Valentino SS18
Valentinoの2018springsummerオートクチュールコレクションがファッション通信で放送されていた。
そこまで興味をもったことのないブランドだったのだが、びっくりした。
あまりにも美しく、優雅だった。
威厳を感じさせる。
すぐにネットで調べた。
色使い、シンプルなのにひねりのあるシルエット、美しい生地を使っているのが本当によくわかる。
様々な色、柄を取り入れているのに不思議と一体感がある。
ストンとしていてスタイル良く見えるシルエット、クラゲや鳥の巣のような歩く度にフワフワ揺れる帽子が可愛い。
カラフルだが、一つ一つのアイテムが落ち着いた色味でキツくない。
私好みの色使いだった。
最近のコレクションでは、どのブランドもデザインが低年齢化しているのを顕著に感じられる。
しかし、このコレクションは古き良きオートクチュール、かっこいいおば様が着るハイブランドという私のイメージのままで素晴らしいコレクションを披露した。
歳をとったらこんな素敵な服が似合う人になりたいという私のハイブランドへの憧れを消さないでくれた。
今回のコレクションで、Valentinoをかなり好きになった。
次のコレクションも大いに期待したい。
ブログによる変化。
三日坊主になるところだった。
この言葉の三日って本当に的確な日数だと思う。
はじめてまだ3記事しか書いていないが、案外大変なのだと感じた。
考えていること、書きたいことはたくさんあるのだが、うまい言葉をみつけてまとめあげるというのが難しい。
頭の中身はどんどん去っていってくるくる変わる。
手が追いつかない。
説明できなくて諦めた、言葉にできないものがたくさんある。
自分の語彙力の無さに驚いた。
自由に書いていい場所なのに、全然自由に書けてない。笑
1000字くらい余裕だと思っていた。
作文とか小論文を書かされていた学生時代は、なぜあんなに書けたのだろうか。
時間も、テーマも定められているのに。
最近は、大事なメールくらいでしか、文章を一生懸命考える機会がなかった。
なまりきっている。
まずは、使える言葉の量を増やさなくては。
全体のバランスや構成はともかく、思っていることをピッタリな言葉で表現できるように。
せっかく、どんなことでもいくらでも書いてもいい所で書いているのだから、贅沢に楽しみたい。
だが、はじめて本当に良かったと思っているし、続けていきたい。
明日で途切れる可能性も十分あるけど。
ほんの少しでも、今一番言葉にしたい事柄じゃなかったとしても、ここに吐き出すことができるのはありがたい。
今までダラダラしていた時間を当てて書くと、多少の達成感とスッキリ感がある。
時間を無駄にせずに過ごせたぞという嬉しさがある。
得るものはないかもしれないが、ギュウギュウになっていた心や頭に隙間を作ることができる。
私にとっては大きな成果だ。
これでまた吸収できる。
心に余裕をもてる。
頭の中を大きく占めていることではない些細な事柄と思っていても、ふと思ったこと、おぼえていたことを書くだけで、こんなに気持ちが落ち着くとは思っていなかった。
もっと早く気づけば良かった。
ここ数日、映画とか動画を結構観ているが、書きたいのにちゃんと書けそうになくてどんどん後回しになっている。
楽しくなってきたのだから、もう少し時間をかけてじっくり書きたい。
■
私たちはスーパーマーケットで暮らしていた。
スーパーといったら、どこも同じようなものだ。
四角い店の中に、綺麗に棚が並んでいる。
しかしここでは違った。
店内一つ一つにそれぞれ個性があった。
色々なスーパーを渡り歩き、寝泊りし、店のものを食べて暮らした。
皆がそうしていた。
定住はしない。
しばらく居たら、別のスーパーへ移る。
スーパーからスーパーへの移動は、移動に使うために自分たちが持っているバスを使った。
目的地のスーパーに着くまでは、バスの中で暮らした。
あるスーパーに居た時。
そこは薄暗く、緑と紫の照明が灯り、黒っぽい布がたくさん垂れ下がった天井の低い店だった。
立つと、背の高い人間は頭がついてしまうくらい?だった。
かがんで生活しなければいけないくらいだったかもしれない。
そこで生活し始めたばかりの頃だった。
外で銃撃戦が始まった。
誰と誰がなぜ戦っているのかはわからない。
関係のない私たちは店の中で過ごし、外にいて同じく関係のない人々は大きな荷物ロッカーの中に隠れた。
店の中は安全だったが、ロッカーは銃で撃たれていた。
ロッカーから引きずり出されて、撃ち殺されている人もいた。
私たちは店を出て、遠くに逃げることにした。
父親の知り合いで、仲間の人達が迎えに来てくれた。
バスに乗り込み、店を脱出した。
外は戦いでめちゃくちゃになっていた。
戦いをしている人々は、私たちには興味がなかったらしい。
銃弾が飛び交い、壊れていく街を眺めながら、私たちはそこをバスで通り過ぎた。
ディズニー映画とディズニーランド
今日観た映画は、『モアナと伝説の海』。
ディズニーアニメは面白くないことがないので、だいたいチェックしている。
ピクサーだと、映画館で観なきゃって気持ちになるんだけど、そうでないのはDVDが発売してから観ることが多い。
正統派であるディズニーは、面白いけど私好みではないというイメージをもっている。
ディズニーが嫌いとかでは全くなくて、ディズニーランドとかめっちゃ行くし、大好きなんだけれども。
明るく楽しくポジティブにキラキラ〜みたいなのが、自分のテンションに合わないのだ。
一日パークを楽しみまくっても、夜のショーとかを観ると辛くなる。
夢の世界と自分とのギャップが強すぎて、シュンとしてしまう。笑
あと、小さい頃から感じていたことがある。
パークに着くとすごく緊張するのだ。
怖いと言っていいほどに。
自分以外みんな楽しくなって、置いて行かれたらどうしよう。
この中ではぐれたら、自分がいなくなったことそっちのけで楽しんで、誰も見つけてくれないんじゃないだろうか。
周りにいる人もとっても楽しそうだから、迷子に気づかず助けてもらえないんじゃないだろうか。
というような不安に駆られるのである。
はじめのうちだけのことで楽しさが勝てば不安は消えるのだが、大人になった今でも少しそんなような気持ちがよぎる。
非現実的な空間と、周りの勢いに圧倒されてしまうのだろうか。
とか色々言いつつも、ディズニーの世界観を楽しんではいる。
この間も、やはりDVD発売後だがズートピアを観てかなりはまり、ブルーレイを買ってしまった。
動物好きには、たまらない世界だ。
可愛くてしょうがない。
『モアナと伝説の海』も、期待通りハズレなしの作品であった。
特に、南の海の透明感、植物の濃く鮮明な色が美しかった。
実際の景色よりもずっと強い色なのだが、キツく見えない。
モアナ達が住んでいる島にある滝に隠れた入江、あんなところに行ってみたい。
海底のシーンも好きだ。
恐ろしい場所で毒々しい、美しいが一瞬の気もおけない。
けれど、気分の上がる色の中で暮らす住人達は案外楽しそうに思えた。
大海原に小舟でひとりぼっちのシーンの方が私的には怖かった。
伝説を元にストーリーが展開していくので、ファンタジーでも入り込みやすかった。
驚いたのは、ディズニーヒロインの定番である動物の相棒?が自分が予想していたキャラじゃなかったこと。
かなりの間、本当はやっぱりあの子なんでしょ?絶対そうでしょと思いながら観ていた。笑
それから、マウイがあまりに子供っぽいキャラだったこと。
たくましくて、威厳のある見た目とは全然違って面白かった。
登場するいわゆる敵キャラ達が皆憎めないのも良かった。
ココナッツの鎧の海賊カカモラが一体なんなのか知りたい。
書き出す。
人生初のブログ。
頭の中がぐるぐる動き続けていて、眠れない。
容量がいっぱいで、テレビを観るのさえ辛い。
これ以上何も入れたくない。
何らかの方法で、整理し、吐き出さなきゃと思い、はじめることにした。
ノートでも別にいいんだけど、すぐ続かなくなって、ノートも捨てて、なかったことにしちゃいそうだから。
残るし、もしかしたら誰かみるかも。
そういうのがあったほうが、怠けずにできそうで。
書き出すことで、自分の今まで気づかなかったところを知れたらと思う。
好きなものごとは、映画鑑賞、ファッション、生き物。
とにかく観るのが好き。
観て、感じて、自分の中に溜まっていったもの達をここに書くことで、もやもやどろどろまとまらない気持ちを掻き出して、また新しいものを入れられるようにしたい。
だから基本的には、今日観た映画、印象に残ったコレクション、好きな本とか、日常、ぐちゃぐちゃ溜まった気持ちとかを適当に書いていくつもりだ。
今まであまりしてこなかった、アウトプットをしていこうと思う。
まだもう少し何か書きたいけど、うまくまとまらないからもういいや。
少しずつ慣れて、習慣にしていこう。