ここに至るまで
これまで、私がどのように生きて、どんな歩みをして、どんな失敗をしたかをここに綴り、
この様な失敗をしないように、公開したいと思います。
テクノロジーオタクなので、そんな情報も時々はさみなが何故だか急にHatenaを使ってみたくなったので、今持っているブログとは別に書いていこうと思う。
エンジニアへの道の始まり
それは、4歳の誕生日に父親から渡された、Nゲージの機関車から始まる。
直ぐに箱から、レールを取り出し自分で繋げていき機関車を動かした事に親がびっくりし、
この子は、エンジニアに成るに違いないと云う勘違いからスタートした。
サンダーバードのプラモデルも、その歳に作った。この2つは今でも鮮明に覚えている。
このころ、運動神経が回りの子供よりも良くて、ブランコを使って空中返りなどをする活発な子の一面と、部屋でプラモデルを作ったりおもちゃでずっと一人遊びをする一面もある子だった。
小学校に入学した時、叔父にもらった初めての電子デバイス電卓に感動して、
この頃から、電子デバイスや家電製品が好きでたまらなかった。
今でも、ヨドバシカメラ買いたいと思うくらい好きですが(笑
小学校2年の時に、初めてゲルマニュームラジオを作って、
ラジオの面白さにハマり、3年の時世界中のラジオが聞けると言うラジオを買ってもらった。
当時、エクアドル放送、オーストラリアなど各国の放送を聞いたことを手紙で送ると、
リスニングカードなる物が送られてきて、それを必至に集めてた。
3年の後半にアマチア無線のことをしり、世界中の人としゃべることが出来る無線をやりたいと思った。
そこから、独学でもう勉強をはじめ4年生の時電話級アマチア無線技士の試験を受け無事合格した。
試験会場には、おじいさんが連れて行ってくれて、35分位で試験会場から私が出てきたものだから、出来なかったんだと思い込まれ帰る道中慰めてもらった記憶が今なお残っている。
試験は、無事合格してアマチュア無線技士となったが、無線機がないとコールサインが取れない!
親におねだりせずに、何故だか自分で買うと決め、小学校4年後半より卒業まで新聞配達をして、21Mz,28Mhz14Mzが使える無線機と4本のローター付き八木アンテナを購入しコールサインを3年後しで取得した。
JR6PEX直ぐに収録してれば、JH6だったはずだけど今からすればかなりオールドなコールサインだった。
ここから、情報発信の道にどんどんはまっていくことになる。人生の一番の幹となる趣味の始まりだった。