日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

【まとめ】オルテガ『大衆の反逆』の紹介と解説 ~もしくは大衆の特徴【42】

 

現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。

 

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まとめ42 オルテガ『大衆の反逆』の紹介と解説 ~もしくは大衆の特徴

このまとめの要旨

大衆について分析したオルテガの『大衆の反逆』について書いたものをまとめてあるのですが、そこここでオルテガの言っていたことを逸脱して書いている側面もあります。よければオルテガ自体を読んでもらえれば幸いですが、どんなもんかとここにあるものを読んでもらえても嬉しいです。

 

書いたものの一覧

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大衆の問題について最初に鋭い分析を行ったのはスペインの哲学者オルテガの『大衆の反逆』だと思われますが、そのことについて書いていこうという話初めの回。

 

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オルテガによれば大衆は近代になっていきなり現れた愚か者の群れみたいなものだけど、それに対置されるかのように評価されるのがエリート/貴族と呼ばれる人で、これは社会的地位によるエリートや貴族を意味するのではなく、自らに多くを課し義務を実行するような人だ、ーというようなお話。

 

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また大衆は自分たちこそ正しく、数が多いゆえに正しいので、同じように様々な決定権を担う人たちも自分たちと似た大衆人を選ぶようだ、ーというようなお話。

 

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大衆にとって目の前の世界は当たり前に存在するのであって、その維持や秩序を守るために労力やコストを支払うことはせずに努力もしない、ーというようなお話。

 

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そんな大衆はいわば子供のようなものであって、大衆によって支配されている世界は子供によって支配されている世界のようなものだ、ーというようなお話。

 

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そんな子供みたいな大衆人だけど、現代の日本の政治家って地方のお殿様みたいなもんだから、実はおぼっちゃんによって政治が行われているようなものなのかも、ーというようなお話。

 

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大衆と対極にあるような専門家でも、専門外のことは何も知らないのであり、にもかかわらず専門分野のように知っているものとして判断してしまう点で大衆そのものの態度を示している、ーというようなお話。

 

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そんな専門家の代表である科学者も、自分たちの知っていることが細分化されたものの一部でしかない、という嘆きを19世紀になされていたものの紹介、ーというようなお話。

 

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大衆が生まれたのはかつての時代と比べて頂点のように感じられた時代であるが、代わりにその強大さを前に躊躇ってしまっている時代でもある、ーというようなお話。

 

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大衆はその特徴において文明人としてよりもむしろ未開人としての方が特徴が似ている、ーというようなお話。

 

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とはいえ未開社会にも知性はあり、その内部で愚かとみなされる人たちもいる。それと同じように文明社会の中でも愚かとみなされる人たちがいるのかもしれないが、そうした人々が今日支配者の椅子に座っているのかもしれない、ーというようなお話。

 

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そんな大衆現象もヨーロッパが世界化することによって世界中にまきちらされて広がって、今やどこでも当たり前の現象になってしまった、ーというようなお話。

 

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ウェッブ夫妻/ビアトリス・ウェッブ(英 1858-1943) 本【著作(翻訳)ブックリスト一覧/リンク(Amazon)】

ビアトリス・ウェッブ(Webb, Beatrice)

 

 

ビアトリス・ウェッブ著作リンク一覧

 

国民共済策(ウエツブ夫妻 著, 平瀬竜吉 訳. 大日本文明協会事務所, 大正3)
労働組合運動史(シドニー・ウェッブ, ビアトリス・ウェッブ 共著, 荒畑勝三, 山川均 共訳. 叢文閣, 1920 / 荒畑寒村 訳. 板垣書店, 1949 → 労働組合運動の歴史 荒畑寒村 監訳, 飯田鼎, 高橋洸 訳. 日本労働協会, 1973)

消費組合発達史論 : 英国協同組合運動 (大原社会問題研究所叢書 久留間鮫造 訳. 大島秀雄, 大正10)
産業民主制論 (上巻 シドニー・ウエツブ, ベアトリス・ウエツブ 共著, 高野岩三郎 訳. 大原社会問題研究所出版部, 大正12同人社書店, 1927法政大学出版局, 1969 1990)
消費組合運動(シドニ・[ウエッブ], ビアトリス・ウエッブ 著, 山村喬 訳. 同人社書店, 1925)
大英社会主義国の構成(シドニ・ウエッブ, ビアトリス・ウエッブ 共著, 丸岡重尭 訳. 同人社書店, 1925 / 大原社会問題研究所 訳. 第一出版, 1948 / 岡本秀昭 訳. 木鐸社, 1979)
フェビアン主義(社会思想新書 第11山村喬 著. 鱒書房, 1947 )
ソヴェト・コンミュニズム : 新しき文明 (シドニー・ウエッブ, ベアトリス・ウエッブ 共著, 木村定, 立木康男 共訳. みすず書房 第1巻 1952 第2巻 1953)
地方政治の改革(ウェッブ夫妻 著, 星野光男 訳. 東京市政調査会, 1956)
社会調査の方法(S.ウェッブ, B.ウェッブ [著], 川喜多喬 訳. 東京大学出版会, 1982① )

 

注:『フェビアン主義』はNDCに「ウェッブ夫妻の著書「Industrial democracy」等を紹介し、解註を加えたもの」とある。

 

ビアトリス・ウェッブ著作一覧

 

単著

 

消費組合発達史論

 

夫婦共著

 

国民共済策
労働組合運動史
産業民主制論 
消費組合運動
大英社会主義国の構成
ソヴェト・コンミュニズム 
地方政治の改革
社会調査の方法

 

Wikipedia

ja.wikipedia.org

何者でもない自分の存在価値を高めるための思想的所属の欺瞞 〜二流論者(偽物)の出世の階段/梯子としての思想(保守/左翼)の意味や特徴と、本来占められるべき地位に偽物が居座る問題

 

前回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/13/193016

 

二流以下における思想的所属の価値

思想的立場の違いによる嫌悪感

思想的立場の違いと理解を一流同士の場合で考えてみました。するとやっぱり立場が違っても一流同士であればそれなりに相手のことを評価するのではないか、と思われましたね。ではなぜクモやゲジゲジのようにとことん嫌ったりするものなのでしょうか。

 

出世の階段としての思想的グループ

ちょっとそうした考えのヒントになりそうなことを佐藤優が言っていたことがあります。それは立花隆との対談集だったと思うのですが、保守や左翼というのは二流の論者にとって自分の地位をステップアップさせるための都合のいい梯子なんだ、という意見でした(確かそのような言い方だったと思う)。つまり保守とか左翼とか言ってるけど、それは出世のための階段だ、と言ってるのだと思います。

 

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この考えにのっとれば、まず最初に保守なり左翼なりの大文字の思想があります。それは個人によって考え出されたものというより、そうして生まれたものを継承していくことによってひとつの思想的グループを形成していることになるかと思います。そのためそこに参加することは保守なり左翼なりの陣営に自らの身を置くことを意味するかもしれません。そしてそうすることにより個人で自らの意見を発言するよりもひとつのグループとしての発言とすることによって、自らの発言はその人自身によって発言されるよりも大きくなります。その結果その人自身はさほどの論者でないにもかかわらず、保守なり左翼なりの代表的意見を語っている(ように見せる)ことによってその人個人以上の発言権を持つようになるわけです。

 

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逆に一流の人というものは保守や左翼を思想的母体にしていながらも、必ずそれだけで済まさずに様々な領域から学び吸収していると考えられます。そしてそうした混合物として1人の個人としての意見を形成できるようになって、ようやく自らの発言ができるのだと思えます。そのためその人はただ保守なり左翼なりというだけですまされない人物となっている可能性があり、おそらく保守でも左翼でも最初の人、パークやマルクスはそうした人物で、だからこそ後々まで影響を与え続けているのだと考えられますね。その上で自分の考えをある立場に則して意見を発するわけです。

 

小さな者を大きく見せるカラクリとしての所属

つまり本来なら発言権のないような人が、保守なり左翼なりの思想的グループに属することによって無視されないようになるわけですね。そしてもしかしたらそうしたグループに属することによって何者かになれたような気もするのかもしれません。たとえば最近はタレント(やそれに類するようなやり方で選挙に出る人)が政治家になって時々居丈高な態度をしているように見えることがたまにあります。それは政治家(=権力の側)になったから偉くなったと思っているからなのかもしれません。私はただのタレントじゃないのよ、国会のセンセイなのよ、といったところでしょうか。それと同じように、俺は勝手に言ったんじゃないんだぞ、保守(左翼)として言ってるんだからな、何も考えてないお前らとは違うんだぞ、ってなもんでしょうか。

 

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しかし政治家になったって結局何もわかっておらず、自分たちの親分の言うことを聞くしか出来ない程度の政治家であれば、そんなの政治家の責務を果たしているわけではありませんね。誰でもいいわけです。民主主義は多数決の原理がありますから、数合わせに1人出せればいい、という判断で政治家にしてもらえている(つまり党の公認が得られて組織票が得られる)のであれば、その人個人である理由などないのです。あるのは親分のいうことを聞く、逆らわないというだけですね。数合わせとしてはむしろこうした人材の方が便利なのかもしれませんが、あまり思慮深い人物ではありませんから自分では偉い先生になってしまって、他の場所で言うこと聞かせてしまう(つまり権力を行使する)わけです。そして組織の末端で静かに腐敗が進んでいくわけですね(ここ数年騒がれるスポーツ界の組織的トップの横暴は、こうした問題が行き着くとこまでいったものなのかもしれません)。

 

これと同じくその人自身の意見なんてなんの価値もない人が、保守として、左翼として発言することによってあたかも自分がバークやマルクスに連なる者として偉くなってしまったかのように錯覚させるのかもしれません。そして政治家が権力を行使させる(自分の立場によって人に言うこと聞かせる)ように、意見を言う人はバークなりマルクスなりの意見を僭称して知らぬ者へと自分の意見を聞かせているのかもしれませんね。

 

なんでも学生運動をしていた頃にはマルクスを読んだこともない人がたくさんいたそうです(でも逆に当時は大学に入るとわけもわからず学生同士の活動でマルクス読まされたとも言います。どっちなんだ)。じゃあ保守の方でもバークやトクヴィル、もしくは保田與重郎や小林秀雄、福田恆存に江藤淳を読んでいるのかといえば、どれくらいいるのかはわかりません。ではなぜ保守や左翼を名乗りながら発言できるのでしょうか。きっとその方が相手を脅かすことができるからかもしれません。相手はそんなもの読んだこともないし、知らないからです。でも、実は言っている方も読んでないし、よく知らないのかもしれません。それでもなにか自分の背景にあるかのように見せかけることによって大きく見せることが出来るというわけなのかもしれませんね。虎の威を借る狐といったところでしょうか。

 

本来占められるべきでない人々によって占められた、責任ある場所

ですからかつて左翼がダメにした、という意見はそもそもマルクスも読んでないような二流の左翼がたくさんいたからダメにしたのであり、今保守やネトウヨが問題だ、というのはバークも福田恆存も読んでない人がたくさんいて場を占めているから問題だ、と考えるなら、実はどちらも一緒の可能性があります。すなわち、よく知らないのに自分の出世や発言権の拡張のために思想を僭称している、二流以下(偽物)の人間が一流(本物)しか座れないはずの席に座ってしまっている、そして実際に様々な責任ある決定がそうした人々によってなされてしまっている、ということなのかもしれません。

 

なんか今回もとても陰気なお話になってしまいました。冬だからでしょうか。

 

次回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/17/190059

 

気になったら読んで欲しい本

立花隆,佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方』 

佐藤優の発言はこの本の中だったと思います。私は立ち読みして読んだだけなので全体は把握していません。多分、学生運動の時もマルクス読んでない奴がたくさんいた、というのも立花隆がこの中で話していたかもしれません。

 

絓秀実『1968年』 

大学入るとわけもわからずマルクス読まされた、とは絓秀実の発言だったと思うのですが、どこで話されていたのか覚えていません。もしかしたらあちこちで言ってるかもしれませんので、一番手に取りやすい新書を載せておきたいと思います。学生運動の頃を扱ってるから書いてあるかもしれませんね。ただ私はまだ読んでいません。

 

追記(当時)

ブックマークで発言権じゃなくて発信力や影響力じゃないか、とご指摘いただきました。おそらく現在のネット状況ではその通りだと思います。ただそれ以前の出版を中心とした言論の場では、そもそもそうしたことを可能とする雑誌に載ること自体が大きな関門だったのであり、それを得ること自体が難しかったため発言権と書いてしまった次第です。

今はもう死語かと思いますが、昔は岩波文化人なんて言葉がありました。これは岩波書店を中心として言論活動をされる知識人を指した言葉らしいのですが、それは同時に影響力ある知的出版媒体として岩波書店が図抜けて影響力が大きかったからでもあるそうです(絓秀実がそんなこと書いてた気がする)。そしてそうした出版社の後ろ盾なしに言論活動をしようとすれば想像を絶するほどの困難が当時にはあったようです。今世紀に入ってからネット環境の完備のため誰もがメディア発信が可能になり、こうした社会状況はなくなりました。しかし代わりに出版媒体に載ることが可能な選別もなくなってしまい、ネットにおいては誰もが参入可能で自由なあまり質的担保が失われ、言論も同じ憂き目にあっているのだと思います。よく知りませんが、多分ネット上で保守だ左翼だ、といって反発しているのはかつての基準でなら雑誌に登壇することすら不可能な二流の人々ばかりの人の発言を目にして反応しているのではないか、そしてそれは思想(もしくは左右)の違いではなく単なる質の低いものに対する反発であり、実のところ誰も保守なり左翼なりの思想そのものを知らないで反発しあってるのではないか、というようなお話になるでしょうか。もちろん反対にネット上で発言している人の方がまともな知識人で、そうした知識人を標的とすることで自分の名前を売る人もいるんだろうと思いますけどね。


次回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/17/190059

前回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/13/193016

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お話その146(No.0146)

思想の違いによるお互いの共通点や相違点と、相手への理解としつこい自己愛型罵倒という態度の差 ~一流の思想は立場が異なる一流も尊重し、自分の都合でしかないものを思想として掲げる者は立場の違うものを認めない

 

前回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/12/190046

 

思想的立場の違いと理解 〜一流は立場の異なる一流も受け入れる、かな

保守や左翼の共通点と相違点 〜社会批判と歴史的方向性

保守も左翼も現状の社会を批判する点では一致し、その歴史的な方向性が過去が未来かという違いだとすれば、そこまで仲が悪くなるような気がしませんね。立場ややり方は違うけど、案外今の世の中を憂いてどうにかしたいと思っていることは同じなのです。なにもクモやゲジゲジみたいに嫌わなくったっていいような気もしてきます。

 

野村秋介と筑紫哲也 〜宮崎哲也の発言から

たとえば宮崎哲也が言っていたと思うのですが、以前長谷川三千子がNHK経営委員だった時に右翼を礼賛した文章を書いた、と非難されたが、その右翼である野村秋介は生前筑紫哲也と仲が良く親友だった、そんなことどこかで報道したか、と怒っていたことがありました。

 

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私はよく知りませんが野村秋介は新右翼の理論家として大変高名だそうで、計18年の服役中に膨大な書物を読んで自らの理論を構築したのだそうです。とんでもない人ですね。

 

一方筑紫哲也はニュースキャスターとしてこちらも大変有名ですね。左翼としても右派や保守からそれこそクモやゲジゲジのように嫌われていたそうですが、その右翼の超大物といっていい野村秋介とは仲がよかったそうです。お互い尊敬しあっていたといいます。

 

おそらく二人とも相手方の諸々にはとても嫌われていたのではないかと思いますが、しかしその当人同士は尊敬しあっていたわけですね。これが不思議に思えながらもむしろ不思議ではないような気もするのが前回までのお話のつもりなのですが、上に書いたように理想社会の方向性が違うだけで世の中を変えようという根底は共通しているからなのかもしれませんね(でも右翼と左翼だからこれまでの話とは違うかな)。

 

江藤淳と吉本隆明 〜意外な対談

また戦後を代表する文芸批評家同士であった江藤淳と吉本隆明という人がいます。どちらも戦後の文学史に残る超大物です。江藤淳は保守派の論客で吉本隆明は左派の論客として共に高名でした。この2人が対談するというのでどれだけ意見が対立するのか、と思われたのですが、あにはからんや互いに意気投合してしまったのだそうです。対立する意見を越えて、問題となっている現状認識では一致したのかもしれませんね。

 

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一流同士の理解 〜相違点を踏まえて相手を受け入れる

ここで考えてみたいのは、結局保守(もしくは右翼)だ左翼だといっても、非常に優れた一流同士では、立場の違う相手の考えというものも十分理解し納得のいくものではないのか、ということです。相手を徹底的に気に入らないというのは相手の言うことを聞いてのことではなく、ただ自分の正当性を認めさせたいだけなのかもしれません。そしてそれは二流以下においては自分のことで精一杯で、どうしても自己弁護や自己憐憫から相手を受け入れられないのに対し、一流はたとえ意見の違う相手であっても、一定の水準のもと導き出された結果に対しては適切に評価し相手を認める、ということなのかもしれません(ただ一流同士でも高度な水準で相入れないということはあるかもしれません)。

 

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もしそうだとすると、思想による対立というものは右とか左とかいうものではなく、上と下によるもの、それも下の人たちによって出される怨嗟の声に思想的な装いをしているだけなのかもしれませんね。

 

次回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/16/190001

 

気になったら読んで欲しい本

筑紫哲也『若き友人たちへ』 

筑紫哲也と野村秋介の本。私は読んでおらず宮崎哲也の発言程度しか知らないので、お二人の関係もよくわかりません。とりあえず最後の著書と思われるものを載せておきます。でも両方読んでみると比較したりどこが共通したりするのか考えてみるのにとてもよさそうですね。

 

『吉本隆明 江藤淳 全対話』 

おあつらえむきに吉本隆明と江藤淳の対話を集めた本がありました。こりゃありがたいですね。でも私は読んでいません。他でも2人の対談はまだ読んでいませんので、今回のお話はあまり具体性のないお話でしたね。申し訳ありません。気になったら私の書いたことどこが間違ってるのかこれらの本読んで確かめてみてくださいね。

 

あぁ、今回も読んでない本だけしか載せれませんでしたね。ご不満に思われる方もいらっしゃいますでしょうが、これが私の限界としてお許しください。

 

(ブックマークにて、社会を良くするためにやってるのと、嫌いな相手を殴りつけたくてやってるのは全く異なる存在だと思います、と丁寧なコメントをつけていただきました。その通りだと思います。次回はそうしたお話のつもりなので、もしよろしければご覧になってください。一応続きものとして書いているので、一回一回のお話はコマ切れになっています。

またなんらかの実務能力に敬意をもてればなんとかなるのでは、けど思想だけ優れた人をどう考えていいかよくわからない、ともコメントしていただきました。これは結構重要な問題と思うのですが、重要な分ちょっとやそっとでは私には説明出来ませんので、いつか数回に分けて考えられたらいいな、と思っています。難しい問題ですね)

 

次回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/16/190001

前回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/12/190046

 

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お話その145(No.0145)

宗教における理想社会の過去志向(仏教・イスラーム・儒教)と未来志向(キリスト教) 〜開祖が直接教え治める過去の時代と、復活して死後に期待を寄せる理想社会

 

前回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/10/190029

 

宗教における過去志向と未来志向 〜仏教・イスラーム・儒教、キリスト教

社会批判と過去志向・未来志向

保守と左翼が現状の社会への批判といった点では一致するのに、そのための観点が過去が未来かで変わってくる、なんてお話をしてみました。けどこれって保守とか左翼だけの考え方なんでしょうか。結構どこでも同じような考え方をしてそうですよね。だっていつがよかったかなんて、過去か未来しかない気がします。

 

年齢における過去志向と未来志向

これを年齢で考えてみますと、若い間は過去が少ないから未来志向になり、年寄りになると未来が少なくて(というかそう感じるようになり)昔に体験したことの方が多くなるから過去志向になる、ということなのかもしれません。そういえば全共闘後に、学生運動に参加するのは若者が麻疹にかかるようなものだ、なんて言い方を見た覚えもあります。つまり若い人は未来社会を求めて理想化し左翼になるわけですね。一方同じく全共闘後に、参加していた人たちが案の定保守化していった、ということも目にした覚えがあります。年取ったせいなのかもしれません。

 

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そういえば保守化した態度として若い頃自分がやらされたことをそのままやらせたがるってことがあるかもしれませんね。この点保守は合理的でなくただ踏襲的です。もっといい方法があっても自分たちの経験を特権化して押しつけちゃうんですから。これは若者から嫌われてもおかしくないかもしれませんね。

 

宗教における過去志向や未来志向

年齢だけでなく、社会への考え方という点でも過去志向と未来志向ってあるかもしれません。たとえば宗教ではどう考えるでしょうか。宗教もまたいい世の中というものをどこかで考えていると思えますものね。

 

過去志向の宗教 〜仏教、イスラーム、または儒教

そう思って考えてみますと、過去志向の宗教としては仏教やイスラームなどがそうかもしれません。というのも、1番よかった社会は、といえば、お釈迦さまやムハンマドが直接教えをたれたり統治していた時代だからだ、ということになるそうだからです。

 

これはわかりやすい考えですよね。だって仏教でもイスラームでも開祖である最初に教えを広めた当人がいる時代が、1番いいに決まっているからです。お釈迦さまでもムハンマドでも人間ですから死んでしまいますが、その後は生きている間の教えを伝えられて守っていくことになるので、どうしても間接的です。それに比べればお釈迦さまでもムハンマドでも直接聞いて教えてもらえる世の中の方が理想的であるのは当然の話です。納得いく気がしますね。

 

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これとちょっと違いますが儒教でも『論語』を読んでいますと孔子が昔の教えを守れ、今の世の中はそれを守らないから悪いんだ、なんて言っていて、こちらも過去志向な気がします。むしろ現代の保守親父みたいな人はこっちの態度の方が近いのかもしれません。でもそうした人も今は昔かもしれませんね。世代が広がってしまいましたから。

 

未来志向の宗教 〜キリスト教

では未来志向の宗教は、となるとキリスト教のような気がします。イエスはお釈迦さまやムハンマドのように長生きしませんでした。30歳そこそこで殺されてしまいますので、仏教やイスラームのように開祖直接統治時代なんて起こりえなかったわけですね。ですからキリスト教では最後の審判の後にキリストが蘇って千年王国を作る、という未来志向の理想社会を描くような気がします。案外イエスを神の子としたのも、未来社会と関わってくるのかもしれませんね。

 

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それだけでなくキリスト教は弾圧された宗教でした。元々ユダヤ教の中から出てきましたし、当時のローマ帝国内では怪しい新興宗教です。ローマにはローマの宗教がありますから、それを脅かす新興勢力ですね。そのため徹底した弾圧を受けたそうですが、ユダヤ教と違ってキリスト教は最後には勝ちました。ローマの国教となり今日まで西欧的社会の母体です。ローマは滅びましたがキリスト教は滅びませんでした。大変元気です。

 

しかしこの弾圧の経験がキリスト教の中に黙示録という想像力を生みました。それが最後の審判によって世界は滅び、キリストによる新たな千年王国が現れる、という考え方(むしろ妄想?)です。これはユダヤ教が全戦全敗の敗北者であったから唯一神なんてものを考え出したのと同じように、現実の政治社会(ローマ帝国)に絶対勝てないから今自分たちを弾圧している社会の後に自分たちの社会を理想像として持ってきたわけですね。仏教やイスラームとはかなり違う発想です。ですがキリスト教はこの思想で実際に現実社会に勝ってしまいました。馬鹿には出来ませんね。

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/08/26/193016

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/08/14/193013

 

案外普遍的に思える過去志向と未来志向

こうして考えてみますと、保守とか左翼といいつつも、そこに内包されている理想社会への過去志向や未来志向という想像力は古代の昔からあるのかもしれません。もしかしたらこうした考え方は理想社会への普遍的な想像力で、その現代版が保守や左翼なのかもしれませんね。そう捉えてみると、今日もまた私たちは人間の営みを飽きもせずに続けているだけなのかもしれません。

 

次回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/13/193016

 

気になったら読んで欲しい本

ベック『仏教』 

う〜ん、仏教の説明ってどれがいいんでしょう。あまりよく知らないので、読んだ覚えのあるこの本を載せておくことにします。でも内容忘れちゃった。

小杉泰『イスラームとは何か』 

私が読んで大変面白かったイスラームの解説書です。書き方が面白く書かれていると思うので、とりあえず興味を持つには最適のような気がします。

 

『論語』 

『論語』はそのまま読んでも面白いんじゃないでしょうか。適当にページ開いて読んで、嫌になっちゃえば閉じてしまえばいいですしね。ひとつひとつが短いので気軽に読める古典ですね。

『聖書』 

新約聖書の最後の方に黙示録があります。これが案外キリスト教の持つ未来志向の考え方なのかもしれませんね。後々形を変えて影響しているのかもしれません。

 

次回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/13/193016

前回の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/12/10/190029

 

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お話その144(No.0144)