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生きづらい人生を、本を頼りに攻略中。

あなたは誰の人生を生きているの?『嫌われる勇気』

「自分のことが好きな人」なんてホントにおると?

そんな疑問を抱いている私は自分に自信がありません。
「相手を傷つけるかも。逆に傷つけられるかも。」と常にビクビクしている臆病者で、人とは薄~い付き合いしかできません。怖くて。

嫌われないように相手の顔色を見ながら言葉を選ぶ。そうすると、自分の言いたいことが言えない。その上、相手と別れた後は「余計なこと言っちゃったかも・・・」と落ち込む。人といるだけで非常に消耗してしまいます
もう面倒くさいから一人でいいよ!なんて思ったりもするけど、やっぱり一人は寂しいんだ。

そんな自分を変えたくて、書店で「嫌われる勇気」を手に取りました。

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はじめまして。「自己肯定感」低い系女子のmai(@takato_mako)です。

自分嫌い拗らせ女子の私ですが、「嫌われる勇気」のおかげで自分自身のことを受け入れられるようになれた気がします。生きるのが物凄く楽になりました。

紹介するのも憚られるほどのベストセラーですが、心に刺さった点についてまとめてみます。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

「嫌われる勇気」について。

 この本は「アドラー心理学」というものに精通している「哲人」と、自信が無い自分を変えたいと思っている「青年」の二人が対話をしている様子についてまとめられています。

ちなみに、「アドラー心理学」というのはアルフレッド・アドラーさん(1870ー1937)が創設した心理学のことらしいです。心理学レベルほぼゼロの私でも何の問題もなく最後まで読めましたが、詳しく知りたい方はWikipediaをどうぞ

また、声優さんに興味がある方がいらっしゃいましたら朗報です。極上ヴォイスが7時間も楽しめる「オーディオブック」も出ています。(CV:井上和彦細谷佳正

pages.audiobook.jp

 

「青年」に共感した方に是非手に取って欲しい。


さて。以下、われわれの代弁者である「青年」の主張です。

読んでいて、「なんだか胸が苦しくなってきた」という方に是非オススメしたいです。

青年「わたしは自分が嫌いです!どうやっても短所しか見当たらず、好きになる理由が思いつかない。でも、当然ながらわたしだって自分のことを好きになりたいのです。」

青年「自分に自信が持てず、すべてに対して悲観的になっている。それに自意識過剰なのでしょう、他者の視線が気になって、いつも他者を疑いながら生きている。自然に振る舞うことができず、どこか芝居じみた言動になってしまう。」

青年「わたしは怖い。対人関係のなかで傷つきたくない。自分という存在を拒絶されるのが、怖ろしくてたまらないんです!」

青年「われわれ人間は、常に他者からの承認を必要としながら生きている。わたしは両親から認めてほしかったのですよ!」

青年「なぜ嫌われてしまったのか、自分の言動のどこがいけなかったのか、もっとこういう接し方をすればよかったんじゃないのかと、いつまでもくよくよと思い悩み、自責の念に駆られます。」


わかりみが深い。それな!の A-RA-SHI です。 

今が不幸なのは「過去のわたし」のせいじゃない。


「人付き合いが恐ろしい」と思ってしまうのは何故なんだろうと考えたとき、私から出てきたのは「子どもの頃の環境のせいだ」という答えでした。

そして、その原因を突き詰めていけば問題は解決すると思い、自分の中のトラウマをほじくり返すことにしました。そうすることで過去の自分が癒されると思ったんです。しかし解決どころか、悲しみが溢れて憂鬱になるわ、家族に対する憎しみが増えるわで、良いこと無し。
だけど、そんなの当たり前ですよね。過去ばかりに目を向けていても今が変わるわけないのに、どうして気が付かなかったんだろう。

アドラー先生は、「今が不幸なのは昔のトラウマのせいだ」という考え方を否定しています。そして、わたしが今コミュ障であるのは、なにか目的があって自らそうなろうとしていると言うのです。(!?)

あなたは他者から否定されることを怖れている。誰かから小馬鹿にされ、拒絶され、心に深い傷を負うことを怖れている。そんな事態に巻き込まれるくらいなら、最初から誰とも関りを持たないほうがましだと思っている。つまり、あなたの「目的」は、「他者との関係のなかで傷つかないこと」なのです。

では、どうやってその目的をかなえるのか?答えは簡単です。自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。そうやって自分の殻に閉じこもれば、誰とも関わらずにすむし、仮に他者から拒絶されたときの理由づけにもなるでしょう。わたしにはこういう短所があるから拒絶されるのだこれさえなければわたしも愛されるのだ、と。


さまざまな口実を設けて、人生の課題から逃れようとすることを、アドラー先生は「人生の嘘」と呼んでいます。

わたしは、昔の環境が悪かったという言い訳をすることで、今、変わる為に努力することから逃げていたのかもしれません。

わたしわたしは悪くないよ!だって過去にこんな辛いことがあったんだも!」

アドラー先生「そなたがコミュ障なのは、傷つきたくなくて他人と関わらないようにしているからであろう?過去のせいにして、悲劇のヒロインぶるのはよしなさい。

こんな感じだろうと理解しました。

 あなたは誰の人生を生きていますか?


さて、昔のことをくよくよ考えるのは止めようと決めたけど。では、どうすれば今を変えられるのか?今までも、コミュ障脱却を目指して会話力を高める本等を読んだこともありました。
それらを実践して、以前よりスムーズに人と話ができるようになった気もするけど、人といると何故だか疲れちゃう。その理由がやっと分かった気がします。

他者の視線を気にして、他者の顔色を窺いながら生きること。他者の望みをかなえるように生きること。
これは非常に不自由な生き方です。では、どうしてそんな不自由な生き方を選んでいるのか?

要するに誰からも嫌われたくないのでしょう


わたしは昔から、母の顔色ばかり見ている子どもでした。
母の話を聞きながら最適な返事を模索する日々。リアルときめきメモリアル
わたしのひと言で母が笑顔になれば、わたしも喜び、悪い印象を与えたときには、わたしの気分も落ち込みます。常に母の機嫌に振り回されていました。

その成果なのか、今でも話し相手に全力で寄せにいってる。おかげで自分の意見が言えない。(というか、自分の意見なんて持っていないのかも・・・。)

「本当の自分を見せたら憧れの彼に嫌われちゃうかも!」と背伸びばかりしている女子学生のような状態だったから、人といると気を張って疲れちゃってたのかな。
そんな私にとって、アドラー先生の一言はめちゃくちゃ衝撃的でした。

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。

他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。


「怒られたくない。」
「嫌われたくない。」
「褒められたい。」
「認められたい。」

そんな想いに取り憑かれたわたしは、常に自分を隠して相手に擬態する虫のように生きてきました。
そのおかげで嫌われずにやってこれた関係もあるかもしれないけど、嫌われないからといって「今が幸せだ」なんて微塵も感じられません。むしろ生き辛い。
それに、当たり障りのないわたしは、嫌われない代わりに特別好かれもしないんですよね。面白みがないからかな。

このまま満たされない悲しい人生を送るくらいなら、わたしのことを良く思わない人が出てきたとしても、ありのままに生きてみようかなと思ったのです。他人からの評価なんか気にするのは止めてみよう。

嫌われることを怖れるな 

 

まとめ。


わたしが今まで読んできた本は、「小さい頃に優しさをもらえなかった子は、大人になって○○になる」というような、語り始めのものばかりでした。
だから、「嫌われる勇気」を開いて驚きました。「過去は関係ない!トラウマなんて嘘だ!」なんて初っ端からぶっ込んでくるんですもの。

この本は、読者が「他者から嫌われる勇気」を持つために、あらゆる手助けをしてくれます。わたしも、このブログを書くために何度も読み返しましたが、まだまだ学ぶところが沢山ありそう。

最後のまとめに、著者である岸見一郎先生の「あとがき」から、どきっとした一文を。

どうすれば良い対人関係を築けるのかを知らないと、他の人の期待を満たそうとしたり、他の人を傷つけまいとして、主張したいことがあっても伝えることができず、自分が本当にしたいことを断念してしまうことがあります。

そのような人は、たしかにまわりの人からの受けはよく、彼らを嫌う人は少ないかもしれませんが、その代わり、自分の人生を生きることができないことになるのです。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

最後にひとこと。

これからは人の評価を気にせずに「自分がどうしたいか」を一番に考えていこうと決意しました。
・・・と言いましても、今までの思考パターンが離れずに落ち込むことも多々あります。レリゴー精神で生きていけるように、たくさんの考え方を吸収して私なりに発信していくつもりです。
【次回予告】
⋆自分の気持ちをきちんと<伝える>技術
⋆とらわれずに生きるための幸福論 じゃない、幸せ