「人は見た目で判断しちゃダメ!」
耳にたこができるくらい言われてきた。
だが最初は人は見た目で他人がどんな人物かを判断する。
脳科学的にそうらしい。
そもそも自分以外の全ての人間の名前や特徴を記憶し把握できる人なんてほぼ皆無。
限られた脳のリソースをできるだけ効率的に活用するために、視覚情報でわかることから一瞬にして推察するのが人間だ。ただ、全然実態にそぐわない推測をしたりするから「人は見た目で判断しちゃダメ」と言われる。
例えば、
冬に、道端でスキンヘッドで筋肉ムキムキでタンクトップのうえにダウンをはおった人を見かけたとすると、意図的に考えもしないで頭の中では以下のようなやり取りを自問自答している。
「何者だ?」
「自分に害がある人間か」(不審者じゃないか、襲われない?)
「この人の目的は何か」(通学?通勤?買い物?不審者?強盗?)
などを一瞬のうちに即座に想像して、自分にとってリスクのありそうな人とは自然と距離を置いてしまうのが人間だ。そして自分に害をなす人物の場合は闘争か逃走することを選ぶ。この時普段より多めに分泌されるのがストレスホルモンのアドレナリンやコルチゾールと言われるものだ。火事場の馬鹿力と言われるのはこれらのホルモンが普段より分泌されるからだ。
これ以降は専門的な話になるのでここまでにしておく。
外見が全く同じ人間はいないし、脳のリソース(資源)は限られてるから過去に見た似たような人を想像してこの人はこんな感じの人なのかなとあてはめてしまう。
逃走中というバラエティ番組に出てくるハンターと呼ばれる人物が一様に長身でサングラスをかけ黒いスーツを着てるのも同一の「怖くて強そう」なイメージを視聴者に持たせるためだ。茶髪や金髪でカラコンをして黒目を大きく見せるハンターは存在しない。
また、サングラスをすることでどこを見ているかわからないと見ている側はなんとなく不安を感じやすくなる。
だからこそ「自分は害のない人間ですよ」
と周囲に示すために、自身の身なりを整えるのが大事なのだ。これは老若男女問わず誰にでも言える。
状況にあった服装、髪型、時計、靴、アクセサリーをつけることで他の人が認知しやすくなる。大きな公園でジャージ姿にナイキの運動靴を履いている人がいたら「ランニング中?」と思ってしまう。本当は全く関係ないことをしているかもしれないのに。
逆に言えば、赤の他人に自分が何を目的にその場所にいるのか格好や姿だけで勘違いさせることもできる。詐欺師はこの手の手法を熟知している。だから自分が他の人からどう見えるかというのは極めて重要なのだ。
ゆえに、人は見た目では判断してはいけないが、どう思われるかは見た目で判断されるのが人間ということだ。
なぜなら性格や内面は目に見えないし、わからない。
先ほど例にだしたスキンヘッドのムキムキタンクトップダウン男を見て「優しい人間」と思う人は誰もいない。視覚情報でわかることから類推していくのだ。何度も言うが、脳のリソース(資源)は限られている。
どのくらいの年齢?生物的に男?女?筋肉量は?身につけているもの全てにその人の個性がでる。だから外見で人は判断される。
ただし、過剰な見た目至上主義は悪いルッキズムをもたらすし、見た目が大事と言うのはあくまで自分が気をつけることで、他人に強要するものではない。外見がいいから価値があるとは限らない。とんでもない美人が悪行を働いたり、イケメンがとんでもないクズだったりすることはよくある。
あれ?前回の文章では男は生物学的に着飾るとか言ってたな、自分。
今日は脳科学、進化心理学的な観点からファッションや見た目を考えてみた。
こんなことを考えるのは面白い。
さあ筋トレしてタンクトップを着て街に出かけよう。