【わたしが双極性障害と診断されるまで】3
こんばんは。ヴィレムです。
この記事は前々回の記事の続きです。
さて、新社会人として慣れないながらも仕事を覚えていき、周囲の人にも恵まれた、わたくしヴィレム。順風満帆に見えました。
「変だな...。」と思い始めたのは、始めてのボーナスをもらったあとの9月でした。
今まで普通にこなせていた仕事が上手くいかない。出来ても、とにかく時間がかかる。
上司や先輩からも「体調が悪いのか?」と心配され始めました。
その時、体調が悪いわけではなかったので、大変に焦りました。焦れば焦る程、仕事はこなせなくなっていく一方。
家に帰れば、とりあえず寝るだけの日々。食欲は減退し、お風呂に入るのすら億劫になりはじめました。朝は起きにくく、家を出る10分前まで寝ていました。
この時点でわたしは、心療内科に行くことになります。
今思えば、その時に病院を探してくれた家族に感謝です。結果的に今の主治医に出会えたのですから。
ただ、当時は、初めての心療内科に完全にビビっていたし、そこに連れていかれる自分が情けなくて仕方なかったです。(かなり語弊のある書き方をしていますが、当時の正直な感想です。)
だから、第一回目の診察は診察室で泣き通しでした。たぶんほとんど、診察室に付いてきてくれた家族が話したんじゃないかと思います。
そこでとにかく『うつ状態』との診断を受けました。
「とにかく(仕事を)休んだ方が良い」と主治医から忠告されましたが、わたしは拒否しました。
「仕事だけは休んではいけない」
と、回らない頭で思ってしまったのです。
その時は心療内科に行った数日後にうつ状態から抜けたため、特になんとも思わず終わりました。仕事もきちんと出来るようになりましたし。
周囲には、「大変に疲れていて仕事に集中できなかった。申し訳ない」と謝ってまわりました。
長くなりました。また次回に続きます。
では、また逢う日まで!
【わたしが双極性障害と診断されるまで】1
こんにちは。ヴィレムです。
本日の記事から、わたしが双極性障害と診断されるまでを書いていこうと思います。
長くなるので、何日かにわけての投稿になります。
☆はじまりは救急車で搬送?!
高校2年生の頃。
母と姉と夕飯を外でとっていた時に、私は急に意識を失い、救急車で搬送されました。
目を覚ますと病院のベッド。そのまま2泊ほど入院しました。
その時に搬送されたのが、「脳神経外科」です。
そして退院後、定期的に通院することになるのです。
処方されていた薬は『デパケンR』
実はこの薬は今も服用しています。(成分が同じで商品名が違うものですが)
高校生の時は、特に病名は先生から教えられず、素直に薬を服用し、通院していました。
今思えば、はじまりは衝撃の救急車での搬送でした。
今回はこの辺で。また逢う日まで!