サッカーの話

今週のお題「サッカー」

サッカーというスポーツを通した、お祭りが始まる。

サッカーは嫌いだ。母が、あれは、団体の振りした自己主張だけの個人競技だといったからなのかどうかわからないけど、中学時代のサッカーの授業は、いつもボールには触れなくて、取ったとしてもすぐとられてしまうし、女の子相手に本気になると、批難の目が突き刺され、男の子相手に、手加減される瞬間に、いらだちを感じた。人がいないところに待機し、ゴールキックやパスを受ける瞬間、チームが湧きたつのを感じて、不思議な高揚感に包まれることはあっても、ゴールが決められない。落胆に、申し訳なさに息がつまる。

幼いころからクラスがよく一緒になる男の子がいて、サッカーが好きだった。大言壮語で自分を奮い立たせるような、サッカー少年らしい彼は、いつもいらいらしていて、よく引き締まった、機能のために手入れされたきれいな脹脛をしていた。高校で受験勉強が始まる高校二年の終わり頃、彼は誰よりも先に部活に行かなくなった。私は、野心家の彼らしい賢い選択をしたんだろうと他人事だった。どうでもよかった。それよりも目の前の快楽に夢中だった。私は勉強しかしてないクズだったから、みるみる成績が落ちていった。補習と宿題だらけある日、補習があると勘違いして早く行くと、彼がいた。まくりあげたパンツの下から、テーピングだらけのひざが見えた。私は見てはいけないものを見たようで、トイレに行って誤魔化した。鬼のように机にかじりつく彼が、目につくようになった。なにかに取りつかれたみたいに、増していく奇妙な色気を、私は眼で追うことすら、無意識になっていたようだ。

太陽の下で、久しぶりに、彼が動いている姿が見えた。秋に行われる縄跳び大会の

練習。そのとき、あのぱんぱんに張った脹脛もつやつや光りながら跳ねていた。

おいしそう、と思った、むしゃぶりつきたい衝動がおこった。快楽にふけりすぎて頭が湧いていたのかもしれない、お腹が減っていただけかもしれない、この奇妙な恥ずべき感情を、すぐに打ち消した。からかいあったり、好意以前の、性的な欲望ではないのに、なぜかいけないことのような気がして、悶々とした。私はあたまがおかしいのかな?と、やっぱりした。ぼんやりし続けた。

赤ずきんと狼の話が授業に出てきた。私は赤ずきんを十八歳の少女にして、自分に着せた。中学生に襲われた小学校の頃を思い出して、耽った。見知らぬ自称カメラマンに撮られた摂食の様子を思い出して、耽った。好きな創造物どうしが絡み合うようすを思って、耽った。

 

 

栄養と、タンパク質でできた血の袋。夢と、希望でできた肉。

おいしそう。

 

彼の脚だけが、今でもよぎる。

いまでも、あの脚を探している。

 

 これ見た

https://www.youtube.com/watch?v=TQ_J3b1owr4&list=FLVb_R8BX9gTDFPePHR1Sy6w

 

 

 

 

感動することの効用

  

 

 

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アンナのように奔放に、自由に生きて現実世界にあらがうのか、リョ―ヴィンのように自己の律した信念と魂に従って生きるのか。

アンナが夫の本当の愛情を感じ取ることができていたら、夫がもう少しだけ自分を許すことができたなら、アンナはあんな最後をとげずにすんだんじゃないか?

ルールに縛られたくない、自分に正直に、自由に生きたいと思うアンナは、無鉄砲で計算がなく愚かだけど好き。

トルストイは享楽は破滅で、許しと自律は幸福だといいたかったんだろうけど、魂に従って生きることの、なんて難しいことだろう。

欲望がかき消す心の声に耳をそばだてよう。感情を動かすと、不思議と心が湖のように落ち着いてくる。ささいなことで気が散らない、自分の心に集中できる。自分の扉がひらく。

[人間はなぜ、攻撃性(aggressiveness)や怒り(anger)を

感じるのか?・フラストレーション-攻撃仮説]

 

人間はなぜ、攻撃性(aggressiveness)や怒りを感じるのか?・フラストレーション-攻撃仮説

心理学における攻撃性(aggressiveness)とは、破壊衝動や怒り・恐怖の情動が外面的に表現されたものであり、『他者否定の欲求』『自己否定の認知』の矛盾する欲求(認知)が含まれるものである。攻撃性を発動する究極的な目標は『自己防衛的(プライド保護的)あるいは他者否定的な欲求の実現』であり、その背景には何らかの満たされないフラストレーション(欲求不満)に耳の高まりがある。心理学者のJ.ダラード(J.Dollard)は、『フラストレーション-攻撃仮説(欲求不満-攻撃仮説)』を提示して、人間は『他者・自己・社会に対する欲求』が満たされなければ満たされないほど、自尊心(自己肯定感)が傷つきイライラとして攻撃的になることを示した。

S.フロイトやメラニー・クラインなどの精神分析理論(自我心理学・対象関係論)によると、『死の本能(タナトス)』に基づく破壊衝動や攻撃衝動は本能的なものであるが、文化的な環境や両親からのしつけ、教育的な指導によって破壊衝動(攻撃衝動)は適度なレベルへ調整されていく。あるいは、危険な破壊衝動や攻撃欲求は、建設的な行動や適応的な感情へと昇華・転換されていき、『他者に対する暴力・社会に対する攻撃』のような反社会的行動を見せる人は減っていくようになる。しかし、破壊衝動の現れとしての『怒りの情動』は、人間にとって遺伝的な基盤を持つ本能的な情動であり、自己防衛を目的として『怒りの情動』が生起してくることがある。

人間がどんな時に『怒りの情動』と相関した攻撃性を発現するのかを考えてみると、大きく以下の6つのケースに分類することができるが、最も本質的な怒りと攻撃性の原因はやはり6番目に掲げた『生存欲求を含む自分のさまざまな欲求の充足が阻害されているフラストレーション状況』だろう。産業構造や評価システムが複雑化した文明社会では特に、他人や社会から自分の有能性や魅力、存在価値が認められない時に『承認欲求のフラストレーション』が起こりやすい。

1.他者や社会から『身体的な危害・損傷・攻撃』を加えられた時に起こる『自己防衛的な怒りや攻撃性』。

2.他者や社会から『精神的な侮辱・差別・名誉毀損(誹謗中傷)』を加えられた時に起こる『自尊心(自己の尊厳)に基づく怒りや攻撃性』。

3.自分の大切な『家族・友人・知人』が傷つけられたり殺されたりした時に起こる『共感性と復讐心に基づく怒りや攻撃性』。

4.自分が所有権を主張できる『財産・金銭・債権』が奪われたり盗まれたりした時に起こる『財産保護的な怒りや攻撃性』。

5.社会的な不正(犯罪)や人権無視の悪事(圧制)が罷り通っていて『倫理的な意見・常識的な判断・共感的な優しさ』などが否定されている時に起こる『倫理感情や公共心に基づく怒りや攻撃性』。

6.自分の他者や社会に対するさまざまな欲求(本能的欲求・自己の正当性・社会的な倫理観)が満たされない時に起こる『フラストレーション(欲求不満)に基づく怒りや攻撃性』。

他者や社会との関係性に敏感な人が多い現代社会では、『誰からも自分の価値や魅力を認めてもらえない』という承認欲求の不全感が、フラストレーションによる怒りや自己否定の最大の原因になっている風潮が見られる。例えば、会社から突然のレイオフ(解雇)にあって社会的な承認欲求が満たされず、金銭に余裕がなくなって恋人(妻)から逃げられ対人的な承認欲求が満たされなくなれば、大抵の人はフラストレーションによる激しい怒り、あるいは、自己否定的で悲観的な認知に捉われてしまうだろう。破滅的な結果を招くことが多い怒りや攻撃性を緩和していく最高の方法は、極度のフラストレーションに陥らないように相互的な信頼感や肯定感を強めていくことであり、『自分の感情や意見に深く共感してくれる相手(配偶者・恋人・友人)』を大切にしていくことである。

 

自分の中の常識や、長年築いた自分のスタンスを覆されることへの拒否、ひいては、自分のテリトリーのなかの異物排除は、人間の生存欲求で、ものすごく自然なこと。じゃわたしはそういった常識を知らないとか、他人を肯定できてないところから問題なのか

ルールに縛りつけられて、自分を肯定できないまま、愛する人さえ失ってしまうの?

やばいやばい

 

 これも自己肯定のお話。自分と似た境遇の娘を助けようとすることで自分の対象喪失治療を行う。こんなんばっかり、ものすごい勢いで、人助けしろって言われてるようだ(笑)

本当の愛情がなんなのか、本当の自分がなんなのか、ひいては人間ってなんなのか、逃げずに研究していく。

 

対象喪失の研究つづき

 

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 ダニエル・ラドクリフのわざとらしいモミアゲが気になって笑えて仕方なかったのだけれど小道具の細やかさと、黒衣の女のインパクトがそれを凌駕しました。

ポルターガイストにぼんやりに沼からこんにちはに窓ドンとかキャーとかフェイントとか、日本的な古典ホラーでわかりやすく、シックスセンスやリングなんかのパロディも鑑みて楽しかったけど、お金のにおいがぷんぷんしたから、今度は原作で読みたいなあ。

そんで、やっぱりこれは、悼むお話なんだ、って感じて、彼女を哀しく思いました。

奪われたと憎み悲しみ続ける悲しみの象徴黒衣の女。妻を失った主人公、息子を失った老夫婦、部外者を追い出したがる村、部外者だって悲しみを連れているのに、排斥しようとする、なんでなんだろう?

一人暮らしをはじめてから思うけど、年齢を重ねた方々ほど、よそ者への風当たりが強いように感じる。物事を不吉とか、吉とか、迷信的な思考をした人が多いからなのか、年齢に比例した喪失の数が、悲しみに対する感受性を鋭くしているのか、たんに心配しているのか、言葉が多いのは、生き延びてくる上で培った耐性なのか。他人を排斥して仲間意識を高めるのは常套句だけど、これも、対象形成、治療の一環なんだって気づいた。人間が寄り添うのはすべて、対象喪失治療なのだ。

妹の息子を奪わなければ、妹が夫とうまくやっていたら、夫が死ななければ?、姉妹と夫婦で仲良く暮らすことができたなら、子供が産めなくても夫婦としてやっていけたら?

見殺しにした、って印象に残る言葉。弱者の無視、不満の無視、他人の無視。

無視が悲劇を生むなら、私はもう絶対に無視できない。あらゆることに目を見開いて、へとへとになっても心を動かす、注意深く観察する。感じて、できることをありったけ考え抜いてやる。実行したことのフィードバックも忘れずに。

今までわかっていたのに、怖くてできなかった。感情抑えても、どこかで無理してる。怒ってる。被害者の自分に。もしかしたらそれすらわかってなかったかもしれない。

哀しい。私の中にも彼女がいる。

悲しみを全力で受け止める。すくいとって、必ず天に返す。その作業をマスターする。

土地かって農業を副業でやりたいとか言ってる浅い考えの人たちに土地や農機具かしてパチンコ感覚で共同で畑作らせたりするビジネス。税金使って無理やり農家増やすなんて地球に良くない農家やるよりよっぽどいいじゃん。といいうわけで土地かうぞ~!

みんなもやろうよ!これからたぶん増えるし!株やってる大学生必見!

セツヤクエスト

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短期の海外旅行で便利だったアイテム9点 | 味のりとこんにゃくゼリーのエンジニアブログ

ミニマリストっていうのがいるそうだ。持たざる者。持たないことを習慣にすることで、便利さに慣れたからだを、すこしづつ強くすることができたらな。

クエストだから攻略して夢のシンプルライフがクリア条件なんですよね(´・ω・`)

 

私がやってることといったら・・・

野菜のてきとうスープ、しょうが入りのさんま昆布締め、鶏牛蒡、ゆかりひじきくらいかな・・・

あとはヨーグルトやナッツ、オリーブ納豆に果物ばっかりで、食は乏しい・・・貧乏エンジョイ!

電気は20アンペアで、夜は早く寝て、お風呂は残り湯で、トイレや掃除は重曹で雑巾がけ、ってくらいで、

まだまだミニマリストにはほど遠いなあ。

早く世界旅行したい!農業の傍ら、シャーベットグリーンの花小屋で、命とともに生きながら、人の役に立つ。