ゆる部屋

好きなことしながらゆるりと生活していくこと(=ゆるりすと)を目指します。

忙しい今こそ年始めの計画を見直すべき

私の今年の年間目標として、「なるべく毎日学習時間を確保&土日にはもうちょいまとまった学習時間を確保」というようなものがある。

1月・2月は割とうまくいっていた。しかしここにきて(年度末ということもあり)仕事が忙しくなり、「なるべく毎日」どころか「平日はほとんど」時間がとれない状況が続いている。年始めに、新年早々新しいことを始めるのはあまりよくないと思った - ゆる部屋などというエントリをドヤ顔であげているのだが、結局自分自身、現在の忙しさをそれほど想定できずに計画を立ててしまっていたらしい。

いつみなおすか?


【5分間耐久】「じゃいつやるか、今でしょ!」 - YouTube

いまでしょ、ってことで。

別に年度計画の段階で完璧な計画設定をしておく必要はない。大切なのはむしろ、行き詰まったときにどう計画を調整するか、だと思う。であれば、その再調整の時期は、忙しくて計画通りに物事が進んでいない今ではないか。年始めに想定していたような時間がとれないなかで、どういった学習計画であれば今の自分に遂行可能なのか。現在のライフサイクルを見直しつつ、考えていかなければならない。


現在のライフサイクル自体も見直す

仕事がすこしずつ忙しくなり、学習時間が一度とれなくなってしまうと「ああ最近忙しいから無理だ。あー今日無理だ、明日も無理だ」とだんだん学習習慣が消えていってしまった。こういう状況でたしかに計画の再調整は重要だが、同時に現在のライフサイクルを見直し、本当に現在の忙しさの中で学習時間捻出が難しいのかも問い直さなければならない。

もちろん忙しい中で無理して時間を捻出したり、やる気にならないのに無理矢理学習体制をとるのは、モチベーションのことを考えても学習効率の面からもあまりよろしくない。しかし、もう一度24時間の使い方をみつめなおし、無理のない範囲でできるだけ多くの時間・日数を(自分のやりたい)学習のためにあてようとする試みには、チャレンジしていいかと思う。

実況松木の変遷(動画多数)

松木安太郎氏といえば、サッカー日本代表をテレビ観戦する方には超おなじみの、テレビ朝日名物解説者である。

アナウンサー以上に日本のチームに対する応援やゲキを飛ばし、興奮しながら解説することが多い。日本に対する情熱が度を過ぎて、「応援しているだけで解説者としての役割を果たしていない」という視聴者からの意見、抗議も少なくないが、「日本を応援する代表的存在として好感が持てる」などの好意的意見も見られ、賛否両論がある
松木安太郎 - Wikipedia

などと書かれているように、松木解説=うるさい・解説になってない・応援団長というイメージである。そしてこのイメージは正しい(と思う)。特に、実況角澤・解説松木、セルジオの「鉄のトライアングル」を形成しようものなら*1、もうその試合のフィールドは実況席である。まあただ、松木さんの解説はもはや解説ではなく、一種のエンターテイメントの領域に達していると考えられなくもない。以下参考動画。


AFCアジアカップ2011 松木安太郎総集編(Part1) - YouTube

私はといえば、あとから動画サイトで見る分にはおもしろいけど、リアルタイムで見ているときに松木さんの解説は勘弁してください、と思う。


松木さん昔はもっと静かだったのに・・・

かといって松木さんが昔からこんな大騒ぎ解説をしていたかというと、それがそうでもないようである。サイトにあがっている動画から、松木さんの騒がしさの変化を追ってみよう。

ジョホールバルの歓喜(実況:山本浩アナ)2/2 - YouTube

どうですか、得点シーン。「よしっ」しか言ってない。だいたい、NHKの山本浩アナと松木さんなんて、今考えたら何という組み合わせだろうか。

  • 2000年シドニー五輪男子サッカー 日本対南アフリカ


2000 シドニー五輪 グループD 日本 vs 南アフリカ【Japan vs South Africa ...

これも静か。まあ実況がうるさすぎというのはあるが・・・


日本 VS チュニジア FIFA 日韓W杯 (2002年) - YouTube

97年のイラン戦に比べるとだいぶうるさいがが、それでもまだ静か。


AsiaCup 2004 Japan vs jordan (2004年アジアカップ 日 ...

この辺からなんかおかしくなってくる・・・


2006 FIFA ワールドカップ 日本 VS クロアチア 川口PK阻止 - YouTube
2006 FIFA ワールドカップ 日本 VS クロアチア 柳沢決定機逃す - YouTube


ああああああああーーーーーー!


松木さんの「あああー!」は世界が終わりそう。


(サッカー)松木絶叫「ほら来たぞ!おら!」 U-22サウジ戦 - YouTube

丁寧な言葉遣いを心がけましょう。

  • 2008年 南アフリカW杯アジア3次予選 日本対バーレーン

もうこのあたりになると、安定して松木ワールド。


アジアカップ2011 日本VSオーストラリア 李決勝ゴール 1-0 長友 - YouTube

【AFCアジアカップ2011】激闘の決勝戦 放送席 日本決勝弾の瞬間! - YouTube


私はこの試合をテレビで観戦しながら、「これは松木伝説に新たな1ページが加わる・・・」などと思っていた。

まとめ

松木さんは昔はいまほどうるさい解説ではなかったようであるが、2000年代に入って徐々に騒がしさを増していったようである(セルジオと組むようになったから・・・?)。そのきっかけがよくわからなかったけど、松木解説はまあそれはそれでおもしろいので、サッカー中継の際にオプションとしてあってもいいと思う*2

*1:で、ピッチ解説は名波さん

*2:ただし、NHKで野地さんの実況オプションも用意してください

【読書】高階 秀爾『続・名画を見る眼』

続 名画を見る眼 (岩波新書 青版 E-65)

続 名画を見る眼 (岩波新書 青版 E-65)


本書は高階 秀爾『名画を見る眼』の続編だ。

『名画を見る眼』ではファン・アイクからマネまで15名の画家、すなわちルネサンスから19世紀中頃までの西洋絵画を取り上げていた。そしてこの『続・名画を見る眼』では、

その後を受けて、モネからモンドリアンまで、すなわち印象派からフォーヴィズムキュビスムを経て抽象絵画に至る近代絵画の巨匠十四人の作品十四点を対象として、それぞれの作品の成立の事情やその意味を明らかにしながら、同時に近代絵画の歴史をたどろうと試みた(p.209 あとがき)

という本だ。

個々の絵画を楽しみながら、近代西洋絵画の流れを概観する

高階 秀爾『名画を見る眼』についてのエントリでも書いたが、個々の作品について意味や歴史的背景がコンパクトにかつわかりやすく説明されているので、まるで説明を聞きながら展覧会を廻っているかのような感覚になる。加えて、本書を読み通すことで印象派から抽象絵画へという近代西洋絵画の流れを概観することができる。

私なりにその流れをまとめるとこうだ。

写実主義の徹底と三次元性の崩壊

『名画を見る眼』で紹介されていたルネサンス以降の西洋絵画はフェルメールの絵画に見られるように、いかに現実をとらえ画面上に表現するか、二次元の画面上にどう三次元を表現するかを追求する中で遠近法や明暗表現を発達させてきた。19世紀に登場した印象派は対象の個別の色彩を否定し、「光の効果」を含めてより徹底した写実主義を求めた。その光の効果を表現するために印象派が使用した技法が「色彩分割」であるが、しかし、それらは遠近法等従来の写実性を表現する技法と矛盾を来してしまう。よって印象派の絵画は奥行きを失い、平面に近づいていく(モネの『睡蓮』)。

写実主義の先に

印象派以降三次元性を失い始めた絵画だが、セザンヌは幾何学的な秩序を持ち込むことで三次元を表現しようと試みた(『温室のセザンヌ夫人』)。一方ゴーガンは「目に映る世界以上を表現したい」という欲求から、ものの形態を一つの大きな塊として把握し、表現した*1。またルソーは目に見える自然を再現使用するのではなく、非現実的なタッチによる夢の世界、作者の想像の世界、見えないはずの世界を表現しようとした(『眠るジプシー女』)。そしてマティスは、印象派によってもたらされた現実世界という虚構の崩壊のなかで、虚構の現実感よりも画面そのものの実在を強調した(『大きな赤い室内』)。
印象派がもちいた色彩分割といった技法は従来の遠近法等西洋絵画の技法と矛盾し、絵画による現実表現の限界をあらわにしたが、では絵画とはなにか?という問いの答えとしてモーリス・ドニの言葉が引用される。

絵画とは、戦場の馬とか、裸婦とか、その他何らかの対象である前に、本質的に、ある一定の秩序で集められた色彩によって覆われた平坦な面である
(p.142)

絵画とは平面である、この前提を元に絵画を構成していったのがマティスであり、ピカソである。

③ 絵画とは画面であり、平面である

「平坦な面」を絵画の前提とする中で、マティスが思いきった色使いで自己の内面表現を行った一方、ピカソは色彩よりも造形表現を追求していった。いわゆる「ピカソの奇妙な造形表現(『アヴィニョンの娘たち』『ゲルニカ』)は、対象を純粋に造形的なものとしてとらえ、分解し、そして平面の上に再構成するという意図がある。ものの形を奥行きで表現するのではなく、あくまで平面上において視点の分割およびその統合によって表現しようとした。

④ そして抽象表現へ

シャガールの「幻想の詩的表現」、カンディンスキーの「客観性とか、何かある対象の描写と言うことは不必要であるばかりか、むしろ邪魔になるものだ」というスタンス、モンドリアンの造形要素そのものの中に自立的な法則を見いだそうとする試み、それらはルネサンス以降西洋絵画がさまざまなテクニックを駆使して表現しようとしていた「客観性」・「質感」・「写実性」・「目に見たまま」・・・を超えて、抽象絵画として現れている。

抽象絵画は「奇抜」ではない

ピカソなどの抽象絵画について、私は「偶然世に現れた、とんでもない(狂気の)天才がつくりあげた作品」くらいに思っていたが、本書を読めばそれは誤りであることがわかる。

抽象絵画といえども、決して不意に生まれて来たものではないのである
(p. 210)

西洋絵画の変貌にはそれをもたらした歴史的な経緯がある、本書を読めば、その一端に触れることができる。

*1:その結果、対象がまわりの風景と解け合ってしまいそうな印象派とは違い、対象が太く明確な輪郭線で描かれるゴーガンの『イア・オラナ・マリア』だ

ファミレス夜通しKindle読書

終電逃した→地下化する渋谷駅にいきあまりの混雑に唖然とする→とりあえず都内のファミレスに逃げ込む→夜通しKindleで読書←イマココ。


Kindle充電しておいてよかった。

【読書】高階 秀爾『名画を見る眼』

今まで西洋芸術(絵画・クラシック音楽)に関して、私はそれがなんであるのかということはさっぱりわからず、「あーなんかいい感じ」と思うものを鑑賞するのみだった。今回渋谷Bunkamuraで開催中のルーベンス展を見に行こうと思い立ち、西洋芸術をちょっと(ほんとちょっと)勉強してからいくかーと思ったので、以前購入して一度も開かれずほこりをかぶっていた本書を取り出した。

名画を見る眼 (岩波新書)

名画を見る眼 (岩波新書)

ファン・アイクからマネまで、見ながら学べる

本書はファン・アイクからマネまで画家15人の15作品を主に時代順にとりあげ解説を加えていくスタイルをとっている。この時代を切り取った理由を高階は以下のように説明している。

時代をルネッサンスから十九世紀までとしたのは、歴史的に見て、ファン・アイクからマネまでの四百年の間に、西洋の絵画はその輝かしい歴史のひとつのサイクルが新しく始まって、そして終わったと言い得る
(本書 p.190)

1つの作品について、そのエピソード、使用されている技巧、そして歴史的背景が一通り解説されている。そして本書を通読することで西洋近代絵画の歴史・技巧の基本を学べるようになっている。

ファン・アイクの『アルノルフィニ夫妻の結婚』でシンボルから絵画を読み解く手順を示し、レンブラントの『フローラ』で「主題」・「モティーフ」といった基本的な用語を導入する。

デューラーの『メランコリア・Ⅰ』で版画技法の紹介をし、プーサンの『サビニの女たちの掠奪』で激しい動きの中に緻密で安定した構図があることを示す。

フェルメールの『画家のアトリエ』で三次元空間表現技法の緻密さを示し、ドラクロワの『アルジェの女たち』で補色の関係を導入する。


ひとつひとつの絵画を、楽しみながら、味わいながら、西洋近代絵画の流れ・技巧をおさらいすることができる。

「わかり難い」ことがわかりやすい

高階氏の解説は、明瞭でかつ刺激的だ。40年以上前の本であるが、古さなど微塵も感じない。むしろ目の前で絵画のレクチャーを受けているような、そんな臨場感すら感じる。紹介された15の絵画が、どのようにすばらしいか、どの点が「見るべき点」なのか、それが非常にわかりやすく紹介されている。そして、本書を読むなかでわかるのが、西洋絵画をより深い次元で鑑賞するためには、絵画の描かれた時代の知識・古代ギリシャや聖書など西洋的教養が必要ということだ。その意味で、私にとって西洋絵画は「わかり難い」、ムズカシイものだ。


その「難しさ」がこれほどまでにわかりやすく示されているという点が、本書のすごいところ、おすすめポイントだとも思う。