タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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ピコピコゲーム発インターネット行き - インターネット老人会 Advent Calendar 2023・16日目

 この記事はインターネット老人会 Advent Calendar 2023の16日目の記事です。

 どうも、最近はボージョレ・ヌーヴォーの記事しか書いてない感満載のタケルンバでございます。すっかりネット活動ご無沙汰だったわけですが、id:hase0831さんからお座敷がかかりまして、ええ。

 「お前とインターネットとのなれそめを聞かせてくれ!!」ということなら聞かせてやろうじゃないの。意外と自分語りってしているようでしてなかったし。ちょうどいい機会なので書いてみますか。

コンピュータとのなれそめ - ピコピコ期のはじまり

 私が生まれたのは1976年。生まれたときにインターネットはないわけで、インターネットとのなれそめの前に、インターネットの前段階ということでコンピュータとのなれそめを書いておかなくてはならない。インターネットに辿り着くためには、コンピュータとの出会いが必要だ。

 このコンピュータとの出会いにおいて、タケルンバ家での私は突然変異のような存在であった。親はおろか親族縁者コンピュータに縁がない者ばかり。よくある「家にパソコンがあり、それをいじっているうちに」みたいなきっかけが皆無で、私が小学生の頃はパソコンといえば40万円、50万円するのが当たり前。おいそれと「パソコン買って」とは言えないし、また子どもにとっての最大のスポンサーである親にパソコンの必要がない環境であればなおさら。

 しかし私は機械でピコピコするのが好きだった。幼稚園から小学生の間はピコピコ期だった。

 LSIの野球ゲームとか狂ったようにやってた。

 あとはゲームウォッチね。朝起きてから寝るまでほとんどピコピコ。隙あらばピコピコ。現代の子どもが片時もスマホを離さない様をどうして止められよう。自分も同じようなものじゃねえか。

 要はゲーム好きだったわけだ。ピコピコゲーム好きだったわけだ。そのゲーム好きとコンピュータを結びつけるきっかけがやってくる。

 ゲームが好きで、「ゲームセンターあらし」も読んでいて、コロコロコミックを定期的に読んでいる子どもであれば手にとってもおかしくないタイミングの出版。貪るように読んだ。読んだ。が、壁にぶつかる。実践する機会がない。実際にコンピュータに触ろうにも家にない。買ってもらうにも高すぎる。とりあえずねだってみる。

 やったね、カセットビジョンを買ってもらったよ。○すぞ。

日曜日と逓信総合博物館 - キャプテンシステム期

 どうやってコンピュータに触れるか。これが子どもタケルンバのテーマであった。家にない、周りにない。ないならあるところに行くしかない。

 とはいえ時代は昭和、時代は1980年代。まだ気軽にコンピュータを使う環境がない。なんせヨドバシカメラですらまだ新宿以外にないのだ(確か)。あちこちに家電量販店があって、あちこちにパソコンコーナーがあるわけじゃない。コンピュータはまだまだ一部専門家とマニアのためのもの。お金のない子どもが気軽に触れる環境などない。

 という状況の中でとある施設へ出かける機会があった。学校の社会科見学だ。

 今はないこの施設。私にとっては最高の施設だった。なんせ入場料が安い。「確か安かった」くらいのおぼろげな記憶しかなかったが、Wikipediaによると小・中・高校生は50円。日曜祝日は無料。場所も大手町駅からほど近く、小学生でも行ける場所。さらに言えば、当時切手収集にも興味があったので、そちらの興味も満たせる。親におにぎりをつくってもらい、昼はそれを食べ、休みといえば逓信総合博物館という時期が社会科見学をきっかけに発生した。

 でだ。逓信総合博物館で何をしていたかというと、ひたすらこれをいじってた。

 キャプテンシステム。テンキーで番号を指定するといろんなサービスにつながり、情報や画像が出てくるのがおもしろい。幸いなことにキャプテンシステムに興味のある子どもは少なく、端末に操作待ちの行列ができることもないので、たとえ日曜日でも長時間使って怒られるということもなかった。

 しかしキャプテンシステムの限界はある。今のインターネットには増え続けるコンテンツがあり、ある特定のコンテンツに飽きが来ることはあっても、インターネット全体が飽きの対象になることはないが、いかんせんキャプテンシステムはコンテンツの増加に乏しい。しかも小学生が理解できるコンテンツにも限界があり、小学生タケルンバは飽きてしまった。キャプテンシステムでは名作アドベンチャーゲーム「オホーツクに消ゆ」の東京編だけプレイできたが、あまりにプレイしすぎて、最後の方はRTAのような状態だった。後年、ファミコン版でプレイして初めて北海道編に到達し、なんだか感慨深かった。

 そんな感じでキャプテンシステムに飽きが発生し、同時に逓信総合博物館に行く意欲も減っていく。あっという間に逓信総合博物館ブームも終了。ピコピコ期に続いて訪れたキャプテンシステム期も終焉を迎える。

キーボードで何かしたいならワープロ買えばいいでしょう - 書院期

 相変わらずタケルンバ家はコンピュータに無縁であった。が、中学生の頃、ひとつの転機を迎える。ワープロの購入だ。

 我が親はまだパソコンを理解できない。パソコンで何ができるのかメリットがわからない。が、ワープロの有用性には少しずつ気づいてきた。「これからはワープロの時代だ!」と思ったかどうかはわからないが、ワープロなら買ってやろうということになった。

 SHARPが出していた書院のWD-A800。ワープロなのにデスクトップ。3.5インチフロッピーディスクが2スロット。情報の保存方法 is フロッピーディスクというところが時代だ。

 が、いいんだ。このタイプのワープロが欲しかったのだ。フロッピーディスクで情報を管理するというあこがれ。スロットが2つあるという点。「パソコン欲しい」というあこがれをごまかすにはちょうど良かった。このタイプのワープロが、当時通っていた中学校の職員室にあり、「ああいうのいいなあ」と思っていたのも大きい。世のワープロの趨勢は既にパタンとたたむノート型に移ってきてはいたが、それと逆行するがごとくデスクトップのワープロをお迎えした。

 ワープロ購入の条件のようなものであった親からの書類作成依頼というランダムイベントは時おり発生したものの、とにもかくにもキーボードがあり、フロッピーディスク保存が可能なコンピュータを手に入れた。もちろん様々なことができるパソコンと違いワープロなので、ワードプロセッサ機能しかないわけだが、それしかないのでひたすら文章を打ち込んだ。

 もともと小学生の頃から作文大好き人間であり、原稿用紙と鉛筆さえあれば無限にものを書ける人だったわけで、そこにワープロが来れば24時間365日ワープロであり、書院ありがとうSHARPありがとう。

 とにもかくにもキーボードというデバイスに馴染んだのは、このワープロ導入が個人的に大きい。もっとも、この当時はかな入力でキーボードをかちかちしていたため、後々ローマ字入力に転向するときに少し面倒ではあったのだけど。まあ、買ったワープロがSHARPの書院ではなく、富士通のOASYSであれば親指シフトに馴染んでいたはずなので、それはそれで大変だったのかもしれない運転ではある。

 ちなみに私の「タケルンバ」という名前については、大学のときに活動していた競馬サークル発行の競馬新聞にて、予想コラム上で名乗っていたペンネームに由来しており、この競馬新聞は書院で作成していた。インターネットに関わる前、書院期において私は既にタケルンバであった。

書院からMebiusへ - ホームページビルダー期

 今思うと、書院のWD-A800ってやつはかなりのできるやつで、中学3年のときに我が家にやって来て以来、大学4年になるまで私を支えた。感熱紙印刷に対応しているので、インクリボンがなくても印刷できるのが割と便利で、ワープロだからこその編集のしやすさもあって、大学のレポートやらなんやらの提出物や、趣味の制作物などあらゆるものを打ち込んだ。

 とはいえ私が大学に通っていたのは1990年代後半。世にインターネットが既に登場しており、Windows95が席巻していた。友人宅にもパソコンがあり、テレホーダイで深夜帯のインターネットを楽しむ者も多く、それらのおすそ分けをいただきながら、俺もパソコン欲しいなあと思っていた日々。

 そんな中、ちょっとした臨時収入があり、これがちょうどパソコンを買える程度の金額。これは僥倖ということで購入したのがSHARPのMebius。

 書院が良かったので、そのままSHARPのパソコンに横滑り。

 同様にプロバイダに加入。テレホーダイにも入って、夜23時を過ぎればピーヒョロロ。当時住んでいた地域のプロバイダは二次だか三次だかのところで、通信速度は遅く、いいとこ30キロバイトくらい。キロという単位が時代だ。ISDNの64Kでも「めちゃ早いじゃん」と思った時代。「インターネットとのなれそめ」という本来の題材としては、まさにここからが本編といったところ。

 で、何をしていたかというと、まずは愛読していたライターさんの掲示板に入り浸っていた。もちろんハンドルネームはタケルンバ。私はインターネット参入時からタケルンバであり、今もなおタケルンバである。タケルンバを名乗ってはや30年近く、ことインターネット世界においても25年。四半世紀タケルンバだ。

そんな中でも、あの頃触れた「ハンドルネーム」という文化には今でもずっとお世話になり続けていて、私は今ではすっかり「しんざき」になってしまい、この名前に30年近くお世話になり続けている、という話なのでした。

個人的なインターネット前史と東京BBSについて: 不倒城

 あだ名ではなく、自分で名乗り始めて幾星霜という意味で、しんざきさんの由来に近い。

 気がつくと件の掲示板の常連みたいになっており、オフ会にも参加。ネットきっかけで実際に出会うというところにおいて、わりと正常進化というか、すんなり移行できたのは本来の引きこもり気質や人見知り要素を考えると、僥倖と言ってもいいかもしれない。もちろんこの経験があったからこそ、後年のオフ会ラッシュに結びつくわけで。

 同時進行で今度は自分の城を持ちたくなる。

 まずはgeocitiesでサイトをつくった。当時、インターネットという世界にたどり着いた人がわりとたどりやすいルートで、よくあるパターン。

 同じくよくあるパターンとして、そのうち飽きる。カスタマイズ性が低いので。やれることが限られるので。geocitiesという借りぐらしも悪くはないが、いずれは持ち家が欲しい。持ち家なら自分でカスタマイズできるし。

 とはいえカスタマイズするにも場所がない。当時使っていたプロバイダにはホームページスペースがなかった。そこでまずはプロバイダを変更。Mebius導入初期は二次・三次プロバイダしかない地域に当時住んでいたが、少し時が経過し、それなりに大手のプロバイダも進出してきた。後年で置き換えれば、ADSLに対応してなかった・光回線に対応してなかった → ADSLが、光回線がついに! みたいな話だ。

 次にカスタマイズするにも方法がない。htmlベタ打ちするほどの知識はさすがにない。そうなると専門の作成ソフトが欲しい。

 そこで当時IBMから発売されていたホームページビルダーを購入。これを用いてサイトをつくるようになった。とはいえデザイン知識はないし、そもそも絵心がない。今思うと無骨で稚拙で荒削りな自分の城が出来上がった。

 このホームページビルダー期は結構長く続く。個人的なトラブルもあり、しばらく更新ができない時期もありつつも、水面下で地味に生きていた。

ブログデビュー - はてなダイアリー期

 定期的にホームページビルダーの新バージョンを購入しながら、我が城をメンテナンスしながら細々と活動していたわけだが、2000年代の中頃になると、にわかにブログサービスが進出してきた。日記ではないが不定期に雑記を我が城に書いていたけれど、このホームページの更新というのが面倒になってきた時期で、ホームページビルダーというソフトの存在がありながらも、わずらわしさを感じていた頃でもある。

 その点、ブログサービスはそのあたりの手間が少なく、またブログサービスにアクセスできれば、どこからでも記事を更新できるというところが魅力に見えた。ホームページビルダーで記事更新となると、ソフトやら素材やら一式入った私のパソコンがないとできんのよ。しかもこの時期はMebiusを卒業し、Dellのデスクトップを使うようになっていたし、持ち運びできん。

 そこで出会ったのが、はてなダイアリー。今に続くはてなとの出会い。当時、無料のブログサービスとなると選択肢が少なく、必然的にはてなダイアリーとなった。はてなの背景とか思想とか雰囲気、文化。そのあたりの要素には一切興味がなく、必然的にたどりついたのがはてなダイアリー。

 はじめての記事の日付を見ると2004年5月。おう、もう19年ブログやってんのか。

 それからひたすらブログを書いた。一番書いていた時期は2008年で都合1103本。……ばかなの?

 とはいえこれには理由があって、本業を辞めて副業だけで暮らしていた時期だった。ついでにいえば「ブログで食えねえかな」という下心もあり、少し腰据えて書いてみたらどうなるかな? という興味もあって、試しに取り組んでいたのが2007年から2009年あたり。

 本業がないので時間があり、その時間をブログにあてていた。もちろんそれだけでは時間が埋まらず、さらに暇があったのでオフ会活動にいそしんでいたのもこの時期。きっかけはまなめとのオフ。それから急拡大。書いた記事が話題になることが増えた。記事を読んでくれる人が増えたおかげで、実際の出会いに発展し、何がなんやらわからんうちに、すっかりネットの人になっていた。

ブロガーとして最も気が合うなと感じてるのは、id:takerunba っすね。波長が合う。

息を吐くようにブログを書いていたあの頃 - GoTheDistance

 ござ先輩のこの意見は、私視点でも一緒で、経歴や性格など私とござ先輩の属性は全然違うのだけど、話の聞き方・捉え方・考え方という根っこが一緒なので、どういう話でもできた。ま、どれくらい合うかというとだ。

 同じ日に入籍しているくらいである。打ち合わせなしに。話ができすぎだ。

ひたすらブログとTwitter - Twitter期

 話を少し戻して2007年。

 私がインターネットに触れるようになった初期から拝見していたWebやぎの目を見ていると、林さんの独り言のような区画が出現していた。興味を持ったのでクリックしてみると、Twitterというサービスでの投稿を表示している様子。これがTwitterとの出会い。

 早速Twitterにてアカウント開設。今でこそ「タケルンバ」と名乗る人間が多く、「takerunba」というIDを取りづらくなってきているが、当時は楽勝でとれた時代。この「IDタケルンバ取りづらい問題」の30%くらいは佐藤健のせいである(タケルンバ調べ)。

 プロフィールを見ると2007年9月からTwitter三昧。おう、こっちも16年か。

 Twitterはこの頃はまだ英語版で、日本語版はなかった。あちこちのボタンまわりも全部英語表記だったと記憶している。初期はRTも実装されてなくて、手打ちでやってたっけね。

 ブログの更新頻度の増加とTwitterのつぶやきの増加。このいずれもが顕著になったのがはてなダイアリー期でも言及した2007年から2009年のこと。私が最もブログを更新し、最もつぶやき、最もオフ会に参加していた時期となる。

 時間があったのでフットワークも軽く、思いつきは何でもやっていた気がする。時間があり、体力があるというのは選択肢が増える。

 伴侶と出会ったのも2009年のこの時期。2012年の2月うるう肉の日に入籍したので、来年の2月29日で3回目のうるう肉の日・結婚記念日。早いね。

今何してんの? - フローラン・ダバディ期

 ここまでインターネット三昧の生活を送っておきながら、さりとて関連の業種や役職についたことがないというのが私の特徴。パソコンやインターネットについてド素人のはずだが、ド素人のわりに異様に詳しく、専門職がいない環境においては専門職のような役割を果たし、専門職がいる環境においては素人視点での改善案を専門職に伝え、専門職の話を噛み砕いて専門職以外に教えるという通訳的なことをができるので、フィリップ・トルシェにおけるフローラン・ダバディのようなことをしている。どうして大谷翔平における水原一平で喩えないのか。

 私が現在所属しているホテル業界というのは、様々なWebサービスやソフトで成り立っており、例えば予約はじゃらんや楽天、一休(id:naoya お世話になってます、ホテル視点でも一休使いやすいよ。但しポイント処理がようわからん)などの予約サイトで受け付けている。予約サイトはたくさんあるので、そういった予約サイトを一元管理するソフトが必要だということで、Webコントローラーというサービスもある。ホテルチェーン独自のWeb販売の仕組みも必要であれば、アプリも必要だし、事前決済の仕組みも重要だ。一方で日々のホテルの予約管理や空室管理、チェックインの処理なども行っていかなくてはならないので、PMS(ホテル管理システム)というものもある。

 またホテルにはお部屋の清掃スタッフやフロントスタッフ、レストランスタッフなどの多くの人員が勤務しているため、シフト管理サービスや出退勤管理サービス、あるいは労務管理サービスも重要だ(カミナシさん、お世話になっております)。

 私は専門的な知識はないけども、いろいろなサービスを使った経験はあるので、どこかどうつながって、現場のニーズと仕様の限界がどこにあって、どこまではカスタマイズでき、どこからはできないが判断できる。またプログラマのかたのお付き合いの経験上、プログラマ視点での問題の捉え方や、ユーザーからどういう話を聞きたいかが少しわかるし、トラブルが起きればその内容に応じて、トラブルの解決まではできないものの、問題点のありかや、どこに聞けば良いかの知識は他の人よりある。自分は地蔵として動かないが、ボールを自分のところに集め、ひたすら周りにさばくバルデラマのような動きができるのだ。例がいちいち古い。

 そういった諸々ができるもんだからなんでも屋的に重宝され、なんでも屋になった結果、今度はその知識を他の人に教えてくれやと研修担当になったりとそういう日々を送っております。まあ中庸には中庸の良さがあるってもんよ。フローラン・ダバディがトルシェの退任後にタレントやコメンテーター、あるいは講演活動にいそしんでいるのと同じだ。だからどうして水原一平で喩えない。

 以上、1976年生まれ昭和のインターネットおじからは以上です。まだまだ老人とは言えんよ。俺はまだまだ現役さ。

2023年最新版ボージョレ・ヌーヴォー字面だけ格付け

 実りの秋といえばこれなんですわよ、奥様。毎年恒例ボージョレ・ヌーヴォー字面だけ格付けのお時間ですわよ、奥様。

 円安だ、物価上昇だという世間の荒波に揉まれつつ、今年もボージョレは海を超え、11月16日の解禁日に向けて日本にやってきたのであります。

イチゴやラズベリーなど摘みたての赤い果実をそのまま口にほおばったようなフレッシュな味わい。

ボージョレ・ヌーボー到着 サントリー14年ぶり値下げ - 日本経済新聞

 出た、果実たとえシリーズ。「イチゴやラズベリー」というど真ん中直球一本勝負。定番中の定番でございます。

  • 1995年「ここ数年で一番出来が良い」
  • 1996年「10年に一度の逸品」
  • 1997年「1976年以来の品質」
  • 1998年「10年に一度の当たり年」
  • 1999年「品質は昨年より良い」
  • 2000年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
  • 2001年「ここ10年で最高」
  • 2002年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
  • 2003年「100年に一度の出来」「近年にない良い出来」
  • 2004年「香りが強く中々の出来栄え」
  • 2005年「ここ数年で最高」
  • 2006年「昨年同様良い出来栄え」
  • 2007年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
  • 2008年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」
  • 2009年「50年に一度の出来栄え」
  • 2010年「新酒の典型のようなみずみずしさ」
  • 2011年「50年に一度の当たり年」「05年や09年産に匹敵する仕上がり」
  • 2012年「糖度と酸度のバランスが良く、フルーティーな味わい」
  • 2013年「例年よりもフレッシュな味わい」
  • 2014年「フレッシュで華やかな香り」「果実味豊かな味わい」
  • 2015年「今世紀でもっとも良い出来」「豊かで、しっかりとして完璧なバランス」
  • 2016年「採れたての果実を口の中で頬張ったかのような、みずみずしい仕上がり」
  • 2017年「甘みが凝縮され、まろやかな味わい」
  • 2018年「イチゴやブルーベリーを思わせるような香りを持ち、爽やかで滑らかな味わい」
  • 2019年「イチゴやラズベリーを思わせる、ピュアでフレッシュな香り」「味わいは滑らかで、エレガント」
  • 2020年「ブラックチェリーのような完熟した黒い果実の香りとともに、心地よい余韻が残る芳醇な味わい」
  • 2021年「採れたてのいちごやチェリーに、そのままかじりついたような味わい」
  • 2022年「甘酸っぱいイチゴのジャムを口いっぱいに含んだような味わい」
  • 2023年「イチゴやラズベリーなど摘みたての赤い果実をそのまま口にほおばったようなフレッシュな味わい」←New!!

 ほぼほぼ2019年と同じであり、ここ数年の傾向そのまんまで来ました。

 さて、この報告を受け、我がボージョレ・ヌーヴォー字面だけ格付け委員会では、慎重なる審議をよなよなポテコを食べながらひとりで重ねた結果、「字面だけ格付け」を更新。

2023年版ボージョレ・ヌーヴォー字面だけ格付け

  • 1.2015年「今世紀でもっとも良い出来」「豊かで、しっかりとして完璧なバランス」
  • 2.2005年「ここ数年で最高」
  • 3.2006年「昨年同様良い出来栄え」
  • 4.2003年「100年に一度の出来」「近年にない良い出来」
  • 5.2011年「50年に一度の当たり年」「05年や09年産に匹敵する仕上がり」
  • 6.2009年「50年に一度の出来栄え」
  • 7.2002年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
  • 8.2001年「ここ10年で最高」
  • 9.1999年「品質は昨年より良い」
  • 10.1998年「10年に一度の当たり年」
  • 11.1996年「10年に一度の逸品」
  • 12.1997年「1976年以来の品質」
  • 13.1995年「ここ数年で一番出来が良い」
  • 14.2000年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
  • 15.2007年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
  • 16.2020年「ブラックチェリーのような完熟した黒い果実の香りとともに、心地よい余韻が残る芳醇な味わい」
  • 17.2012年「糖度と酸度のバランスが良く、フルーティーな味わい」
  • 18.2008年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」
  • 19.2017年「甘みが凝縮され、まろやかな味わい」
  • 20.2014年「フレッシュで華やかな香り」「果実味豊かな味わい」
  • 21.2019年「イチゴやラズベリーを思わせる、ピュアでフレッシュな香り」「味わいは滑らかで、エレガント」
  • 22.2018年「イチゴやブルーベリーを思わせるような香りを持ち、爽やかで滑らかな味わい」
  • 23.2023年「イチゴやラズベリーなど摘みたての赤い果実をそのまま口にほおばったようなフレッシュな味わい」←New!!
  • 24.2022年「甘酸っぱいイチゴのジャムを口いっぱいに含んだような味わい」
  • 25.2021年「採れたてのいちごやチェリーに、そのままかじりついたような味わい」
  • 26.2004年「香りが強く中々の出来栄え」
  • 27.2013年「例年よりもフレッシュな味わい」
  • 28.2010年「新酒の典型のようなみずみずしさ」
  • 29.2016年「採れたての果実を口の中で頬張ったかのような、みずみずしい仕上がり」

 内容的には2019年に近いものがあり、比較対象も2019年とするのが妥当ですが、2019年にあった「ピュア」「滑らか」「エレガント」に欠けるのが2023年であり、それは2018年の比較でも同様。となると同じくそういった表現がない2022年との戦いとなり、フレッシュさで勝る2023年が上位に来るべきという審議結果が下り、このような結果となりました。

 果実シリーズが続き、最近は面白みにかける評価が続いております。「50年に一度」が2009年・2011年に出て、「今世紀でもっとも」が2015年に出たことを思うと、確率の揺り戻しを強く感じる今日このごろであります。とはいえ今年もワインはうまい。来年もまたこの記事でお会いしましょう。よいワインでよい人生を(某まなめ○○○のパクり)。

2022年最新版ボージョレ・ヌーヴォー字面だけ格付け

 今年もやるんですか? やるんです! 毎年恒例ボージョレ・ヌーヴォー字面だけ格付けのお時間ですわよ、奥様。

 今年も海を越え、山を越え、日本に続々到着。11月17日の解禁を待つばかりとなっております。さて、その出来栄えはというと。

「甘酸っぱいイチゴのジャムを口いっぱいに含んだような味わいになった」

「甘酸っぱいイチゴジャム」の味わい、ボージョレ・ヌーボー羽田到着…来月17日解禁 : 読売新聞オンライン

 おおっと、今年は変化球。おなじみの果実感を強調のパターンと思いきや、果実そのものではなく、ジャムできた。イチゴそのものではなく、「イチゴのジャム」というところが微妙であります。

  • 1995年「ここ数年で一番出来が良い」
  • 1996年「10年に一度の逸品」
  • 1997年「1976年以来の品質」
  • 1998年「10年に一度の当たり年」
  • 1999年「品質は昨年より良い」
  • 2000年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
  • 2001年「ここ10年で最高」
  • 2002年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
  • 2003年「100年に一度の出来」「近年にない良い出来」
  • 2004年「香りが強く中々の出来栄え」
  • 2005年「ここ数年で最高」
  • 2006年「昨年同様良い出来栄え」
  • 2007年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
  • 2008年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」
  • 2009年「50年に一度の出来栄え」
  • 2010年「新酒の典型のようなみずみずしさ」
  • 2011年「50年に一度の当たり年」「05年や09年産に匹敵する仕上がり」
  • 2012年「糖度と酸度のバランスが良く、フルーティーな味わい」
  • 2013年「例年よりもフレッシュな味わい」
  • 2014年「フレッシュで華やかな香り」「果実味豊かな味わい」
  • 2015年「今世紀でもっとも良い出来」「豊かで、しっかりとして完璧なバランス」
  • 2016年「採れたての果実を口の中で頬張ったかのような、みずみずしい仕上がり」
  • 2017年「甘みが凝縮され、まろやかな味わい」
  • 2018年「イチゴやブルーベリーを思わせるような香りを持ち、爽やかで滑らかな味わい」
  • 2019年「イチゴやラズベリーを思わせる、ピュアでフレッシュな香り」「味わいは滑らかで、エレガント」
  • 2020年「ブラックチェリーのような完熟した黒い果実の香りとともに、心地よい余韻が残る芳醇な味わい」
  • 2021年「採れたてのいちごやチェリーに、そのままかじりついたような味わい」
  • 2022年「甘酸っぱいイチゴのジャムを口いっぱいに含んだような味わい」←New!!

 とはいえ、基本線はここ最近おなじみの果実喩えシリーズ続行なんだけどね。

 この変化球を受け、ボージョレ・ヌーヴォー字面だけ格付け委員会を開催し、慎重なる審議をひとりで重ねた結果、「字面だけ格付け」を更新したものがこちらです。

2022年版ボージョレ・ヌーヴォー字面だけ格付け

  • 1.2015年「今世紀でもっとも良い出来」「豊かで、しっかりとして完璧なバランス」
  • 2.2005年「ここ数年で最高」
  • 3.2006年「昨年同様良い出来栄え」
  • 4.2003年「100年に一度の出来」「近年にない良い出来」
  • 5.2011年「50年に一度の当たり年」「05年や09年産に匹敵する仕上がり」
  • 6.2009年「50年に一度の出来栄え」
  • 7.2002年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
  • 8.2001年「ここ10年で最高」
  • 9.1999年「品質は昨年より良い」
  • 10.1998年「10年に一度の当たり年」
  • 11.1996年「10年に一度の逸品」
  • 12.1997年「1976年以来の品質」
  • 13.1995年「ここ数年で一番出来が良い」
  • 14.2000年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
  • 15.2007年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
  • 16.2020年「ブラックチェリーのような完熟した黒い果実の香りとともに、心地よい余韻が残る芳醇な味わい」
  • 17.2012年「糖度と酸度のバランスが良く、フルーティーな味わい」
  • 18.2008年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」
  • 19.2017年「甘みが凝縮され、まろやかな味わい」
  • 20.2014年「フレッシュで華やかな香り」「果実味豊かな味わい」
  • 21.2019年「イチゴやラズベリーを思わせる、ピュアでフレッシュな香り」「味わいは滑らかで、エレガント」
  • 22.2018年「イチゴやブルーベリーを思わせるような香りを持ち、爽やかで滑らかな味わい」
  • 23.2022年「甘酸っぱいイチゴのジャムを口いっぱいに含んだような味わい」←New!!
  • 24.2021年「採れたてのいちごやチェリーに、そのままかじりついたような味わい」
  • 25.2004年「香りが強く中々の出来栄え」
  • 26.2013年「例年よりもフレッシュな味わい」
  • 27.2010年「新酒の典型のようなみずみずしさ」
  • 28.2016年「採れたての果実を口の中で頬張ったかのような、みずみずしい仕上がり」

 「ジャム」という変化球の扱いに苦慮しましたが、「甘酸っぱいイチゴのジャムを口いっぱいに含んだような味わい」→ただし「うまい」とは言っていないと判断。味への明確な言及がある2018年の「爽やかで滑らかな味わい」より劣るとしました。

 あとはどこに入るかというところですが、2021年の「採れたてのいちごやチェリー」より「甘酸っぱいイチゴのジャム」のほうが濃厚さの示唆があり、上と判断しました。そのため2021年の上、23位にランクインです。おめでとうございます。

 今年もわりと普通の評価。インフレ的高評価は2015年の「今世紀でもっとも良い出来」以来出ておりません。次の十年に一度、五十年に一度、今世紀に一度の出来はいつ巡り会えるのでしょうか。また来年もこの記事でお会いしましょう。よいワインでよい人生を(某まなめ○○○のパクり)。