初めての「陰謀論」
昨日書いた記事ですけど
……これって私にとっての初めての「陰謀論」だったと思う。
まあこれに関しては自分の想像だけで勝手に作った「脳内陰謀論」に過ぎないけど。
陰謀論とは?
「陰謀論」とは……ある出来事について、常識的に考えられる経緯や原因の背後に、一般には知られていない特定の個人や組織・団体などによる「策謀、計略、操作」があるものと考える見方のことである。
それには、政治的な力の利用だったり、情報操作だったり、関係者や、時には世論や一般民衆の意向を恣意的にある方向へ導くような働きかけなどが用いられる、とされることが多い。
……よく知られるところでは
① ユダヤ地下政府による、人類支配計画
② ケネディ大統領暗殺の本当の犯人は……
③ 9.11テロは実はアメリカの自作自演
④ マスメディアはフェイクニュースで世論操作している
とか、そういうの。
私は、個人的には(信じてるわけでもないけど)この手の陰謀論を聞くのはけっこう大好きで。
……好奇心だけで好きとか言っちゃうと不謹慎な気もするけれど、まあ。
こういうの「捏造」しようと思えばいくらでも作れちゃうところがあって……真実だとは言い切れないが、絶対に違うとも言い切れないという思考遊戯的なところが、面白いっちゃ面白いと思ってしまうのです。
たとえば、知ってる人には有名な「宇野正美」先生。
あるいは、
こんなの……これだけ見ていると真実に見えてくるから不思議。
と言っても……逆に言うと、私たちが信じているすべての常識だって、本当に根拠のある確かな情報かどうか、別に自分で完全に確かめたわけではない。
その意味では、本当のところ真偽は定かではないわけであって。
(……というふうに考えてしまうところが、陰謀脳なんでしょうけれども)
最近では「やり過ぎ都市伝説」なんかも、けっこう人気がある。ネットなどが普及して、情報が過剰になってくると私たちは必然的に陰謀脳になってしまう傾向があるのではないだろうか?
ノストラダムスの大予言
それで思い出したが、私が子供の頃
という本がすごく話題になっていた。
1999年7の月……空から恐怖の大王が降ってきて、そこで人類は滅亡するというもの。
そして……何も起こらなかった。
それはいいのだけれど、私があるときブックオフに古本をまとめて売り払おうと思って持ち込んだ時……五島 勉著「世紀の大予言」だけが、引き取りを拒否された。
たしかに予言は外れたけど……買取の基準って、そういう問題か?
って、ちょっと思った。
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地球が変な膜で覆われていると信じていた話
もう幼稚園に入った後だったか……もしかするとそれより以前かもしれない。
最初の家は、親父が勤めていた会社(会社というより工場)のすぐ近くにある社員用の社宅だった。
その横に駐車場があって、その頃はすぐ目の前だったから、親父は出勤は徒歩2分。だから、ほとんど常に親父の車がそこに止まっている。
その、自分の家と親父の車の間の幅で言うと1.2メートルくらいの場所で、私は一人遊びをしていた。
……やることないので、私は最初、小石を集めたりしていた。私の中では、ある意味「整地」のようなつもりだった。
ちょうどいい木片を拾ってきて、雑草を根からほじくって除去し始めた。
すると、少し大きめの石があって、私は周りの土をほじくって、取り出すことに成功した。ちょっと大きな穴ができた。
んで、その穴を見ると、一番下のほうに、なにか水玉模様のような少し気色悪い膜のようなものがあるのを発見した。
ビニールのようにも見えたが、私には、もっと厚みのある、ゲル状の層みたいなもののようにも思えた。その水玉模様というのが、少し滲んだような、模様というよりは長年埋まっていたために自然発生したカビみたいなものに思えたからだ。
んで、私はその穴をもっと広げるように土をほじくっていった。もちろん、その正体が何なのかを知りたかったから。ビニール袋程度のものであれば、私の整地技術をもってすればすぐに取り出せるだろうと思っていた。
ところが……ほじくってもほじくっても、それは取り出せるどころかずっと続いていたのだ。これは私が思っていたより相当に大きな膜のようなものらしかった。
(子供なので、おそらく実際は幅30㎝強くらいだと思うが)私は、いくらほじくっても発掘できそうもないこの「膜」いや「層」と呼ぶべきか……それをひとり見つめながら子供心に考えた。
「これは……まずいことを発見してしまったぞ? 期せずして私は地球の秘密を知ってしまったんじゃないだろうか?」
私は考えた挙句……家の中で食事の支度をしている母親のところに報告する決心をした。
これはもはや私が一人で何とかできるようなヤマではない。
……私は恐るおそるその秘密を母親に伝えた。
「ねえママ。庭(本当は駐車スペースだけど)の土の中になんか埋まってる……」
キッチンに立っている母親に向かって背後から声をかけると、母親の背中に一瞬緊張が走ったように見えた。
母親は数秒、振り向かなかったと思う。そして取り繕うような表情を作って振り向いたかと思うと
「はあ?」
……と、とぼけた。
敏感な私はそれですぐに察した。
「大人たちは、本当はみんな気付いているんだ……この何か得体の知れないものの正体に!」
私は、本心を悟られないように冷静を装って身を翻した。
穴に戻ると、私はさらにその穴を広げることにした。その「膜」のようなものがどこまで続いているのか探求しようと思って。
夕飯の支度ができた母親に呼ばれるまで、私は黙々と作業を続けた。といっても、掘れたのは駐車スペースから家の前の道に出るところくらいだったように記憶しているが。
とにかく、私としては相当頑張って、できるだけのことはした。
……これ以上は、個人の力では無理だ。
んで、とにかくその「膜」のようなものは、少なくとも私が掘った範囲ではまったく途切れる気配がなく、まるでどこまでも続いているかのように思えた。
「きっと……地球の内部に何か得体の知れない恐ろしいものが隠れていて、それを封じるために、地球はこの特殊な膜で覆われているんだ……そうに違いない!」
そう確信した私は……しかしそれが一般の人々には知らされることのない
「タブー」
なのだと悟ったので、それ以後、夕飯の時もそれを話題にすることを控えたのだった。
賢明なる幼き頃の私。
なので、この秘密は現在も私たち家族を含む、ごく一部の者しか知らない。
……じゃ公開しちゃダメじゃん!
最高に気持ちいい「耳かき」の作り方
私の家は、自作の耳かきを使っている。
いつからか分からないが、親父が自分で作った自家製の耳かきである。
私が幼稚園の頃に、実家は市内だが引っ越しをした。その新しい家には、初めから親父の耳かきがあったように記憶しているが、幼少のことなので定かではない。
つまり、親父がいつ、あの耳かきを作り始めたのかは知らない。
今度母親に聞いてみよう。
私たち兄弟が子供の頃、耳かきをしてくれる役目は常に親父だった。
親父の胡坐に頭をゆだねて、時間をかけてゆっくり耳かきをしてくれる。私たちは順番を争ってはしゃぎ、兄弟が耳かきをしてもらっている間、横でじっと待っている。
親父もまだ若かった。
その親父は数年前、食道がんで他界した。
古傷のせいで切除が出来ず、最後は誤嚥で結核にかかりあっけなく逝った。といっても、切除が出来なかったと聞いた時点で心底では諦めていたように思う。
今は私にも妻と子がいる。
そして同じように自家製の耳かきを使っている。妻も子も、この耳かきじゃないと取れない、ぜんぜんかけないという。
私はそれを聞くと、なぜか誇らしくもある。
私は、進学を考える時期になってから、とにかく実家を出ることばかり夢見ていたように思う。自分には大きな可能性があり、時間もあり、誰にも負けない何かがあると思い込んでいた。
そして私は半ば無理やりに東京へ進学した。
実家を出るとき、もちろん親父の作った耳かきを持って行ったはずだ。
それはすぐに紛失しやすいのだ。
一度、弟が車を買うとか買わないとかの話から、親父と私と弟とで、大喧嘩になったことがあった。弟が就職先を辞めて実家に戻ってすぐだった。経緯は良く覚えていないが、とにかく親父には俺たちの気持ちなど分からないと、兄弟二人して大泣きした。
それから私はまったく帰省しなくなった。東京に出た手前、それなりの形を付けなければ合わせる顔がないという気持ちもあった。
それで、しばらく市販の耳かきを使っていた。
とにかく、市販の耳かきの「出来の悪さ」だけは本当に辟易した。
私はずっと、みんな、よくこんな耳かきで我慢できるなと不思議に思っていた。
……というか、今もそう思っている。
そもそも、その辺でよく売っている竹製のはぜんぜんダメだ。これではぜんぜん気持ち良くない上、かく部分が太すぎて耳垢が耳の中でばらけてしまうようで気分が悪い。
そこで、金属製のものを買って試してみたが、これもダメだ。かき取る部分の「曲げ」がゆるすぎて痒さが完全に解消できない。
もっとピンポイントで痒い部分に当たるにはかき取るスプーン部分がもっと薄くて、しかも角度が必要なのだ。それに、自分の耳にうまくフィットさせるには、持つ棒の部分も微妙に調整できるように自由に曲げられる必要がある。
……理想の耳かきとはこういう条件を満たすものでなければならないのだ。
妻と出会って東京で結婚し、息子が出来た。私はそうなってやっと実家に帰省することに抵抗がなくなった。おかげで市販の耳かきからも解放された。
実家に帰ると必ず親父の耳かきを持って帰ってくる。
しかし、これがまた必ずと言っていいほど、使っているうちにどこかへ消えてしまう。
もしかすると家中大掃除して探せば、大量の耳かきが発見されるかもしれない。
とにかくなくなる。
これは、地元で結婚した弟に聞いても、今は他県に嫁いでいる妹の家でも同じらしい。
だから、みんなが帰省するたびに持って帰る。
しかし、親父の耳かきは実家に帰れば当たり前のように、いつもの所に置いてあった。
持って帰ってもまた次行くと置いてあった。
私が小学校6年生くらいの頃だと思う。
一度だけ、親父に呼ばれていっしょにその耳かきを作った。
上手くできなかった気がするが。
しかし、今思うと作り方はごく単純で、道具さえあればだれでも作れる。
必要なもの:
① 芯径2mm系くらいの針金(柔らか目のアルミ製か、銅でもよい)
② ニッパー
③ ペンチ
④ 紙やすり
作り方:
① 針金を手ごろな長さに切る
② その先端を金槌か、無ければペンチで平らに潰す
③ そしてペンチでいい感じにぐいっと曲げる
④ やすりでスプーン部分の切断面を滑らかにする
※ 両端を大きめ、小さめと両方使えるようにするのがおすすめ。しかし、この仕様だと非常に紛失しやすい。
……これで出来上がり。
でも、私は最初に一回習ったきり、ずっと自分では作ろうとしなかった。
どうせ親父のようにうまくは作れないのだし、あれは親父が作るものと決まっている。
親父はいつも私の顔を見れば真面目にやれ、兄なんだからしっかりせえと、そればかり言った。というか、ほとんどそれしか言われていない。
実家に帰ってもほとんど親父と話をするでもないし、ただ酒を飲むだけだった。飲んでどっちかが勝手に寝るだけ。
直接はっきりと向き合って何かを話すこともほとんどなかった。
親父が癌だと聞かされて帰省した時、私は親父の生まれた家があった山に連れて行かれ冬支度を手伝わされた。今はもう親父が生まれ育った家はなく、親父が自分で立てた小屋と、畑と、家の墓だけある。
私たちは雪ざらしで冬を越さなければならない木が倒れないように支えを縛り付けた。
その間じゅう、私は考えていた。
親父は自分が癌だと知っても、まだ山仕事をやろうと思っているのか?
それとも、俺にやれと言いたいのか?
墓参りに行くたびに、その時に縛り付けた支えが今もそのまま木に付けっぱなしになっているのが見える。もう何度も冬は越しているのに。
この山や畑や、こんなものを手入れすることなど、私の手に負えるわけがない。
できるのは、かろうじて妻や子が使う耳かきを作るくらいのことだ。
とりあえず、キャッシュを消せと。
えと、設定とか、自分なりには正しい手順で変えたはずなのに、なぜか反映されないなあと悩んだ時は……とりあえずブラウザの履歴(キャッシュ)を消してみると。
それだけ覚えとこう。