もしも魔法が使えたら
今週のお題「もしも魔法が使えたら」
まあ、いろいろな案が出てるでしょうが、私がこのお題をタイムリーだと思ったのは、別の意味で「魔法が使える」というキーワードが身近に頻出したからです。
まあ、仕事しかしてない生活なので、もちろん仕事関連なんだけど。
そして、自分自身でなく仕事相手なんだけど。
「じゃあ、何日までにコレコレこれだけあげてくださ~い」
あげてくださ~い。じゃねーよ。
魔法のよう何でもあがると思ってんのか?あ?あ?やんのかこら。
と、思わずやさぐれパンダのように輩と化す石田であった。
もちろん、心の中でしか言えない。電話を切って同僚と、だよね~。
と慰め合うぐらいのもんだ。
ほんと、あれどうにかならんもんかね。
あんたんとこの仕事だけしてるんじゃないし、それこそ物理的な手間も時間もかかるんだよ~~~
くそ。くそ。死ね。と毒づくだけ毒づいて、毒キノコよりも毒々しい顔色でPCを睨みつける。くそ。くそ。くそ。死ね。くそ。くそ。くっそ~~~~~~~~~~~~。
さ、しゃあねえからやるか。
と手を付け始める毎日。
そして、もうだめだ。もうだめだ。と泣きながらあげるのだった。
ちゃんちゃん。
ああ、デフォすぎる社畜根性が悲しい。
ということで、魔法が使えたら、そんなことをいうやつが毎日違う場所が無性にかゆくなる魔法をかけたいです。
仕事の待機中です。
ただいま、仕事の待機中。
時間があるので、勢いで登録してみた。
時間を泥棒してほしくてネットの海に溺れる。
すると、案の定ある美しい人の死がチクチクと気持ちを刺激する。
あの最期の言葉など含め、本当にドラマみたいだと思った。
非の打ちどころのない、おそらく語り継がれるであろうエピソードの数々。
なんだか最初は違和感があったのだが、ひとつのことに気付いて腑に落ちた気がした。
彼の背負っているものだ。
そして彼はそれらを背負いきることができる人なのだろう。
だからこそ、なのかもしれない。
そういう人だからこそ、本当に物語のような人生を送ってしまうのだろう。
それが未来への試金石だとでもいうように。
得るものへの対価だというように。
ただ、そんな重いものをカケラも背負ってない私でもわかることがある。
どんなスーパーマンでも、あの状況は苦しいよ。
それでなくとも、大切な人を亡くした方たちは、直後は煩雑さにまぎれるが、落ち着いたころにガクッとくるという話はよく聞くのに、ガクッときたころには周囲はまた別の物語を求めるのだろう。
自分の背負うものや求められているものを、子どものころから感じて生きてきて、求められる以上のことをしてきたのだと思う。
でもそれには、きっと無理が伴う。当たり前だ。
その無理を和らげてくれる人が、スーパーマンが普通の人に戻れるのが、彼女のそばだったのだろうと容易に予想がつくからなおのこと、赤の他人でも泣けてくる。
例のブログを読んでいると、人としての大きさを見せつけられた。
今は、ただテレビで見ていたころの「かわいいこは得だよね」というひがみ根性をスライディング土下座で謝りたい気分だ。
ただ、あの性格の良さは、やはりかわいいコが周囲の愛情をたっぷり受けて、大切にされたからこその土台があると思う。
そこは、常に中の下として生き続けてきた女として譲れない。
ただ、文句なくかわいいコは宝だ。と私の中に存在するエロおやじが叫んでいる。
その通りだ。かわいいコは見るだけで幸せになれ、話すことができれば舞い上がることができてその日はルンルンで過ごせる。
でも、宝だからこそ、変な使命を背負わされたのなら、中の下で良かったと思う。
なんにつけ、死に関することはなんだかやるせない。