すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

「名作」と“おばちゃんち”の思い出


今週のお題「名作」


なんとまあ心躍るお題。

何の「名作」について書こうかと悩みます。

映画…?

映画ならやっぱりE.T.?それともライフ・イズ・ビューティフル?それとも…『フーテンの寅さん』シリーズ??

音楽なら、中島みゆきさんの「ファイト!」とか…?

テレビドラマなら、倉本聰さん脚本の北の国からが名作と呼ぶのに相応しいかな?倉本さんなら『前略おふくろ様』も良かった。


いや~~絞れない💦決めきれない💦


ならば、

お煎餅の、その名も「名作」の思い出(^▽^;)


通っていた高校の裏門を出た所に、生徒たちが“おばちゃんち”と呼ぶお店がありました。

中年のおじちゃんとおばちゃんが営むこじんまりとした店で

パン類やカップラーメン、肉まん、あんまん、牛乳やジュース類、菓子類等が並んでいました。

お昼のお弁当だけでは足りない腹空かしの生徒の味方。

昼休みだけでなく、授業と授業の合い間や放課後にも多くの生徒が買いに行っていました。

店の奥にはテーブル2卓とイスが置いてあり、そこで食べるのも可。

日曜日の部活練習後に皆でおしかけ、テーブルに陣取り昼食を食べるのが常だった私たち。

練習後の疲れた心身を癒してくれて、いつも1時間以上は長居。

学校が休みで他に生徒はいなく、おじちゃんたちにすればゆっくり出来る日だったのかもしれないのに。

今考えればちょっと迷惑だったんじゃないかと。

それでも、いつも「お疲れさま」と優しく迎えてくれ、私たちの幼稚な話にもニコニコと相槌を打ってくれたおばちゃん。

おじちゃんはちょっとシャイだったけど、買ったカップラーメンにお湯を入れてくれるのはいつもおじちゃんだった。

ちなみに、私の定番はカレーヌードルに肉まん、そしてチェリオ

他のメンバーがニューフェイスのジュースに心変わりしても、安くて量が多いチェリオ一択を貫きました。

王冠の裏に当たりが出るともう1本でしたし(*´▽`*)


そんな“おばちゃんち”で売られていた「名作」

堅焼きの醤油味、美味しく大好きでしたが、少ないお小遣いをやり繰りする身にはいわば贅沢品^^;。滅多に買えなかった。

ある日、いつもの様に友だちとおばちゃんちに行くと同じクラスの男子がいて

気のイイ人だったので、ちょっとふざけて「名作、奢って~」と言うと「いいよ~」。

「え?⊙.☉」と逆に驚いてしまったけど、有難く奢って頂きました。

実は、その時一緒にいた友だちが彼のこと密かに好きだったようで(私は知らなかった)、ずい分と羨ましがられました。

あの時のとぼけたような彼と少し拗ねた友だちの顔を思い出します。


「名作」

2010年に製造していた製菓会社が廃業。幻の味となっていたそうです。知らなかった。

2022年、越後製菓が復活させ、今はやわらかタイプとなっているんですね。今度食べてみよう。

「名作」のロゴは変わっていないと思います。



今、BSでティファニーで朝食をを放送しています。

内容紹介に“ラブストーリーの名作”とあり、確かにこれは「名作」ですね。


……………


先日の、映画『オッペンハイマー』についての記事に
「戦争を知らない世代として何か感じ取れたら」と
我が子と同じ世代の方からコメントをいただきました。

ちょうど『オッペンハイマー』を観に行かれるとのこと。
自分の書いた内容が余計な影響を与えないことを強く願いつつ
いただいたコメントに、何か引き戻された様にハッとした次第です。


私は散々わかりにくいと書きましたが
それでもきっと、観た人は何かを感じずにはいられないでしょう。

それでいいのだと。


自分なりに感じて
そして、考えてみて

この作品は、監督の意図は、そういうことなのかもしれない。


その正体をすぐには見極められなくとも
そして私自身は未だに明確にはなっていないですが
受け取ったエネルギーはとても強かった。

一体何だったんだろうと考えてしまう。

それでいいのでしょう。



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『オッペンハイマー』~「原爆の父」と呼ばれた男


映画オッペンハイマー観ました



ダークナイト」「TENET テネット」などの大作を送り出してきたクリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた歴史映画。
2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。


第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが……。(「映画.com」より)


第96回アカデミー賞(2024年)では同年度最多となる13部門にノミネートされ
作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞


「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマー

の名前は多分何処かで聞いたことがあったでしょう。

タイトルそのものとなった彼の、

何故原爆を開発することになったのか

どの様にして開発に成功したのか

どの様な過程で日本に落とすことに関わったのか

戦後、彼はアメリカ社会で「原爆の父」としてどう扱われたのか

そして、彼自身は原爆を開発し日本に原爆を落としたことについてどのように語ったのか

が知れる内容だろうと単純に想像し、観に行ったのですが

正直、とてもわかりにくいという印象を持たざるを得ませんでした。(自身の理解力不足もあるでしょうが)


カラーとモノクロが行き来する映像

時系列があちこちに飛んで、カラーが現在でモノクロが過去なのかと思いきや、そうでなく

オッペンハイマーと原爆開発”“「原爆の父」としてのオッペンハイマー”が唯一の視点かと思いきや、うーむ、そうでもなく

もちろん、原爆開発プロジェクトが成功(日本人として言いにくい表現である…)に至るまでの流れは描かれているのだけど

それとはかけ離れた感のあるシチュエーションも随時差し込まれていて

スクリーンを観ながら何度も迷路に入り込んだ様な感覚に陥りました。(繰り返しますが、自身の理解力不足なのでしょう)


これはもう一度観ないとダメかなと思いましたが

帰宅後、ネットで解説を読んだり、それこそWikipediaを熟読し、物語の流れや脚色を理解した次第です(苦笑)

なんだ、そういうことかと腑に落ちましたし、自分が知れるだろうと思っていた内容も確かに描かれてあった。(Wikipediaを読んでようやく理解するというのも情けない話です^^;)


……………


ここからは全く個人的な、日本人としての偏りもある、しかも理解力不足人間の受け止めですが

日本人が日本のテレビや映画などで観てきたいわゆる「原爆もの」とはやはり違う。

原爆被害の悲惨さをきちんと描いたかと言うと、そうとは言えないのかもしれない。

日本人は今まで見てきたもの、学んだもので想像出来るけれど

果たしてこの映画を観た外国の、アメリカの観客でさえ、原爆被害の実情を知らないままの人は多いのだろうなと思いました。


実は、作品を鑑賞後、熟読したWikipediaにも「被爆地描写が無いことに関しての是非」について記されていました。

一部、批判や指摘が発生していることに対し、ノーラン監督や映画評論家の反論も紹介されていました。

その中で、実際の原爆被害者の方の言葉もありました。

長崎県被爆者手帳友の会会長の朝長万左男も前述の長崎での特別試写会において、
「原爆被爆者の映像が取り入れられていないことはこの映画の弱点かと思いましたが、実はですねオッペンハイマーのセリフの中に何十カ所も被爆の実相にショックを受けたことが込められていました。あれで僕は十分だったと思うんですよね」とコメントしている。(Wikipediaより)


日本人が既に抱く「原爆映画」とは違う

反戦」を描こうとしたわけでも、ない?

一体何を描こうとしたの?

鑑賞直後はそんな思いが沸きましたが

今、日にちが経過し振り返ると、浮かぶのはオッペンハイマーの苦悩の表情。

正しいとか過ちとか、一つ一つ明確にすることなく、オッペンハイマーの視点で淡々と描く。

それでも最後、究極の彼の言葉でしめた。


「我は死神なり、世界の破壊者なり」


それがこの作品の、監督の、意思だと思えば、ホッと胸をなでおろすような、そんな気持ちになりました。


……………


日本に原爆を落とし勝利したアメリカ。

祝勝パーティーのシーン、明るい笑顔で喝采する彼らは、その時、日本人の悲惨な状況など知らないのだろうなと思うと、心が傷つくのを感じました。

80年近くも前の、しかも映画の1シーンに、リアルで強烈な違和感(或いは嫌悪感)を覚えたのは正直なところ。

ただ、同時に、日本もそうして他国を破壊し他国の人々を傷つけ、万歳、万歳と祝ってきたんだよなと思うわけです。



※観た映画について書くのは自分にとって楽しい事ですが、今回『オッペンハイマー』についてどう書こうか、どう書けばいいのか、そもそもこの作品を自分は理解出来ているのか、とても悩みました。
もしかしたらきちんと理解出来ていないものを、記事にしていいのかとも思いました。
観ている最中の全く個人的な感情や感覚をただそのまま並べただけの内容。
客観的な考察や理解には至っていない中身。

ですが、この作品を観て、感じたことを忘れてしまうのは残念なので
そのまま残そうと思います。



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確かにそこに、私たちと共に

 

テレビドラマの話題が続いて恐縮ですが

先週日曜日は舟を編む~私、辞書をつくります~』の最終回でした。

リアルタイムで観られなかったので録画。

それを今日、観たのです。

 

その中での言葉にハッとしました。

 

私の死後、あなた方が言葉を潤沢に、巧みに使い、私の話をしてくれる

その時私は、確かにそこに、あなた方と共にあるのです

 

まさに、今の自分に言ってくれるようでした。

 

……………

 

一昨日は高校時代のバスケットボール部の仲間との食事会でした。

2年前に病気で亡くなったキャプテンのお墓参りに、昨年10月皆で行って以来。

今回は、結婚しオーストラリアに住むメンバーの帰国に合わせてでもあります。

 

キャプテンの彼女が亡くなった時、自分の何かがもぎ取られたようで本当に悲しかった。

やがてその悲しみに次第に慣れていくようだったけど、何かの折に感じる彼女の非存在への寂しさは逆に増幅するようで。

今回もバスケットボール部の仲間と喋り、笑い、美味しいものを食べながら、今ここに彼女がいないことが心底寂しかった。

「○○がここにいたらなあ…」と呟くだけで泣けてきました。

 

でも、

 

彼女は確かにそこにいたんですね。

 

私の死後、あなた方が言葉を潤沢に、巧みに使い、私の話をしてくれる

その時私は、確かにそこに、あなた方と共にあるのです

 

私たちが彼女の話をした時に、彼女の姿は確かにそこにありました。

きっぱりと強くて、少しばかり自分勝手で、惚れっぽくて、食いしん坊で、お金と時間に厳しくて、世話焼きで、優しかった。

一人一人の思い出に彼女は確かに現れて、息づいていました。

 

寂しさはきっとこれからも感じるのだろうけど

また、皆で彼女の話をしようと思います。

 

 

岸辺さん役の池田イライザさんと馬締さん役の野田洋次郎さん、好演でしたね~

野田洋次郎さんは、以前、映画『キネマの神様』に出演された時も非常に印象的でした

 

 

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『虎に翼』が面白い

 

NHK朝ドラ『虎に翼』が面白い。

毎朝の楽しみとなっていて、前日の朝ドラが終った時点で、翌日の朝がもはや待ち遠しい。

 

女性が自由に生きられなかった時代。

「女のくせに」と屈辱的な扱いを受け「女だから」と生き方を狭められる世の中に敢然と飛び込み、己の夢を掴まんと奮闘する主人公寅子。

伊藤沙莉さん演じる、明るく歯切れの良い寅子が実に愉快で魅力的であると同時に

彼女の言動から現れるその人間性にも大事なことを教えられた気持ちになる。

 

例えば、

 

弁護士を目指す仲間の一人、よねさんの辛い過去をよねさんではない人が話そうとした時

「よねさんの話をよねさんのいない所でよねさんではない人から聞くのは違うと思うの」

と言った寅子。

 

よねさんは己の過去を話したいのだろうか

よねさんの了承無くして自分はよねさんの過去を聞いていいのだろうか

そんな大切な話ならばこそ、自分はよねさんの納得のもと、よねさんが話してくれて初めて聞くことを許される

 

そういう状況は、実際、身の回りでもよくある。

以前、ある友人がその場にいない別の友人に関する深刻な話を教えてくれようとしたので

「本人が話してくれるなら、その時聞くからいい」と断ったら怪訝そうな顔をされたことがある。

 

寅子の言葉に、やっぱりそうだよねとホッとした。

 

社会で差別されながら闘わない女性たちに「愚かだ」と言い放つよねさんに

「闘わない女性、闘えない女性を愚かだと一括りにしてはいけない」と寅子。

 

弱音を吐いたところで何も解決しないけど、受け入れることは出来る。

「せめて弱音を吐く自分を、その人を、そのまま受け入れることの出来る弁護士に、居場所になりたい」

 

闘うオーラを振りまき、常に嫌な感じのよねさんに

「よねさんはそのまま、嫌な感じでいいから」と寅子。

「思ったの。怒り続けることも弱音を吐くのと同じぐらい大事だって。だから私たちの前では好きなだけ嫌な感じでいて」

 

公平で、偏見が無い

既成概念に囚われず、目の前の人や状況をありのままに受け入れる

相反する相手にさえ敬意をもってフラットに接する

 

寅子の資質は確かに裁判官に相応しいと感心する。

 

当然、寅子のキャラクターは脚本によって作られているのだけど

モデルとなった三淵嘉子さんの実際のお姿を映像で拝見すると、屈託の無い笑顔で周囲を温かく包んでおられて

伊藤沙莉さん演じる寅子そのままのようなお人だったのかなあと思ったりする。

 

……………

 

ところで、

物語では、男子学生が寅子たちを侮辱したり、社会の中でも男性が女性を虐げたり軽んじたり、といったシーンが登場する。

その度、じんわりとムカつき、はらわたが沸々する私。

遠い昔の話、今はこんなこと許されないとわかっている。

昭和30年代生まれの私自身もそこまでの女性差別を受けた覚えはない。

なのに、自分の中に形のはっきりしないトラウマが蘇る感じで、(ったく、男って!)と内心憤慨してしまう。

心の内で済むならまだいいが、隣で観ている夫にも何だか怒りの矛先が向かいそうになる。

夫は夫で、それを察してか、至って神妙にしている。

 

私が成長過程にあった頃、男女平等が謳われ、学校の中では男子も女子も平等(だったはず)。

しっかり者の女子にいい加減な男子がどやしつけられる、なんて光景も普通にあった。

それが家に帰れば、母(妻)は父(夫)を立て、父(夫)は当然の様に母(妻)の上にいる、という構図が依然としてあった。

経済的にも精神的にも、母(妻)は父(夫)に従った。

過激な事を言ってしまえば、

働いて家族を養って(やって)いるのだから俺に感謝しろ、俺は偉い、という父(夫)の言葉が黄門さまの印籠の様にまかり通っていた家庭も少なからずあっただろう。

 

男女同じ様に学び、卒業し、就職したはずの場所でも男女差別は普通にあったと思う。

 

私たちの時代。

戦後、男女平等が謳われ、そのように教育を受けてきたはずが、家に帰れば、社会に出れば、当然の様な顔で存在する男女差別。

やがて、目に見える男女差別は次第になくなっていっても、男性、女性、それぞれの心の内にある意識には大きな隔たりが残り続けたと思う。

その隔たりに悔しい思いをした女性は多かったのでは。

それを差別と言うのならそうなのかもしれないし。

 

そんな中途半端な男女平等の時代を通過してきた私である。

男女平等と言いながら、結局何かに押さえつけられ、自らもそれに甘んじて来た。

結婚してからは、親の世代にあった男性優位や夫唱婦随といった価値観に、自分で自分を縛って来た。

 

誰のせいでもない。

よねさんの言葉を借りれば、闘わずして自分でそうして来たのだ。

 

勝手な話だが、そこの部分の燻ぶった感情がドラマを観ながら怒りとなって蘇るのかもしれない。

 

男性が男性というだけで大手を振っていられた社会で、理不尽な差別をされていた女性たちが立ち上がり闘うストーリー。

 

“夫婦で朝ドラ”がこんなにヒリヒリするのは初である。

 

……………

 

既にネット上では賛否両論らしい。

女性差別の表現に現実味が無く有り得ないとか、極端な男尊女卑にモヤモヤするとか。

 

確かに、今の時代の人たちには到底有り得ないことだろう。

私も、果たして今の人たちに理解し共感してもらえるかしらと思ったりしている。

ピンと来ないだろうな

有り得なさ過ぎて笑っちゃうんじゃないかしら、と。

 

でも、そういう時代は間違いなくあったのだ。

 

 

両手におにぎりとふかし芋を掴んで満足げな孫娘。あなたが大人になる頃には「男だから」「女だから」ってますます無くなるんでしょうね(^^)

 

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見頃を過ぎても美しいあなたたち

 

暖冬と言われていた今年でしたが、先月のぶり返す寒さで、結局、当地方では例年より遅めの桜開花に。

同じマンションに住むオヤジ達のお花見も、今年は蕾のままの樹の下で催されました。

(まあ、桜が咲こうが咲くまいが、皆で酒を呑めればいいのでしょう(笑))

 

開花が遅れた分、入学式にも桜はまだ咲いていて、それっていつぶりだろうと思うのです。

ここ数年、いや十数年?入学式の頃には桜は既に散っているのが通常で。

桜の花を背景にピカピカの新一年生。きっと素敵な写真が撮れたことでしょうね。

ちなみに、自分が小学生の頃(半世紀以上前)は入学式や始業式に桜が咲いていたと記憶しています。(名古屋市でしたが)

 

先週末は満開を迎え、しかもお天気も上々だったので、たくさんの人がお花見を楽しまれたようです。

 

と他人事のように言うのは、今年は毎年恒例のお花見をしていないのです。

夫婦共に花粉症があまりに酷くて、桜を観に出かける気分になれなかった。

そんな年もあると家の前の桜を窓越しに眺めて残念な気持ちを紛らわしていました。

 

それが昨日、一昨日と次女の依頼で孫たちを預かることになり、そこで思いがけずお花見が出来たのです。

一昨日は次男孫の遠足のお迎えに行った自然公園で。

昨日は長男孫と次男孫と遊びに行った地元の総合公園で。

共に県内では桜の名所。

満開を一週間も過ぎ、当然見頃を過ぎた感のある桜たち。

それでも風に舞う桜吹雪や池に浮かぶ花筏の美しさにいちいち感動する私です。

いつもは艶やかに咲き誇る満開の頃をめがけてお花見の予定をたてますが

こんな楽しみ方もあるのだなあと今さらながら知りました。

そして、

散りながらも、その命の輝きで最後まで私たちに感動を与えてくれる桜たちに感謝したい気持ちになるのです。