久々に道長×まひろのシーンがあった『光る君へ』第16話。
物語の世界で7、8年、大河ドラマの視聴者にとっては第13話から4週間、ふたりの別れから時を経ている。
道長×まひろ(紫式部)強火担の私にとって、第16話最後の10分は「ああ、ようやく」と、1カ月ぶりに救いを得たような気分だった。また、ふたりをよく見ていると気づいた点もあった。
今週の記事はその終盤に焦点をあてていく。
まず、ふたりの邂逅する場面の前に、触れておきたいことがある。
道長のふたりの妻への態度と、道長の嫡妻である倫子についてだ。
妻たちと道長の夫婦関係の穏やかさといびつさ
第16話では妊娠中の妾妻明子に、第17話では子どもたちとくつろぐ土御門邸で嫡妻倫子に、道長は夫としての穏やかな表情を見せた。
道長にとって妻たちとは政略結婚だ。ただ政略結婚は近代に至るまで珍しくないことで、結婚した後に、あたたかい夫婦仲を育んでいくことも多々あるだろう。
しかし道長の結婚生活、ふたりの妻である倫子、明子、そして結婚はしていなくてもずっと彼の心のなかにいるまひろの3人に対しての残酷さがかいま見える。
振り返ればその片鱗は、まひろにプロポーズしたのにもかかわらず「妾はいやだ」と言われ、ヤケになって父のところへ行き倫子との縁談を調えてほしいと言った時や、まひろに別れを告げられた夜、そのまま文も出さず倫子と契った時からあった。
今、道長は倫子と明子のことを妻として見ている。そこに一切の疑念はない。
しかし道長にとって「妻」の意味は、ほかの男たちとはどこか違うのではないだろうか。
まひろを想い続けている道長は、ふたりの妻にやさしく振る舞う。だがそれはやさしさと呼べないと私は考えている。
妻たちに冷淡に接することなく、子どもまでもうけているのは、倫子や明子と不仲になると自分の政治的な立場も不安定になるからだと仮定もできる。
そうだとしても、倫子と明子は何も知らないのだ。
自分の人生で唯一無二の愛する人と信じている夫が、幼いころ、身分の低い貴族の娘まひろと出会い、青春時代の激しい恋愛を経て、まひろの望む世を作るために職務にいそしんでいることを。
それどころか自分たちとの結婚も、まひろの望む世を作るためだったということを。
まひろと共に、友人の亡きがらを埋めた。
まひろに「身分を捨てて遠い国へいっしょに行こう」と言った。
自分たちより深い思いを胸に、まひろと肌を重ねた。
そのすべてを倫子と明子は知らないのだ。
自分たちと道長はあたたかい夫婦仲を育んでいる。
そう信じて疑わないふたりにとってやさしく振る舞う道長は、とても冷たい。
その冷たさが後に名を残す藤原道長を形作っていくのかもしれないが、妻のふたりだけではなく、道長がほかの女性たちとあたたかい家庭を育んでいるとずっと信じているまひろも巻き込む道長の残酷さが、だんだんと際立って行く。
倫子にとってまひろは見下す存在なのか
時をさかのぼり、倫子とまひろのシーンをふたりの出会いから振り返ってみる。
倫子は高貴な育ちからくる微笑みを崩さず、堂々としている。まひろにもやさしく振る舞うが、女子校出身の私はどうしても倫子を好きになれなかった。
まひろに対する言動がその理由である。
「私には倫子さまのように殿方から和歌がくることはありませんので」
「倫子さまの狙っている方とは誰なのですか」
「(まひろを女房にするという)あたたかい手紙を頂戴してありがとうございます」
要約したが、こういったまひろの数々の言葉に対して、倫子はどう反応しただろうか。
少なくともこのような言葉は出てこなかった。
「(自分の代わりに)舞うまひろさんを見初める方がいらっしゃるかもしれない」
「まひろさんは好きな人がいるの?」
このように言わないのは、自分より身分の低いまひろは、男性にとって魅力的ではなく、だから和歌など届かないだろう、まひろの好きな人など聞いても意味がないだろう、と無意識のうちに考えているからだと私は認識している。
私は中高大と女子校10年、女性が友人にマウントをとるのを見てきた。
恋バナをしても、相手はモテていない前提で話を進めたり、自分の恋バナは夢中で話すのに相手のことは聞かなかったりする女性は、
あきらかに自意識過剰であり、あまり友達がいない。
まひろは倫子よりかなり年下であり、身分差もあることから彼女を憧れの存在のように見ていたが、まひろを女房にしようと誘った時の、高い位置にいる倫子、低い位置にいるまひろはまさに二人の目には見えない心の格差を表していた。
倫子と対称的なのが、まひろの友人となるさわである。
まひろより家は豊かなようだが、父や継母、異母きょうだいに疎まれて、まひろの家でいっしょに庭仕事をするのにも抵抗がないさわは、まひろとフラットな友情を育める。
しかし倫子がまひろを無意識のうちにとはいえ見下している限り、倫子とまひろのあいだに対等な友情は生まれない。
聡いまひろではあるが、道長の嫡妻が倫子に決まったのを理由に妾妻になるのを断念したのは、道長の嫡妻倫子との身分差を日々見せつけられ、道長にもっとも寵愛されて彼が自分のもとに通い続けても、倫子の顔が脳裏をちらつくからだったのだと私は推察している。
しかし第16話を見て「倫子の存在など気にせずに道長に寵愛されるしたたかさを、まひろが持っていたなら」と考えた。
いずれ勘の良い倫子は、道長の最愛の女性の正体(まひろ)に気づいてしまいそうだからだ。
まひろにしたたかさがないこと。
これが道長と別れてから後のまひろの悲しみにつながっている。
倫子に立ち向かうほどの度胸はないのかと、視聴していてもやもやしてしまうことも多いが、まひろがしたたかであれば、道長の運命の女性にはなれなかったのもたしかである。
道長がまひろを認識して抱きとめた、その時
さて、話は第16話に戻る。
疫病の患者が苦しむ悲田院を視察した道長は、7,8年ぶりに倒れたまひろに触れる。
Xでまひろに触れる道長の耳が赤く染まっていたというポストを見た時、私も再び第17話を見て「本当だ!」と確信した。
脚本家の大石静さんは、ここでラブストーリーを取り入れたとブログで述べる。ラブストーリーということは、道長には今もまひろへの深い恋愛感情がある。
道長は、妻に何かがあって労わっても、夜通し看病することはないのではないだろうか。
ほぼ薬のない時代だ。
道長は、躊躇することなくまひろの家へ連れて帰り、まひろの汗を拭いて水を飲ませ、徹夜をして、彼女を看病した。
朝、まひろの父の為時が「大納言様には内裏で重いお役目がございましょう」と帰ることを勧めなければ、まひろの目覚めまで道長はそこにいたのかもしれない。
7、8年前に別れで、まひろは「私は生まれてきた意味を探します」と話した。そのことを覚えている道長は、意識を失っているまひろに「(自分と別れてから)生まれてきた意味は見つかったのか」と問う。
まひろは「生まれてきた意味を見つける」ため、自分の妾にならなかった。
別れの時、まひろの放ったこの言葉は、まひろは自分のことを愛してはいるが、道長の妾にはなれない理由として、道長の胸にずっと眠り、時には彼を支えたり癒したりしてきたのではないだろうか。
ふたりの運命の糸は絡む。
時など関係はない。来世で結ばれるのではないかと思うほど、変わらない強い感情がふたりのあいだにある。
今週のお題「名作」