プライベートなことをネットにさらしてわかったいくつかのコト

1ヶ月経ち、気持ちも落ち着いてきました。鬼だなんだと書き散らした男の家庭がどうなったかを書いておきます。
あのときの騒ぎに乗っかっていた人が、まさかまだこんなところをチェックしているとは思えないけれどね。


結局、妻と2人の子供はうちにいます。
離婚もしていませんし、今後もする予定はありません。今のところ。
なにしろ、愛していますから。


妻のおなかの子供は先日殺しました。
私は産んで良いと言いましたが、先方の奥様は許せないとのことでした。


それも仕方がないな。と感じた自分の感性の麻痺っぷりに戦慄しました。
妻が初めての子供を流産したときは、あんなに泣いたのに。


というわけで、子供を堕胎して、終わり。です。


今回のことをはてなで質問して大っぴらにしたことの是非はわかりませんが、
質問して、ブクマがついて、色々な人のコメントを読んで、自分の中では考えさせられることがありました。
いずれ掘り下げて書けるといいな、と思いながらも簡単にメモ。

  • 関係の深い人の責任ある意見よりも知らない人の無責任な意見のほうが的を射ていることが多い。

知人の意見は関係性や立場に支配されすぎている。この人ならこう言うだろう、という安心感はあるが、ハッとさせられることは少ない。

  • 行間を読んでほしいと願うのは無駄。でもときどき読む人はいる。

行間読めよ…って思うけど、行間を読んでもらえるように文章を書かなかった自分が悪い。そんな文章でも行間読んでくる人がいる。すごい。エスパー。

  • 起こった事実よりも伝え方のほうが100倍重要である。

上と似てるけど。状況的には俺かわいそうなのに、書き方が最悪だったせいであらゆる凶悪な人格を補完されてなんか悪者っぽくなった。俺涙目。

  • ネットでも第一印象は大事。

例の最悪質問をした後に、フォローくさい日記を書いたら大嘘つき!みたいなメッセージ来て俺涙目。

  • 無意味なネガコメをする人はただの嫌な奴じゃなくて、何か納得のいかない現状にさらされている不幸な人かもしれない。

自分が混乱の最中でああいう最悪っぽい質問をしたことを鑑みると、ネットでうんこを書いている人は人一倍苦悩しているのかもしれない。と思ったほうが色んな想像ができて楽しい。

  • って言ってもネガコメが全部無意味だって言ってるわけじゃないよ。って言わないと誤解する人がいる。

みんなちゃんと読んでよ!

  • 発言の一貫性にとらわれすぎると、今この瞬間の自分を見失う。

id:y_arimさんが俺の以前のエントリや人力検索を引っ張りだして来たのを見て思った。


そりゃもちろん俺には、お前が言うな的なところは沢山あるんだけれども。子供への愛も本物で、不倫された怒りも本物で、嫁も子供も捨ててやると思った自暴自棄も本物で、許した気持ちも本物なんですよ。ハックルさんに「何が慮るじゃこのオタンコナス!」って思った気持ちも本物。全部自分なの。


一貫性ってカッコイイし、筋を通すのは大事だけど、自らの一貫性を保つために蓋をしている、大事な感情はないですか。


蓋をして隠したものが宝石でもウンコでも、大事な自分の一部分だということを忘れないでいたいな、と俺は思います。



以上です!お騒がせしました!

合理的な鬼。

妻が浮気相手の子供を妊娠しました。 うちは夫婦共に20代後半… - 人力検索はてな

という質問をしたところ、予想外、というか予想通りに盛り上がりました。
回答の枠も埋まったので、質問をするにいたった経緯を書こうと思います。


自分で言うのもなんですが、自分らは仲の良い夫婦だったと思います。
とも働きで家事、育児、収入は全て分担、できることをできるほうがする。
二人とも苦手なことは力を合わせてやる。という家庭でした。
(たとえば家計の管理や夕飯の準備は主に私、洗濯と保育園の送り迎えは主に妻、片付けは二人とも苦手なので、汚くなったら大掃除、という感じでした。)


まあ、この形に落ち着くまでは紆余曲折があったのですが、一昨年に家を買ってからは、
非常に安定した暮らしを送っていました。


ところが、ある時期から、とつぜん妻との関係が悪くなりました。
妻がよそよそしくなった、というか。具体的にはセックスに応じなくなったりしました。
自分でも理由がわからなかったので、うまく妻と接することができなくなりました。
(後で事実関係を整理したところ、不倫が始まった時期と合致しました。)


そんなある日、妻が連絡なしに朝帰りし、そのことに私が怒って大喧嘩になりました。
(もちろん朝帰りの理由は不倫です。あとでわかったことですが。)
別れる。別れないという話に発展し、1ヶ月近く冷戦状態が続きました。


そんな折、妻に妊娠らしき症状が現れました。(つわりや食欲)
そういえば生理が来ていた様子もなかったので確認したところ、来ていない、と。
私は検査をするように言い、検査薬を買い、検査しました。検査は陽性。


そして病院に行きました。間違いありませんでした。
当然おかしいな。とは思いました。1ヶ月以上セックスしていません。


ただ、精子が長く生き残る場合もある、という話を聞いたことがある気もしますし、
前回に生理だと思っていたものがただの出血だった可能性もあります。
何より私は、仲直りがしたかったのです。ここで疑えば、二度と関係修復はできないと思いました。


病院から戻ってすぐに妻と話をしました。
子供を生んでほしい。もう一度、前のように仲良くやりたい。と。
妻は1日考えさせてほしいと言い、翌日、答えました。


産む、と。


子供は産むことに決まり、仲直りもすることができました。
正月には私の実家に挨拶に行き、3人目ができたことを報告しました。


そして実家に挨拶に行った翌日のことです。
妻の携帯にメールが来ました。


関係がおかしくなる前は、妻が席を外しているときに妻の携帯が鳴った場合、
代わりに出たり、来たメールの差出人だけ確認して、「○○さんからメールきてるよ〜」
なんて教えることがよくありました。逆のときもありました。


以前のように、差出人を確認しようと妻の携帯を取ると、
メールはパスワードでロックされたフォルダに入っていました。


私は妻にこのことを確認しました。上司からのメールだ。ということです。
冷戦状態のころに相談をしていて、見られたくないからロックフォルダに入れる設定にし、
そのままになっていた。という話でした。


正直相手に好意も持っていた。という余計な話まで聞きました。
私は、もうお腹に子供もいるんだからそういうことはやめてほしい、とだけ伝え、
不問に処しました。


今思うと完全にスリーアウトチェンジですが、
また冷戦状態に戻りたくないと思っていた私は、それ以上追及しませんでした。
追及しませんでしたが、自分の心の中ではそのことがずっと澱んでいました


しばらくは仕事も手につきませんでした。
気にかかりつつも意識の外に追いやっていた、「自分の子供ではない」
という可能性が頭をもたげました。


ストレスで必要以上に食べたり、吐いたりしました。
酒好きでもないのに、知り合いがやっている居酒屋に行って一人酒を飲み、珍しがられました。
妻とよく行く居酒屋でした。一言も相談はできませんでしたが、私は決めました。


誰の子供かなんて気にしないようにしよう。
以前のように、妻と子供と、楽しく暮らせればいい。
今、妻が、私と子供を見てくれているのならそれでいい。


それから一週間ほどは、それなりに穏やかに時間が流れました。
妻は久しぶりに料理をするようになりました。
(妻は料理が苦手だったので、上にも書いたとおり食事はたいてい自分が作っていました。)


ある夜のことです。妻が風呂の脱衣場に、携帯を置き忘れていました。
妻は台所で夕飯を作っています。
私は妻の携帯を手に取りました。


今、妻が、私と子供を見てくれているのならそれでいい。
そう思いながらも、私は妻の携帯のメールボックスを見てしまいました。


ロックフォルダに入れるのをやめた替わりに、メール後すぐに消す方針にしたようです。
メールはほとんど残っていませんでしたが、その日の昼のメールが残っていました。
相手は例の上司、内容は、やはり、そういう内容でした。


結局妻は、私と子供を見ていませんでした。
私は激怒し、妻を問い詰めました。
妻は、不倫の事実と、お腹の子供のことを認めました。


子供を寝かしつけた後、妻を引きずって不倫相手の家まで行きました。
家には奥様だけがいらっしゃいました。奥様は呆然としていました。妻は泣いていました。私ばかりが喋っていました。
後日当事者全員で集まりたいことを伝え、妻を連れて帰りました。


これが、人力検索で質問をする前日までのことです。
私が質問した日、私の心はほとんど、妻と不倫相手の復讐のことしか考えられませんでした。


子供のこと
今後の生活のこと
妊娠の挨拶に行ったときの母の顔、
不倫相手の奥さんと子供、
妻との思い出


色々なことが思い浮かんでは、復讐、慰謝料、社会的制裁、殺す、
という言葉に、飲み込まれていきました。
私はまったく思考力が低下しているのを感じました。とにかく混乱していました。


そういうわけで、ああいう支離滅裂な質問をしました。
100年に一度の不倫ショックの中でありえない利益を稼ぎ出す10の方法。
みたいな下らない話をすれば、少なくとも何か動きだせると思ったのです。


それが、発言小町ではなく、はてなで質問した理由です。
カテゴリを「ビジネス・経済」にしたのも同じ理由からです。
絶対に「人生相談」にはしたくなかった。


誰々がかわいそう、とか誰々は許すべきでない、なんて話をしても、
感情が刺激されるだけで何も前に進むことができません。


でも今になって思うと、明らかに質問の仕方を間違えました。
鬼、という単語のせいで、自分も回答していただいた方も混乱してしまいました。
私の心を支配していた感情が「鬼」という単語をひねり出したんでしょうけどね。


ちなみに当事者全員での話し合いはすでに終わりました。
会話内容は全て録音し、不倫の事実関係について確認した書面を作成し、
署名捺印を全員にいただきました。


まあ、一般的な決着に落ち着くと思います。
ご期待に沿うような面白い事態にはならないかと思いますが、
ご勘弁ください。


最後に、一番自分の心に響いたブクマコメを紹介します。


id:analogdevicez 合理的な鬼。本当の鬼になるなら金棒がおすすめ。


このコメントでクスッと来た後、少し気持ちを落ち着かせることができました。
皆さんありがとうございました。ポイントの配分とかはまた後で考えます。

素敵な素敵なチャレンジ支援特別貸付事業

東京都に、チャレンジ支援特別貸付事業ってやつがあることを知った。
これはとっても良い事業なのでみんなに伝えておきたい。

東京都のホームページはこちら

ここにはチャレンジ支援特別貸付事業についてこう書いてある。

チャレンジ支援貸付事業貸付金は、学習塾、各種受験対策講座、通信講座、補習教室の受講費用及び大学受験等の受験費用の捻出が困難な方に対して、必要な資金を貸付けることにより、低所得世帯の子どもを支援することを目的とした貸付金です。

書いてあるとおり、お金ない人に塾とかの教育費用を貸してあげるよ〜、という話。
具体的には、

  • 学習塾等受講料貸付金

学習塾等の費用を中学3年生で15万円、高校3年生で20万円まで貸付してくれる。

  • 大学受験料貸付金

高校3年生に、大学受験料を10万5千円まで貸付してくれる。


という二つの貸付金がある。なんとこれ、無利子。
しかも、高校or大学に無事進学すれば返済は免除されるというオマケつき。かなり素敵な制度だと思う。低所得世帯はこれをどんどん活用して、子供により良い教育を受けさせるべきだ。


とここまで書いて気づいたんだけど、


低所得の家庭って、こういう制度を使おう、探そうとするのかな?
貧乏ヒマなしで、こんな制度を調べている余裕なんてないかもしれないし、そもそも良い教育を受けさせなきゃ、なんて思っていないかも。
うーん。こんなに良い制度なのに、親が自力でこの制度を見つけて利用するのは期待できないんじゃないだろうか。それではイカン。この制度はもっともっと利用されるべきだ。


そうなると、この制度を活用するには、やはり学校の先生の力が必要だ。お金も暇もない家庭に、きちんとこの制度を周知して、活用を後押しさせるべきだ。


でも待てよ。


お金借りて塾に行きなさい、って言うのは、自分で学校の勉強では足りないって言っているようなもんだ。プライドの高い先生方が、いくら生徒のためとはいえ、そんなことが言えるだろうか。だめだ、こいつも期待できない。


じゃあどうするか。
この制度は塾や予備校が主体になって周知していくべきなんですよ。低所得の家庭は塾の費用が借りられますよ〜。しかも進学すれば返済しなくて良いんですよ〜。ってテレビでも何でも使ってガッツリ宣伝すれば良いじゃないか。
低所得家庭の子供は塾に通うことができるし、塾は生徒が増えるし、親は金を払わないで済む。すばらしい!!


とにかくこれは良い制度です。
受験を控えるお父さんお母さん、塾や予備校関係の人は知っておいて損はないと思いますよ。

エンターテイナーの憂鬱

あえてツッコミどころを残す。もしくはツッコミどころだらけにする。という手法で日記を書くと、ツッコミどころが分かりやすいから、たくさん言及される。


たくさんブックマークされ、予想通りのツッコミコメントがたくさんつく。
それを見て、ああ、こいつらさっぱりわかってないな。とニヤニヤする。もしくは、日本の未来を憂うフリをする。


分かりやすいツッコミどころが多すぎるから、当然ノイズが増える。
本当に指摘されるべきことは指摘してもらえない。


成長しない。変化しない。


エンターテイメントのために、どれだけ時間を無駄にすれば気が済むのか。

いじめられるのは勉強ができるからじゃなくて性格が悪いからだ。

ブックマークがつくって、単純に嬉しいなあ。特に、ご本人から「胸のつかえがとれた」と言っていただけたのが嬉しい。


で、前回のエントリはひとの変なところを指摘しただけなので、自分の考えも書いておきます。良い方にも、悪い方にも、僕個人の考えを誤解されている方がいるかもしれないので。


正直言うと、ハックルさんの言わんとしていることはわからないでもないのです。たぶん、たぶんハックルさんは「いじめられんのは勉強ができるからじゃなくて性格が悪いからだろ」って言いたかったんじゃないかしら。


もし、そういうことなら僕もほぼ同意見。いじめられる、蔑まれるのは、「勉強ができる」からではなく、性格や振る舞いに原因があります。あえて「性格が悪い」とは言いません。例えば、間違ったことが嫌いで、どんなことも空気を読まずに反論してしまうような人は、悪い性格だとは思いません。ですがその振る舞いはいじめの原因たりえます。
勉強ができる人もできない人も、スポーツができる人もできない人も、いじめられるような性質・環境があれば、いじめられる可能性があります。


ただ、いじめる側は、「お前の性格が気に入らない」と素直に言ってはくれません。
いじめる側が、いざ、いじめるぞ、となったとき、いじめる相手のあら捜しをします。他の人と比べてダメな部分を徹底的に洗い出し、自分がいじめる理由とします。もちろん直接のトリガーは性格なのですが、そのいじめを正当化するために使えるものは何でも使います。
不細工、片親、貧乏、頭が悪い、運動音痴、学校のトイレでウンコした、などなど、いじめのネタは探せばいくらでもでてきます。


だからいじめられた子供は、自分は頭が悪いからいじめられるんだ、ウンコしたらからいじめられるんだ。と勘違いをしてしまうのです。


また、そうやっていじめのネタをあげるときに、「サッカーができてウザい」はめったにあがらないのに「勉強ができてウザい」は結構な頻度であがってしまう。これが、いじめられた経験のある「勉強ができる」子が、「勉強ができる」せいでいじめられた、と考えるに至ったひとつの原因だと思うのです。
ただ、直接の原因が性格にあるにしろ、いじめのネタとして「勉強ができてウザい」が成立してしまう、人の努力を笑うような雰囲気はやはり良くないよね。っていうのが僕の結論です。


それはそれとして、さっきも言ったけど、「いじめられるような性格」が、即ち「悪い性格」だと僕は思いません。
むしろ僕は、勉強ができて、同級生や特に教師に嫌われがちな性格の子供って、嫌いじゃない。論理的に教師に反抗して、悔しい思いをさせる子供って何か良いじゃん。そういう子供が変な引け目を感じず、好き勝手できる日本になって欲しい。


ところでさ、勉強ができていじめられない子供ってどんな子供だと思う?
そう、みんなが嫌いな「いい子ちゃん」だ。勉強ができて、政治力も高い。教師から好かれるように振舞えるということは、当然、同級生から好かれるように振舞うことも出来るということ。そしてその子を前にしたとき、「いい子ちゃん」が嫌いなあなたも、きっと好きになってしまう。


そういうことができる人のことを「頭が良い」って言うんだろうね。

他人の気持ちが慮れないっていうのはこういうことか。

こういう記事がありました。

この記事については僕の体験とも被るところがあり、非常に共感できる内容でした。
すっげー簡単にまとめると、
勉強ができる子は(同級生・親・教師からの)いじめや差別の対象になりやすい。
それは、「勉強ができる」ということが一般的に言われる「子供らしさ」からかけ離れているからだ。
そうやって「子供らしさ」で「勉強ができる」子供を差別する風土が、科学技術発展の阻害の一因になってるんじゃないか。
って感じの内容です。詳しくは元の文を読んでください。
この記事を書いた人を以下「理系さん」とします。


それに対する記事として、こういう記事がありました。

この記事を書いた人を以下「ハックルさん」とします。
で、ハックルさんの意見がなんか的外れっぽいなー、と思ったのでいろいろ書くことにしました。


「他人の気持ちを慮れないことが蔑まれた原因だ」なんていう刺激的なタイトルなので、ハックルさんはよっぽど他人の気持ちを慮る人なのかと思いきや、いきなりパンチが飛びます。


理系さんの

たとえば体育や音楽でずば抜けた能力をもつ場合、その子は胸を張っていられる。

でも、「お勉強」の教科に秀でている場合、その子はそれを無邪気に誇りに思うことはできないばかりか、後ろめたいことのようにすら思うことを強制させられる。

この非対称性は、なんなのだろう?

どうにも不思議だ。

なぜ、かけっこが速くてもいじめられないのに、勉強ができるといじめられるのだろう?

という考えに対し、この意見

この一節から分かるのは、この人が、「体育のできる子」や「音楽のできる子」の気持ちを、少しも考えたことがないということだ。彼らの内面に思いを馳せたことなど、これまで一度もないという事実である。


もうこの一文からして、慮ってない。この一文を投げつけられた人の内面に思いを馳せたら、「少しも考えたことがない」なんて言葉が出て来ようはずもない。それでもこれほど過激なことを言うんだから、「もっともだ!」とひざを叩くような話をしてくれるのかな、と期待して僕は読み進めました。ところが、この後の展開がひどい。ハックルさんは続けてこう言います。

それは、ほんのちょっと考えれば分かることである。「体育や音楽でずば抜けた能力をもつ」子供が、「それを無邪気に誇りに思うこと」などまずあり得ない。彼らは、たいてい強烈なコンプレックスを抱いている。特に勉強ができなければ、そのことをいつも後ろめたく思っている。それは、彼らがいつだって周囲からこう言われてきたからだ。

「勉強しなさい。運動ばかり(音楽ばかり)できたって、そんなのは、大人になれば何の役にも立たないんだから!」

そうして、自分の体育ができる能力であったり、音楽ができる能力を、心から誇らしく思うことができないでいるのだ。


ほんのちょっと考えれば、理系さんと話がかみ合っていないことが分かります。


「体育や音楽でずば抜けた才能があるけれど勉強ができない子供」は、勉強が「できない」ことで圧力がかかる。だが、体育や音楽の能力については素直にみんなから賞賛され、「俺は勉強できないけど、サッカーは得意」などと自尊心を満足させることができる。
「勉強でずば抜けた才能があるけれど、体育や音楽ができない子供」は、体育や音楽が「できない」ことで、やはり圧力がかかる。それに加え、勉強が「できる」ことで、子供らしくない、と言われて大人から疎まれたり、同級生からも「気持ち悪い」などと言われてしまう。「私は運動できないけど、勉強は得意」と素直に自尊心を満足させることができない。
理系さんが問題にしているのはこのことですよね?


「筋肉バカ」が「バカ」の部分について馬鹿にされるのはある意味しょうがない。「ガリ勉」だって、運動ができないなら、そのことはいっくら責められてもしょうがない。だけど、「ガリ勉」であること自体を馬鹿にされたら何を信じて生きればいいの?っていう話をしているのに、「筋肉バカ」だってバカバカ言われて辛いんだ!って言われても絶句するしかない。


そして、この人はこの間違った論理展開をもとに、相手に対して
「ねじくれてる」だの「ナルシスト」だの「国語を勉強してない」だの言いたい放題言うわけです。
その中でも自分的に一番引っかかったのがコレ。

体育や音楽でずば抜けた才能を持つ子だって、いじめられる子はいる。「体育ができる子」や「音楽ができる子」だって、十分蔑称になり得る。この人は、それこそ勉強ができたのにも関わらず、なんでそんな簡単なことが分からないのだろうか?


「勉強できるのに、なんでそんな簡単なことが分からないの?」
これって、勉強できる人をいじめるための常套句ですよね。経験がある人、たくさんいると思う。
主に教師とか親がよく使います(笑)


この後もハックルさんはガンガン飛ばします。


理系さんの

また、女子がなかなか理系に進学しないことの原因の一つも、ここにあるのではないか。


好きな男の子に「お前は頭いいから、俺とは違うよな」と言われて、胸をえぐられるような思いをしたり、女の子グループに「ちょっと勉強できるからって、大きな顔しないでよ」と仲間はずれにされたことがきっかけで、勉強、特に理数系から遠ざかる女子は、きっとたくさんいると思う。

というちょっとほろ苦い青春エピソード(?)に対して
ハックルさんは

例えば、スポーツで身を立てたり、音楽で身を立てている人は、少しの例外を除いて、たいていは周囲から反対されたり、理解されなかった経験を持つ。

「そんなこと、やってどうなる?」と、彼らはその道に進むことに反対された経験を持つ。

しかし彼らは、その反対を押し切ってその道に進んだのである。だから、彼らには、好きな人に理解されなかったとか、女子のグループから仲間はずれされたことなどに対する、ねじくれた被害者意識などない。むしろ、そういう逆風が自分を奮い立たせる原動力になったと、感謝の念すら抱いている。

しかしこの人は、好きな人に理解されなかったからとか、女子のグループから仲間はずれにされたことがきっかけで、勉強をやめてしまったり、あるいは理系の道を断念してしまう人がいるという。そうしてそれを、ことさら問題であるかのようにかき立てるのだ。


逆境に打ち勝って頑張ったアスリートと、ただの勉強好きの女の子を比べてしまうこのマッチョぶり!
ちょっと落ち着いて、とお茶を1杯差し出したくなります。


アスリートを目指す子供が受ける批判は、「プロになれるかどうかもわからないのに、そんなことを続けてどうするんだ」に集約されます。でもこの批判は、努力を続けてプロになれれば、大きな賞賛へ昇華される。それが、モチベーションの原動力にもなる。だいたい、この類の批判は大人からのものがほとんどです。思春期の子供にとって大人からの批判がなんだと言うのでしょう。同級生の間ではヒーローです。そして、ただの運動好きの子供はそもそも批判とかされない。


ただの勉強好きの女の子が受ける批判は、「勉強ばっかしてるなんてキモーい」なんです。プロ(=研究者)を目指す女の子が受ける批判も、やっぱり「勉強ばっかしてるなんてキモーい」です。それにもめげずプロになったとしても「キモーい」と言っていた人の評価はやはり「キモーい」なのです。しかもこの「キモーい」は同級生や好きな人からの「キモーい」なのです。思春期の女の子にとって、それがどれだけ辛いことか。


そんなわけで、好きな人に「勉強ばっかりしてる女はキモい」と言われて勉強から離れてしまう、ただの勉強好きの女の子がいるのは想像に難くありません。その子は別に、三度の飯より勉強が好きで勉強のプロになるつもりではない。ただの勉強好きなんです。デブは嫌いって言われたから甘いものを我慢するように、勉強を我慢するんです(そして人の見ていないところでつまみ食いをするように勉強してしまう)。それってとっても文系的な、情緒的な心の動きであって、人に対して「国語を真剣に勉強していなかった」などと批判できるくらいに国語を真剣に勉強してきたのなら、そのくらいのことは想像してほしいですよね。


ましてや理系さんは、憧れの人にキモいって言われて勉強を諦めてしまうただの勉強好きの女の子ではなく、勉強が大好きで大好きで、色々な批判を受けながらも東大卒の課程博士を経て今に至った、いわば理系のアスリート女の子なわけだ。
しかしハックルさんはそんな理系さんに対して、「本当は機械のように言われてやってたんだろ?」「功名心の塊なんだろ?」と書き立てるのだ。


そんな言説は、ちゃんちゃらおかしいと言わざるを得ない。そんなことは、子供だましだ。そういうことを言っているから、日記を書いているのも、「はてブ稼ぐためにわざと刺激的なこと書いている」のだろうとか、「はてなーに気に入られたい一心の功名心の塊だ」ったと思われてしまうのだ。