前に進むための場所

過去の掘り起こしを未来に繋げる

ラジオはプライベート空間、聴く側のパーソナルスペース

今週のお題「ラジオ」

 

 AM、FMの違いもなんだかよくわかっていなかった。

子供の頃の最初の感情は

「TVがあるのに、なぜ?ラジオを聞くのだろう…」

だった。

 

 夏の日、大きい雷が鳴る日が来ると一時的に停電が起きた。停電になれば部屋の電気は消え、頼みの綱のTVを見ることができなくなっていた。

そこで登場するのは母親が所有していたラジオ、母が昼寝をする時にカセットテープに好きなアーティストの曲をダビングして聴くのに使用していた赤が基調で長方形のラジオカセットというのか、略してラジカセなのか。そこにオプションとして付いているラジオ機能を使う。

 停電中の為に家に電気は通っていない。ラジカセのラジオを聴くには大き目の電池をラジカセの背面の蓋を開け、電池を数個はめ込み電源を入れる。

 子供ながらの不思議はここにもあり。停電だから電池で起動できる電化製品を使っている最中、電池で起動している物に

「なぜ…雷は落ちないのだろう…」

と言葉にはしなかったが、赤が基調で長方形のラジオのアンテナを見つめながら思っていた。敢えて母にも、姉にも質問はしなかった。

 雷と停電とラジオ、それが噛み合った時は必ず父は不在だった。一般的に仕事、そして付随は平日の夕方といったところか。

 

 停電を無音で過ごさない為の母の気遣いか、気を紛らわせるひとつの手段か。真意を問うたことはない。そして、流れていた放送局もなんだったのか今更だが意識にも記憶にもない。停電中を音として存在していたラジオ。

 

 私はうつぶせに成り、雷の光を遮断するような方向に顔を向けて、なるべくなら雷の大きい音を耳に入れない様ラジカセのスピーカーから発せられるラジオの何かに集中した。しかし、記憶には放送された番組のなにかは残っていない。

 

 次にラジオに出逢ったのは中学生の時だったか。

技術・家庭という名の授業の一環、避難用具のひとつだろう。懐中電灯、ラジオ、サイレン機能の3つが付属した文庫本ぐらいの大きさの黄色が基調の避難用具を工作した。

工作キットになっているそれは、黄色のカバーは既に出来ており、中に仕込むラジオを受信する為の基盤を半田鏝(はんだこて)を使い指定された箇所を接合し完成させる。

 私はそれの意味を理解出来ずに、言われるがまま指定された箇所を接合していったが終わりを迎えてもラジオが受信されることはなかった。クラスの半分くらいの生徒は接合に成功しラジオを受信出来ていた記憶が残っている。

 

 そこから数年が経ちラジオを自分の意思で聴く時が来た。世のエンタメではジュノンボーイから登場した武田真治に人気が集まっていた。私も彼が気に入り、彼が映るTVをよく観ていた。そんな彼がラジオ番組を担当するという情報を得た。

 次の日、武田真治繋がりの友達に朗報だと急いでその情報を伝え、中学生ならではか、意味もなく休み時間に盛り上がっていた。

 

 武田真治のラジオ番組が放送される日が来た。番組が開始される時間のだいぶ前から、私はラジオの前に立ち、聴く準備を完璧にしていた。今思い返せば失笑してしまうような風体だが、その当時の私は真剣だった。いうなればライブ会場へ入ることが出来、お目当ての推しが登場するのを今かと震える面持ち。

そんな中学生をいっとき、熱狂させた彼の番組は……

 

武田真治 HIT FACTORY(1994年10月 - 1997年3月、TBSラジオ

引用:

武田真治 - Wikipedia

 

ラジオ番組ではCMと併用し曲が流れる、その選曲もナビゲーター次第。

この武田真治 HIT FACTORYの初回放送時、リスナーへ向けて流された曲は確か……

スウィング・アウト・シスター*1

だったと記憶している。

 

 今思い返せば、ラジオで芸能人が好みの曲を紹介し、それが流れた。たったそれだけのことに中学生はラジオの前で仁王立ちし、ラジオの前でひとりで歓喜していた。

 

 もしかするとラジオは思春期の大切な一コマだったのかもしれない。TVは居間で観る。そうするとどうもがいたとしても通りすがる家族にはその時に映るTV番組などを共有している状況はさけられない。人目がある中で楽しむTVとは対照的にラジオは人目を気にせずに個人の、プライベート空間で歓喜出来たツールなのかもしれない。

 

youtu.be

 

*1:スウィング・アウト・シスター は、イギリスのクロスオーバー、ポップ系男女デュオ。ヒットを出した当初はトリオだった。1986年の「ブレイクアウト」 や「サレンダー」「セイム・ガール」などのヒット曲で知られている。音楽ジャンルは、シンセポップ,ブルー・アイド・ソウル,クロスオーバー,ラテン音楽などに分類できる。

引用:

スウィング・アウト・シスター - Wikipedia

介護職員初任者研修(講座受講8回目)

 受講8回目、この回から講座は実技、実習にはいる。

出席後、ある程度すると前回に提出した2枚目のレポートが採点された状態で各自に戻された。私も講座に慣れたのか、レポートにも慣れたのか提出1枚目のレポートよりもミスがなく不安はない面持ちだった。

採点後のレポートを受け取り、点数を確認すると自分の中のイメージ、予想通りの点を取っており無事に合格していた。

 

 今回の実習内容は、シーツのたたみから始まり、ベッドメイキング、(三角コーナー、四角コーナー)シーツ交換(体位変換)が主のようだ。

 

 実習に入る前、先に少しだけ座学として睡眠(レム睡眠、ノンレム睡眠)がテキストに沿って話された。

睡眠に関しては【筑波大学 柳沢教授】について講師が語っていた。私は全く知る由もなかったが、現在とにかく、この方に変わる睡眠の分野において右に出る人はいないだろうということだった。

 

柳沢正史教授は、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の機構長を務める睡眠研究者で、睡眠の仕組みを解き明かす神経科学の基礎研究に取り組んでいます。柳沢教授は、1日に必要な睡眠時間は個人差がありますが、6~8時間程度が目安だと述べています。また、朝起きづらかったり、昼間に眠気を感じる場合は睡眠が足りていない証拠だと指摘しています。質の良い睡眠の条件として、浅い眠りと深い眠りが交互に安定して現れることを挙げています。

 

引用:Google.com

 

wpi-iiis.tsukuba.ac.jp

 

 その後、介護、介助が必要なベッドで生活を主とする方へのシーツ交換はなぜするのかという簡単な説明に入った。

理由としては「褥瘡(じょくそう)、いわゆる床ずれ」を防ぐ為」

床ずれが進んでしまうとシーツのシワ、そのシワに発生するホコリそれだけでも大きな悪影響を利用者(入所者)に与えてしまうので衛生を目的としたベッドメイキング、シーツ交換だということを学んだ。

 聞き慣れない言葉【褥瘡:じょくそう】には小話が入った。「じょく」は、褥=「しとね」と読め。古典の世界では『寝具』のことらしい。「そう」は、瘡=「キズ」の意味合いとのこと。要は『寝具』で『傷』を負うことが【褥瘡】らしい。

勉強になりました。

 床ずれなんて冗談話で若い頃使っていたが、そんな生易しいものではない。無知とは危険なことである。

 

 実習に入り先ずはベッドで使用するシーツのたたみ方。これは2人1組で両端からたたんでいき、たたみ方を理解する。要は新しいシーツを使用する際に折りたたみ方が利用しやすい様にたたまれていることを学ぶ。正しい方向、向きでなければ張り替えた際に裏表や向きがことなり不衛生にもつながるということだ。

 

 ベッド頭側に位置する角の三角コーナーと、ベッド足元に位置する四角コーナー。これは現在ボックスシーツが主流の世の中の為に、施設や場所によるものらしいが現在採用されている場は少ないとのこと。実際私も現場等では見た事はない。ビジネスホテルなどでは現在もこのやり方をしている所はあるらしい。

出典、引用:Yahoo知恵袋

 

 なにより、ベッド2台があり5人1組程度でグループに分かれ。1人づつ教わった三角コーナー、四角コーナーのシーツの貼り方に着手していったが皆、不思議はひと動作行う度に次の行動や、行ったことをギャラリーに確認するかのように、同意を求めるかのように進めようとすることだ。わからないなりに一連の流れで行っていってしまえば講師の直しや、アドバイスは投げられるのにいかんせん自信のなさからか、いっこうに進まない。ここは人間の心理か。回数を増やし手を動かさなければ覚えないと私は思うがもどかしい場面だった。この演目も実技試験にあるという前提からかもどかしい。

 

 次に生徒の一人がベッドに横たわり、体位変換からシーツ交換をしていき、実習は体位変換、ボディメカニクス*1の活用に入った。

 

 シーツ交換も体位変換も、ボディメカニクスも当然に見ているのと手を動かすのでは雲泥の差があった。頭でイメージできていようが着手すれば思う様にはいかない。数を熟すしか方法はないし、あくまで講座で、教室で仮の練習ではあるが、動作と並行し言葉をかけながら利用者(入所者)を誘導することの現実に苦闘する。

 善い意味で~ながら運転は困難だ。

 

 介護する人、介助する側、利用者、入所者それぞれが十人十色だからこそ、その場で起きる事由は無限の状況である。

 

*1:ボディメカニクスとは、「body(身体)」と「mechanics(機械学)」を組み合わせた言葉で、日本語では「身体力学」を意味します。人間が動作するときに骨や筋肉、関節がどのように相互に作用するかといった力学的関係を活用した介助技術で、医療や介護分野においては無駄な力を使わず、看護者や介護者の負担を軽減する手法として導入されています。
引用:Google.com

後回しにすること良かれとした過去

今週のお題「名作」

 

 何が狙いであったのか。不明であることは確かだ。「名作」と聞こえた作品。聞こえてきた物を直ぐに手にし観たり、読んだりすることを避ける性格。人が集まる、注目する物をその時、その瞬間に皆と同じように後を追うことが格好悪いと思っていたのが理由だろう。そしてその同じ時には何か別の自分が好むジャンルの掘り出し物を探し楽しみ発見したものが結果、より善ければ自分の中で

「これが名作だろう」

などと心で吠える。

 

 後で理解したことは世に言われる「名作」を観た、読んだ時に感じることはいつも

「すげー」

とか

「面白い」

とか

「はぁー」

と感心している。

だったら何故……早く、先に、人を割いてでも「名作」に手をつけられないのか。

 

 嫌な性格をしていた。過去。

 

 本を読むようになり、積読するようになり、時間があれば本を読むようになったことでなのか、それが「名作」を早めに着手するようになった今があることにつながっているかどうかは定かではない。しかし、今は過去よりも「名作」に反応し反射的に手が出るようになったと自分のことを解釈している。

 

 「名作」に手を出すことが罪のような不思議な感覚は何故生まれたのだろうか。

出来れば持って生まれた物ではないと信じたい。

 

 「名作」も個人の嗜好によるもので左右されるであろうが、私は以下の2つの作品をあげたい。

 

映画

2001年宇宙の旅

(製作・監督:スタンリー=キューブリック

 

小説

青い鳥(メーテルリンク/堀口大學 訳)

 

介護職員初任者研修(講座受講7回目)

 座学もあっという間に7回目を迎えた。この日はレポート2枚目の提出日でもあった。私は意外と早め早めで手をつけていたので特に焦りはなく採点を待つばかりといったところだ。

 

 次週からは実習にはいるが4月に入り1週間を経過する時間の体感が増してきている。

 

 少しだけ実習に向けての内容を講師も織り交ぜて声をあげていく。そこにはベッドメイキングも登場した。多分、私はベッドメイキングが下手だと予想している。理由はあまり把握していないが過去の経験上、上手ではないことに自分だからこそ踏まえている箇所がある。そして好みでないことも。

 

 講座スタートは「生活と家事」をテーマに進んだ。訪問、施設場所は、サービスはどれにしろ利用者さんとの会話の中で朝食を摂ったか、食べたかはヒアリングとしても重要なこと。コミュニケーションのひとつとしても有効。

 朝食は年齢関係なく様々だ。

白米、パン、食べないか、食べていないのか。

時代と共に朝食の種類に変化もあったようで、キャリアが豊富な講師も現場にいた当時の驚きを話していた。

「平成、令和の時代は朝食を伺った時に”シリアル”と答える人もいる。」

と……

ここは誤りを訂正するかのように講師は言った

「私も未だ偏見が完全には取り払えないようです。」

と……

そう、高齢だからといって、年長者だからといって『シリアル』を朝食にする人もいるといった内容だ。高齢者イコール白米かパンしか朝食にしないという脳は偏見なのである。

 

 今回、最初のグループワークは食事のメニュー考案だった。前置きとしてテキストを元にメニューの構成順を学んだ。ここは

「へ、え…」

と新しい知識を得た様に頷けた。

 食事の献立を作成する際に(勿論食べる側の健康状態を考慮してのことだが)順序が存在した。

主食→主菜→副菜→汁物→(果物、乳製品)

このような流れで(対象に疾患等があればそれに適したメニューを……例えば高血圧、75歳男性とわかれば1日の摂取カロリー1800kcal内で作成)

カロリー計算もしながら、これらを約30日(1カ月)分作成し実行し継続していくのだから骨が折れる。

 

 次に来週から始まる実習に向けて福祉用具の簡単な説明、触れることに講座は移った。例えば簡易トイレについては利用者さんがベッドでの生活がメインとなっている場合もありトイレまで行けないなど間に合わないシチュエーションで利用されている福祉用具。これは便座を支える足の部分が円状に作られており、その円筒は2重構成で内側の円筒を回転させることで足が伸びたり、縮んだりできる。高さが調整可能だ。ただ運ぶときに引きづってしまうとその円筒の一部が回転してしまい4本ある足の一部が短くなっていたり、伸びて一か所だけ長くなり不揃いが発生すると危険だということがある。

 

 車椅子、ドイツ製の物を実習では使用されていた。ここはポイントがひとつ私の頭を混同させた。手でかけるロックの部分が私の馴染みのある車椅子とは逆の物だった。車椅子の座席、左右に付いているタイヤの直ぐ前にタイヤを止める為のロックするレバーが左右に付いている。(車でいうサイドブレーキの役目だ)私の知っている車椅子、馴染みの車種はレバーを前に倒すと解除され車椅子が進行できる。手前にレバーを引けばタイヤがロックされる車種に慣れていた。しかし、実習で使用するドイツ製はこのシステムが真逆であった。レバーを前に倒すとタイヤにロックが掛り、座席側にレバーを引くとロックが外れタイヤを走らせることが可能だ。混同した。

 

 この日の後半に紹介された福祉用具のひとつ【スライドボード】は大きく納得を得た。ベッドから車椅子。車椅子からベッドへの利用者さんを移乗させる介助の際に使用される用具のひとつ。

 両方の間へ橋渡しさせるかのようにその【スライドボード】を設置、かませ、その上を利用者さんをお尻で滑らせながら双方へ移乗介助する。特に重量がある利用者さんへは有効である。体感してみると予想よりも遥かに安全であり、スムーズだ。

 

 7回に渡る座学の講座は終了し、次回からは実習が始まる。今日だけの時点で言えば座学よりも実習の方が体に染みつくのは早いと感じた。

 

 

 

 

自分で決めてきた現実と対比する心【高校生のためのアドラー心理学入門 岸見一郎 訳】

「そうなんだよな……」

と頷く。

繰り返す納得。

綺麗に読み進められる文章。

書かれていることに続く

「yes」

 

 へそ曲がりか、天邪鬼か読書に時間を割かない過去は外国の物を日本人が訳したような代物たちを色眼鏡でみていた。

「解釈は違っているんじゃないの?」

……とかを思い。

 

 いつの間にか読書が当たり前になって、そんなものはどこかへ消えた。

 

 長く、細々と読んでいた

【高校生のためのアドラー心理学入門 著者:岸見 一郎】

終わりに近づいた。

 そこには高校生、未成年だった頃に知れたら良かったことが沢山書かれていた。理解出来たかどうかは別として。(理解できる人間性が欲しかっただけかもしれない。)

 

 この書籍、後半に【親のせいにしない】という項目がある。そこには……

 

一体、親を責めるのにどれだけ意味があるのでしょうか?親の影響力はたしかに大きかったのです。それでも、親があなたのライフスタイルを作ったのではありません。あなたがそれを選んだのであり、そのことから今のあなたがあるのです。親だけではありません。あらゆる対人関係や、環境、過去のすべては、あなたに影響を与えたかもしれませんが、それらがライフサイクルを決めたわけではありません。

引用:

【高校生のためのアドラー心理学入門

なぜ自分らしく生きられないのか

著者:岸見 一郎】

 

……と書かれていた。

ここを読むまでは私の、自分の親などへの想いを共感してくれているように感じていた。味方は本の中の文章にいたのかと。しかし、この引用部分に差し掛かった時はこれまでを覆された気持ちになった。

 

 改めて正式に

「そうではないんだよ。」

と冷静に伝えられた雰囲気があった。

(可能な限り、自分なりに受け止めたつもりではいる。)

 

 長々と時間を掛けて、少しづつだけ読み進めていた本は共感と慰めで終わりを迎える事はなかった。

 

 

 

介護職員初任者研修(講座受講6回目)

 6回目の講座担当、講師は開始数分から自分には合わない様な雰囲気が強かった。テンポ、声のトーン、フィーリングか…。なんだかそんな気がしていた。しかし、約8時間程の講座が終了すればそんなことはなかったと思わせるのは講師の経験値の高さなのだろうか。キャリアも、人生経験も人に接している数、どれをとっても自分とは比較になるものではないのだから当然なのかもしれない。

 

 今回はグループワークが2回あった。1つ目は報告、連絡、相談、と一般的に言われる「ほう、れん、そう、」だ。それをどう共有するのか、どんな時必要なのかを各グループで意見を出し合う。その後に代表者一人が内容をまとめ発表する。この辺りは社会人を何年も経験している私達生徒が容易く思っているのは自然なことだが、介護の現場でどうなのかというテーマであった。

 例としてあげれば、私のグループでひとつあげられた内容は「知らなかった」は通じないものだ。その共有事項はある利用者さんが特定の疾患により施設で過ごす7時間程度の中で摂取して良い水分量は合計で320mlだということ。内訳は午前に施設へ来たときに一杯目として100ml。昼食時に100ml。15時のおやつ時間に120mlとして計320mlとなる。これをその都度、水分を提供したスタッフが共有欄に記載しておく。他のスタッフはそれを都度確認しておき過剰に水分を提供させないことをふまえる。

 過剰も過少もあってはならず、プロである以上は厳守しなければならない。

 

 2つ目のグループワークは麻痺を患った独居高齢者へ【ICFの観点】*1としてどういったサービスが提供できるかという内容を現段階の知識を絞り出し、まとめ発表するというもの。

 事例としては、右側上半身を麻痺している独居高齢者、娘夫婦は隣の市に住んでおり様子を伺いに訪れることが可能な時間は月に1回という生活スタイルの方(事例詳細は省略)へ簡単にいえばケアプランを練るということである。時間制限がある中で持てる知識を使いある程度まとめるのは意外と難しかった。その難しさはグループ内の気の使い方でもある。まだ顔を合わせて6回目の面子で意見を出し合い、うまく言い切れない雰囲気の中で……当然、言うに言えない人も存在する。

 積極的ではない人には私がうまく引き出し役を買い、意見を口にさせなんとか全員1つ以上の案を出すことができた。発表に対しまだ腰が引ける皆に対し外野で聞き耳を立てていた講師が言った。

「座学が終わり、実習が開始されれば講師相手に一人で交渉も、コミュニケーションも取っていかなければならない、今のうちに早め早めで発表癖をつけた方が良い。」

 背中を押す投げかけをしてくれたのを引き金に、私のグループではいつも私が発表をしていたので、今回いけそうな人に役を振り事なきをえた。

 しかし、時間制限があるなかで講座でしか会わない面子との意見をまとめあげるのは苦戦をしいられた。

 

 

 休日を使用し受講している講座であり、疲労は蓄積されるが不思議なことに脳がリフレッシュされるような効果を感じている。

*1:ICFは障害のマイナス面だけでなく、個人の機能や能力のプラス面にも着目する。

距離

 職場に向かう、職場の駐車場に入る前にひとつ交差点を、信号機を右折する。

今日はその信号機が丁度赤で足止めをくった。

その交差点、左側からグレー色の服を着た母親とみられる女性が足早に右側に渡って行った。その母親とみられる女性に少し、もう少し距離を置いてランドセルをしょった女の子、低学年のちいさい女の子がなんとかして後を追いかけているように見えた。

 

 私は、職場の駐車場に車を停め歩き始めた。職場に到着する前に小学校を横目に歩く。いつも通りにその道を歩いた。途中、さきほど交差点で見た母親と女の子がさきほど目にした光景と変わらない距離感で立ち停まっていた。母親は足を止め、女の子の方を振り返り

「!!…。」

なにかを女の子に向かって発している。

それに答えるように女の子も

「!!…。」

母親らしき女性に返答しているが、お互いの意見は噛み合っていない様に映った。

 

 私の憶測は学校に行かせたい母親と学校に行きたくない娘のやり取りだと思った。この場所から学校の校舎までは未だ200m程先だ。まだその中途半場な距離で立ち往生が始まり前に進めなくなっていた光景。

私は、足を止めることなく二人を平行に、横目に追い越していき彼女たちが目的地とする小学校を通り過ぎ職場へ向かった。

 母と娘の朝のやり取りであったのだろうが、変な話……現代にこの光景を目の前にするとは思わなかった。

 

学校までの距離

母と娘の距離

娘と母の距離

娘の涙声

母の表情

小学校のチャイムは未だ鳴らない

 

 なにもしなくても朝の時間帯は時が過ぎるのが早く感じてしまう。

あの埋まらない距離をふたりはどう縮めたのだろう。