仕事基本の生活になりたくないけどよく考えたらいちにちの3分の1仕事してるってマジ?

2投稿連続で仕事の話失礼いたします。(本当にイヤだー!)

 

異動して2週間と半分がたった。

 

まだまだ猫100匹被っているし、虚栄心を捨てきれずに生きにくい毎日です。

 

 

先日、前の職場の歓送迎会がありました。

 

前同じ職場だった年の近い上司とオールナイトニッポンをして(2時間弱ノンストップ会話)今の不安や違和感をぜんぶ相談しました。

 

そこでその上司は、結局の悩みの根本は他人でしょ?他人がどうこうじゃなくて自分がいたい自分でいればそれでじゅうぶんだし、その姿を見て評価をしてくれるよと教えてくれて、

 

すごくすごく心が軽くなりました。

 

 

そこから、どうすれば立ち回れば良いかわからなくなったとき、その言葉を思い出すようにしたらかなり生きやすくなれました。

 

 

まだ2週間と半分。

 

少しずつ新しい職場で自分を出せたらと。

 

 

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在ったときも気付いていたが無くなって更に気付くもの。空気感。

4月。

 

新年度となりました。

 

勤務体系的に部署移動がつきものな職場であり、

例にもなく今年度より新しい部署へ配属となりました。

 

 

昨年度までいた部署は、3年在籍しておりだいぶん古株となっておりました。

他の職場に比べ異業種がたくさんいる職場でワイワイガヤガヤとしておりました。

 

異動してほぼゼロスタートの中、心細い毎日を送っています。

 

まだ迎えられていないのかもしれない、殺伐としていると感じてしまうくらいには心が窮屈です。

 

 

この気持ちを残しておきたいと思い短くですが更新しました。

 

 

可哀想ってもう思いたくない。相手にも、自分にも。

今週のお題「卒業したいもの」

 

情。

 

情から卒業したい。

 

 

「花束みたいな恋をした」で、

 

今村夏子さんのピクニックを読んでも何も思わない人

 

という皮肉言葉があった。

 

はじめにこの映画を見たときに原作を知らなかったから、どんな人なんだろう、でも会話の文脈的に良い言葉ではないんだろうなと感じていた。

 

映画を見終わって数週間後、私立図書館でピクニックを借りて読んだ。

 

 

言葉に上手く出来ないけど、皮肉言葉だったのは正解だったみたい。

 

わたしは未だに今村夏子さんのピクニックを読んでモヤっとしてしまう側だ。もう良い大人だというのに。

 

 

自分以外の人に対して情を沸かせてしまうことは良い面も悪い面もある。

 

出された腕に掴まったとき、それは救いの手になったり、一緒に地獄へ引きずり込まれる手になったりする。なったりしてきた。

 

 

今の職場に、良い意味で情に全く流されない上司がいる。

 

 

自分の目でその瞬間に見たものに対して良いか悪いかで判断できる。すごい人だと思う。

 

 

 

わたしもそうなりたい。

 

 

情からの卒業。

 

 

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All Night Long, All Night Lone

 

夜明けがいちばん暗いのにどうして人々は夜明けに希望を抱くのだろうか

 

 

 

 

夜明けのすべて、という映画をみた。

 

瀬尾まいこさん原作で、三宅監督の手により映画化された。

 

わたしは主演の松村北斗さんのファンであり、原作のファン。

 

 

 

公開日に、夜8時からのレイトショーへ行った。

 

 

物語は、原作にすごく忠実、というわけではないのに、見終わった後は原作を読み終わった後と全く同じ多幸感だった。

 

物語は、PMSの藤沢さんとパニック障害の山添くんが、2人の関係は恋でも友達でもないけど助け合うことはできる。というような話。

 

 

 

社会では、世の中では目に見えない不調に厳しい。

 

わたしも、19歳のころからPMSが酷くなり、定期的に人とコミュニケーションが取れなくなる。

最中ですら自分でもわかる、今が酷いことを。

 

わたしの場合、バットな期間が1週間くらいだったり、3日だったり、でも毎月決まった日に来るわけじゃなくて、タイミングはバラバラで。本当にこれをPMSで片付けて良いものかはわからないけど、PMSで片付けないと心が持たなかったりする。(自分では双極性障害じゃないかと踏んでいるけど実生活にまだ支障はない、はず)

 

 

映画の中で藤沢さんも山添くんも自分のソレと上手く付き合おうとしている。付き合っている。

 

 

バットに入ると、抜け出すのにすごく時間がかかってしまう。毎回統計をとって、バットに入って抜け出すためのトリガーが何か、次のバットのために記録している。

 

 

大絶賛バットの最中だった。

 

学生時代、いちばん仲が良かった子のことを失望していしまい、でも失望って自分が勝手にしているだけだから相手は何も悪くなくて。

 

学生時代はわたしが彼女の価値観を縛っていたのかな、なんて悲観的になり苦しくて、でもいちばん仲が良かったからこそこんな終わり方はしたくなくて。けど、自分を大切にしてくれない人を自分が大切にする時間もお金もないなと割り切るかしか方法はなくて、しばらくは会えないと連絡したばかりだった。

 

そこからは誰に対しても、何の事象に対してもイライラムカムカして卑屈になって余計なことばかり言っていた。もちろん、なんて言葉で片付けたくはないけど人とコミュニケーションも取りづらくなっていた。

 

 

藤沢さんが映画の中で、「いつもは相手との会話気にしすぎるくらいなのに」と自分のことを悲観していた。共感した。誰にも嫌われたくなくて、みんなから嫌われないなんて無理なのに、相手にどういう態度をしたら好きになってもらえるのか、よりもどういう態度をしたら嫌われないか、を意識してしまうような性分だ。

 

気分が明るいときは何でもないのに、暗いときは帰りのバスでしんどくて泣いてしまうような日もある。

 

そんなバッドな最中にこの映画は公開日を迎えた。

 

元々、公開日に見に行く予定ではあったが、なんて良いタイミングだったのだろうか、なんて思った。

 

 

冒頭の一文。映画の中で藤沢さんが語る言葉のひとつだ。

 

わたしはこの言葉を聞いたときに、確かに考えたこともなかった、でもその疑問をぶつかられれば確かにずっとそうだと思った。

 

 

眠れない夜もあった。起きていたくなくていつもより何時間も早く布団に入る夜もあった。そのどちらの夜にも「明日こそは」と明日の夜明けへの希望と期待を胸にしていた。

 

その疑問に対して、答えは見つからないけれど、これからも、わたしはずっといちばん暗い夜明けへ希望を抱くのだろう。

 

 

 

この物語の素晴らしいところはまだまだある。

 

男女2人が主な登場人物であるのにその2人が恋愛的に結ばれることはない。

 

心地が良かった。

 

男女が出ただけで、何かと恋愛に結び付けられる世の中、ずっとずっと息苦しかった。

 

仲良くしていた同級生に恋人ができたとき、「嫉妬してるんじゃない?」と他の同級生から聞かれたとき、

 

同期とどちらもなく晩御飯にラーメンを食べに行くと何気なく女子会で話すと「えっ、脈アリじゃん」と言われたとき、

 

ずっとずっと言葉に出来ない、言葉にすると会話の相手との空気が悪くなるから言葉にしないようなモヤモヤをずっと抱えていた。

 

男と女ってだけ、ただそれだけで恋愛の相手に決めつけるのは早過ぎる。

 

そのモヤモヤをこの数年ずっと抱えていたから、映画を見終わったあと、監督や主演の2人のインタビューを読んでいて「いかに恋愛的要素をなくすか」という話に、その心遣いに感動した。温かくなった。

 

男と女、子孫を繁栄させるためには必要な記号であるし、その記号からでしか子孫は繁栄させられないけれど、人間、というもう少し大きな記号でくくれば、そこには恋愛など必要なく、

 

「生きにくい世の中を一緒に戦う仲間」

 

であれるのではないかと思う。そうありたい。

 

 

 

藤沢さんにとっての山添くんは、わたしにとってのこの映画だと思う。

 

映画館で見ることが出来るうちに是非沢山の人に見て欲しい。

生きるのが少しだけ簡単になれる気がする。

 

 

 

#夜明けのすべて

どっちか選べるなら空飛べる方になりたい

 

 

コツコツ続けることが苦手なところが露骨に出てしまっています。

 

今回の表題は引用なのですが、わたしの尊敬するSEKAI NO OWARIのバードマンという歌詞の一部です。

 

いいよね、空飛べるって。

 

空を飛べるっていう言葉の行間は「自由」だと思う。

 

自由になりたい、という言葉をよく聞くし思うけれど、

 

「自由になりたい」は何を意味しているのか、

 

今回は少し考えてみようと思う。

 

 

ここ最近、仕事に追われていて、毎日定時で帰れない日が続いていた。

家に帰っても夜遅いので、ご飯を食べて眠ることしかできなかった。

 

 

毎朝、ベットから起き上がるとき、

「自由になりたい」

そう思うことがあったりした。

 

 

この「自由になりたい」は、

時間のゆとりがあって好きなことをしたい、という意味だと思う。

 

好きな映画をみたいし、楽器だって練習したい。

だらだら携帯だって見たい。

 

そんな欲から「自由になりたい」と

潜在的に思ってしまったのだろう。

 

 

最近わかったことがある。

 

心の余裕には、お金の余裕と時間の余裕が必要不可欠だけれど、

 

このふたつが上手く均衡を取れていないと心の余裕が生まれないということ。

 

また、上手く均衡が取れていれば、それぞれ「一般的な」余裕の大きさが無くても、心の余裕がじゅうぶんに生まれるということ。

 

 

 

 余裕ばかりを気にして過ごすのは逆に余裕がない、二律背反だなと感じもしますが、余裕が無いと自覚しているときは余裕を持つ!と気にするのは自己暗示として良い手段だと思います。

 

 

 

まだまだ未熟な齢23。

 

自分の理想とする生活へと。

 

 

どっちか選べるなら空飛べる方になれるように。

 

 

 

 

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2024おもれー年にしたいです。今年も今年とて

あけました。

 

総決算が初冬編で終わってしまっているのはご愛嬌ということで。

 

 

2024。

同級生は年男!や年女!と盛り上がっている中、早生まれの為、上手くノリに乗ることが出来ていないわたしです。

 

 

今年は何したいかなあ、と考えています。

 

ひとまずやりたいこと100は作りました。

 

今年こそ映画50本みたいなあ

 

 

めんどくさい自分をめんどくさいまま愛せるように。

 

 

今年も、大切に健やかにたおやかに生きたいもんです。

どうぞよしなに。

 

 

大決算2023 初冬編

 

12月になると、例もなく今年のふりかえりをする。

 

もちろんわたしもだ。

 

ということで、今年を大決算していこうと思う。

 

 

 

前回、「今が人生のマジックアワー」と記述しましたが、まさかに実感した年だったと思う。

 

 

好きな場所へ行き、好きなものをみて、好きな物を買った。

 

 

 

いちばん大きな出来事は、

 

やっぱり、恋焦がれていた太陽の塔を生で見れたことだと思う。

 

 

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これは万博記念公園の前にある観覧車から撮った写真。

 

街に鎮座する太陽の塔

 

唯一無二の違和感。

 

たまらなく感動した、写真や、部屋にあるフィギュアでずっとずっと見ていたものが、目の前に自分より何倍もの大きさで聳え立っている。

いちにち眺めていたかったが、そうは行かず、でも目に焼き付けたられるくらいの時間は眺めていた。

 

事前予約が必要なことを知らず、中に入らなかったことだけが後悔だが、この後悔があるからこそ、また行かなくては、という使命感を生むことができた。近いうちにまた絶対に行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あと今年を象徴したものは何かな、と考えていたが、あまりにも今年は沢山のものに興味を持ち、好きになり、経験をしすぎたので少しずつ振り返っていこうと思う。

 

 

流石に年内に終わらせたい。

 

 

ということで、今回は初冬編ということで。

次回は多分初夏編かな