さてとポテト。
今頃松ちゃんどうしてますかね~(無責任)。
松本人志個人として告訴と。
こちら、文春の元編集長の「この手の裁判の実際」が分かりやすいです。
わざわざ事実無根なんてツイートしちゃったばっかりに、もう言い張るしかなくなっちゃってね。
活動休止もそうで、「裁判に注力するため」とかやっぱりわざわざ言っちゃうから、このままなら裁判終わるまで出てこられなくなるし。
でこういう裁判は数年かかってもおかしくないらしいので、おそらく早々に方針転換するんじゃないでしょうかね。
あくまで文春の内容がウソかホントかだけの話で、今後さらに着々と積み重ねられていくであろう負のイメージを判決で覆せるようなもんでもなさそうですし。
でさらに、吉本の「ワシら知らんで」感が漂ってますよね。
まぁあの泣きボクロからの成り上がりっぷりからして、社長になってもペコペコし続けなきゃならん、松ちゃんの存在は(看板商品とはいえ)ジャマだったろうしな。
大崎会長も去り、松ちゃんも引退となったら、(吉本がこの荒波を生き残れれば)未来は岡本興業ですから、会社としての訴訟にしなかったのもその辺りがあったりするのかもしれません。
ホントに松ちゃんのツイッターは(本人にとっても)悪手の連投で、こんなに頭の回らん人だったのかってのはまあまあ残念で。
んでまぁ活動休止しましたと。
こっからどうする。
とりあえず紳助には相談してるでしょう。
紳助は「ようこそ」なんつって引退を勧めるでしょうけど、松ちゃんは(何年後かには引退するかもとか言ってたみたいだけどただのカッコつけのようにも思えるし)多分このタイミングでは引退したくないんでないかなと思うんですよ。
まー分かりやすく負けたっぽいし、そういう潔さもない感じしますし、なにより君臨し続けるつもりだからこんだけ息巻いて裁判するんでしょうしね。
けど、それでも一番現実的な選択肢になるんじゃないでしょうかねぇ、芸能界(テレビ)引退。
紳助なんかはその辺、頭の中で先回りして、あくまで自分基準で「通用しない」と思えば解散するし引退するし、潔かったですねー。
その点松ちゃんは、ただ「笑いのカリスマ」の座に居座り続けちゃってただけってのが、文春ついでにボロボロ露呈しちゃってて、私みたいな「世代」の人間がなんとなく不本意な感じなのはその辺なんだろうな。
「(世代の人間からすると最もどうでもいい)ここ十数年の松本人志」と「過去作品の切り取り(プライベートの過去でなくて)」で、なんか我々個人個人の歴史や人間性も全部ひっくるめて否定されてるような感覚っつーかな。
だからな~んか言いたくなるんですよね、私も含めその世代の人らはきっと。
ここ十数年の松ちゃんという点では、たとえば現役芸人で言うところのM-1みたいな明確なものでなくとも、ある程度のスパンで「健在」を証明をしてこなかったツケですよね。
まぁそれが「映画」だったのかもしらんけど、するとつまり己の存在意義を(あくまでざっくり世の中に)証明できてなかったワケです。
なのにその辺うやむやのまま、気づいたら御意見番とかマスコットみたいな手軽なお金稼ぎばっかりでね。
そんな中でのコレだから、ここまで反感買ってるんでしょう。
さてそんなんで、このあとどうする?!ってのをさらに好き勝手に掘り下げていきましょー。
まず裁判は勝っても負けても、もはや世間のイメージが大きく変わることはないでしょうねぇ。
この時代、一度ついてしまったこのイメージから、正面突破で完全復活はもう現時点で厳しそう。
あるとすれば、(タイミング的にもう後手でしょうが)前に書いた「セックス依存症」とかさ。
ありそうな話とかでは全然なくて、ただの私からの提案ね。
これだと、一番のネックである「イメージ」の部分でそれなりにリカバリーできるような気がしなくもないんよな。
一定期間休んでも治療っぽくできるし(どんな治療か知らんけど)、謝罪して和解済ませて、「お恥ずかしい話で・・・」ぐらい下手に出て復帰すれば、まぁ一応は芸能人には戻れそうじゃないですか。
世間のイメージはともかく、近しい仕事仲間は気を使ってこれまで通りに接してくれるでしょう。
でもやっぱ厳しいか。
セックスどうこうより、女を軽く見てる感とか、言ってる(とされてる)ことの気持ち悪さですもんね。
大衆はそこを認めさせたくて謝罪させたくて騒いでんのに、「闘いまーす」じゃ火に油でしょ(そういうのがカッコいい時代じゃないというか、今のポジションでそのスタンスだと権力がチラつくだけなのとかがやっぱ感じ取れてないのが哀しいんですよねぇ)。
そんなんだったら開き直りきって、時代と逆行するぐらいのスタンスで出直したら、(元々の世代の人間も改めて巻き込んだ)新たな支持層ができるかもしれませんよ。
もしくは改めて総スカンか。
もう「笑いのカリスマ」にも「みんなの松ちゃん」にも戻れないけど、ヘコヘコしたくないならそっちで貫く方がいいんでないかなと。
なんかでも次課長河本とかチュート徳井とか空気的に見てらんなくなるけど(そこまでの悪行でもないのにこうなるってことは「自分たちはちゃんとやってるのに」っていうズルを許さない大衆の心理なんやな~)言わば大衆の犠牲者で、松ちゃんもそうなるしかないのかねぇ。
ホント恐るべし大衆。。
んで、パッと思いつくのはYouTubeですけど、な~んかここも、出ようと思えばテレビに出られる(出られた、ですね)大物芸能人だったわけで、本人的なプライドの問題で二の足踏んでるんじゃないかなと。
テレビ東京に出ないのと同じ感覚で、YouTube(とかAbemaとか)も鼻で笑ってるとこあるんでしょうけど、そういう(世間の認知の変化との悪い意味での)ズレを微調整できてない辺りが今回の件にも繋がってますよね。
迎合するような意味合いでなく、そこの感覚を共有できてないと笑えないし笑わせられないみたいなとこのズレね。
そういう感覚的なとこを捉えて、NSC一期生の師匠のいない漫才師ダウンタウンが出てきたはずなんですけどもねぇ。
並べるのはちがう感じしますけど、今なら例えば、未開のルートから出るべくして出てきたみたいなとこでいうと、ダウ90000とかなんですかね(私はオジさんなのでイマイチ知らんしなんか笑えませんけど)。
で佐久間さんみたいな人は、芸人に限らずCreepy Nutsだとかその辺もちゃんと抑えてて、やっぱオジさんでも時代に対する嗅覚みたいなものが利いてますよね。
マスにも通じて、ちゃんと面白いとか、ちゃんとセンスいいとか。
そんな諸々を踏まえて私が用意してみた松ちゃん的に都合のいい展開としては、紳助巻き込んで、紳助のアイデアに乗っかって、受け身でなんかしらやりつつイメージ回復を図るってな感じはどうかなと、原則テレビで。
いやなんならドキュメンタリー映画とか、今から密着して。
そこで、今まで見せてこなかった弱い一面とか見せたら、大衆はきっと狙い通りの反応しますよ。
紳助は引退こそしてますけど、それこそ根がヤクザなワケですから、堅い信頼関係が続いてる業界関係者はしっかりいるでしょうし、なんかもう堂々と味方になれる芸能人いないでしょ。
でもおそらく(ここまで出てこない)紳助自身にそんな気がなさそうか。
となると、手近で思い通りになる宮迫ですかね。
宮迫のYouTubeに降臨ってのは、安易だけど引退以外の一番あり得る選択肢じゃないかなと。
まーでも、出てなに言うのよってとこで、(ここまでの松ちゃん本人の自己判断っぽい行いからして)リスクの方がデカいけども、表現者が表に現れないでどーするってのもあるし、(引退しないなら)とにかく姿を現さないとどうにもならんワケで。
でもコレ、テレビにお払い箱にされた元芸能人たち(とかテレビに向かないけど腕のある芸人とか、はたまたテレビに価値を感じてない若い世代とか)が力を合わせ(られ)れば、なかなかの「新しい形」になれるんじゃないですかね??
まぁ(今回だけでいえばイメージ的に)ロクでもないメンツにはなるけども、本気でなにかを創ろうと思えばできない人たちじゃないでしょうし(がしかしブレーン次第ではメチャメチャ時代遅れなコンテンツでドヤッてるのも目に浮かぶ)。
文春が芸能界や政界その他公的な権威に対しての必要悪なら、(白々しいばかりの)テレビに対する必要悪みたいな感じで、(個人個人でなくある程度の規模で動き出せば)なかなか意義のある動きにも見えてくるような。
とすると、素人は参入できず、基本無料オリジナルコンテンツでやってる(んだよね?)AbemaTVなんてのは、なかなか絶妙な立ち位置で、これを機にYouTubeと地上波テレビの間の気軽かつ準公共的な感じのテレビ放送という文化をしっかり確立できるかもしれませんよ??
だってテレビがそんなにいいもんかって、もはやそんなことないでしょ?
朝方の通販番組の芸能人とか、あんなに自分にウソついて心を殺し続けてもアレにしがみつくしかないって。
とか、いつからか定着した番組で提供テロップが出てる時に演者の服とかセットの文字にモザイクかけるのとか、どんだけスポンサー様なのよ。
アレの極みで、WBCの特番で代表選手のユニフォームのJAPANの文字にモザイクかかってるの見た時は「なにこの国??」ってなりましたよ私は。
松ちゃんの活動休止だって、裁判なんて口実であってスポンサーが降りるから芸能活動続けられない(お金にならない)だけでさ。
極論、テレビって「広告」と「世論誘導」のためにあるものってのが、さすがにもう露骨すぎて。
そんなこんなで、文化としてのテレビの立ち位置も個人的には相当胡散臭いものになってきてねえかなと。
ネットで言う、こんな広告クリックするかよ?!みたいなのとたいして変わらん。
さ、脱線しましたので松ちゃんに戻しましょう。
とかそんないろいろを勝手に想像してて改めて思うのは、あんまり自分から大きいことを仕掛けたり、周りの人間引っ張ってくような、リーダータイプ親分タイプじゃないんでしょうね。
なんか結局は誰かが担いでくれないと動けない人で、タイプ的にふさわしくないポジションに居続けてしまったというかな。
とか、若年期のコンプレックスってのはホントやっかいやなってのもスゴく思いますよね。
貧乏(金ない)、ブサイク(モテない)、もやしっ子(ケンカ弱い)ぐらいの、まぁよくあるコンプレックスが、(世間的に)ここまでの存在になっても満たされないんだから。
でそれを金や地位でどうにかしようとするしかない(収め方を学ばない)辺りが、やっぱり時代にそぐわないのかなと。
まー本人のやってきたことですけど、なんだかんだで受け入れてきた社会も同罪ってな感覚でいますよ、私は。
んなとこ。
じゃ、おやすむ~!!