下地という雰囲氣

何でも言ってね、全部話してくれていいからね、

と言ったとしても

そうするか、しないか、できるか、できないか、

そういうことは下地という一種雰囲氣があるか、ないか、でおのずと決まっていく。

 

いくら口で言って

頭で理解して

そうしようと思ったとしても。

 

 

たとえば、何でも話していい

という場を創りたいなら

 

そういう文化土壌とわずかでも歴史があると

ある状況になったとき

 

「よし、言ってみよう」

 

となるのだろう。

 

そういう場を創るには、

土づくり、だから

いろいろな要素があってこそよくなるんじゃないのかな。

 

お日様、雨、いきものなどなど

つまり流行りの「多様性」かもしれない。

 

土づくり、だからね。

しかも、目にはみえない土だから。

養分はよく感じてみないとね。

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ふしあわせじまん

ふしあわせじまん。不幸せの自慢。

 

私なんてこんなひどい病気なのよ、

俺のほうなんて実はこうなんだ、

 

自慢に聞こえてしまいますが。

 

優しい言葉を求めているのか、と思うでしょ?

 

そうではあるのですが

 

エンドレスに近く続くところをみると

 

ただ聞いてほしい

 

んでしょうか。

 

 

この「ただ」「きく」

 

というのがまた難しくて。

 

いろいろ聞きながらも頭で判断しちゃって

 

それが伝わっている、という。

 

心の反論や自分の考えが。

 

ただきく

 

ということが解決への道だとわかっていても、ね。

 

ニンゲン同士。お互いさま。

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たべものと人格と

今日は栄養の専門家ふたりと

来年の食のクラスの打ち合わせをしました。

管理栄養士さんと、内科医さんと私。

 

来年はじめに3人で2回完結のクラスをしようと話していて

内容の大枠を決めました。

たくさんの食事法や食養生、あるいは

食べない健康法や

〇〇制限食、

情報が手に入るけれど

 

わたしにとって今よいのは

どういう食事なんだろう?

 

ということを知るヒントを提供したいと

思います。

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