処世術が間違ってる気がする
僕は基本的に最悪の場合を軽く想定に入れといて何かするような弱腰な性格をしております。そうしとけば失敗した時とか、嫌なことがあっても「最悪の事態というほどではないな、セーフセーフ!」みたいな気分でいられます。これで結構精神的に助かってるとこが昔からあって、もはや自然にこの思考になっちゃってます。成功した時なんかは「お、失敗すると思ってたけど案外うまくいった!らっきー!」って運がいいとすら思えます。
ずっとこれが正しい考え方だと思ってたんだけど、最近ちょっと変わってきてて、最悪の事態じゃないからセーフって、少なくともプラスにはなってないし、成功しても「運がいいから」では自分に自信が持てない。
多分どっかで傷つかないようにするための手段に変わっちゃってて、色んな事態に備えるための筈なのに、ネガティブを助長することになってる気がします。何事も最初から諦め気味になってるし。
何が言いたいかというと、この捻くれた性格をポジティブにしたいなってことです。
未だに何だったか分からない
今週のお題「一番古い記憶」
何歳くらいかとか分からないけど、おかしな光景を覚えている。真っ白な世界で写真が二つ並んでいて、一つは僕の写真。もう一枚は全然知らない人の写真。理由は分からないけど、二枚の内どちらかを選ばないといけないってことだけは理解していて、選ばなかったら大変なことになるって焦燥感があった。時間制限もあって、悩んでる時間もないし上手く動けないから、這うようにして僕の写真まで進んだ。そこまでしか覚えてない。
どんな自分になるかの選択を迫られてたんかなーとかちよっと思ってたりして。
これが産まれる前の記憶だ!とか言いきれたら中々面白い話かも。
もしもボックス
最近、もし昔の自分と話せたら〜とか考えたんだけど、きっと勉強しろとか習い事とか真面目にやれよーとか、将来のためになることしなさい的なこと言うんだろうけど、これって昔の自分が言われたくないことばっかなんだなぁ。
まぁ、そんなこと言うのは、今が満足できてないからな訳で。
我ながらつまらん大人になっちゃったもんだ。逆にきっと大人になりたくねーって思わせちゃうんだろうな。
せめて小学中学くらいの自分には、「将来はなんとかなるから好きに生きな!」って言ってやれるような今にしていきたい。