勇気

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

 

 ずっと自分を読書好きの人間だと思っていた。

 だけど最近「私、それほど読書が好きじゃないのかも」

 と自分を疑い初めて、よくよく考えると

 本は常になにかしら読んでいるけれど

 それは食事をすることと同じだと気がついた。

 

 好きとか嫌いとかじゃない。欠かせないから、読むんだ。

 好きな本もあれば嫌いな本もある。

 全部読めた本も読みかけの本もまったく手をつけていない本もある。

 それでも本を手に取ってしまう。欠かせないから、仕方ないんだ。

(でも、紙の本をめくるのは単純に好きだな)

 

 人生に影響を与えた本、なんてたくさんある。常に影響を受けてきた。

 人生のステージごとに、その時期にあった本が私を教え導き、受け止めてくれた。

 

 ただ最近、少しずつ「ほんとの自分」らしきものになりつつあると自分では思っていて、そのはっきりとしたきっかけというのは、この一冊だと思う。

 

  『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 岸見 一郎, 古賀 史健 (著)

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 出会ったのは確か……今年、2015年の年明けあたりだったと思う。

 当時、近所の無人の神社にお参りした後、少し離れた本屋まで足を伸ばして立ち読みをして帰ってくるというのが私の散歩コースだった。

 この本は前年のベストセラーだったらしく、その本屋の売り上げベスト10の棚の上位に陳列されていた。本屋に行くたび、その青い表紙が目についた。

 あるときふと、それを手にとってみたくなった。

 

 この頃の私は、とにかく人生の底にいた(と私には感じられた)。

 会社をやめて、再就職するあてもエネルギーもなく、自宅以外の居場所もなく、お金はどんどんなくなり、なんでもいいから仕事を“しなければならない”と考え、けれど自分の真ん中にいる小さい自分が「絶対に動かんぞ!」と岩になったみたいに動けなくて(動かなくて)、そしてそれを人に知られないように隠して、取り繕って、平気なフリをして、

 とても苦しかった。

 どうにかしないといけないのにどうにもできない。

 なんてダメな奴だ。なんて無価値な人間だ。クズだ。恥だ。みっともない。

 そうやって自分を責めながら、他人からはちゃんとした人間、価値のある人間として見られたかった。

  今思えば、アホだ。悲しくも憐れなアホだ。

 

『嫌われる勇気』は、悩み多き青年の質問に哲学者(哲人)が答える、という形式をとっている。

 この本の中で哲人は言う。

人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる

 しかし青年は反論する。

 誰かの役に立ててこそ、自らの価値を実感できる。逆にいうと、他者に役立てない人間に価値はない。そうおっしゃっているのですよね? 突き詰めるとそれは、生まれて間もない赤ん坊、そして寝たきりになった老人や病人達は、生きる価値すらないことになってしまう。

 それを哲人は否定する。

 あなたはいま、他者のことを「行為」のレベルで見ています。つまり、その人が「なにをしたか」という次元です。たしかにその観点から考えると、寝たきりのご老人は周囲に迷惑をかけるだけで、なんの役にも立っていないように映るかもしれません。

 そこで他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見ていきましょう。他者が「なにをしたか」で判断せず、そこに存在していること、それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていくのです。

 

 存在自体を喜ぶ……。感謝する……。

 そんなのはこれまでさんざん見聞きしてきたことだった。自己啓発やスピリチュアル界隈で当たり前のように言われていることだった。

 でも、できない。頭で理解したつもりになっても、心が、現実(として自分が認識している現象)が拒む。

 まさに私自身が自分のことを「行為」のレベルでしか見ていなかった。

 

 では、どうしたら「存在」レベルで自らの価値を実感できるのか……。

 

 この本のタイトルは『嫌われる勇気』だけれど、私にとっては

『恥をかく勇気』であり、

『自分がたいしたことない人間だと認める勇気』であり、

『たいしたことない自分を許す勇気』であり、

『たいしたことない自分でも受け入れてくれるのだと他者を信頼する勇気』でもあった。

 清くあれ、正しくあれ、美しくあれ、優しくあれ、有益であれ、励め、学べ、向上せよ――そうでなければ許さない、その号令に統率された大行進から外れて、好きなところへフラフラ歩いて行く勇気だった。

 

 私は自分がたいしたことない人間であることを認められず、許せなかった。

 たいしたことないのは努力や勉強が足りないからだと思っていた。

 だからたいしたことない自分を人に知られたら、みんなに嫌われると思っていた。

  私のような欠けた人間をそのまま好きになってくれる人なんているはずないと思っていた。

  人に好かれるために一生懸命取り繕って、うまくいくときもあれば失敗するときもあって、失敗はいつまでも引きずって、恥ずかしさに身悶えた。

 

 でも、違う。違った。

 

 私は、私以外の何かになろうとしなくていい。

 私は、何もできない・何も持たない・今のこの私が私だと、あきらめていい。

 あきらめて、自由に振る舞っていい。ちゃんとした人にならなくていい。

 楽しいことをしていい。好きなほうを選んでいい。

 

 最初はおっかなびっくりだった。

 きっと恥をかく、笑われる、迷惑をかける、嫌われる。

 そう思うと怖かった。

 

 哲人は言う。

 われわれはなにかの能力が足りないのではありません。ただ“勇気”が足りていない。すべては“勇気”の問題なのです。 

 

 勇気を出した。出したらなんだか、変わってきた。

 今とても、呼吸が楽だよ。たぶんこの先もっと楽になる。

 

 ちなみに『嫌われる勇気』は何度か立ち読みして最終的にその書店で購入しました。