時のダウンタウンでありブルーハーツだったワケです。

現在四、五十代の男にとっては大げさでなくそんな感じなんじゃないでしょうか。

今思えば、ガッチリすぎるほどガッチリと時代のニーズと合致してたんやな~と。

ま、だからこそここ十数年ぐらいの立ち回りとか、今回の一連のツイートのダサさっつーか見えてなさみたいなものが哀しくもあり。

そんなんでね、その頃の社会もそれを許してきてる(ってより求められてた)んだから、今アレが悪いコレが悪いなんてナンセンスなのよ。

だったらもう、「ずっといじめがなくならない人間が悪いからもう人間全滅!」って話で、私もあなたも松ちゃんも被害女性たちも、みんな終わるべきでね。

許してた社会が「許さない社会」に変わってることの方が深刻だろと私は思いますけども。

まそれはいいとして、こんなに近々のジャニーズ問題を経てなお、芸能界を一般社会と同じだと思い込みたい人がどんだけいるのよって。

特殊な社会なんだってば。

www.excite.co.jp

ヤクザと持ちつ持たれつでドサ回りしてたのが、今の芸能界のルーツみたいなもんでしょ。

だから芸能人みんなヤクザと同じようなもんだなんてことでなく、時代に合わせて形を変えながら今日まで残り続けてる、元々そういう文化の世界なんだよってこと。

なんなら芸能界をこうしたのはテレビという裏表のありすぎる作られた世界なんじゃないでしょーかね。

つっても私その昔ADやってまして、実際に見たたけしなんかはもう取り巻きだらけで、それこそヤクザの親分でしたけど。

まヤクザはともかく、シンプルに決めつけてしまえば、芸能界なんてのは、九割方「自己顕示欲-1グランプリ」の決勝進出者たちを見世物にして成り立ってる世界であって、実際のところいわゆる一般庶民の暮らすこの社会と同じ常識では回ってないんでしょう。

我々の身の回りに一人いるかいないかの変なヤツの集合体、なんつったらちょっと言い過ぎかもしらんけども、いわゆる「芸能人」のイメージがいいものでありすぎてて、そういう視点がなさすぎなの。

突き詰めれば「私を見て!」の集団なんだから、そう思えばなんか異様でしょ?

芸に限らず、倫理観みたいなもんだって常人のバランスと同じだと思ってちゃ多分マズいのかなとか。

その世界に入ってその色に染まるってのもあるとは思いますけど。

 www.motivation-up.com

でそれはたまたまではなく、割合があって、そういう場所にそういう種類の人間が集まるものと、私はもうすっかり思ってて。

いいとか悪いとかでなく、アスリートなんかもそんな感じで、確かイチロー自身の言葉だったと思うけど、自分は天才ではなくて努力する才能があっただけみたいな。

要は、目標のための反復練習なんかを普通の(頑張ってる)人の10倍とか100倍とか平気できちゃうような人がいるのよ。

で、ひと握りの職業になれるような人ってのは、多かれ少なかれそんな資質を持ってる可能性が極めて高いんでしょう。

芸人でも、甲子園とか学生時代になんかしらの全国大会出てるとかが結構な頻度でいるのも、なんか似たような属性なんだろうなと私はやっぱり思ってますよ。

なんなら最初の、陰キャ陽キャだ一軍二軍なんてのも、ある程度人数集めればだいたいこのぐらいのバランスでこういうタイプがいて、こういうやつがこういうこと言い出して~とかそんなんも、もう人間という生き物の習性というか人間社会の法則で、そうなるもんなんですよ。

芸能界も週刊誌も、ヤクザもいじめもジャニーズも、だからなくならないの。

すべてがいい悪いじゃないのよ。

ちょっと話が逸れましたか。

私が松ちゃんの件をジャニーズほど根深くないと思うのはその辺(芸能界の特殊性みたいなとこね)で、女性たちは被害者といえば被害者ではあるけども、何者でもないタレント志望者や一般人が大物芸能人松ちゃんのお相手になるかならないかのその場にいること自体、芸能界の常識でいえば「芸能人と寝る」ことがなにかしらの利益になるっつう、要はWin-Winの取り引きなワケですよ。

松ちゃんが言ったとされてる、「その気もないのにこんなとこ来るな」みたいなゲスいセリフも、正論っちゃ正論になるんですって。

芸能界の常識なら、ですよ。

芸能人はみんなそこ分かってると思いますけど。

でも言わない。

ハイ多分ね。

なので、そんな世界の内輪のトラブルでしかないよなって。

なんなら芸能界的にいえば、女性たちの方がルール違反ぐらいな感覚あるんじゃないですかね。

だからこそマリエのこれだって、同じようなもんなのに、みんな騒がなかったんじゃないの。

www.youtube.com

今からだって出川が小沢みたいに扱われてもなんにもおかしくないやん。

でもテレビの出川はカワイくて面白いんでしょ?

テレビ画面に映ってなければ、ジャニタレが下半身ケツ穴ブチ込まれつつも、見えてる上半身さえ歌って踊ってくれてりゃ満足なんでしょ?

それが大衆なのよ。

まだから今回の件で、芸能界の(芸能人に都合のいい)グレーゾーンみたいな部分がまたひとつ潰されたっつーかね。

回り回って自分に帰ってくる(結局そんな窮屈な社会を生きるのは自分らな)ことにも気づかず、「許さない社会」を一歩ずつ踏み固める大衆。

芸能人みんなはっきりしたことは言わず、どちらかといえば擁護気味な雰囲気なのはそういうことでしょ。

食えてる芸能人ならたいがい、いろんな種類の「芸能人ならではの優遇」みたいなものを受けてきてるワケで、(今回の件で松ちゃんが罪に問われることがなかったとしても)もしかしたらなんでもない(と思えるような)ことで自分も潰されかねないし、要は自分の職場が息苦しくなるのを避けたいっていう芸能界丸ごとの保身を感じてしまいますわ。

でもまぁ芸能人であることで必ず一定以上のプライベートを犠牲にするワケで、個人的には同情の余地ありまくりですけど。

だから松ちゃんどうこうより、「公的な事実認定なしで週刊誌にリークされて(犯罪でなくとも)犯罪人扱いされて仕事も奪われる(スポンサーがつかなくなる)」というシステムがパターン化されちゃたまらんっていうとこ。

anond.hatelabo.jp

私人逮捕系ユーチューバーなんて、一見よく分からんもんがすっかりカテゴライズされてて世の中の話題になるのも、やっぱり人間の習性とか本能とかありきでね、出てくるべくして出てきてる文化ってことですよね。

でね、ジャニーズは一般人の子どもを狙って引きずり込んで、さらにそれが何十年にも渡って(我々一般庶民を含めた)暗黙の了解になり続けてたワケで、レベルが全然ちがいますよ。

犯罪性を凌駕する人間性の問題というかな。

ケツ穴ブチ込まれた見返りにキッチリ成功を手にできたスターたちは結局誰一人真実を語らず、あの手この手で白々しく芸能人であり続けてるってことの方がよっぽど闇で、それはつまり、やっぱり芸能界がそういう世界であることと、社会がそれを受け入れているということの証なワケです。

本質でいえば、今テレビに出てるランクのジャニタレたちが本当に本当のことを語って、それでようやくジャニーズの瓦解が始まるワケで、ここで落ち着いてたら今までの大騒ぎもたいした意味ないんですよ。

今回の件の核心を突いてしまえば、私はそこだと思ってて、「己の口とケツ穴を堅く閉ざしたケツ穴ジャニタレをそのままにしておく」のと同じように、「枕営業的なもの(が芸能界の一部にでも常識としてあること)に触れない」のであれば、ただ松ちゃんが終わるだけで、芸能界としては今後ますます(バカな大衆に)バレないような仕組みを作り上げていくだけなんだろうなと。

「芸能界」全体や「テレビ」というものの是非みたいな方向にシフトしていくならまだ健全というか、意義のある騒ぎになりそうですけど。

もうだからホント、大衆がバカであることに尽きるの。

suzukiyasumu.hatenablog.com

冒頭のいじめの笑いだみたいなのひとつとっても、たとえ画面上で行われていることがそう見えたとしても、テレビ番組自体が「そういうフィクションである」という大前提を、見てる側が想像できなくなっちゃってて、なんでもかんでも「許さない!ムキー!」ってその瞬間見たものにただ反応してるだけなの。

そこには演者それぞれの合意なり許容があって、制作側も問題ないと判断した「作りもの」なのよ。

もうそろそろ、テレビを無意識に正しいものだと思っちゃってる自分に気づきましょう。

それこそ松ちゃんにしたって、2日前に文春の直撃受けてても、まー普段通りの様子でM-1の審査してたでしょ。

それが当たり前にできるのが芸能人なんですから。

自分にだって裏表あんのに、芸能人だけいつでも正しい人なワケがないでしょ。

べつに肩持つことなんてないけど、乗っかって叩いてる大衆の方がよっぽどコワいわ。

というわけで締めは、コレ知らんかったけどやっぱり楽しい浜ちゃんのニュース。

ウソかホントか分からんけど、さすがに「マー君って呼んでほしい」は、ノリでもう一個つけ足したなと疑っています。

じゃ、おやすむ~!!

はてなブログが書きたくなって2022秋

さてとポテト。

昨日、なんかを調べるために自分のはてなブログの記事を読んでたら、「コイツのブログおもしれーな」と思ってしまって、いくつか読んでるうちに書きたくなって今。

なんでしょう、ブログ自体は続けてはいるんですけど、なんかやっぱ、はてなブログで毎日のように書いてた頃のノリとか、書き捨てられる感覚とか、ほどよく読まれてちょくちょく反応がある感じとか、改めてモロモロ心地よかったんやな~っていうのがジワりと。

ツイッターでその頃やりとりしてた人に唐突にリプしちゃったり。

そういう活力的なものが少しずつ蘇ってきたのか、目に見えないなにかがビビッときたのか。

ってゆーか相変わらずのこの社会な。

コロナが私を変えてしまったワケです。

っていや本質的には変わらないですよ。

むしろ本質的には変わらないのに、コロナというひとつのモノゴトに対するスタンスだけで、「はてなブログのやすむ」の見られ方が変わってしまった(ように感じた)んですわ。

実害よりも、こういう(無意識も含めた)分断とか、マスク依存とかの弊害の方がよほど大きい。

そろそろこんな社会に疑問を感じる人も増えてきてるんですかね。

かんたんな話、世界全体がコント(で世界のコントに乗らなきゃならん日本)なので、いかにそのつまらんコントに乗らずに生きていけるかってだけなんです。

つまらんコントに乗っかってスベらされるなんてゴメンじゃないですか。

ここで言うスベるってのは、乗っちゃったがためにワクチン打って具合悪くなるとか、モロモロの対策だなんだで仕事がうまく回らなくなるとか職を失うとか、なかったはずの被害被るってこと。

ってきっと普通の感覚からすると、こういうのを当然のように語られること自体に引いちゃうんだとは思うんですけど、一度見えてしまったらもうハリボテもいいとこなんです。

どうしたら見えるのかって?

一個でいいんで、自分ごととして疑問にぶつかったときに、その疑問を解消できるまで調べてみて下さい。

自分で疑問を感じて、自分で調べなきゃ腹落ちしないの。

そこをスルーして、無意識に当たり前を信じてる自分に、自分で気づかない限り変わらない。

なんでスルーしちゃうかって、余裕がないから。

いくら私みたいなのがゴチャゴチャ言ったって入ってかないんですよ。

たとえば仕事してれば、会社のマスクのルールとか(飲食業だったらなおさら)、親だったら子どもの学校のコロナ対策とか。

テニスとかサッカーとかスポーツが好きなら、現役アスリートがバタバタ倒れたり死んだりしてんのおかしくない?とか。

エンタメが好きなら、自殺する芸能人とか、病気になる芸能人とか、引退する芸能人とか、ひと昔前よりなんか多くない?とか。

そういうの受け流してません?

私の場合、コロナ前から「健康」については人並み以上に興味があったので、国の支離滅裂な対策に疑問を感じたとこからです。

なにかひとつ、自分の興味からシンプルに疑問を感じたことを調べてみる。

すると、矛盾を感じることがひとつふたつ出てくるはずです。

逆にこう考えた方が辻褄が合うよなとか。

そんなんしてたら、どっかで「うわ・・・!?」ってなります、きっと。

一回「うわ」にぶつかったら、あとはもう、ズラズラと鼻の穴から万国旗が出てくるかの如く、アレもコレもかい!?って。

おっと、気づけばまたこんな話ばっかり。

ため息ばっかり!

www.tokyo-sports.co.jp

まーとにかくね、なんとなくで付き合っちゃったから、こんなバカな社会が延々と続いちゃってるワケです。

バカだなと思ったら、「バカかよ!」って言ってあげなきゃダメなんですよ。

か、無視する。

たとえばマスクをしないってのは無視してるワケです。

こんな社会の片棒担ぎたくねーわって。

はい終わりましょう。

急に寒くなって、嵐のような天気。

子どもたちは、雨に濡れながらギャーギャー叫んでイレギュラーを楽しんでる。

大人は険しい表情さえ押し殺して、死人のような顔で傘をさし自分を守る。

じゃ、おやすむ~!!

帰ってきた自由ネコ

さてとポテト。

私のはてなブログ退散のちょい前あたりから、特に意思表示もなくブログもツイッターも更新しなくなっていた自由ネコ氏が戻ってきて、なんかしら書きたくなりました。

世の中すっかりくたびれることばかりで、心中察するに余りあるワケではありますが、なんとなくこのまま戻ってこないのが一番カッコよさげなところを、意外と早めにノコノコ戻ってくるあたりがまた自由ネコさんっぽくて。

で、ここに書くことは、特に自由ネコさんに向けてるワケでもなく、読んでる人に向けてるワケでもなく、雑な独り言になりますんで、眺めたい人だけ遠巻きに眺めてって頂ければなによりです。

えぇ、反応なんて求めませんから遠巻きに眺めて帰って下さいませ。

いやね、なんだろう、私が日々悶々としながら、「こんな表現なら伝わるかな」とか「これはちょっと強く言い過ぎだな」とか、コロナの流れで世の中の本当のところに疑問を感じるきっかけにならんかなとアレコレ微妙なラインを行ったり来たりしてるぐらいの頃が、自由ネコさんがなんとな~く静かになっていったのとだいたい同じぐらいの頃。

私としては、なんか違和感というか、こういう時こそ「(図らずも一般的でない角度からの)俺はこう思う」を垂れ流してくれて、それに不意にハッとさせられる的なパターンを無意識に欲してたみたいな。

それより手前からの個人ブログ界隈の盛り下がりとか、自分の体調とかなんだかんだいろんな要素を含んでるにせよ、ってゆーかその「個人ブログには価値も信用もなくて体制側の発信だけが事実」ってグーグルのグイッと偏った方針自体が、いろんな世の中の方向とリンクしてることぐらいきっと勘づいてるはずで、その上で今なにも言わないってのがなんともなって感じだったワケです。

って重ね重ね言いますけど、私の独り言ですからね。

とはいえ確信に至らないままあーだこーだ言うことで考えられる影響とか、はたまたこの状況スルーし続けて、関係ないピンポイントの話題だけ書いてく白々しさとか、多分せめぎ合った末のくたびれフェードアウトだったんではないかなって。

その辺から復活記事読んでくと、終わりの方に、都市伝説系のYouTubeチャンネルをよく見てるってなことを書いてて、(リンク先まだ見てないのでアレですが)個人的には今後がまた興味深いです。

私自身はてなブログを書かなくなってからも読み続けてるはてなブログはいくつかしかありませんで、自由ネコブログはこんな情報過多真偽不明な世の中で数少ない「それでも読みたい(雑記)個人ブログ」ですからして、まーなんというか、どうあれ、自分の思ったことを書きたいように書き続けていてほしいものですハイ。

最後に私のことも書いとくと、、いやその前に、皆さんの方はいかがですか?

未だに感染者数がどうとか、副反応が軽くてよかったとか、大人しくマスクしてればそのうちエラい人が「マスク外していいよ」って言ってくれるだろうとか、そんな感じですか?

私ね、ブログやってる人とか個人ブログを継続して読んでるような人ってのはもう少し感度が高いもんだと勘違いしてて、それでそういう発信を続けてたんです。

でまぁそんなこともないんだなと折り合いをつけてはてなブログをやめたワケで、、いやまーもういいですね、こういうのは。

そんなとこで、せめて夜道のマスクは外して下さいYO!

じゃ、おやすむ~!!

コロナ以降の世の中に対する認識の変化

さてとポテト。

舌の根も乾かぬうちに、さっそく再会できましたね!

えーと、このブログのあらすじってのがあるんですよ。

コレね。

suzukiyasumu.hatenablog.com

プロフィールの名前のリンクからも飛べます。

こんなの↓

 やすむ (id:suzukiyasumu)

今さら書いたところでなんの足しにもならないんですが、自分なりの整理みたいなことで。

時系列の変遷を休筆まで加筆したのに加えて、「コロナ以降の認識の変化」って項を追加しました。

コレ、どの時期にどんな認識でいたのかってのを振り返れて、その都度書いといてよかったなぁと思いましたわ。

ま、そんなとこです。

あとは私の独り言。

前回、休筆のお知らせ書きましたね。

suzukiyasumu.hatenablog.com

 そのリアクションに私の心がジュワジュワしたってのを記しておきたくて。

この内容にうなずいてもらえることの、この上ない喜び。

実際のところ、コロナ以降の(私の触れていた)はてなブログ界隈では、陰謀論はおろか、ざっくり(支離滅裂なコロナ対策などの)日本社会への疑問でさえ「自分の考え」を明確に発信し続けてる人は見当たらなかった。

ってべつにそれがいい悪いでなくて。

実社会もブログもそういう意味では同じようなもの(に日々なっていっていると感じる)で、余計なことを言わず波風立てないのが吉みたいなとこですよね。

私も日本人ですから、そんな「THE・日本人」な気持ちも分からくないっつーか、リアルではそんな選択をせざるを得ない場面だらけですよ。

んでそんな中での、一人の(言葉による)明確な意思表示だからこそ、心の底から嬉しかったっつーことです。

ハイ。

ありがとう、でじおばさん!!(※ツイートリンク、ご迷惑だったら消しますのでお手数ですがご一報下さいまし。)

じゃ、おやすむ~!!

ありがとうはてなブログ【休筆のお知らせ】

さてとポテト。

そろそろこの場では私が書きたいことがなくなってきました。

今の世界は、「青にならない赤信号」を待っているようなものです。

ただ信号の色だけを見て黙って待ち続けるのか。

おかしいなと思って別の道を探すのか。

一緒に待つ人たちと不平不満を言い合うだけなのか。

自分の目で、信号の色でなく目の前の安全を確認して渡るのか。

一人ひとりが、自分の判断でどうするのかを選ぶしかありません。

信号は誰かが決めたルールです。

生まれた時から「当たり前」とされたルール。

青にならない信号にいつ疑問を感じるのか。

疑問を感じることはないのか。

青にならないことに気がつくのか。

青にならない理由はなんなのか。

このまま従い待つことが、自分の人生を豊かにするのか。

従い待つことは、本当の自分の選択なのか。

見るべきは、信号の色でなく目の前に続く道です。

自分以外の道の先は見えません。

自分の道もおぼろげにしか見えません。

私は自分の歩く道の先に目を凝らして、赤信号を渡ることにします。

じゃ、おやすむ・・・

(純白のペンを舞台に置いて立ち去るやすむ)

~ fin ~

いやいやどーですかこの信号のたとえ!?

私にとってこのはてなブログという場所は、その時の感情を雑に吐き出せる場で、それはそれで今でも大切なものではあるんです。

が、それってのは、読み手との間にある程度共感らしきものが感じられてこそのことで、(どちらがどうということ抜きに)自分自身が「常識」という名の既存の価値観から逸脱していることが明確になった今、(あくまで私が勝手に感じるものとして)なにかが離れてしまったワケです。

このプラットフォームがあり、共に参加する皆さんの存在があり、受付の陰でブログが書ける環境があったおかげで、コンスタントに自然にブログを書く習慣をつけられたのは、私にとって大きな財産です。

そんなワケで、とりあえずはてなブログを完全にやめるってことでもないつもりですが、せっかく気取った信号のたとえも思いついたし、一応その辺を明確にしときたいなと思いまして。

つってすぐまた雑念を吐き出しにくるかもしれませんけどね。

まぁとかなんとか言いつつ、私はいつでも「私の墓」にいますから。

じゃ、おやすむ~!!

意識不明の現役プロ野球選手死亡【ワクチンとの因果関係不明】

いやはやショッキングですハイ。

どうしたって報道せざるを得ませんね。

www.sponichi.co.jp

現役のアスリートです。

人一倍どころか人十倍ぐらい健康には気を使ってたことでしょう。

誰でも同じですけど、ワクチン打つ打たないってのが、もはや本人の本心の選択とは別の判断になってます。

常識とかマナーのために、自分が負えるリスクを慎重に考えよう。

ってまぁ、もうたいがいの人は打っちゃってるんですかね。

にしたって、少なきゃ少ないだけマシですから。

これから変異株だなんだで、追加接種とかなってくでしょうけど、ワクチン打てば打つほど変異してくだけですから。

で、自前の免疫でやってる人にとっては、変異して感染力が強くなるなんてのは、「感染拡大=弱毒化」が感染症の原則ですからして、なんにも恐くないんですよ。

恐いのは人間の方で。

ただ、ワクチン打ってる人にとってはそうでもないっぽいんですわ。

(正常なら)基本なんにでも対応できるはずの免疫が、変異前の新型(旧型?)コロナ専用になっちゃってるかもしれないみたいでしてね、するとどうなるかって、弱毒化した変異ウィルスでもバッチリやられちゃうかもしれないってなことで。

すると結局、変異した!また次の打て!また変異した!また次!ってののループです。

で、恐いから、みんなやってるから、言われた通りにしちゃう。

死ぬまで続くワクチンのサブスクやん!

あ、無料ならいいのか。

恋をしたあの日のオジさん

f:id:suzukiyasumu:20210729155945j:plain

夢のあのコ

さてとポテト。

昨日見た夢。

その夢を見たこと自体すっかり忘れていて、ふと思い出し慌てて書き留めている。

ほとんど忘れてしまったが、いいとこだけ思い出したので、落ち込んだ時に読み返そう。

はい夢スタート!

どうやら私は、(現実の誰でもない)女の子と付き合いたてみたいな様子。

夢の中では、芸能人の誰かに似てるなと思ってたんだがサッパリ忘れてしまった。

そのコは若くて、私は現在のオジさんのままだ(だけど心は若者同士っぽい)。

そのコと私が私の家にいる。

その時に「私と一緒にいる今をとても尊いものと感じてくれている空気」が伝わってきて、心がジュンジュンした。

ほどなく、母親が帰ってくる(子供部屋オジさんかい!)。

母親とそのコは初対面。

母親がそのコを呼びよせ、少し遠くでのやりとりが私の耳に届いた。

母「(息子のこと)好きなの?」

そのコ「ハイ!」

屈託のないまっすぐな返事に、これまた私の心はジュンジュンした。


ハイ、覚えてるのはこれだけ。

でも、ハイライトを思い出せたのでよかったです。

以上、オジさんの恋の、夢の、話でした~!

もう一度、あのコに逢いたい・・・

じゃ、おやすむ~!!

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

「ワクチン接種で100ドル支給」=「謎の注射打ったらもれなく1万円プレゼント!」

さてとポテト。

こちらのニュースどーぞ。

www.nikkei.com

もうヤケクソやん。

どんだけいかがわしいのよ。

いやね、陰謀論どうこう置いといて、どこの国でも政府のやってることおかしいと思いませんか?

最初からず~っと。

ワクチン接種で感染抑えられてるデータもないのに。

その逆の(テレビじゃ見せない)データならあるけど。

7月21日に国立感染症研究所からワクチン接種後の疫学調査が出ました。言い訳がましい書き振りですが、少なくとも「ワクチン2回接種後14日以降もウイルス感染が認められる」「ワクチン接種者にも二次感染を否定できない」「重症化抑制効果は評価できない」などが報告されていました。ワクチンの効果がないことや重大なリスクはもはや隠せない 〜 国立感染症研究所の報告や、アルバニア政府とファイザーとの契約書から - シャンティ・フーラの時事ブログ

国の公的機関が「ワクチン打っても感染しますよ」って。

これが元ね。

新型コロナワクチン接種後に新型コロナウイルス感染症と診断された症例に関する積極的疫学調査(第一報)

どうしてそんなに打たせたいのか、どうしてそんなに打ちたくないのか、両方の立場で考えてみましょ。

疑問持ちましょう。

その疑問どおりに行動しましょうよ。

周りばっかり見てないで。

ま、それだけ。

東京泥水オリンピック開催中!

f:id:suzukiyasumu:20210728190735j:plain

さてとポテト。

オリンピックやってますね。

私はニュースで見るぐらいですが。

にしてもヒドいもんですねぇ、海。

 ガンジス川かい!!

 いや綾瀬川かい!!※日本一汚いドブ川 綾瀬川がきれいになった

 嘔吐については、水というより暑さじゃないかみたいな話とか、はたまたトライアスロンに嘔吐はつきものだとかも。

news.nicovideo.jp

どっちにしたって、よくコレで開催地に選ばれましたねしかし。

選手の皆様ご苦労さまです。

ってコレ、日本でなけりゃ選手団でボイコットとかしてるんじゃないですかね。

なんつってまぁ、これ以上特になにを言いたいってこともないんですけどね。

(ひねり出し中)

私の中でオリンピックといえば、ドリームチームね、バスケ。

同じ人間とは思えませんでしたよ。

んでもその後、回を重ねる毎にどこの国もいい勝負になってくんだから、これまた人間ってすごいなーってなりました。

あとはあとは、世界陸上だったような気もしますけど、カール・ルイスとなんとかパウエルの走り幅跳び対決、あれは当時なんだかやけにコーフンしましたよ。

ただ「走ってどれだけ遠くに飛べるか」をテレビで見てるだけで熱くなれるんですから。

桜庭とグレイシーの対決とかも。

suzukiyasumu.hatenablog.com

なんかもう、ああいう(お手軽な)ワクワクとかコーフンとかないんですかね~。

いやはやこのまま、昔なつかしみオジさんで死んでいきたくないものです。

じゃ、おやすむ~!!

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」