笑いは自分を救う

今週のお題「おとうさん」

 

私の父親はアル中末期で、完全に人格崩壊していた。

毎晩のように包丁を持って追いかけ回され、夜、裸足で庭や車庫に逃げる、なんてことは日常茶飯事。

でも、信じられないかもしれないけど、私は楽しんでいたんだよね。

サバイバルゲームのような、ジェイソンから逃げ切れるか、というような気持ちで戦ったり逃げたりしていた。

母と姉の3人で車庫に逃げ、家の周りを包丁を持ってウロウロしている父親をこっそり見たり。

ほんと、リアル13日の金曜日。笑

 

父親は板前だったから、ありとあらゆる包丁がたくさんあって。

とにかく他の包丁を隠そう、と、暗い車庫で誰が行くか相談したり。

取りに行った包丁を手に、「18歳になってないから私が殺る」と私が言い、全力で母親に止められたりとかね。

 

それも悲観的な感じじゃなかった。

ジェイソンみたいな父親に殺るか殺られるかって感じだったから、殺られるなら殺ってやる!って、変なアドレナリンが出ていたと思う。

 

あの頃は3人一致団結して敵(父親)と戦う、という感じだった。

15歳、という年齢もあったと思うし、性格もあったのかな。

母親と2歳上の姉は、どちらかと言えばいつも悲観的な感じだったけど、私は面白がって楽しんでいた。

 

すごく状況は悲惨だけど、捕まりそうになってうまく逃げきれた時は、変に興奮したりして。

「いま危なかったねー!」とか言って、逃げきれたことを互いに称え合ったりもしていた。

 

父親を残して夜逃げ同然で家を出る時、3人で黙々と荷造りをしていたら、なんか急におかしくておかしくて。

だって全員ガールスカウト出身だから、やたら手際がいいんだもん。

「キャンプの荷造りしているみたいだよね」と、ワクワクしながら私が笑ったら、それまで人生の終わりみたいな顔をしていた姉もプッと吹き出し、「ちょっと何言ってるのー。やめてよ、こんなときに」と笑い出した。

しまいには「ガールスカウトの経験が役に立ったね」と、3人で笑いながら荷造りした。

 

私は2人が笑ったのが嬉しくて。

なんか、暗ーい雰囲気を打破することができて嬉しかった。

 

家を出てアパートが決まるまで、ビジネスホテルから学校に行った。

母親に「こんなところから学校に行かせてごめんね」と言われたけど、ビジネスホテルに泊まるなんて初めてだったし、むしろウキウキしていた。

制服姿でビジネスホテルに出入りしているのを大人が見たらどう思うのか、なんて想像してニヤニヤしたり。

嘘じゃなく、ホテル暮らしという非日常が楽しかった。

相変わらず姉は「こんなところを友達に見られたらどうしよう」とブツブツ言っていたけれど、私は友達に見られたい!くらいの気持ちだったな。

 

父親の話は、もちろん憎しみの感情や悲惨な状況もたくさんあったけど、楽しんでいる部分もたくさんあって、意外と笑って過ごしていた。

私が子供だったからなのか、性格なのかは分からない。

でも、ある人の記事にも書いてあるように、「その悲惨を乗り越えるには笑うこと」だと思う。

 

私の大好きな西原理恵子ぼくんち』のラストも、

「こういう時は笑うんや」

 

泣いたって、文句を言ったって、なーんにも変わらない。

だったら笑い飛ばして面白がった方がいい。

 

ちなみに、父親は私たちが家を出た2年後にあちらの世界へ逝きましたとさ。