統計ソフトを選ぶ難しさ
この前SASを導入してみたという話をしましたが、困ったことにSASはググってもなかなか欲しい回答が出てこない。
そこで色々調べてRも検討してみました。
一応条件としては
という感じです。
SASの場合
前回導入してみたSAS ondemandであればフリーウェアで使えます。
もちろんブラウザ上で動くので、iPadでも使えます。ただ、データセットの読み込みとかはiPadからはよくわからなかったので、Macから行いました。
構造方程式モデリングに関しては、CALISプロシジャを使えば可能みたいです。バージョンアップによりパス図も描けるかも?この辺りは実際に行ってみないとわかりません。
Rの場合
オープンソースでフリーウェアです。ただ、インストールして使うので、iPadでは基本的には使えなさそう。アプリにRの環境はありましたが、グラフを書けなかったり、データセットを読み込めなかったりで使えない。
実はR-fiddleというブラウザ上でRを動かすサービスがあるんですが、これがiPadからだとすごく使いにくいんだなあ。
構造方程式モデリングに関しては、ものすごくしやすそうなんだけどなあ。
勉強はしたいけど、iPadからだと色々難しそうです。
結論
今回色々寄り道をして調べたけど、自分はiPadでというのが条件の中でもかなり上位で、それを考えるならSASがいいかなと感じました。ネット上の情報は少ないけど、ちょっと頑張ってみましょう。あとSAS入門みたいな本が良さそうなので電子書籍で買って読んで勉強します。
HPとOA
お久しぶりの更新。なかなかにサボりですね。
最近は職場のホームページ作りに邁進しておりました。そして本日ついに完成いたしました。 htmlを少し勉強したけど、実際は使わなくてもある程度のことができて、ああ、文明ってすごいなーと思った今日この頃でした。 いやはや、なんだかんだ完成すると満足するもんですね。
ところで、今日は膝OAの患者さんの足趾について考える機会がありました。膝OAのある人で扁平足の人は、足趾を使わずに歩行してることが多いように感じます。つまり、足底を一枚の板のようにして歩いている感じですね。今日はデュアルエクササイズにて、足趾から足底への荷重の移動を促すことで少しうまく足が使えるようになって、膝の痛みも軽減しました。
この経験も含めて、膝は膝そのものを見る必要もありながら、足関節であったり、股関節であったり、足趾まで考えていていく必要があると思いました。あー、まだまだ整形も奥が深い。勉強が必要ですが、整形疾患だからといって、人を機械的に診るのではなくて、人としてしっかりと診ることを意識して学んでいければと思います。頑張ろう。
さよなら装具
今週で術後9週間、ついに装具外れました。水曜日からは装具なしで仕事しています(なんだかんだ仕事再開して7週間です笑)。 おぼつかない足取りで、跛行もまだまた出ていますが、とりあえずは進歩です。酷使しすぎて途中2回も修理していただいた装具ともこれでお別れです。
足の方はだんだん可動域が拡大してきて、筋力もついてはきましたが、やはりというか全然うまく使えません。身体を支えること、支えた身体を動かすことがこんなに難しいことなのかというのを肌で感じています。
思い返せば、術後初めて地に足を着けた時、初めて歩いた時、初めて片脚で立った時の怖さというか恐ろしさは今までに感じたことのないものでした。当事者しか感じられないこの感覚は、おそらく他者となかなか共有できないもので、この時の言葉一つでものすごく心が痛むということも同時に学びました。
今回の怪我はなんだかんだほんとに凹みましたが、その中で得られることはとても多くて、また一側面ではありますが当事者しか得られない経験をできていると思います。
まだまだ完治ではありませんが、ぼちぼち頑張りつつ、しっかりと臨床もさらに頑張っていこうと思う今日この頃ですー。
アキレス腱断裂、当事者としての立場から
言葉から考える身体を知覚するということ
高齢者の患者がよく、「(腰や膝などが)曲がっている」と表現することがある。よくよく考えていると、この言葉には「曲がったままでいる。伸びない。」という言葉が自ずと内包されているのではないか。この時点で、この部位には身体知覚における不動が生じていると考えられる(実際は不動ではなかったとしても)。つまり、その部位には身体的なneglectであったり、それに伴う痛みが生じてくることも自然ではないだろうか。そういう意味で、きちんとその人が放つ言葉を評価しないといけないと思われる。 また、脳性麻痺の方においてはそもそもが身体に対しての記述があいまいであると思われる。本当に身体を知覚した上での言葉であるのか、はたまた視覚的にであれば(写真提示など)でわかるのかなど、どのように身体を知覚しているのか(言語的になのか、視覚的になのかなど)を厳密に評価する必要がある。
それらも踏まえた上で更に一段階思考を拡張してみると、例えば患者の保護者や家族が「この人(子)の○○は動かない・伸びないんだよねー」みたいな発言は、その人自身が感じる身体知覚を自ずと制限させているかもしれない(動かないから動かさない、曲がらないから曲げない、そもそもその部分を無視や軽視するような態度を取る)。それを考えると、保護者や家族のそういった部分にも介入していく隙間が大いにあると思われる。
可能性はまだまだある。ひとつの手段だけではなく、その時その時、目的に応じて様々な手段を用いて臨床を行っていかなければ。
痛みの教育的視点
痛みの情動的側面が強い患者さんの患者教育に使えそう。
もともと子ども用やけど、わかりやすくてちょうどいい感じ。
痛みを理解しよう-10分でわかる痛みの対処法 (Japanisch) - YouTube
あとはこの辺。
これは字幕やからちょっと使いにくいかもね。
Brainman stops his opioids(日本語字幕版):痛みへの理解 ブレインマン ...
Brainman chooses 「痛みへの理解:ブレインマンの選んだ快復への道すじ ...
運動器で働き出して1ヶ月やけど、痛みを訴える患者の多いこと多いこと。そして意外とADLには問題が少ない人が多くて、PCSのスコアが高い人が多い印象。患者教育の重要性を感じます。痛みをとることだけが目的にならないように。