とある編集者の晒しな日記

コンクリートジャングル東京の編集プロダクションに勤めるライターの実験室

“最終学歴補正”のススメ

最終学歴とは、その人が受けた「最高水準の教育機関の経歴」である。

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では“最終学歴補正”とは何か。底辺高校から一発逆転を期して一念発起し、高偏差値の大学に滑り込み最終学歴で調整するというものである。短大から学士編入で四大に鞍替えしたり、低偏差値の大学から高偏差値の大学院に入学し最終学歴を書き換えたりする、いわゆる“学歴ロンダリング”も最終学歴補正に含めて良い。


“最終学歴補正”という言葉は存在しない。完全なる造語と思われるため、どういう表現で換言してもらっても構わない。また、今さら取り上げるほどの内容ではないかも知れない。そのぐらいのことは良くわかっているししっかりと教育されているという方であれば読む必要はない。


しかし、もしあなたに「学歴」という言葉を理解できる程度のお子さんがいたり、読者の方が中学生や高校生といったこれから大学進学を考える時期にあったりする学生であれば、参考にしていただければ幸いである。

1.最終学歴補正のメリット①「統計的差別」を受けない

最終学歴補正のメリットはさまざまである。


まずは、就職に有利だということである。どんな職業に就きたいかは別としてである。なりたい職業が何なのかわからないのなら、最終学歴をなるべく高くして“ファストパス”をゲットしておこう。ファストパスをゲットすれば、なりたい職業にショートカットして就ける可能性が高い。


低偏差値の大学では、一部上場企業でも人気企業になるとまず面接にまで辿り着くことが難しくなる。企業から「統計的差別」を受けるからである。統計的差別とは、人気企業の採用担当者が数多ある履歴書やエントリーシートを捌ききれないため、ある程度の偏差値以下の大学出身者を採用対象から外してしまい、優秀な学生である可能性の高い大学の出身者を選り分けて筆記試験や面接といった次のステップへ進ませる、いわば“ふるい”のようなものである。低偏差値であるにも関わらず優秀な学生にとってはテレビでCMを打つような大企業には見向きもされないのだから、血も涙も無いシステムだしこのような採用方法を忌避する企業も現れてきてはいるものの、企業の採用担当は何千、何万通ものエントリーシートや履歴書全てに目を通すことは物理的に難しいのだから仕方がない。コネでもない限り最終学歴補正を行っておいて損はない。


実際私も最終学歴補正をしたうちの一人だが、私の場合紆余曲折があり、偏差値49の底辺高校から一浪で某マンモス大学、仮面浪人で中堅私大、就職後に社会人入試で地方旧帝国大学に大学院進学を行った特殊形態なのであまり参考にはならないかも知れない。


それでも就職氷河期と言われた時代に大企業から足切りをされることはなかった。一部上場企業のほとんどで最低でも面接は受けることができたし、2社ではあるが大企業から内定をもらうこともできた。結局は官公庁に進んだのだが…

2.最終学歴補正のメリット②ライフステージのあらゆる場面で最終学歴が問われる

社会に出ると、先に述べた新卒採用の他、転職、大学院進学といったその後の人生のさまざまな転機でその都度最終学歴が問われることになる。


つまりその人に一生ついて回る「レッテル」なのだ。もちろん、最終学歴補正そのものが目的化してしまい、最終学歴だけに固執するようになったらその人間にそれ以上の成長は見込めない。社会に出ても大学院に進んで研究職に進んでも努力は必要だが、いずれにしても人生の4分の1時点で受験したに過ぎない学業経歴が一生を左右する。


また、「学閥」が残っている企業も少なくない。今では学閥と名乗るほどの組織はないかも知れないが、同じ大学の出身者同士ほど会話が盛り上がりやすいし、先輩・後輩としての親密度も増す。


政治でも派閥や政党があるが、同じ主義主張を持った政治家同士で徒党を組めば数の論理で強権が揮える。政党や派閥の中で大臣や幹事長といった要職を持ち回りにすることさえ可能だ。企業や組織でも同様のことが起こりうる。省庁の事務方のトップはいまだに東大出身者が跋扈している。官僚のトップに就きたければ東大を出ておいて間違いはない。東大以外の大学から事務次官に就く方が珍しいため、学閥が形骸化している可能性があるとはいえ、私大出身者が事務次官に就くことなど“異例人事”とされてしまう。

3.最終学歴補正のメリット③モテる

最終学歴を高くするメリットの3つ目はズバリ、モテるということだ。事実新聞で結婚相談所の広告を初めて目にした時は目を疑ったものだ。成婚に至ったカップルの情報として、〇〇大学×△△大学と、男女の最終学歴だけが記載されていたのである。結婚した男女の最終学歴に一体何の意味があるというのだろうか?第一、最終学歴は相談所の手柄でもなんでもない。


みなさんは「同類婚」という言葉をご存知だろうか。育った家庭環境や所属する集団、組織、趣味嗜好が似通った男女ほど結婚しやすいということである。会社や出身大学が同じ(同期・先輩後輩関係)ということはもちろん、最終学歴の水準が近いことも意味するということだろう。


もっとも昨今は女性の高学歴化が当たり前になってきているから、男性の学歴にはこだわらないという女性が多いのかも知れないが、男性側が劣等感を持つために敬遠するという心理が働く可能性がある。いずれにしても偏差値の高い大学を出ておいて劣等感を抱くことはないだろう。

4.最終学歴補正のメリット④生涯賃金に差が出やすい

次の表をご覧いただきたい。独立行政法人労働政策研究・研修機構が公表している『ユースフル労働統計2016』によると、学校卒業後にフルタイムの正社員を続けた場合の60歳までの生涯賃金を比較すると、

中学卒 高校卒 高専・短大卒 大学・大学院卒
男性 1億9千万円 2億1千万円 2億1千万円 2億7千万円
女性 1億3千万円 1億5千万円 1億7千万円 2億2千万円


となり、統計では生涯賃金に大卒と高卒で約5~6千万円もの開きが生じることになる。


さらに、企業規模別では、男性大学・大学院卒の場合、企業規模1,000人以上では3億1千万円にまで達するのに対し、企業規模10~99人では2億円と、1億円強の開きがみられるという。つまり、大学・大学院卒が大企業で勤め上げると高卒や比較的企業規模の小さい企業に勤めた者に対して50%アップの生涯賃金が見込めるということである。

5.二重構造の労働市場

今では喧伝されることはなくなったと思うが、日本では労働市場が二重構造化していた。大企業に入れば一生を安泰に過ごすことができたし、終身雇用、年功賃金、労働組合の“三種の神器”によって手厚く護られていた。


逆に中小企業から大企業に転職することは極めて難しく、大企業から中小企業への転職はあってもその逆はないことがほとんどだった。今でこそこういった分断は少なくなってきたとはいえ、いざ新卒で会社に入って肌に合わない場合、大企業なら潰しが効くが、中小企業ではよほど専門性やスキルを磨いた場合で無い限り転職に難渋する可能性がある。


昨今は大企業、中小企業の他に、正規、非正規といった格差など階層が分断され格差が拡大しつつある。大企業に入れば一生を保障される時代は終わったが、いざなりたい仕事が見つかっても最終学歴によって切り捨てられる可能性がある。やはり最終学歴は高いに越したことはないのである。

6.社会構造に疑念は感じる

私自身今の職業に就くのに最終学歴や職業歴は多いに役立ったと思うが、やはりたかだか二十歳前後の時の経歴でその後の人生が大きく左右されることに疑問は感じている。はっきり言うと私は有能ではないし、浪人と仮面浪人を繰り返して詰め込み勉強をすれば大概の私大には入れるはずだ。しかしこの時の勉強のおかげでその後の就職や大学院進学には有利に働き、その他さまざまな恩恵もあずかってきた。最終学歴によって人生のイージーモードに突入したといってもいいかも知れない。


しかしこれが社会システムとして正常に機能するものかというと、必ずしもそうは言えないだろう。事実私のような決して有能とは言えない人間がイス取りゲームで常に勝ち組に回る事で労働のミスマッチが起きかねない。


採用で言えば、最終学歴以外にIQのような先天的な地頭のレベルを測れるような指標も取りいれるとか、筆記試験である程度高度な数学の試験を必須にしてみてはどうだろうか。まず真っ先に私が落ちること請け合いであるが。

7.優秀な若者には高みを目指してほしい

上記に挙げたような特典のためだけではなく、日本の若者には少しでも高い教養を身に着けてほしいと願うばかりである。例えば経済的余裕のある方は日本の大学だけではなく世界の大学にも目を向けてもらいたい。なぜなら日本の大学の世界的地位が落ちているからだ。「東大以外は大学ではない」と祖父に言われて育った私には肩身が狭いばかりだが、その東大も世界的に見れば優位性があるとは言い難い。常に世界を視野に入れてより高い視座から物事を捉えてほしい。


経済的余裕が少ない学生にも、少しでも高い水準の教育を受けてほしい。東日本大震災の際には震災孤児の基金に私としては気持ちとはいえ大学の入学金になるぐらいの募金をさせてもらった身として言わせてもらうと、家庭環境や経済的事情で優秀な学生が進学を諦めるようなことのないようなサポートが行われることを切に願う。


最後に、「最終学歴補正」という言葉は単なる戯れ言である。しかし、たかが最終学歴、されど最終学歴というのもまた事実。勉強は一生できるのに、終生ついて回る「レッテル」を貼られるには人生であまりにも早い段階に過ぎるのではないだろうか。その事実をきちんと教えることも親や教育者の役目だと思料するものである。格差社会も甚だしいこの日本で無知な学生を再生産させるためにまだあなたは言うのだろうか。「学歴なんて関係ない」と。