時間
たった一枚だけ残されたカレンダー。
吊されているそれを、毎日ちらっとしか見ていなかったのに、いざなくなってしまうと、外の世界から置いていかれてしまうような気がして。
ただ部屋に吊されているだけで、きちんと周りの世界と同じ時間を生きられているような気がするんだから、不思議だね。
2019年のカレンダー、ようやく注文したよ。
死にたくないって、最近思うようになった。
今まで、ずーっと、いつ死んでもいいやって思ってた。
なんでだろう…って考えたら、たぶん、周りの人やものを愛せるようになってきたからかなあ。
大切に思う人やものと、もう少し時間を共有していたいって思うようになったから。
好きな人と寒さに凍えたり、家族と食卓を囲んだり、好きな音楽に心を癒されたり。
そんな時間が、最近はとっても愛おしくて。
そんなふうに思える人やものが自分のそばにある、いてくれることに、ありがとうの気持ちを持って、一日一日を生きていこう、と今年は思っています。
またね。
距離、日常
伝えたいことは、近くにいても、もちろんあるのだけれど、少し遠くなってから、見つけていなかったものを見つけたりする。
ひとりでいる間に、勝手にあたためてしまったのかもしれないけど。
四月を嫌がるわたしに、高校の同級生が言った、「会いたい人には会えるよ、だって私たちが会えているんだから。」
その言葉にすごく勇気をもらったこと。
だけど、当たり前のように一緒にいた人やものが離れてしまう、空っぽになってしまう、そのことは、ただその事実だけでやっぱりさみしい。危うくて、くるしい。
最近観た映画や、聴いている曲が、日常は奇跡だと説いていて、それがやけに胸に刺さる。
ひとりで泣くのを、ずるいことだと分かっているのだけど、心がものすごく動いてしまう、日常は偶然の積み重ねだって分かっていて、そこから沢山のものを積み上げてきちゃったからだ。
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「君を不幸にできるのは、宇宙でただ一人だけ」
この言葉を思い出した。
嬉しくさせたり、悲しくさせたり。
ひとりの人間を、その心を動かすことができるのだということ、胸に刻まれていたらいいのに。
私の部屋は陽当たりが良くて、あたたかい。
目を覚ますときに、カーテンに透けている光が綺麗で、私はすごく好きなんだ。
陽気な女の子
陽気でいるのが好きだ。
陽気でいると楽しいし、周りの人たちが笑ってくれるのが嬉しいし、軽くなったような気分になる。
ときどき、そうあるべくしてそうあったのかもしれない、なんて思うことがある。
それが現実かもしれないけど、そう思うとなんとなく悲しくなる。
好きでそうしていると思っていたほうがずっとずっと気楽だ。
だけど、陽気でないときを自然とゆるしてくれる空間はすごいなあ、と思ったりもする。
そういう空間や音楽や、に触れると涙が出てきたりする。
そんな私を見て、ただ笑ってくれたらいいな、なんていうのは我儘に過ぎないけれど。
またね。
たとえ鬱が夜更けに目覚めて
昼と夜のあいだの空が好きだ。
確かなものなど、なにも手に入れられないように思える。他人のことはもちろん、自分のことだって、確かなのかと問えば、そうではないように思う。
それでも、というより、それだから私たちは少しでも確かなものを求めて、人や、ものに、手を伸ばしているように見える。あの子の笑顔とか、手を握ったときの感触、コーヒーの香り、お風呂の湯気。
そうはしてもやっぱり、確かに、変わらずにあるものなんて、これっぽっちも掴めないんだけどね。
昼を過ぎて、白みがかった空の青を見ると、夜がちゃんとやってくるのが分かって嬉しい。
今夜はどんな話をしようかな。
写真を撮るということ
私はどちらかというと写真をよく撮る方ではなかった。素敵だな、と思うものからは目が離せなくなって、そのままじっと見つめて自分の中に残しておくのが好きだった。
だけど、当たり前にあったものが形をなくしてしまう。
実家が解体される前日、がらんとしてしまった毎日暮らした場所を、沢山写真に撮った。
私がこの家に来たのは小学三年生の頃、今から10年以上前のことになる。それより前にも「おじいちゃんち」としてここへは来ていて、この家は私よりも長生きだ。そんな家が、ついに建て替えをすることになった。
それぞれに思い出は詰まっているけれど、印象に残っているのは、やっぱりキッチンだと思う。毎日、私は祖母の作るごはんをそれは楽しみにして、今日はなんだろうなと考えながら学校から帰ってくる。そしてキッチンを覗いて、「美味しそうだね」と声を掛けると、祖母は「美味しそうだね、じゃなくて美味しいのよ」と言う。それがお決まりの会話だった。
私はおなかが空いて仕方がなくて、いただきますをすると夢中になって食べて、それを家族が笑って見ていた。叱られて泣きながらごはんを食べたこともあったな。
思い出はなくならないけれど、当たり前のようにあったものがなくなってしまうのは、なんとなくさみしい。
そこで暮らした日々のことを、家族との会話や、一人ひとりの表情を、忘れたくない。
いつかは離れてしまう、なくなってしまうものたちとの、忘れたくない日のことを、私は写真に撮りたい。