Ici et ailleurs カメルーン滞在記🇨🇲

2018年6月から2年間、青年海外協力隊のコミュニティ開発隊員として、母子保健分野でのボランティア活動に従事します。

協力隊を終えて

日本に帰国してから、あっという間に4か月が経とうとしています。

 

ボロボロの車にデコボコの道路、電気も水も十分に供給されず、エアコンもなく手洗いで洗濯をしていた日々が嘘のようです。

けれど、カメルーンでの日々があったからこそ、少しは足るを知る人間に成長できたと思います。

 

カメルーンで過ごした約1年9か月は、僕の人生において忘れられないかけがえのない経験になりました。

 

現地の人たちと同じように、市場で買い物をし、現地の料理を食べ、ビールを飲んでダンスをしたり、サッカーをしたり。窮屈なバスに乗って移動し、違う町の文化に触れたり。いつも面倒を見てくれる人がいたり、冷やかしてくる人がいたり。

 

良いことだけじゃなく、悪いことも、うれしいことも、頭にくることも、楽しいことも、反省し後悔することもいろんなことがありました。

 

これらを全て含めた、カメルーンの人々の姿、風景、風、音、匂い、食べ物の味、喜怒哀楽の感情が、忘れられないものとして脳裏に刻まれています。

 

協力隊に参加することができて本当によかった。

 

 

ボランティアとして活動するのは簡単ではありません。

 

僕たちは現地の人の役に立ちたいという思いでも、現地の人から見れば外国からきて言葉もよく喋れず何ができるかよくわからない人。支援にきたっていうからお金をくれって頼んでみても、持ってないしくれない。笑

 

このギャップを埋めるために、2年間かけて現地の人たちが必要としていること、現地の人の役に立てることを自分で考えて、活動していきます。

 

自分がやりたいことでも現地の人に役立たなければ意味がありません。

現地の人たちのために、こうしたら役立つんじゃないかと試行錯誤し、自分にこんなことができたんだ、こんなこともできないんだ、と一喜一憂しながら取り組んでいく。

 

簡単ではないけれど、2年間誰かのために活動した経験はかけがえのない財産で、また新しい自分の発見も今後の可能性を拡げる貴重な経験となりました。

 

フランスで語学留学をしていたときに、友人がアフリカ系の学生を僕に紹介し、彼が「僕は日本が建てた学校で育ったんだ」と言いました。会話はそれっきりで終わり、彼はすぐに立ち去りましたが、そのときのことを今でもはっきりと覚えています。

 

自分の活動もこんな風に、現地の子供たちが大人になったときに、「日本人が手洗いの啓発活動をやってくれた」とか、「母子手帳の記録は今でもとってあるわ」とか覚えてもらえていたらどんなにうれしいだろうか。

 

 

こうして協力隊の経験を振り返ると、自分が与えたものはわずかで、もらったもののほうがはるかにたくさんあります。返したくても返し切れないほど。

 

以前に、井上ひさしさんの本で「恩送り」ということばを見つけました。恩返しは誰かからもらった恩をもらった相手に返すことですが、恩送りは誰かからもらった恩を別の誰かに返すこと。

 

協力隊の目的の一つに、ボランティア経験の社会還元というものがあります。自分なりのやり方でこの経験を身近な人に伝えたり、教育の現場で伝えていくこと(協力隊経験者は学校での出張授業などに参加できる機会があります)で恩送りをし、若い人たちに世界で起きている出来事、自分の知らない文化や暮らしを知る喜びや楽しさを伝えていきたいです。

 

最後に、これまでの活動を応援してくれた人たちに感謝を申し上げます。

 

今まで応援してくれた家族や友人をはじめ、お世話になった人たちのおかげで無事に活動を終えることができました。

 

このブログを通して、協力隊やカメルーンについて知ったり興味を持ったりするのに少しでも役立てたり、事情があって協力隊に参加できない人の励みになれたらうれしいです。

 

このブログじゃよくわからないから自分で参加したくなっちゃった人や、友人や知り合いで協力隊に興味がある人がいたら相談にのったりアドバイスなどできますので気軽に連絡ください。今はコロナ禍で難しいですが、20歳から69歳まで参加可能ですので、思い立ったが吉日でぜひどうぞ!

 

これにて、このブログはおしまいです。

2年間お付き合いいただきどうもありがとうございました!

 

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活動終了(24か月経過)

6月24日にオンライン最終報告会を終え、6月26日をもって協力隊の活動を終えました。

 

以下に活動のまとめを書きます。

 

まず、現地調査&家庭訪問では、調査マップの作成と約75世帯の家庭訪問を行いました。

家庭訪問は、活動への協力者を探すことから始め、6か月以降から開始。

人びとの暮らしぶりだけでなく、治安情勢が悪い地域から移ってきた人、公用語(フランス語)を話せない人など、任地の今まで知らなかった側面を知り、活動だけに留まらず多くのことを感じたり学んだりしました。

 

次に、母子健康手帳の普及活動では、2019年1月から2020年6月までにエデア保健地区で2,750部を配布しました。

母子手帳の普及は活動の柱で、普及が進むためには配属先や各医療機関の理解や協力が必要でしたが、みんなが本当によく協力してくれたおかげでここまで配布することができました。

 

そして、医療サービスの改善では、地域の診療所の壁画制作を行い、病院の受診者数が前月比で10〜15人増加しました。

なんとか帰国前までに制作ができ、診療所の人たちが喜んでくれて、完成後にみんなで飲んだビールは最高に美味しかったです。

 

最後に、啓発活動では、母子を対象にした病院での啓発活動を約56回実施し、学校での国際デーの啓発活動(手洗い、エイズ)は、小学校3校7グループと中高等学校2校で実施しました。

カメルーンの子供たちに何かを残せたらという思いで活動し、少しでも彼らの役に立つものを残せていればうれしいです。

 

こうしてそれぞれの活動の結果を数値にすると、もっとできたと思う部分はありますが、どの活動も人びとの協力なしには実現できませんでした。

見ず知らずの国からやってきた外国人を受け入れて、これらの活動に協力してくれたからこそ実現できたことだと思うので、現地の人たちには本当に感謝したいです。

 

 

最後の3か月は日本に帰国していましたが、現地の人たちとは連絡をとって近況を報告したりしていました。

そして、この期間で一番うれしかったことは、僕の帰国後も母子手帳の普及活動が継続されていたことです。

 

隊員にとって一番大きな願いは、現地で伝えた知識や技術が、ボランティア帰国後も人びとによって活用されることです。

 

しかし、ボランティアが支援している環境の中で現地の人に自立を促すことは、とても難しいことで、そのやり方に答えはありません。

それは何代ものボランティアを通じて、知識や技術に加えて、精神的な面で現地の人びとの自立につながる働きかけを行うことで培われるものだと思います。

 

任期途中での帰国となり、一番の心配は母子手帳の普及が止まってしまうことでしたが、配属先が継続して普及に取り組んでいることを知り、とてもうれしく思いました。

 

現地の人たちが自分たちの手で活動に取り組んでいることは、小さいながらもカメルーンの発展における希望だと思います。

 

この先、このコロナ禍でどれだけボランティアの不在期間が続くか分かりませんが、引き続き現地の人たちと連絡をとり、実務面でできることはサポートしていきます。

 

 

母子の健康改善を目的にカメルーンで2年間の活動を行いました。うまくいったこともいかなかったこともあり、また実際に母子の健康改善にどれだけ役立ったかはわかりません。

けれども、少なくともこの2年間はカメルーンの人たちのために一生懸命に活動に取り組みました。

自分の活動がカメルーンの人びとを少しでも励ますものであってほしいと思います。

 

 

いつか必ずカメルーンを再訪したいと思っているので、将来カメルーンがどのように発展しているか今から楽しみです。

今後のカメルーンの発展と、人びとの暮らしが豊かになることを心から願っています!

一時帰国

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響で、4月の初めに一時帰国しました。

 

派遣国によっては医療体制が整っていないところもあり、協力隊員の感染防止や安全のため、世界中に派遣されている全隊員に一時帰国の指示が出ました。

 

カメルーンでは3月の初め頃に、初の感染者が確認されました。ヨーロッパを中心に感染が拡大しているときで、今後アフリカでも感染が広がるかなと心配しつつも、まだ現時点ではそれほど深刻な状況ではないと感じていました。

 

しかし、3月の中旬から状況が急変。

カメルーンの感染者は3月15日に4例目を確認した状況でしたが、3月17日の夜に政府が新型コロナウイルス対策の13の措置を発表し、陸海空の国境閉鎖、全ての学校・教育機関の閉鎖、18時以降のバー・レストラン等の閉鎖、都市間の移動規制などが出されました。

 

3月17日の朝にJICA協力隊事務局が全隊員の一時帰国を検討していることから帰国の準備をするようにとボランティア調整員から指示があったところだったので、この夜の国境閉鎖の発表によって先行きが見通せない状況となりました。

 

帰国準備の指示の翌々日には首都に退避し、集団生活での感染発生を避けるためにホテルに滞在しながら、帰国が決まったらすぐに対応できるように待機をしていました。

 

国内の状況悪化に備えて備蓄品を準備したり、フライト予定の飛行機がキャンセルになったり、先が見通せない大変な状況の中、カメルーンのJICA事務所長が隊員の帰国のために尽力してくださり、またボランティア調整員や健康管理員の方々には隊員をサポートしていただき、さらに隊員同士も協力して、3月31日になんとかカメルーンを出国することができました。

隊員全員が無事に帰国できて、本当に良かったと思います。

 

帰国後は2週間ホテルで隔離期間を過ごし、その後実家に帰りました。

 

 

こうして一時帰国として帰国したけれど、本来の任期は6月末までで、新型コロナの流行が早く収束しないことは予想できたので、もう任地には戻れない覚悟でカメルーンを離れました。

 

活動に関しては、最後の3か月はフォローアップや評価、業務の引き継ぎなど活動のまとめを行う予定で、やり残したことに対する後悔はそれ程大きくはなかったですが、それよりも仲良くなりお世話になった現地の人たちにきちんと挨拶もできずに去るのは心苦しい思いでした。

 

それでも途上国で活動するということは、今回のコロナウイルスのように世界中で感染症が広がるケースは一生に一度か二度あるかないかだとしても、政情不安や治安悪化で急に帰らなければいけないことは起こりうるので、これもまた一つの経験になりました。

 

今回は現地の友人たちとちゃんとしたお別れができなかったけれど、いつか必ずカメルーンに戻って彼らと再会し、また挨拶を交わして一緒にビールを飲みたいなと思います。

 

 

実家に戻ってからは、家の細々したことをしたり、本を読んだり映画を観たり、ゆっくり元気に過ごしています。

また、カメルーンの人たちとは連絡を取り合い、近況を聞いたり、活動のことを話したりしています。

 

今週末の6月26日で任期満了となるため、今週は報告書の提出や最終報告会での発表があります。

 

 

最後に活動のまとめや2年間の振り返りなどをこのブログに書いて終わりたいと思っているので、もう少しお付き合いをお願いします!

ピジン、クレオール、カムフラングレ

カメルーンでは、公用語のフランス語と英語、その他にそれぞれの民族語が通用しています。

 

さらに、これらの言語に加えて、PidginEnglish(ピジンイングリッシュ)ということばも人々の間で広く使われています。

 

今回はこのカメルーンピジンについて紹介します。

 

ピジン語、クレオール語

ピジン語とは、現地語を話す現地人と、現地語を話せず外国語を話す貿易商人などとの間での、異言語間の意思疎通のために互換性のある代替単語で自然に作られた接触言語です。

つまり、共通言語をもたない複数の集団でコミュニケーションを図るために生み出された言語です。

 

このピジン語の特徴として、単純な単語の組み合わせでしっかりした文法構造を持たないこと、語彙が少なく一つの単語が多義的に用いられること、ベースとなる言語の語彙以外に他の言語の語彙が混入していることなどが挙げられます。

 

このピジン語は様々な地域でそれぞれに発生していて、英語をベースに現地の言語と混成したピジン英語、フランス語をベースにしたピジンフランス語などがあります。カメルーンは英語をベースとしたピジン語です。

ちなみに、日本でも19世紀後半に横浜ピジン日本語というものが用いられていました。

 

さらに、このピジン語が次世代以降に発展して、母語として話されるようになった言語をクレオール語と言います。

 

ピジン言語が文法の発達が不十分で発音や語彙も個人差があるため複雑な意思疎通ができないのに対し、このクレオール語はそれらの要素が統一され、しっかりとした文法構造を持つ完成された言語になります。

 

カメルーンでは、カメルーンピジンピジンイングリッシュと呼ばれていますが、これはクレオール語の分類に入ります。

 

話は逸れますが、このクレオール語のとてもユニークな点は、親たちの世代ではなく、子どもたちによって生み出されるということです。

なぜクレオール語が子どもたちによって生み出されるのかは、言語学の分野での様々な研究のきっかけや手がかりとなり、ノーム・チョムスキーが唱えた普遍文法の発想に基づいて、人は生まれながらに普遍的な言語機能が備わっているのか、それとも言語は後天的に認知や他者への理解を通して獲得されるものなのか、人の言語習得の仕組みが解明されるかもしれません。

 

晩年の安部公房がこのクレオール語に強く関心を抱いて、もしこのテーマが小説として完成していたらどんな作品になったんだろうかと思います。

 

カメルーンピジン

カメルーンピジンは、15世紀から19世紀前半の奴隷貿易の時代に発生しました。

アフリカの国々はこれらの時代の歴史的記録を持ってない場合が多いですが、1845年にカメルーンにやってきた宣教師が、布教のためにピジン語を学ばなければならなかったとの記録があります。

 

その後、19世紀後半から第一次世界大戦までドイツの植民地時代になり、そこでピジン語の使用が禁止されましたが、実際にはプランテーションやインフラ建設での強制労働に動員された様々な民族の人々の間で、共通のことばとして広く使われていました。

 

そして、1961年にカメルーンはフランスとイギリスの植民地支配から独立します。公用語はフランス語と英語になりましたが、それ以後もピジン語は広く使われています。

 

現在は、英語圏の人々の約7割、フランス語圏の人々の約3割がピジン語を使えると言われています。

しかし、カメルーンピジンは地域ごとに発音や語彙が異なるため、異なる地域の出身者ではコミュニケーションが難しい場合もあります。

 

カメルーンピジンの例を挙げると、

 

-私たちは毎朝来ます。

-We come every morning.(英語)

-Wi de kam evri mornin.(ピジン語)

 

-3人の人たちが来ます。 

-Three people will be coming.(英語)

-Tiri pipo go di kam.(ピジン語)

 

このように語順に大きな違いはありませんが、ベースとなる言語の発音に基づく異なる単語が使われています。

発音に基づくので、ある程度聞き取れたり、理解できたりすると思うかもしれませんが、同僚に二人ピジン語を話せる人がいて彼らの会話を聞いてみましたが全くわかりません。笑

 

また、単に発音だけでなく、See you soonをSmall timeと言うなど独特の言い回しなどもあります。

 

このピジン語は、公の場での使用は歓迎されておらず、特に学校ではきちんとした英語が身に付かなくなるため使用が禁じられています。

 

市井の人々のことばとして、市場などで使われています。

 

Camfranglais(カムフラングレ)

今、カメルーン若い人たちの間では、カムフラングレという新しい言語が使われています。

 

これは、現地語、フランス語、英語、ピジン語などがさまざまに混ざり合ったことばです。

 

カムフラングレは、フランス語圏と英語圏が一つの国に統合されたことで、徐々に生まれてきました。

 

若い人たちを中心に友だち同士で学校で使われたり、市場などで使われていたり、また文化の面でも音楽に取り入れられたりしていて、カメルーンの人々が自らのアイデンティティを表現するための手段として、ダイナミックなことばとなっています。

 

 

この先、とても豊かな文化を持つカメルーンが、言語だけでなく、さまざまな分野でどのように発展していくのか非常に楽しみです。

 

最後に、カムフラングレを使った音楽で有名なカメルーン人のミュージシャンの動画を載せておきます。

それでは、みなさまSmall time !


Koppo - Gromologie

セーファーフランの呪縛

カメルーンでは、CFA(セーファー)フランという通貨が使われています。

 

通貨の価値は日本円の5分の1程度で、物価も安いです。

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日々の買い物では、汚くてボロボロの紙幣と、小銭不足が悩みの種。

 

人々の買い物は市場を中心に行われるため、お金が汚れます。また、カメルーン人は財布を使わず、お金をくしゃくしゃに丸めてポケットやバッグの中に入れるから、紙幣がボロボロ。

僕もいつの間にかその習慣が身につきましたが、紙くずだと思って捨てたポケットのゴミが紙幣だったことに気づき、後から慌ててゴミ箱を漁ったことが何度かあります。笑

 

さらに、ほとんどのお店で小銭が不足しています。小銭のお釣りがないときは、帳尻合わせにレジの横にあるお菓子を勝手に買わされます。笑

 

 

このCFAフランですが、多くのアフリカの人々に"Françafrique"(フランサフリック)の象徴の一つとみなされています。

 

Françafriqueとは、フランスとサハラ以南アフリカの旧植民地国(広義には仏語圏アフリカ全体を含む)との特別な関係を揶揄的、もしくは軽蔑的なニュアンスで表現した言葉です。

 

CFAフランが、Françafriqueの象徴の一つとみなされる理由について、その歴史と背景について説明します。

 

CFAフランの歴史と背景

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現在、この通貨は14か国で使用されています。

 

西アフリカ諸国中央銀行(Banque Centrale des États de l'Afrique de l'Ouest, BCEAO)発行のもの、中部アフリカ諸国銀行(Banque des États de l'Afrique Centrale, BEAC)発行のものと2種類あり、通貨としての価値は同じですが、それぞれの地域でしか使用できません。

 

1945年に通貨が創設されました。当初、このCFAは"Colonies Françaises d'Afrique"の略で、「フランス領アフリカのフラン」を意味しました。

現在は、西アフリカ経済通貨同盟(UEMOA)のCFAフランが"Communauté Financière Africaine"(アフリカ金融共同体)の略、中部アフリカ経済通貨共同体(CEMAC)のCFAフランが"Coopération Financière en Afrique centrale"(中部アフリカ金融協力体)の略を意味します。

 

通貨制度はユーロとの固定相場制が採用されていて、1ユーロ=655.957CFAフランです。

 

紙幣の印刷は、フランス銀行(フランスの中央銀行)によって、フランスで行われています。

 

そして、外貨準備高の50%をフランスの国庫に預けなければならないという規定があります。

 

このように、CFAフランは象徴的にだけでなく制度的にもフランスの植民地支配の負の遺産としての側面をもっています。

 

共通通貨ECO(エコ)の導入に向けて

2019年の12月に、コートジボワールの首都アビジャンを訪問中のフランスのマクロン大統領とコートジボワールのワタラ大統領の共同記者会見で、西アフリカ経済通貨同盟のCFAフランの廃止と、新共通通貨"ECO"の導入が正式に発表されました。

これは、6月の西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の首脳会議での採択に続くものです。

 

この共通通貨は、西アフリカ経済通貨同盟を含む西アフリカ諸国経済共同体の15か国での導入を目指します。*2020年1月に、西アフリカ通貨圏の6か国が導入を見送り。

カメルーンが加盟する中部アフリカ経済通貨共同体は、今回のECOの導入に含まれていません。

 

ECOでは、インフレリスクを回避するため従来のユーロとの固定相場制は維持されますが、外貨準備高の50%をフランスの国庫に預ける条項は撤廃される予定です。

 

しかし、ECOの導入が上手く実現するか、なによりもアフリカの経済発展に貢献することができるのか、まだまだ課題は山積みです。

 

 

課題はあるけれど、アフリカの人々が自らの意志で行動すれば、そこに希望はあるはず。

 

彼らが目指す社会経済の発展と、人々のより良い暮らしに、僕も少しでも貢献できるようにがんばります!

壁画制作

2月20日と25日の二度にわたって、診療所の壁画を制作しました。

 

この活動のきっかけは、現地での家庭訪問を通して、多くの住民がこの診療所の存在を知らず、都市部の病院を利用していることが分かったからです。

 

一部の病院に過度に人が集まれば、病院も患者さんにも負担がかかり、十分な医療サービスが提供できなくなります。

 

地域の診療所でも基本的な医療サービスは都市部と遜色はありません。また、近くに気軽に訪問できる診療所があるのは大切なことです。

 

住民に親しみや安心感のある診療所を作り、診療所の認知度を向上させたいと考え、今回の壁画制作を決めました。

 

今回の活動先は、Mont charité診療所。看護師のJosephと助産師のAdéleの二人が働いています。

 

診療所は幹線道路の近くにありますが、細い路地の見つけにくい場所に位置しています。
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初回は、下塗りを実施。事前にお願いしたとおりに壁を掃除してくれていて、準備万端です。

 

まず下塗り用のペンキの準備。ペンキを混ぜ合わせ、事前に決めていた下塗り用のクリーム色を作ります。

準備が整った後、早速下塗り開始。壁の正面をローラーで塗っていきます。手が空いているときは、Josephも参加。正面を塗り終えた後は、側面を塗ります。その後、二度塗り。作業はスムーズに進み、無事に終えることができました。

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次は、いよいよ壁画のデザイン。

 

一つ目のデザインは、診療所の名前。この診療所に至る道の一つが細いT字路になっていて、T字路の端から突き当たりにある診療所が分かるようにしたいという、二人の希望からデザインを決定。チョークで下書きをし、その後ペンキを塗りました。

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二つ目のデザインは、手形ツリー。木の幹から枝の部分だけを描き、葉の部分には人の手形を押します。手形部分の制作に、住民にも参加してもらい、診療所への親しみを持ってもらいたくてこのデザインに決定しました。住民も手形スタンプに協力してくれて、診療所の二人、僕を含めて、みんなでデザインを仕上げることができました。

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三つ目のデザインは、妊婦。Adéleは助産師なので、もっと多くの妊婦さんやお母さんたちに訪問してほしいという願いでデザインを決定。事前に打ち合わせていた絵柄を描きました。

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四つ目のデザインは、家族。ここが診療所だとわかるように、健康をイメージして、家族四人をハートで囲んだデザインを描きました。

 

五つ目のデザインは、山と虹。診療所名に由来して、Mont(意味:山)の部分には山を描き、Charité(意味:慈愛、施し)の部分には虹を描きました。

 

完成した壁画を、診療所の二人も、通りがかる人たちも褒めてくれました。今後多くの人たちの診療所の利用に繋がってほしいと思います。

 

 

最後はカメルーン流に、バーでビールで乾杯。

 

一生懸命ペンキを塗って、美味しいビールが飲めて、最高な一日。

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活動まとめ(18か月経過)

新年が明けてすっかり時間が経ってしまいましたが、明けましておめでとうございます。

 

年末年始は同期と一緒に年越しをして、新年は隊員総会などもあって、いろいろイベントがあり楽しい時間を過ごしましたが、やっと落ち着いてきたところです。

 

10月から12月までの3か月間は、母子健康手帳の理解促進と普及の継続、国際デーを利用した啓発活動に注力したので、以下にまとめます。

 

母子健康手帳

12月で母子手帳の配布開始から1年が経ちました。

 

以下、2019年1月から2019年12月までのエデア保健地区での配布状況です。

 

配布元医療機関数  :26/60機関

医療機関への供給部数:  2109部

売上部数      :  1965部

 

半年前と比べ、新たに三つの医療機関が配布元に加わりました。

 

母子手帳医療機関への供給方法を後払いから前払いに変更したので売上部数­≠母親の購入数ですが、統計上エデア保健地区には年間約4000人の妊婦さんがいて、その約半数に母子手帳が普及する計算になります。

 

母子手帳が母子の健康改善にどれだけ貢献しているかを評価するのは難しいですが、この一年間継続して医療機関が購入し活用してくれていること、病院訪問時に医療従事者が良く評価してくれていることから、現地の人々の大切なツールになっていることを実感します。

また、在庫や売上の管理も問題なくできていて、配属先の同僚をはじめ、エデア保健地区の医療機関の人たちに本当に感謝しています。

 

母子手帳のプロジェクトは、現地だけではなく保健省の取り組みもなければ継続的に成り立たず、いずれは中断してしまう可能性もあります。

残りの任期では中央と地方をつなぐ役割を担い、供給サイクルの強化に向けた取り組みにも注力したいです。

 

啓発活動

世界手洗いの日、世界エイズデー、二つの国際デーに合わせて学校で啓発活動を行いました。

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世界手洗いの日の啓発活動は、三つの小学校の合計7グループを対象に行いました。この活動は昨年も行い、前回と同様に最初は手洗いの説明のパート、次に実践のパートという構成で実施しました。昨年との違いは英語の学校も活動先に組み込んだことです。

カメルーンの大多数はフランス語で教える学校ですが、英語で教える学校もあります。中等教育では試験などの教育のシステムも異なります。

僕のカウンターパートは英語圏の出身なので、英語の学校での活動のときは、活き活きしていました。

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世界エイズデーの啓発活動は、中等・高等学校の2校で実施。最初に基礎知識のパート、次にクイズのパートという構成で行いました。

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ボランティアの本来の目的はカウンターパートと呼ばれる現地のパートナーと一緒に仕事を行うことですが、今までなかなか一緒に活動する機会に恵まれませんでした。

しかし、今回の啓発活動では一緒に取り組むことができ、協力して準備を進めてくれたり、啓発活動当日も一生懸命に楽しんで活動を行ってくれて、本当に良い活動になりました。

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学校での活動は今回が最後となりますが、現地の子供たちや若い人たちの未来に少しでも役立つ何かを残せられていればいいなと思います。

 

今四半期はこれらの活動に注力していたため、なかなかその他の活動に取り組めませんでした。

今後はもう一度現地を歩いてみていろいろ見てみようと思います。今なら今まで分からなかったり疑問だったりした現地のことも分かるかもしれません。

 

 

年が明けて、同僚から「あと半年で終わりだね」と言われるようになりました。

また、「早くユウスケにカメルーン人の結婚相手を見つけてあげなきゃ。ユウスケがこのまま独身で帰ったら、カメルーン人はホスピタリティがないと思われちゃう!」とも言われました。笑

ホスピタリティの概念がかなり違ってるし、誰もそんなこと思わないから心配しないで。笑

 

こんな愉快な生活もあとほぼ5か月。一日一日を大切に、残りも楽しく活動に励みます!

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世界エイズデー

12月1日の世界エイズデーに合わせて、中高生に向けて啓発活動を実施しました。

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2018年のUNAIDSの統計結果によると、世界でHIVと共に生きている人は3790万人、そのうち抗レトロウイルス療法を受けている人は2330万人で、新規のHIV感染者は170万人、エイズ関連の死者は77万人います。

 

カメルーンに関しては、HIVと共に生きている人は54万人(全人口比約2.3%)、そのうち抗レトロウイルス療法を受けている人は28万人いて、新規のHIV感染者は2万3千人、エイズ関連の死者は1万8千人です。

 

世界全体、カメルーンも含めて、HIV感染者は年々減少していますが、それでもまだこれだけ多くの人々がHIVと闘っています。

 

 

啓発活動を実施しようと考えた理由は、まずエデア保健地域のHIV感染者が多いこと。

昨年の統計で、エデア保健地区でHIVと共に生きている人は4.55%で、全人口約13万人のうち6千人を占めます。

この数値は他の地域と比べて高く、その原因ははっきりとは分かりませんが、経済都市ドゥアラに近く周辺に様々なプランテーションなどがあることから人々の流動性が高いこと、HIV検査の普及が進まないことや医療サービスの問題、人々の無理解などが考えられます。

次に、HIVエイズに対する正しい知識と、社会的な側面から病気に対する理解を普及させたいと思ったこと。

配属先でもNGOなどと協力してHIVに対する取り組みを行っていますが、検査の普及率を高めることのみ注力しているため、病気に対する啓発や理解促進に関する活動も実施したいと考えました。

 

 

啓発活動は、市中心部にある中・高等学校の2校で実施。

カメルーンでは中学校と高校の区分はなく、中等学校として統合されています。

 

最初は基礎知識のパート。HIVエイズの違いは何か、感染経路は何か、どのように感染を防ぐかなどについて説明を行いました。

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次にクイズのパート。これは感染するorしない?ということで、食事を一緒にすること、トイレを共同で使うこと、握手すること、蚊に刺されることで感染する?母子感染は避けられる?などのクイズを出題しました。

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最後に、この啓発活動を通じて一番伝えたかったメッセージとして、

「今日では、たとえエイズに感染しても、正しい治療の下で健康に生きることができます。それでもエイズと共に生きている人たちは誰かの支えや助けを必要としています。私たちがエイズに感染した人々と共に生きていける社会を築けることを願います」と話しました。

 

このように難しいテーマを、朝礼の短い時間の中で大勢の生徒たちを相手に伝えるには不十分で反省する点も多くありましたが、啓発活動終了後に同僚に「キスをしたり、抱き合っても大丈夫?」などと質問にきた生徒たちを見て、わずかながらもHIVエイズについて知るきっかけになれたことが分かり、啓発活動を実施して良かったと思えました。

 

また、世界手洗いの日に引き続き協力してくれた配属先の同僚二人にはとても感謝。特にカウンターパートのElecthaはまだ生後6か月の娘を背負いながら啓発活動を一緒に行ってくれました。本当にありがとう!

 

HIVエイズに対する予防や支援、理解促進にはまだまだ継続的な取り組みが必要ですが、今回の活動の準備を通じてそうした取り組みを担う学校の保健クラブの生徒たちやNGOのアクターたちと出会いました。

 

地域の人たちみんなが協力して、一人一人が自分の役割を果たすことで、より良い社会が築けますように。

 

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活動まとめ(15か月経過)

今まではカメルーンに来てからの時間を数えていましたが、いつの間にか帰国までの時間を数えるようになりました。

 

この3か月は、母子健康手帳で進展があり、啓発活動の方向性も定まって、新たな取り組みはありませんが、活動の内容を改善することができました。

 

早速、活動を振り返っていきます。

 

母子健康手帳

ついに母子手帳が首都から供給されました!

 

7月に配属先の母子手帳の在庫を全て配布し終え、首都で在庫を管理している機関に追加在庫の供給を依頼。

 

首都からの供給が滞ることがこの母子手帳の普及活動の大きな問題で、前回の追加在庫の依頼時は首都からの配達の見通しが立たなかったため、僕自身が首都まで行って在庫を運んできたという経緯があります。

 

僕が在庫を運ぶことはできますが、現地の人たちだけで配布から補充までの一連のサイクルを行ってほしいというのが僕の意図。

その理由は、僕の任期が終わっても(後任のボランティアが来るかもしれませんが)現地の人たちの力で母子手帳の普及を継続してほしいから。

加えて、配属先やエデアの医療機関の人々が母子手帳の普及に努めてくれているので、中央機関にもその活動に応える姿勢を示してほしいという気持ちもありました。

 

そして今回、首都の在庫を管理している機関を訪問して供給を依頼し、僕じゃなくてこの機関が供給することが大切だということも伝えました。

 

カメルーンでの行政手続きは遅々として進まないことが多いのですが、それは仕事が雑であることよりもむしろ、物事の決定が一部の責任者に限られるトップダウン型であったり、何かと正式な形式での書面を求める文書主義であったり、管理の厳格さが大きな理由のように思います。

  

お願いはしたけれどちゃんと供給されるかは分からない中、訪問から2週間程過ぎた8月初旬に、首都の責任者から電話がかかってきました。「今日母子手帳を郵便で送ったよ」、「えっ、本当に!?めるしー!」。

次の日、半信半疑のまま配属先の同僚と一緒に郵便局に行くと、なんと、、母子手帳が届いていました!!

 

この日、ついに母子健康手帳普及の一連のサイクルが完成。

医療機関でお母さんたちが母子手帳を購入し、その売り上げを回収して保健省の口座に振り込み、振り込んだ金額分の母子手帳の供給を首都の機関に依頼して、それが配属先に配達されるという一連の流れ。

 

全てのプロセスが上手くいくか分からない中で、この活動に携わるカメルーン人の一人一人の真摯な取り組みによって順調に普及が進み、こうして結果が出たことを本当に嬉しく、彼らと活動ができることを誇りに思います。

 

今後、より早く供給できる体制を築くために、各医療機関の協力を得て、医療機関への母子手帳の受け渡し方法を後払いから前払いに変更。

 

引き続き、母子健康手帳の理解促進と普及に取り組み、母子の健康改善に努めます!

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啓発活動

今までは病気予防や栄養改善など個々のテーマで取り組んできましたが、今月からは、なぜ新生児・乳幼児の健康が大切かということに焦点を絞り、「最初の1000日」という一つのテーマを軸にして啓発活動を開始しました。

 

WHOやUNICEFは母子の健康改善のためにこのコンセプトを推進していて、今年フランスでも最初の1000日のための委員会を設立したというニュースがありました。

  

この最初の1000日とは、妊娠から子どもの2歳までの期間で、育児の最も大事な期間の一つを指します。

 

子どもが2歳になるまでは、身体機能の基礎が形成される時期で、当然誰かのサポートなしに生きることはできない時期でもあり、この期間の子どもの成長や発達は大人になっても影響すると言われています。

 

このテーマを軸にしながら、健康的な発達や成長のための、十分な栄養摂取、病気予防、遊び、心のケアの大切さについて啓発活動を実施。

 

さらに、最初の1000日は母子手帳のコンセプトともつながりがあるため、母子手帳の理解促進と関連づけた活動も目指します。

 

家庭訪問

この3か月は事務所にいることが多く、そんなに頻繁に実施はできませんでしたが、それでも家庭訪問は継続。

 

現在は家庭訪問を通じて発見した課題の解決に向けた取り組みを検討中で、次の3か月で何か実施をしたいと考えています。

  

その他

同期の教育系隊員の夏季休暇中の活動を見学。

 

工作活動のセッションで、トイレットペーパーや紙など身近にある日用品を利用して制作を実施。

 

子どもたちが考えながら取り組めるよう工夫し、そのおかげで子どもたちが熱心に楽しく取り組んでいる姿を見ることができました。

 

自分とは異なる分野の隊員の活動は勉強になり、また普段は見れない隊員の活動に取り組む姿はかっこよく、自分の活動の刺激になるとても良い経験でした。 

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次の3か月が過ぎれば活動も残り半年となり、帰国の準備なども始まります。

 

なので、この年内の3か月が活動だけに集中出来る貴重な時間になると思います。

 

帰国まで残り9か月!悔いのないよう精一杯楽しく活動に取り組みます!

1年の振り返り

ちょうど昨年の今頃は任地に配属されて、カメルーンでの新しい生活に、少し緊張はしながらも大きな期待を抱いていたのを思い出します。

 

この1年を振り返ると、幸運なことに大きな困難やトラブルもなく、楽しく順調に活動ができたと思います。

 

仕事では、真面目で仕事熱心な配属先の同僚たちに恵まれました。自分の活動を自由にやらせてもらえて、必要な時には手助けしてくれる。

彼らがしっかり働いているのが理解できたから、日本のやり方を押し付けようとせず、彼らのやり方に合わせることができました。

 

生活では、食材が豊かで料理は美味しい。停電や断水は長くても2、3日で、慣れれば備え方も身について上手く対応できるようになりました。

 

このように現地での生活に順応できたのは、僕自身が身体的にも精神的にも丈夫だということもありますが、何よりも自分がアフリカに来たくて、好きでここにいることが大きい。

 

日本から遠く離れて、文化も慣習もよく伝わっていない国々に暮らす人々の姿が見たかった。だから、程度の差こそあれ現地の人たちと同じように暮らし、彼らのことを少しずつ理解していく現在の日々は、とても充実しています。

 

いわゆる発展途上国に暮らす人々は、貧しくて日々の生活に苦しみ、自分たちの国を、生活を、豊かにする方法を知らず、一言で言えば「弱い存在」なのか?と問われれば、僕は違うと言いたい。

 

たしかに欲しいものが何でも手に入る便利な環境ではないし、十分な収入がなく日々暮らしていくのが精一杯の人たちはいます。

でも、お金がなく日々の生活が大変だからといって、彼らを弱者として、かわいそうな弱い存在として見做したくない。

また、彼ら自身もお金がないからといって、毎日が暗く悲しいものかといえばそうではなく、ちゃんと一生懸命、前向きに暮らしています。

 

いろんなものが不足するなら不足するなりに、現地の人々には互いに助け合ったり、自分たちで生活を工夫したりして生きていくだけのバイタリティーがあります。

 

 

あり合わせのものを組み合わせて目的や用途に応じたものを生み出す現地の人々の知恵は、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースが提唱した、古くから人類が普遍的に持っている「野生の思考」と呼ばれる知のあり方、ブリコラージュに例えられる思考の方法そのもの。

 

ブリコラージュ(Bricolage)とは、フランス語で器用仕事と訳される言葉で、理論や設計図に基づいてものを作る設計とは対照的に、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として、新しいものを作ること。

 

廃タイヤを遊び道具にしている子供たち、空になったペットボトルやビンを活用する物売りたち、海外から輸入される使い古されたモノを自分たちなりに活用している人々を見ていると、そうした精神を強く感じます。

 

彼らには彼らの作り上げた世界があり、進歩や発展の度合いで優劣はつけられません。

 

 

現地での活動は、何か明確な問題があってその原因を解決すれば状況が改善される、つまり、こうしたらこうなる、というようにはいかない。

 

僕が取り組んでいる母子手帳の普及や健康に関する啓発活動も、それが現地の人々にどんな効果や結果をもたらすかはわからない。

 

それでも、自然を相手にするように、いつ芽がでるか、どのように育つかはわからないけれど、種を蒔いて、テマヒマかけて、何かが上手く育ってくれることを信じてやってみる。

 

ボランティアにできることは限りがあるけれど、現地の人々と同じような暮らしをして、住民の人たちと直接に関わりながらの活動はボランティアにしか味わえません。

 

この先自分にこういう活動ができる機会があるかは分からないので、今の貴重な時間を大切に、残りの1年弱も健康と安全に気をつけて、活動を全うしたいです!