月をさす指②

前回のつづき。

 

究極的には無条件に感じることができる充足だけど、

人間の身体ってやつは、どうしてもバグを元に構成されているので

2つの調整が必要だ。

 

一つ目は前回書いたとおり。

 

そして二つ目。

そっちの方向を向く。

 

 

 

そっちってどっち!

 

 

と思われそうな説明だな。

そっちというのは、

無条件の充足ってのが存在する

ってアイディアを信頼するイメージ。

 

「本当にそんなのあるんだろうか」

「あったところで、わたしのやり方で向きはあっているのだろうか」

「全然何も感じないけれど本当に大丈夫なんだろうか」

 

身体は常に疑う。

不安になってジタバタする。

そしていらんことを考えたり行動したりして台無しにする。

 

 

世界には、すべてがある。

パラレルワールドだ。

すべてのパターン、可能性が一気に起きているから、

何も起きていないのと同じだ。

 

 

でも、身体はそのうちほんの一部しか感知できない。

(一部しか感じられないから時間があるように思える)

つまりバグだらけなのだ。

 

 

そんなバグっている身体で

無条件の充足が感じられなかったからといって

何の問題があるだろう。

 

むしろ、身体にとってバグは平常運転じゃないか。

だから、感じられなくても大丈夫。

信じられなくても問題ない。

だってバグっているんだから。

 

 

感じられないまま、

信じられないまま

 

無条件の充足があるんだなああああああ

 

って、真実に浸っていればそれでいい。

 

まあ、それでも心を占める不安が消えないことも

上手くいかない現実が現れることもあるけれど、

そんなの関係ないんだ。

 

何を感じようと、何が起きようと

無条件の充足には影響がないから。

 

 

気分が悪くなる感情や出来事は

世界の一部しか見ることができない身体のバグ。

身体の変なバイアスで、嫌な感じに編集された世界を見ちゃっただけ。

 

かなりスピリチュアルめいたアイディアだけど、

わたしは本来の自分に一致するためならエビデンスは問わない。

 

科学的根拠がなくても、

信用できない人の発言でも、

少数派にしか当てはまらないことだとしても

わたしが「あ、これだ」と思ったら採用する。

まあ、採用するといっても部分的にが多いけど。

 

 

なぜかはわからないけれど、

その時の自分に必要な情報は体感的にわかる。

身体の中のモヤが1枚スッと晴れる感じがするから。

 

 

でも、こうして情報を集めていると、

いつの間にか月をさす指の、

「指」を追いかけてしまっていることが多々ある。

 

根がオタクなもんで、興味のあることはがっつり知りたくなる。

深く調べているうちに、すっかり情報の方に気を取られて月を見失う。

 

 

情報は、身体の中からいらない思念を消すための手段。

いらない思念を消すのは、無条件の充足の方向を向くため。

向きさえあっていれば、自動的に無条件の充足が身体に流れ込んでくる。

流し込まれた無条件の充足は、本来の自分と一致している。

本来の自分と一致していれば、無条件の充足のまま生きられる。

 

 

これを忘れないようにするため、

ブログタイトルを「月をさす指」にした。

 

無条件の充足の方向を向く方法はいろいろある。

その時々の自分に必要な手段は変わり続けるから

ひとつひとつ忘れないうちに記録していこうと思い、ブログを立ち上げた。

 

自分のためにつくった備忘録だけど、

もし、これを読んだ誰か、たったひとりだけでもいい。

月の方向を向くことができたら狂喜乱舞しちゃう。

 

わたしも、あなたも、

無条件の充足が自動的に身体に流れ込む時間が

どんどん増えていきますように。