バカいってる

これはエポックだ

もう「その人」が破ったのでということは通用しないのでは。

お久しぶりです。

ものすごく、このことについて書きたくなったので書きます。

高木紗友希脱退に関して」です。

私はtwitterもインスタも意図的に見ておらず視野を狭くしているので的違いな意見かもしれませんが備忘録として残しておきます。

 

最近ハロプロでこういう事は増えている印象があります。アンジュルムの太田遥香だったり、つばきファクトリー小片リサだったり。

SNSや恋愛に関しての何らかのトラブルがあってグループを脱退せざる得ない(という選択をする状況)が続いているし、卒業も多い。

 

私は基本的に恋愛を制限すること自体に反対な人です。いくらファンと疑似恋愛というやり方であったり、ファンが彼女らを応援することで経済が回っている面があるとはいえ、それを理由に恋愛を制限するシステム自体に反対です。

 

最近多いな?と思うし、なんでこういうことが続くのだろうと思うと考えたときに、アイドル側の彼女たちがそもそも守られていないと感じているのではないか、そのシステムにいることで強いられることに対して、彼女たちが受け取るものがあまりに少なく、そしてそれを「美学」として回収され矮小化されているシステム自体に問題があるからだと思います。

 

「ルールを破った人」はすぐ脱退したり、何らかの形で制裁を受けるという形が続いていますが、それはその人が悪いことをしたというよりも、もうシステム自体機能不全を起こしているのではないか。

なので例えきつい制裁を加えようが、彼女たちに規制をかけようが、そのスタンスを続けていく限りはこのような事例は続いていくと思います。

 

度重なる新メンバーの加入、卒業脱退というシステムは一見私達、観客側には新鮮さがあじわえるかもしれませんが、環境が変わっていくストレスや負担は相当なはず。でも不思議とそれに対する部分はあまりに議論されない気がします。

 

その後の進路に対する接続、恋愛の禁止、メンバー間同士の人間関係、上下関係だってあるはずです。それは「女社会」だから、「アイドル」だからという要素というよりも、そもそも要求されているものが多すぎるからだと思います。

彼女たちに「苦しみ」を乗り越えるものとして、環境や彼女たちが叶えようとする土台すら整えないで、前向きに明るい、そしてアイドルの美学を守ってください。歌って踊ること、観客の皆さんと触れ合うことが好きなんですよね?というやりがいをかざして、ただ要求するだけしていたら、そのシステムから抜けていく人が増えることは当たり前だと思いますし、それは「その人」の問題ではなくシステムの問題だと思います。

 

アイドルに限らず、「好き」のものに対して、「推し」に対して一人の人間としての観点を持って接していけるか。それは大きな課題だと思います。

なので、今回のこと、そして最近の流動的な新メンバーの加入等、そして恋愛禁止について。

とかげの尻尾切りではなく、根本的に解決しない限りこのようなことは続いていくと思います。(言うのは簡単ですが、その世界観を守るためにこれを守ってくれといって無理な要求をし続けてそれを逸脱したから、罰せられる対象にすぐなりうるというのはちょっと、あまりにもというか、気持ち悪いと思ったので書きました。)

違和感日記⑦ー違国で日記を書くー

今週から韓国に約一年住むことになりました。自分のためにです。

なのでこれからは「違和感日記」でもあり「違国日記」でもあります。

ちょくちょく自分を言語化するためにこの場所を利用して、映し出される自分の姿を見てこようと思っています。

 

①映画「82年生まれ キム・ジヨン」(ネタバレが無いように努めるが以下注意)

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飛行機で見たので途中までしかみていないが、他のものと連結できるように感想を書いておこうと思う。

小説を読んだとき、ジヨンはわたしにとって特権者側にいるように感じていた。おなじ女性というアイデンティティーを持っているが、就職活動には苦労したものの正社員の職があり、その職場で優秀と評価されていて、結婚もしている。仕事を手に入れるか、そして働ける能力があるか不安で、結婚も現実的ではない私にとってはキム・ジヨンの苦悩すら、持っている者の特権に感じてしまった。さらに、彼女の経験することはSNSで普段からよく聞く話であり、韓国特有の文化によるものがあるものの私にとっては目新しいエピソードではなかった。しかし、映画の力を借りて彼女の視線を持つことができた。

特に印象的だったのが女性の描き方だった。

ジヨンの周りには彼女の味方になってくれるかつての同僚、上司、母、姉、そしてジヨンが痴漢、ストーキングにあったときに助けてくれる女性がいた。しかしその一方でジヨンを追い詰める義母、「女の子だから」を繰り返す親戚の女性、直接的ではないものの義妹の存在も彼女を苦しめた。特にジヨンが義実家で家事をしている中、義妹一家が帰ってきて、義妹はジヨンを手伝おうとすると義母はその義妹に対して「夫の家で大変だったろうに」と言ってくつろぐように言うシーンは、女性にふりかかる苦痛はシステムによって作られていることを象徴していた。

私が小説を読んで出てくるエピソードをさして珍しく思わなかったことは、それはある意味彼女の苦悩が私にとって「当たり前」になっていた。その当たり前のために成り立っているシステムには女性の無償の奉仕を前提にしていることを映画では如実にあらわしている。「自然」で「当たり前」で「不変」のようにみえるものは、あくまでも人によって作られたシステムであり、だれかの苦痛を前提として作られていることを気づかせてくれる作品であった。「自然が一番」と言って今あるシステムを維持する側に立つことは差別する側に立つということだということを、実感を持って感じた。

小説の映像化は往々にして、小説のファンには拒否感を示すことが多いが、私のような小説では持てなかった想像力を映像という形で補完してくれるというメリットがあった。必ず最後まできちんと見たい。

そして、私は、「フェミニズム」が、この社会のシステムが不変のものではなく、何かの犠牲にした、誰かの苦しみを前提として作られているということを気づかせてくれる糸口になりうるのではないかという考えに至った。

 

この「システム」の苦しみは、女性の苦しみに限らない(しかし、今現在大きく、深く横渡っているということも事実でそれを矮小化してはならない)私にとってフェミニズムは、自分がシステムの上にたっていることを教えてくれる光、つまり糸口だった。天動説で動かない地面を歩いていると思ったら、太陽の周りも、自分自身も周り続ける地面を歩いていることを知った、それを解明したのは地動説のような積み重ねられた学問だった。

 

私は特性上、人が当たり前に出来ることが何となく出来ないという悩みを長年うっすらと感じながら生きていて、うっすらとした苦しみを持ち続けていた。しかし、その特性は往々にして障害と表されることが多いのだが、その診断がはっきりしてもモヤモヤすることが多かった。そのモヤモヤがきちんと言葉にするのに糸口となったのが「フェミニズム」でだった。私はその時までは環境が幸いして女性として生きる苦しさは殆ど感じたことがなかったのでフェミニズムを学んでも女性の苦しさは少し実感の持たないものだった(その後言葉が与えられて、徐々に内面化していた苦しみが出てくる)、男性中心にシステムが作られており、制度的に排除や被害、支配が行われているということは自身の特性を理解するのに大切な考え方で目からウロコだった。
そのように自身の苦しみは自分の中だけではなく、多くの部分が社会に原因があることを知ることで様々なことの見え方が変わり、そこからフェミニズムのような学問を通して、知ること、言葉を与えていく楽しさを知った。だから女性でなくても「フェミニズム」を知ることができる、ひらかれた可能性を確信できるようになった。


②日本語だけど、違う国の言葉

友人と電話をした。普段自分がこういうコトを感じた(つまり違和感日記にしたためているようなこと)を話した。日々連れ添っている痛みの話、自身が成長したかもしれないということを成果のようにはなす。鏡の前で演説を続けている。そこに数百人の観客がいることを信じて疑わずにいるけれど、そこには誰もいない。けれど辛さを吐き出したところでそこにいる観客に不安を伝播させるだけだ。

結局私は友人と会話をしていたのだろうか。

会話するということはどういうことなのだろうか。日本語という言語をつかって話しているけれど、私の話す日本語は、私が経験した痛み、感情、時間を伴った言葉でそれを日本語という形に仮託している。

違国日記6で槙生が朝に対して自身が書くことについて話したら、朝は「なんでそーやってわかんない言語を喋んの?違う国の人みたい」と言う。朝の言葉は、槙生が「日本語」に仮託して発した言葉で、日本語であり彼女の言葉である。だから朝には彼女の音は、表面上の意味はわかるけれど記号のように感じたのではないかという推測がたった。

文脈というよりもその人の世界と切り離した言葉は、日本語だと「ひらがな」「漢字」といった記号で構成された羅列だろうか。

ネットワークでより世界を身近になったというが、ただ切り離されて無責任に投げ出された記号だけが漂っていて、わかった気になっているだけな気がする。私とあなたの世界は同じだと言いながら、生活している。

 

ある講義で教授が「名前がないものはその世界では”ない”、存在しないんです」と言っていた。この世に「存在」する者はすべて名前があるのだということらしい。

「翻訳できない世界の言葉たち」(Lost in Translation)という本で、「木漏れ日」が紹介されていた。この概念は日本語でしか存在しないらしい。私は木から洩れた光を「木漏れ日」という言葉を持っていなかったらその光の認識していただろうか。

 

翻訳できない世界のことば

翻訳できない世界のことば

 

ellafrancessanders.com

原作者のサイトで発売されているこの本のポストカードがほしい。

 

違和感日記⑥ ー人と住むー

梅雨が開けた途端に一気に暑さと豪雨が繰り返す季節になった。

異常気象がまるで「夏」の代名詞かのように振る舞っているのを見ると数年後はどのようになるのかと恐怖感がこみ上げてくる。

そんな中私は自転車で1km近く先にある書店で発売日に「違国日記⑥」を購入してきた。

 

①「違国日記6」

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この物語を表現しようとするとき最初に出てくる言葉が「私の物語」だ。

「違国日記」を私が発見したきっかけははっきりとはわからないが、いつの間にか好きになっていた。私の家族にも紹介したいほど気に入った。

私の家族はもれなくこのまんがを気に入ったが、各々違う感想を持っていた。

一人で時間を過ごすのが好きな姉は、同じ様に孤独を愛する主人公の槙生に感情移入をしたし、実の姉との関係があまり良くない母は、同じく実の姉との関係が良くない槙生に共感していた。まったく同じ人に自分の心情を仮託しているのにその形は全然違う。

私はこの物語の中で込められている社会的な問題、疑問を丁寧に映し出している部分を見つけながら読むのが好きだ。

さて、最新巻を手に入れ、読み終わった後興奮冷めやまずtwitterで作者のヤマシタトモコさんのアカウントを見ていたら、最新刊の中で気に入ったページを3枚選んで写真を撮って、感想とともにtwitterに挙げるというキャンペーンをやっていた。

すぐ姉と3つ選んでみたがやはりまったく違う場所をまったく違う理由で選んでいた。

普段何を考えているかということを明らかにされる感覚があり、それはその人の内面を知ったようで心地良かった。そしてきっと私が変わっていくと、物語も変わるのだろう。

余談だが、この本の英語のタイトルは「Journal with witch」、韓国語は「다른 나라의 일기(違う国の日記)」と表されるらしい。言葉によってこの本に対してのスポットの当て方が違うことが面白かった。

 

②呼称問題

7月末から姉と一緒に暮らし始めた。大学に入学するために姉が家を出て以来だ。(数えてみたら10年!!)

話は変わるが、最近私は今まで使っていた、身体に染み付いた呼称を変えていこうと意識している。特に苦労しているのが「旦那さん or ご主人」と「奥さん」問題だ。

自分の配偶者であれば「夫」「妻」で事なきを得るが、他人を前にして、もしくは他人のパートナーを呼ぶときは夫や妻と呼ぶのは失礼に当たることが多く、他人との同意がなければ旦那さんや奥さんに頼らざる得ない。

さて、一緒に暮らし始めた2週間目。姉が毎週書いている読書レポ(私たち家族の一週間の楽しみ→

rikomariichii.hatenablog.com

を一番乗りに読む。一緒に暮らしているゆえだ。その中で姉が尊敬している作家さんの本について紹介されており、その作家さんの「旦那さん」について書かれている部分に言及していたのだが、旦那さんやご主人とは書かずに「夫さん」と書かれていた。

呼称問題はただが言葉ではあるが、その人の考えを顕著に表すものだと思っている。この言葉を使っているのだからこの人はこの問題に関心がある人だと認識することも出来る。

しかし主人、奥さん問題は慣習が物を言う部分がありなかなか他人との合意がなければそれ以外を使うことは難しかったりする。そんな中「夫さん」と書かれたことは私が言ってきたことが何かに繋がったことに対する嬉しさと、夫さんってなんか良いなという嬉しさが編み込まれてただ頬が緩むばかりだった。

 

呼称問題にも通じるの話で、引っ越しの関係で住民票を一人暮らしの場所から移転するために書類を書いていたとき、「世帯主」という言葉が何度も出てきた。紙を記入するたびに家父長制によって制度に組み込まれていることをいやでも実感した。

また書類仕事を片付けていく中で家族に書類を送付する必要が出てきたので封筒に住所と宛名を書いていた。母と父両方に関連するので宛名は「姓 父の名前」その横に母の名前を書くのが普通だが逆の「姓 母の名前」の横に父の名前を書いてみた。自分の家族だから出来る芸当ではあるがどこかに違和感を残したくてそう書いた。父や母は気づくだろうか。

 

③「三つ編み」レティシア・コロンバニ

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新しく暮らし始めた市町村の図書館は、なぜか海外文学のコーナーが充実しており話題作ももれなく揃っており、これもそのうちの一つだ。(チョンセランの「屋上で会いましょう」をみつけたときはたまげた。他にもヴィジュアル本もとにかく充実している印象だ)

この本の存在はよく知っていた。なぜなら私が好きな人、和田彩花さんが推薦していた本だったからだ。「82年生まれ、キム・ジヨン」が代表されるように最近フェミニズムを描いた海外文学が注目を受けている。

わたしは読書した後に感想を書くのが苦手だ。のこしておきたい気持ちはあるのだが言葉にしてしまうと曖昧さと混沌さが混ざってどこまでも広がっていた海がどこかで借りてきた言葉によって壊れてしまい、もう二度とその混沌を思い出すことができなくなるからだ。だから今勉強している韓国語で書いてみたらすこぶるこれが良い。韓国語で書くと違う海を形成していくようで、もともとの海を壊すことはない。

 

最初はインドのスミタの置かれた状況が過酷すぎてスミタの部分はつらすぎて直視が出来なかった。またカナダのサラも逆に自分の中では恵まれているように見えたし、生活の不安を感じずに過ごしているのが羨ましいと思ってしまい、なかなか彼女たちの物語に集中することが出来なかった。しかし長い髪から徐々にみつあみが編まれていく過程を、その過程を描くことなく描かれていたように思えた。まるで髪を編んだ感触が手に残っているようだった。この感触が消えないようにという気持ちが韓国語で感想を書くことに至ったのだろう。

フェミニズムを知れば知るほどその構造に置かれていることは、暗い海が暗くそしてどこまでも広がっていることを自分で知りに行く行為ににている。特に私は自分が「女性」であるためその構造的にやりようのない状況に置かれることも容易に想像でき直視できないことは度々ある。この本もまだ私にはスミタの部分はまともに読めていない。知らないほうがいいと言うけどやっぱり知らないことには始まらないと思うときもあれば、そういってもこれを受け止めるのは無理ということもある。

1人の話ではなく、3人の話というのが希望や光だけの「物語」ではなく、私たちの生活の延長線上から離れなかったのだと思う

www.hayakawabooks.com

 

 

毎回違和感を列挙する形から外れているような感覚に陥るが、日記という形態はなんとか死守している。

 

「考えろ」

違国日記の6巻で最後のほうで主人公、槙生が同居している姪の朝にいう言葉だ。

朝はそんなに考えて「槙生ちゃんしんどくない?」と聞かれると、槙生は「かもね、でも、せっかくなら苦しんで生きたいでしょ」と答える。

全然わからないけど、ちょっとわかる。

 

 

違和感日記⑤

違和感日記を書き続けてもう3ヶ月以上になる。さぁ書こうと思い立つたびに、自分が書いた日記を読み返す。まだ4回しか書いてないのかと思うと同時に、もう4回も書いたのかと思うから時間の感覚というのは奇妙だ。

 

○将棋

 

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王位戦第2局 終局後

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3月のライオン」から始まった自分の将棋ブームはとどまることを知らず、2週間たった今も継続中である。

 

棋士が自身のプライドと情熱をかけたぶつかり合いと、将棋に負けたときの言葉にならない「絶望」の姿は言葉を集めても集めてもそれを超えてくる姿だった。そして将棋というある種特殊な世界で、息を大きく吸い、生きている棋士の人々を観るのが映画を見ているのと同じ感覚だった。

 

一方で将棋の世界は、社会の一部分を濃密に凝縮しており、自分たちの世界を客観視する手がかりになる。特にジェンダーの観点から見れば、女性の棋士が存在してないということから様々なものが見えてくる。

女流棋士と呼ばれる女性の棋士もいるが、「棋士」と、女流棋士は全く違う過程を歩んでいるため、「棋士」の過程を経てプロになった女性はまだいない)

将棋界において、女流棋士は「棋士」ではなく、将棋界に存在するためには「女性性」を強く打ち出さなければならない。人間である前に「女性」が先に来る。そして「女性アナウンサー」のような立ち位置を求められる。

しかし、それは将棋の実力が根拠とされているので、「正当なものであり、議論の余地がない」ように思える。しかし、少し目線を変えればそもそもスタートラインが違う。

女性が棋士になれない背景には、将棋=男性のものという認識から生まれる環境が強いという前提が大きく影響している可能性がある。なぜ将棋を指し続けられるのか。それは...という構造が見えれば見える景色が異なってくる。

表面上では理論がきちんと成立しているが、すこし違う視線から見ればそもそもスタートラインが違う。どこかで見た構図である。

 

○変わった

私の大好きな雑誌、『FUDGE』。

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友人の影響で好きになった。『FUDGE』に載っているファッションが自分の価値観にぴったりで古本屋で安く打っていたら必ず確保していた。

コロナによって、古本屋に行く機会が減ったせいで『FUDGE』とは随分疎遠になっていたが、最近久々に雑誌を手にとった。

しかし、ページをめくるたびにまるで自分のために作られていたのではないかと思う誌面だったのが、「かわいいけど....」という誌面になっていた。

何度見ても。私が好きそうなファッションを見ても。

つわりのときにスーパーにいっても食材がねんどのようにしか見えなかったということを聞いたことがあるが、きっとそんな感覚だろう。

たった3ヶ月で何が??『FUDGE』で幸せになれたのに、人生の楽しみが一つ減ったではないか!!

理由は後からやってきた。『FUDGE』のモデルはほぼ、「白人」のモデルなのだ。

BLACK LIVES  MATTERに関連した動画を見ていて反射的に「黒人」の人を「美」として捉えることは少なく、私の中で異質なものであったこと気づかされた。私のなかで「美」の姿は「白人」の姿であり「黒人」は少し異なっていた。白人の姿が美の基準とされていることを『FUDGE』は誌面でありありと見せつけているように思え、距離ができた。

「葉子」という友人がいる。名前の由来を聞くと「美」とか、そういう規範がない名前を付けたかったから何も規範がない「葉」の文字を使ったという。

『美しい』という感覚は自分で構築することも出来るのだ、と思うと同時に「美」は変わるのだと思った。

 

古本屋繋がりでもう一つ。

 

古本屋の棚はジャンルが多岐に渡り、かつ世間とは隔絶された感覚が強い。今の世間を読み取りマーケティングに基づいた出版社が出した本が並ぶ新刊書店と違って、古本屋には30年前の本と、3ヶ月前の本が隣同士に置いてあったりする。アルゴリズムで私たちのほしいものが先取りされる今、自分が変化する前に世界が変わり、世界の変化は自分の変化より早い。

古本屋の本棚を見ていると同じ棚を見ていたはずだけれども、自分の内面は変わっているのでまったく前は見向きもしなかった本がお宝のように出現してくる。

その瞬間が快感なのだ。

 

○引っ越し

引っ越しをしたので、自分の本を選抜しなければならなくなった。

どれもどれも私が選んできた本なので相当苦労したし、ダンボールに積まれていく本を見て、あの本たちが死んでいくような錯覚に陥った。本棚に並べられずにダンボールに押し込まれ誰の目に止まらない本は「本」の体をなしていない。

(捨てられない、買取にださないのにはある事情があり、将来は私のもとに戻ってくる)

 

 

「違和感を感じないときのほうが楽だった。」という言葉は友人が、ある会話でぽろっとこぼした言葉だった。よくフェミニズムを知らないときのほうが生きるの楽だった。ともよく聞く。

確かにそういう部分もあるなぁと思っていたし、知らないほうが幸せだということもあるが最近は「知る」ほうが良い側面を感じることが多い。

生きていました -違和感日記④-

6/17に自分にとってかなり大きな用事のためにほぼ3ヶ月強ぶりに電車に乗ったせいかことごとく調子をおとし、ほぼ1ヶ月間ご飯がぼろぼろになった。逆に言えばその前の1ヶ月間は私の基準では珍しくご飯を用意できていた。

「ご飯を規則正しく食べる」までには、自分が食べたいものを想定し、それを食べるために食材を計画的に購入しそしてそれを形にし、その過程まで食欲を調節し、そして次やりやすいように片付けなどの準備を欠かさないということが必要なのだが、それがあれよあれよと出来なくなりいつの間にか1ヶ月が経ってしまった。ちょうどブログを見返したら6/12が最終更新になっており、自分の生活の不調による空白期間がブログを見ると明白すぎる程反映されていて思わず笑ってしまった。ただ、なんとか生きていたなぁという実感が湧いてくる。

さてそんな状態であったが、きちんとハマるものにはハマった。この1ヶ月を振り返ると2つのものが頭に浮かんでくる。

1つは、Niziプロジェクトだ。

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このパフォーマンスのマユカちゃんは何度も見返すほど好きです

私の周辺でも「ねぇねぇNiziプロジェクトって知ってる?」という声がちらほら聞こえており、たとえtwitterをほとんど見なくても伝わってくる影響力の高さに時々背中をのけぞらしていた。K-POPを好きになったときは田舎に住んでいたということもあり、私の中ではK-POPは知る人ぞ知る秘密の趣味という認識だったため少し優越感に浸れる趣味であった。(実はそうではなかったことが後で発覚、結構メジャーだった)なのである種のギャップにびびっているのだ。

番組自体は楽しく見て、サバイバル番組の楽しさもまた新しく発見することが出来たり、サバイバル番組を見ていた自分の視点の変化も気づくことができたのも収穫だった。

サバイバルオーディションについての備忘録も書こうと思っているが、未だ下書き保存されたままだ。最初書きたいと構想が浮かんだときは良いと思うのだが書けば書くほど減点方式のように減点されていき、最終的には自分の書いた文がもう既に何百回と手垢が付けられた意見のように思えて、下書き保存されたファイルを見るたびに自分が平凡であると突きつけられ、書ききれていない。

 

そしてもう一つ。6/17以降も何度か用事があり電車に乗る機会が少し増えたことで、本屋に立ち寄る回数が増えた。それに伴い買った本の数も目に見えるほど増えた。

久々にある古本屋に立ち寄ったら「3月のライオン」がほぼ全巻110円均一コーナーに置いてあった。3月のライオンは1度全巻手に入れたのだが、一度手放していた。手放したのにはそれなりの理由があったので買い戻しには決断を要したが結局何巻か選抜して購入した。

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しかし3月のライオン、恐るべし。

読み直したら次の日には何回目かの将棋ブームが私の中で巻きおこった。

(私の将棋ブームはだいたい3月のライオンを一気に読み直した回数に比例する)

私の趣味は一気に熱したあと、すぐ冷め、そしてまたどこかで再燃する中で知識がアップデートされていくという螺旋階段タイプである。今回までに羽生世代と呼ばれる羽生善治永世七冠や、森内俊之九段といった既に名声が突出・確定している棋士はある程度知っていたがここ一週間で今のトップ棋士のプロフィールを把握するようにまでになった。

この螺旋階段タイプのいいところは、最初好きになった時よくわからず呪文のようなものを「ブラックボックス」として仕込んでおき、次好きになったときに時間を置いて開けられる点だ。

色々語りたいことはあるがこの先は雑談をすっ飛ばし、人生論を語りだすという高低差ふっとばしの文章になることは目に見えている(そしてめんどくさくて最後まで書ききれない)ので自重しておく。

 

さて本屋めぐりを少し再開したことにより、収まってホッとしていた本の物欲は、今までの期間などまるでなかったかのように復活した。ずっとほしいと思っていた本が自分の手元に来る喜びは何事にも代えがたいのだと再認識した。

 

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本屋巡りで手に入れた本たち

今まで「違和感日記」を過去3回書いてきたが、今回は「違和感」が抜けた本来の日常の記録という日記の本来の姿に戻った。

いくら外に出る機会が増えようが、私の今置かれている環境は家にいる時間がほとんどで、人にも会わず、twitterにも意図的に触らなくなったせいで世の中の動きにとても鈍感になった。「なった」というよりかは意識的に距離を取っている。なので世の中の違和感も勿論感じるが機会はとても減ったし、違和感の感じ方も瞬間的ではなく長い時間を要する形に変化した。

「違和感日記」と名付け書き始めたときは、"自分の中で何度も思っていたことが形になった、発見した"という喜びがあり、そしてそれを続ける先の未来にある種の希望を見出した感情は強烈に覚えているので、このように早々に形が変化していくことには強い抵抗を感じる。

しかし形に出来ない違和感が消えたわけではないので、また違った形で「違和感日記」をかけたらいいなと思っている。

自分だけの部屋を持つー違和感日記③ー

Netflix『SEX EDUCATION』のヒロイン、メイブ・ワイリーがヴァージニア・ウルフが好きだという場面を見ていたとき、最近ヴァージニア・ウルフの名前を聞く機会が多かったことを思い出した。

それは、昨年の後半から本屋をよく回っていたときに、ヴァージニア・ウルフの同人誌『かわいいウルフ』*1

や、エトセトラブックから出版された『ある協会』が店頭で並んでたのを見たからだと思う。

 

ヴァージニア・ウルフといえば、私にとって「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」*2という言葉が印象的だ。

 

さて、違和感日記も3回目。LINEのメモにはたくさんの違和感がたまっていく。

最初の「違和感日記」で書いた内容と共通する部分があるかもしれないが、今の世の中で違和感を「違和感」のまま持つことは難しい。難しいのにはいくつか理由があるけれど、私が最近知った言葉のなかでヒントになりそうな言葉を見つけた。

「自分自身の欲求から始めるということ。大抵、多くの人たちはその逆をする。よその誰かの欲求をさがし出し、それを実現しようとする。これが私の憎悪するマーケティングだ。」

*3

これは今年2月に出版された『エレンの日記』*4からの一文だ。

 

この文を読んだ時、蘇ってきたのは自分が「他人の目線」が内包化されて、「こんなものではいけない」と思い続けていた苦しみだった。

マーケティングに限って言えば、英会話教室の広告を見て英語のできない自分を惨めに思い、英語を話せるようにならなければと思った。社会が求める人材になるために、1年留学をしなければならないと思っていたとき。この本を持っていたら「かっこいいかも」と思いながら本を買ったとき、TVで繰り返し流れている「性格の悪い子」にならないようにと、振る舞っているとき。

欲望にとどまらず、他人の視線が内包化されて、それが自分の意志なのか、それとも「世間」が求めている意志なのかということがわからなくなることは往々にしてある。そもそも他人の視線が内包化されていることすら気づかない。そして、この世界には自分の意志を持つことを阻むものにあふれている。

自己肯定感を持とうということを繰り返す文言を見て

"今のままではだめだ"と、呪いの言葉を浴びせられ続けるこの世界で一体どうやって自己肯定感を持てばいいのか。

と白々しさがこみ上げてくる。

 

私は「違和感」を持つことは、他人の目線ではなく自分の目線で物事を判断したときに現れることだと思う。けれどその違和感を持った瞬間に自分の中の「他人」や、実際の他人に否定されることが頻繁にある。それも「違和感」を持ったことすら意識しないほどの速さでその「他人」はやってくる。

 

違和感を持つことは、他人の目線と欲望が入り交じる中で、自分だけの部屋ないし、空間をもつことだと思う。小説を書くときに自分の部屋が必要なように、違和感を「違和感」のまま持つことは自分のなかに、自分だけの部屋が必要だと思う。それも、女性は男性に比べ「しなければない」という世の中の規範が強い分、より自分の部屋を持つことは難しく、より必要とされる。違和感が、ときに無知で、危険であることもあるけれど、自分がその事に対して「無知」であったということを知るきっかけにもなりうる。

 

エレンの日記は、この一文がきっかけになり、手元に持っていたいと思った。昔、「〇〇買い」というテーマでZINEを作りたいと思ったことがあるのだが、この場合は「言葉買い」というべきだろうか。またこの計画ももう一度やり直しても楽しいと思った。

 

違和感を書く時、「違和感」なのでプラスの感情でないことが多い。また、私は瞬間的思ったことを意識的に書いている部分があるため「だが、」を入れる回数を少なくしている。

 

性別お披露目パーティーという行事をする家庭が増えているという記事を読んだ。方法は様々だが、アイシングがケーキの中に入っているジェンダーリビールケーキというケーキを使う方法が紹介されていた。色青いアイシングであれば男の子、赤いアイシングであれば女の子という。男の子→青、女の子→赤という思考回路が根強いことを実感した。というか、ジェンダーに対して厳格なアメリカでもこういう色感覚がまだ残っているのだと思った。

 

まゆゆ渡辺麻友)の引退が報じられたときに「去り際が潔かった女性芸能人」という芸能ニュースがあった。そういえば、去り際を求められるのは比較的女性が多いことに気づいた。野球選手やスポーツ選手でも去り際の話はもちろんあるが、ぎりぎりまで現役にこだわる選手も多いしそれを揶揄されるニュースは表面上では見ない。でも、女性アイドルだと長くいるだけで年齢について揶揄されることが多い。ちなみにそのニュースの見出しに添付していた写真の人物は山口百恵だった。辻ちゃんYoutubeチャンネルのコメントを見るたとき、年齢の呪縛を感じた。


【最新!】辻ちゃんの毎日メイク2020ver

あと最近嫌いな言葉が増えた。「男の料理」。Youtubeのタイトルは人から借りた言葉が多いので煽られることが多い。

 

「モテる女子は「さしすせそ」を心得ている!!」という言葉を知ったのだが、これも私が嫌悪する言葉が盛りだくさんだ。ちなみにさしすせそは、

さ→さすが!

し→知らなかった

す→すごい

せ→センスある!

そ→そうなんだ

という相槌のことで、これができる方はモテるということだ。

私は異性にモテるために生きてるわけではない!ということを真っ先に思った。

以前、自己主張が激しいということがコンプレックスで「人に嫌われない人」になるために人の話の聞き方についてのHow to本を買おうとしたことがあることを思い出した。多分その時にこの言葉に出会っていたら今でも忠実にこの教えに従っていたかもしれない。

 

朝井リョウが自身の結婚についての考えを語ったラジオ放送をひょんなことから聞いたのだが、私がまだ言語化できていない想いを朝井リョウの研ぎ澄まされた言語感覚で私が共有できる「言葉」に落とし込んでくれた。とても感動したので文字起こしがされてないかと思い検索をしてみたときに「あさい」ぐらいで一番前に「朝井リョウ 結婚」と予測変換に出てきたので驚いた。

https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/ryoasai-marry

 

 

違和感日記を書くことを決めたのは、物事の捉え方に対しての新たな視点を見つけられた高揚感によるところが大きかった。おしてこれを続けることで自分が今まで経験した苦しみの原因が言葉になって無機質に私の前に現れることが嬉しかった。だけれども、やはり違和感をブログに書くのは「自分はどうなの?」とか「どの口が言っているんだ」など、囁きが降りてくる。内容も直感的な内容であれ丁寧に書かなければ、武器として再生産してしまう危険性がある。なので思った以上に今回書ききるのに疲れた。それが少し自分でも意外だった。 

半径5Mの#Black lives matter

アメリカ北部のミネソタ州ミネアポリスで、警察官に首を押さえつけられたアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさん(46)が死亡した事件から1週間。

警察による暴力に反対し、「黒人の命は大切だ」(#BlackLivesMatter)と訴える抗議活動が、全米各地に広がっている」(Buzzfeed下記の記事より引用)

https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/george-floyd-hope

 

私がSNSを開けば、その抗議に対して意見を表明している人々が多くいた。(今も続いている)

これを個人的に備忘録としてまとめたいと思ったので、このようなタイトルにした。

このタイトルに込めた意味は、意識的にその抗議活動にたいして検索をしたのではない状態で目にした一次情報(つまり、その人自身が投稿したもの。LINEニュースやマスメディアでまとめたものなどで目にしたものではない)をまとめたものだからだ。私にとって意識しなくても目に入ってきた抗議活動なため、直接的にあったりする人物、関わり合いのある存在でないが「半径5M」と名付けた。あくまで個人的備忘録である。

(尚、今回は一般の個人が表明したものは除外した)

私は、芸能人など影響力の持つ人が、個人としてこのような社会の抗議活動、問題に対して声を上げやすい世の中になっていることを望んでいる考えをもっている。

たくさんのハッシュタグが作られたが、私は#Silenceisviolenceを特に意思表示をしたい。

 

鞘師里保

ストーリーにBuzzfeedの解説記事をリンク付きで掲載。

 

勝田里奈

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https://www.instagram.com/p/CA8RtrMhF82/?utm_source=ig_web_copy_link

 

SarahGadon(サラ・ガドン

f:id:touasuabab224:20200604050232j:plainhttps://www.instagram.com/p/CA2o5-Ngvwc/?utm_source=ig_web_button_share_sheet

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#Silenceisviolenceとともに掲載

https://www.instagram.com/p/CA2o5-Ngvwc/?utm_source=ig_web_button_share_sheet

「ロイヤル・ナイト」という映画を見たときに知った俳優。

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Debora Francois(デボラ・フランソワ)

フランス語を表示することができなかったので、原文で名前が表記できなかった。

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フランス映画「タイピスト」(大好き!)に出演していた俳優。

 

Petracollins(ペトラ・コリンズ)

i-d.vice.com

 

ストーリーで複数回、感覚を開けて(おそらく)現在住んでいる地域の首長に対しての抗議活動を呼びかけていた。リンク付きで、SWIPE UPできるようにしてあった。。

https://www.instagram.com/petrafcollins/

面白かったのが、自分のlinktreeに首長あての文面を載せておき、それを誰でも利用できるようにしてあったこと。これはSarah Gardon(サラ・ガドン)も行っていた。これは今後参考にしたい。

 

ひるねこBOOKS

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「切り倒される時に黙って立っているのは樹木だけだ」。全ての差別に反対します。(以下略)#BlackLivesMatterとともに

東京谷中にある小さな本屋。他の本屋でも同じような投稿を見た。

https://www.instagram.com/hirunekobooks/

 

企業編

Ferragamo

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#BlackOutTuesdayのハッシュタグをつけて

https://www.instagram.com/p/CA8W0R8huig/

 

Repettoparis

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#blackouttuesdayのハッシュタグを添えて


https://www.instagram.com/p/CA720vYApsk/

大好きなバレエシューズのブランド。3日連続で黒の画面を投稿。

Jimmychoo

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#blackouttuesday のハッシュタグを添えて

靴のブランド

https://www.instagram.com/p/CA7ZBUoAM5g/

 

Chanel

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シャネルはこのような投稿を3日連続で投稿。

https://www.instagram.com/p/CA8h-lEoHPL/

 

Tiffany&Co

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Tiffanyは最初、以下の投稿を行ったが、extremely weak and vague(とても弱い)というコメントが多く見られこの投稿を再度行ったようだ。

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それが最初の投稿

https://www.instagram.com/tiffanyandco/

Bonappetitmag

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なが〜〜〜〜〜〜〜い文章が添付されている。

これはフードライターの平野紗季子さんがストーリーで紹介してくれていたもの。

Wikipediaから参照すると「BonAppétitは月に一度のアメリカの食べ物とおもしろい雑誌で、通常はレシピ、おもしろいアイデア、ワインのレビューが掲載されています。 CondéNastが所有し、ニューヨーク市マンハッタンのOne World Trade Centerに本社を置き、1956年から出版されています。」

Bon Appétit - Wikipedia

https://www.instagram.com/p/CA3iPVznD5X/

 

Esty

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ハンドメイドを紹介?するサイト。

https://www.instagram.com/p/CA6PxWcA5Tx/?utm_source=ig_embed

 

Agnesb(アニエス・ベー)

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この前に今回の抗議活動のきっかけとなってgeorgefloydの写真も掲載

アニエスベーがこの問題に対して反応していることを最初知ったのは、ストーリーでした。

https://www.instagram.com/p/CA-N-fEIdup/

 

以上が私が一次情報として目にしたインスタの投稿でした。

多分ストーリーであったり、ここでは除外した一般、個人のアカウントでも多く見かけた。そしてそれは私がこの問題をニュースサイトでしらべたきっかけになったことは間違いない。

 

SNSを利用している人にはこの何気なく目に入ってくるものが何かしらのきっかけになり実際の行動につながる経験を多くしているのではないかと思う。これをきっかけに日本の問題でも芸能人が政治に対して意見を表明することのハードルを下がることを期待している。

黒人差別がいけない、というこの当たり前に受け入れられる「常識」は先人たちが作り出したということを肝に命じなければと思った。

 

 

Buzzfeedの記事↓

https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/george-floyd-protest?bfsource=relatedmanual

https://www.buzzfeed.com/jp/mjs538/protest-signs-from-black-lives-matter-protests-1

BBCの記事↓

黒人男性、警官に膝で首を押さえ付けられ死亡 米ミネソタ州 - BBCニュース

黒人男性の暴行死に抗議、全米で続く トランプ氏を教会関係者や映画監督が批判 - BBCニュース

 

<番外編>

これを期に何故か今までフォローしてなかったエマ・ワトソンのアカウントを見たら、ストーリ、及びたくさんの投稿がされていた。このために検索したので今回は割愛。

https://www.instagram.com/emmawatson/

支援団体のリンクや、動画の共有。支援方法の情報共有まで行っていた。